(平成14年05月22日 作成)
(平成275年07月09日 更新)




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ま え が き


名古屋から徳島へ (3/06)


遍路初日(14/3/07) 2日目 (3/08) 3日目 (3/09) 4日目 (3/10) 5日目 (3/11) 6日目 (3/12)
7日目 (3/13) 8日目 (3/14) 9日目 (3/15) 10日目 (3/16) 11日目 (3/17) 12日目 (3/18)
13日目 (3/19) 14日目 (3/20) 15日目 (3/21) 16日目 (3/22) 17日目 (3/23) 18日目 (3/24)


19日目以降の後段へ







@ ま え が き




2 年前の 平成 12 年 に体験した 「初めての歩き遍路」 は、なんとなく 安易な思いつきで、綿密な計画も立てないまま四国へ出かけてしまい、幾分 後悔もしながら歩き続けて どうにか 「結願」 までこぎつけることができました。
ただ、先人たちからみれば 「お遍路をしてきた 」 なんて おこがましく云える内容ではない事は確かだが、八十八ヶ所を順を追い、四国・四洲、1,200km 余の遍路道を初めて隈なく歩いて踏破できたことは、今も自分の過去に一つの大きな 感動の泉 として残っております。
[ 霊山寺 ] を出て僅か3日しか歩いていない 平成12年3月12日、 18番 [ 恩山寺 ] から 19番 [ 立江寺 ] に向かって痛む足を騙しながら少しでも前へと歩いて、やっと [ お京塚 ] の手前に来たとき、遂に往くも 帰るも一歩さえ踏み出せなくなった あの時のことを今も鮮明に憶えております。
あれほどの苦痛は、肉体的にも 精神的にも自分には過去に経験したことのない体験でした。
恥も外聞も捨て、お遍路を止めて家に帰るか、ここに留まって歩けるようになるまで待つかと苦悶したあの時、
 「足が痛いくらいで死ぬことはないんだ。 俺は航空自衛隊や三菱重工で戦闘機のテストパイロットとして最近まで飛び続け、世の中で最も危険と思われている仕事に従事しながらも 今日まで無事に生きてこられたのだ。 今でも [ 死 ] が 何よりも怖ろしくて いやだ。 その [ 死 ] と云うことがないんなら、ここまで来たんだから残された道は 少しずつでも歩き続ける しかないじゃないか。」
自分に対するこの結論が出るまで、道端 に座って過ごした時間は随分長かったことを今も思い出します。
四国を歩いた人は 「 是非もう一度 来たい。 また四国を歩いてみたい。」 と云ういわゆる、「しこく病」、「 お四国さん 」 になってしまう人が多いと聞いていました。  しかし、自分には決してそんな事は起りえないと信じ、またその通りに本日に至っております。
ところが、月日の経過と共に毎日のようにウグイスの鳴き声を聴きながら歩いた、いや歩き通せた充実感、満足感、歩かせて頂いた感謝の気持ちなどが何時しか自分をもう一度四国へと誘いだし、あり得ないと思っていた四国の旅に、今回 再び出発する事になってしまったのです。 自分でもまったく不思議な気持です。
再び、四国に来て徳島 から歩き始めてみると、たくさんの方々との素晴らしい出会いから始まり、最後の日まで想い出いっぱいの出会いを楽ませて頂きながら歩くことができました。
そして 2年前とはまた違った充実感、満足感を得て 「 結願 」 することができました。
2年前の「初めてのお遍路」で、[四国のみち] を歩いていると地元の方々は勿論、各地方から来られた日本人、多くの外国の人などそれはそれは多くの方とのいろんな出会いがあることを知りました。

今回、平成14年3月7日から4月12日まで、約1200km余のへんろ道を、36日間、177万歩で巡った 通し歩きお遍路のあり様を
     『 出会いのお遍路 ( 平成14年春 )
と 題して 多くの方々との出会いを中心に紹介させて頂きます。 独断で偏見のある部分はよろしく見過ごしてください。

   * 距離計算などは [へんろみち保存協力会] の資料を参考にしております

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A 遍 路 日 誌

[ 四国霊場の図 ]


☆ 名古屋発徳島へ (H14,03,06 水 昼間快晴でも徳島の夜は寒く時雨れる) 『 お別れの サッカー 』


* 行程 : 自宅 ⇒ JR春日井駅 ⇒ JR名古屋駅バスターミナル (23:30) ⇒ JR徳島駅


* 宿泊 : 高速バス車中泊


娘の祐子と孫の一皓君(小学校1年)、陸人君(幼稚園年中組)を招いていつものように家内の手料理を囲んで家族5人で夕食。

孫たち2人の旺盛な食欲に今夜もみんなが驚かされる。 娘婿の忠泰君は社用で横浜に出張していて残念ながら不在。

こんな雰囲気で賑やかに食事ができるのもしばらくの間 お預けになる。

孫たちも私が居ないと、ババは体力的にも対等に遊んでくれないので 元気盛りの彼らにとっては面白味がすくないので来たがらなくなるのではないだろうか。

だから彼らにも、しばらくの間 退屈なさみしい日が続くことになるだろう。

ババの得意な美味しい食事をみんなですますといつもの様に 一皓君と陸人君を相手に、一方は居間の本箱を、一方はリビングのドアを ゴールに見立ててビーチボールでサッカー遊びをする。

時たま天井のライトやテレビの上の時計などに当たって大きな音を立てて落っことしたりもする。 

ヂヂとする [ 勝負 ]  (孫達がウルトラマンになり、 [爺] が怪獣になってのミニプロレスごっこ ) と並んでヂヂの家に来ての孫達の一番興味のある遊びだ。

自分の家では階下や隣への騒音で やらせてもらえない。 時々2人が

  『 ヂヂンチニ アソビニ イッテモ イイ ? 』

と電話してくる最大の理由でもあり、彼らのストレス解消手段なのだ。

しかし、反面 我が家には 騒音が移動して来ることになり、時には激しい兄弟喧嘩に発展することもあるので、これだけはババに歓迎されない。

ババやママの見ている前で上手になったことを見せびらかすように、今夜の2人はいつもより元気に いつまでもビーチボールを蹴る。

こっちもつい本気になってしまい汗ばむまでやってしまう。 

そしてもう一つはヂヂが右腕を鉄棒代わりにして彼らに逆上がりをさせるのだ。

右肘を腰に付けて下腕を水平にして力をいれて立ち鉄棒代わりにして逆上がりをさせる。

彼らには鉄棒より太くて握りにくいのでやりにくくてなかなか回りきれない。
お尻を押してやって回転を加勢してやるとやっと回りきれる。

こうして幼稚園や遊園地の鉄棒で覚えた逆上がりの要領でヂヂの右腕でも逆上がりの形ができるのだ。
うまく回りきれるとヂヂが一番うれしいがるのを孫達が知って手助けしてくれるのだ。

最近は成長して大きくなってきた一皓君にやらせるのはヂヂの体力では不可能になってきたので専ら弟の陸人君にやらせ以前の一皓君と同じように少し後押ししてやるとうまく回りきり、みんなと楽しい時間を過ごす。
そしてヂヂの趣味の筋トレにもこの運動は役立ち満足感を貰えるのだ。

明日から暫く 一緒に遊べないので、出発ぎりぎりまで 2人と楽しいひとときを過ごす。


ババに急かされ、四国に持っていく荷物に忘れ物がないか最後の点検をして確認する。

それでも何か忘れ物がありそうな気がして不安は残る。

しかし、前回整理しておいたメモをチェックリストにして 確認できるので安心感は大きい。

2月11日、高蔵寺駅で購入した 23時30分、 「 名古屋駅バスターミナル 」 出発の深夜特急バス 「 オリーブ松山号 」 の切符 ( 10番A席 ) をもう一度確認する。

出発日を今夜に定めたのは前回と同様 3月初旬で日柄を考慮し 、[ 大安 ・ 啓蟄 ] の今日に決めた。

旅立ちに最適の [ 大安 ] と 冬ごもりの虫声を啓くと云う [ 啓蟄 ] とが重なった今日は、66歳の [爺] がお遍路に出発する最適の日柄といえる。

前回はわざわざ名古屋駅のバスターミナルまで出向いて切符を購入したが、最寄りのJR駅でも購入できる事を知り、今回は近くの高蔵寺駅で購入した。

後で得た情報ではすぐ近くの 「 ピアーレ 」 内にある 「 近ツリ 」 でも購入できるそうだ。

22時20分、娘の祐子が 運転する車に一皓君と同乗し、JR春日井駅まで送って貰う。

荷物は リュック と ウエストバッグ、それに100円ショップで買った 手提げバッグ の3個に纏めた。

リュックは背負い、ウエストバッグは腰に着け、手に持つものは手提げバッグだけとし、置き忘れをしないための前回の改善事項だ。

弟の 陸人君は 通園する幼稚園が ババの家から至近距離なので、今夜はババと2人で寝て、明朝ここから通園することにしたのだ。 本人は

  『 オニイチャンハ ガッコウガ アルカラ トマレナイノニ (*小学校は自宅からでないと遠くなるため) ボクハ ヨウチエンダカラ トマレル。 ヤッター。』

と大喜び。 パジャマ姿でエレベーターの前までババと一緒に出てきて

  『 ヂヂ バイバイ。 』

と見送ってくれる。

春日井駅前で車を降り、振り返ると一皓君が助手席の窓を開けて顔を出し

  『 ヂヂ、イッテラッシャイ。 ハヤク カエッテ キテネー。 』

と両手を振りながら大声で送ってくれる。

23時10分 「バスターミナル」に到着。 前回はここで 入れ歯を家に忘れて来たことに気づき 大慌てするも為すすべもなく出発したことを思い出す。

バスは定刻にターミナルを出発、一宮バス停で 5、6名のお客を拾ってほぼ満席となり、間もなく照明も暗くされ、一路四国徳島に向かって走る。

隣席の人に迷惑なことだが、風邪気味のため時々腹の底から吹き出すように出てくる咳を、音をさせないように発散するのに苦労するがそのうちに寝入る。

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☆ 遍 路 初 日 (H14,03,07 木 晴れて暑い1日) 『 歩きお遍路は 徳島駅から 』


* 行程 : 徳島駅 ⇒ (15.0km) ⇒ 1番 霊山寺 (りょうぜんじ) ⇒ (1.2km) ⇒ 2番 極楽寺 (ごくらくじ) ⇒ (2.5km) ⇒ 3番 金泉寺 (こんせんじ) ⇒ (4.3km) ⇒ 5番 地蔵寺 (じぞうじ) ⇒ (1.8km) ⇒ 4番 大日寺 (だいにちじ) ⇒ (7.3km) ⇒ 6番 安楽寺 (あんらくじ) ⇒ (1.0km) ⇒ 7番 十楽寺 (じゅうらくじ) ⇒ (4.2km) ⇒ 8番 熊谷寺 (くまたにじ) ⇒ (2.4km) ⇒ 9番 宝輪寺 (ほうりんじ) ⇒ (2.6km) ⇒「民宿 坂本屋」


* 距離 : 42.3km = (Σ42.3km)

* 歩数 : 57,900歩

* 宿泊 : 「 民宿坂本屋 」 (徳島県阿波郡市場町)


深夜に名古屋駅前のバスターミナルを出発したJRの特急深夜バスは 5時少し前に [ 徳島駅 ] に到着。 駅前は照明も暗く 意外と寒い。 寝不足で身体も 少しけだるい。

駅待合室 に行き、歩き支度に着替える。 

前回は板東駅へ向かう1番列車が出るまでの約1時間の待ち時間が寒くて耐え難かったので、今回は 徳島駅 から 1番札所の [ 霊山寺 ] までの約15kmも歩き、お遍路の行程の中に組み入れて遍路の計画を立ててきた。


少し肌寒い程度に身支度を整えて 05:15 徳島駅 を右廻りに出て出発。

外はまだ暗く、空には所々に星も見え、後方の南南東の空には白く大きな右弦の月が寒そうに光っている。

しばらく歩いて行くと 吉野川 にでる。 まだ暗くてきれいな川の流れをじかに見ることは出来ない。

[ 吉野川橋 ] は車専用の橋の左側に併設された人と自転車の専用の橋を渡る。 

巾が狭くて少しゆれて囲いも無いので左から吹き上げてくる冷たい氷雨混じりのつよい風に左頬が打たれて痛い。 

歩いて汗をかいた躰もしんまで冷えてしまう。 橋は約 1km の長さがある。

歩いていくと左側の校舎らしい建物の窓に

   [ 祝 甲子園出場 ]

の垂れ幕が張ってある。 朝の散歩中の人

  『 すいません。 あの学校は何という学校ですか? 』

と尋ねると

  『 鳴門工業です。 春の選抜に出場するんです。』

とのこと。 あっ そうか、間もなく春の選抜高校野球 が始まるんだ。

  「 おめでとう。 力いっぱい頑張れよ。 俺も今日から頑張からな。 苦しくても負けないぞ。 」

心の中で声援をおくりながら通り過ぎる。 いよいよ 1200km 余りの通し歩きお遍路 のスタートを切ったのだ。

  * 鳴門工業高校は順調に勝ち進み、遍路の途中 4/5 見事に準優勝に輝いた。 おめでとう。 これも素晴らしい出会いのプレゼントだ。 ありがとう。

7 時過ぎ、進行方向正面の西の空に半円のきれいな虹が出ているのに気づく。

  『 霊山寺 はこの道を行けばいいのですか? 』

すぐ側を風に向かって腰を浮かして自転車を漕いで通り過ぎようとする中学生らしい 男の子 に尋ねると

  『 この道を行くと右に ローソン の看板が見えてきます。  霊山寺 は そのすぐ先です。』

  『 有り難う。 さっききれいな虹が出ていたね。』

  『 僕も 見ました。』

軽快に応えてくれる。 間もなくさしかかった判りにくい斜め四叉路では彼はわざわざ自転車を降りて待っていてくれて、近くに寄ってきて渡り方と進行方向を教えてくれる。

彼には多分私が手を差し伸べたい老人に写ったのかもしれない。 

それにしても彼のしてくれた行為は冷めきった俺の体に充分なぬくもりを呉れた。 だって冷たい頬に熱い涙が流れたきたもの。

少年が教えて呉れた通り 間もなく右前方に空色の ローソン の看板が見えてきて、その向こうには必ず 1番札所の [ 霊山寺 ] がある事が予想され、何の不安もなく安心した気持ちで歩いて行けた。


この少年が今回の旅の最初の出会いとなった。

名前も何処の中学生かも知らないまま別れたが、これからの長いお遍路の初日に素晴らしい出会いを呉れた君に今でも感謝しています。

親切に気持ちのよい応対をしてくれて本当に有り難う。 有為な人間に成長される事を心から祈ります。

冷たい霧雨のなか、08:35 冷えきった身体で 霊山寺に到着。

  『 いやぁー  霊山寺さん  久しぶりだねぇー。』

懐かし気持がいっぱいで 寺の山門をくぐる。

先ず、本堂内の売店に入って納経帳、金剛杖、輪袈裟を選んで差しだし、八千円近くを支払う。

備え付けの 「歩き遍路者名簿 」 のノート 今日の日時 と 氏名 ・住所 を記入する。 本日の欄には既に5名の記帳がある。

最近 歩き遍路をする人が増えたと聞いていたが、これをみてもそんな様子がうかがえる。

外は明るさを増してきて、天気も回復してきたようなのでもっと薄着の歩き支度に着替える。

上半身は速乾性の肌着 と 白衣 ( ハクエ ) に白手袋の軽装にする。 最初は少し寒さを感じるが直ぐに温まり何時しか汗ばんでくる。

着替えていると高山から来たと云われる男性から出発前に山門の前でカメラのシャッターを押して欲しいと頼まれる。

お互いに納め札を差しだして自己紹介する。 高山から来られた 脇本さん と云う方で70歳とのこと。

出発準備を終えて、本堂、大師堂に参拝する。

今回の歩きお遍路は

  @ 亡父竹次と亡母マツの供養。

  A 長男夫婦の長子安産誕生の祈願。

  B 家族の健康祈願。

  C 高知、松山では同期生故人2人の供養


を祈願する事を主眼にしており、従って参拝手順として自分なりに、

  * 『 南無大師返照金剛 』 ( 弘法大師御宝号 ) を 3回

  * 『閔堅院釋晃照不退居士』 ( 亡父の戒名 ) を 3回

  * 『妙相院釋尼芳照大姉』 ( 亡母の戒名 ) を 3回

  * 「長男夫婦長子の無事安産」 の祈願

  * 「家族の健康」 の祈願


を各札所の本堂、大師堂、その他にお参りして供養・祈願する。

また、早く亡くなった同期の 橋本君 の供養を高知市内で、 岡田君 の供養を松山市内で自分なりにして行きたいと決めて今回は四国に来たのだ。

何時もながら [ 1番札所 ] は多くのお遍路姿の人で混雑している。

参拝後境内を一通り見学して回り、シャッターの約束をした 脇本氏 の姿を見つけ、山門の処へ誘う。 わざわざ待っていて呉れたのかと恐縮される。 

山門右側の [ 霊山寺 ] の寺名の入った柱をバックにしてシャッターを押して記念の写真を撮る。

出発前の姿を写真に収めることができ、よい記念になったと喜んで貰え、うれしい。

   札所で最初に会った脇本氏が隣県の高山からの人だったのに、残念ながらその後再会する機会がなかった.。 無事に結願された事を祈る。


[ 霊山寺 ] を出発する頃には空はすっかり晴れ上がって快晴になる。

途中順調に打ち進み、 8番 [ 熊谷寺 ] の手前ではへんろ道近くにそびえ立つ徳島出身の 「 元首相三木武夫 」 の立像を左に見ながら歩いていく。

  *  打つ とは札所に参拝する事を云い、その昔木製の納め札をお寺に打ち付けていた名残として
     現在もこの言葉が順打ち、逆打ち、区切り打ちなどの表現で使われる。



前回は11番の [ 藤井寺 ] を打って初日を終わったが、今回は徳島駅から歩いて、 [ 霊山寺 ] の出発が遅くなったので 10番 [ 切幡寺 ] の納経も済ますことが難しくなってきた。

  *  納経 は各札所とも朝7時から始まり、午後5時に締め切られ、それを過ぎると入口を閉めて一切受けつけて貰えない。


是が非でも 9番 [ 法輪寺 ] の納経は終わって予約してある [ 切幡寺 ] 前の「 民宿坂本屋 」 に投宿しなければならない。 

法輪寺へ急いで歩いている途中、我慢できなくなり、林の中の廃材置き場の陰で緊急爆撃をさせてもらう。

4時半に [ 法輪寺 ] の納経を無事に終えることができたが、どんなに急いでも [ 切幡寺 ] は今日中に打てない事がはっきりしたのでこれからはゆっくり宿に向かって歩く事にした。

夕食の食卓についてみると、中年の夫婦1組と、3人の女性組み、男性1人と自分の 都合7人が宿泊しており、端に座ってる夫婦は自家用車に乗ってのお遍路で、他の5人はみんな歩きお遍路で、自分を除いて4人は2日目らしい。


足の手入れを済まし、計画を見直して、徳島市内のビジネスホテルに明後日の宿を予約して床に就く。


「1番札所 霊山寺」:
出発する頃には西の空の虹も
消えて 晴れ間が広がる

撮影日時(2002/03/07 08:28)
「2番札所 極楽寺」:


撮影日時(2002/03/07 09:12)
「3番札所 金泉寺」:
金泉寺由来の大師手掘りの井戸が今も残る
覗き込んで井戸に顔が写ればその後3年は
死なないそうだ ぼんやりと見えたみたい
撮影日時(2002/03/07 10:07)


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「大 師 庵」:
金泉寺から地蔵寺の間の
遍路道沿いにある庵
撮影日時(2002/03/07 10:38)
「5番札所 地蔵寺」:
「水琴窟」
耳を澄まして聞くと涼しい音が聞こえる
撮影日時(2002/03/07 11:35)
「5番札所 地蔵寺」:
奥の院の
「五百羅漢」
撮影日時(2002/03/07 11:46)


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☆ 2日目 (H14,03,08 金 快晴で風強く暑い) 『 真崎さんとの 再会 』


* 行程 : 「民宿坂本屋」⇒ (0.5km) ⇒ 10番 切幡寺 (きりはたじ) (H165) ⇒ (12.3km) ⇒ 11番 藤井寺 (ふじいでら) (H140) ⇒ (12.9km) ⇒ 12番 焼山寺 (しょうざんじ) (H700) ⇒ (10.9km) ⇒「植村旅館」


* 距離 : 36.6km = (Σ 78.9km)

* 歩数 : 51,600歩

* 宿泊 : 「植村旅館」 (徳島県名西郡神山町)



同宿の7人と揃って朝食を済ませ、6時40分、宿の前でみんなと別れ 独り昨日打ち残した [ 切幡寺 ] へ向かう。

境内に導かれる333段の石段を一気に上って本堂へ。 大師堂を参拝して直ちに納経を済まし [ 藤井寺 ] に向かう。

県道を横切って真っ直ぐに進み、 [ 中司茂兵衛 ] の開いた川の土手に上がって [ 沈み橋 ] を経由するへんろ道を歩く。

前回は間違って県道の交差点を左折し 3km以上長い車道の遍路道を進んでしまった。

暫く行った処で道が左の林に入って行く分かれ道があったが、遍路案内をしっかり確認しないまま自分勝手に判断して直進し、しばらく歩いた処で畑仕事をしていた老人に近寄って

  『 藤井寺 へのへんろ道はこの道を行けばいいですよね。』

と、つい念押しをする様な聞き方をしてしまう。

  『 あんたさん こっちからでも 行けんことはないけど、 藤井寺 は逆方向だよ。 ( 右を指しながら ) 向こうの辻を こっちへ曲がらんと いかんで。』

さっきの三叉路で左折しなければならなかったことを教えてくれる。

それを自分勝手に判断し直進して、ここまで来てしまったのだ。 私の歩いて来た方向が逆だと云われてもなかなか信じたくない。

誤った判断が私の中に定着しており、雲の中で戦闘機を操縦していてバーティゴ ( * 空間識失調) に入ってしまったときの感覚にも似ている。 

説明を聞いただけではそう簡単には修正できない。

三叉路 を通過する時、道の左側にあった遍路石まで足を運んでしっかり確認しておけばこんな無駄な歩きをしなくて済んだのだ。

でもまだ、不安のまま歩き続けずに、この老人に教えを請うた事で事態が更なる悪化だけは防げたのだ。

バーティゴに入った時はアテチュード・インディケーター ( * 姿勢指示器) を兎に角信頼して、自分の感覚を修正することが戦闘機操縦の基本と学んできた。

そしてこれによって何度か救われた経験もある。

これも 「人生 即 遍路 」 の教訓だ。 基本をしっかりやって判らないときは恥じず、恐れず他人に聞くことが重要なのだ。

教えて貰ったように後戻りして右へ曲がり、2つ目の沈み橋 「川島橋 」 を渡って細いへんろ道を歩いて行くと、 [ 藤井寺 ] と 「 ふじや旅館 」 の間を山側から出てきた。

[ 藤井寺 ] の参拝を済ませ、本堂の左から [ 焼山寺 ] への薄暗い山道へんろ道へと入っていく。

びっしょりと汗をかいて約300m上った [ 長戸庵 ] に着くと昨夜隣の席で食事をしていた女性が汗の着替えをしながら休憩してるのに出会う。

再会の挨拶をし、初めての自己紹介をし合う。

習志野市 から来られた 真崎さん と云い、カラーの顔写真が入った名刺を頂く。

日常生活の中にパソコンを活用しておられる様で、名刺もパソコンで 自作したと云われる。 

女性にしては随分高いレベルのようだが、ホームページはまだ開設されていないようだ。

[ 長戸庵 ] の参拝を済ませ、昼過ぎに [ 柳水庵 ] に到着すると、さっきの真崎さんが庭先の石に腰を下ろして休んでいる。

今夜の宿はこの [ 柳水庵 ] に予約してあるが、まだ早いのでここで待っているのだと云う。

自分はまだ残り 15km も歩かなければならないので、

  『 先を急ぎますので失礼します。』

と云ってお互いの健闘を約束して別れる。

[ 焼山寺 ] ( H700 ) の近辺には梅の木が多く既に盛りを過ぎて色あせた白い花が 残り香を臭わせている。

今日も早朝から歩いて行く先々でウグイスが鳴いて疲れを和らげてくれる。

[ 一本杉庵 ] を通り、薄暗い深山の中を汗を流して辿り着いた [ 焼山寺 ] の感慨は、前回にも増して特別な何かを感じさせてくれる。

[ 焼山寺 ] への道は 「 へんろころがし 」 と呼ばれて、四国八十八ヶ所歩きお遍路のなかで最初に遭遇する極めつけの難所であり、標高も 66番 [ 雲辺寺 ] (H910) 、 60番 [ 横峰寺 ] (H740) に次いで高く、遍路道 も 嶮しい山道 の連続です。


梅の林を通り抜け [ 杖杉庵 ] に出ると覆い被さったいた樹木も無くなり、明るい世界が広がる。

そして、鍋岩から阿野の 「 植村旅館 」 への途中、「 玉ヶ峠 」 ( H460 ) を越すコースは 3通り あるが、そのうちの山越えの短いコースを選んで進んだらこれが大失敗。

小規模な [ 焼山寺 ] 越え のような登り下りの険しい細い山道で、雑木が繁茂して歩き難く、痛む足と疲れた身体には過酷な試練となった。

疲れ果て、遅れに遅れて 「 植村旅館 」 に到着した時は同宿者の2人は夕食を食べ終わった処で、奥さんにお願いして先に風呂に入らせて貰う。

疲れた身体を湯船に浸しながら見ると足の裏には大きなマメができており、両足の親指の爪も盛り上がり、全体にまるく腫れあがって、明日からの歩きが心配になってくる。

今日は、雲一つない快晴で 風も 日射しも強く、歩き疲れのする一日だった。



「中司茂兵衛の碑」:
沈み橋手前の川土手に建つ

撮影日時(2002/03/08 08:04)
「11番札所 藤井寺」:
本堂天井に描かれた大迫力の雲龍の顔
地元出身の林雲渓作で30畳の大きさで迫力がある
撮影日時(2002/03/08 09:45)
「長 戸 庵」:
藤井寺から300m登ったさみしい場所に
ぽつんと建つ庵
撮影日時(2002/03/08 11:18)


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「柳 水 庵」:
藤井寺と焼山寺の中間にあり
3〜4名まどの歩きへんろ客が泊めて貰える

撮影日時(2002/03/08 12:43)
「大 師 像」:
一本杉庵では疲れて登って来た
お遍路さんを大師像がやさしく
出迎えて呉れます
撮影日時(2002/03/08 13:32)
「大師と衛門三郎の像」:
杖杉庵には衛門三郎のお墓があり
その前の道路沿いにこの像はある

撮影日時(2002/03/08 15:49)


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☆ 3日目 (H14,03,09 土 快晴で日射しが強い) 『 常楽寺での 思いやり 』


* 行程 : 「植村旅館」⇒ (11.1km) ⇒ 13番 大日寺 (だいにちじ) ⇒ (2.3km) ⇒ 14番 常楽寺 (じょうらくじ) ⇒ (0.8km) ⇒ 15番 国分寺 (こくぶんじ) ⇒ (1.7km) ⇒ 16番 観音寺 (かんおんじ) ⇒ (2.9km) ⇒ 17番 井戸寺 (いどじ) ⇒ (7.3km) ⇒「ビジネスホテル 近藤」


* 距離 : 26.1km = (Σ 105.0km)

* 歩数 : 40,900歩

* 宿泊 : 「ビジネスホテル 近藤」 (徳島県徳島市西大工町)


同宿の男性2人と一緒に朝食を食べながら、遅くなった昨日の歩きについて色々と聞かれる。

2人共 元気満々といった感じで少し気後れを感じる。

一人は千葉県 から来られた75歳の 左三川さん と云い、もう一人は 熊谷さん と云う。

靴敷きを取り出し、紐を全体的に弛めてもまだ膨らんだ足には全面からの圧迫感を感じる。

こんな事では今日の歩きが先ず心配だし、明日からの続行も心配になってくる。

リュックを背負う前に、靴の中で足を慣らし、外に出てみると山間の中で上方には快晴の空が見える。 家の前の水たまりには薄い氷が張って筋状に光って見える。

「 植村旅館 」 を出発する時、丁度 2人が 2階から降りて来る。

  『 一足先に出発します。 また後で会いましょう。』

2人にひと声をかけて出発する。 時計は 6時40分。

川沿いの道左側にはサクラ色の布で出来た 「阿野のさくら祭り」 のフラッグが並んで 風に吹かれている。

薄着で出発して、身体がまだ温ってこないので少し肌寒い。

広野の町中を歩きながら妻に経過を電話する。 初めて持参した携帯電話の使い初めだ。

何とか無事に連絡出来たので少し安心する。

9時半、 [ 大日寺 ] に着く。 前回は2日目の3時過ぎ、氷雨混じりの冷たい雨の中、躰の心まで冷たく濡れて、疲労した足どりで到着したのを思いだす。

温かくなった日射しの中で参拝と納経を終え、ベンチに腰かけて琴さんに電話する。

急に彼女と何でもいいから電話で話をしてみたくなったのだ。

彼女と二言三言話をしたことで何か元気がでてきた感じがする。

混雑する境内の中で、左三川氏 と 熊谷氏 の姿を見つける。 左三川氏 が隣にきてベンチに腰を下ろし、

  『 彼は 外人だろうか。 本堂で 柏手を打っていたよ。』

そういえば 熊谷氏 はなにかそんな感じもしないではないが気さくな話しぶりで歩きの早い人だ。

暫く雑談をしていると、左三川氏 は道路を渡って反対側に行ってしまったので独り次の [ 常楽寺 ] に向けて出発する。

[ 常楽寺 ] で 納経して貰っている時、手提げの牛乳を倒し、テーブルの上にこぼしてしまった。

  『 すみません。 牛乳をこぼしてしまいました。 何か拭く物を貸してください。』

お願いすると、納経をしてくれていたご婦人が

  『 いいですよ。 いいですよ。 』

と云いながら後の方に行き、布巾をもってきて

  『 いいですよ。 これでちょっと 拭いといてください。』

気持ちよく、やさしい対応をして下さる。 このご婦人は多分 住職夫人 ではないかと想像したが、気持ちの良い対応をして下さり本当に有り難うございました。

[ 常楽寺 ] の納経所の状景と併せて、清々しい想い出として私の心に貴女のことは何時までも残っていると思います。

[ 観音寺 ] から [ 井戸寺 ] に向かって歩いていき、道の左手に 「華扇 」 と云う手頃な中華屋を見つけ、昼過ぎでお腹も空いてきたので入って昼飯を食べることにする。

ラーメン定食を肴に飲んだ冷たい 「生中」 は殊の外美味しく一気に飲み干してしまう。

そこへまたひょっこりと 左三川氏 が入ってきてお互いにびっくり。 入り口に荷物を降ろし、隣の席に腰掛る。

私のテーブルを見て彼も同じラーメン定食を注文する。

  『 一足先に出発します。 また会いましょう。』

リュックを背負い、声をかけて店をでる。


  * 歩き遍路では夫婦や親子などの場合は別として、2人とか3人が一緒に並んで歩くのはなかなか難しい。
    だからこうして時々巡り会いながらも、歩くのは別々に歩いた方が歩き易く、お互いの励みにもなる。



休んだ後の歩き始めは何時も足が痛くて堪らない。 慣れるまではいつも大変な苦痛を感じる。


[ 井戸寺 ] から今夜の宿までの 7km は全身に疲労がたまり、歩くのがたまらなく厭になってきた。

街中に来て自転車に乗った 男性 に ホテル の場所を聞き、やっと大通りに面したホテルを見つけ、自動ドアを入る。

今夜の宿は ビジネスホテル だが、夕食と明朝の食事は準備してもらえるので弁当を買わなくても良い。

チェックインして部屋 に案内してもらう。



「14番札所 常楽寺」:
境内は自然のままの流水岩の
層の上に本堂も建つ
撮影日時(2002/03/09 10:14)


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☆ 4日目 (H14,03,10 日 快晴で暑い) 『 思い出の歩道 に来て 』


* 行程 : 「ビジネスホテル 近藤」⇒ (11.5km) ⇒ 18番 恩山寺 (おんざんじ) (H50) ⇒ (4.0km) ⇒ 19番 立江寺 (たつえじ) ⇒ (10.3km) ⇒「民宿 金子や」


* 距離 : 25.8km = (Σ 130.8km)

* 歩数 : 43,000歩

* 宿泊 : 「民宿 金子や」 (徳島県勝浦郡勝浦町)



ホテルを出て、別冊を頼りにしばらく南に歩き、「オリエントホテル」 の処で左折すべきところを気付かずにないままやり過ごし、いつまで歩いても遍路案内が出てこない。

何度も道行く人に尋ねたり、コンパスの助けを借りてやっと国道55号に出ることができた。

渡る橋の名前に 「 勝浦川橋 」 と書いてあり、やっと遍路道に復帰できたことが確認でき安堵する。 疲れも少しは薄らいでくる。

[ 恩山寺 ] から山間の遍路道をしばらく歩いてやっと廣いバイパスの県道に出る。

そして [ お京塚 ] へ向かう右側の歩道を歩きながら、前回の歩き遍路のとき、足が痛くて一歩も進めなくなり、歩道にぶっ座って、もう諦めて帰ろうかと悩んだ時、前の大戦で兵たちが食べる物もないまま飢えに苦しみながらも生きるために、来る日も来る日も悲惨な [ 死 ] の行軍をしていった場面を戦争映画で見たのを思い出し、またこれまでの自分の [ 死 ] を懸けて生きて来た人生を反省しながら

   [ 足が痛いくらいで、おまえさんは何を大袈裟な事を云ってるんだ。]

と自分を叱咤しながら一歩いっぽと歩を進め、遂に [ 薬王寺 ] 前の旅館にたどり着いた時の事を思い出す。 なつかしい場所だ。

それに比べると今回の足の痛みはまだ少ないと思いながら [ お京塚 ] に参拝し、[ 立江寺 ] に向かって歩いて行く。

[ 立江寺 ] を出て 「 櫛渕小学校 」 の前で、先行する2人の男性に追いつき、挨拶して一緒になって歩いて行く。

そのうちの1人の方は道ばたの植物を指してはその名前など詳しく説明して下さる。

この方は全国を歩いては植物を収集し、その採集場所や日時などのデータを添えて大学に提出する事を趣味らしい仕事としておられる方で、後に納め札を交換して自己紹介し合うと、倉敷から来られた 稲若さん と云われ、私と同い年です。 もう1人の方は少し年長で埼玉から来られた 上原さん と云う方です。


稲若さん は立ち止まっては 草むらの小さな花や、延びた蔓などを指して名前を云いながら詳しく説明をして下さるが、聞くその端から忘れてしまい、と云うより全く記憶に残っていないから稲若さん に申し訳ない。


自分の老化を認識させられ、ただ聞いては、相づちを打っているだけの自分に情けなさを感じる。

ただ一つ、秋に咲く赤い花の彼岸花 「 マンジュシャゲ 」 の春の姿が水仙の葉っぱの様な姿と教えて貰い、これだけは記憶に残して置こうと意識して聞き、今でも憶えているので 稲若さん に大いに感謝しなければならない。


兎に角、植物の博学なのでその後、稲若さん のことを [ 博士 ] と呼ぶことにした。

「 生比農協会館 」 前にちょっと変わった濃い桃色のサクラ が満開になっており、近くの人たちが寄り集まって花見を楽しんでいる。

そこの 中年のご婦人 から

  『 お遍路さん みかんを食べて 疲れを 癒して行って下さい。』

と蜜柑 3個を頂く。 小振りながら甘い蜜柑で美味しかった。

まだ 明るい 2 時半に 3人で 「 民宿 金子や 」 に到着。 2 年前 に泊まった時の事を懐かしく思い出す。

3 時まで外で待たされてから、3 階の 「 萩の間 」 に案内される。

夕食時、むかいの席に 左三川氏 が座っているのを発見、彼の同宿を知る。

隣の席には30歳代らしい A青年が靜に何も云わないでもくもくと食事をしている。

昼間あんなに天気が良かったのに夕方から雨になる。

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☆ 5日目 (H14,03,11 月 曇りから暑い快晴に) 『 A青年との 出会い 』


* 行程 : 「民宿金子や」⇒ (6.5km) ⇒ 20番 鶴林寺 (かくりんじ) (H500) ⇒ (6.5km) ⇒ 21番 太龍寺 (たいりゅうじ) (H600) ⇒ (11.7km) ⇒ 22番 平等寺 (びょうどうじ) ⇒ (旅館の迎え) ⇒「民宿みゆき莊」


* 距離 : 24.7km = (Σ 155.5km)

* 歩数 : 31.600歩

* 宿泊 : 「民宿みゆき莊」 (徳島県阿南市 平等寺から北東7kmに位置し 車で送迎 Tel:0884-34-2144)


昨夜来の雨も上がって曇り空の朝、そして昼前からは回復して晴れ間も出てくる。

宿を出て左に回って登山道のへんろ道を登る。 歩き遍路道への入り口をやり過ごし車の道を進んでしまう。

昨夜の雨で山道はぬかるんでいる可能性があるのでかえって舗装された車の道に来た方のが良かったのかもと負け惜しみを独りで云い訳しながら急な長い坂道を登っていく。

[ 鶴林寺 ](H500) で 稲若氏 と昨夜食事の時、自分の左で静かに食べていた A青年 ( * 残念ながらこのA青年とは最後まで名前を紹介しあう機会がなかった。)  と一緒になり、参拝を終わっての急な下り坂を 3人が連れになって 「那賀川」 (H140m) まで下って行く。

そして、今度は [ 太龍寺 ] ( H600 ) まで ポトポト、ポト ポトと熱い汗の玉を落としながらあまり話もすることなく山道を登って行く。

[ 太龍寺 ] からの遍路道は長い緩やかな下り坂で、 [ 鶴林寺 ] から登ったり下ったりして歩いた山道での足の疲労も極限になっていたので、A青年 と試みに後ろ向きになってゆっくりしたテンポの駆け足で下ってみた。

転ぶと危ないので十分気を付けないといけない。

やってみると驚くほど足の疲労が取れるので、2人して自己満足しながら時々止まっては、またやってみるを繰り返しながら山を下って行き、遂に 「民宿龍山莊」 (H70m) の前まで来てしまう。


稲若氏 と A青年 は今夜 「龍山莊」 を予約していると云うので、ここで2人と別れ、1人になって [ 平等寺 ] に向かって歩く。

「大根峠 」 ( H286 ) からの 3.5km の下り道は独りになって余計に長く感じられ、 [ 平等寺 ] の近くに来ると2ヶ所で道路工事をしており、足場の悪い処を歩かされ疲れた身体にはいやな体験だった。


[ 平等寺 ] の参拝 を終わり、山門の前から 「民宿みゆき莊」 に迎えを頼むと、15分位で車が来てくれる。

途中、足のテープを購入するために薬局に寄り道してもらい、宿舎に案内される。

夕食に食堂に下りていくと、また 左三川氏 と再会。 今夜の同宿者は 彼 と2人だけで、今日の歩きの様子などを話題にしながら頂く。

左三川氏 は明朝、国道55号線 まで送って欲しいと頼んでいる。 自分は [ 平等寺 ] の山門まで送って欲しいとお願いする。

  * 「みゆき莊」 はお寺さんが経営しているそうで、缶ビールも自販機で販売しており、安く飲めるのは魅力だ。 
    部屋も、風呂もきれいで、料理も美味しく、また希望する場所に送迎して貰えるので、別冊には登録されてないが、
    遍路宿の少ないこの付近では歩きお遍路にとって便利な民宿といえる。 (2食付きで \7,350)


* 今日の出来事

 @ : 大相撲春場所開幕

 A : 鈴木宗男議員の証人喚問

 B : 英国で行方不明になった女性は北朝鮮に拉致されていた事が判明



「21番札所 大龍寺」:
納経所右隣の持仏堂大廊下には
竹村松嶺による龍が舞う天井
窓ガラス越しに外から撮す
撮影日時(2002/03/11 12:09)
「22番札所 平等寺」:
緑、赤、黄色などの鮮やかな
色彩の本堂の天井絵

撮影日時(2002/03/11 15:53)


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☆ 6日目 (H14,03,12 火 快晴で暑い) 『 3人連れの乳母車お遍路との 出会い 』


* 行程 : 「民宿みゆき莊」⇒ (旅館の送り) ⇒ 22番 平等寺 (びょうどうじ) ⇒ (23.5km) ⇒ 23番 薬王寺 (やくおうじ) (H35)⇒「薬王寺参籠所薬師会館」


* 距離 : 23.5km = (Σ 179.0km)

* 歩数 : 25,400歩

* 宿泊 : 「23番札所薬王寺参籠所薬師会館」 (徳島県海部郡日和佐町)



7時に朝食を食べ終わり、2人ミニカーに乗り込んで先ず [ 平等寺 ] の山門前まで 住職 の運転で送ってもらう。

途中聞かせてもらった寺の歴史や近くの風土記などについての話は面白くて有益でした。

左三川氏 はここからもう少し先の国道まで送って貰うので ここでは自分だけ下車する。

発車する車を見送り、リュックを背負って歩き始める。 慣れてくるまで足の裏が痛くて前に進めない。

寺の前からまっ直ぐ延びているへんろ道は途中が工事中で通れないため、西側へ迂回して歩き県道を約5km歩いて 9時半に国道に出る。

間もなく通過する 「 鉦打 (カネウチ) トンネル 」 ( 301m ) は左側に立派な歩道があって歩き易く、気持ちよく歩ける。

ここでも無灯火で走行する車が多い。 歩きながら例しに対向車を数えてみると、点灯した車が14台に対し、無灯火の車は24台も走り去って行った。

無灯火の車は速度計など見にくいまま走っている事になり、万一停電してトンネル内の照明が消えた時には一瞬にして大事故になってしまうだろう。 

運転中のドライバーはそんな時の怖さを想像しないのだろうか。

 * 戦闘機を操縦してきた者には 想像するだけでも恐ろしいことだ。

[ 薬王寺 ] まで 1里くらいの処に来た時、前方に若い女性 1人 と 中年の男性 2人の3人連れが、右後ろ足を失った 小型の柴犬 を繋ぎ、車輪が外れそうに壊れかかった乳母車に毛布やテントなど一杯の荷物を積んでお遍路している一行に追いついた。


  『 乳母車を押してのお遍路は大変ですね。 ワンチャンも元気をだして頑張ってヨ。 』

と思わず声をかける。

リーダーらしい最後尾の男性の乳母車の右前輪は今にも外れそうに右左に傾きながらも 何とか回転しながら進んでいる。

後ろから見ていると心配でなんとかしてあげたくなる。

  『 1年くらい前に 「週間へんろ 」 に載っていましたよ。 』

と話し掛ける。 そしてその前を行く20歳代らしい 女性

  『 ご両親ですか ? 』

と尋ねると

  『 私の 叔父さん と 前を行く人は叔父の 友達 で男性です。 』

と云う。 1人だけ 5〜6m 先を歩いている人を体つきから女性と勘違いして、ご両親かと聞いたが実は男性だったのだ。

この人達は [ 1番霊山寺 ] を 2月17日に出発したそうで、結願するまでに4ヶ月くらいかかる予定だと云う。

野宿をしながら、寒い日、暑い日、雨の日、風の日と毎日が天気に左右され、健康維持も大変だろうと想像する。

犬を連れた男性は 愛知県 からで、乳母車 を押しての遍路は3回目だという。

前の男性は4回目、彼女は叔父さんに勧められて初めてついて来たと云う。

軽いリュック を背負っての歩き遍路でも大変なのに、この人達のお遍路は大変な苦難の連続だろうと頭が下がる。

  『 最後まで元気で 頑張って下さい。 』

と励ましの声をかけて3人と別れて先にすすむ。 この若い女性は質素な身なりながら美人だったのです。

足が靴いっぱいにふくれあがり両足ともつま先がつかえて痛い。 それに歩道の熱さが伝わって足首から下が全体で痛む。

[ 薬王寺 ] に到着。 「 女厄坂 」 、「 男厄坂 」 の石段を上って本堂、大師堂の参拝を済ます。

その上にある 61段の「還暦厄坂 」を上って宝物展示の 「 瑜祇塔 (ユギトウ) 」 を見学しようと行ってみたが、靴を脱いで入室するのだと云われ、残念ながら諦めて入り口で礼拝して引き返す。


[ 薬王寺 ] から次の [ 最御崎寺 ] までの距離は 約81km あり、 [ 岩本寺 ] と [ 金剛福寺 ] の95km に次いで 2番目に長い。

門前に今夜宿泊する 「 薬師会館 」 がある。 その側の売店の奥さんに

  『 この近くに 靴屋さんはありませんか? 』

と尋ねると

  『 その向こうの 信号を左折して行くと 初めての交差点の角にあります。』

と教えてくれる。

はるか遠い処のようで、足が耐え難く痛むので気が進まないが何としても今の靴では明日から歩きに支障を来すので、気を取り直し 「 靴屋 」 を求めて歩いて行くことにする。

約500m くらい歩いた処に云われたとおり こぢんまりした店があった。

奧から 奥さん が出てきて、高い棚の上から箱を降ろし、28.5cm のスニーカーを探し出してくれる。

履いてみると今のより大分楽な感じなので買うことに決め、\4,500を支払って宿まで慣らしを兼ねて履いて帰る。

普通26cmの靴を履くのに 28.5cm とは自分でも些か不自然でお金を払うとき一寸躊躇する。

これなら明日からまた元気に歩けそうな気がして何だかうれしくなってきた。

今夜の宿の 「薬師会館」 は開放的な宿坊で、通された部屋(300A)も廣い。

靴下を脱いでみると 左拇指の爪が薄黒く変色して水がたまっている。
 
持参した新品の肥後ナイフ の先端で爪先から小さな穴を開け、押して水を抜き、ヨウチンを流し込む。

予想した以上の痛さで跳び上がってしまう。 早く回復させるには今はこれしか他に方法がない。

足の裏のマメの手入れも同じように ヨーチン と 赤チン で処置し、マッサージ をしてやる。

備え付けの 洗濯機 と 乾燥機 を使わせて貰い 今日の汗で汚れたも物を洗濯する。 乾燥機 もあるので最高に助かる。

ましてや無料で使用でき、洗剤も備わっている処は有り難い。 その点、この宿坊はベストと云える。

歩き遍路にとって、宿に着いて先ずしなければならないことは身体、特に足の手当、そして 洗濯、入浴、それから天候と疲労度を考慮して明日の行程を見直し、宿の確認等をしなければならない。


他の人と宿舎での競合も考えてこれらをスムーズに手っ取り早く終える事が必要だ。 そうしないと遅れた分、睡眠時間 も少なくなるからだ。

洗濯中、熊谷氏 が廊下の公衆電話を使って再三 電話をし直している。

後から聞くと彼も靴が合わず肉刺が出来て痛くて堪らず、自宅に電話して山歩きで慣らしたもう一つの靴を送って貰うのだと云う。

この辺りまで来ると誰も靴のマッチングが問題になってくるのだ。

宿の風呂は大きく気持ちがよい。 歩き疲れた身体には風呂が最高の癒しだ。

兎に角、最高にいい気分だ。 見ると両足ともまるまると腫れている。 これまでの靴では何としても足がかわいそうだ。

靴を買い直したので明日からの歩きが楽しみになり、遠足前日の子供のように はしゃぎたい気分になる。

後から青年が1人入浴して来る。 先日 「 金子や 」 で隣の席で食事をし、次の日に坂道を後ろ向きになって一緒に歩いた A青年だ。

  『 こんにちは。 また会いましたね。』

と云うと、

  『 そうですねぇー、 また会えましたね。』

と 静かに応えてくれる。 足の話になって 彼が シップ薬を持っているので、部屋に持って行ってやると云ってくれる。

風呂から上がって、わざわざ部屋まで シップ貼り薬を 4枚持ってきてくれる。

彼もこれから必要なのに私に分けて呉れる心の優しさに感謝し、素晴らしい出会いを有り難く思う。


    A青年とは 3/10 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。    何時までも 元気で頑張って下さい。


「 乳母車を押してゆくお遍路さん 」:
右後足の無い小さな柴犬と一緒に
国道55号線を薬王寺に向って行く
3人連れのをお遍路さん一行
撮影日時(2002/03/12 12:06)


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☆ 7日目 (H14,03,13 水 快晴で暑い) 『 若い奥さんとの 出会い 』


* 行程 : 「23番札所薬王寺参籠所薬師会館」⇒ (20.1km) ⇒ 鯖大師 (さばたいし) ⇒ (8.2km) ⇒「みなみ旅館」


* 距離 : 28.3km = (Σ 207.3km)

* 歩数 : 30,200歩

* 宿泊 : 「みなみ旅館」 (徳島県海部郡海部町)


1階 の食堂で朝食を終わり、昨日まで履いていた靴を荷造りして自宅宛てに宅配便で返送を依頼する。

新しい靴を履いて 7 時過ぎ 室戸への長い遍路の旅に出発する。

昨日までと比べ圧迫感が少なくて軽くて、つま先や足の裏の痛みも軽減され随分と歩きやすい。

[ 薬王寺 ] の前から国道55号を西に進むと間もなく
「 日和佐トンネル 」 (690m) にでる。

ここは 白線が中央に1本、両側に1本づつの3本が引いてあるだけで歩道の仕切もない。

どうも四国の道は車だけを考えて造られているようで、人の歩く道の事は念頭にないらしい。

すぐ近くを無灯火の車が走り抜ける度に肝を冷やしながら、約10分かかってやっとの思いでトンネルを通り抜ける。

牟岐町に入って最初に見つけた店に入り、牛乳パックとあんパン3個を買う。 店の主人 が 売り物のポンカン5個を取りだし

  『 これを接待させて下さい。』

と云って一緒に袋に入れて下さる。 ご好意に感謝し、納め札を渡して有り難くお礼を云って店を出る。

しばらく行くと 「 牟岐警察署 」 の横で 「 歩きお遍路接待所 」 と書かれた看板を出したテントから 2人のご婦人 が出てきて、道の向こうから大声で呼び止められ、道を渡って行くと

  『 どうぞ休んで行って下さい。 コーヒーがいいですか、お茶がいいですか? 』

と大きな声で歓迎される。

  『 すみませんねぇ。 それでは遠慮なくコーヒーをご馳走して下さい。 できるだけ甘くして下さい。』

とお願いし、リュックを降ろして腰かける。 一寸でもいいから何か書いて行って下さいと出されたメモノートに

   * 2回目の独り通し歩き遍路をしております。 四国の皆様のご好意がとてもうれしいです。
     結願まで頑張って八十八ヶ所をお参りさせて頂きます。 ありがとうございました。     [住所・氏名]



と記入する。 出がけに

  『 これを着けていって下さい。 これもどうぞ。』

と安全タスキとお菓子の包みを下さる。 安全タスキは早速 リュックの背中に結びつけ、納め札に感謝の言葉を記入して渡し、2人にお礼を云って出発する。

今回の歩きお遍路で 「 牟岐警察署 」 の隣のテント村と共に想い出に残る出会いを下さったお2人にお礼を申します。 有り難うございました。

出発の時は慣れてくるまで、暫くの間足の痛みがまた顕著になる。

海部町 に入る手前の旧道を歩いていて、前方から生後半年くらいの赤ちゃんを乳母車に乗せて歩いてくる 若い奥さん に声をかけて、「 海部大橋 」 へ至る道順を尋ねると

  『 この向こうの信号をそのまま真っ直ぐに暫く行くと橋に出ます。 頑張って下さい。 お疲れさまです。 お気をつけて。』

と親切に教えてくれる。 安心して大橋へ向かって歩く。

今夜の宿はもう近くだ。 その手前には 「 郵便局 」 もある筈なのでお金もおろして行こうと元気を取り戻して歩いていく。

何か後ろの方で呼ぶような声がするので振り向くと、先ほどの奥さんが 乳母車 を押しながら急ぎ足で自分を呼んでいるのです。

何が起こったのだろうと急いで戻っていくと、

  『 あの信号に行くと前方が高くなっていて 川や橋も見えないと思いますが、道に沿って行って下さい。 暫く行くと橋に出ますから。』

若い奥さんのそこまでの親切に有り難く頭が下がる。 右手で拝み手をしてお礼を述べ、彼女の去りゆく後ろ姿に頭を下げる。

教えられた通り橋に向かって歩いていると知らずしらず両目から涙があふれてしまう。

四国を歩いていると何かにつけて、何故か直ぐに涙が出てくる。 涙もろくなってしまう。

あの奥さん - - - 色白で面なが、長身の美人だった。

そうだ千歳で一緒だった同期の白鳥君の奥さんに面影がよく似ている。

そういえば最近すっかりご無沙汰していた事を思いだし反省する。

見えなかった橋も視界に入り、橋を渡って間もなく 「 海部郵便局 」 を見つけて15万円を引き出す。

向かいの 「 みなみ旅館 」 の玄関に入って、

  『 ご免下さい 。』

大声で呼んでみるが返事が返ってこない。

ふとその時、先日 [ 柳水庵 ] で別れて以来の 真崎さん が入ってきた。 お互い 再会にビックリして挨拶を交わす。

暫くして奧から 宿の主人 が出てきて名前を聞かれ、6号室に案内される。

洗濯機、乾燥機も使用できると聞いて直ぐに着替え、洗濯をセットして部屋に帰って足の手入れをする。

両方の足にまた新しく大きめのマメができたが、足の腫れは昨日より引いており、安心できる。

風呂が沸いたと知らされ急いで入浴する。 何よりも入浴が疲労回復に最高の薬だ。

隣の海南町 に住む大学同期の 福田君 に電話してみる。

   『 また歩き遍路に出て、今、隣の海部町の 「 みなみ旅館 」 に泊まっている。』

と伝えると、

   『 ここから近い。 今からすぐ行く。』

と云ってくれる。 彼の家はここから 2km くらいの処だ。  間もなく部屋を訪ねてくれる。

前回のときお世話になったお礼を云い、2年振りの元気な再会を喜ぶ。

彼は今も社交ダンスに生き甲斐をもって地域ボランティアの活動を続けていると云う。 毎日が忙しいとも云う。

防府基地で見送った時の面影を今も残しており、余り変わった感じがしない。

お互いが並行して年を取ってるからだろう。 そして至って元気そうだ。

自分の足の具合を気遣って、盛んに無理をするなと云ってくれる。

彼の好意が有り難い。

しかし、通し歩きお遍路をやり遂げるには無理を押し切り、苦痛に耐え抜かなければ達成できないことは覚悟して来ている。

彼が引き上げた後、真崎さん 達と一緒に夕食を食べ、早めに床に入る。

今日は天気が良くて気温も上がり暑い1日だった。


* 今日の出来事

 @ : 敬宮愛子殿下のお宮参り

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☆ 8日目 (H14,03,14 木 快晴で暑い、午後曇りから雨に) 『 父母の 供養 』


* 行程 : 「みなみ旅館」⇒ (15.6km) ⇒ 東洋大師 (別名:明徳寺) ⇒ (18.0km) ⇒「民宿 ロッジ尾崎」


* 距離 : 33.6km = (Σ 240.9km)

* 歩数 : 38,800歩

* 宿泊 : 「民宿ロッジ尾崎」 (高知県室戸市佐喜浜町)




夜中に何度も目が覚めて熟睡出来ないまま朝になってしまう。

昨夜は 真崎さん と他に 男性4人 の総勢6人が宿泊しており、みんな歩きお遍路と分かる。

朝食を済ますと梅干しのおむすび2個と味海苔をお接待して頂き、支度を整えると6時半頃からそれぞれ個々に室戸を目指して出発する。

ここから室戸まで人家のない山と海にはさまれた 50kmを超す長丁場が始まる。 

前回の経験から、今日 明日の歩きお遍路で何かの体験をさせてくれるかもしれない。

今日も歩き始めは足の裏が痛みが全身をしびれさすように痛むが、そんな事は云っておられず 1歩 いっぽ 足を動かして前に進む。

今日は室戸への変化のない殺風景な国道55号を1日中歩くのだが、昔は切り立った山が海岸まで落ち込むお遍路泣かせの 四国第一の難所 で、「 ゴロ ゴロ石 」 と 「 飛び石 , 跳ね石 」 の中を難儀して歩いて行かなければならなかったそうだが、今のこの景色をみていると昔の苦難の様子が想像できる。


暫く歩くと左手に朝日にキラキラと光る太平洋と 「 宍喰海岸 」 の白い砂浜が見えてきた。

  『 そうだ、ここが最適の場所だ。 』

きれいな砂浜に故人の名前や戒名を書いてお祈りし、それを満ちてきた波で洗い流す供養の仕方があると聞いて、これを今回の歩きお遍路での両親の供養にやって行きたいと出発前から考えて来た。


ここの海岸は それにふさわしい場所に違いない。
★ 遍路関連の記述書によると、こうした祖先の供養のやり方を 「波潅頂」 または 「波供養」 と呼ばれて
  旧くから歩きお遍路の間で行われていたと云う。
海岸には人影も見えないし、砂浜も朝日に輝いて最高にきれいだ。 海岸に下りてここでやって行こう。

防波堤の切れ間から砂浜に下り、リュックを降ろして、波打ち際に近いきれいな場所を探す。

健康で 五体満足 な自分を生んで呉れたお袋に、 そしてこれまで自分が生きてくる心の支えであった 「 負けず嫌いな根性 」 ( 時にはこれが禍にもなったが ) を残して呉れ、約50年前の大学1年の時に逝ってしまった 親父に、 感謝しながら、砂浜に


ーー閔堅院釋晃照不退居士 俗名 竹次 (享年 69歳)

ーー妙相院釋尼芳照大姉   俗名 マツ (享年100歳)


と書いて、その頭に 金剛杖 を立てて合掌する。

しばらく立ちつくして祈っていると、横須賀 に出発する前夜、18とはいえ独りで旅立たせる息子の事を心配し、くどくど と忠告を並べた親父の元気な姿を。

また90歳 になっても 長州・宇部 から独り新幹線に乗って 尾張 ・ 名古屋 まで孫の顔を見に訪ねてくれ、まだ幼なかった子供達と嬉しそうに戯れていた小さくなったお袋の姿が脳裏に浮かんでくる。


止めどもなく涙がこぼれ落ちてくる。 誰もいないので遠慮なく泣ける。

出発する前からの念願がいまやっと実現できて安堵する。 新たな元気が湧き出たような気にもなれる。

足を痛め、あのままではお遍路を諦めなければならなかったかも知れないのに、靴を買い替えて調子を取り戻し 「 発心の阿波 」 から長い道のりが続 く「 修行の土佐 」 にこれから入るのだ。


10 時、遍路道に面した [ 東洋大師 ( 明徳寺 ) ] にお参りして納経してもらう。

宍喰の浜で両親の供養をしてきたが、涙が出て仕方がなかった住職さんに話すと、

  『 歩いていると涙が止まらなくなったと云うお遍路さんの話をよく聞きますよ。 』

と住職さんが相づちを打ってくれる。

「 伏越の鼻 」 にさしかかると 打ち寄せる荒波の勢いも急に増して、前回 「 夫婦岩 」 を越した時の状景を思い出し、昔の人たちの苦難の程が偲ばれてまたも涙がこぼれてくる。


昔のお遍路さん達は、ここ 伏越の鼻 から 入木 までの 「 淀ヶ礒 」 とよばれる約4里の間は人家ひとつなく、切りたった山が海にじかに落ちこみ、勿論雨やどりする所はなく、ゴロゴロと波打つ石の音にもおびえ 「 飛び石 」 、 「 跳ね石 」 で足も身体も局限まで疲れ果て、おぼつかない足どりになっても命を懸けて次の 札所 [ 最御崎寺 ] をめざして前進して行ったと先人たちの手記にその苦難の記録が残っている。
★ 室戸岬 [最御崎寺 ] への遍路道について

 現在の国道<55号線>が海岸沿いに走るまでは、大変な難所であったと云う。
 伏越の鼻<室戸岬まで50km>から入木までの「淀ヶ磯」四里は、山と海だけの、人家一つない、雨宿りする処もない
 「ゴロゴロ石」と「飛び石、跳ね石」の中を進む四国第一の難所と、先人達は手記の中に書いている。
 お遍路は皆、ゴロゴロと波打つ石の音におびえ、孤独と不安の気持ちで一生懸命に先へと急いで行ったのであろう。
 同じ歩く遍路でも今昔では隔世の観があり、先人達の苦労が偲ばれる。   (遍路案内誌より引用)

今、これほどに整備された国道55号を歩いていても昔のお遍路さん達がさぞや苦労されたであろう事が容易に想像できる。

まさしく、ここは四国第一の難所であった事は間違いない。

今夜の宿を予約した 「 民宿ロッジ尾崎 」 までの道中、余り傷んでもいないのに路面を掘り返し片側通行にして舗装工事を続けているのをみると歩きの邪魔にもなり、無駄遣いと、昔のひとにも申し訳ないような気がして余計に腹立たしくもなってくる。


[ 法海上人堂 ] の近くで、山から流れ出た冷たい水を水桶に貯めて、地元の人が 「 歩きお遍路さんどうぞ 」 と入れてくれた小さいトマトが浮かんでいる。

立ったまま今朝お接待で頂いたおにぎりを冷い水を飲みながら食べる。

冷えたトマトもご馳走になる。 美味しい。

宿の 「 民宿ロッジ尾崎 」 では年老いた女将さんが1人で出迎えてくれ、2階の部屋に案内してくれる。 暫くすると先日一緒に歩いた上原氏 が

  『 相部屋です。』

と入ってくる。

夕食に1階に下りてみると今夜の同宿者は知人の 真崎さんと 稲若氏 と 上原氏、 そして今日初めて一緒になった埼玉から来たと云う 川越さん と他に女性が1人、全部で6名。

   稲若氏 および 上原氏 とは 3/10 に初めて出会い、そして今朝が最後の出会いになりました。  何時までも 元気で頑張って下さい。
     [その後 稲若氏 から頂いた e-Mail に依ると稲若さんは4月24日に無事結願されたとのこと。   おめでとうございます。]



今日は 日射しが強く、暑い1日だったが、宿に着いて間もなくから雨が降りだし、夜半からは風雨が更に強くなり、荒れ模様になってくる。

前回を思い出し、明日の 「 夫婦岩 」 越えが心配になってくる。 宿は埃りっぽく息苦しい感じだ。

できることなら前回泊まった 「 民宿とくます 」 に泊まりたかったが、 「 空海の道ウオーク 」 の団体客が宿泊していて残念ながら予約が取れなかった。


「 波 供 養 」:
室戸への遍路の途中、宍喰海岸の砂浜に
亡き父母の戒名と俗名を書いて波供養
「南無阿弥陀仏」
撮影日時(2002/03/14 07:52)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=


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☆ 9日目 (H14,03,15 金 澄み切った快晴で暑い) 『 ベビーとの 出会い 』


* 行程 : 「民宿 ロッジ尾崎」⇒ (18.7km) ⇒ 24番 最御崎寺 (ほつみさきじ) (H165) ⇒ (6.8km) ⇒ 25番 津照寺 (しんしょうじ) ⇒ (4.2km) ⇒ 26番 金剛頂寺 (こんごうちょうじ) (H165) ⇒「金剛頂寺宿坊」


* 距離 : 29.7km = (Σ 270.6km)

* 歩数 : 42,300歩

* 宿泊 : 「金剛頂寺宿坊」 (高知県室戸市元崎山)


昨夜の風雨もおさまり、東の空には台風一過を思わせるように、雲間には昇ってくる太陽も見えるまでに回復している。

海は今も怒濤の荒波が太平洋からうち寄せ、塩辛い飛沫が国道を濡らしている。

心配していた 「 夫婦岩 」 は たいした苦労も無く通過させてくれる。

室戸までのまだ長い道のりは足の裏の痛さがこたえ、今朝も慣れるまで一歩いっぽと我慢しながら歩いていく。

「 民宿とくます 」 の前を歩いて行くと部屋の 2階から浴衣姿の男性が手を振って見送って呉れている。 熊谷氏 だ。

彼はここにもう1泊して自宅から送って貰った靴を待つのだと云う。 慣れた靴に履き替えて頑張ってくださいと声援を送って別れる。

   熊谷氏とは 3/09 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いになりました。    最後まで歩きぬき、何時までも 元気で頑張って下さい。


こうして 室戸岬 に向かって歩いていると、来月誕生予定のベビーが 目の前に出てきて [爺] と二人で何時の間にか対話を始めていました。

日頃、7歳 と 5歳 の孫達を相手に遊んでいるそんな状況の中に初めて見るベビーが出てきて、爺 とお話をしながら一緒に遊んでいるのです。

前回の時も、戦後の疎開で可愛がって貰った 石州 ・井原 の 叔父 や 叔母 が出てきて久しぶりに話ができたが、今回も 室戸 へ向かう長いへんろ道で起こる同じような不思議な幻想的出来事だったのです。


ベビーとの対話に熱中していると、 [ 最御崎寺 ] へ上る山道の入り口をやり過ごし、何時の間にか岬を回って西側のスカイライン入り口まで来ていたのです。

平均勾配が10度というコンクリートの長い坂道を真夏の様なキラキラ太陽をまともに受けながら汗びっしょりになって [ 最御崎寺 ] を目指して登って行きます。

両親の供養とさっき夢の世界に出て来てくれた孫の無事な安産を祈願し、再び スカイライン を下りていく。

前回は往復とも東海岸の山道のへんろ道を歩いたが、今回は逆に西側の 車道スカイライン を歩くことになった。

後で聞くと今日は26℃を越える夏日だったそうで、すっかり汗を搾りだし、日焼けで両手首がまっ黒になっていた。

[ 津照寺 ] が近づくと人家も増え、薬屋 を見つけて 湿布薬 を購入する。

国道から [ 金剛頂寺 ] ( H165 ) へ向かう車道もまた長く、急な坂道で、強い日射しの中をまたも汗びっしょりになって上って行く。

今夜はここの 「 宿坊 」 に泊まらせてもらう事になっている。

お参りを終えて時計を見ると未だ14時だ。 

チェックインには早すぎるので木陰のベンチにリュックを降ろし、汗を乾かしながらメモ帳を出して生まれくる孫との初めての対話の様子など今日の歩きの模様を記憶の新しいうちにメモをとる。


今夜は 「 金剛頂寺宿坊 」 に宿泊させて貰う。 施設、応対とも一流旅館並で、宿坊の雰囲気ではなく、特に料理が最高。

夕食に集まると、歩き遍路は 真崎さん と 川越氏 、そして他に男性1人の4人で、隣のテーブルには車で回っているらしい10人くらいの団体客が席に着いている。

美味しい料理がふんだんに並び、昨夜とは比較にならない豪華な気分の夕食で嬉しい。

夕食を終わり、今日幻想の世界に出てきて呉れてたベビー宛に メッセージ を書いて 琴さん宛に e-Mail で発信する。

お腹の赤ん坊に 「 爺からの最初の メイル 」 だと云って2人で読んでやってくれと 直接電話 でも依頼する。


 *『 ヂヂから元氣で産まれてきて欲しい ベビー へ一言 』

 「延々と果てしなく続く室戸へのへんろ道で君と初めて「ヂヂと孫とのお話」をすることができたね。
  そのお陰で足の痛さも暫くの間 楽にさせて呉れたね。有り難う。
  ヂヂの遍路姿を見て、お前は必ず安産で生れ、健康に育ち、今日見た青年太師の様に世の人の為に役立つ人間に成長して下さい。
  君の誕生予定まであと6週間。 君と初めて会える日を楽しみに結願できる日まで爺は明日も張りきって歩き続けます。
        平成14年3月15日夜、第26番札所 金剛頂寺宿坊 にて、  ヂヂより。」


☆ [健介君 誕生の報告]  (H14.05.20)

 無事結願して帰宅して9日目の 平成14年4月21日(大安の日曜日) の午後3時46分 母親の郷里・茨木市内の病院で元気な産声を上げました。
 赤子は体重は 3,684グラム、 身長は 53.5cm、の元気な大きな男の子でした。
 長男・克彦にとってはうれしい初めての子で、私には3番目の後継の孫です。
 [健介君] と命名されました。
 51番札所石手寺 の「訶梨帝母天堂」を始め、お遍路中の各寺でこの子の安産を祈願してきたお陰だと感謝しております。


今夜は久しぶりに羽毛の軽い布団に寝させて貰う。 宿坊のみなさん有り難とうございます。


* 今日の出来事

 @ : 加藤紘一氏、鈴木宗男氏 の両衆院議員が 自民党を離党


「 夫 婦 岩 」:
室戸岬まで13kmの処にあり
前回のお遍路では危険を体験して
やっと通り抜ける事が出来た想い出の場所
撮影日時(2002/0315 07:29)
「 青年大師像 」:
生まれくる孫よ [かくあれ] と
祈りつつ歩く

撮影日時(2002/03/15 10:05)


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☆ 10日目 (H14,03,16 土 快晴で暑い) 『 水元さんとの 出会い 』


* 行程 : 「26番金剛頂寺 宿坊」 (H165) ⇒ (16.8km) ⇒ 弘法大師霊跡 ⇒ (13.7km) ⇒ 27番 神峯寺 (こうのみねじ) (H430) ⇒ (4.5km) ⇒「ドライブイン 27」


* 距離 : 35.0km = (Σ 305.6km)

* 歩数 : 51,100歩

* 宿泊 : 「ドライブイン 27」 (高知県安芸郡安田町)


羽根川 を過ぎ、海岸線から逸れて旧道の 中山峠 越えの坂道を上る。 

そして今度は 奈半利 に向かっての急勾配を下って行くと両側には小さな畑が耕されており、一つの収穫を挙げるにも大変な苦労をされるのだろうと想像できる。

痛い足を我慢しながら下っていると仕事を終えての帰りらしい おばあさん に追いつく。

多分涼しい内に畑仕事をしようと自分の小さな山間の畑に行って来たのだろう。

ひどく曲がった腰に三つ又の鍬をかついでこの坂道を下りて行く老婆に何かできる手助けをしてあげたい気持ちになってくる。

明治時代、この左下の海岸沿いに道ができるまではこの中山越えの険しい道がこの辺りの生活道路だったそうで、登ってくる途中には石畳の道もあり、累々続いた昔の人の生活が偲ばれ、林を通して向こうにはその名残らしい小さい旧い家も見える。


奈半利 の町中では質素な身なりの 男性 がきれいな洋品店の店先で托鉢をしているのに出会う。

お遍路仲間の1人としてその勇気と努力に敬意を感じ、100円 をお供えして通り過ぎる。

彼はお経を唱えながら 私を見て軽く頭をたれて挨拶してくれる。

11時、「 奈半利川橋 」 を渡って 田野町 に入る。 道を右に曲がって [ 神峯寺 ] への登り口にある大きな宅地に建つ農家を訪ね、お願いして軒先にリュックを置かせて貰う。

3.5km の簡易舗装された緩やかな上り坂を汗びっしょりになって上る。 

この [ 神峯寺 ] は遍路道の4つの関所寺の1つで大変な難所寺です。

朝方かぶっていた雲はすっかり取れて強い日射しと夏日の高温が身体の中から汗を絞り出してしまう。

足は昨日までと比べて痛さが和らいだようで、速度も上がって調子よく歩ける。 履きなおした靴のお陰だろう。

きれいに手入れされた庭園にある [ 神峯寺 ] に着くと山門近くの納経所で先ず納経をお願いする。

納経所 は空いていて、住職夫人 だろうか前回と同じ方が

  『 歩きですか?  暑いから大変ですね。 』

とねぎらって下さる。 疲れも心地よく感じられる。

  『 はい。 徳島 から歩いて回っております。 
   昼から晴れて暑くなりましたから汗びっしょりで、今は汗で濡れた身体が涼しくて最高に快適です。 』


  『 コーヒー か お茶を お接待します。 どちらがいいですか? 』

立ち上がりながら聞かれる。

  『 有り難うございます。 折角ですからコーヒをお願いします。』

お盆に熱いコーヒーと砂糖にミルクをつけ、お菓子を 5個 載せて縁側に持って行って飲むようにと手渡して下さる。

丁度日陰になった縁側に腰かけて、目の前の 「 土佐名水 ・神峯の水 」 の流れと、

    *『 おへんろに 春告げ鳥の 鳴きそめし 』


の句碑を観賞しながらゆっくりと頂く。 美味しい。 最高においしい。 2年前を回想し、あの時も同じようなお接待をしてくださった。

暫く休んで、納経所にお盆を返しに行き、美味しかったと コーヒーのお礼を云ってから、本堂、大師堂に参拝する。

父母の供養、孫の安産・元気な成長と妻の健康を祈願する。

山門で一礼して軽快な気分になって山を下りていると、今朝 別々に出発した 川越氏 と 真崎さん の2人が汗いっぱいになって上ってくるのに出会う。

納経所 でコーヒーをお接待して下さる事を知らせてあげる。 2人も少し元気を取り戻せたようだ。

彼らは 「 ドライブイン 27 」 に立ち寄ってリュックを残して来たと云う。 それはいい着想だったと感心する。

今夜も2人と一緒の宿に泊まる事になる。

登り口にある鳥居の処で 奈半利 で托鉢をしていた男性が上ってくるのに出会い、先ほどのお礼を云われる。 

お礼を云われると少しはいい事をしたようでうれしい。

途中、預けておいたリュックを受け取り、その隣の納屋で出荷の仕事をしていた家の奥さんらしい 婦人 が大きな土佐文旦を2個お接待として下さる。 

今夜、宿で食べられるのが楽しみだ。

「 ドライブイン 27 」 に着くと気さくな 宿の奥さん が軽トラックを運転して少し離れた 宿泊所 までつれて行ってくれる。

宿泊場所とドライブインは300m位離れていて、食事はドライブインの方でする事になる。

洗濯機は自由に使ってよいとか、風呂のお湯は流しっぱなしにして入浴して良いとか、部屋の割り振り、使用方法など一通りのブリーフィングをして

  『 ゆっくりどうぞ。』

と云ってまた車でドライブインの方に 帰ってゆく。

太陽の高い内に洗濯ものが干せるようにと直ちに洗濯をセットしてから入浴する。 

洗濯機は糸くず留めの袋がまるまると満杯になっているので、ついでに掃除してきれいにしておく。

疲れた身体には入浴がなんとも云えない最高の気分だ。

云われた様にお湯を溢れさせながらゆっくりした贅沢な気分で入浴し、疲れを癒す。

身体を洗っていると右足小指の爪が何の痛みも無く滑り落ちるように脱落する。

毎日テーピーングしていたので何時の間にか下に新しい皮膚が再生されたのだろう。

触ってみたが殆んど痛みを感じないので明日からの歩きには影響はなさそうだ。

これまで頑張って歩きを支えてくれた爪に感謝の気持ちを込めて、風呂の窓から雑草の茂った中に投げる。

日当たりに洗濯物を干して部屋に帰り、足の手入れやメモの整理などしていると1人の男性が 『 相部屋です。 』 ( * と云っても襖で仕切られた4部屋を2人で使用する ) と云って奥さんに案内されて入って来る。


それから間もなくして 川越氏 と 真崎さん の2人も到着、2階の部屋に案内されて上がって行く。

同室の男性は 仕事を辞めて、時間に余裕ができたので思い立って 歩き遍路 に出てきたと云う。

出発までに途中の宿舎や準備する荷物などいろんな情報をインターネットから集めた話をされて、聞いているとその収集元になっているホームページがどうも自分の ホームページ らしい臭いがするので聞いてみると


  『 そうです。   【爺の雑記帳】 です。  家主は貴方ですか。 』

  『 そうなんです。』

と白状して、納め札を交換してして自己紹介し合う。

札幌 から来られた 54歳の 水元さん と云う方で、今 初めて会って話をしたのに何か身近な人に思えてくる。 

水元さん もお互いの身近さに驚いている様子だ。

廣い世界も インターネット を通してこんなにも狭くなったのかと云う想いを直に感じる。

水元氏 は [ 神峯寺 ] の参拝を終わっていないので、明日は別々のルートを歩く事になる。

宿の奥さんが夕食の準備が出来たと車で迎えに来て、脱落した爪の跡にアカチンを塗って赤くなった足を見て、痛み止めに良く効くと云って 「 狸の油 」 なる塗り薬を小さな入れ物に入れて下さる。


隣の席では昼間の 托鉢の男性 が同じような身なりの 男性 と2人で遍路のことを話題にしながら夕食を食べているのに出会う。

私と目が合うと、にこやかにまたお礼を云われる。

奥さんから貰った狸の油の薬を 寝る前に爪のはがれた処や皮膚の剥がれたマメに塗って靴下を履いて寝む。



「27番札所 神峯寺」:
納経所の前にある名水の泉
「神峯の水」の傍らで
撮影日時(2002/03/16 13:52)


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☆ 11日目 (H14,03,17 日 快晴で暑い) 『 お大師さんの 水 』


* 行程 : 「ドライブイン 27」⇒ (34.9km) ⇒ 28番 大日寺 (だいにちじ) ⇒ (0.4km) ⇒「旅籠土佐龍」


* 距離 : 35.3km = (Σ 340.9km)

* 歩数 : 52,100歩

* 宿泊 : 「旅籠土佐龍」 (高知県香美郡野市町)


6時半、出発の支度をして朝食を食べに遍路仲間4人と一緒に歩いてドライブインに行く。

今は薄い雲がかかっているが、今日も晴れて暑い天気になりそうだ。

好天に照らされて日毎に日焼けが増し少しずつ黒くなっていくのがこの頃では楽しみにもなってきた。

これから [ 神峯寺 ] にお参りする 水元氏 と別れて、3人一緒に国道を西に向かって出発する。

真崎さん も 川越氏 も歩きが早い。 

室戸岬 では 川越氏 と一緒に歩いてみたが付いて行けなかったが、あの時より今日は足の痛みも少なく大分調子が良さそうなので頑張って一緒に歩く。

真崎さん と 川越氏 に付いて行こうと頑張るがなかなか骨が折れる。  彼女は足も長く ピッチ も早い。

安芸市に入り、11時に 「 伊尾木川橋 」 を渡り、道路の右側にある ガソリンスタンド で トイレ を借りる。

ついでに店内でアイスを買って食べながら店先で休憩させて貰う。

びっしょり 汗に濡れた身体には日陰の涼しい風は最高の癒しだ。

津久茂町 から延々と 約15kmも続くサイクリングロードは歩きお遍路には車の危険もなく歩きやすい。

休憩してる間に2人との間隔があき、彼らの姿を見失ってしまう。

直射日光の照りつける中を歩いて、ボトルの水を早々と飲み干してしまう。

国道沿いのゴルフ場手前で、道ばたに水道の蛇口のある家を見つけ、庭仕事をしているその 家の主人 に水の補給をお願いすると

  『 ああ いいですよ。 でもちょっと待って。 美味しい水があるから。 』

と玄関を開けて、奥さんに何か話して冷蔵庫から 500cc のペットボトルを持ってきて

  『 今朝、この上のお大師さんから汲んできた美味しい水です。 どうぞこれを持って行って。 すごく美味しいですよ。 』

冷たく冷やした水をお接待して下さる。

玄関先の冷蔵庫 には大きいボトル、小さいボトルが数本冷やしてあるのが見えた。 水を大事にしている家なんだなと感心する。

ご親切に感謝しながらボトルを頂いて手提げに入れる。 ご主人、どうも有り難うございました。 

冷たい水の味は最高でした。

今日の暑さには全く 「 マイッタ 」 と云う気持です。

サイクリングロード の終点手前で、昔の煉瓦造りのトンネルがあり、涼しい風が吹き抜けて何とも言えない清涼感が汗で濡れた白衣を通して肌に染みこむ。

誰も通っていないので思いっきって 2度、3度、大声を張り上げてトンネル内のエコーを全身で感じていると疲れが霧散していくのが分かる。

熱く熱した道を歩いていると、先ほど頂いたばかりのお大師さんの冷たい水も飲み干してしまい、途中の レストラン に立ち寄り、お願いしてお茶を補充して貰う。

香我美町 に入ってから [ 大日寺 ] 迄の 2里8km がすごく遠く感じられる。

[ 大日寺 ] の手前に 「龍馬歴史館 」 の大きな看板をみつけ、折角の機会だからと、近づいてみると入場料が \1,050 とある。

一寸高いし、見学するには時間を要しそうな大きな施設なので表の掲示などを見て入場を諦める。

昔の古びた石の階段と急な坂道を上って [ 大日寺 ] の山門に到着。

納経所 の前のしだれ桜が満開の花盛りで殊の外きれい。

境内で 川越氏 と 真崎さん とまた合流し、彼らも今夜の宿は 「土佐龍 」 だと云う。 参拝、納経を終わって一緒に宿に向かう。

\7,350 を前払いして 「 琴の間 」 の鍵を渡される。 風呂は廣くて気持ちよい。 

入浴中に 左足第4指の爪がまた脱落する。

昨日の右足の爪と同じようにその下には再生した皮膚ができていてさほどの痛さはない。 

明日からの歩きに影響はなさそうだ。


「峠の旧いトンネル」:
夜須町旧道の峠に煉瓦造りのトンネル
涼しい風が吹き抜け、歩きの疲れを癒してくれる
大声を張りあげて久しぶりの号令調整で疲れもスッキリ
撮影日時(2002/03/17 12:12)


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☆ 12日目 (H14,03,18 月 快晴で暑い) 『 橋本君の 供養 』


* 行程 : 「旅籠土佐龍」⇒ (9.4km) ⇒ 29番 国分寺 (こくぶんじ) ⇒ (7.0km) ⇒ 30番 善楽寺 (ぜんらくじ) ⇒ (7.4km) ⇒ 31番 竹林寺 (ちくりんじ) (H120) ⇒ (6.0km) ⇒ 32番 禅師峰寺 (ぜんしぶじ) (H180) ⇒ (7.5km) ⇒「民宿 高知屋」


* 距離 : 37.3km = (Σ 378.2km)

* 歩数 : 56,600歩

* 宿泊 : 「民宿 高知屋」 (高知県高知市長浜)


約束の時間より少し早めに食堂に下りてみると  『 どうぞ。 』  と云われる。 好意に甘え少し早いが有り難く頂く。

丁度食べ終わった処へ 川越氏 と 真崎さん が入ってくる。

今日は高知市内で大事な予定があるので2人に一足先に出発すると声をかけて宿をでる。

[ 大日寺 ] で貰った手書きの 「遍路みち」 と書いた 歩き遍路案内のパンフ を片手に次の国分寺に向かって歩く。

空は快晴で今日も暑くなりそうだ。 今日までは、晴天の日が多く歩き遍路には助かるが、日毎に日焼けしていくのが手首の黒さを見ても判る。

程なく案内書のとおりに 物部川 に架かる 「戸板島橋」 に出てきて一安心する。

都築さん が提供しておられる 「 遍路無料接待所 」 前では昨夜宿泊したらしい自転車遍路の 男性3人 が出発の準備をしている。 

挨拶を交わして前を通り過ぎる。

すぐ先に 「へんろ石まんじゅう」 の看板をみつけ、想い出に一つ食べて行こうと、店に入ってお願いすると蒸し上がるのにもう暫く時間がかかるとの返事。 諦めて店を出て歩き続ける。


9時前 [ 国分寺 ] に到着。 本堂、大師堂に参拝し、納経して貰う。

今度の歩きお遍路では 「南無大師遍照金剛」 の御宝号を3回と父と母の戒名をそれぞれ3回唱えて供養し、そして孫の 安産誕生 を祈願し、家族の健康を祈って参拝してきた。 これからも同じようにして参拝する積もりだ。


昨夜、「 土佐龍 」 のフロントで同期の 橋本君 が卒業した 「 県立高知小津高校 」 の場所を聞くと、 [ 国分寺 ] から [ 善楽寺 ] へ行くへんろ道の右斜め前方の方向に位置していると地図を出して教えてもらった。 この約 7km のへんろ道を歩いて行く間に彼の供養をするのが最適だろうと決めてここまで歩いてきた。


田圃の中にある [ 国分寺 ] の山門を出た処で おばあさん が あぜ道で草取りをしているのを見つけ、近寄って

  『 次の札所の 善楽寺 はどちらに行けばいいんですか ? 』

  『 この道をあっちへ行けばいいんです。 あの お嬢さん も今聞いて行ったばかりだから。 』

200m 位前方を歩いていく黒いリュックを背負った小柄な姿を指さす。 おばあさんにお礼を云って彼女の後を追ってあぜ道を進む。

歩きお遍路をしていて何時も迷うのは、お寺から出たばかり処で次の遍路道への進入口が分からなくて迷うことが多いのだ。

間もなく彼女に追いつき、

  『 こんにちは。 』

と話し掛けてみる。 彼女は香川県から来た阪大・保険学科の3年生と云う。

後で名前を聞くと 鶴野さん と教えて呉れる。   将来は病院などで検査技師の仕事に従事するのだと云う。

こんな若い女性が独り歩きのお遍路に出ているとは 「すごい」 と感心する。

彼女は区切り打ちで、今回は24番の [ 最御崎寺 ] から歩き始めて 土佐 だけは歩きたいと云う。

暫く彼女と話しながら一緒に歩いたが、今日はやらなければならない大事な仕事があるので、

  『 先に行きます。』

彼女と別れて先に進む。

[ 善楽寺 ] までの遍路道で 橋本君 の供養をしながら歩くとは云っても、お経を唱えてあげる事もできないので自分にとって、最善の手段は何だろうか、自分として満足できる方法はどうする事だろうかと考えてみた。


生前、彼と一緒に過ごした頃の想い出を回想しながら、彼が高校時代を過ごしたゆかりの深いこの故郷の土地を一歩一歩 心して歩き、今度の歩き遍路の1ページにする事が自分にできる最善の供養だろうと結論した。


近くには前にも後ろにも誰も歩いていない。 自分一人だけだ。 [ 国分寺 ] から [ 善楽寺 ] は略真西の方角にあり、その遍路道の右前方に彼の母校は位置していると云う。 北西の空を仰ぎながら 橋本君 を回想し、彼に話し掛けて歩くことにした。


* 『 昭和33年の秋頃だったと思うが、小月でメンターの地上教育を受けていた時、週末の外出で 君について 2,3回 小月の町のダンスホールに行った事がある。 
君だけ一人その時分でも黒い革製のダンスシューズを持っていて、それに履き替えると、際だってリズミカルに、なめらかにそして幾分顔を反らし気味にして、
それほど上背はなかった君なのにひときわ大きく見えて上手に踊っていた二十歳代前半のあの君の姿を、今ありありと思い浮かべられる。 
俺は君の母校に近いここ高知市内を君を訪ねて歩いてるよ。』


* 『 君が若いきれいな奥さんを貰って小松基地に勤務しているとき、クロスカントリーだったと思うが、俺が F-86Fで小松に飛んで行った時、
住まいの安宅官舎に招かれて訪ねた時、奥さんの手料理を肴に沢山ご馳走になったあの夜のことを今ありありと思い浮かべているよ。 
その後、小松の街に君のなじみの店まで連れて行ってくれて遅くまでご馳走になり、次の朝はまだアルコールが大分残っているのに、
100%の酸素を吸いながら気分をしゃんとして、松島基地に飛んで帰ったこともあったな。 
あの頃は2人共殊に若かったからな。』


* 『 昭和56年6月、君が病に伏していると聞き、浜松の病院に見舞ったら、見違えるほどやせ細った身体になっているのに、
君は俺に余計な気配りばかりして、奥さんを叱ったり、厳しく指図ばかりしていたね。 
やさしく介護してくれている奥さんを気の毒に思ったのを憶えているぞ。』


* 『 そして、枕元には「株」を扱った本が置いてあったので聞くと君は云った。 
元気になって退院したら株で儲けるんだと。』


* 『 残念ながら元気になって退院し、株で儲けるチャンスもなく、冷たくなった君に再会しなければならなかったのはついこの前のように思う。 
四国に来る前に同窓会の名簿で調べたら君がそっちに行ってしまったのは昭和56年8月14日だった。』


* 『 君が逝ってしまってから早くも20年が経ってしまった。 
君と一緒に久里浜に集い、富士山麓で走り回った俺達同期の者も今は元気にやっていても、遅かれ早かれ1人残らず、そして間違いなく君の元を訪ねる事になるのだ。
一足先に行ってる君は俺達との再会の宴に抜かりが無いよう万全の支度をしておいてくれよ。』


林や田圃の中を通る静かな田舎の遍路道では誰に気配りも要らず、ただ橋本君と二人で対話しながら夢の中の遍路道を歩いて行くことができました。

国道に出ると急に車の数も増え、騒々しくなってくる。  [ 善楽寺 ] はそんな街中にある。

10 時半  [ 善楽寺 ] に到着。 参拝を終えて暫くすると先ほどの女学生お遍路の 鶴野さん が到着し再会。

寺には大きな 山門 があるが、そこに祭られているのは 仁王様 ではなく、何故か色彩の施された神官のような姿の像が左右に祭ってある。

山門の正面奧には神社があり [ 土佐神社 ] と云う。 [ 善楽寺 ] はその参道の右側に在る。

真っ直ぐな廣い参道でその石垣の草むしりをしてる 老人 に近づいて尋ねると、この山門は神社の山門で [ 善楽寺 ] には山門が無いのだと云う。

[ 善楽寺 ] は明治の 廃仏毀釈 で廃寺 となったり、 [ 安楽寺 ] ( * 現在は [ 善楽寺 ] の奧の院 ) と両方が [ 30番札所 ] として認められたりした数奇な歴史を経て、平成5年に今日の状態になったのだと資料などに説明してある。


前回の時、雨の中歩いて投宿した 「 サンピア高知 」 の前を通りすぎて [ 竹林寺 ] に向かう。

今日も午前から強い日射しで益々黒く日焼けしそうだ。 この頃は日焼けして行くのが嬉しくも思える。

途中 「 サンピア通り 」 にうどん屋 「 得得 」 の看板を見つけお腹も空いてきたのでその店に入り、うどんセットと生中を注文する。

橋本君 の供養を無事に済ませることができた後の冷たいビールは殊の外乾いた喉に最高に美味しく味わえる。

女の子に頼んでボトルに冷たい水を補充してもらい、「 種崎の渡し 」 についても教えを請うと、

  『 フェリーは30分おきに出ており、5分くらいで着きます。 私は 雪蹊寺 の近くに住んでおり、毎日そのフェリーを使って通勤しています。 』

彼女の名前は 武田さん と云い、

  『 是非ホームページに私の事を載せて下さい。 』

と頼み込んでくる。  「 いいよ 」 と 約束すると急いで仲間の処に行って嬉しそうにその事を話しているらしい。

[ 竹林寺 ] のある 五台山 への登山へんろ道はスモモの真っ白な花が咲きそろい、途中にある墓地には今日の彼岸の入りで、あちこちに墓掃除をして祖先の供養をしている。


前回の時は 五台山 の山頂 (H139) から [ 竹林寺 ] へ下る出口が分からずに山頂の大きな施設の周りを迷い歩いたが、今回はその時の記憶と新しく設置されたへんろ案内のお陰で迷わずに [ 竹林寺 ] へ向かって下りて行くことができた。


ところが寺に到着して境内を目の前に庭園の柵に閉じこめられてしまった。 

どうしてこんな柵の中に入ってしまい、出られなくったのか今でも不思議で仕方がない。

遅れて到着した 鶴野さん に話すと彼女も同じように柵に遮られてしまったと云う。 

2人して同じ過ちをしたことになる。 

地理に不案内な歩き遍路にとって何処かに遍路案内が1つ不足しているのだろうと思う。

参拝を終えて 五台山 を下り、川岸のへんろ道へ出て振り返ると総檜造りで朱塗りの美しい五重の塔が山頂近くにくっきりとそびえ立ち、前途の安全を願ってくれているようだ。 


[ 竹林寺 ] はそんな振り返って見て美しくそして壮大なお寺です。

船が係留された港から [ 禅師峰寺 ] へ行く石肌の出た急勾配のへんろ道は痛んだ足には一寸厳しい。

その分、涼しい風の中で境内から南方に見渡せる 土佐湾 の眺めと、眼下に広がるビニールハウスの景観は汗びっしょりになって登ってきた疲れを心地良く癒してくれる。

[ 禅師峰寺 ] から [ 雪蹊寺 ] への7.5kmのへんろ道は町中を通る細い旧道で、真っ直ぐな一本道なので迷わずに歩くことができる。

フェリーは 種崎 と 長浜 の港をそれぞれ 30分 間隔で発着し、ミニカーが4台くらいまで積めて、自転車と人間がその回りに立ったまま乗船し、前後両方向に進んでいく10m四方くらいの簡便な箱形の船で、誰でも無料で利用させてもらえる。


前回は降りしきる雨の中でフェリーの運航が心配されたこともあり、2km 距離が長い 「 浦戸大橋 」 のコース歩いた。

17時を過ぎて、 [ 雪蹊寺 ] への参拝には間に合わず、予約しておいた寺の前の 「 民宿 高知屋 」 の投宿する。

食堂をやっている 奥さん が洗濯物を出せと云って洗濯機にかけ、屋根付きの通路に干してくれる。 

汚していないかと恥ずかしい気がしたが、言葉に甘えてお願いした。 

「 高知屋 」 の奥さん、有り難うございました。



「 お 馬 路 」:
竹林寺東参道の別名で、昔 安政の頃
お寺の洗濯物を集める娘お馬と純信との恋路で
近くには二人が逢う瀬を重ねた「お馬岩」がある
撮影日時(2002/03/18 12:34)
「31番札所 竹林寺」:
よさこい節で唱われる純信のいたお寺で
総檜造りの五重塔は高知県内で
最も美しいと云われている
撮影日時(2002/03/18 13:00)
「種崎フェリー」:
雪蹊寺に向かうお遍路を無料で
種崎から5分で浦戸湾を渡って
対岸の長浜に送ってくれます
撮影日時(2002/03/18 16:50)


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☆ 13日目 (H14,03,19 火 快晴で暑い) 『 鶴野さんと 再会 』


* 行程 : 「民宿 高知屋」⇒ (0.1km) ⇒ 33番 雪蹊寺 (せっけいじ) ⇒ (6.5km) ⇒ 34番 種間寺 (たねまじ) ⇒ (9.5km) ⇒ 35番 清滝寺 (きよたきじ) (H130) ⇒ (15.6km) ⇒ 36番 青龍寺 (しょうりゅうじ) (H140) ⇒ (2.9km)⇒「民宿 汐浜莊」


* 距離 : 34.6km = (Σ 412.8km)

* 歩数 : 53,700歩

* 宿泊 : 「民宿 汐浜莊」 (高知県土佐市字佐町)



6時半 朝食の席に座ると隣の席にはなんとお遍路の2日目に 「 植村旅館 」 で初めて会い、「 民宿金子や 」 や6日目の 「 民宿みゆき莊 」 で一緒だった 左三川氏 だ。

  『 なんと云うことですか。 』

お互いに驚いて挨拶をする。 昨夜から襖で区切られた隣どうしの部屋に寝ていたのに全く知らないままだったのだ。 

6日目の朝、 [ 平等寺 ] の前で別れて以来1週間振りの再会だ。

歩きお遍路の素晴らしい出会いの有り難さを実感する。 彼は昨日 [ 雪蹊寺 ] の参拝を済ませているので直ぐに出発できると云う。

7時 近くまで待って宿のすぐ前にある [ 雪蹊寺 ] に参拝する。 7時を待って最初の参拝者として急いで納経して貰い、次の [ 種間寺 ] へ向かう。

途中の小さな商店の軒先に枝は余り広げていないが、幹周りが60cmはありそうな巨大な藤の木を見つけ、暫くこの珍しい藤の大木について店の奥さんに話を聞いて通り過ぎる。


[ 種間寺 ] には 「 安産の薬師さん 」 と 呼ばれる [ 観音堂 ] があり、左手に可愛い赤ちゃんを抱いた [ 子育観音 ] が祭られている。 

こんな可愛い孫が無事に生まれてくれることを願いながら参拝し、お祈りする。

[ 清滝寺 ] への途中にある 1kmを超える 「 仁淀川大橋 」 は右からの強い風と走り抜けるトラックの轟音に悩まされ、渡り終わるのに実際よりも長く感じられた。

大橋 を渡って川沿いに右折し、土手を進むと前方に広がる山の中腹に [ 清滝寺 ] が望見できる。

商店街のめぼしい洋品店にお願いしてリュックを預けさせて貰い、身軽になって清滝寺に向かう。

目の前に寺院の全景が遠くに見えてからの後の長い上り坂と石段は特にきつい。

途中、塀壁で囲まれた大きな家から おばあちゃん がひょっこり出てきて 、

  『 これ、お接待です。 どうぞ。 でも みな持って行くと重いから 一つだけ持っていって上で食べなさい。 
    残りはここに置いとくといいから。 』

大きな文旦2個 と ネーブル1個 を袋に入れてお接待して下さる。 

納め札を渡してお礼をのべ、云われた通りに文旦1個 を手提げに入れ、残りを家の前に置かせてもらって出発する。

納経を終え見晴らしのよい椅子に腰かけて、涼しい風を受けて一息つきながら一気に頂く。 美味しかった。 

あの大きな文旦の味は、今も記憶に残っていて懐かしい。

山を下りて 高岡商店街 の手前で振り返ると、今お参りしてきた [ 清滝寺 ] の大きな赤い屋根瓦が山の中腹にはっきりと遠望できる。

[ 清滝寺 ] はこのように下山時に振り返って懐かしむお寺でもあります。

次の [ 青龍寺 ] への途中にある、最近開通したばかりの 「 塚地トンネル 」 ( 837.5m ) は車道側に手すりの付いた立派な歩道があり、トンネル内の照明は割合暗くして、走行する車は珍しく全てが点灯していた。


またトンネル内の排気もよく、空気が冷たくて通過する10分の間に汗で熱く燃えた身体もすっかり心まで冷えてしまい、歩き遍路にはすごく快適なトンネルです。

浦ノ内湾 をまたぐ 「 宇佐大橋 」 の手前の 「 海洋研究所 」 に頼んでリュックを置かせてもらい、身軽になって [ 青龍寺 ] に向かう。

橋の欄干から下を見ると、海は透き通ったきれいな水で、浅瀬には陽気な日射しのなか 多くの家族連れらしい人が潮干狩りを楽しんでいる。

[ 青龍寺 ] に近い参道には右側に苔むした数多くのお地蔵さんが 4つ、また 5つと並んで在り、地元の人がお供えしたのだろう新しいお花がどれにも差してあり、お遍路の途中行き倒れになった名も知れない先人達の無縁仏だろうかと、自然に手を合わせて通り過ぎる。


[ 青龍寺 ] の参拝を済ませて国道へ出る処で 左三川氏 と再会する。 トンネルを通らずに 「塚地峠」 を越えて来たので時間を食ったと云う。

今夜は [ 青龍寺 ] の向かいの山頂にある 新しく民営化した 「 国民宿舎 」 ( H141 ) に泊まるとの事で再会を約束して別れる。

「 宇佐大橋 」 を渡って途中預けておいたリュックを受け取り、宿舎の 「 民宿汐浜莊 」 に向かう。

宿舎に着くと庭木の手入れをしていた 宿の主人 が出迎えてくれ、今夜の宿泊者は私1人だと教えてくれる。

部屋もきれいで落ち着いた雰囲気で過ごせる。

2枚重ねの靴下を通して右足の裏には血汁がべったりとにじみ出ている。

早速足の手当をし、洗濯機を借りて汗に汚れた衣類を洗濯する。

7時過ぎになってやっと夕食の準備が出来たと今度は 宿の奥さん が部屋に呼びに来てくれる。

夕方になって急に2人が泊めてくれと電話してきたので準備に時間がかかり、遅くなって申し訳ないと謝られる。

1 階の食堂に下りて行くとやはりテーブルには3人分の食事が準備してある。 間もなく初めて会う 青年 が入ってくる。

彼は仕事を辞めて独りで歩いていると云う。 詳しい事は聞けないが今の不況の余波だろうか。

彼も名古屋から来たと云い、自分は小牧から来たのだと応えると親しげに話を続けてくる。

そこへ 鶴野さん が入ってきて私の顔を見てびっくり。  2人とも驚きの表情になる。 

まさか彼女が今夜この宿に飛び込んで来るとは想像もしていなかっただけに。

再度の奇遇を驚き、兎に角 再会を喜び合う。 

歩きの途中でこの青年と一緒になり、夕方になってこの宿を予約したのだと云う。

青年も私と彼女が既に知り合いだったと知って驚いた表情になる。



「 人生 即 遍路 」:
四国おへんろでは 辛くても苦しくても
ただ無心に歩き続けていると
山頭火の云う 人生そのもの が見えてくるのです
(33番雪蹊寺の門前)
撮影日時(2002/03/19 06:52)
「 35番札所 清滝寺 」:
仁王門の天井に描かれた
見事な龍の絵

撮影日時(2002/03/19 11:27)
「 宇佐大橋 」:
お遍路さんは 36番青龍寺 を参拝するためには
浦の内湾を跨ぐこの美しい宇佐大橋を
歩いて往復します

撮影日時(2002/03/19 14:10)


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☆ 14日目 (H14,03,20 水 快晴で暑い) 『 左三川氏と お別れ 』


* 行程 : 「民宿 汐浜莊」⇒ (10.9km) ⇒ 浦の内中学校 ⇒ (21.7km) ⇒「大谷旅館」


* 距離 : 32.6km = (Σ 445.4km)

* 歩数 : 48,600歩

* 宿泊 : 「大谷旅館」 (高知県高岡郡中土佐町)



3人で 6時から朝食をいただき、2人より一足早く出発する。 朝食の準備は主人の仕事らしく、今朝は奥さんの顔が見えない。

家は築15年になるそうだが、それにしては新しく、寝具も気持ちがよい。 出発には主人が庭先まで出て見送ってくれる。

宿を出ると間もなく 須崎市 に入る。 今日も快晴で風が無く、最高の歩き日和になって、更に日焼けしそうだ。

2年前、立ち寄った時、おでんのお接待を頂いた 「 美島商店 」 の前を通るときは、時間が早いためか店の中にはまだ電氣がついておらず暗い。 

心の中でお礼を云って通り過ぎる。

左側にずーっと続く浦ノ内湾の穏やかな海面を眺めながらくねくねと曲がる湾沿いの県道を歩いて行く。

右手の山には山つつじが "ノーピンク" ( * 濃い桃色。シャブ シャブ とは無関係です。) で咲き誇り、ウグイスが 「 ホー ・ホケキョ 」 ときれいな音色で鳴いてくれる。 

独りで聴くのが勿体ないような気もする。

県道に面して並ぶビニールハウスの中を見ると2mくらいの蜜柑の木に色、形は土佐文旦によく似ているが、一回り小振りな実をたくさん付けたのが見える。

丁度そのときハウスから出てきた ハウスの人 に果物の名前を聞いてみると 「小夏」 と云うのだそうで、

  『 特別な食べ方があるのですか? 』

  『 黄色い皮を薄く剥いて、輪切りにし、かるく塩を振りかけて食べると美味しいのです。 』

文旦 とは全く違った食べ方をするんだと教えてくれる。 今頃は何でもハウス栽培だ。 

値段が高くなったり、季節感が薄らいだりする代わりに、一年中美味しい果物が食べられるようになった。

農家の皆さんの苦労に感謝したい。 出荷まであともう少しだと嬉しそうに笑顔で答えてくれる。

「 横波バス停 」 から右の県道314号に入って 「 馬路 」 ( H140 ) を経由して、 「 仏坂峠 」 ( H140 ) を越えるへんろ道を歩くことにして歩を進める。

峠手前の人里から随分離れた畑で農作業をしている 男性 に声をかけてみる。

  『 何を作ってるんですか? 』

と挨拶代わりに聞くと

  『 えんどう豆 を作ってるんだが こんな処だから水をやるのが不便で 大変です。 何処から来たのかね。』

  『 名古屋からです。 徳島から歩いています。 』

  『 昨日も 名古屋から来たと云う 男の人が 歩いて 行ったよ。 』

こちらを振り向いて応えてくれる。

「 仏坂峠 」 から 「 岩不動 」 への下りは危険な岩道で滑りやすく、狭い林道にはビニール紐が無作為に張ってあったが、どうしてなのかその理由が分からず、疑問に思いながらも転ばないように注意して下りて行く。


静寂な環境に建つ 「 岩不動 」 の庵は小さいながらも威厳を感じさせ、心静かに参拝させてもらう。

「 岩不動 」 から県道に出るまでの 4〜500m は なだらかな下り坂で、道の両側の桜の木はほぼ満開の咲き具合で和やかに出迎えそして見送ってくれる。

このくらいの緩やかな下り坂は疲労取りを兼ねてゆっくりした駆け足で下りて行くと快適に下りて行けるし、躰もほぐれて疲れも取れる。 

安全な道なので注意しながらゆっくりした駆け足で下りて行く。 気分もスッキリする。

須崎の町 に出るまでの田舎道には、道ばたに廃車になった数台の車が放置されており、さび朽ちるまでここに置きっぱなしにされているのかと思うと何ともいやな気分にさせられる。

妙見町にある 「 松田ストアー 」 に入り、昼食用にあんパンと牛乳を買ってレジで支払いをしていると後ろから、

  『 お遍路さん これをどうぞ。 これは私に付けてください。 』

私 と レジの女性に云って、冷たい グリコの カフェオーレ を 1本 バックに押し込んで下さる。

横を見ると中年の ご婦人 で有り難くお礼を云って頂戴する。

いまは顔も覚えておりませんが、温かいお接待とすばらしい出会いに対し心からお礼を申しあげます。 有り難うございました。

店の向かいの駐車場で、日陰に腰を下ろして昼飯にする。 いまお接待されたばかりの冷たいカフェオーレを最初に一気に飲みほす。 疲れた躰には最高に美味しい。

歩きお遍路の姿をしているとこんな道路に面した地べたに座って食事をしていても、世間の目は許してもらえるような気がするから有り難い。

車の往来の激しい 「 須崎警察署 」 の前を歩いていくと道の反対側から名前を呼びかける声がする。 振り向くと 左三川氏 が手を振っている。

歩き遍路は出会いの連続だ。 話を聞くと 左三川氏 は明日、 [ 岩本寺 ] の参拝を終ってから千葉の自宅に帰ると云う。

今夜の宿を聞くと偶然にも同じ 「 大谷旅館 」 に予約していると云う。

「 角谷トンネル 」 、 「 久保宇津トンネル 」 の短い2つのトンネルを抜けると、「 焼坂トンネル」(966m) が続く。

このトンネルの歩道は車道境界の白線からトンネルの壁まで 70cm位 の幅しかなく、更に排水溝の上にかぶせた蓋を歩道にした粗雑なもので、車の騒音と排気扇の運転音で通り抜けて外にでるまでの 約15分間は恐怖と轟音で感覚がおかしくなってしまいます。


「 焼坂トンネル 」 を通らず、昔のへんろ道の 「 焼坂峠 」 を越えてくれば良かったのにと悔やまれます。

「 焼坂トンネル 」 を抜けて中土佐町に入ると 「大谷旅館」 はもうすぐです。

宿に着いたら 左三川氏 とささやかな送別会をやって最後のお別れをしようと旧道で見つけた造り酒屋 「 西岡酒造店 」 に立ち寄り、「 四万十川源流の雫 」 と云う日本酒を買って宿に向かう。


間もなく 左三川氏 の声がして襖で仕切られた隣の部屋に案内されてくる。

彼が後片付けが一段落したような時を見計らって左三川氏 に声をかけて部屋に呼び、お互いのこれまでの健闘をたたえ、2人で乾杯する。

彼は 「 焼坂峠 」 を歩いたそうで、それで時間を食ったのだと云う。 しかし峠を選んで歩いたのは正解だ。

途中、トイレに行くと洗面所であの 鶴野さん とまたまた再会する。

部屋に呼んでお酒を勧めるが彼女は全く飲めないと云うのでへんろ談義にだけ加わってもらい、暫く3人で談笑する。

酒も美味しく、ささやかながら賑やかな送別会ができた。

宿の 年のおかみさん に風呂は未だかと聞くと、

  『 早く 沸かすと 冷めるでね。 』

との応え。 まさに銘言で、昔、お袋に風呂が沸くと何をしていても、

  『 風呂が冷めるから勿体ない。直ぐ入れ。 』

と急がされ、一人が出ると有無を云わさず次の者を入らせていたのを思い出し、この言葉に懐かしささえ感じる。

前回の歩きお遍路 で讃岐の 国分寺 近くで泊った宿では、風呂に行ってみると石鹸もシャンプーも無いので、宿のおばあさんにそれを云うと

  『 出しておくと すぐに無くなるでね。 』

と云ってシャンプーは出してもらえなかった。 これまた銘言であった事を改めて思い出す。


  *歩きお遍路さんにとって入浴は最高の楽しみなのです。
    どうかこんな事を云わないで遍路さん相手のお宿なら、着いたら直ぐにでも 入浴できるくらいの心遣いを提供して頂きたいと思います。
    遍路宿 の皆さん どうかよろしくお願い致します。




「岩本寺へのへんろ案内」:
仏坂峠を越えるへんろ道入口にある
へんろ案内標識
撮影日時(2002/03/20 09::46)
「 山道に咲くさくら 」:
「岩不動」 からの下り道では
桜が静かに咲いて お遍路を癒してくれる
撮影日時(2002/03/20 10:18)
「2年前と同じ姿の放置廃車」:
岩不動から須崎市へ向かう遍路道の傍には
2年前と同じ姿で廃車が鎮座していました
撮影日時(2002/03/20 10:42)


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☆ 15日目 (H14,03,21 木 曇りから小雨) 『 奧代初子さんとの 出会い 』


* 行程 : 「大谷旅館」⇒ (8.2km) ⇒ そえみみず(添鰈鯰) へんろ道 (H409) 経由 七子峠 (H293) ⇒ (13.5km) ⇒ 37番 岩本寺 (いわもとじ) (H210) ⇒ (10.30km) ⇒「佐賀温泉」


* 距離 : 32.0km = (Σ 477.4km)

* 歩数 : 50,100歩

* 宿泊 : 「佐賀温泉」 (高知県幡多郡佐賀町) (*下記注)



隣の部屋で大きな物音がして目が覚める。 時計を見るとまだ4時過ぎだ。 隣の 左三川氏 がもう起き出して出発の準備をしているらしい。

  『 朝食を食べないで出発すると一つ早い飛行機に乗れて、明るい内に家に着けるから早く出発します。 』

と襖越しに教えてくれる。

暫くして彼が部屋に入ってきて、この2日間弾倉が閉まったままで調子が悪いと云う。 私とは逆の現象だ。

逆の現象を有り様に話しても余り参考にはならないだろうとは思ったが、話のついでに話してみる。 

話もそこそこに 左三川氏 は出発のために階段を下りて行く。
左三川さん とは 3/09 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。  何時までも元気で頑張って下さい。

左三川さんから 約1年後、 多くの日々を共に歩いた昨年春のお遍路記録を送って頂きました。
   また、その時 打ち残した [ 38番金剛福寺 ] から [ 88番大窪寺 ] までの歩きの経過と結願の喜び、そして [ 1番霊山寺 ] へのお礼参りの遍路旅を
   平成15年3月1日から3月25日にかけて達成され、彼にとって2度目の結願を成就されたとのことです。
   左三川さん おめでとうございます。 (H15.4.16)

約束の6時半より早く、下からおばあさんが上がって来て食事の準備が出来たと知らせて呉れる。

早くから起き出してガタガタと物音を立てるので目が覚めてしまったと早く起きだして出発した事に一くさりの小言を云いながら料理 をテーブルに並べてくれる。

鶴野さん はいつものように今日も素泊まりらしく、朝食の準備は自分の分だけだ。

「 七子峠 」 へ向かうへんろ道は3つのコースがある。 前回はその一つの 久礼 の街並みから 「 大坂谷 」 を経て 「 七子峠 」 に至る「奥大坂」のルートを歩いた、今も懐かしい想い出を残している。 

他に車両が進む国道56号線と これから歩いてみようと思う山道の 「 そえみみずへんろ道 」 がある。

今日は 「そえみみず(添鰈鯰) へんろ道 」 を歩いて行こうと 「 別冊 」 を頼りに 06:20 宿を出発する。

国道から右折して入る遍路道の案内標識が見つからないまま歩いていると 前方にトンネル の入り口が見えてきた。

「 別冊 」 と見比べて大分行き過ぎているらしい。 朝が早いので道を尋ねる人もなかなか見つからず、やっと自転車に乗って犬の散歩をさせている 男性 を見つけ、呼び止めようと

  『 すいませーん。 すいませーん。』

と大声で呼ぶ。 白衣のお陰でお遍路さんが道を尋ねていると知って、立ち止まって下さる。

  『「そえみみず(添鰈鯰)へんろ道」を歩きたいのですが、入り口は何処でしょうか。 』

  『 向こうに引き返して行くと橋があります。 その橋の袂を左に入ると そえみみずに行けます。 』

教えられたとおり橋を求めて後帰りをする。

暫く歩いていくと、さっきの男性が先回りして橋の袂で待っていてくれ、曲がってからの道順を詳しく教えて下さる。

先ほどの説明だけでは人気の少ない山道に入ってから迷子になるかもしれないだろうと心配して、追加の説明をして下さったのだ。 なんと有り難いことか。

国道56号 では車が通過するだけで、道を聞いたりできるような人が少なく、こんな人気の無い時に出会えた事は本当に運が良く、また親切に教えて下さった貴方に心からお礼を申します。


素晴らしい出会いを有り難うございました。

「 そえみみず(添鰈鯰)へんろ道 」 へと歩いて行き 集落の最後にさしかかった時、おばあさんが急ぎ足で出てきて、

  『 おへんろさーん  一寸そこで待ってて。 』

と云ってまた家に走って帰り、間もなく玄関から菓子箱のような物を抱えて戻ってきて

  『 これ、私からのお接待です。』

紅茶のボトル と 紙パックのほうじ茶、それに 小袋のかっぱえびせん 数個のあめ玉、 そして

  『 これは私がお接待用に縫ったの。 よかったら遣ってちょうだい。』

と 可愛い手縫いの賽銭袋も一緒に手渡して下さる。 両手を出して受け取り、手提げ袋に仕舞う。

  『 こんなにたくさん頂いて良ろしいんですか。 有り難うございます。 』

  『 私はねぇー ずーっとお遍路さんのお手伝いをしていて、ここにも名前が載っているのよ。そして、』

と云いながら 持ってきた 「 別冊 」 のページをめくって後の方 ( p 200) から 「奧代初子」 の名前を指さしながら、

  『 これ、私です。 お遍路さんのために頑張っていますの。 貴方も最後まで頑張って歩いて下さいよ。』

と励まして下さる。 年齢は79歳と云われる。

とても元気な方で、 「 そえみみず(添鰈鯰) へんろ道 」 を歩かれたお遍路さんで、このおばあちゃんに呼び止められ、心のこもったお接待を受けられた方がさぞ多いだろうと想像します。

奧代初子さん 素晴らしい出会いと心のこもったお話、そしてお接待、本当に有り難うございました。

「 そえみみず(添鰈鯰) へんろ道 」 を歩いた想い出と共に大切にさせて頂きます。

「そえみみず(添鰈鯰) へんろ道」 は がれき石の山道ですが、四国霊場らしいへんろ道の雰囲気を満喫させてくれる約5kmの上り道でした。

歩きお遍路にとって前回歩いた 大坂谷を越えて七子峠に至る 「奥大坂」のルート も素敵な遍路道でしたが、今回の 「そえみみず(添鰈鯰) へんろ道 」 も一度は是非体験されることを勧めます。

「 そえみみず(添鰈鯰) 」 から 国道56号 に出たのは 9時少し前でした。 朝からの曇り空は次第に暗くなっていき、昼前から久しぶりの雨が降りはじめる。

時折り通り過ぎる車が轍にたまった雨水をしぶきにしてまき散らす。 傘を開いて水除けに使いながら歩いていく。

[ 岩本寺 ] の手前で前方を歩いている 鶴野さん に追いつく。 彼女は今朝 6時前に宿を出て 「大坂谷越え」 のへんろ道を歩いたと云う。

全身がすっぽりと隠れる白い厚めのレインコートを着て平気そうに歩いているが、蒸し暑くないのだろうか。 人ごとながら心配になる。

[ 岩本寺 ] の本堂は新しく、天井は多くの枡に区切られて花や仏様のきれいな絵がと一緒に鮮やかな色彩のマリリン・モンローの絵もあったりして、見る者の疲れを癒してくれる。

絵は全部で575枚あるそうで何時まで見ていても見尽きることもないし、見飽きることもない。 しかし上ばかり見ていて首が疲れてくる。

[ 岩本寺 ] から次の [ 金剛福寺 ] までの距離は約95kmあり、札所間の距離では一番長く、途中2泊はしないとたどり着けない。

今夜は 「 佐賀温泉 」 を予約してある。 聞くと 鶴野さん も同じ旅館を予約したと云う。

宿の名前からして温泉らしいが本当の温泉なら嬉しいのだがと期待しながら小雨の降り続くなかを宿までの約10kmを久し振りに彼女と一緒に歩いていく。

国道から山道のへんろ道に入り、暫く登った処で再び国道に出る。

そこはトンネル と トンネル の間で、迷わず左の方に進みトンネルを通過して15分ぐらい歩いたところで

   「高知へ○○km、窪川へ△△km」

の交通標識があり、「 反対方向に歩いているのではないの?」 と 鶴野さん が教えてくれる。

疲れた足取りで今来た道を引き返す。 そして先ほど通過した 「 片坂第1トンネル 」 、続いて 「 片坂第2トンネル 」 を通って 「 佐賀温泉 」 に向かう。

宿に着いて 「 別冊 」 を見直すと最初に山道から国道に出た時、国道を横切ってそのまま向かいにある山道へ入っておれば距離も短く、こんな大ポカをすることは無かったのにと悔やまれる。


自分の人生も間違いを犯してから初めて反省するものだったが、「 転ばぬ先の杖 」 、事前の研究・準備はしっかりやるべき事をまたしても教えてくれる。

これが 「人生 即 遍路 」 の教訓だ。

「 佐賀温泉 」 は川向こうから曳いた冷泉 を沸かしている温泉で、地元の人やドライバーの人が重宝しているようで、利用料金は \500 と云う。

夕食時に、もう1人歩きお遍路らしい男性が隣のテーブルで食事をしていたので少し気にはなったが話かけられないまま終わってしまう。

「 そえみみず(添鰈鯰)へんろ道 」 で奧代のおばあちゃん から頂いた賽銭袋を  『 もし 遣ってくれるなら 』  と鶴野さん に進呈すると、喜んで彼女が貰ってくれる。


*注 : 「 佐賀温泉 」 について

 @ : 温泉が最高で、歩きへんろで蓄積された疲労を十分に癒して呉れる。

 A : 川向こうからの冷泉を湧かしたお風呂で湯量も豊富。

 B : 地元の人や旅の人も利用し、いい湯です。

 C : 朝食は7時からで、前日弁当の用意をしてもらえる。

 D : 部屋はきれい。


「 37番札所 岩本寺 」:
本堂の内陣格子の美しい天井絵
仏様や花もあれば マリリン・モンローもいる
撮影日時(2002/03/21 12:16)


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☆ 16日目 (H14,03,22 金 曇りから雨) 『 古老の ことば 』


* 行程 : 「佐賀温泉」⇒ (21.5km) ⇒ 入野分岐 ⇒ (11.9km) ⇒「駅前ビジネスホテル」


* 距離 : 33.4km = (Σ 510.8km)

* 歩数 : 48,600歩

* 宿泊 : 「駅前ビジネスホテル」 (高知県中村市駅前町)



昨夜つくって貰った弁当を食べ、まだ薄暗いうちに宿の前の国道を南に向かって歩きはじめる。

「 伊与喜駅 」 を過ぎて間もなく、国道から車の少ない旧道のへんろ道に入り、峠にさしかかると 明治時代 に完成したと云う 「 熊井トンネル 」 がある。 そこの説明板に

  * 『 昔、トンネルが開通した時、村の長老 がこのトンネルを見て "トンネルというものは入り口は大きいが、出口は小さいものじゃのう" と云った。』

こんな面白い逸話が書かれている。 トンネルを見ると確かに向こうの出口は小さく見える。 

「 熊井トンネル 」 は今も昔のままの照明のない姿を残し、所々から雫が落ち、しーんと極度に静まりかえっている。

昼前から小雨がぱらつきだすが、大したことにはならない。 

「 上川口郵便局 」 に立ち寄り、所要のお金を引き出す。

雨で身体が冷え、お腹も空いてきたので途中のコンビニに入り、あんパンと牛乳で腹ごしらえをする。

歩道の付いた歩きやすい 「 逢坂トンネル 」 ( 210m ) を抜けると 中村市  に入る。

雨はだんだん本降りになってくるが、通り過ぎる車の飛沫も雨傘で避けながら今夜の宿に向かって歩く。

自転車でやってくる 中学生 に  「中村駅への行き方」  を聞くと、

  『 あの向こうの後川 (ウシロガワ) に架かる 「 中村大橋 」 を渡って直ぐの信号を右折すると間もなく中村駅に着きます。 』

と教えてくれる。 途中、薬局で足用のテープを購入し、コンビニで今夜と明朝の食料を買って 「 駅前ビジネスホテル 」 に到着。

鍵を貰って208号室に入り、直ぐに入浴しようとバスタブにお湯を入れ始めるとお湯漏れのトラブルが発生。

フロントに電話して見てもらうが回復するまでには至らず、結局1階上の 308号室 に移動させられる事になる。

半端な姿で、一切の荷物を両手に持って上の階に移動する。

入浴を済ましてから、爪切り を借りにフロントに下りると、しとしとと冷たい雨の降る中を 鶴野さん が入ってくる。

駅前には10軒近い旅館があるのに偶然にもまた同じ宿になるとは何か彼女と不思議な出会いを感じる。

足の痛みはここ数日で大分薄らぎ、左足の裏にはまだ皮膚が再生していない 2ヶ所で靴下に新しい血汁が滲み出ているが、少し歩いて足が慣れてくると大丈夫歩けるようになってくる。


爪が脱落した左足第3指と右足第5指は歩きには全く影響がない。

両足とも第 1 指の爪は前部が剥離してパクパクと動くが、その下には既に新しい皮膚が再生されており、歩きには殆ど影響がない。 

今回も足の痛みが落ち着くのに約 2週間かかった事になる。

明日もまた参拝する札所は無く、ただ無心に前をみて歩くのみの1日になる。 明日も頑張って元気に歩こう。



「 熊井トンネル説明文 」:
時の古老が
「トンネルというものは入口は大きいが
出口は小さいものじゃのう」
と言ったと書いてある
撮影日時(2002/03/22 07:19)
「 熊井トンネル 」:
明治38年(1905)12月竣工した90mのトンネル
今見ても出口はずいぶん小さいです


撮影日時(2002/03/22 07:20)


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☆ 17日目 (H14,03,23 土 快晴で1日中風が強い) 『 真念庵に お参り 』


* 行程 : 「駅前ビジネスホテル」⇒ (4.8km) ⇒ 四万十川大橋 ⇒ (11.1km) ⇒ 真念庵 (しんねんあん) ⇒ (17.0km) ⇒ はまみち ⇒ (2.3km) ⇒「民宿 旅路」


* 距離 : 35.2km = (Σ 546.0km)

* 歩数 : 42,000歩

* 宿泊 : 「民宿 旅路」 (高知県土佐清水市以布利) (*下記注)



買い置きの巻きずしで朝食。 忘れ物が無いか何度も確認し、フロントにキーを残して宿を出る。

  ホテルで無人のフロントを出るときは、何時にもまして絶対に忘れ物をしない注意が肝要です。
    内部からは自由に開けられるが、一旦外に出ると2度と入れないドア構造のホテルが多いので、
    万一、納経帳や遍路地図などを置き忘れるとその後の続行が不可能になってしまう場合もあります。
    * 私は 最初のお遍路で 18日目の朝 ホテルに [別冊] を忘れて出発し、取りに引き返した苦い経験があります。


「 中村大橋 」 を渡り、四万十川 沿い左岸の道を歩いて 「 四万十川大橋 」 に出る。 

長い橋は右からの強い風に吹かれて渡り切るのに苦労させられる。

昨日の雨で川沿いの桜も満開になり、ウグイスも徳島を歩いた時より鳴き方が上手になっている。

あちこちで田植えの準備も進み、田圃 に引かれている水がカラカラと転ぶような音を立てて田圃 に流れ込んでいる。

田圃で 働いている人 に聞くと田植えは 4月に入ってからになるそうだが、それにしても高知は早い。

今日は高松の 藤井さん に勧められて、[ 真念庵 ] にお参りして行く事に決めて来た。

庵の世話をしている 「 山本ストアー 」 ( * Tel:0880-84-0732 ) に数日前から事前の連絡を試みたがどうしても電話が繋がらない。

中村市 から 土佐清水市 の間に 「 伊豆田トンネル 」 ( 1,620m ) がある。 

長いトンネルだが立派な歩道が完備しており、涼しい風が吹き抜けて通り抜ける20分は快適な歩きだった。

[ 真念庵 ] への上り口の右側に 「 山本ストアー 」 の看板があり、入り口に行って呼んでみたがやはり今日も留守のようだ。 

残念ながら [ 真念庵 ] の 「ご朱印」 を貰えないことになる。

あぜ道を上って [ 真念庵 ] にお参りする。 小さな古びた庵には納められたリヤカーが朽ちるまま残されている。

参拝を済ませての帰路、中年の男性 が里帰りの機会にお参りしたと云って水桶と花を持って庵への道を上っていく。

庵からの石段を下りて日当たりのあぜ道に腰を下ろして、パンと牛乳で腹ごしらえをしていると、鍬を担いで畑に上って行くおばあさん が通りかかる。

  『 このお寺はねぇ、村のもので随分痛んできたからみんなと話し合って直そうとしているんですよ。
    この頃はだんだん知らん人が増えてきたけど、昔 中村から足の悪い人が リヤカ で運ばれて来て、
    真念さん にお参りしたら、帰りは歩いて帰れたと云う有り難いお寺なんだよ。 』


親しみを感じさせるやさしい語り口で話し掛けてくださる。 

ほんの一寸した間の出会いでしたが、おばあちゃん、本当に有り難うございました。 心から癒されました。

お陰で [ 真念庵 ] の歴史の一こまを知ることも出来ました。 

足を痛めても歩き続けている自分にとって真念庵にお参りできたことはこれからの歩きに希望が出てきました。

休憩を終わって出発しようと立ち上がった時、足の痛みと、足場の悪さでよろめいて後方に倒れそうになるが、[ 真念庵 ] への 「道しるべ石 」 にもたれ掛かかるようにしてどうにか倒れずに助かる。


  『 真念さんが お助けになったのね。 よかった、 よかった。 』

ねぎらいの言葉を残して奧の畑の方に歩いて行かれる。 おばあちゃん、想い出を有り難うございました。

県道321号 に戻って 「 ドライブイン水車 」 の前を通りかかると向こうのベンチで食事中の 鶴野さん の姿を発見。 

彼女は 6時に宿を出発した云う。 ほとんど同じころ出発したようだ。 今夜の宿はまだ決めていないと云う。

前回の経験で 「 民宿 旅路 」 は良かったので自分はそこに予約してあるが、もし希望するなら早いほうがいいと思うよと勧め、二言三言 話をして先に出発する。

途中、 「下の加江橋 」 の手前の薄暗いバス停小屋の中で男性のお遍路さんが にぎりめしを食べている。 

 『 お先に。 』  

と声をかけて通り過ぎる。

知らない人だが同じ 歩き お遍路さん と云う親しみから声をかけずには通り過ごせない。

「 下の加江橋 」 は左からの強い風で背中のリュックや手提げが風に持って行かれそうになる。 帽子は飛ばされないように前もって白衣の胸にしまい込む。

雲一つない空を旅客機が北西に真っ白い4本のコントレール ( * 飛行機雲) を残して飛んで行くのが見える。

往時、編隊を組んだ僚機のテールパイプ から モクモクと湧き出る航跡雲を間近に見ることができた頃を懐かしく思い出す。

暫く歩いて行くと土佐文旦の出荷作業をしている作業小屋の前を通りかかると、中から主人 が出て来て、大きなのを2個「これをどうぞ。」とお接待して下さる。 

お礼を云って手提げに仕舞う。

暫く歩いて道の崖上に上がってリュックを降ろし、下を通過していく車を見ながら、今貰った文旦を肥後ナイフで皮をむき水気いっぱいの大きな実を頬張る。 

向こうから 鶴野さん が歩いて来るのを見つけ声をかけて呼ぶ。

彼女も上がってきて、もう1つの文旦も一緒に食べる。 彼女も 「 民宿 旅路 」 に予約が取れたと喜んでいる。

  『 それは良かった。 あそこなら絶対に安心して泊れるから。 』

途中、「 民宿 くもも 」 に立ち寄り、奧から出てきた娘さんに明日の予約の確認をする。

行く手の右側に 5階建ての 「 大岐ホテル 」 がひときわ白く目立って建っている。

ホテル前を過ぎて、県道からコンクリートのスロープを通って砂浜に下りる。

太平洋に面した真っ白いきれいな砂浜の海岸 「 大岐の浜 」 が真っ直ぐな海岸線をつくって続いている。

ここは 「 はまみち 」 と云って昔からのへんろ道だ。

波打ち際で一段ときれいな場所を見つけ、リュックを降ろして、室戸への途中の 「 宍喰海岸 」 で父母の供養をした時と同じ手順で父母の戒名と俗名を白砂の上に出来るだけ丁寧に刻書して、上方に 金剛杖 を立て、こうして今 四国を2度も歩いて回っている頑張り屋の自分を生んで呉れた亡き両親に感謝しながら、安らかな永久(トワ) の眠り を祈って合掌する。


「 はまみち 」 の最後には海に注ぐ川の流れがあり、 「 靴を脱いで川を渡る。」  と別冊にも書いてあるが、水の流れは 1m くらいに狭まくなっており、容易に飛び越えることができた。 


今日の様な天気の日には裸足になって砂に直接触れながら歩く方がずっと爽快な気分だろうと思うが、足の裏には傷があり、テーピングしているので諦めて靴のまま波打ち際に足跡を一歩一歩残して歩いて行く。


「 民宿旅路 」 に 2時前 到着。 2年振りに宿の 坂下さんご夫妻 と再会する。

前回の時、お世話になった色々な思い出話をしながら重ねてお礼を云う。 ご夫婦はこの前と少しも変わらず若々しくお元気だ。

奇しくも、2年前と同じ3月23日に、階段を2階に上がって直ぐ右手の同じ部屋に宿泊することになる。

部屋で着替えをしていると、長男の克彦 (東京海上勤務・箕面市在住) から今日と明日の週末を利用して、親父の歩きへんろの後姿を追って車で陣中見舞いに行くと電話で連絡してくる。


突然の知らせにびっくりするが嬉しい。 

今夜は高松に泊まり、明朝早く出発して足摺岬で会合できるように来ると云う。 

足摺岬への往復の遍路道の途中の何処かで会える事になるだろう。

出来ることなら少しでも息子と一緒にへんろ道を歩いてみたい。 

それが2人にとって一番の想い出になるだろうから。

しばらくして隣の部屋に鳥取から来たと云う 徳安氏 が到着され、納め札を交換して挨拶し、自己紹介する。

21日の夜、「 佐賀温泉 」 で、隣の食卓で独りで食事をしていたのが 徳安氏 と分かる。 

徳安氏 は区切り打ちで今回は10日間くらいの日程だそうだ。

毎日の計画コースを 国土地理院 の地図に綿密に書き込んで準備し、旅館も全行程の予約を往復はがきで確約を済ましておると云われる。

こんな用意周到な方に会ったのは初めてだ。 見習うべき几帳面さに感心する。

ただ、天候とか、身体の調子によって計画を臨機応変に変更しなければならない場合もあるので、余り先まで固定するのは問題かもしれない。

夕食は沢山の海の幸を食膳に並べて貰い、ご馳走を肴にしての冷たいビールは格別に美味しい。



*注 : 「 民宿 旅路 」 について

 @ : 到着時、部屋でお茶とケーキをご馳走になる。

 A : 奥さんが「洗濯物を出せ」と云って明朝までに洗濯・乾燥して下さる。

 B : 部屋の暖房は石油ストーブ。

 C : 食事は夕・朝とも家庭的な雰囲気で、ご馳走が沢山。

 D : 夕食にビール1本注文したら朝の支払い時、「ビールはお接待です。」 と云われる。

 E : 朝、出発時に昼食として次の品をお接待して下さる。

    ・数種類 の押し寿司と巻きずしの折り箱詰め。
    ・バナナ×2本
    ・あめ玉×5個
    ・煎餅×1包
    ・ぽんかん×好きなだけ

 F : 宿を出て海岸から入るへんろ道 (分かり難い ) を同伴して案内して下さる。

 G : 打ち返しの時、荷物を次の「 民宿くもも 」 まで主人がバイクで運んで下さる。



* 今日の出来事

 @ : 大相撲春場所:千秋楽を待たず横綱武蔵丸が優勝。

 A : 社民党辻本議員の秘書給与不正問題が発覚



「 真念庵 」:
下から望んだ窄らしい佇まい
静寂そのものでした

撮影日時(2002/03/23 08:58)
「 真念庵の下で昼食」:
庵から10m下りた農道で
暫しの休息(食事)をとる

撮影日時(2002/03/23 09:16)
「 大岐の浜で波供養 」:
最高に美しい白砂の浜が1,600m続く
両親の戒名と俗名を書いて
この旅2度目の波供養をする
撮影日時(2002/03/23 12:49)


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☆ 18日目 (H14,03,24 日 快晴で風が強い) 『 息子と 会合 』


* 行程 : 「民宿 旅路」⇒ (15.8km) ⇒ 38番 金剛福寺 (こんごうふくじ) ⇒ (15.8km) ⇒「民宿 旅路」⇒ (2.3km) ⇒ はまみち ⇒ (4.3km) ⇒「民宿 くもも」


* 距離 : 38.2km = (Σ 584.2km)

* 歩数 : 49,500歩

* 宿泊 : 「民宿 くもも」 (高知県土佐清水市久百々)(*下記注)



天井裏 を走り回るネズミの音で目が覚める。 生まれてくるベビーと手をつないで散歩している夢をみている途中だった。

05:30 3人で朝食を頂き、支払いをすると、

  『 昨夜のビールはお接待です。』

と云って2食付きの宿泊代 \6,000 しか取られない。

前回は荷物の大半を 「 民宿 旅路 」 に残置して足摺岬 に出発したが、今日は息子と会うので、いつもと同じ遍路姿で歩こうと、荷物を全て携行して出発する。

奥さんが3人を案内して以布利漁港から海岸を経て山道へんろ道の途中まで案内して下さる。

そして別れ際にバナナや飴と一緒に昼食のお弁当と数個ずつのポンカンを 「 お接待です。」 と云ってみんなに渡して下さる。

この道に沿って行けば間もなく県道に出られるので、もう迷う気づかいはない。

以布利 の港で克彦に電話をかけてみたら 5 時前から車を走らせて、いま高知に入った処だと云う。 

これなら 「 窪津漁港 」 と 「 足摺岬 」 の途中で会えるだろうと 心が弾む。

左に太平洋を見ながら県道27号 を 「 足摺岬 」 に向かって歩く。 

上手く 息子 と会合できるだろうか少し心配にもなってくる。

何時のまにか同行の2人より先になっていた。 今頃、克彦はどこら辺を走っているのだろうか。

窪津漁港 から真正面にあるコンクリートの階段を上って、山に入るへんろ道を今回は間違うことなく歩いていける。

津呂の集落に来て携帯をかけてみると繋がらない。 何度も試みるがどうしても上手くいかない。 

もう大分近くまで来ているだろうと不安がつのる。 行き違いになる事が一番心配だ。

服装やリュックの色、持ち物などは知らせてあるのだが、時間の経過と共に期待と不安が高まってくる。

そのうちに 「 足摺岬 」 に到着する。 熱帯樹林の公園内の道を抜けて 金剛福寺の門前に出る。

駐車場を見回すが息子の姿も、車も発見できない。 山門で一礼して境内に入る。

 あちこちを見回すがどこにも見つからない。

やっと 「 足摺岬 」 まで歩いて来れたんだと云う感慨で胸が熱くなる。 でも気が落ち着かない。

納経 を済ますと、そこそこに駐車場に戻ってきて、周りの人混みの中に克彦の姿を探すがやはり発見できない。

小牧の自宅 と 箕面の 琴さん にも携帯をかけて見るがどうしても繋がらない。 

通話圏外を確認する事に気づかないまま、初めて持った携帯なので使い方を間違っているのではないかと不安ばかりつのる。

多分近くに来ていることは間違いないと思われ益々気持が焦ってくる。

あまり悠長な事はしておれない。 時々今歩いて来た道を振り返りながら以布利に向かって打って返す。

[ 金剛福寺 ] から次のお寺、 [ 延光寺 ] までの 距離は 約 58km ある。 長い道のりだ。

息子は、カーナビのついたホンダ車からオートマティック車に乗り換えたばかりで、今度の車にはカーナビが装備されていないと聞いたのを思い出す。

お互い地理に不案内の土地で、マップや道路標識だけを頼りに、走る車と歩きの人間が、繋がり難い携帯を頼りに会合しようと云うのだから問題は難しい。 

益々苛立ちを感じる。

連絡さえとれれば何とかなるのにと視界の開けた場所にでると携帯の発信を試みるが、時たま繋がったような音がするが、やはり交信はとれない。

集落に出て地元の人に聞いてみると、この辺りは携帯は繋がり難くいとの返事。 

そう云えば 「 室戸 」 でも繋がり難かった事を思い出す。

この近くには公衆電話は全く見当たらない。

もしかしたらこのまま行き違いになって仕舞うのではないかとますます心配になってくる。

何か奇策はないだろうかと思案するが何処とも連絡がとれないのではどうしようもない。

ひしがれた気持ちで打ち返しの道を 「 民宿 旅路 」 に向かって歩いていると向こうから男女2人のお遍路さんが歩いてくる。

川越氏 と 真崎さん だ。  18日の朝 「 旅籠土佐龍 」 で別れて以来6日振りの再会だ。 2人共元気に 「 足摺岬 」 に向かう途中だ。

再会を喜び、お互いの健闘を祈り手を振って見送る。

    川越氏 とは 3/14 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。  何時までも元気で頑張って下さい。

    真崎さん とは 遍路初日の 3/07 の夜初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。   何時までも若々しく、元気で頑張って下さい。
      [ その後、真崎さんから頂いた 「e-Mail」 に依ると4月17日に無事 結願されたとのこと。   おめでとうございます。]



津呂の町に近づいて、もしかしてと思い携帯をかけてみると何と繋がったではないか。

  『 どうしたの? 今どこにいるんだ? 』

  『 お父さんこそ携帯を切ってるから 連絡が全然取れない。 もう帰ろうと思って中村まで帰ってきた処だ。 今、ガソリンを入れてる最中。』

と言う。 やっと連絡がとれたので、まあ一安心と息をつく。 でも何時また不通になるかもしれないと不安が芽をだす。

  『 兎に角、こっちは圏外らしいので繋がりにくいから、そのままそこで動かないで。』

と云って、もう一度引き返して来ること。 

中村から国道321号 を 「 足摺岬 」 に向かって走り、太平洋寄りの 県道27号 に乗って 窪津の漁港 を目指し、そのまま 「 足摺岬 」 に向って走ると必ず出会えるからと伝える。

途中、狭いところがあるからあまり飛ばさないで気をつけて運転するようにとも注意する。

これから通信状態は悪くはならないと思うから、再々連絡を入れるようにと伝える。

これで必ず会える。 必ず会合出来る。 と確信する。 

でもひょっとしたらと云う僅かな不安がまだ片隅に残る。

「 津呂郵便局 」 も過ぎて 「 窪津の港 」 が近い頃、前方から近寄る車が次第にはっきりして、大阪ナンバー で数字の ” 13 ” を確認。

手を振ると真横でゆっくり停まる。 運転席の窓が開いて息子の顔が出てくる。 

四国へんろの途中でたった1人の息子とやっと会えたのだ。

親父の今の遍路姿を初めて見てどんな印象を待っただろうか。

彼は今の瞬間を一生忘れないだろう。 

自分にも今焼き付いた印象は決して消える事はないだろう。


  「 少し痩せたんじゃないか ? 」

  「 真っ黒に日焼けしてるなぁー。」

  「 随分白髪がふえたなぁー。」


  「 君の見ているありのままの姿、それがおまえの親父なんだ。」

  「 こんな四国の端までよく訪ねてくれた。」

  「 親父のこの汗まみれで汚れた姿を見て呉れて有り難う。」


  この一瞬は俺達親子の人生にとって素晴らしい1ページになることは間違いない。

  大事な一瞬を俺の人生に残して呉れてありがとう。


車を道ばたの空き地に寄せ、車をバックにして記念の写真を撮る。

こんな遠くまで訪ねてくれても大して話し合う事はない。

  『 琴さんは順調か? お腹はだいぶ大きくなっただろうな。 
     安産は間違いないから安心するように伝えてくれ。』

10分もするとお互いに時間をもてあまし、帰りが遅くなるのでもう帰れ と云う。 

そして気を付けて帰るようにと云う。 心の中では

  『 有り難う。 よくぞ訪ねてくれた。 うれしいぞ。』

と思う。 車の向きを反転してから

  『 これ 要る? 』

と云って使いかけのバンドエイドの函を差し出してくれる。

  『 ああ・・ありがとう。 』

  『 お金・・置いて行こうか? 』

  『 ・・・カードで降ろしているから大丈夫だ。 』

 100万くらい置いて行くなら貰っとくのにと冗談を云って紛らわす。

  『 これ 帰りに食べるか? 高知県 は今、土佐文旦やポンカンが盛りで美味しいから、途中で売ってるのに出会うだろうから 琴さん に買って帰ってやれ。 車だから荷にならないから。』


今朝出がけに 「 民宿 旅路 」 の奥さんから貰った残りのポンカン 3個を車に入れてやる。

  『 お父さんが食べたら。 』

  『 持って歩くのは重いから。 』

と云う。 置いて行ってくれた バンドエイ ドは早速その晩の足の手当に重宝した。

「 足摺 」 まで遠い道のりをわざわざ訪ねて呉れたのに、全く味気ない僅かな間の会話だったが男同士の親子の会話なれば、これで十分なのだ。

これ以上の事は無理であり、また不要なのです。

箕面への帰着が遅くならないように

  『 気を付けて帰れ。 』

と手を振って送り出す。

曲がりくねった道の陰に入って息子の車は直ぐに見えなくなる。 

兎に角、会合できたことに安堵し、冷たい 風を真っ正面から受けて余計に感じる孤独感のなかで独り歩きへんろの気分を満喫しながら以布利に向かってまた歩く。

歩いているとなぜ大粒の涙が出てくる。 誰にも出会わない田舎の道は安心して泣いて歩ける。

「民宿 旅路 」 に着くと、2人はまだ着いていない。 

奥さんに勧められ、靴を脱いで座敷に上がり、コーヒーとお菓子をご馳走になる。

炬燵の上に 「 お遍路さん日記 」 なるノートが置かれており、

  『 日高さん 何か書いて行って下さい。』

と奥さん。 最後の書き置きに続けて、


  * [ ご夫妻の細やかな気配りと 心温かいご接待に 感謝の気持ちで一杯です。
    また何時の日かお世話になります。 いつまでもお元気で頑張ってください。]


と書き込んで、[ 住所 ] と [ 名前 ] を記入する。 数行上をみると、


  * [ 日高さんの 【爺の雑記帳】 を参考にして、この 「 民宿 旅路 」 に泊まりました。]


と云う記入を見つけ、ここにも私のホームページを見て呉れた人が居たのかと 歩きお遍路さん を身近に感じ、嬉しく思う。

ご主人が他の2人のと一緒にバックを2年前と同じように、今夜の宿の 「 民宿 くもも 」 まで運んでやると云って下さる。

もしかと期待していた事だが本当に有り難い。

ご主人は少し腰が曲がり、バイクで重い荷物を運ぶのは容易な事ではないのにと想像し、余計に有り難く思う。 お礼を云って搬送をお願いする。

1 時間ばかり休ませて貰ったが、2 人はまだ帰って来ないので一足先に出発することにする。

風も少し収まってきたので 「 民宿 くもも 」 への打ち返しも、1.6km 砂浜が続く 「 はまみち 」 を選んで歩くことにした。

昨日の足跡は波で洗われてきれいな砂浜になっている。 

波の音を背に息子との出会いを思い出し、赤ちゃんが元気に生まれてくれる事を祈りながら波打ち際に沿って ゆっくりと歩いて行く。

振り返って見ると歩いた跡がくねくねと波打ち際に並行にはるか向こうまで続いている。  次の満潮までの生命として。

「 民宿 くもも 」 で夕食に1 階に下りてみるとなんと16日に 「 ドライブイン 27 」 で同室だった札幌の 水元氏 のにこやかな顔が見える。

  『 いやー 水元さん、 再会できましたねぇー。』

と挨拶を交わして斜め前に着席。 水元氏 は明日、[ 金剛福寺 ] にお参りして、 「 足摺岬 」 から西海岸のコースを通って [ 延光寺 ] にお参りする予定だと云われる。

前の席は昨夜一緒だった 徳安氏 。

そして左隣は初めて見る方で納め札を渡して自己紹介し合う。 

岩手から来られた 守屋さん と云う。

貰った名刺には 「 無農薬野菜を作っています。 」 と刷り込んである。 素晴らしい仕事をしておられる方だ。

彼は昨夜に続いてここに連泊して居られるらしいが、明日は一緒に歩く事になりそうだ。

鶴野さん も宿泊している筈だが、夕食には下りて来ていない。

夕食の時、奥さんもみんなと一緒に座って色々と話に乗ってきて、今パソコン講座に通って修得に夢中になっていると話されていた。 

将来、「民宿 くもも 」 のホームページが公開されるのを楽しみに待っていたい。

就寝前に携帯を見ると 新しい e-Mail が届いている。

 * 『 じじ あし いたかったら いっぺん かえって あし なおしてから しこくに いってください。
     いたく なかったら がんばって ください。  いっこうより。』


孫の一皓君から激励の 「E-mail」 だ。 嬉しい。 元気を貰ったような気がする。



* 注 :「民宿 くもも」 について

 @ : 到着時、部屋でお茶とお菓子をご馳走。

 A : 洗濯機を自由に使用できる。

 B : 暖房:電気こたつ。

 C : 食事時にコーヒー (インスタント) を自由サービス。

 D : 朝、出発時に昼食として次の品をお接待して下さる。
    ・おむすび×2個 ( 梅干しとたくあん) 味海苔。
    ・バナナ×1本
    ・あめ玉×5個

 E : ただ今、若奥さんがパソコン修得に熱中しておられるそうで、
    ホームページ 「 民宿 久百々 」 が公開される日を待っています。


     予想した通りホームページ 【 久百々 】 が平成14年8月28日に公開されました。  おめでとうございます。 (H14.9.11)



「 38番札所 金剛福寺 」:
息子克彦の姿を求めて境内を探し回る
携帯電話も通話域外で益々不安がつのる

撮影日時(2002/03/24 09:51)
「 長男克彦とやっと会合 」:
大阪箕面市から土日を利用して
親父の歩きお遍路を陣中見舞いに
訪ねてくれ感激の出会いでした
撮影日時(2002/03/24 11:20)
「 大岐の浜 」:
打ち返しのお遍路も はまみち を歩き
振り返ると自分の足跡だけが
海岸線に並行に残されていました
撮影日時(2002/03/24 15:01)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=


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  目次へ ーーー



- 以上 -






『 出会のお遍路(前編)』

を ここまで 読み進んで 頂いた貴方に お礼を申し上げます。

この続きは 『 出会のお遍路(後編)』 でお楽しみ下さい。






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