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(平成21年11月12日 更新)


目 次




第 二 部

D お遍路日記(阿 波)
E お遍路日記(土 佐)



( その他のページ )



@ お遍路 の 概要
A お遍路を決心した理由
B 出発前 の 準備
C 霊場に関する資料



F お遍路日記(伊 予)
G お遍路日記(讃 岐)



H 終わりに
(@) 「四国の文化について」
(A) 「道路事情 について 」
(B) 「遍路道案内について」
(C) 「お勧めの打ち順変更」
(D) 「遍路宿の現状」
(E) 「納経所の対応」
(F) 「 難所 の 峠 」
(G) 「上手な歩き方」
(H) 「 所 見 」



I 皆さんから頂いた「E-mail」





[ 四国八十八ヶ所霊場の図 ]




第 二 部




D お遍路日記(発心の阿波道場) (190,1km)
(平成12年3月9日から平成12年3月14日)





☆ H12.3.09 (木) <晴> 「名古屋から徳島へ」

23:30 JR深夜特急バス「オリーブ号」(名古屋駅⇒徳島駅 \6,600 JR駅で予約・購入可能)で 名古屋を発ち、翌朝 05:10 徳島駅前着




☆ H12.3.10 (金) <晴> 「お遍路 初日」(39.4km)

1番 霊山寺(りょうぜんじ): 「発願のお寺」

白衣と納経帳(霊山寺の納経は事前に終わっている) を購入し、自分なりの遍路支度に整え、心構えも整理して 1番札所 霊山寺 の 本堂、大師堂にお参り。 「お姿」(各お寺の本堂にお祭りされているご本尊の姿を印刷した 65×121mm の和紙で納経を済ませるとお遍路に1枚づつ渡される。) を頂いて 発願の誓いをする。(07:30)
前途に 1,200km の「遍路道」が待っている。 不安を抱いたままて歩き出す。


2番 極楽寺(ごくらくじ): (1,2 km) 「大師お手植えの長命杉」

平地にある寺。 初めて自分で 納経を済せ、「お姿」を頂きリュックにしまう。


3番 金泉寺(こんせんじ): (2,5 km) 「黄金の井戸」

平地にある寺。


4番 大日寺(だいにちじ): (4,9 km) 「山裾の素朴な札所」

平地にある寺。


5番 地蔵寺(じぞうじ): (2,0 km) 「奥の院に五百羅漢」

平地にある寺。


6番 安楽寺(あんらくじ): (5,3 km) 「宿坊のラジウム湯」

平地にある寺。


7番 十楽寺(じゅうらくじ): (1,0 km) 「十の輝く楽しみが得られるお寺」

平地にある寺。
納経の婦人に「今夜の宿の予約は何時ころまでにすればよいのですか」と聞くと「3時頃までにすれば大丈夫ですよ。」との答え。


8番 熊谷寺(くまたにじ): (4,2 km) 「重厚な仁王門、仁王像」

平地にある寺。 大師像が焼山寺に次いで古い。


9番 法輪寺(ほうりんじ): (2,4 km) 「本尊が四国唯一の涅槃釈迦如来」

平地にある寺。


10番 切幡寺(きりはたじ): (3,8 km) 「機織り娘の伝説」

333段の急な階段を上って本堂に参拝。
納経を済まして時計を見ると14:45 なので 藤井寺 まで行けそうなので、11番札所への遍路道を納経所で尋ねるとプリントしたルート図(これは 車用のルート図で 後からみると 歩き遍路道より2.6km長い)を渡され、それを頼りに長い道程を汗を流しながら黙々と歩く。


11番 藤井寺(ふじいでら): (11,8 km) 「五色の美しい藤の花」

納経の門限17時を気にしながら息を切らしてお寺に着くと納経窓口は閉っており ガラス越しに親子らしい4人の姿。
時間超過を皮肉られながらも頼みこんで やっと納経に成功。
もし納経して貰えなかったら翌朝の出発は7時以後になり、その後のスケジュールに 大きく影響したと思う。 感謝します。


*「ふじや旅館」= (0,3 km)(家族経営の民宿 2人相部屋 \6,000)+B
藤井寺の隣に1軒の民宿があり、 宿泊をお願いすると既に満室ということで断られる。
町の中(約3km後戻り)の民宿を勧められるが無理にお願いし、やっと相部屋で泊めて貰えることになり安堵。
奥さんの好意に感謝しながら、遍路初日での自分の無計画を反省し、明日、明後日の予約と明日の計画を見直して休息。
名前も知らない同部屋の方のご好意で宿泊させて頂いたお陰です。「人生 即 遍路」。
翌朝 みんなにむすび2個を準備してくれ \600 を自動的に請求される。


今日の反省:
@納経時間(07:00-17:00)に間に合うように寺に到着する事。
A寺の近くに宿泊するときは納経を済ませてからになるよう計画する。でないと出発は7時以降になってしまう。
B天気、疲労状況、遍路道の難易、宿屋の配置等を考慮して遍路計画を立案し、 順次2−3日前までに宿屋を予約・確定しておくことを勉強する。
C掲示、プリント等の遍路案内は車が対象で、歩きお遍路が対象でないことが多い。 要注意。




☆H12.3.11 (土) <曇午後から冷たい雨> 「2日目」 (38.3km)

12番 焼山寺(しょうざんじ)(H700):(12,9km) 「最大の難所寺」

藤井寺(H140)の裏手から焼山寺を目指して 「遍路転がし」 の言葉通りの長い険しい登り道を汗だくになり一歩一歩と前へ進む。
焼山寺参拝を終え下山の途中から雨になる。
雨は段々冷たい雨に変わり、町中に出る頃から雨は更に激しく降り出す。
四国で一番古い大師像がある。


13番 大日寺(だいにちじ):「かっては一宮城の別当寺」

鮎喰川沿いの平地にある寺。
冷たい雨の中 身体の真まで濡れで冷え込む。
疲労も高まり 重い足取りで 鮎喰川沿いのバイパスをダンプの水しぶきをかぶりながら左側で道路に面した大日寺にやっとの思いで到着。
雨の中 大勢のお遍路さんで混雑する中を通りぬけて本堂と大師堂に参拝、納経を済ます。


*「旅館かどや」= (0,1km)(観光旅館 \6,300) +B
昨夜の予約時に普通の部屋は満杯との返事、「それでも」とお願いした部屋は その通り食事も風呂、トイレも冷たい雨の中を 下駄を履いて階段を降り、一度外に出なければならない旅館から離れのきたない部屋、 でも独り安心してゆっくり休養できるのが今の自分には最高の幸せ。


今日の反省:
@梅の花の満開の中、ウグイスの鳴き声を間近に聞きながら山道や里の農道を登り、降りするのは最高の気分。
A人里から遠く離れた深い山道にも多数の無縁仏(地蔵さん)があり、片手で合掌しながら進む。
B山中の遍路道では殆ど人が通らないので、怪我をした場合等の緊急連絡に携帯電話が欲しいと感じる。




☆H12.3.12 (日) <雨後曇> 「3日目」 (42.0km)

14番 常楽寺(じょうらくじ): (2,3km) 「奇快な岩肌の流水岩」

平地にある寺。 境内の岩肌が印象に残る。


15番 国分寺(こくぶんじ): 「規模の大きさに驚く」

平地にある寺。


16番 観音寺(かんおんじ): (1,7km) 「古い町並みに溶け込むお寺」

平地にある寺。


17番 井戸寺(いどじ): (2,9km) 「大師が掘った面影の井戸」


平地にある寺。
大日寺から井戸寺までは平地で 近距離にあり 歩きお遍路は楽。
井戸寺の納経所では、左側に座った人が 恩山寺への道は「兎に角 県庁を目指して進んで行き、次は55号線にでたら室戸を目指して行きなさい。」と明快、親切に教えて呉れたのが印象的。


18番 恩山寺(おんざんじ): (18,8km) 「母の恩を知るお寺」

町中の小高い丘の上にある寺。


19番 立江寺(たつえじ): (4,0km) 「関所寺の一つ」

平地にある寺。
立江寺は 27番 神峯寺、60番 横峰寺、66番 雲辺寺 と並んで四国霊場の 「4つの関所寺」の1つ。


*「民宿金子や」= (11,5km) (中年夫妻経営 \6,000) A-
鶴林寺への 登山口にあり参拝に重要な宿。


今日の反省:
@ニュースによると松山高速など降雪のためチェーン規制されており、 今日は雪で焼山寺(積雪20cm)には登れないとのこと。 1日ちがいを感謝する。
A井戸寺で今回初めて気持ちの良い納経人に出会う。




☆H12.3.13 (月) <晴> 「4日目」 (42.0km)

20番 鶴林寺(かくりんじ)(H500): (3,1km) 「多くのお遍路を泣かせたお寺:お鶴さん」

「阿波の難所は一に焼山(H700)、二にお鶴(H500)、三に太龍寺(H600)」 (遍路ころがし) の言葉通り
山深い険しい遍路道を登った山頂にあり、そのためにこのお寺は天正の兵火 を免れ、古い寺を現在に残していると云う。


21番 太龍寺(たいりゅうじ)(H600): 「西の高野山」

鶴林寺から急な山道を下り、那賀川を渡り、また山道を登ってやっと太龍寺へ。
ロープウエイあり。


22番 平等寺(びょうどうじ):「弘法の水」

太龍寺から急な坂道を H70 迄下り、再度大根峠(H289)を越えて里に下りた処にある平等寺へやっと到着。


*「旅館きよ美」= (20,7km) (寿司屋経営 \8,400) A-
平等寺から 約20km。
薬王寺前の旅館に宿泊。 料金は少し高いと予告されたが最高の料理。


今日の反省:
@登りの遍路道には自信があるが、下りは危険で足にショックが大きい。
A出発前、百合子に電話。




☆H12.3.14 (火) <晴> 「5日目」 (08:00-16:00) (28.4km)

23番 薬王寺(やくおうじ): (0,3km) 「厄落としの階段・一円玉」

海亀の町日和佐町にあり、長い石段の上に寺を望む。


*「福田君宅(大学同期生)」に宿泊 = (28,1km)
途中、痛みに耐えられず靴の内敷きを外す。
昭和34年に防府で別れて以来 40年振りに 同窓親友の福田君と再会。無言で堅い握手。 唯々感激。
車で大きな浴場施設の連れて行ってくれる。疲労に最高。絶えず足が痛む。
そしてお互いに「お前は昔と少しもかわってないなぁー。」
完成間もない豪邸で福田君と奥さんの温かいもてなし、沢山の海の幸をご馳走になる。


今日の反省:
@今日もまた両足の踵と親指の付け根に 新しい肉刺ができ手、ズキズキと痛む。



明日から土佐路へ






E お遍路日記(修行の土佐道場) (395,8km)
(平成12年3月15日から平成12年3月25日)





☆H12.3.15 (水) <晴> 「6日目」 (07:00-16:00) (34.7km)

・(訪問する寺はなく、唯 前進あるのみ。)
今日から「修行の土佐道場」に入る。
出発時 福田君の奥さんにおにぎりのお弁当を頂く。


しぶきで洗われる海岸の石を跳び渡りながら命がけの遍路をした昔の人の苦労を偲びつつ、
左からは打ち砕ける太平洋のしぶきを受け、右からは新緑の山肌が垂直に覆い被さる
55号線をひたすら南の空、室戸岬を目指して歩く。
疎開していた頃 世話になった石州井原の叔父さん、叔母さんといつの間にか昭和20年頃の昔に還って声を出して話をしていた。
叔父さん、叔母さんも同じように応えてくれる。 夢ではない。
これが「歩きお遍路」の有り難さだろうと初めての経験に 自分ながら驚く。 ( 第4部で詳しく記述します。)

★室戸岬(最御崎寺)への77kmについて
現在の国道<55号線>が海岸沿いに走るまでは、大変な難所であったと云う。
伏越の鼻<室戸岬まで50km>から入木までの「淀ヶ磯」四里は、山と海だけの、人家一つない、雨宿りする処もない「ゴロゴロ石」と「飛び石、跳ね石」の中を進む四国第一の難所と、先人達は手記の中に書いている。
お遍路は皆、ゴロゴロと波打つ石の音におびえ、孤独と不安の気持ちで一生懸命に先へと急いで行ったのであろう。
同じ歩く遍路でも今昔では隔世の観があり、先人達の苦労が偲ばれる。 (遍路案内誌より引用)


*「民宿とくます」= (34,7km) (家族経営 \6,500) +B
また新しい肉刺が出来て 歩きに苦痛を感じる。
夜通し太平洋から打ち寄せる荒波の潮騒が耳に触る。
朝食時、同宿の29歳の佐藤青年、22歳の大学生の長崎君と会話。


今日の反省:
@遍路の苦しみを体験しながら、昔の遍路さんの苦労を想うと今の遍路は なんと恵まれている事か。
 結願出来ずに途中で倒れた沢山の無縁仏の悔しさを想って胸が熱くなる。
A途中、東京の荒木さんと初めて出会い、言葉を交わす。
  (1週間後の3/22から 荒木さんと同行することになる最初の運命的な出会い。)




☆H12.3.16 (木) <激しい雨 後晴> 「7日目」 (32.7km)

24番 最御崎寺(ほつみさきじ)(H165):(14,9km) 「室戸の突端に建つ東寺」

昨夜の予報通り2つ目玉の低気圧が九州に接近し、室戸も朝から台風並みに風雨が吹き荒れる。
可能な限りの十分な支度をして出発。
国道55号に出ると太平洋から吹き寄せる風雨は予想以上に強い。
夫婦岩と右側の急峻なコンクリートの山肌に挟まれた55号線では 強い風に乗って襲いかかる塩辛い豪風雨が谷間を ビル風となって吹き抜け、雨着は破れそうにはためき、身体は吹き飛ばされそうになる。
通り過ぎられないのではと危険を感じるが、だからと云って引き返す訳にもいかず、必死の思いで右側のコンクリート壁に両方の手のひらを吸盤のように密着させて、防大時代に訓練・体験した匍匐前進を立った姿勢での要領で壁を這うようにして必死の気構えで少しずつ前に進む。
夫婦岩をやっとの思いで通り抜けられた時に初めて生きていた実感を味わえた。
永い間の試験飛行の経験を通じて自分自身にも、また操縦士仲間にも何時も云って聞かせていた事は「引き返す勇気がいかに大切か。」と云うことだったが、今日の状況は引き返す事が進むより危険性が高い状況にあり、細心の注意を払いながら一歩一歩進むしか残された道がない状況であっただけに、夫婦岩の隘路から抜け出せた時の安堵感は言葉に現せない達成感であった。
最御崎寺に近づく頃には雨も止み、晴れ間も出てきたが、風は終日強いまま。


25番 津照寺(しんしょうじ):(6,8km) 「海上安全の守護仏が祀られている」

室戸岬の西海岸を北に進んだ平地の海岸にある寺。


26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ):(4,0km) 「多数の文化財が残る西寺」

行当岬の坂道を上って金剛頂寺へ。


*「民宿ホワード」= (7,0 km) (老婦人が離れで経営する古い民宿素泊り \3,500) +C
コンビニで夜と朝の食糧とビールを購入して投宿。部屋が汚い。
炬燵を出して貰い洗濯ものを乾す。
「近所のお年寄りが造った賽銭袋です。 接待です。」と言われその中の1つを頂く。
  (頂いた賽銭袋はその後の富士登山や2度目の歩きお遍路の時などに今も重宝して大事に使わせてもらっています。 感謝。)


今日の反省:
@あの暴風雨の中で、夫婦岩を無事に通過できた事は殊の外うれしい。
 成功には危険も伴うが、これも「人生 即 遍路」の教訓。
Aまた新しい肉刺ができ、24番 最御崎寺から下る時 山の中の遍路道を選ぶか、 遠くても整備された自動車道を選ぶか重要な決断になる。 結局、上ってきた同じ昔の遍路道を選んで下る。
B貰った賽銭袋に長い紐を着けてベルトに通し財布として使う。 とても重宝。




☆H12.3.17 (金) <晴> 「8日目」 (06:05-14:50)(36.6km)

27番 神峯寺(こうのみねじ)(H570): (22,7km) 「美しい緑の庭園」


山門まで4kmの長く急な坂道を汗びっしょりで登りやっと到着。
本堂への石段両側の庭が素晴らしい。
納経を終ると歩きお遍路にだけのコーヒーとお菓子の接待あり。 お願いして特に甘くしてもらい美味しく頂く。 同年輩の男性と同席。
お寺の入り口で左手袋を紛失。
  (3日後に右手袋をゴミ箱に棄てた処で左が出現し、早速ゴミ箱を探して両手袋が再会する。)


*「ビジネスホテル弁長」= (13,9km) (小経営 素泊り \5,250) B
コンビニで食糧と缶ビールを購入して投宿。


今日の反省:
@1週間経過したからか、今日は少し歩き慣れてきた感じがする。
Aお寺で頂いたコーヒーのお接待は美味しく疲労を吹き消してくれた。




☆H12.3.18 (土) <晴午後雨> 「9日目」(05:00-16:10)(44.4km)

28番 大日寺(だいにちじ): (24,4km) 「静かなお寺」

平地にある寺。


29番 国分寺(こくぶんじ): (9,0km) 「風格のある堂塔」

平地の町中にある寺。


30番 善楽寺(ぜんらくじ): (7,0km) 「二つの札所が統合された30番札所」

平地の町中にある寺。


*「サンピア高知」= (4,0km) (近代的 素泊り \5,250) B
雨の中 善楽寺からホテルへのルートで道に迷い、何度も道を尋ね遠回りになりながらもやっとホテルフロントに到着。
2食の食糧と缶ビールを買って投宿。
終盤のホテル探しで疲労が大きくなり 4km/h以下(?)の速度になる。


今日の反省:
@ 後半の天気が心配で5時に出発したが、「別冊」を「ビジネスホテル弁長」に置き忘れて 取りに引き返し計画から30分遅れる。
A 昨日の疲れも残っておらず、歩き始めは好調(5km/h)なれど、終盤になってやはり疲労が出て身体が左右に揺れ、速度が3km/h位になる。
雨の中での歩きに危険を感じ 何度も気持ちを引き締め直して歩く。




☆H12.3.19 (日) <終日春雨> 「10日目」 (06:00-17:30) (39.3km)

31番 竹林寺(ちくりんじ)(H120): (4,4km) 「風光明媚な五台山にあるお寺」

「よさこい節」の純信がいたと云う寺。


32番 禅師峰寺(ぜんしふじ)(H80): (6,0km) 「船魂観音が祀られる峰寺」

急な坂道を登って山門に至る。


33番 雪蹊寺(せっけいじ): (9,5km) 「歌詠み幽霊の伝説」

雨なので渡し渡し船ルートを避け 距離は遠いが浦戸大橋を渡るルートを選ぶ。
桂浜を左にみて暫く西に行くと町中に札所がある。


34番 種間寺(たねまじ): (6,5km) 「大師が蒔いた五穀の種が寺名」

田圃の中にあり、本堂が鉄筋コンクリート。


35番 清滝寺(きよたきじ)(H130): (9,5km) 「大きな薬師如来」

急な登り坂(流汗坂)と狭く急な石段を登った山の中腹に町を見下ろして建つ寺。


*「ホテルビジネスイン土佐」= (3,4km)(近代的 素泊り \5,250) B
清滝寺からの帰り食糧を買って投宿。


今日の反省:
@1日中雨の中、傘と別冊を手に町なかを歩く。
Aホテルに荷物を残して清滝寺に向かう。彼方の山の中腹に大きな赤い屋根の建物が見えるが疲れた足にはすごく遠い。
B新しく出来た両足の肉刺が痛む。 腰掛けて宿帳を記入し、遅い投宿。
C百合子、福田君に電話。







☆H12.3.20 (月) <晴> 「11日目」 (35.7km)

36番 青龍寺(しょうりゅうじ): (11,6km) 「海の守り神・波切不動明王」

途中、暑い日差しの中 逆打ちの女性お遍路さんに出会い、少し立ち話をする。15回目の歩き遍路と聞いて頭が下がる。
宇佐大橋を渡り、多数のお地蔵さん(無縁仏さまか)の前を通り、長い長い石段を登って本堂へ。


*「ビジネス旅館西村」= (24,1km) (中年夫妻経営 \6,300) A-
 感じの良い若い主人で夕食、朝食とも美味しく頂く。10名位の工事関係者と同宿。


今日の反省:
@青龍寺から引き返して再び宇佐大橋を渡り、浦の内湾の長い道程の途中でパンと牛乳を買いに立ち寄った「美島商店」でおでんの接待を受ける。
 疲れと空腹には最高の癒しでした。 有り難うございました。
 また元気を取り戻し、前に向かって歩く。
A暑い1日。 後半 疲労と足痛でふらふら歩きになり、速度が出ない。
 旅館を探すのに町の中を歩き周り時間を浪費し、疲労が嵩む。




☆H12.3.21 (火) <晴> 「12日目」 (07:00-16:00) (32.8km)

37番 岩本寺(いわもとじ): (32,6km) 「本堂天井の絵」

平地の町中にあるお寺。


*「伊予屋旅館」= (0,2km) (素泊り 家族経営 \4,500) +B
 コンビニで食料を買って投宿。 宿泊者多数。
 母を想わさせる厳しそうなおばあさんに頼んで洗濯機を借りる。


今日の反省:
@七子峠への途中、空き家を額縁のように見立てて生け花をかざり、掛け軸をあしらった家の眺めは素晴らしく、一服の涼を感じる。 後戻りして写真に収録。
A七子峠の最後の登りのなんと厳しいことか。
B1日中暑く、陽に焼け、疲労する。




☆H12.3.22 (水) <晴> 「13日目」 (05:50-15:30) (33.8km)

・(訪問寺なく、唯前進あるのみ。)


*「うすき旅館」=(老夫妻経営 古い建物 \6,500) +B
この代限りの民宿だろうか。

今日の反省:
@今日も晴れて陽にやけ 疲労大。
A左足小指から鮮血が出血し、廊下とスリッパに血が着いているのを老主人が発見。
 明日の歩きが心配になる。
B宿の主人から 38番 金剛福寺、39番 延光寺の打ち方についてアドバイスを貰い、明日は「民宿旅路」を予約して居る事を話すと「それは結構。両お寺を打つには早く宿を予約した方が良い。」と云われる。
 直ちに 24日に「民宿久百々」を,25日に「民宿ひょうたん」の予約をする。 どちらも予約がとれて一安心。




☆H12.3.23 (木) <曇午後強い雨> 「14日目」(40.4km)

・(訪問寺なく、今日も唯ただ前進あるのみ。)


*「民宿旅路」=(老夫妻経営 \6,000) +A
びしょ濡れで「民宿旅路」へ。この代限りの民宿だろうか。 荒木氏と同宿
(濡れた衣服を老夫婦が別部屋で乾して呉れる。) 老夫婦が親切に接待して下さり、冷たく冷やした缶ビールも頂く。

今日の反省:
@途中「民宿久百々」(明日宿泊予定)に明日まで使わずに済む荷物を残置させて貰いに立ち寄る。 雨が更にひどくなってきたので、対応して下さったおばあさんに雨除け用にゴミ袋と洗濯挟みをお願いする。
 出がけにおばあさんが大急ぎで作って下さった寿司ご飯のおむすび2個と温かい缶コーヒーを「お接待です。」と云って下さる。
 空腹と寒さのわたしには最高のお接待。 ありがとうございました。 お陰で大雨の中を元気を取り戻し「民宿旅路」に無事辿り着きました。
 ご親切に胸が熱くなった。 忘れられない想い出を頂いていく。 これも「人生 即 遍路」と感謝。
A「民宿久百々」、「民宿旅路」のみなさんの親切に支えられて孤独な歩き遍路も1歩1歩前に進むことができると感謝。
B途中の遍路道やお寺でこれまで数回顔を合わせていた東京の荒木さんが偶然隣の部屋に投宿し、明日から同行する事になり心強い。




☆H12.3.24 (金) <晴> 「15日目」 (05:50-15:50)(31,6km)

38番 金剛福寺(こんごうふくじ): (12,5km) 「最南端の札所」

出発時 奥さんが小型リュックを貸して下さり、不要な重たい荷物を「民宿旅路」に残し身軽になって出発。
昼の弁当も接待して下さり、また老主人が分かりにくい海岸からの遍路道入り口までバイクで案内して、送り出して下さる。
金剛福寺の周りは黒潮の影響で熱帯植物ばかり。
現役の頃、宇宙ロケット関連の仕事で 名古屋空港と種子島空港を社有機で飛んだとき、上空から見た景色を想い出しあの頃が懐かしい。
金剛福寺からの打ち返しで 「民宿旅路」に寄ると夫婦でコーヒーを接待して下さり、その上荒木さんと2人分の荷物を「民宿久百々」までバイクで運んで下さる。 感激・感謝。


* 「民宿久百々」= (19,1km)(家族経営 \6,000) +A
昨日のおばあさんから受けた親切を若奥さんにお礼を云う。
洗濯機を借りて洗濯。  荒木氏と同宿
今日は留守なのだろうか、出発するまでおばあさんには会えないままでした。 直接お礼が云いたかったのに少し残念。


今日の反省:
@足摺岬展望台からの眺めが素晴らしい。 再び訪れることはないだろうと思うと更に素晴らしい。
A最初、調子よく歩けたが「民宿久百々」への最後の道では疲れも出て、また新しい肉刺もできて痛む。 明日が心配だ。
B孫の一皓君(5歳)、陸人君(3歳)に電話する。




☆H12.3.25 (土) <晴> 「16日目」 (06:30-14:00) (33.8km)

39番 延光寺(えんこうじ): (33,5km) 「赤亀の寺」

「修行の土佐」最後のお寺。


*「民宿ひょうたん」= (0,3km) (初老夫婦経営 \4,500) B
この代限りの民宿だろうか。 歩きお遍路さんは自家用車のお遍路さんより\1,000安くしてくれる。 夕食時に 缶ビールのお接待もあり。 荒木氏と同宿


今日の反省:
@快晴で風が強かったが 今日は快調に歩ける。
A出発直後、3/16 同宿のS青年と橋の上で行き会う。「直ぐに追いつきます。」と彼は云ったが今日の再会が奇遇であり、もう2度と彼に会うことはないだろう。
B「民宿久百々」で接待されたおにぎりとゆで卵の昼食が美味しい。 奥さんに感謝。
C途中、山間部には不調和な大きな道路が100m位出現???。




明日から伊予路へ


つづく








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