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(平成19年06月12日 更新)


目 次




第 三 部

F お遍路日記(伊 予)
G お遍路日記(讃 岐)




( その他のページ )



@ お遍路 の 概要
A お遍路を決心した理由
B 出発前 の 準備
C 霊場に関する資料



D お遍路日記(阿 波)
E お遍路日記(土 佐)



H 終わりに
(@) 「四国の文化について」
(A) 「道路事情 について 」
(B) 「遍路道案内について」
(C) 「お勧めの打ち順変更」
(D) 「遍路宿の現状」
(E) 「納経所の対応」
(F) 「 難所 の 峠 」
(G) 「上手な歩き方」
(H) 「 所 見 」




I 皆さんから頂いた「E-mail」







第 三 部



F お遍路日記(菩提の伊予道場) (405,9km)
(平成12年3月26日から平成12年4月5日)






☆ H12.3.26 (日) <晴> 「17日目」(06:30-15:30) (38.2km)

40番 観自在寺(かんじざいじ): (29,7km) 「弘法大師の宝印(お守)」

昭和39年建立の鉄筋コンクリートの新しい建物。


*「民宿ビーチ」= (8,5km)(レストラン経営 \6,000) +B
海辺の食堂兼の民宿で食事も美味しい。  荒木氏と同宿
洗濯機、洗剤を借りて洗濯、西日で乾燥。


今日の反省:
@風が強く 今日から「菩提の伊予(愛媛県)」のへんろ道へ。
A「民宿ひょうたん」で昼食のむすびの接待を受けて出発。
B松尾峠(土佐と伊予の境界 09:15通過)の登り坂は厳しく、峠で伊予側への道を間違って進み引き返す。 今日は2度も道を間違う。
C弘法大師の宝印(守)を観自在寺で2つ購入。(1つを安田家用に)




☆H12.3.27 (月) <晴> 「18日目」 (06:30-16:40) (41.0km)

41番 龍光寺(りゅうこうじ): (40,6km)「三間のお稲荷さん」

納経の門限が心配になり 最後の10kmを三間町に向け息を切らして大急ぎで歩く。
やっと納経に間に合い、喉の乾きを潤すために寺の前の「食事処長命水」で生ビールを注文し一気に飲む。最高に美味しい。
その時、東京の荒木さんが店前を寺へ向かって急ぐのが見える。


*「民宿稲荷」= (0,4km) (老夫婦経営 \6,500) C
この代限りの民宿だろう。 不潔な感じの古い民宿。
浴衣を頼むと他人の着ふるしらしいのを出してくれる。
近くには他に宿泊施設がないので仕方ない。 荒木氏と同宿


今日の反省:
@快晴で暑い1日。
A宇和島市内は遍路案内が乏しく 院 と 寺 を勘違いして龍光院を目標に歩く。
 軽はずみな行動を悔やむ。 人生の教訓。 これぞ「人生 即 遍路」。




☆H12.3.28 (火) <雨> 「19日目」 (06:30-15:00) (34.6km)

42番 仏木寺(ぶつもくじ): (3,1km) 牛馬の守り神「お大日さん」

 茅葺きの鐘楼堂に古い日本の歴史を感じる。


43番 明石寺(めいせきじ): (10,8km) 「あげいしさん」

 四国に出発する前に三菱病院眼科のNさんから子供の頃「あげっさま」と呼んで、 いつもこのお寺で遊んでいたと云う彼女にとって想い出深い故郷の話を聞いていたので親しみの感を持って参拝。
 「お姿」を彼女の分として一枚余分に頂く。
  (後日、彼女に旅の話をして、 余分に頂いた明石寺の「お姿」を手渡す。)
 お寺のしきたりに倣って、私も灯籠に小石を一つ載せ遍路旅の無事を祈念してくる。


*「ことぶき旅館」= (20,7km) (未婚を想わせる上品な老婦人の経営 \6,500) A
この代限りの民宿だろうか。 洗濯をして貰い、食事も美味しく、食事中も色んな話をして下さる。 荒木氏と同宿
出発時、昼食の弁当(むすび、ゆで卵、飴)をお接待として頂く。


今日の反省:
@1日中強い雨と風。 追い風で助かる。
A途中の鳥坂(トサカ)隧道(1,100m)は両側に歩道が無く、長い間危険に曝され恐怖の中で歩く。
 道路は本来 人が歩くためのもの。 歩き遍路の為にも何とかして欲しいと思う。
B隧道を抜けてからは強い風雨の中の遠い道のりに疲れる。
C入浴中 雷鳴が鳴り、雨が更に強くなってくる。 その前に到着できたことを感謝。




☆H12.3.29 (水) <雨> 「20日目」 (06:30-13:45) (32.7km)

・(訪問寺なく、唯前進あるのみの1日) (32,7km)


*「高橋旅館」=(老夫婦経営 \6,300) B-
「明日から息子さんの招待でパリとフランスに行く。」?と夫人のうれしそうな話。 荒木氏と同宿


今日の反省:
@「ことぶき旅館」を出て間もなく「十夜ヶ橋」を通過。大師の遺徳を偲ぶ。
A旅館で頂いたおにぎりが美味しかった。
B今日も1日中雨の中を荒木さんと歩く。




☆H12.3.30 (木) <晴> 「21日目」 (06:30-16:50) (46.5km)

44番 大宝寺(だいほうじ): (21,6km) 「昼なお暗き霊場」

老木杉の林の中にあり、山門の草鞋は特に大きい。


45番 岩屋寺(いわやじ): (11,4km) 「山全体が本尊」

大宝寺の納経所にリュックを残して 岩屋寺を往復。
最後の 800mの石段の登り坂はきつい。
昨日の様な雨の日には、途中の遍路道は上から流れ落ちる水で危険だろう。
巨大な岩に囲まれた境内に驚く。 梯子も登ってみたが、降りる時足ががたついて恐怖を感じた。


*「民宿でんこ旅館」= (13,5km) (居酒屋風の民宿 \6,500) B
国道33号に面した居酒屋風の民宿  荒木氏と同宿


今日の反省:
@天候に恵まれ心配していた 長い距離も 快調に歩けた。
A大宝寺の納経婦人が「岩屋寺には 早くても片道 2時間半、往復で5時間はかかる。」と 云うので「3時間半で帰ってきます。」と云って出発。片道 11km 以上あることを考えず、急いで歩いたが、3時間半では帰れず、4時間半を要した。
B荒木さんは右足の踵にできた大きな肉刺が破れた水で、靴下が黄色く濡れて痛そう。
彼は明日もう1日歩き松山市で一旦中断し、帰京する予定とのこと。




☆H12.3.31 (金) <曇午後雨> 「22日目」(06:30-14:30) (29.8km)

46番 浄瑠璃寺(じょうるりじ): (14,4km)

平地の町中にある寺。
松山市内には8つの札所があり、浄瑠璃寺はその最初の寺。


47番 八坂寺(やさかじ): (0,9km) 「八つの坂道を切り開いて建てた寺」

松山市内の平地にある寺。


48番 西林寺(さいりんじ): (4,5km) 「豊かな水のお寺」

松山市内の平地にある寺。


49番 浄土寺(じょうどじ): (3,1km) 「空也上人ゆかりのお寺」

松山市内の平地にある寺。


50番 繁多寺(はんたじ): (2,6km) 「一遍上人修行のお寺」

松山市内の平地にある寺。


51番 石手寺(いしてじ): (2,5km) 「人の耐えない賑やかなお寺」

松山市道後温泉近くにある寺。
門前には多くの店が並び賑やか。


*道後温泉: (1,3km) 「松ノ湯」に2回入浴(\300)。 タオル、石鹸は要持参の銭湯方式。


*「愛媛文京会館」= (0,5km) (旧式の公共施設 素泊り \5,250)B
食事2食分を買って投宿。 風呂とトイレは部屋の外。


今日の反省:
@荒木さんと一緒に朝食を済ましてから「さよなら」を云って別れる。 今日からまた独り歩きお遍路となる。
 彼は今夜知人宅泊まりで明日帰京。
   ☆後日、荒木さんから「e-Mail」をもらい、5月8日に松山市から再出発して、5月18日に無事結願できたとのこと。
   お祝いの「Re-mail」を送る。 おめでとうございます。


 小生は少し急いで歩き松山の道後温泉を体験する。
 タオル、石鹸の備えが無く持参しなかったので温まっただけで上がる。
 浴槽でイギリス人と会話
A三坂峠の下り(西側)はすごく急な坂 (浄瑠璃寺で聞くと故事から「鍋割り坂」と云うそうだ。)
Bニュースで今日、北海道の有珠山が23年振りに爆発したことを知る。
C夜、百合子に電話




☆H12.4.01 (土) <晴> 「23日目」 (06:00-16:35) (44.1km)

52番 太山寺(たいさんじ):(10,0km) 「本堂は伊予最大の木造建築」

松山市内経ヶ森の中腹にあり最後の急な参道で汗びっしょり。


53番 円明寺(えんみょうじ): (2,3km) 「親しみやすい境内」 平地に在り、松山市内最後の寺。



*「ビジネスホテルつよし」= (31,8km) (婦人経営 \6,000) A
@親切な女主人
A有料の洗濯機、乾燥機を使って洗濯(\250)
B夕食前に車で「今治SATY」まで連れて行って貰い、靴の裏の張り替えをする。(約30分\2,500)


今日の反省:
@靴のヒールの裏張り替え。 ホテルへの途中、「SATY」(今治)の看板があったので、宿の女主人にお願いして夕食前に車で連れて行って貰って修理。 奥さん:ありがとうございました。
A今日は3回も道に迷う。途中我慢出来ず野グソする。 四国のみなさんごめんなさい。
B前方を重そうに手押し車を押して一歩一歩と進むお遍路さんに追い付く。お接待で貰ったと云う蜜柑を一緒に食べながら納札を交換して挨拶を交わし、この人としばらく立話をする。頂いた納札には「福岡県太宰府市 松原凡夫(ダメオ)」と記入してある。
訳あってか、松原さんは福岡にある自分の家をそのままにして去年からこの古ぼけた手押車を押し続けて野宿遍路をしていると云われる。
そして何時終りにするかもわからない遍路だと云う。杉原さんのお遍路に対する姿勢をみてこれぞ正しく「人生 即 遍路」ではないだろうかと痛感する。
しばらく大粒の涙が止まらず、嗚咽がつづく。 昼中のこんな男泣きも恥ずかしく感じられないのがお遍路なのだろうか。




☆H12.4.02 (日) <曇> 「24日目」 (06:30-16:00) (38.4km)

54番 延命寺(えんめいじ): (4,2km) 「瀬戸内海に面したお寺」

今治市内の平地にある寺。


55番 南光坊(なんこうぼう): (4,0km) 「かっては大山積神社の別当寺」

今治市内の平地にある寺。


56番 泰山寺(たいさんじ): (3,6km) 「田圃の中のお寺」

今治市内の平地にある寺。


57番 栄福寺(えいふくじ): (4,1km) 「府頭山の裾にたたずむお寺」

今治市内の平地にある寺。

58番 仙遊寺(せんゆうじ)(H300): (3,8km) 「仙人が住んでいたと云う伝説」

作礼山頂に在り、岩屋寺を連想させるような 急な上り坂を登った所に在り、納経の婦人の紹介で今治の市街を眼下に望む。晴天ならもっと素晴らしいことだろう。


59番 国分寺(こくぶんじ): (6,2km) 「椿の花がきれい」

今治市内の平地にある寺。


*「ビジネスホテル東予」= (12,5km) ( 素泊り ) B
@食料を買って投宿。
A入浴後お湯を抜いたらバスタブの故障で 洗面所が水浸しになり、別の部屋に替えて貰う。


今日の反省:
@今日は1度も道を迷わずに歩けた。
A国分寺からホテルまでの12kmがすごく長く感じられた。
B小渕総理が脳梗塞で倒れたとのニュース




☆H12.4.03 (月) <曇> 「25日目」 (05:50-13:00) (32.3km)

61番 香園寺(こうおんじ): (10,0km) 「安産、子育て、お身代わり、女人成仏のお寺」

小松市内の平地にある寺。


62番 宝寿寺(ほうじゅじ): (2,0km) 「予讃本線開通で本堂が100m西へ移動」

小松市内の平地、JR小松駅に接してある寺。


63番 吉祥寺(きちじょうじ): (1,5km) 「霊場唯一の毘沙門天が祀らたお寺」

小松市内の平地にある寺。


60番 横峰寺(よこみねじ): (11,7km) 「霊場の名にふさわしい難所」

吉祥寺から横峰寺への12kmの上り車道は 最高難所の一つ。
途中「京屋旅館」にリュックを残して横峰寺へ。
「旅館」から途中まで2匹の犬が道連れしてくれる。


*「京屋旅館」= (7,1km) (山の民宿) A
@予約の時に「布団部屋しか空いてないですよ。」と云われたが、別棟のバスの運転手さんが使用する部屋の1室が与えられ、TVも暖房もあって、 食事も上等でビール1本、濁り酒1本のお接待も受けて、「食事代だけで結構です。」との主人の言葉。 \3,500しか受け取られず。 感謝。


今日の反省:
@曇りのままで雨が降り出さずに幸い。
A60番の打ち順を替えて、63番の後に参拝。
B60番への狭くてカーブの多い長い登り車道は危険で随分と疲れた。
*C木の棒の端にスーパーの白い袋を結び付けて車道側で振り、車に信号を送る手段を考案した。




☆H12.4.04 (火) <曇後雨> 「26日目」(06:25-15:05) (36.8km)

64番 前神寺(まえがみじ): (8,5km) 「霊峰石鎚山信仰の霊地に建つお寺」



*「松屋旅館」=(28,3km) (中年夫婦経営の民宿 \6,200)B-
陰気な感じの主人、 有料洗濯機で洗濯(\300)


今日の反省:
@若い女性の逆打ち遍路(時々 車に便乗とのこと)と同宿。 食事時体験談を参考に話す。
A94歳の男性に呼び止められ お接待(500円と飴)を受ける。




☆H12.4.05 (水) <春雨 後晴> 「27日目」(07:00-16:15) (31.5km)

65番 三角寺(さんかくじ)(H360): (17,1km) 「伊予最後のお寺」



*「民宿岡田旅館」= (14,4km) (老紳士経営 この代限りか 悲しい。) +A
@奥さんが今年の正月、蜘蛛膜下出血で急死されたとの話。 歩きお遍路さんの面倒をよくみておられたそうで残念です。
Aその後も主人が独りで遍路宿を切り盛りし、特に歩き遍路に好意的に自ら調理、給仕で心のこもったサービスを提供して下さる。 料理も美味く、ご飯を給仕していただき心のこもったお接待。
B翌朝、上手に握ったむすび(漬け物、佃煮)を昼食にとお接待して下さり、出発時には道路まで出て雲辺寺への遍路道入り口を丁寧に教えて送り出して下さる。


今日の反省:
@雨の中、道に迷い、引き返したりしながらやっと山の道を登って三角寺へ。
AR-192 で老人に家に招かれコーヒーの接待を受け暫く話をして別れる。
B県境の「境目トンネル」を抜けて愛媛県から徳島県池田町に入る。
C森首班内閣誕生のニュースを 「 誕生過程に疑問あり」 との情報の中 で聞く。




明日から讃岐路そして結願へ





G お遍路日記( 涅槃の讃岐道場 ) (201,3km)
(平成12年4月6日から平成12年4月12日






☆H12.4.06 (木) <晴> 「28日目」 (06:30-16:50) (41.0km)

66番 雲辺寺(うんぺんじ)(H910): (6,0km) 「ロープウエイが通じるお寺」

四国霊場で1番高いお寺。
雲辺寺は徳島県に在るが、山門を出ると間もなく「涅槃の讃岐」のお遍路道に入る。


67番 大興寺(だいこうじ): (9,8km) 「天台大師堂があるお寺」

のどかな田圃の中の寺。
途中、美味しい「さぬきうどん」を食べる。


68番 神恵院(じんねいん): (8,7km) 次の 札所(観音寺)との距離が一番近いお寺

69番 観音寺(かんのんじ): (0,1 m) 「朱塗りの本堂」

神恵院と観音寺は同じ山門を持つ。


70番 本山寺(もとやまじ): (4,7km) 「霊場唯一の馬頭観音が本尊」

遠方から五重の塔が見え、境内には馬の像がある。


*「ふれあいパークみの」= (11,7km) (第3セクター経営の温泉ホテル。) A
@ホテルの緑の屋根が見えてからが遠くて長い登り坂。朝食を買ってから投宿。
Aとにかくお風呂が最高、 夕食も美味しく生ビールを2杯も飲む。


今日の反省:
@今日からいよいよ最後の「涅槃の讃岐道場」へ。 晴れて暑い1日。
A朝、岡田旅館の主人から雲辺寺への遍路案内をして貰い迷うことなく8時に到着。
下山しながら振り返って感心する雲辺寺の高さと、それを一歩一歩の積み重ねで歩いた事を再認識して地道な努力の偉大さを感じる。
これぞ「人生 即 遍路」。
B百合子に電話(\275)。




☆H12.4.07 (金) <晴> 「29日目」 (06:30-17:15) (40.8km)

71番 弥谷寺(いやだにじ): (2,0km) 「死者が行くと云う山にある」

「ふれあいパークみの」から500mくらいの距離にある弥谷寺への入り口を見落とし、約1km も やり過ごしてから引き返す。
長い長い石段を登って大師堂、更に石段を登って本堂へ。本堂は靴を脱いで入り参拝、納経。


73番 出釈迦寺(しゅっしゃかじ): (4,3km) 「我拝師山を望むお寺」

72番の前に参拝。 お寺で 10円硬貨5枚のお接待を受ける。


72番 曼荼羅寺(まんだらじ): (0,4km) 「大師お手植えの不老松」

赤飯のおにぎりとおみそ汁のお接待を受ける。


74番 甲山寺(こうやまじ): (2,1km) 「大師が満濃池修築の祈願をしたお寺」

大師が幼少時に遊んだ寺。


75番 善通寺(ぜんつうじ): (3,2km) 「大師生誕の地」

四国八十八ヶ所の中で最大のお寺。
門前も賑やかで 五重の塔が素晴らしい。


76番 金倉寺(こんそうじ): (3,9km) 「智証大師生誕の地」

町中の静かなお寺。


77番 道隆寺(どうりゅうじ): (3,9km) 「かっては桑畑だった」

大師と衛門三郎の石像あり。


78番 郷照寺(ごうしょうじ): (7,1km) 「一遍上人が滞在し霊場唯一の時宗」

境内から瀬戸内海の眺望が素晴らしい。


79番 天皇寺(高照院)(てんのうじ・こうしょういん):(6,3km)「白峰宮の鳥居」

崇徳上皇の柩が 14日間安置されたお寺。


80番 国分寺(こくぶんじ): (6,8km) 「史跡から往時が偲ばれる」

美しい松が歴史を感じさせる。


*「せと国民旅館」= (0,8km) (老夫婦経営 \5,400) C-
@挨拶して玄関に入ると入り口のソファーに座って80歳くらいの老婦人(奥さん)が口紅を塗ったりしてお化粧に夢中。
A部屋を聞くと「2階へどうぞ」と云ったのみで対応してもらえない。
B風呂に入ると石鹸もシャンプーも無い。 お願いすると石鹸だけを持ってきて「シャンプーを出しておくと直ぐ無くなってしまうからね。」と云ったきり。
C夕食はお爺さん(主人)がコンビニで買ってきた寿司を皿に並べ、バナナを2つに切ってテーブルの上に置いただけの夕食。
Dビールを注文すると冷やしてないビールとひびの入ったコップを持って来る。
E主人がサービスに注いでくれるとコップの中は泡ばっかりでビールは底に2cmくらい。
F何時もこうなのかと聞くと「そうだよ」の返事。
G何時もご飯は3杯食べてるのでこれだけでは足りないと云うとご飯があると返事。
H朝食を聞くと「ご飯に卵、海苔に漬け物 ・・・佃煮・・ふりかけ。」との返事。
I朝食を断り、コンビニに食料を買いに行き夕食の食べ直しをして、我慢の就寝。
J料金は朝食なしで \5,400+\500 なり。
K夕食時、その主人がメモ用紙と鉛筆を出してきて、明日の遍路道の経路について、宿を出て何処で最初に曲がるか、白峯寺から根香寺、一宮寺への道順など懇切丁寧に教えてくれる。
 お陰で、次の日は込み入った経路も間違わずに歩くことができました。 親父さん有り難う。


今日の反省:
@10のお寺を参詣した疲れが癒えることなく明朝を迎えることになる。




☆H12.4.08 (土) <曇後晴> 「30日目」(05:50-16:25) (39.8km)

81番 白峯寺(しろみねじ)(H280): (6,7km) 「残雪の美しさから白峯の名」

五色台の白峯に在り、急な坂を登り又登ってそして今度は下ってやっと裏側から山門に到着。
納経所の男性の話では 通常は79番の天皇寺から81番 白峰寺、80番 国分寺、82番 根来寺の順に打つ方が便利とのこと。 次回の参考にしたい。


82番 根香寺(ねごろじ)(H360): (7,6km) 「境内の樹木が美しい」

根香寺は白峯寺へ登った同じ道を打ち返して、その北方の青峯に在る。


83番 一宮寺 (いちのみやじ): (13,9km) 「大宝年間開基の歴史あるお寺」


高松市内を延々と歩いて到着する町中の寺。


*「ビジネスホテルわかさ」= (11,6km) C-
(老夫人経営の昔のラブホテル 素泊り \4,200) C


今日の反省:
@桜が満開になり山中ではウグイスが美しく鳴き競う。
A食事を買って投宿。
B古い連れ込み旅館でおばあさんが洗濯して呉れる。昨日に続き変な旅館に遭遇し,いやな感じ。
C陸人君に入園祝いの電話をする。




☆H12.4.09 (日) <晴> 「31日目」 (06:05-13:00) (22.9km)

84番 屋島寺(やしまじ): (2,1km) 「源平合戦の舞台に建つお寺」

険しく長い坂道を登った屋島の上にあるお寺。
「ホテル甚五郎」(壇ノ浦古戦場の眺めが素晴らしい。)前からの旧遍路道は地面も悪く急峻な下り坂で危険。(雨天時は特に危険)


85番 八栗寺(やくりじ)(H280): (7,2km) 「商売繁盛、縁結びに霊験」

@町中を通って上る五剣山の中腹に在る。
A向かいに屋島寺がはっきり見える。


86番 志度寺(しどじ): (6,5km) 「海女にまつわる伝説が残るお寺」

海岸沿いの牟礼町、志度町の道を歩く。 名物の焼き牡蠣は 3/20 で店終いされ食べられずに残念でした。


87番 長尾寺 (ながおじ): (7,0km) 「静御前が得度したお寺」



*「やなぎ旅館」= (0,1km) (家族経営、夕食時に 奥さんが e-Mail アドレス入りの名詞を呉れる。\6,000)B-
明朝早く出発したいので朝食にむすびをお願いする。


今日の反省:
@八栗寺から遠くに屋島を望むと、一歩一歩、歩いてココまで来た自分に人間の力の偉大さを感じる。
 地道な努力を続けることが、成功への道であることを教えてくれる。
  「人生 即 遍路」。
A志度寺に近い海岸で自転車の老婦人に「牡蠣を焼いて食べさせてくれるのは何処ですか。」を尋ねると、
 3月20日でもう終わったとの返事。 期待がはずれ残念。
B今日は陸人君の「ひまわり幼稚園」の入園式の日。
 それに合わせて是非結願したいと思い、宿に予約の電話を何度もしてみたが大窪寺の近くの宿が取れず、結願は明日以降になり残念。
 短い距離で投宿。




☆H12.4.10 (月) <曇後強雨> 「32日目(結願の日)」(04:20-15:20) (43.6km)

88番 大窪寺(おおくぼじ)(H445): (12,8km) 「同行二人の旅を終わるお寺」

@03:30 起床し 昨夜造って貰ったおむすびの弁当を部屋で食べて出発。 幸いにも雨の降り出しは遅れそう。
A04:20 暗い内に旅館を出て街灯を頼りに歩く。前山ダム辺りで黎明。
Bダム湖近くには無数の無縁仏らしい地蔵さんが並び、昔の遍路のきびしさが忍ばれる。
C両手を使って険峻な女体山(776m)山頂に登り、又急な坂道を下って、07:00 大窪寺(445m)に到着。
 雨降りには女体山登りは危険を伴うが、今日は曇り空で幸い風もない好条件の下での登頂。
D07:20 大窪寺に参拝し、納経をしてもらい念願の『 結 願 』 に感無量。
E霊山寺へお礼参りの途につく。
F長野分岐近くで雨が降りだし、間もなく強い雨になる。 田圃のあぜ道に座って雨支度に変え、最後の遍路道を急ぐ。
G走り過ぎるダンプに水しぶきをかけられる。
H途中 どうにも我慢できずに開店前の焼き肉屋の奥さんを起こしてトイレを借りて大便。 気分スッキリして前進。


*「民宿寿食堂」= (30,8 km) A
(食堂兼業の民宿、結願祝いにへんろ手拭を頂く \6,500) A
@大雨が降る中を投宿。 4人で相部屋、 3人は遍路を始めたばかりの中年の男性。
A有料の洗濯機、乾燥機を使って洗濯。
B夕食は食堂で美味しいうどんすきを大勢の宿泊客と一緒に食べる。
C東京のスキー同好会の歩き遍路(男性1人、女性8人)も結願しての途中で同宿。


今日の反省:
@事故なく無事に、全経路を歩き通し、こうして結願できた事に感謝する。歩いた長い遍路道を振り返り、
「千里の道も一歩から」の言葉を噛みしめる。「人生 即 遍路」。
A毎日のお遍路の中で、全てに幸運が付いて回ってくれたように思えて感謝する。
B明日は心を込めてお礼参りをしたい。




☆H12.4.11 (火) <晴 > 「1番霊山寺へお礼参り」 (07:05-17:00) (10.2km)

1番 霊山寺(りょうぜんじ): (10,2km)

『 お礼参り 』(09:00)
距離は短かく逆打ち経路になり、一ヶ月前の遍路初日に歩いた道であり、1歩1歩を懐かしく思い出しながら霊山寺へ向かう。
快晴の境内で本堂、大師堂にお参りし、靴を脱いで寺務所にあがり、お礼参りの納経をしてもらう。


*「本覚院の宿坊」:(\15,750) A
霊山寺からJR、バス、フェリー、タクシー、JR、南海電車、ケーブルカーを利用して 本覚院宿坊 に宿泊


今日の反省:
@無事に結願できたことを感謝し、3月10日出発のお寺 霊山寺 にお礼のお参りをして 納経を済ます。(09:00)
A新しい白衣を着てこれから遍路に出発しようとする多くの人で混み合う境内で、30日間の汗で滲んだ白衣を脱ぎ、帰省の服装に着変え、同宿した東京からのスキー同好会の男女グループに付いて高野山迄同行させて貰う。 お陰で高野山まで安心して行けた。 感謝!!。
B福田君宅に結願報告とお礼の留守電を入れる。
C板東駅から徳島駅へ (09:46-10:10 JR \260)
D高野山宿坊を予約。(Tel:0736-56-2616 \15,000で予約)
Eバスで徳島港へ (10:50-11:20 \200)
Fフェリーで和歌山港へ (南海フェリー Tel:088-636-0750) (11:45-13:40 \1,730) 船中で昼寝1時間
GタクシーでJR和歌山駅へ (\750)
HJR和歌山駅から 橋本駅へ (14:20-15:29 \820)
I南海電鉄橋本駅から極楽駅へ(ケーブルカー乗り場・15:53-16:25)
Jケーブルカーで高野山駅へ(elv:870m) (16:42-16:47 \810)
Kバスで本覚院(宿坊)へ (16:55-17:10) 東京からの皆さんに感謝し、お礼を云ってバスを降りる。 庭園に面した立派な部屋で料理も素晴らしい(13品)
L百合子に明日帰宅予定を電話




☆H12.4.12 (水) <晴> 「高野山奧の院へ結願の報告」 (8.0km) 高野山 奥の院 で 『 結願の報告 』 、金剛峰寺、霊宝館 参詣。 そして帰路へ。



今日の行動:
@05:00 起床 07:00 朝食
A本覚院に リュックを置いて 結願の報告 と 旅の無事を感謝するため「奥の院」へ参拝し(08:00)、 金剛峯寺、霊宝館を参拝・見学。
B11:00 高野山を下り、難波を経由(バス \280 難波まで \1,990)して
C近鉄特急で名古屋(13:30-15:54 \4,150)、春日井駅経由(\320)で帰宅
C祐子が一皓君、陸人君を乗せて駅まで迎えに来てくれる。
D1ヶ月ぶりに我が家に帰着し、入浴してビールで乾杯・夕食。
E旅の後かたづけを済まし、急ぎの「e-Mail」を発信をして就寝(23:30)






・・・「初めてのお遍路」の旅 全行程を終える・・・


つづく







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