[ 9 回 目 登 山 ]
(平成15年09月28日 起案)
(平成24年01月10日 更新)


今年(平成15年)も 富士山頂 (剣が峰=H 3,775.69m) で
深碧の夜空に横たわる 天の川 を、そして 明日に夢を感じる流れ星 をながめ
そして一瞬のきらめきを放って姿をあらわす御来光を拝みたいと
大きな夢を抱いて 9回目の富士登山 に出発しました。
( H15. 08. 11〜 12 )


登山経路の中腹にかかった夜半から
火山灰粉じんを含んだ霧雨の強風のなか
厳しい条件での 夜間登山 となりました。

今となってはこれもまた
想い出に残る貴重な一ページになりました。



「 富士の山 甲斐で見る より 駿河いちばん 」

新幹線車窓から眺める冨士の方がやっぱり「かっこいい」
( 2003年 8月 11日 )





[[ 旅行 ]]

中日旅行会 ( 中日新聞社系列 Tel :052-231-0800 ) 主催 の バスツアー 「 チャレンジ富士登山 Aコース 」

  料金: \9,800 ( 下山後の入浴および昼食の料金を含む )


[[ 日 定 ]]
平成15 (2003)年8月11日 (月) 〜 12日 (火)


 8/ 11 : 10:45  自宅マンションを出発

 8/ 11 : 13:00  名古屋駅前 メルサ裏に 集合 ( 参加者 42名 +運転手,乗員 )

 8/ 11 : 13:05  名古屋出発  東名・名古屋 I C → ( 浜名湖SA と 冨士川 S A でトイレ休憩 ) → 東名・富士 I C → 西富士有料道路経由 →
             「 富士・緑の休暇村 」 ( トイレ休憩 ) → 富士スバルライン経由 → 富士吉田口 「 五合園レストハウス ( Tel 0555-85-2236 ) 」 ( 19:20到着 )

 8/ 11 : 19:45  登山開始  ( 8/12 ) 03:15 山頂到着  所要時間 : 7,5 時間


 8/ 12 : 05:30  下山開始  08:50 吉田口到着  所要時間 : 3,4 時間

 8/ 12 : 09:45  バスに搭乗  10:05 バスは 「 富士吉田口 」 を出発  10:55 「 緑の休暇村 」 に到着   入浴 と 昼食 ( 10:55〜12:30 )

 8/ 12 : 12:30  バスは 「 富士・緑の休暇村 」 を出発し 帰途へ → 往路と同じ経路を通り、途中 「 牧之原 SA 」 と 「上郷 SA 」 で トイレ休憩 →
            名古屋駅前 に無事帰着 ( 17:15 )

 8/ 12 : 18:50 JR名古屋駅 から 中央線高蔵寺駅経由で 帰宅



[[経過 概要]]
[ 事前の準備 ]


  ・ スポクラ の友人 N氏 ( 62歳 ) が一度 富士山 に登りたいとの話を聞き、「では一緒に登りましょう。」 と約束、以来 お互いに体力アップのトレイニング

  ・ 6/24 : 中日旅行会バスツアー 「 チャレンジ富士登山Aコース ( 夜間登山 ) 」 を 「E-mail」 で予約
    出発希望日 : 8/6 (水), 8/11 (月), 7/27 (日), 8/19 (火) の順で申し込み

  ・ 7/27 : 出発日 8/11 に決定 ( 8/7のツアーは所定人数が集まらず不成立 )

  ・ 今年のツアーは 去年と中身は全く同一ながら 1,000円 値下げされていた
     ( 不景気 ・ デフレ と各社の競争によるものだろう )

  ・ 7/29 : 参加費用 (2人分 \19,600 ) を郵便振替で振り込む



[ 準備する用具 等 ]

  △ 登山時の服装 と 携行品
 登山に適した帽子

 ヘッドランプ + 予備の乾電池

 シャツ ( 7合目位まではTシャツで充分
       途中、身体が冷える前にウインドブレーカー、ジャンパーなど適時重ね着して保温に留意する )

 軍手

 登山ズボン ( 長ズボンがよい )

 ズボン裾用のスパッツ ( 下山時、 小石が靴にとびこばないため )

 登山靴

 タオル ( 汗拭き用 )

 杖

 万歩計

 時計

 携帯電話

 アイゼン (下山時は滑り止めに装着 )

 * ウエストバッグ ( メモ帳、 筆記具、 カメラ、 飴 )

 * リュック (着換え、 厚手セーターなど山頂で着用する防寒衣料、 お握り、 パン、バナナなどの食料、 十分なお茶、)


  △ その他の持参品
 往復時の服装、 靴、 靴下など着換え

 タオルなど入浴用具

  ( 登山中はバスに残しておく )



[ バ ス 往 路  ( H15年8月11日 ) ]
・ 2日前の 8月 9日には暴風雨を伴った大型の強い台風10号が四国から本州を通りぬけて東北、 北海道へと通過し、
  多くの死傷者と被害を残して行ったその直後なのに 台風一過の快晴とはならなかった。

・ スポーツバッグ、ウエスツバッグとリュックに必要な荷物をつめて 10:45自宅を出発

・ 35℃ を 越す蒸し暑いなか、市内のレストランで早めの昼食を食べ、JR中央線高蔵寺駅 から名古屋駅 ( 12:37着 ) に向かう

・ メルサ裏の所定の場所に大型バスが待機している。 今回もクリスタル観光バス ( 名古屋 32 か 62-93 ) だ

・ 集団の中に同行のN氏の姿を発見。 手を振って挨拶する

・ 男性添乗員に所要の書類を見せて 確認を受け、張りだされた座席位置を確認して左側5列目に2人で落ちつく ( 12:50 )

・ バスは 13:05、 ほぼ予定通りの時間に 発車

・ 今日の参加者は 全部で 42名、その内約7割は女性。 それに運転手、添乗員が同乗

・ 添乗員の説明・案内のなかで、参加者のうち冨士登山の経験者は2割くらいで、残りの人は初めてのようだ

・ 13:35 名古屋インター から東名高速に 乗り、一路富士山麓 吉田口五合目を 目指して 走る

・ 高速に 乗って暫くすると 男性添乗員から 今回の 登山バスツアーについてのお願いと説明がある

・ 添乗員 曰く :

   「 団体ツアーですが、登山 及び 下山は 個人行動になりますので 無理をして 登山を続けないで下さい 」

   「 初めての人は 絶対に無理をしないように。 初心者は 本来なら Bコース ( 途中 七合目の鳥居荘で仮眠 ) で登山すべきです。 」
    と 如何にも初めての参加者は この Aコース での登山は無理です と云いたい口ぶりで、N氏らには耳障りな説明をする

   「 バスの出発時間までに 下山できなかった人は 最悪の場合、各自の負担で名古屋まで帰って貰うことになります。
    また、間違って須走口に下山することがないように 充分 注意して下さい。
    万一、須走口に 降りてしまった場合は 「冨士緑の休暇村」 までタクシーで追いかけて下さい。 」

   「 ヘッドランプを持って来てない人には、予備の乾電池付きで \500 のレンタルがありますので 申し込んで下さい。 」 など・・・

・ 途中 トイレ休憩のために昨年と同様に 浜名湖 S A と 富士川 S A に立ち寄る

・ 富士川SA ( 16:10 ) には 「 Hello Square 」 と 「 富士川楽座 」 の2つの立派な売店がある。
  N氏 と 「 富士川楽座 」 2階 のレストランで カレーライス を食べる

・ 17:00 富士 I C で東名高速を降り、西富士有料道路 を経由、 R-139 で 朝霧高原 をぬけて山梨県に入る

・ いつもは、朝霧高原 を通り抜ける夕方 は一面に深い霧がかかり、雨降りのように路面もすっかり濡れている   しかし、
  今日の富士山ろくは 天気が良く、「 甲斐の冨士 」 が車窓からよく見える。 道端の外気温表示も 25℃ を示している

・ 18:00 鳴沢の 「 冨士緑の休暇村 」 でトイレ休憩をとる。  ビルの後方にはこれから登る冨士山頂 が夕暮れの空にはっきりと望める

・  「 冨士緑の休暇村 」 から 富士スバルラインを1時間 あまり走って、暗やみの中に 多くの登山者 で賑わう
   富士吉田口の 「 五合園レストハウス 」 前に 到着 ( 19:25 )

・ 女性はハウスの中に用意された更衣部屋で、男性は バスの中で 登山の服装に着替え、出発の準備をする

・ 五合目は高度が 2,300m あり、真夏でも外は 15℃ を切って肌寒く、多くの人は 長袖の登山着に着替えている

・ 登り始めると直ぐに 暑くなり 汗が噴き出すのを知っているので、N氏 と 相談して 半袖の Tシャツで 登山を始める事にする

・ 途中の着換えや、山頂での暖房着、夜食、水 などリュックに詰めて背負い、カメラや万歩計、筆記具などを携行し、
  登山に不要な物はスポーツバッグに入れてバスに残す

・ 19:45 靴の紐を 締め直し、帽子に装着した ヘッドランプ を点灯し、ゆっくりと登山の第一歩を 歩き始める



「 東名高速・富士SA にて 」:
完備した施設で 毎年 往路に 利用する
クリスタル観光バス の後方に富士山
「 緑の休暇村 」:
吉田口五合目まで約10kmに在る施設
往復 利用し、後方の雲の中には富士山が在る
「 五合園レストハウス 」:(2305m)
富士吉田口登山者の母港として
ここから出発し、ここで終了です




[ 富士登山  ( 8/11 夜 〜 8/12 早朝 ) ]   所要時間 : 7時間30分

19時45分 真っ暗な中を ヘッドランプ の灯りを頼りに吉田口五合目 ( 2,305m ) の人ごみを後に、
N氏と連れだって苦しくて楽しい 富士夜間登山 の一歩を踏みだす


真黒の闇 の中を ヘッドライトで照らされる 前方 2m 範囲 の明かりを頼りに歩くので、周りの景色などを楽しむことはできない

体力回復 のために、時々立ち止まって 深い呼吸 をしながら、見上げる空には頂点の辺りにばんやりと星が散らばって見える

もやのような 薄い雲が かぶっているのだろうか、これまでの登山のようには 星が煌めいてはいない

暫く 行くと 急に 前の集団が の灯りが見えなくなったので注意して右側を照らしながら行くと 登山道入り口の標識があり、登山道へと入っていく

4年前の登山では、この入り口を 見過ごしてしまい、後から来た 2人のグループと そのまま直進してしまい、
進む道がわからず 真っ暗闇の中で立ち往生したのを思い出す

N氏 に この想い出話をしながら、今回は迷うことなく右に曲がって登山道 を進むことができた

これからは 一本道の登山道で 山小屋 からの出口で 確認していけば 迷うことは少ない

しばらく登ると 最初に コンクリート造りの 「 安全指導センター 」 に到着 ( 20:12 )

登山道 最初の山小屋は 「 六合目 穴子屋 @ 」 ですが、今は閉鎖されたままで 小屋の中は暗やみだ

この頃になると もう身体は しっかり 熱くなり Tシャツ姿 でも暑いくらいになってくる

立ち止まって早々と 着換えをしている人にも出会い、「 オサキニ 」 と言葉をかけて通りすぎる

今回も、外人男女の登山グループ が目につく

足下が 岩場になり 勾配も 急になってきて 鎖を頼りにして登る ところもあり、息苦しさが増してくる

21時10分 登山者で混み合う 「七合目 花小屋 A 」 に到着

小屋の 前の ベンチでは、数人が談笑しながら お茶を飲んだり、薄衣に着換えを したりして、休憩をとっている

「 花小屋 」 の中は電氣が薄暗く点いているが、入口は閉っていて静寂としている

ガラス越しに中を覗くと 2、3 人 の 登山者らしい人かげだけが 見える

小屋の前の ベンチに リュックを降ろして 小休止しながら、あんパンを 1個ほおばって スタミナ補給をする

山すそから吹きあげてくる 冷たい霧 の流れが 囲りを吹いて過ぎ 火照る体には気持よく感じられる

「 花小屋 」 を出て10分も登ると 次の 「七合目 日の出館 B 」 に到着する

「 日の出館 」 の中は まっ暗だ

ここで 仮眠をとった 登山客らは 山頂を目指して もう出発した後なのだろうか



「 六合目 穴小屋 」 @:(2420m)
登山を始めて間もなく「穴小屋」に到着
H13から閉屋されたままになって今は暗い
「 七合目 花小屋 」 A:(2700m)
登山を開始して約1時間で たどり着ける山小屋
この小屋を出ると登山道が急になる
「 七合目 日の出館 」 B:(2725m)
約15分登ると到着できる





「 日の出館 」 を出発すると間もなく 「 七合目 トモエ館 C 」 に到着できる

ライトに照らし出される この辺りの路面は 黒く やわらかい火山灰層で なだらかな勾配ではあるが、滑りやすく 割と登りにくい

高度が少しずつ上がるにつれて 深い息ぐるしさを 感じはじめる

それから 15分くらい歩くと 「 七合目 鎌岩館 D 」 に到着できる

「 鎌岩館 」 を出発して5分 も登ると 「 七合目 富士一館 E 」 に到着できる


「 七合目 トモエ館 」 C:(2740m)
(救護所)
さらに 5分登ると トモエ館 に到着する
「 七合目 鎌岩館 」 D:(2795m)
10分登ると山小屋 鎌岩館に到着できる
「 七合目 富士一館 」 E:(2810m)
また 15分登ると この山小屋に到着する





「 富士一館 」 から距離は短いが 急な登山道で、鎖の助けを借りたりして登って行くと 鳥居 があり、明治2年創業と云われる 歴史を感じさせる 「 七合目 鳥居荘 F 」 に辿り着ける


名古屋から来た Bコース のグループはこの 「 鳥居荘 」 で仮眠する計画と聞いていたが、小屋の中は閑散として 既に出発した後らしい

「 鳥居荘 」 を出て 低酸素による息苦しさは益々 ひどくなり、 苦闘しながら 10分くらいも 登ると 「 七合目 東洋館 G 」 に到着できる

22時30分 「 東洋館 」 を出発して、 20分後に 「 八合目 太子館 H 」 に たどり着く

「 太子館 」 には 富士山特有の チップ制のトイレ が設置してある   我慢して通りすぎる

どの山の登山でも 3000mを超えてくると、 数歩も登るごとに 息苦しくなり、肺の中が空っぽになってしまったようで 続けて登る事はできなくなる

その時は 立ち止まって少し休み 深呼吸を数回繰り返して 肺の中身を充満し調整しないと 続けて登る事は不可能だ


『 3000m を過ぎて、富士山の八合目に入ると 一歩進むにも 急に息苦しさが 増してくる

その息苦しさの度合は 数m登るごとに 目にみえて増していき、 酸素欠乏症、高山病 の徴候 が 多かれ少なかれ誰にも現れてくる

吐き気 や 頭痛 などが 高山病の一般的な症状と云われ、個人に依って差異があるので自分の兆候を知っておく事が必要になる

もしそのような 兆候・症状 が出たら その場で休養して回復を待っても 最早無理なので、登山をあきらめ 下山しなければならない

富士登山の経験から得た教訓として、低酸素の息苦しさを克復する最善の方法は

  その場に 立ち止まり、フラつくと危険なので 防護柵か フェンスなどをしっかり掴み、
  肺の空気が1滴も残さないほどまで 完全に吐き切ってしまい、続いて胸いっぱいに新鮮な空気を吸いこむ深呼吸を 5〜6回 も繰りかえす

すると また元氣を取りもどすことができる

元氣を取りもどしたところで 意識をしっかり 持ちながら 5〜10歩、 20歩と 息苦しくなるまで登り、
また立ち止まって 元氣回復の深呼吸を繰りかえす

高度が高くなるにつれて その間隔は 驚くほど短くなってくるが、こまめに繰り返す事が必要だ

このやりかたで これまで私は 1度の失敗もなく登頂に成功することができた 』



「 七合目 鳥居荘 」 F:(2860m)
赤い鳥居を潜ると明治2年創業と云われる
鳥居荘 (S62新装) に到着できる
「 七合目 東洋館 」 G:(2920m)
10分も登ると 東洋館 に着きます
3000m 近くになると次第に息苦しくなってくる
「 八合目 太子館 」 H:(3100m)
登りづらい登山道を登ってやっとたどり着く
ここからは砂礫の道に変わり、滑り易い
(チップ制の水洗トイレあり)





「 太子館 」 を出ると下山道に出る分岐点があり、間違ってそちらに入りこまないように 大きな案内標識がある
その標識のすぐ下にも 大きな火山石に 白いペイントで [ 登山道 ] と書いて 下を向いたまま登る人も 見過ごさないよう配慮されている

10分かかって 「 八合目 蓬莱館 I 」 に到着する

まだ 800m しか登っていないのに、 今回は もう 3時間 を経過 している  息苦しい中を、まだこれから 600m 登らないと頂上に着かない

次の 「 八合目 白雲荘 J 」、 「 北口八合目 元祖室 K 」 と 50m 登るごとに この辺りは山小屋がある

登山者が高々度に身体を慣らすための休息・仮眠のために この辺りは 山小屋の数が多い

「 元祖室 」 の手前にも鳥居が2つ建っている

地上から見ると 富士山にかかっている一辺の雲だろうが、それが自分を包みこんでしまうと 冷たい霧雨を含んだ強風となって 登山者に立ち向かう

「 元祖室 」 を出発して 30分あまり登ると、並んで建つ 「本八合目 冨士山ホテル L 」、 「本八合目 トモエ館 M 」 に到着できる

「 トモエ館 」 を出発する頃から 登山道の天気が 急速に悪くなり
ついには 霧雨のなかに粉塵のまじった横なぐりの風雨が 左方向から痛いくらい 容赦なく頬を打ちたたいていく

まっ暗やみの夜、酸素の少ない高所での 強風は吹き飛ばされそうになって 身の危険が高い

寒さが増してくるにつれて 長袖シャツ、 ジャンパー、 防寒を兼ねてポンチョ雨着と、 順次 重ね着をして 保温してきたので
この最悪の情況のなかでも 着換えをしたり しなくて済んだのは助かった

このときには もうリュックの中には 足し着をするものは一枚も残っては いなかった



最悪なのは この霧雨の中に 強風で吹き上げられた微細な火山灰の粉じんが含まれていて 容赦なく頬を打ち、目にも飛びこんでくる

両眼の角膜が傷ついたようで コロコロ して痛く、 見えに く く なり、 目を開けているのがとても苦しい
どうにかして目の砂を拭きとりたいのだが、 濡れた軍手も 粉じんまみれになっていて、これで目をこすることはできない

また、強い風で 涙も思うように出てくれない

頭を右に振って風下に向け、薄目をあけて、ヘッドランプの明かりを頼りに 踏みはずさないよう 山側に身を傾けて 我慢の登山を続ける

N氏も同じように苦労しながら、遅れないで頑張って ついてきている

暗やみの中で 前方にも 後方にも 登山者の灯りが見えないときがある   心細くなってくる

頂上まで残り僅か 300m の処まで やっと登って来たが、 果たしてこのまま登り続けていて 頂上に辿り着けるだろうか と不安になる

はたして頂上のいまの天候は どうなのだろうか      残念ながら知る由もない

前方や後方に われわれ以外に登り続けている登山者はどの位 いるのだろうか

もしかして他の登山者はみな 山小屋か岩陰に避難して 夜明けを待っているのではないだろうか

明日の朝刊の見出しに最悪の状景さえ 淋しく 脳裡をよぎっていく


悪天候に加えて、低酸素による息苦しさは益々増加し、 緊張の連続で身体の節々や筋肉は硬バリを増して動作がぎこちなくなってくる

この粉じん混じりの暴風雨のなかでも、 4〜5歩登っては立ち止まり 回復の深呼吸を繰り返しながらでないと進むことはできない

リュックから お茶や パンを出してひと休みする事など無論不可能なことだ

苦しいままで 遅々とした登山をこのまま 安全に続けるしか残された道はない



頂上を目指し 安全に8割、前進に2割の 気配りで ゆっくりと登り続ける

山頂が近づくにつれて風雨は一層 強くなり、脈動しながら襲ってくる風雨が全身をたたき、身体が風下に向かって何度も吹きとばされそうになる

ポンチョも 音をたてて旗めき 吹きちぎれそうで心配だ

その頃から 幸いなことに 雨量がだんだん多くなり 吹きあげられる粉じんも少なくなり、多めの雨水が顔面を洗い流してくれ
目の中に入った粉塵も 涙と一緒に外に洗い出されて 痛みも少し和らぎ そのままで耐えられるようになってきた


「 八合目 蓬莱館 」 I:(3150m)
登り易い登山道を登って到着
登り始めて やっと800m を登ったことになる
「 八合目 白雲荘 」 J:(3200m)
まっ暗で寒い中で ちょっと一服
だんだん息苦しさが増してくる
「 八合目 元祖室 」 K:(3250m)
外人さんに声をかけて シャッターを押す
登山者の約3割は外人さん、また大学生も多い

*********************************************************************************************************


「 本八合目 冨士山ホテル 」 L:(3400m)
やっと 1100m 登って来ました
「 本八合目 トモエ館 」 M:(3400m)
吉田口、河口湖口、須走口 の登山道が合流する
「 本八合目 江戸屋 」 N:(3400m)
トモエ館 と隣り合わせに 近接してある
天候が 次第に悪くなってきた





約20分登り続けて 最後の山小屋 「八合五勺 御来光館 O 」 に辿り着けた

いっときの 雨宿りも許さないくらいに 強い風と雨が山小屋の回りを洗い流している

これから頂上まで もう 山小屋は一つもない      でも、あの最悪の 粉じんが吹き飛ばなくなったのは大いに助かった

一刻も早く山頂の山小屋に辿り着くためにも 「 御来光館 」 の前を素通りして次の登山道へと進む

どんなに風雨が強くても 3〜4歩も登っては また立ち止まり 深呼吸して 体力の回復をしなければ次の一歩が踏みだせない

このくり返しを 続けながら 頂上を目指して踏みしめるように一歩ずつ進んでいく


突然 暗やみの中に上から覆いかぶさるように大きな鳥居が立ちふさがる

つづいて まっ白な 2頭の狛犬が 登山道の両側に 鎮座して 暗闇を登ってくる山男を 出迎えてくれる

この風雨の中でも 狛犬さんに出会うと 60年前 小学校で習った 一節を回想しながら 声に出して暗唱しながら通過する

    『  コマイヌサン  ア 、

        コマイヌサン  ン 。 』


2つ目の鳥居を く ぐると 間もなく 山頂だ

山頂に近づくにつれ 風と 雨は ますます強くなってきた

足元に精いっぱいの注意を払いながら 登っていくと、まっ暗だった視界に なんとなく仄かな明るさが感じられた

あお向いて見ると 目の前を 数えきれないほど多くの宝石のようなきらめきが 左方向から現れて 右の暗やみの中へ 消えて行ってしまうのが見える

山頂の照明が大粒の雨に反射して 宝石函をうつしたように きらめいて見えたのだ      山頂が あと数歩の処まで来られた

低酸素で朦朧としている自分を 眩惑してしまいそうなあやしい美しさでもあり、 暴風雨の真っ只中にいることへの怖さを感じさせられた



「 八合五勺 御来光館 」 O:(3450m)
山頂まで残り 約300m
踏み出す一歩が息苦しい
山頂まで もう山小屋 はない
「 山頂近くに鳥居 」:(3600m)
約1時間登って暗闇の中に突然大きな鳥居が出現し
ここから岩場の道に変わり風雨の中での
疲れた身には殊更 厳しい
「 狛犬さん 」:(3700m)
山頂に近付くと まっ白な2頭の 狛犬さんが
風雨の中で 登山者を出迎えてくれる




やっとの思いで 遂に山頂に 辿り着くことができた

時計をみると 針は 3時15分 を指している

登山の所要時間は 7時間45分 で、 平成6年の 3回目の登山時の 3時間45分 に比べると倍近くを要した事になる

しかし この悪天候のなかで 初めて登った N氏もよく頑張って 何事もなく無事に夜間登山を成功できたのだ   時間の問題ではない

『 Nさん おめでとう 』

山頂には 小屋の蔭など あちこちで 風雨を避けて 寒さを凌いでる人陰がみえる

「 御来光館 」 から頂上まで 僅か300mを 登るのに 2時間以上かかった事になる

それでも 無事に登頂できたことが 最高にうれしいことだ

山頂には山小屋が並んで3軒あるが 3時半を過ぎないと どこも開けて、入らせてくれない     小屋の中は照明が消されてまっ暗に近い

熔岩を積み上げて造った物置小屋の蔭に 出来るだけ身を隠して 風雨をさけ、寒さを凌ぎながら 山小屋が開くのを待つ

それまで僅かな我慢だが、立ち止まったままなので 冷えきった身体は寒さの限界に近づいてくる

普通に振る舞っているだけでは もう 途中感じたような酸欠の息苦しさは 全く感じられない


3時半 を過ぎて しばらくすると 3つの小屋の中から順次 電灯が点いて 入口が開かれ 店の人が顔を出してきた

登山口に近い一番右側の山小屋に挨拶して入らせて貰う

例年なら 富士山頂のみやげ物を販売する縁台が 小屋の前に並べられるのだが 今朝は隅に置かれたままで覆いの布だけが取り去られた

これまでは何時も真ん中の小屋を利用していたが この小屋に入ったのは初めてだ

身体の中まで濡れ 冷えきってしまったので 山小屋の温もりは 最高にありがたい

リュックを降ろし タオルを絞りながら 顔を拭いたり、ズボンの水を吸いとったりして 体温の回復に精をだす

店に入れて貰ったお返しに メニューの中から 牛丼を注文する

店の主人らしい若い男性が顔を出して みんなに挨拶をしながら

『 みんな 引き返す勇気を持たないと ダメだよ。  登山には引き返す勇気が何よりも大切なんだ。』 と指導してくれる

確かに その通りだとつくづく思うが、今日の場合 引き返す事が かえって危険に遭遇するような気がして決断できなかった

無事であったからよいが、万一そうでなかった場合を想像すると あの時どうする事が最善だったのか今でもわからない

自分の未熟さを実感する

登山の途中では持参したあんパンも食べられず、多くを残したままだし、 烏龍茶も殆ど飲んでない

お腹はペコペコになっており、身体のつくろいが済むと お茶を飲みながらあんパンを食べて空腹をいやす

暫くすると アルバイトらしい若い女性が 先程注文した牛丼と味噌汁をプラスティックのお盆に載せて持って来てくれる

壁に貼ってあるメニューに ¥1000 と書いてあるので 千円札で支払う   札は濡れてくっついている

湯気がモウモウとたって あったかく 美味しそうだ

両手に持つドンブリから伝わる温かさは 今の自分には最高のご馳走だ

割りばしを割いて ひとくち食べてみる      美味しいとはとても云えない味だ     先程 あんパンを食べたばかりなので余計に食べにくい

折角 千円も出して注文したのだから 勿体ないし 食べない訳にはいかない     我慢して殆どを食べてしまう

小屋の外を見ると 山頂の天気はあい変わらず荒れ放題で 軒先の裸電氣に照らされた大粒の雨滴が 左からに真横に飛び去っていくのが見える

去年の登山も偶然ながら 同じ8月12日で 御来光は4時56分だったので 今日の日の出も同じ時間に違いない

山小屋から見る今朝の東の空は 5時を回ってから 少し明るさが感じられる程度で 期待の御来光は絶望だ

今朝の登頂者の数は 例年に比べて 2〜3割 程度しかいないのでは ないだろうか

それでも あの悪天のなかを これだけの登山者が 無事 富士の頂上を極めることができたことは素晴らしいと思う


「 昨年の 富士山頂での 爺 」:
昨年は 山頂の 「 久須志神社 」 前で写真が撮ったが
今年は強い風雨の中、素通りせざるを得なかった
「 富士山頂山小屋のメニュー 」:
うどん = \800   
カレーうどん=\1200


             ★ 昨年の 「 ご来光 」  の瞬間を再現し、 その感激を紹介します

                    ****************************************

時計を見ると 4時までには もうすこし    もうしばらく この寒さを 我慢しなければならない

山頂も どんどんと 混み合ってきて 「人でぎっしり」 と云う感じになってきた

山頂が少し明るくなってきたので時計をみると 4時15分

ざわめきが更に大きくなり 東側の端は更に人の密度が高くなってきた

上空は青黒く見え 雲は見当たらないので 快晴の空のようだ      さっきまで散りばめていた星は 今は少ししか残っていない

東の端の空が 見る間に急速に明るくなってきて、 もくもくとした積乱雲の下辺が陽光で赤く光ってみえるようになってきた

山頂のざわめきが ますます大きくなってくる

右下方に見える登山道には 山頂にたどり着けなかった登山者の列が ぎっしりと詰まって さらに下の方に向かって続いている

今日も 登山道の途中で 「 ご来光 」 を迎えなければならなくなった人が多いようだ

今夜から 明日にかけては 土・日の週末なので 明朝はもっともっと混み合うことだろう

陽光に照らされた東の果ての積乱雲の輝きが 赤、白、黄 と 時々刻々と変化していき、
その都度 「アー ー 」 とか 「出る出る」 と群衆の中から叫びが 聞こえてくる

その叫び声を信じ 急いで シャッター を押す音があちこちから聞こえる      間もなく それは ご来光 でなかったことが判る

そんな 錯角や誤信を みんなが 2〜3回も繰りかえしてしまうような素早い変化が起きている

そうしていると 一番明るく輝いていた辺りの僅か右下の方に 一瞬 キラリ と 閃光 が光った

「ご来光」 の一瞬だ       これぞ 日本一高い 富士山頂での 「ご来光」 の一瞬なのだ

息を止めて大急ぎで シャッター をきる   続けてシャッターを押す

山頂から大歓声と共に 一斉に 拍手が起こる

時計を見ると ご来光の時間は 4時56分 だったこと知る

最初の閃光からはじまった 「ご来光」 は 上辺から次第にその全てを現し、見る間に夕日のような赤い大きなまんまるの太陽になる
そして間もなく その大きさが 3分の2 くらいの小さな太陽になっていく

見馴れた太陽だけど 何時までも名残惜しそうに見つめたまま 誰もその場を移動しようとしない

こうして 「ご来光」 のドラマは 前後わずか20分足らずの間に終わってしまう

その感激する状景を 完璧に表現することは 自分にはとても不可能なことですが、兎に角この上ない素晴らしい状景です

この 一連の美しさを もう一度 体験したい為に 飽きもせず 苦しさを厭わず またやって来たくなるのです

「ご来光」の ドラマが始まると それまでの寒さはすっかり忘れてしまい 熱中させてくれる

一段落して振り返ると 小屋の前に出されていた土産物売り場は 大勢のおばさん族で大にぎわいしている


   
「 待ち遠しい御来光 」:
ゆっくりと 東の空が 明るんでいき
冷え切った身体で ご来光 を今や遅しと待つ

「ご来光」 の一瞬   (平成14年8月12日 午前4時56分)



時計の針が 4時 50分 を回り 小屋の中から見える東の空も いくらか 明るくなってきたきたような感じだ     「ご来光」 とはほど遠い空模様だ

例年なら 「ご来光」 を待つ人たちで ひしめきあう 山頂の広場も 今は数人が強い風に吹かれながら動いているだけだ

例年なら腰掛ける余地もないほどに混み合う 1m50 × 3m 位の 四角い縁台は どれも 今は しっかりと雨に流されて誰一人として 東の空の方に近寄る者はいない

頂上に辿りついた登山者はみな 風雨を避けて 今は 3軒の山頂小屋に避難しているのだ

5時を回って 風が少し おさまったようで 雨も先程に比べると 小降りになってきた

期待して来た 「お釜めぐり」は 危険性が高いので、 N氏 と 相談して とり止め 余裕をもって早めに 下山することにした





[ 富 士 下 山  ( 8/12 午前 ) ]   所要時間 : 3時間20分


日が昇るにつれて天候が少しずつ回復し 東から吹きつける風はまだ強いものの、雨はずいぶんと小降りになってきた

下山口近くの トイレ に行って用を済ます       簡易式のトイレで、空きかんに利用料 \200 を入れて出るようになっている

下山のため ジャンパーと長袖を脱いで、 Tシャツ1枚の薄衣に着換え、両足には滑り止めのアイゼンを装着、リュックを背負い、ウエストバッグを着け、
ポンチェを着用して N氏と 連れだって山小屋を出る      右手にある鳥居に向かいながら軍手をはめる      鳥居が下山道への目印だ

登山者の人数が少ないから 下山する人の数も少なく 道も空いている

頂上から六合目位までジャバラ折のクイックターンを20数回も くり返しながら 吉田口へ向かって降下して行くのだ

下山道は滑りやすく 疲労した登山者が あちこちで足を滑らせては尻餅をつく      3年前から 転倒防止に雪山用のアイゼンを活用している

道は レンガ色をした火山灰の 小石だ        転ぶと素手では擦り剥いて危ないので軍手は必須の装備として着用しなければならない

東向きの斜面に下山道があるので 例年は朝日をまともに受けて兎に角暑いのだが、今日は雨模様の天気なので少し蒸し暑いくらいで済んだ

アイゼンのお陰で 1回 しか転ばずに 「穴子屋」 まで降りてこられた       疲労で腰から下はふらふら だ

道端に腰を下ろして アイゼンを脱ぎ、リュックにしまい込む       少し休憩したいが疲れが出て下山できなくなるので直ぐに立ち上がる

裸馬や車を牽いた馬に出会いながら 馬糞をさけて無心に歩いて行くと 昨夜は ライトの灯りで読んだ登山口案内の標識にでる

ここまで来ると やっと下山できたと云う 安堵感が湧いてくる        終点はもうすぐだ


昨夜 意気揚々と出発した 「五合園レストハウス」 前に疲れた足どりで やっと 到着

レストハウスの前には 昨日乗ってきた クリスタルバス が待機しているのが見える       時計の針は 9時15分 を指している

下山に 3時間45分 もかかったことになり、 9年前の 2時間10分 に比べ 1時間半 も余計にかかったことになる

レストハウスの奥に掲示してある 中日旅行会の登山者名簿 に印をつけて 帰着のチェックインをする

冷たい缶ビールで 一服しながら、頂上での 寒さは 今はウソのように思い出される

暫く休んでから ハウスまえの広場に待機中の バスに乗りこむ


「富士登山口の案内」:
昨夜は暗やみの中を通り過ぎたので
まともに 読み取ることができなっかった


[ バ ス 復 路 ( 8/12 午後 ) ]

バスの座席は まだ 3分の1 くらいしか埋まっていない       N氏 と お互いの無事な帰還を喜びあう

リュックを網棚に載せ 短パン と スリッパ に履き替えると やっと リラックス な気持になれる

約束の 10時 には全ての席が埋まり 添乗員の点呼で 全員が乗り込んだことを 確認し 予定通り バスは麓に向かって出発する

五合目から 「富士緑の休暇村」 への 「富士スバルライン」 は 空いていて快適なドライブで予定より10分も早く 10時50分に休暇村に到着する

大きな浴場でのひとときは最高にリラックスを満喫でき、大きな溜め息と一緒に たまった疲労は 霧散して消える

なんと言っても 最高の一時だ

11時40分からの みんな揃っての 食事も美味しい

約 1時間半の間に 入浴と食事を済ませ 登山の疲れを リフレッシュして 全員が乗りこんだ処で 12時30分 バスは名古屋を目指して発車する

添乗員が 確認したところでは 頂上まで登れたのは 10名くらいのようで、今回のような悪天候では仕方ないことだろう

42名全員が 無事に富士登山を体験でき、集合時間の厳守も守られ気持ちのよい旅だったと思う

途中のバスのなかは 添乗員も含めてみんなの いびきの合奏が聞こえる中を 独り運転手のハンドル操作に任せて車は快適に走り続ける

復路も 来る時と同じ経路をとり、 R-139 を経て 富士 I C から東名高速に乗り 途中 「牧ノ原 SA 」 と 「上郷 SA 」 で 小休止をとり
名古屋駅 メルサの裏に バスは 早やばやと 17時15分 に到着できた

無事と健闘を喜び合いながら N氏と別れて JR中央線高蔵寺駅を経由して 18時過ぎ 自宅に帰着、

9回目の富士夜間登山を無事に終了することができた



  [SlideShow] をどうぞ
[ 写真をスライドで観て下さい ]


- 以上 -




今回は途中から天候が悪化したため
写真撮影ができなくなり一部、過去の写真を転用しました



[追記]

今回の富士登山は

    @:昭和30年夏(防大学生時代:陸自富士学校から)
  A:昭和36年夏(操縦学生時代:浜松基地から)
B:平成06年08月06〜07日 (自宅から)
C:平成07年07月28〜29日 (自宅から)
D:平成10年08月08〜09日 (自宅から)
E:平成12年08月04〜05日 (自宅から)
F:平成13年07月27〜28日 (自宅から)
G:平成14年08月11〜12日 (自宅から)

に続いて 9回目の富士夜間登山 でした


近い将来 孫と 一緒に登り
並んで山頂に立つことが
爺の夢 です





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