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(平成27年07月26日 更新)


目 次






第 五 部



I 皆さんから頂いた 激励 や 感動、
そして質問などの「E-mail」の一部を
感謝の気持ちを込めて公開します。


( その他のページ )



@ お遍路 の 概要
  A お遍路を決心した理由
B 出発前 の 準備
 C 霊場に関する資料



D お遍路日記(阿 波)
E お遍路日記(土 佐)



F お遍路日記(伊 予)
G お遍路日記(讃 岐)



H 終わりに
(@) 「四国の文化について」
(A) 「道路事情 について 」
(B) 「遍路道案内について」
(C) 「お勧めの打ち順変更」
(D) 「遍路宿の現状」
(E) 「納経所の対応」
(F) 「 難所 の 峠 」
(G) 「上手な歩き方」
(H) 「 所 見 」








お遍路から帰着する前に貰った「e-Mail」






2000年3月2日 22:47

福☆ さん   日高 です。 (only you)

まだ寒い日々が続いていますが、お変わりありませんか。
遂に 3月になりました。
四国への旅の準備も 着々と進めております。

現時点での予定は

(1) 3/9 深夜(23:30) 名古屋発 「徳島行きJRバス」で出発 3/10早朝徳島駅着予定、 JR板東駅に

(2) 3/10 の朝 1番札所霊山寺の参拝から巡礼・歩き遍路の独り旅を始めたいと考えております。

(3) 貴兄宅近くの海南町 (約180km)に到着出来る予定日時は今時点で予測出来ませんが
4月15-16日位には行き着きたいと念じて頑張ります。
(4) 無事に近く迄行けましたら、事前に電話連絡をさせて貰います。

事前準備として 1日から 25 - 35 km のウオーキング を始めました。
折角思い立って お四国巡礼に行けるのですからどうにか結願出来るまで 頑張りたいと考えています。
その節は宜しくお願い致します。

出発以前に 万が一 状況に変化がありましたら急ぎ連絡 を致します。
再会できる日を楽しみにしながら歩き続けます。 (H12.3.3)








2000年3月19日 22:37

日高 君が徒歩で四国巡礼の途中、拙宅に立ち寄り35年ぶりに旧交を温めましたので彼の近況について報告しておきます。

今月10日に1番札所霊山寺を出発し180キロを歩き14日に拙宅に到着しました。

翌15日に出発し本日19日現在高知県土佐市の35番札所清滝寺を廻り明日はいよいよ難所の足摺岬に向けて出発すると先程電話がありました。
1日約40キロ平均歩いているとのことです。

但し平地のみを歩くのではなく、山あり、坂あり、階段あり、更には各札所での記帳等ロスタイムもあるので平地歩行に換算すれば50キロ以上になるものと思われます。
昼食は歩きながら食べ、持ち物はたとえ紙1枚でも軽くしているとのこともあながち誇張ではありません。

14日夜の状態では、足の裏の前半分が 殆ど豆だらけでしたが、現在は足全体が豆の大豊作だと言っていました。

また16日には歩行中に物理的に身動きできないほどの豪雨に出会ったようです。
私もこの雨では出発しなければ良いがと心配していたのですが、やはり心配したとおりでした。

とにもかくにもこのような難行苦行も修行のうちと、本人は至って意気軒昂です。
順調に行けば4月中旬には小牧に帰り着く予定のようです。
彼が目的を達成した暁には苦労話を mail ででも是非聞いてやってください。

私自身はそれまでして歩いて四国巡礼をやる気は全くありません。
もし諸兄が計画されるときには2ヶ月くらいかけるか、又は車を利用する等、年齢相応の余裕のある計画にされるようお勧めします。

いずれの場合も拙宅には必ず立ち寄り、旅の疲れを暫し癒して行ってください。
とりあえず 日高 君の近況についてお知らせします。 3月19日  
( 防大同期2期:福☆ 君 )







2000年3月20日 8:27

拝復  すごく珍しい人から、すごく珍しい話、驚いて感心してます。
有り難うございました。

当方相変わらずの通勤やってます。
高知市の長浜というところに親戚がありますが行ったことはありません。 
( 防大同期2期:松☆ 君 )







2000年3月20日 9:19

福☆ さん お久しぶり、何十年振りですかね。
日高 君が 四国に出かけるというのは、メールで受けていたのですが、四国巡礼とは驚き!
素晴らしいニュースを有り難うございます。

ところで、お住まいの「海南町」というのは、奥☆ 君の故郷も海南ではなかったでしょうか?
海南高校出身だったような気がする。 
( 防大同期2期:斎☆ 君 )







2000年3月20日 13:57

福☆ 君、 白☆ です。
日高 君の近況ありがとうございました。
頑張る人はいつになっても頑張るんですね。
只ひたすら旅のご無事を祈っています、と彼から音信があった時にお伝えください。  
( 防大同期2期:白☆ 君 )







2000年3月28日 21:49

福☆ 様
日高 君が 四国八十八ヶ寺歩き巡礼に挑戦しつつあるとのお話を驚きをもって伺いました。
マラソンや山歩きを結構こなしている彼にして、お話のような足の苦しみがあるとすれば、やはり聞きしに勝る難行なのですね。
貴兄の言われるとおり真似はしないほうがよいように思います。
でも、一度は行ってみたいところではありますので、バス巡礼で勘弁してもらおうかと思っています。  
( 防大同期2期:渡☆ 君 )







2000年4月12日 22:26

そろそろ結願してお帰りでしょうか。

土佐から伊予路の遍路では大変お世話になりました。
私の今回の遍路の最後・3月31日は最悪の Condition になっていました。
左足踵のマメは完全につぶれ、その前の2/3程度の速度に落ち、雨にも泣かされほうほうの体で道後の知人の家にたどり着きました。
その夜の精進明けのビールの美味しかったこと。
結局次の日(4月1日)52,53番寺を打ち、JR伊予北条駅で終了しました。

次回は5月8日の出発を予定しています。
そこで教えて頂きたいのは、80‐82番寺の打ち方です。
順打ちでよいのか、81番‐82番‐80番が易しいのか 教えて下さい。
また、泊まらないほうが良い宿があったら教えて下さい。
遅くなりましたが貴兄の写真をお届けいたします。では、 
( 途中まで一緒に歩いた東京の 荒木 さん )









お遍路から帰着後に貰った「e-Mail」






「 帰着速報 e-Mail 」 2000年4月13日 10:34

四国遍路の旅から帰着報告:(同報)

「コロンビアネット」 ( メイル仲間の愛称)の皆さん 愛知 の 日高 です。

一部の方には 同期 の 福田君から既報されておりますが、

小生、去る3月10日から 四国八十八ヶ所を「 独り 通し 歩き遍路 」 を敢行し、
昨夜 無事に 帰着致しました。

大略の日程は次の通りでした。

3月09日 深夜 特急バスで名古屋駅前を出発。
3月10日 早朝 徳島駅前着。
3月10日 07時30分 1番札所「霊山寺」を出発。
4月10日 07時20分 32日目 に 88番札所「大窪寺」に参拝し結願
4月11日 1番札所「霊山寺」にお礼参り。和歌山高野山に移動。
4月12日 高野山 奥の院に 無事 結願の報告に参詣。 17時 小牧帰宅。
(お礼参り、奥の院参詣 は お遍路の慣例にならって実施しました。)

全行程 約 1,200km を 車 や ケーブルカーなど いっさい使わずに歩き通し
延べ 32日 で結願できました。
毎日 平均 約10時間 ・40km を 歩いてみました。

これまで 生きてきた 自分の人生を 振り返り何か得る物があればと
自分なりに 自分を 苦しめてみた積もりです。

今回の歩き遍路で得られた 最大の収穫 は

『人生 即 遍路 』(ジンセイソクヘンロ)

と云うことを 身にしみてしみじみと 感じ得たことでしょうか。

これまでの 64年間 の人生で得た経験、体験と 同じかそれ以上の
価値のある 素晴らしい 経験を させて貰いました。
今は 「四国のお遍路」 に対し 感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に 海南市 の 福ちゃん、そして奥様
14日は 大変お世話になりました。
厚く 厚く お礼を申し上げます。
室戸への途上で 体験した あの厳しさは 今は最高の 想い出 であり、
勇気を出して敢行したことが 最高の 満足感を残してくれました。

以上、 取り急ぎ 「コロンビアネット」の皆さんに同報にて ご報告致します。 








2000年4月13日 11:26

ご無沙汰しております。岐阜 の 田☆ です。
四国お遍路の旅をされていたとはつゆ知らず、最近、音沙汰がないなぁ、と案じておりました。

約1か月余に亘るお遍路の旅、お疲れさまでした。
また、結願された由、誠におめでとうございます。
日頃、仕事に忙殺されている現状からは想像もできませんが、とにかく羨ましい限りです。

今後もますますご健勝でありますよう、祈念申し上げます。
一言、お祝いまで。
( 防大後輩11期:田☆ 君 )







2000年4月13日 11:40

日高 さんへ:
今更ながら、64才の貴兄の決断力と実行力に敬意を表します。
一度、その後の変化などの後日談を含め、ゆっくり話を聞かせて下さい。
( 防大同期2期:野☆ 君 )







2000年4月13日 15:35

日高 さん、深く感銘しました。
ゆっくりと疲れをいやされるように。 67歳の コモ 
( 防大先輩1期:菰☆ さん )







2000年4月13日 15:47

日高 さん、岩☆ です。

四国八十八ヶ所無事結願成就おめでとうございます。
それにしてもあまりの速さに驚いています。
記録的な速さだったのではないでしょうか?
お会いしてお話をお聞きするのを楽しみにしてます。
( 空自友人:岩☆ さん )







2000年4月13日 18:31

日高 さん、白☆ です。

決めたことをあっという間に実行する貴兄の決断と行動力に改めて敬意を表します。
それにしてもやったものですね。
どなたかのメールに記録的な快挙とありましたが、大願成就おめでとうございます。
そのうちにゆっくりとお話を聞かせてください。
( 防大同期2期:白☆ 君 )







2000年4月13日 20:23

日高 さん

どえらいことを、短時間にやり遂げられましたね。
絶大なる敬意を表します。
後日、詳しい話を聞かせて(読ませて)ください。
( 防大同期2期:斎☆ 君 )







2000年4月13日 21:44

日高 先輩、すばらしい快挙と忍耐力に敬意をお送り致します。
まだ、現役(B16A)の 稲☆ と申しますが、
全行程 約 1,200km を全て歩き通し(一切車やケーブルカーなど使わず) 延べ 32日 で結願,平均 毎日約10時間 ・40km を 歩かれたのには、驚くべき 健脚であられることに大変びっくり致しました。

小生も、若かりし防大3年生の夏休みに、小原台から私の実家、富山まで500キロ弱を
寝袋を背負って歩いたことがありますが、(約1週間弱、75キロ、15時間/一日、野宿)
先輩の1,200キロには驚きました。しかも、とっくに還暦を迎えられた大先輩ですから・・

私の場合、若いにもかかわらず、500キロ弱で足はズタズタで4、5日は歩くに歩けない状態だったことを今も、昨日のように覚えております。
とにかく、日高 大先輩の快挙に心からご祝福申し上げます。 
( 防大後輩16期:稲☆ 君 )









2000年4月13日 21:55

日高さん 一カ月で全行程をやり遂げるとは、何ともいえぬ快挙です。おめでとうございました。
私どもの同期の 小野君も昨年に引き続き4月4日頃から歩き遍路を始めています。
彼は前回はリヤカーを引いてテント泊でやったのですが、今回はリヤカーでは入れなかった道を忠実にたどるということで、テントを背負って歩いている筈です。
合わせて 小野君の成功を祈っています。 
( 防大後輩4期:西☆ 君 )







2000年4月13日 22:29

日高 さん、山☆ です。

1,200kmを、僅かに32日で踏破なされました絶対的な意志の強さと健康管理の素晴らしさに心からの敬意を表明致します。

「人生 即 遍路」とは、まさに松尾芭蕉が 元禄2年3月27日、46歳の時に、
春浅い東北を目指して深川から旅に出たときの「奥の細道」の冒頭の文で「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人也」と書いた文章を思い浮かべさせていただきました。
誠に、見事な四国遍路のご報告でございます。

松尾芭蕉は 2,400kmを155日かけて歩きました。
日高 先輩は、1,200kmをわずか32日でお歩きになられました。
しかも松尾芭蕉よりも18歳もご年輩でございます。
素晴らしい事でございます。 
( 空自友人:山岡 さん )







2000年4月14日 10:31

四国八十八ヶ所を1ヶ月で回られたとは、しかも、全て歩きとおされたとは、お元気さにびっくりするとともに、日高 先輩のお気持ちを伺って感動しました。
快挙に敬意を表し心からお祝い申し上げます。
昨年、家内と 高知 ー 足摺岬 − 道後 ー 高松 と四国を半周したのですが、もちろん往復飛行機、四国 では全てバスの観光旅行で、
「あれよりも長距離を」と家内も感服の体でありました。
お目にかかりお話をお伺いできることを楽しみにしています。  
( 防大後輩6期:菱☆ 君 )







2000年4月14日 10:58

日高

スーパーマン振りに驚きました。
「成せばなる」,「益々盛ん」などの言葉が脳裏をよぎりますが筆紙に尽くせない快挙です。
44年前以上の気力体力の充実に深甚の敬意と羨望を覚えます。
( 防大先輩1期:茅ヶ崎の 高☆ 君 )







2000年4月14日 22:06

日高 さん、お帰りなさい。
お疲れ様でした。
3月上旬に、福田 さんから貴兄が四国歩き遍路に挑戦中とのメールを戴いて驚きました。
以前に 由☆ さんが結願された際の遍路記を拝見し、自分も挑戦してみたいような気持ちを抱く一方でとてもやり通せないナーという気持ちをもちました。
そんな矢先の貴兄の快挙には本当に驚くと同時に心から敬意を表します。

皆さんも仰っておられましたが、疲れが取れましたら是非遍路記を発表してください。
期待しています。
( 防大同期2期:渡☆ 君 )







2000年4月15日 4:28

日高 さん 驚きましたね。

短期間に長距離を歩き通すとは。
心身共に充実していないと出来ないことです。

橋本さんのお宅に「日高 さんという元パイロットをご存じか?」と電話で伺ったら
「 来宅して泊まったこともある。」とのこと、メールをプリントしてポストに入れて置く旨話しました。
奥さんは赤城村の出ですが、彼は土佐の 高知出身だったように思います。

又、色々聞かせて下さい。私は一昨年秋に二泊三日のツアーで四国に行ったことがあるだけです。
( 防大同期2期:日☆ 君 )







2000年4月15日 6:01

日高 先輩やりましたね。

四国八十八ケ所「独りとおし歩き遍路」を敢行され、1,200Kmを歩かれたとのこと素晴らしいことです。
やってみたいと思ってもなかなか実行できません。
「人生即遍路」という言葉、心に残りますが、今回の遍路で体感されたわけですね。
これからの人生も次の目標に向って元気に歩き続けて下さい。
先輩より少し若い私は、常に新しい目標を自らが設定して惚ける暇がないように歩き続けなくてはと思った次第です。
帰着報告有難うございました。  
( 防大後輩7期:小☆ 君 )







2000年4月15日 8:59

日高 様 四国八十八カ所敢行 おめでとうございます。
なかなかできるものではありません。 敬意を表します。
私も 四国にいながら 一度 遍路の旅をと思っていますが今の仕事を定年になったら と 思案していますが・・・
また 機会があったら、苦労話を聞かせて下さい。
( 自衛隊友人:枝光 さん )







2000年4月15日 20:49

日高

四国遍路の旅、結願おめでとうございます。
それも32日間という短期間、感服しました。
私は昨年52日間を要しました。
昨年の今日は足摺の38番金剛福寺でした。
一年たった今でも昨年の感動が忘れられず「去年の今日はどうしていたか?」と、旅の記録をひもどいています。
旅の途中で「一度歩きを達成すると再び歩きたくなる」と聞きましたがまさにその通りで、「体力のあるうちにもう一度遍路旅を」と思うこの頃です。
ご自愛祈念します。  
( 空自先輩:由田 さん )







2000年4月16日 8:02

お久しぶりです。 黒☆です。
日高 さんからのメールを読み、私は奈良の幹部候補生学校における40キロ行軍を思い出しました。
一晩寝ずに歩きつづけ、学校に帰ってきたころにはへとへとになっていました。
この行軍はこれまでの中でも最も苦しい経験の一つです。

ですので私には 日高 さんのようなことはできそうにありません。
どうもお疲れ様でした。

さて私達の近況ですが、私達はまだサンアントニオにいます。
ですが今週の木曜日(日本では金曜日)には米空軍の英語の学校を卒業し、飛行訓練をするラフリン空軍基地(メキシコとの国境近くにあるDel Rioという町にある)へ移動します。
そこで米空軍の飛行訓練課程(T-37,T-38)に入校し、他のアメリカ人パイロット候補生と一緒に約1年間の訓練を受けます。
native でないことは私にとってかなりのハンディキャップですが、他のアメリカ人に負けないようにがんばりたいと思います。
それではまたお便りします。
( 防大後輩42期:黒☆ 君 in USA)







2000年4月16日 8:21

先ずは大願成就おめでとうございます。
動機は判りませんが 凡人には中々出来ないことを成就されまして 感嘆しております。
いずれ お会いできましたおりにはぜひお話しを伺いたいものと思っております。
65才までに実行されましたことは大変賢明であったのではなかったかと 思っています。
と言いますのは 小生最近息子夫婦に古希の祝いをされてしまいましたが、
体力の低下を相当実感していまして昨年などは 御岳ロープ の上の山登りハイクに参加した所すっかりあごを出してしまい、
今更ながら思い知らされました (数年前に同じ所を登ったときはスイスイでした)。
さぞ すばらしく 貴重な体験をなさったことと思います。
まずは 本当におめでとうございました。  
( 三菱名航の先輩:橋本 さん )







2000年4月16日 18:35

日高 さん。 かっこいいですね。
名実ともに四国八十八ヶ所を 「独り通し歩き遍路」 を敢行し、1,200km を踏破とは何という快挙!
心から「おめでとう」を申し上げます。

「苦行」を求める御心底はお察しする事さえ出来ませんが、自らの思いを全うせずには居られない日高 さんらしいコダワリも伝わって来て、
功徳の一片を頂戴した気持ちで大変ありがたく感じるとともに凛とした素敵なシニアライフスタイルを羨ましく存じます。 
( 三菱友人:森本 さん )







2000年4月17日 0:42

伴介叔父 さんへ

四国遍路一人歩きご無事ご達成おめでとうございます。
叔父 さんの、強靭な体力と精神力に改めて感服させられています。

道中での、肉体的、精神的な苦痛をどのように克服され32日間もの長き孤独の日々を過ごされたのか私には全く想像できませんが、
恐らく通常の日常生活では全く体験できない異質の苦しみと日々格闘され、克服されて来たのだと思います。
先ずもって、この大事業ご達成に乾杯させて頂きます。

また折に触れ、体験談などお聞かせ下さい。
私の今後の大きな励みにしたいと思います。 
( 甥の 清人 君 in USA )







2000年4月17日 1:24

日高 先輩殿

まずはご無事なご帰宅、おめでとう御座います。
約1,200キロメートルにわたる行程を、すべて徒歩だけで踏破された意思と体力に、まず脱帽です。

一人旅とは言え、毎日いろいろな人と出会い、仏様と出会い、自分の心と出会い素晴らしい旅をされた様子が伺え、うらやましくも思えました。
これから旅の話等をたくさんお聞かせ下さい。

壮挙完遂にまず乾杯、最敬礼いたします、メールありがとう御座いました。
( 防大後輩7期:垣☆ 君 )







2000年4月17日 8:37

おはようございます。岡☆ でございます。
その後、御無沙汰をいたしております。

早速の帰宅報告、大変ありがたく拝見させていただきました。
私も何度となく西国三十三個所巡りを計画したことがありますが果たせず、今日にいたっております。
先輩の一人遍路、いやあ 実にみごとと申しますか、満願成就の旅羨ましく思いますとともに得るものも多かったことと拝察いたします。

「人生まさに遍路」至言ですね。
これからも希望を失わず、格調高く理想を追いつづけて下さい。

また、機会がありましたら、お遍路の話を聞かせて下さい。
今日は取りあえず、御帰還のお喜びを申し上げます。
では、お体を大切に。 
( 防大後輩6期:岡☆ 君 )







2000年4月17日 14:55

突然の帰着報告にびっくりしました。
約1ヶ月間で1,200kmもの長い距離を歩くこと自体,想像を絶するものがありますが,本当にお疲れさまでした。

かつて入社時の研修で1日40km歩きましたが,小生を含めて大半の者が足の裏の皮がめくれて大変だった思い出があります。
四国88ヶ所巡りについて詳しいことを知りませんが,学生時代友人と車で四国一周した際,
白い服をまとった人を何人も見かけこれがお遍路さんかと思った記憶があります。
これを機に一度四国88ヶ所について最低限の知識を入れておこうと思います。

伴介叔父 さんの64歳という年齢を感じさせない強靱な体力を持ってしてもまだ1ヶ月の苦行の疲れが残っていると思いますので,
どうかしばらくゆっくりと休んで下さい。  
( 甥の 幹雄 君 )







2000年4月20日 22:17

今晩は。お久しぶりです。
徒歩で四国遍路を完遂されるとはすごくお元気ですね。
私は仕事が忙しく旅行などに出かける時間がないのですが、徒歩で旅行をしようと等思いもしません。本当にすごいですね。
しかし、四国遍路をしようと思いたたれた動機はいったい何なのですか?
それも、徒歩のみで行おうとされたのは?

わが家は、2男の 聡 が千葉大学に入学し4月より3人になってしまいました。
家の中が静かになって、広くなった感じがします。
しかし、二重生活になって経済状態は大変で家計は火の車です。
親父は相変わらずで小康状態と言うところです。
それでは、ますますお元気でご活躍のほどをお祈りいたします。 
( 甥の 昇 君 )







2000年4月21日 23:18

結願おめでとうございます。
また、早速貴重な民宿情報を教えて頂き有難うございました。
去る15日小学校卒業以来50年ぶりの同窓会に出席し、昔の悪童たちと会ってきました。
5月8日の出発に向けてこれから本格的に讃岐路の遍路の計画を練りたいと考えています。
又何かわからない所が出来たらご教授ください。  
( 一緒に歩いた東京の 荒木 さん )







H12.4.21 ( ハガキ )

日高

「独り通し歩き遍路」 32日間で 結願 ・ すごい。

「これまでの64年間の人生で得た経験、体験と同じかそれ以上の 価値ある素晴らしい 経験をさせて貰った。」とのこと。
すごいなーと ただ ただ感心。

貴兄の晴ればれとした 清々しい 日焼けした顔が目に浮かびます。
やったね! おめでとう!
( 防大同期2期:庄☆ 君 )







2000年5月24日 23:45

早速のE-mail 有難うございます。
ご推察のとおり、5月18日88番大窪寺、19日1番霊山寺に参拝し、20日徳島08時のバスで大阪難波から南海電鉄で高野山にお礼参りに行って来ました。
その晩は大阪の友達の家にお邪魔してビールとワインで乾杯しました。
東京に帰ってからはこれにて1件落着と達成感に浸りのんびりしております。
考えてみると、最後の女体山越えが1番きつかったように思います。
日高 さんから聞いていた、「ビジネスホテルつよし」、「民宿岡田」はなかなかよい宿で感謝しています。
新しい靴を買い込み登山用の靴下を履きましたので再開後は脚の痛みも無く快調に歩くことが出来ました。
このところ2日続けて遍路の夢を見ていて、又貯金をためて廻りたいと考えています。
E-mail 有難うございました。 
( 途中まで一緒に歩いた東京の荒木 さん )







2000年5月28日 18:15

日高
はじめてmailします。ROM の 本☆( B11F ) です。
昨年定年、今年の四月から自算会に入りました。
一時は酷使会という名前の時期もあったようで、今もその名残がひしひしと残っています。
ものになるには 3年とか・・大変です。
課長(OB陸(U)64歳)にこっぴどくしごかれながらも、屈することなくこれから10年トライアスロンを続ける覚悟を会全部に告示しあえて自分に鞭打っています。
さしあたって、来月はじめには天草国際トライアスロンがあります。

ところで不躾ですが、四国遍路の旅の全工程の記録がもしございましたら、添付するなりお送りいただけないでしようか。
と言いますのは新しい職場に新風をと”昼の憩い”なる読み物を作り、
表紙をK.R さんの写真で飾り、中身は ”最近のnetから”と言うことで、 日高 さんの記事と
それに対する諸氏の mail で編集し回覧したところ好評で、早速反応がありました。

今年春自算会を定年され別室に移られた 斎村氏(多分B02Aの空挺?)が自分もやる予定だと言われました。
斎村さんは全部をテント野宿で計画しようとしておられるようです。
そういうわけで、斎村さんに是非紹介したく不躾なお願いにあがったわけです。
よろしくお願いします。 
( 防大後輩11期:本☆ 君 )







2000年5月28日 19:57

メール拝見。 日高 さんの驚くべき早さには敬服の一語です。
私も四国の虜になった一人ですがまだ二度目を果たしていません。
早く行けるようにしたいと思っています。
宿泊施設一覧の件は同感です。
私の時でも遍路宿の方々は老齢化が進みその維持に苦労されている様子がわかりましたが、その後三年で尚進んでいる事でしょう。
遍路道保存協力会も改定作業は大変なのでしょう。
何と言っても歩き遍路の数は、増えたとは言っても微々たるものですから。
ネット時代の今は、過去に出来なかった事が可能になる時代ですからメルマガ「週間へんろ」などのツールを使って
リアルタイムに情報を蓄積して行けば出来るのではないのかと思います。
お互いに考えてみましょう。
これに関して情報がありましたらまたご連絡下さい。 
( 歩き遍路友人:大村 さん (1歳若い証券マン))







2000年6月5日 16:48

日高 さん。
遍路で頑張られたことをいよいよ書き始めるとのこと、期待しています。
先日、M市長(3期)と話す機会があったので、貴方の快挙を話題にさせていただきました。
彼の地元にも、2箇所あるそうで、次回通過の際にはぜひ一声かけて欲しいということでした。

何故、過酷な行動を選択されたのか、そのあたりの考え方を聞かせてほしいものです。
小生はきわめて軟弱な人生を只今送っていますので、ただひたすら感激するのみです。 
( 防大同期2期:白☆君 )







お遍路記録 に対する所見「e-Mail」






2000年6月12日 9:23

日高 さん
「四国八十八ヶ所霊場お遍路の旅の記録」をお送り頂き有り難うございました。

歩きお遍路も大変でしたでしょうに、旅記録作成も大変だったろうと思います。
貴方のバイタリティに再度最敬礼です。

早速印刷しました。これからゆっくり貴方のご苦労を読ませていただきます。
有り難うございました。  
( 防大同期2期:斎☆ 君 )




2000年6月12日 10:08

四国八十八ヵ所遍路紀行文、感銘をもって拝見しました。
貴兄の几帳面な一字一句に感心しています。
何時か私もこのような記録を書けるようにと念じています。 (多分一生無理だと思います)
精神的な面と非常に人間的な面が記録されていて、ほほえましく思いました。

貴兄は、福 ちゃんが言うように本当に変わっていないナァーと思いました。
福☆ 兄, 奥さん の海の幸でのお話しは、楽しかったことでしょう。

昭和33年、防府で3人一緒のクルーであった頃をなつかしく思い出しています。
国民学校1年生の3学期と2年の1学期に75番札所である善通寺に住んだことがあります。
五重塔の塔柱が夕日に映えて金色に輝いていたのを思い出します。
それ以後、四国には徳島に飛行点検に出かけたこと、小豆島への防災診断の途中、高松に立ち寄ったことの2度しかありません。

貴兄のように遍路をと考える余裕はありませんが、もう一度四国には行ってみたいと思っています。
特に四万十川の自然、坂本龍馬、秋山兄弟等の史跡にも是非足を伸ばしたいものです。

有り難うございました。
御令室様に宜しくお伝え下さい。
何卒、ご自愛のほどを    
( 防大同期2期:森☆ 君 )







2000年6月12日 10:35

日高 様へ

このたびは 叉大変な労作をお送り下さいまして本当に有り難うございます。
私などの いわゆる City Boyにはとても想像もつかないような旅で
楽しみもさることながら 随分ご苦労なさったのではないかと思っています。
じっくり読ませていただく積りです。
貴兄がこんな文才を お持ちとは思いませんでした。

たしかに体力に自信のあるうちにやっておく旅だと思います。
家内にも見せたところ 興味をもって読んでいました。
もとの三菱の方のグループに入れてもらっての時々の里山歩きであごを出すようになったこの頃では
もはや能力外の旅ですが ほんとうに良いことをなさったと感心しています。
( 三菱名航先輩:橋本 さん )







2000年6月12日 16:39

日高

「遍路の記録」送付有り難うございました。
一気に拝読しました。
行動が良く分かり、興味津々読み応えがありました。

準備周到、強靭な気力体力、大胆実行、詳細な記録は(真似はできそうにありませんが)大変参考になります。
( 防大先輩1期:高☆ さん )










2000年6月12日 20:30

日高 様、こんばんは。 岐阜の 田☆ です。

四国お遍路旅をまとめられた大作をいま、拝読終わりました。
印刷したら、小さいフォントで21ページにもなりました。

あらためて、「物凄いことをなさった!」と感服いたしております。
随所に述べられているとおり、今後はますます歩きにくい遍路道になるのでは、と懸念されますね。
伝統文化を大切にしたいものです。
そのためには、歩道と宿坊の整備にお金をかけてほしいと、四国を歩いたことのない私にも切々と訴えられている情景が浮かび、同感しました。

健康の基本は歩くことと、だいぶ前から言われておりますが、ますますのご健勝をお祈り申し上げます。
( 防大後輩11期:田☆ 君 )







2000年6月13日 11:27

日高 さん、 白☆ です。
ただいまの時刻は 2000/06/13 11:22:34です。

今、会社です。
膨大な記録であったので会社に持参して読んでいます.
大変なことを成し遂げ淡々と、そのことを記録に残す、さすが、元テストパイロットですね.
計画を練り、日時を設定する、将にF-15初飛行に出ようとするときの心境を、
昔、貴兄から聞かせていただいた時の事を思い出しつつ読ませて頂いています.
取り急ぎ、お遍路記録受領の御礼まで. 
( 防大同期2期:白☆ 君 )







2000年6月13日 21:05

日高 様。

大作のレポートありがとうございました。
じっくり読ませていただきます。
( 三菱名航友人(設計):森☆ さん )









2000年6月14日 6:07

延べ二晩で、じっくり読ませてもらいました。
野グソの話し等、笑わせていただきました。またよろしくおねがいします。 
( 息子 )







2000年6月14日 14:12

日高 さん (ONLY)
四国の遍路の旅の添付ファイルを有り難う御座いました。

プリントして和綴じにしたら添付写真(省略)のような製本に仕上がりましたので、
勝手ですが 橋☆ さん宅に届けました。
橋本さんは高知の出身らしいようですから貴兄の遍路旅は喜ぶのではと考えました。

博多の 中野 さんから胃の手術のメールが来ましたが、橋本 さんと同じ所にいたので
生前の最後のフライトを一緒にしたとのメールを貰ったことがあります。
中野 さんは語学班・専攻とも私と同じで訓練だけが別だっただけです。

信仰・信心と縁が薄れた昨今ですが拙宅では家内の父が早く病死したので先祖の供養は大切にするようにしています。

石手寺だけは2年前の四国へのツアーに参加した際に観光バスで参詣した記憶があり、
高野山は吉野の桜を見に行くツアーで宿坊に宿泊したことがあります。
( 防大同期2期:日☆ 君 )







2000年6月15日 5:51

伴介叔父

四国遍路旅の記録読ませていただきました。
準備歩行訓練に始まり、旅立ちの支度、そして日々の出来事とその反省、宿泊所の様子、宿の人の対応、途中での人とのふれあいの様子、
等々大変克明に記されてあり、あのような精神的、肉体的苦痛の中よくこれだけ素晴らしい物が出来あがったものだと敬服するばかりです。
読み進んでいくうちに、一人黙々と歩く叔父さんの旅姿が想像され、なぜか胸に込み上げてくるものがありました。

あの、『別世界…』の下りは、私たち凡人には到底体験できないのでしょうね。
毎朝、会社でメールをチェックするので、今日は仕事をそっちのけで読んでしまいました。
家内にも会社でプリントアウトしてもって帰って読ませてやります。
本当に、大変貴重なものを読ませていただきありがとうございました。

百☆叔母さん、祐☆さん夫妻、一皓君、陸人君(幼稚園入園おめでとうございます) にもどうぞよろしくお伝え下さい。
(この記録を読まれて、「もう二度と行かないで…」と言われているのでは???)
では、失礼します。
( 甥の清人 君 in USA )







2000年6月17日 17:15

力作敬服しながら拝見しました。
どの項目も歩き遍路経験者にはよく理解できます。
何時になるか分かりませんが、私も記録を作り次第お届けします。

最後に書いておられるように私ももう一度、今度は通して歩きたいと思っています。
有難うございました。 
( 一緒に歩いた東京の荒木 さん )







2000年6月18日 13:43

日高 さん

31頁に亘る膨大な「遍路記録」拝見しました。
PCの画面ではなく紙面印刷してじっくり読ませてもらいました。
このような詳しい記録に触れますと、歩き遍路のご苦労が身近に感じられて感動します。
本当にお疲れ様でした。
そして短期間で結願されましたこと、改めておめでとうございます。

しかし、身の危険に遭遇したり、次の遍路寺まで丸1日ひたすら歩きつづけるだけであったり、実際には体験した人にしかわからない想いは一杯でしょう!
出発前の準備のことと言い、その一端を知っただけに自分もやってみたいという考えが萎んでしまう感じです。

次回出掛けられるときは、もっと短期間で行きたいと思われますか?
それとものんびり時間をかけて歩いてみたいと思われますか?
百☆子さんは再度の挑戦にも賛成されるでしょうか?

改めて、貴重な「遍路記録」有難うございました。
( 防大同期2期:渡☆ 君 )







2000年6月19日 9:01

おはようございます。名航ワンゲル部の 近☆ です。

遍路記録のメールを頂きましてありがとうございます。
この休日に楽しく読ませて頂きました。
人生の厳しい挑戦を楽しく読むとは、如何と反省しています。

1人遍路歩きをしてこそ出合い、再会、回顧と、まさに「人生 即 遍路」でしょうか。
私も来年は60才を迎える身として、貴重な記録として読ませて頂きました。
さて、自分が遍路に挑戦できるか、実行するにはまずは信念を持つ事でしょうか。
まずは遍路記録を頂きましたお礼まで。
( 三菱名航友人:近藤 さん )







2000年6月19日 10:13

早速読ませていただきました。どうもありがとうございました。
読むにつれて大変さが身にしみて伝わってきました。
しかしながら、私が一番感心したのは最後の所見の部分です。
よくここまで冷静に分析されれたなと思いました。 私も今後の参考にさせていただきます。

さて私の方はといえば、先週から飛行訓練が始まり忙しい毎日を送っています。
約1年ぶりに飛行機の操縦をするので少々戸惑っていますががんばりたいと思います。  
( 防大後輩42期:黒☆ 君 in USA )







2000年6月19日 18:48

こんばんは。御無沙汰しています。

先日は、40,000字におよぶ超大作『四国霊場八十八ヶ所独り歩き通し遍路の旅』をありがとうございました。
ゆっくり読ませていただきました。
1日分をスラット読むことの方が失礼と感じたほどでした。
文面に出てないその時々の、お考え、苦しきこと、歓び、感動などを想像しながら読ませていただきました。
四国にしばらくいた者のはしくれとしても、この伝統は廃れさせてはならないと思いましたし、
道道で受けられた、たくさんの「接待」、「情」を読ませていただくに付け「四国のよさ」を今まで以上に見直させていただきました。

是非、出版されることをお勧めします。
既に骨格はでき上がっていらっしゃいますので、それぞれについて多少詳しく、感情を交え、ちょっとおもしろおかしく、
さらに写真等を加えて肉付けをされれば完ぺきだと思います。
すいません。偉そうにいってしまって。

今度お会いできるときに、今回に旅のお話を聞けることを楽しみにしています。
それでは失礼します。 
( 甥の昌三 君 )











【爺の雑記帳】公開後に頂いた「e-Mail」






2000年7月19日 21:09

私、福島県に住む 大友 といいます。
日高 さんの ホームページ楽しく拝見させて頂きました、かなり効率よく廻られたみたいですね。
私は3年前クルマで駆け足で矢のように巡りました。
今となってはもう少し時間をかけて、部分的でも歩けばと反省しております。
2回目の遍路はいつになるかわかりませんが、なるべく歩きたいと思っております。

私の叔父(70歳)も自衛隊を退職し四国遍路を半分くらい廻りました、残りはいつまでかかるか。
叔父は警察予備隊発足と同時に入隊し10年くらい前に退職しました。

日高 さんはパイロットとのことすごいですね。
私は松島基地まで近いので、基地際には何回か行っております。
今回ブルーインパルスの事故残念でした、事故に遭った乗員の1人は福島市の方でした。
地方の新聞には大きく載りました。 
( 福島県の 大友 さん )







2000年7月24日 7:14

-----初めてメールいたします。
小生 69歳 インターネットベビーです。
メルマガ「月刊へんろ」にてしりました。 
四国八十八ケ所の歩きへんろ結願おめでとうございます。
私も十年程まえ車で巡拝いたしました。
いま一度のんびり時間を掛けてお詣りしたいと計画しております。
 貴方の体験記を心待ちしております。 
( 愛知県の 榊原 さん )







2000年8月27日 0:42

日高 様、はじめまして。藤井ひろし と申します。
突然のメール、申し訳ございません。
興味深くホームページを拝見させて頂きました。
TOPページも素敵で 日高 様のお人柄がよく表れています。 完璧です!

私も自衛隊OBでして13師団の戦車乗りでした。

実は四国霊場を現在、日帰り(自宅は高松)で区切り打ちをしています。
結願前ですが、先日ホームページを立ち上げました。
本当に差出がましいとは思いますが、もしよろしければ私が撮った霊場の写真をHPで使って頂けないでしょうか?

NET初心者ですが「お接待」の精神を大切にホームページを運営したいと考えています。
どうか 日高 様、お気を悪くされないで下さい。 お願い致します。 
( 香川県の 藤井ひろし さん )







2000年9月3日 21:04

くしまさんのお遍路のページから訪問させていただきました。
いろいろな情報が詰まっていてこれから歩く人に大いに参考になりますね。
お遍路に対する見方、考え方そして感想、注文など同感するところが沢山ありました。
富士登山の方も拝見させていただきました。
正確でデータとして使える旅行記といった感じが新鮮でした。
ご活躍をお祈りいたします。

ゴムゾーリ野宿遍路修了し現在お休み中の 安☆(58才)といいます。 
( 東京都の 安田 さん )







2000年9月13日 12:47

見事な出来映えで敬服致します。
早速友人にアドレスを教えておきました。
私には意見を述べる資格がありません。
これに刺激されて勉強しましょう。
( 神奈川県の 大村 さん )







2000年9月13日 20:27

早速ご連絡ありがとうございました。 アクセスNo769でした。
私の一番の関心は四国霊場八十八ケ所巡りです。
今後の記録を愉しみにしております。 来年春に予定しております。
北海道車の旅 FDに入れました、じっくり拝見します。
今後ともよろしくおねがいします。
( 愛知県の 榊原 さん )







2000年9月16日 15:42

日高 さん

ホームページで歩き遍路旅を読ませて戴きました。
昔と変わらぬ几帳面さと意思の強さを感じ、敬意を覚えました。

私は、高知出身で小学校の後半から高校までを高知市で過ごし、父親の勤務の関係で善通寺に八歳までいましたし、
また昭和58年まで愛媛地連部長を二年務めましたので、八十八ヶ所参りは大変身近な存在でした。
松山時代は 週末を利用して伊予26寺をまわり(私有車で)、ささやかな思い出にしています。
50番繁多寺は 部長官舎から15分のジョギングコースで、毎朝お参りして鐘をついたものです。
土佐のいくつかのお寺、讃岐の善通寺、伊予の全寺の描写にしばし往時の思いを新たにしました。
毎春 松山での地連OB会に出ていますが、石手寺、繁多寺に行くようにしています。
高知に帰省時は 努めてお寺に行くようにします。

思い出のリフレッシュに有難うございました。 益々 ご壮健でお過ごし下さい。 
( 防大後輩3期:田☆ 君 )







2000年9月17日 11:15

ご無沙汰しております。 Y.T です。 仕事に追われる毎日を過ごしております。
いつも子供たちの面倒を見ていただきありがとうございます。

ホームページ を拝見させていただきました。すごい力作ですね。
画像も豊富で大変楽しみました。
ご来光は良い写真ですね。
また、メールします。 
( 忠泰 君 )







2000年9月17日 17:42

日高

「初めてのお遍路」 読ませて頂きました。

日高 さんがお遍路とはどういう心境の変化なのかな?
という軽い気持ちで読み始めたのですが、読んでいくうちに段段と引き込まれていき、最語まで一気に読んでしまいました。
淡々とつづられている文章に、こんなに感激するとは思いませんでした。

女房が、食事の支度ができたと知らせてくれたのに私が何時までもパソコンの前から離れようとしないので、不審に思ったようでした。
素晴らしい文、有難うございました。  
( 防大後輩3期:淺☆ 君 )







2000年9月28日 22:31

いつもお世話になっています。
日高 様、ご無沙汰しています。
ご丁寧なメールを頂きましてお礼の言葉も御座いません。

先程、足摺岬の金剛福寺から明石寺までの区切り打ちを終え高松に帰って参りました。
前回の巡拝でパソコンのアクシデントの末、すべてのデータを失い、再度挑戦させて頂きました。
長い道中で 日高 様のご苦労が想像を絶するものと再認識致しました。
心から尊敬します。そして自分の不甲斐なさを恥じています。

私は 日高 様の本音で語った手記が好きです。
決して四国遍路を美化するでもなく、自分スタイルの遍路が読む者の共感を得ていると思います。
素晴らしいことです。

日高 様、今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。 
( 香川県の 藤井 さん )







2000年10月3日 10:23

初めてメールをさせて頂きます。お許しください。
感動しながら「初めてのお遍路」を拝見し、プリントしてファイリングいたしました。
実は私:現在還暦を迎え、来年3月に会社を退任し、その直後に「通し遍路」をすべく、
資料を取り寄せている最中に、あなた様のホームページに出会った次第です。
あなた様のホームページに出会わなかったら、山と渓谷社の「四国八十八ヶ所を歩く」を参考に、54〜55日をかける積りでした。
そこで、あなた様とほぼ同じ行程でやってみますが2点だけ質問にお答え頂けないでしょか。

それは
 * 宿泊所に何故お寺の宿坊を利用しなかったのですか?
 * お泊りになった宿泊先には事前予約を入れて望まれたのですか?
以上、お手すきの時にお返事を頂けたら光栄です。  
( 歩きお遍路 佐伯 さん )







2000年10月03日 16:15

佐☆ さんへ、 初めまして 日高 です。 「e-Mail」ありがとうございました。
拙作のホームページ を 読んで 頂き 感謝致します。

以下、 ご質問にお答え致します。

?* 宿泊所に何故お寺の宿坊を利用しなかったのですか?

*宿泊不能なお寺(特に山頂など辺鄙な場所にあるお寺)が多いのです。
*宿泊可能なお寺で、歩きたい距離から考えて宿泊させて欲しいと思い電話で宿泊をお願いしても、
多くのお寺は観光バスの団体客に先に予約で専有され、断られてばかりでした。(5回経験)

*歩き遍路の多くは独り歩きで、他人との同室を了解しても団体客の中には入れてくれません。
従って断られてしまいます。

*体験の為にも是非とも1泊は宿坊に泊まりたいと考えていましたが不可能でした。
縁 が無かったのでしょう。

*そう言う訳で、結局 宿坊には 高野山での1泊だけでした。

?* お泊りになった宿泊先には事前予約を入れて臨まれたのですか?

* 遍路初日(3/10)の 11番藤井寺 での宿泊のところで記述していますように
予約が遅れると変な処への宿泊を余儀なくされ、1日の里程が長距離になり過ぎたり、
後帰りしなければならなかったりする事が生じますので要注意です。
それ以降は 事前に確実に予約して進みました。

* 宿泊の予約は 今夜、明晩、明後日の晩までの宿泊場所を確保しておく(3泊分)と安心です。

*そのためには
@、4日間くらいの「天気予報」の確実な見通し、、
A、遍路道の状態(平坦か、山道か)、
B、身体の状況、
などを 勘案して歩く行程を割り出し、 3日〜 4日 後まで 詳細な 「遍路計画」 を立案しておきます。

*予約は歩きの途中、公衆電話から 午前中に行いました。(相手の宿の方が割と暇そうな時間)

*予約時は 年齢、男性、独り歩き遍路、自宅又は携帯の電話番号、
相部屋OK を報告してお願いしました。

*部屋代、食事の有無、朝食の時間(遅い場合、朝食を断ることあり)、等を聞いておくと良いでしょう。

*宿泊を CX する場合や 到着が遅くなりそうな時(16時以降)は事前に電話連絡する。

*出来るだけ 朝は早く出発し、15時くらい迄には 到着出来るように計画しました。
身体の整備、洗濯、その後の計画や記録とり など 就寝までにやることが一杯一杯あります。
早い就寝も大切です。

以上気づいた事を書きました。 また 何かありましたらいつでもどうぞ連絡を下さい。








2000年10月5日 22:43

お元気ですか。
遅れ馳せながらホームページ見ました。
想像もつかない厳しさを良く耐えられましたね。
盛り沢山のページすばらしいと思います。
またお伺いします。  
( 防大同期2期:三☆ 君 )







2000年10月7日 15:10

日高 さん お久しぶりです。 西☆ です。

早くメールをと思いながらついつい遅くなってしまいました。
しっかりと見させてもらいました。
なかなか見事なホームページでしたよ。
やるもんですね。それと88ヶ所を踏破とは お見事です。
だれかれの真似ができないことです。
成就した時の満足感は何物にも勝ると思います。
人生何事にも挑戦ですね。年を意識していては何も出来ませんよね。
それではまたご機嫌よう! 
( 空自先輩空幹3期:西原 さん )







2000年10月18日 15:49

益々ご活躍のこととお慶び申し上げます。
突然で恐縮ですが、爺さんとのご縁で、日高 さんの先輩にあたられる方と繋がりが出来ました。

私の勤務していた会社の先輩である副社長が 日高 さんの先輩に当たる 高橋久夫 様の 知り合いだ と言う事が分りました。
副社長の名前は 勝☆修 さんと申しまして、出雲の出身であり、高☆ さんは 高校の同期生だったそうです。

日高 さんの韋駄天遍路について、こんな凄い人がいますと、日高 さんのホームページアドレスをお知らせした所、
実は俺の同期生がJDA 出身で三菱重工にいたよと言う話で、問い合わせた所、日高 さんを良くご存知だと言う事が分りました。

勝☆ さんは私が現役の当時大変お世話になった方です。
私達は日頃会社のOB会でよく出歩きますが、勝☆ さんとはパソコンメールの連絡が頻繁で、写真や文の遣り取りで楽しんでいる間柄です。
特に私の遍路行についても何時もお褒めに預かるような事で 日高 さんのホームページに感心し、以前四国を回ったことのある人が入院されていて、
お見舞いに 日高 さんのホームページをプリントして持参され大変喜ばれた事も聞いております。
突然で恐縮でしたが是非お知らせしておきたかったものですからこのようなメールを差し上げました。

昨日手紙で頂いたメールのコピー文をご参考に添付しました。
( 歩きお遍路の 大村 さん )







2000年11月9日 20:14

はじめまして 日高

四国へんろ編集部の 増☆ と申します。
四国遍路の記録が実に簡略にまとめてあって驚かされます。
小生如き若僧が申し上げるのもおこがましいものがありますが、日高 様のこころの変遷が辿れるようで、
コメントの一言一言を興味深く読ませていただきました。

一点(複数ヶ所)だけ、修正されたほうがいいと思うところ。
遍路は、お大師さまを慕ってのものです。 「大師堂」と表記すべき部分が、「太子堂」となっているようです。
それにしても 日高 様の健脚ぶりには圧倒されます。
小生は、理由あって区切り打ちで歩いておりますが、普通のお遍路さんが歩ける距離の半分あるいはそれ以下しか歩くことができません。
藤井寺から焼山寺などは、途中柳水庵にお世話になって
しかも 焼山寺宿坊 にお世話になるという山越え二泊三日という行程でしか進めないのです。

そういう者から見ると、日高 様の健脚ぶりには 舌を捲くというよりは、もう雲上人を拝ませて頂くようなものです。
小生は、スローペースでしか歩けない申し訳なさもあって、奥之院、別格、番外、すべての霊場を回ることにしています。
よって区切り打ちトータルでおよそ100日以上かかるものと思っております。
こうして多くの先輩歩き遍路の皆様の 記録を読むと、その皆様方すべてが自分が歩いているとき、
一緒に歩いて下さっているように思われるひとときが何よりもありがたい一瞬間であろうと思っております。

それでは。          合掌叩頭  
( 四国へんろ編集部の 増田 さん )







2000年11月16日 22:43

お遍路紀行を読ませていただいております。
現在私53番円明寺までの納経ですがそのうち 日高 さんと同じ宿が結構あります。
もちろん何日目かは小生がかなり遅くなっていますが。同じ宿に関する感想を送ります.

まず一番目は「ふじや旅館」
日高 さん1泊目ですが小生は2泊目です。
(正確には1泊目はバス車中となりますが 日高 さんはJR、私の最初は名鉄の臨時バスです。2回目以降はJRバスですが。)
私の場合は病人がいるから素泊まりならばといわれ泊まりました。
おじいさんの体が不自由でリハビリされてましたが今は全快されたことでしょうか。
町まで30分程歩いて食料の買出しに行きましたがあいにくその日は日曜日でインスタント食品とパンのみしか入手できなかったことを覚えています。
そして宿に戻り食堂でカップヌードルつまみのビールを飲みました。(ビールだけはあるからと宿の母さんが出してくれました。)
またこの宿の息子が音楽好きで夜中まで仲間と離れの部屋で演奏していました。
暑さとこの息子のおかげで眠れなかったです。翌日朝5時半に焼山寺へ出発しました。

二番目は「民宿金子や」
ここの食堂ではじめてお遍路さん仲間と一緒に食事をとり話をしました。
このお遍路さんと鶴林寺・太龍寺の遍路ころがしを同行しました。
この御蔭で無事納経できたとおもいます。
昼食のおにぎりを宿に頼みましたが焼きおにぎりでたいへんおいしかったです。感謝感謝です。

三番目は「民宿とくます」 
実はこの500M前の「ロッジ尾崎」に電話したのですがサファーで満員とのことでした。
なるほど宿の前は水平線のみえる太平洋で絶好の波でした。
「とくます」にもサファーが宿泊しており私が起きた5時半には既に太平洋につかっていたようです。

四番目は「ホワード」
日高 さんと同じ素泊まりで「ふじや」と違い食料の買出しは近くにコンビニがあり楽でしたが、部屋は同感、同感です。
ここは旧道に面しており遍路道から少し奥まっておりキョロキョロ探しました。
「翌日お祭りがあり、この家から嫁いだ娘さんが明日は来るんだ。」といって気さくなる奥さんは喜んでいました。
お祭りはこの界隈ではかなり有名で子が授かるご利益があるとのことでした。

そうそう日高 さんと同様、近所のおばあさんのお接待だとたくさんの巾着をみせられ、そのなかから青い巾着をいただきました。
この巾着、いまも四国に同行しています。

五番目は「うすき旅館」
ここは私ひとりの泊まり。
宿の主人は高知県の麻薬防止委員(呼称正確ではないです)をやられてみえ、こんな田舎にも麻薬がとびっくり。
萩原健一(ショウケン)の写真があり昔ここで泊まったことを楽しそうに話してくれ、足摺への遍路道は やはり日高 さんと同じようにアドバイスをうけました。
朝タオルの接待をうけたこと、持参タオルが少々くたびれており非常に助かりました。
「うすき旅館」の前にあるホテル風の宿を娘さんが経営されているので将来はすごくかわるでしょうか。

六番目は「民宿旅路」
ここも私ひとりの泊まり。
日高 さんと同じく「民宿くもも」に寄り、宿を予約し、雨に濡れて「民宿旅路」に到着。
そして缶ビールの接待全く同じです。
宿の親父さん、昔は漁師さんで室戸の沖まででかけたそうです。
この親父さん腰をかがめ2階に食事を運ぶよとのこと。
その必要ないと1階で親父の話を聞いて食事。
宿予約時奥さんが魚は大丈夫かと聞いてくれたが、これは前も先もなかったこと。
マンボウがうまかったです。
洗濯物が乾いておらず帰りに寄ることに決め出発しょうとすると親父さん、ちょつと待て、「カカァが弁当作っているから。」と云われ、しばらく待つ。
そして「民宿旅路」の奥さんに30分程遍路道を案内してもらう。
足摺の灯台の見える公園で弁当。5種類の寿司弁当。いつ作ったのだろうか本当に感謝・感謝。
帰りに寄って洗濯物をもらい冷たい飲み物の接待をうける。
かえりは徳島からの遍路君も一緒に「民宿旅路」による。

七番目は「民宿くもも」
久しぶりに泊まり客大勢。
ここは39番への人と40番への人と様々であり、1階での食事は賑やかでした。
ここでも昼食にでかいおにぎりを接待にいただく。
足摺の人がとても印象に残っています。
この地域は携帯が使えずこまる。明日の宿予約出来ずもんもんと寝る。

八番目は「高橋旅館」
ここも私ひとりの泊まり。
私ひとりで悪いですねといったら心配ないよとの答え。
これをきっかけに親父さんと話こむ。NTTに勤めていたよと教えてくれた。

以上8宿ですが結構多いと思います。
これから53番以降は日高 さんの遍路道をたどりますので更に多くなるとおもいます。


最後に日高 さん一押しの66番ふもとの「民宿岡田」のご夫妻NHKの88ヶ寺に出ておられるのを、収録しておいたビデオで見ました。
いい人でした。  
( 三菱友人で歩きお遍路の 伊藤 さん )







週刊へんろ 第65号----2000-1-31


「 歩 く 」 (岐阜県・種村 さん・47歳 2000/12/29)

歩く、歩く
 一歩づつ確実に目的地に歩く
 一歩あるけば、必ず目標に40Cmは近づく

歩く、歩く
 腰が膝が悲鳴をあげ始める
 堪えると体が左右に揺れる
 苦痛を心で押さえ込む
 押さえ込んでも肉体は変わらず悲鳴をあげ続ける

歩く、歩く
 何のために歩いているのか疑問が突き上げてくる
 行先が私にはあるのだとねじ伏せる

歩く、歩く
 いつも何も出来ない私でも
 歩くことは出来る、
 人として基本的動作だ

歩く、歩く
 もう止めたらどんなんだと
 悲鳴をあげる肉体が懇願する
 車など文明の力があるではないか
 何故に歩く必要などあろうかと誘惑する

歩く、歩く
 その文明そのものが腐敗し
 悪臭を垂れ流しているんだ

歩く、歩く
 体を左右に揺らせながら
 体を引きずるように
 明日も、そのまた明日も 歩く

歩く、歩く
 冬だというのにこの暑さはなんだ

歩く、歩く、歩く

歩く、歩く、歩く、歩く

歩く、歩く、歩く、歩く、歩く

歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く








2001年3月27日 4:16

日高 さん  メールでしか存じ上げない 佐伯 です。
愈愈、四国巡礼行脚の旅への出発の朝を迎えました。
周到に計画・準備をしてきた積もりですが、やはり不安が一杯です。
そこで、あなた様の手記を持参し、
道中の励みにさせて頂きます。
ありがとうございました。
結果報告が、できればいいが・・・とも考えております。----------
( 歩きお遍路の佐☆ さん )







2001年3月27日 6:45

佐☆ さんへ   日高 です。
今朝は 少し寝坊して06:30に起き出した処で、貴方の「E-mail」を受信しました。
ご出発前に 届きますように 祈念しながら急ぎ発信します。
長い旅ですから どうか気長に頑張って来て下さい。
必ず 貴方の心の中に 素晴らしい 遺産が築かれます。

「人生 即 遍路」 苦しさに うち勝った人は人生の進路に 光明が照らされる事絶対です。
どうか苦しさに耐えて結願の日を迎えて下さい。
朗報を待っています。

私は今秋に再度 苦痛を楽しみたいと計画中です。
奥の院が素晴らしい気持ちで 貴方を迎えて呉れます。
無事の結願を祈念します。  








2001年3月27日 7:14

日高 さん  朝の早い時間への返信に、感激致しております。

このメールもプリントして、肌身に付けて歩かせて頂きます。
ありがとうございました。 感謝 感謝   
( 歩きお遍路の 佐☆ さん )







2001年4月26日 ( 封 書 )

拝啓、 目に新緑がしみる侯となりました。

益々 元気 一っぱい のことと存じます。
昨年の 6月12日 に送って いただいた 「四国霊場八十八ヶ所独り 歩き 通し 遍路の旅」を 本日 一年越しでやっと読みました。

感動でした。

  《 パソコン のトラブルで 「E-mail」 添付のファイルが開けず、今日まで 体験記録を 読めなかった理由について 縷々 詳細な 記述 あり。》

一年 がかリで 読んだ いきさつが くどくどと長くなりましたが、貴兄の 記録は 一年がかりで読むに 充分の 価値がありました。

約1,200km を 約1ヶ月で 歩き通したのは勿論 すごいけれど、 疲れ果てての毎日だろうに、いらだち とか 腹立ち とかが ぜんぜん見受けられない。

それどころか コーヒー1杯に 心から感謝し、15回目の 歩き 女へんろに 恐れ入り、 手押し車での野宿へんろに感じ入る。

朝3時半 に起床し、出発したり、夫婦岩では両手を 吸盤のようにして 暴風雨に立ち向かったり、
94歳のおじいさんに 呼び止められて お接待を受けたり、そして結願 できずに 途中で倒れた昔のお遍路さんの苦労を想い、今は なんと恵まれているかと感謝する。

七子峠 への途中での 空き家を 額縁のように見立てて 生け花を かざり、掛け軸をあしらった家の眺めに 素晴らしかったと感動する。

そして なんと云っても、歩きながら 疎開していた頃の今は亡き 叔父さん、叔母さんと いつの間にか昔にかえって 声をだして話していたと云う 不思議な体験は 圧巻で、小生も読んでいて 涙がでた。

「 人生 即 遍路 」

歩きはじめの頃は、梅が満開で ウグイス が鳴きはじめたのが、終わりの頃は 桜が 満開でウグイス が美しく上手に 鳴き競うとある。

本当に よくやったね。

達成感 万歳 !! 感動 を ありがとう。 敬具
日高 
          平成13年4月22日        
( 防大同期2期:庄☆ 君 )







2001年5月8日 7:55

日高 さん  無事帰りました。

たくさんのお接待のお蔭をうけ今朝6時夜行バスで無事帰りました。どうもありがとうございました。

とりあえず報告させていただきます。 

計画では根香寺でしたが足をのばし84番屋島寺まで打つ事ができました。
いまから会社に行ってきます。ではしつれいします。  
( 三菱友人で歩きお遍路の 伊藤 さん )







2001年7月3日 3:37

「ホームページより」

はじめまして、こんにちは。
歩き遍路を決意してからちょくちょく覗きにこさしてもらってました。
私は母と、7日の朝(土曜日)に1番霊場を出発しようと思っています。
予定している行程はほぼ日高 さんと同じです。
でも、日高 さんは普段から運動されているようなんで、私にはきつくはないかと心配しています。
私は心の病気にかかってからというもの、約1年間まともに運動したことがありません。
今年の2月の頭からは外に出れなくなってしまいずーっと家にいました。
2度ぐらいしか外に出てません。
それを克服しようという目標で、歩き遍路を決意したんですが、私にできるのかどうか不安で不安でたまりません。
険しい山道なんていうのが結構あるみたいなんですが、どれぐらい険しいんでしょうか?
やっぱりやめておこうかな・・・なんてかなり弱気になってしまっています。
よければお返事もらえるでしょうか? 楽しみにお待ちしてます。
では、暑くなってきたのでお体に気をつけて。      
( 歩きお遍路の りょうこさん )







2001年7月03日 8:24

Re: 「ホームページより」

お早うございます。 愛知県小牧市の 日高 です。
ホームページから何かの参考を得ようとして 訪問して下さり有り難うございます。
お尋ねの件 私の体験からの返答 参考になればうれしいです。

私の場合も 急に思い立ち 決心の変わらない内にと計画を進め 徳島行きのバスの切符を買いに名古屋駅まで出掛けました。
迷わず第一歩を踏み出されるのがよいのではないでしょうか。

7日は小暑。
梅雨の最後の荒れ模様や暑い日々が前途を邪魔するでしょうが、天候と親しく、仲良しになって
「晴れて良し、雨で良し」でいつも「南無大師遍照金剛・同行二人」を唱えながら、
また民謡や演歌など口すさびながら一歩一歩前に足を運んで下さい。

其の一歩一歩があなた達親子に達成感・満足感を与えてくれますよ。

また、7日の朝、お遍路の第一歩を踏み出される計画の由、当日は「先負」ですから午前中出発は最高じゃないですか。

思い立たれたのです。
悩むのは実行に移した後にしましょう。 親子連れならこんな心強い事はありません。
「心の悩み」も、きっと両足のマメの痛さが強ければ強いほど薄らいで仕舞うこと間違いありません。

お遍路の良さは途中の苦しみを乗り越え、耐え凌いだ後に残る思い出だと思います。
私も 1200km余の長距離を歩いて苦しんだその刻々を鮮明に思い出します。
それが懐かしくて また秋(9月下旬から)くらいに四国に行く計画を立案中です。

どうか 無事に結願される事を祈念しながら[朗報]を待っております。






- 以上 -


『 初めてのお遍路 』 を ここまで 読み進んで こられた 貴方に感謝の気持ちを 申し上げ、

の歩いた 四国霊場 八十八ヶ所 初めてのお遍路 の 旅 について 少しでも 理解 して 頂けたら幸いです。











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