(平成18年09月12日 更新)


目 次




第 四 部

H 終わりに


(@)「四国の文化について」
(A)「道路事情 について 」
(B)「遍路道案内について」
(C)「お勧めの打ち順変更」
(D)「遍路宿の現状」
(E)「納経所の対応」
(F)「 難所 の 峠 」
(G)「上手な歩き方」
(H)「 所 見 」



( その他のページ )



@ お遍路 の 概要
A お遍路を決心した理由
B 出発前 の 準備
C 霊場に関する資料



D お遍路日記(阿 波)
E お遍路日記(土 佐)



F お遍路日記(伊 予)
G お遍路日記(讃 岐)



I 皆さんから頂いた「E-mail」







第 四 部



H 終わりに

短い期間でしたが、四国霊場八十八ヶ所 を巡る 旧へんろ道 を 主体にした歩きお遍路 (積算:1,193.1km) を通 じて四国の現状やお遍路の将来などについて自分なりにいろいろ感じるものがありました。
忘れ去る前に これらを整理・記録しておくことは、この記録が自分だけの為であっても無事に結願させて頂いた多くの皆さんに対する感謝の気持ちとして当然のことではないかと思い、 正鵠をえないまま、感じた処を忌憚なく記述していきました。
この記録を読まれる方の中には同意できなかったり、または不愉快に感じられる内容があるかもしれません。 しかし、あくまで主体は私個人の忘備録として記録に留めたものですから、どうかその真意をくみ取られ ご容赦下さるようお願い致します。


(@)「四国の文化について」

* お接待。
お遍路の途中で 「お接待です。」 と云って頂いたお接待はメモ していただけでも 25回 も ありました。  メモ し忘れたものや 言葉には表されないお接待を合わせるとその3倍、4倍はあっただろうと思います。
お遍路の経過を振り返ってみる度にその時その時の状景と顔を懐かしく思い出されます。

** 昔は家の前で般若心経をあげ、托鉢するお遍路さんに「何もないけどなー」と、両手いっぱいのお米を分けたり、ふかしイモをあげたり。
夕には「お泊まんなはれや」と家に招き入れ、遍路は白米、家人は麦飯。 うらやむ幼少の明さんに祖母はこう云った。
「善根宿をしているんじゃ」と。・・・[中日新聞記事より引用]


こうして今も四国に守り続けられているお遍路さんに対する 「お接待」 と云う風習は、今と違って交通が貧弱で、次の札所へ行く道さえもない時代には、 父母や妻子の病気の全快を仏に祈念するため遠い故郷を発ち、命をかけてお遍路をしていた時は 接待する方も、される方も自然発生的に真剣にその気持ちになったであろうと想像されます。
全てが完備した今の時代でも、歩きお遍路をしてみて、みなさんから受けるお接待や道行く女学生の「こんにちは」のやさしい挨拶には胸が熱くなる感動を受けました。 
それが、昔はまさしく自分の命をつないでくれたお接待だっただろうと想像できます。

弘法大師・空海が修行した道筋をたどる歩き遍路。 道すがら、地元の人たちは今もお茶やミカンを分け、登校中の子供達が「こんにちは。ご苦労様です」と声をかける。・・・[中日新聞記事より引用]

この長い歴史を持つこの文化が 歩きお遍路を通して今も四国には残っているのです。
しかし 今のまま放置されていると 次第に歩きお遍路はできなくなり、四国の人も時代替わりが進み 四国でしか体験したり、見ることのできないこの素晴らしい歴史的な心の文化もいずれは廃れてしまうのではないかと案じられてなりません。
この素晴らしい文化をいつまでも末永く残せるように、地道な努力を続けていかなければならないと痛感いたしました。



* 住宅街のなかに廃屋。
ある地域では 遍路道の いたるところに、屋根も朽ちて落ち込み、部屋の中には草が生い茂っている廃屋が散見され、一方その隣には現に人が住んでいる立派な家が軒を並べていたり、新しい家が普請されていたり、 なにか生活環境にちぐはぐを感じる状景に何度も遭遇しました。
その家の跡を継ぐ人が帰村して来ないので、空き家のままで、売却もできず放置されたままになっているのでしょう。
隣接する家の人も迷惑なことだろうと想像します。 なにかこれに相応して古来の素晴らしい文化も廃れつつあるのではないかと案じられます。


* 住宅の近くや庭に廃車を放置。
人の住んでいる家の近くに廃車(ナンバープレートを外して一見して廃車と判断できる車)が朽ち果てるのを待つ状態であちこちに放置されているのが目につきました。

名古屋でも庄内川堤防道路などに不法投棄(放置)された廃車が環境や交通の障害として問題になっておりますが、これらの投棄とは何か様子が違い、個人の家の庭や畑などに放置されているものが多いようです。
* 深い山の中でも車の入れる道の奥には粗大ゴミやナンバーを外した廃車がゴミとして棄てられています。


* 貧富の格差
家並みを外見すると住民の貧富の差が大きく、大きな敷地に 飾りのある白壁の塀で囲まれた立派な家と それとは対照的に貧弱な掘っ建て小屋に近い小さい家が混在する地域があります。


* 出歩いている人が少ない。
お遍路中、ダンプや乗用車、観光バスなどの車にはイヤと云うほど出会い、歩きお遍路には迷惑な事が度々ありますが、道を尋ねようと田畑で働いている人など探してもなかなか見つからない事が再々でした。
何となく(自分の住む 田舎の小牧と比べて)出歩いている人が少ない様な気がしましたが、どうしてでしょうか。


* 初めての体験 (底蓋付き簡易水洗式便器)。
ある地方の民宿で
「水を流しながら使用して下さい。終わったら確実に水を止めて下さい。」
と云う 「お願い」 の掲示がしてあるトイレ(大) に度々遭遇しました。
山の宿で見たような記憶がありますが、町中の旅館では初めての経験です。
これは和式便器 の底の穴に下方からスプリングの力で閉まる蓋がついており、水を流しながら用を足すと便が直ぐに視界外にうまく流れ去り、便器も汚れず、 その都度、蓋が閉まって悪臭の逆流も防いでくれる仕組みのトイレで感心しました。

中には水道水を使わないで、スイッチをオンにすると、ねばねばの泡状の薬品が便器表面を流れだす方式もあります。


* 日曜日は一斉休業。
山寺に登る時や素泊まりのビジネスホテルに宿泊する場合は事前に食料などを購入しなければならないのですが、四国ではコンビニを除いて殆どの商店が日曜日は休業で、 前日に買い物を忘れて困ったことがありました。



(A)「道路事情について」

* 道路整備行政の矛盾。
38番から39番延光寺への打って返しの遍路道56km の後半「船ヶ峠」を通って行く山間部の狭い道に突然 中央分離帯で区切られた片側2車線の道路に両側には2m 位の広い歩道まで備えた新しい立派なコンクリートの道路が約200m 位だけ出現し、その前後は従来の山中を通る幅員4m位の道で、車は待避所で待たなければすれ違えない昔のままの道が続いているのです。
将来、この工事が継続され全線が貫通するような事はまず有り得ないと云ってもよいでしょう。
地方でみんなの国税が無駄に浪費されているこんな道路行政に疑問と憤慨を感じながら、春の強い日差しの中を疲れた足を運んで行ったことを憶えています。


* 遍路道の歩道ついて:
・ 本来 「 道 」 は人のための建造物なのに、今の道は自動車がより高速で快適な走行ができるようにのみを配慮して造られているように思います。
  車依存の生活ばかりをしてきた私にはこれまで知ることの出来なかった新しい体験ができました。
・ 街中の遍路道のなかには歩道の無い車道のみの道 もあり、また、同じ道路で歩道のある所と無い所がありその設計に統一性がない。
・ 歩道があっても、右側にあった歩道が突然左に入れ替わったり、或いはしばらくの間歩道が途切れたりする。
・ 片側の歩道が途切れたので 反対側に移動しようとしても横断する歩道がなく、危険を冒して車道を横切らなければならない処がある。
・ 歩道は人が歩くための道なのに、 その目的のために造られていない。
 - 排水溝に蓋をしただけのもの。
 - 舗装工事で残ったアスファルトの捨て場にされている所がある。
 - 宅地から車道への道が歩道を横切る時、歩道の特性を無視して、滑らかな一様の勾配にする必要があるのだろうか。
・ 殆どの歩道が左右に傾いており、非常に歩き難い。(歩きお遍路の誰もが同じ感想。)
・ 急カーブする道路では車道は傾斜して造られているが、歩道もそれに合わせて無意味な傾斜をつけてある所がある。 見た目には美しいかもしれないが歩行には百害あるのみ。

四国全県に亘ってこのような整備不良の歩道が目につきました。
前後の傾斜は疲労した足でも我慢できますが、左右の傾きだけは耐えられない苦痛を感じます。
障害を持たれた方や老人の方にはもっと厳しく影響するのではないかと想像します。
これから迎える老齢社会で、おばあさん達が歩行の助けに使っている手押し車を安心して押して歩けないような歩道だけは早急に改修して欲しいと思います。
参考: ◆交通バリアフリー法が成立・参院本会議で可決
高齢者や身体障害者が駅や駅の周辺を快適に利用できるようにするため関連設備の整備を促す高齢者・障害者移動円滑化法(交通バリアフリー法)が、10日午前の参院本会議で全会一致で可決、成立した。
公共交通の事業者が駅などを新設したり、 大規模な改良をする際にエレベーター、エスカレーターの設置などを義務づける。 今年中に施行する見通し。
 同法は駅や空港、バスターミナルなどが対象。エレベーターなどの設置のほか、トイレを設置する場合は身障者用のトイレを用意することや、誘導警告ブロックの設置などを義務付ける。
鉄道やバスの車両などを新たに導入する際は、車いす用のスペースを確保することや低床バスの導入が必要になる。違反した場合は 最高100万円の罰金。既存の施設・車両については努力義務にとどめる。駅前広場や周辺の歩道、公園などについてもバリアフリー化の努力義務の対象としている。
(H12.5.10)(メイルマガジンより引用)

以上述べたように 歩き遍路で、疲労が蓄積し、肉刺もでき、身体が思うように動かなくなると、一寸した路面の凹凸でも躓き、僅かな傾きにも敏感になり、 老人や障害のある人の不自由さの一部を身を以て体験し、その不便さを少しは理解することができました。
これからの老人社会のためにも、歩道工事の大切さを道路建設の計画の中に是非とも活かしてほしいと思います。



* トンネルついて:
・ トンネル入り口での 「点灯せよ」 の指示標識が四国では一度も見ることが出来ませんでした。
 従って 1,620mもある長いトンネルでさえも約2割の車は無灯火で走っており、 正規にヘッドライトを点灯した車は半分にも満たない感じです。
 万が一、トンネルの照明が瞬時でも消えたらと想像すると、トンネル内の歩きお遍路は恐怖の時間でした。
・トンネルの側壁から1m 弱の所に白線がひいてあるだけで、歩道の無いトンネルが遍路道になっている処もあります。 (愛媛県の鳥坂隧道 1,117m など)


(B)「遍路道の案内」について

* 案内の 内容、記述、配置、密度 に配慮して欲しい。
・ 遍路道案内には色んな種類のものが混在し
( 史跡として残る昔の遍路石、平成遍路石、四国のみち石、木製の標識、 道路標識、丁石、木板の遍路道案内、「遍路道」「住所・氏名」または「結願」と 記されたお礼の金属の札、白または赤の布きれ、数種類のステッカー、その他)
その内容に矛盾するものがあった。
・ 距離数の表示に矛盾するものがある。
・ 案内が壊れたもの、消えたもの、外れた物など整備不良なものがある。
・ 案内が不必要に密集・重複している場所と、長い時間歩いても案内に一度も出会えない場所 (松山市、宇和島市 など) もある。
・ 1つの案内を見逃がすと自分が何処にいるのか分からなくなって取り返しのつかない不安に遭遇することが何度もあった。
・ 街の中では交通に注意を払わなければならないので案内を見逃し易い。
 少なくとも 200m おき位に案内をつけて欲しい。
・ 判りやすい案内表示にして欲しい。

* 老齢者に次の札所への遍路道を尋ねると一般に親切丁寧に教えて呉れる人が多い反面、若い人には最寄りの札所の名前さえも知らない人も多い。

* 多くの歩き遍路に愛用されている「へんろみち保存協力会編資料」(別冊)への注文:
・ 予備知識のある人にとって適切な情報かも知れないが、新人にはラフすぎる。
・ 一度遍路道から外れた場合 情報が乏しく正しい遍路道へ復帰するのが難しい。
・ 内容が改訂されないままで記載の情報が古い。 特に巻末の宿泊施設は補完して欲しい。
・ 全ての遍路道に国道、県道のルート番号を記入して貰えると有り難い。 特に方向変更点で。
・ 遍路道の近くの高い建物など参考になりやすい著名物件などの情報を入れて欲しい。 (近くを通る国道やNTTのアンテナなど)


* お遍路を終えて我が家に帰り、しばらくすると歩いたその時々の状景が次から次へと思い出されます。
疲れた足でやっと稼いだ距離が、間違った道を歩いていたと判った時は泣きたいほど悔しい思いになります。
間違った道に入ってしまったのは細心の注意を欠いたからであり、念には念を入れ、不安があったら直ぐに引き返して再確認しておればこの過ちは犯さなくても済んだと思います。
きつい毎日のお遍路から学んだそれぞれの成功の原因、失敗の原因は そのまま人生の素晴らしい教訓であり、まさしく「人生 即 遍路」 そのものです
これまで縷々と批判・不満を述べましたが、この観点から十分でない環境の中にこそ本当の修行があり、歩きお遍路から多くのものを学ぶことができたのかもしれません。




(C)「お勧めの打ち順変更」

* 次の霊場の打ち順は下記のように変更することも考えられる。

・59番 国分寺 から 64番 前神寺 までの打ち順
  △今回(平成12年春)は迷った末に次の順番で参拝しました。
    59番 国分寺 ⇒ (22,5 km) ⇒ 61番 香園寺 ⇒ (2,0 km) ⇒ 62番 宝寿寺 ⇒(1,5 km) ⇒
    63番 吉祥寺 ⇒ (11,7 km) ⇒ 60番 横峰寺 ⇒ (15,6 km) ⇒ 64番 前神寺
   △2回目(平成14年春)のお遍路では 59番 国分寺 から 64番 前神寺 まで順番で参拝しましたが
    別の趣を感じることが出来ました。

・71番 弥谷寺 から 74番 甲山寺 までの打ち順
   71番 弥谷寺 ⇒ (4,3 km) ⇒ 73番 出釈迦寺 ⇒ (0,4 km )⇒ 72番 曼陀羅寺 ⇒ (2,1 km)⇒ 74番 甲山寺


(D)「遍路宿の現状」

*遍路宿の料金に大きな差はないが(ほぼ6千円)、施設(収容人数、洗濯機、乾燥機、風呂、トイレ)、 待遇(食事の内容、翌日の弁当の準備)等には大きな差があり、入宿するまでどんな宿なのか一寸心配。
*民宿には年取った経営者が多く、後継ぎのいないところが多い。
*コインTVやコインエアコンの民宿が多い。
*団体客を収容できない小規模の民宿の中には、閉店を予定するものが多い。
*予約していて連絡なく宿泊を取りやめる遍路客が多い と聞く。
*季節により、日により 宿泊客の数にばらつきがあり、民宿経営に不安がある。
*遍路道から離れた旅館、民宿は歩き遍路には利用しにくい。
*宿と宿の距離が20km以上離れている所が随所にある。
*人手不足などの理由で宿坊をやめているお寺が多く、やっていてもツアー客に抑えられ、数日前に予約する歩き遍路には利用させて貰えない。
*ビジネスホテルの利用は:
・ 翌朝早く出発したい時は好都合。
・ 洗濯には便利。
・ 入浴が気楽で勝手に入れるのがよい。(歩きお遍路には風呂が最高の楽しみ)>
・ プライバシイがあり、自由である。(就寝が遅くなりやすい。)
・ 近くで食料を入手できるコンビニ又はスーパーが必要。(TVがfreeで、冷蔵庫が使える。) (食料の購入は栄養への配慮が必要)
*一般に食堂を兼業している民宿の食事がオイシイ。
*39番 延光寺前には 歩きお遍路は車利用のお遍路より1,000円 安く泊めてくれる民宿がある。 ( 「民宿へんくつや」、「民宿ひょうたん」 など )


[その他]

@ 遍路宿として「宿坊」を利用しなかった理由は?

* お遍路さんを宿泊させる宿坊業務を取りやめているお寺が多い。
(特に山頂に在る辺鄙なお寺などは夜間の人手不足などのため)

* 計画した歩き距離から考えて宿泊 させて欲しいと思い、宿泊可能なお寺に電話で予約を お願いしても、観光バスなどの団体客に先行予約されていて、満室との理由で全て断られました。 (5回経験)

* 歩き遍路の多くは独りまたは夫婦で、他人との同室を了解しても団体客の中には入れて貰えない。 従って断られてしまいます。
また、歩きお遍路は観光バス遍路に比べて汗くさくなり、服装、装具 など きたない感じを与えると思います。

* 体験の為に是非と宿坊に1泊は泊まりたいと考えていましたが、結局不可能でした。 ご縁 が無かったのでしょう。

* そう言う訳で、高野山での1泊 だけが唯一の 宿坊泊まり でした。



A 宿屋 の予約 等に関して気づいたこと

* 遍路初日(3/10)、 11番 藤井寺 での宿泊で記録していますように予約が遅れると 希望地 に宿泊出来なかったり、変な処への宿泊を余儀なくされ、1日の里程が長距離になり過ぎたり、後帰りしなければならなかったりする事が生じますので要注意です。
2日目の宿泊からは 確実に予約して前進しました。

* 予約は努めて「今夜、明晩、明後日の晩 までの宿泊場所を確保しておく。」(3泊分)と安心できます。

* そのために @「天気予報」、A 遍路道の状態(平坦か、山道か)、B 身体の状況 、 などを参考にして歩く距離を割り出して 3 - 4 日後までの詳細な 「遍路計画」 を立案しておきます。
それ以後については 充分な研究をして腹案を作る程度に止めるのがよいと思います。

* 予約は歩きの途中、午前中に行いました。 (宿の方が割合い暇そうな時間帯に)

*予約する時には 年齢、男性の独り歩き遍路であること、自宅又は携帯の電話番号、相部屋の了承を 告げてお願いしました。

* 部屋代、食事の有無、朝食の時間(遅い場合は朝食を断る)、等を事前に聞いておくとよいでしょう。

* 都合により、宿泊を 取り止める場合や、 到着が(16時以降)遅くなりそうな時は事前に電話連絡します。

* 出来るだけ早く出発し、15時くらいまでには宿屋に到着出来るように計画しました。
身体の整備、洗濯、翌日の計画見直し や 当日のメモ など 就寝までにしなければならない事が一杯一杯あります。 手伝って呉れる人は誰もいません。 早い就寝も大切です。


(E)「納経所の対応」
* 井戸寺、長尾寺など数寺を除いて 殆どの納経所では何を聞いてもまともに返答してくれない無愛想な人が多い。
仏様に仕える人の態度として、また歴史のあるお遍路の将来を思うとさみしい気がする。
・ 納経帳に記入して貰い、代金の 300円 を払って「ありがとうございます。」とお礼をいうのは此方で、 お寺の方は黙ったまま金庫にしまい込むだけの無愛想な人が多い。
・観光バスが着くと添乗員が一度に一抱えもの納経帳を持ち込まれると全ての納経が終わるまでに30分以上も待たされるので、 たった1冊だけなので先に納経をお願いすると「歩き遍路を優先しなさいと云う規則がありますか。」とか、
「 じっと待つのも修行ですよ。」 と嫌みを云われたり、或いは全く無視されたりする事が多く、先に優先して納経して貰えたのはたったの1回だけでした。
・ 「 私は歩きお遍路をしておりますが、次の△△寺へいくにはどちらへ向かって出て行けば良いでしょうか。」と聞くと
「そこに掲示してあります。」と掲示板を指さして冷たく答えるだけのお寺もあり、あるお寺では「どうぞ」と車用の案内図を手渡され それを頼りに歩き、3kmも遠回りしたこともありました。


(F)「難所の峠」
・「七子峠」 : 37番 岩本寺へ向かう峠の最後の数十メートルの登り坂は極度に急激。
・「松尾峠」 : 土佐と伊予の国境。土佐の最後のお寺39番 延光寺を打ち、伊予に向かう。
土佐側は長く険しい登りの山道で、遍路道の両側の松並木は戦時中 松根油採取 のために堀り取られ、その痕跡を示す大きな穴が各所に残る。
一方、伊予側に入ると遍路道は綺麗に整備され状景が一変する。
・「三坂峠」 : 峠から46番瑠璃寺へ向かっての西側は極めて急な下り坂で、昔 鍋の行商人が転んで鍋を割ったと云う故事から「鍋割り坂」と云われている。


(G)「上手な歩き方」
* 食事について
・ 朝、夕食とも茶碗3杯のご飯が食べられるほど食欲が旺盛になる。
・ 歩いている間も食べられる時はいつでも食べるようにする。あんパン、バナナ、おにぎり、飴等をの食料を適当量を持ち歩く。(緊急対策、安心感、腹がへっては戦ができない。)
・ 水分補給は牛乳、スポーツ飲料を主用する。
・ 肉刺対策の テーピングは今日の反省を明日に活かすこと。
・ 排便をしっかりする。
・ 早く寝る。 そのために 出来るだけ早く出発して、余裕を持って行動し、早めに宿舎に入る。
・ 宿舎に着くと何よりも熱めの風呂に入り 「あぁーー」と大きな一声を出すことで疲労が一度に消し飛ぶ気がする。この瞬間が最高の気分です。
・ 旅館に着いてからやる事が沢山あり、これらを手順よくこなすこと。
入浴、洗濯、乾燥、身体の整備、柔軟体操、天気予報等の情報収集、翌日の遍路計画の再確認、2日後、3日後の計画、旅館の予約、記録の整理、荷物の整理、その他。

* 歩く途中、小石が靴に入るので (歩きに障害となる)これを防止する方法として スパッツを使用するか、スーパーのポリ袋を10×15cm の小片に切り足首後方に輪ゴムで止めて 小石の飛び込みを防ぐとよい。

* 車両から身を守るために 1m位の棒の先に白色の布又はスーパーの白色の袋を結び付けて車道側に出し運転手の注意を喚起するとよい。

* 靴の修理: 遍路の途中で踵の補修(張り替え)が必要になってくる。
 大型スーパーの合い鍵を作るショップで可能。修理所要時間は約 30 - 45分 (費用 : 約2,500円@今治「SATY」時間 :午前10時から午後7時)

* 忘れ物・落とし物対策:
・ 歩きながら 手袋を脱いだり、ハンカチなどを出し入れすると落とし易い。
・ 食堂や商店に立ち寄った時などに小物を置き忘れ易い。
対策:
荷物を纏めること。
外したり、脱いだりした時は直ぐ 入れ物(袋、ポケットなど)に 入れる。



(H)「所 見」
★無事に お遍路を終えて 思うことは 「将に四国全土をめぐるお遍路道こそが霊場であり、
 八十八ヶ所の札所はお遍路の単なる通過関門、 チェックポイントとして巡拝するだけで、一つの札所から次の札所に向かって歩いている間
  (時間・道程)こそが修行そのものであり、目的である。」 ことを身を以て理解し、納得することができました。


★ 歩きお遍路の将来について
 四国八十八ヶ所霊場を 時間をかけて泊まりながらお参りする、千二百年の歴史をもつ本来の姿である。
 「歩きお遍路」は 現状のままではやりたくても出来ない状況になり、近い将来に歩きお遍路の姿を見ることは
 難しくなるのではないかと思います。なぜなら、


 ・社会全体が車を基幹にした構造に変わり、「歩き」が入り込めない社会になる。
 ・敢えて苦難・苦労を選択する人が少なくなる。
 ・日本人の価値観の対象がますます心から物へ変化し、後戻りしない。
 ・歩きお遍路を受け入れない交通体制に益々様変わりする。
 ・お遍路宿の減少で野宿なしでは歩きお遍路が不可能になる。
  (宿と宿の間隔が30kmを超えると歩きお遍路は難しい。)
 ・お寺さんの歩きお遍路に対する軽視化が進む一方、観光バス、ハイヤー、自家用車でのお遍路がより便利になり、更に普及する。


 歩きお遍路が減少して行くとはいえ、日本の歴史的な文化として受け入れ、1度は経験してみたいと思う人はまだ大勢おられると思います。
 その人達のためにも是非 歩きお遍路が不可能な状態にだけはなって欲しくないと思います。



★教訓:「人生 即 遍路」
 今回のお遍路で得た 最大の収穫は 種田山頭火の 「人生 即 遍路」 と云う言葉と云っても過言ではありません。
 1,200km 余の道程を独りで歩く間に起きたいろんな失敗や成功、それに伴う悔しさと歓喜。

 独り歩きのお遍路は、
  ・ 今日はどれだけ歩くか、
  ・ どの遍路道を歩くか、
  ・ 左に行くか右にするか、
  ・ 休憩をとるか休まず歩くか、
  ・ 何処に宿泊するか、

 など何でも自分だけで勝手自由に決断できる代わりに、その結果の喜びも悲しみも失敗も成功も全て自分ひとりが背負わなければなりません。
 また初めてお会いした多くの人様の助けがなければ歩くことは出来ないのです。
 お遍路で歩いている時間は人生のなかの本当に僅かな瞬間ですが、色んな喜怒哀楽を集約して次々と色んな体験ができまます。
 この度の 「独り・通し・歩き遍路」 で得た教訓は、これまでの64年間の人生を振り返るチャンスを与えてくれ、
  歩きお遍路は将に人生そのものの縮図であることを教えてくれました。


即ち、人生への教訓として
 ・ 精神一統何事かならざらん。
 ・ 不可能も可能にできる。
 ・ 他人の助けがなければ、自分だけでは何も出来ない。
 ・ 念には念を入れて。
 ・ 細心の注意を払い、どんな些細な情報も見逃してはいけない。
 ・ 無駄に思える努力も永い目でみれば決して無駄ばかりではない。
 ・ 一歩一歩の積み重ねが大きな成果をもたらす。(千里の道も一歩から)
 ・ その他


★別世界に入る
 室戸の突端にある二十四番札所・最御崎寺(ホツミサキジ)へ通じる太平洋に面した遍路道は長いながい道程で、しかも変化のない退屈な道です。
 ここを時間の経過だけを頼りに孤独を友にして歩いていると知らずしらずのうちに忘れかけた昔の隊歌などを大声で歌ってみました。
 また、50年も前の終戦間際に 疎開していた3年間私のこの上ないわがままを許し、食べるものが無い時代に無事に育ててくれた
 今はこの世にいない叔父、叔母 と 昔の子供時代に還 ってお話が出来たのです。
 本当に声を出して、それも自然に対話が出来たのです。
 この様な体験が出来ただけでも今回の歩き遍路の旅は有意義であり、 叔父、叔母にたいしても良い弔いの旅であったと感謝しています。


 また、 室戸の西では パイロットへの道で共に苦労し、 F-86Fの部隊では編隊を組んで同じバーナー・ターゲットを目標に
 射撃パターンを飛んだ橋本君の故郷が高知だった事を思い出し、若かった昔のことをあれこれと回想し、
 彼の安らかな冥福を祈りつつ、ただ無心に前に向かって歩きました。


 このまま半年も歩きお遍路を続けていると 「なにか悟りが開けるのでは」と誤解しそうな感覚になってしまいます。
 知らず知らずのうちに不思議な世界に入って行きそうな気持ちになってしまうのです。


★ 再度のお遍路は
 結願が近づくと誰もが途中の苦痛を忘れ「もう一度歩きたい」と思うそうです。


 奥の院の参詣を済ませ帰宅して1ヶ月を経過したこの頃になって、今回の歩き遍路の状景が一つひとつ回想され、
  自分なりによく頑張ったなと思いつつ懐かしんでおります。


 初夏を想わせる暑い日差しを前面から受けながら55号線を日和佐に向けて下り坂を歩いていたときの事です。
 それまで庇って歩いていた右足踵の肉刺がついにつぶれてしまい、皮膚が剥がれ、汁で濡れた靴下が痛さを余計に増してくるのです。


 「足が痛いくらいで死にゃせん」と自分の怖じけ心にむち打ってはみるのですが、痛さに耐えられず踏み出す一歩一歩に
 注意を集中しなければ足を地面に着けられないのくらいになってきました。


 薬王寺前の今夜の宿までにはまだ 10km 近くを残しています。
 兎に角、足の様子をこの目でみて処置をしなければどうにもならないし、旅館にたどり着けるかどうかも判らない状態になりました。
 行き過ぎていく車の視線も無視して地べたに腰を下ろし荷物も降ろして靴を脱ぎ、靴下をとってみると予想したより皮膚はしっかりしていました。
 歯を食いしばってヨウチンを流し込み、アカチンをぬって、バンドエイドを貼りその上からテーピングをし、
 更にその上からもう1枚 きつめにテーピングを重ねて靴下を裏返しで履き、靴を履こうとしたら靴がきつくて履けないのです。
 足のむくみとテーピングなどで大きくなってしまったのです。
 中敷きを取り出してどうにか履き直すことができました。
 今度は容易に立ち上がれないのです。一度休むと次の出発が大変なのです。
 こうして無理して、たとえ今日は歩けても明日、明後日になって結局続けられなくなるのならいっそのこと無理しないで、
 今日ここで断念しても同じではないかと随分迷いました。


 しかし結論は「自分で始めた遍路なんだからどうしても続けられなくなるまでは兎に角頑張ってみよう」と云うことでした。
 その結果が最後まで歩き続けて結願する事ができたのです。
 もしあの時止める方に決断していたら、今頃どんな惨めな気持ちで自分を見つめているだろうかと思うと人生の岐路との類似をつくづくと感じます。
 「できたらもう一度あそこを訪ね、地べたに座り込んだ場所に立ってみたい」と云う気持ちがこの頃少しずつもやもやと芽生え始めてきました。
 もし健康が保て、出発の決断ができたら来年の春に再び歩きお遍路を楽しんでみたいと思います。
 更に短期間の結願を目指すか、或いはゆっくりと時間をかけてお四国を楽しみながら歩くか色々と思いを馳せながら今日を過ごしております。



平成十二年春、初めて歩いた

「四国八十八ヶ所霊場・お遍路の旅」

の記録を お世話になった 四国 と 四国の皆さんに

感謝の気持ちを込めて この一文に纏めました。



お遍路で頂いた沢山の「e-Mail」等 を 次のページに 追記しました。(平成12年12月)

- 以上 -









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