(平成14年05月22日 作成)
(平成25年10月23日 更新)



( 後 段 )


[ クリックすると 希望日 にジャンプします ]


18日目以前は(前段)へ


19日目(H17/3/25) 20日目 (3/26) 21日目 (3/27) 22日目 (3/28) 23日目 (3/29) 24日目 (3/30)
25日目 (3/31) 26日目 (4/01) 27日目 (4/02) 28日目 (4/03) 29日目 (4/04) 30日目 (4/05)
31日目 (4/06) 32日目 (4/07) 33日目 (4/08) 34日目 (4/09) 35日目 (4/10) 結願の日 (4/11)


霊山寺にお礼参り (4/12)


あ と が き







☆ 19日目 (H14,03,25 月 穏やかな天気で歩きに最高) 『 水持さんとの 出会い 』


* 行程 : 「民宿 くもも」⇒ (12.0km) ⇒ 河内神社 ⇒ (13.4km) ⇒ 船ヶ峠 ⇒ (10.6km) ⇒ 39番 延光寺 (えんこうじ) ⇒ (0.3km) ⇒「へんくつや」


* 距離 : 36.3km = (Σ 620.5km)

* 歩数 : 48,400歩

* 宿泊 : 「へんくつや」 (高知県宿毛市平田町) (*下記注)



05:30 からみんなと一緒に朝食を食べ、奥さんからおにぎりの昼食のお接待を受け、06:00 徳安氏 と一緒に2人で宿を出発。

今日は 県道321号 を 中村方面 に打ち返し、左折して [ 延光寺 ] へ進むへんろ道を歩いて行くのだ。

途中、何か間違っているようなので後から来る徳安氏にそれを云うと

  『 曲がるのが一つ早いのではないかと思っていた。 』

と彼も云う。

引き返して 国道321号 に戻り、暫く歩いて行くと [ 延光寺 ] への道しるべ を発見、今度は安心して歩き続けられる。

山の中を右下に川を見ながら蛇行した県道21号を 5km ばかり行くと左手に 「 河内神社 」 があり、この辺りで 土佐清水市 から 三原村 に入る。

山あいの道の両側に、不規則に植えられた桜の木がまたもここでは今を盛りに満開して、歩いて行く自分達お遍路の目を楽しませてくれる。

鶯の鳴き声も身近に聞こえる。

途中、白ズボンに白衣で黒いリュック姿の年かさのお遍路さんに追いつく。

と云ってもその積もりで歩幅を伸ばし急ぎ足で歩いてやっとの思いで追いつき隣に並ぶ。


  『 こんにちは。 お元気ですね。 通しで歩いておられるのですか。 』

  『 どちらからお見えですか。 』

  『 失礼ですがおいくつですか。 』

初っぱなから失礼な質問 もしてみる。


  『 区切り打ちで、今回は43番の 明石寺 まで歩く積もりで出て来たんです。 』

  『 徳島から来ました。』

  『 80歳です。 年寄りが独りで出て来たので、ばあさんが心配するんですよ。

まるまるに膨らんだリュックを背負い、にこやかな笑顔で応えて下さる。

  『 ばあさんへのお土産です。 洗濯ものと着替えばかりです。』

背筋をぴーんと伸ばした姿勢で若者顔負けの速さで軽快に歩いて行かれる。

納め札を差し出して自己紹介すると、刷り込んでおいた文面をみて、2回目の通し歩きですかと聞かれる。

そして 「 赤色の納め札 」 を私に下さる。 住所 と 名前 がゴム印で記入してある。 名前は 水持さん と云う。

こんな方と半日でも一緒に歩くことができるのは素晴らしい出会いだ。 今度の四国路歩きの想い出に残る1ページだ。

「 船ヶ峠 」 の手前の民家で、庭先を借りて 徳安氏 と2人で今朝 「 民宿久百々 」 でお接待されたおにぎりで昼ご飯にする。

くねくねと曲がった山あいの道は時たま歩道のある広い舗装された道路になったり、また狭い昔のままの道が続いたりして変化に富み、穏やかな天気で、今日のお遍路は疲れも少なく歩き易い。


「 梅の木トンネル ( 215m ) 」 を抜けると左側に深々と青い水を貯めた 「 中筋川ダム 」 ( * 別名:ホタル湖 )  が視界いっぱいに広がる。

そしてまたトンネルに入る。 S 字型にカーブした 「 黒川トンネル ( 227m ) 」 だ。 両方とも歩道が完備して歩きやすい。

途中、今夜の宿の 「 へんくつや 」 に立ち寄り、リュックを残して [ 延光寺 ] に向かう。 宿の奥さん が出てきて

  『 帰ってきたらコーヒーを用意しとくからね。 行ってらっしゃい。 』

奥さんが元氣よく有り難い言葉で送り出してくれる。

  『 うーんと甘いのをお願いします。 じゃー行ってきます。 』

造園業をしているのではないかと思うような廣い前庭を抜けて、右折し [ 延光寺 ] に向かう。

[ 延光寺 ] の山門と 「 へんくつや 」 は 50m 位の近い距離。 疲れもなく参拝を終わる。

水持氏 も 徳安氏 も今夜はもう少し先の宿毛市に宿を取ったそうで、再会を約束して [ 延光寺 ] でお別れする。

宿に帰ると奥さんが

  『 こっちへ どうぞ。 今すぐコーヒーを入れるからそこに座って待ってて。 』

と云ってテーブルに座れと案内してくれる。 沸かしたばかりの美味しいコーヒーを運んでくる。

宿の主人 が大のコーヒー好きだそうで、何時でもコーヒーが飲めるように準備して居るんだと自慢げに奥さんが話してくれる。

疲れた身には甘いコーヒーは最高の疲労回復剤になる。

玄関の真上の2階の日当たりの良い部屋に案内される。

正面の道路には団体のお遍路客を乗せた観光バス がいま着いたばかりで、お遍路姿の行列が延光寺に向かって移動して行くのが見える。

早速、洗濯機を借りて今日の汗になったもの一切を放り込んでくる。

日射しの中で明日のコースの見直しをしながら頂いたお茶を飲み、一緒に出た煎餅は明日のために手提げにしまい込む。

明日は土佐の最後の日だ。 ここまでよく頑張って来たなと自分でも思う。

洗濯した物が早く乾くように日射しのある窓際に広げて干す。

  『 風呂が沸いたので入って下さい。 』

下から声がかかる。 岩風呂風 に造られた趣のある風呂で、さすがは 「 へんくつや 」 と宿の名前を連想する。

身体を洗っていると何の痛みも感じないまま左足拇指の爪が周囲の皮膚と一緒に脱落する。

爪がうき上がり、水を抜いてヨーチンを流し込んだ日から2週間経ったことになる。

下には既に薄皮が出来ていて痛みを殆ど感じない。 明日の歩きに全く心配はなさそうだ。

脱落した爪は今回の[歩き遍路]の記念に持ち帰ろうと、洗って隅に置く。

風呂から上がり洗濯物が早く乾くように裏返ししていると、鶴野さん と 守屋氏 が連れだってこちらに到着するのが見える。

夕食に集まってみると今夜の泊りは 守屋氏 と 鶴野さん と 私 の3人だけだ。 鶴野さん が

  『 今日、早稲田の 大学院生 と一緒になり、その人が 日高さんのホームページ を見て、「最初の区切り打ちの時、日高さんの真似をして2日目に13番の 大日寺 まで歩いたらばててしまい、今度は 日高さんの真似は絶対にしないことにしたんだ。」 と云っていましたよ。』


と云う。

  『 「日高さんが 今 四国を歩いていることをホームページで知ったので是非会って帰りたい。 必ず会えると思う。」 とも云っていましたよ。』

と話して呉れる。 自分も以前、早稲田大学 の遍路研究会のホームページ を訪問した事があり、そんな人なら是非会っていろいろ話を聞かせて欲しいと思う。

遅れて食卓に着いた守屋氏 も話を聞いていて、自分も 【爺の雑記帳】 を見た事があると云う。

多くの人が見て呉れて嬉しい気もするが、一方、決して迂闊な事は書けないなとホームページの記述に責任を感じる。


* 注 :「へんくつや」 について

 @ : 歩き遍路のお客は宿泊料金を千円引きにしてもらえる (\4,500)。 ビール大瓶 \400。

 A : 到着時にコーヒーをご馳走してくれる。

 B : 部屋でお茶と煎餅5枚をご馳走。

 C : 朝、夕食とも 料理が美味しく、そして量も多い。

 D : 05:30 の朝食も準備して貰える。

 E : 洗濯機、洗剤を自由に使用できる。

 F : 暖房は電気ヒーター。

 G : 風呂は岩風呂風で気分が良し。

 H : 2階にもトイレがある。

 I : 料金支払い時にタオルをプレゼント。



「 39番札所延光寺 」:
境内には 目洗い井戸 があり
湧き出る冷たい水で目を洗うと
気持ちが良い
撮影日時(2002/03/25 13:42)
「 39番札所延光寺 」:
境内に入って直ぐに梵鐘を背負った赤亀
延喜11年(911)の銘がある

撮影日時(2002/03/25 13:48)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 20日目 (H14,03,26 火 曇り午後から小雨) 『 石原さんとの 出会い 』


* 行程 : 「へんくつや」⇒ (13.9km) ⇒ 松尾峠 (H290) ⇒ (16.4km) ⇒ 40番 観自在寺 (かんじざいじ) ⇒ (9.0km) ⇒「民宿 ビーチ」


* 距離 : 39.3km = (Σ 659.8km)

* 歩数 : 54,300歩

* 宿泊 : 「民宿 ビーチ」 (愛媛県南宇和郡御荘町)



4 時に隣の 守屋氏 の部屋に電気がついて目が覚める。 随分と早いが余裕をもって準備にかかる。

5時半の予定が更に早まって5時15分から朝ご飯を食べさせて貰える。 

食べきれない程のご馳走の量だ。 昨夜も盛り沢山のご馳走だった。

18日から一緒だった 鶴野さん も昨日の [ 延光寺 ] で予定の土佐を全て打ち終わったので、今日はお別れしなければならない日と想像し、彼女との素敵な出会いに感謝しながらお礼を云い、先に出発しますと云って握手して席を立つ。


宿の奥さんにお礼を云い、守屋氏 と再会を約束して宿を出る。

途中、「 宿毛警察署 」 に立ち寄り トイレ を借りる。 爽快な気分になって再び町の中の遍路道を歩く。

「 松尾峠 」 の登り口に行く途中、道を間違ったらしく何時まで行っても遍路案内が出てこない。

途中道行く人や道の側の店に入って道順を聞きながらやっと 登山口 に辿り着く。

その手前に昔の番所跡があり、峠を通って土佐へ出入りする人や物を取り締まった往時の歴史が解説してある。

阿波から室戸への 「 淀ヶ礒の浜 」 のゴロゴロ石 や 飛び石 , 跳ね石 の難所 と併せ、昔は土佐への出入りが如何に困難であったかが偲ばれる。

その遺風からか土佐では他国からの人をあまり歓迎しない風習が今も残っていて、よそから訪れるお遍路さんもあまり歓迎されないらしいと書かれた資料を見た記憶がある。

登山口 の民家の前には真っ白い花をいっぱいに付けた棚造りの木があり、玄関先で犬の散歩に出かけようとしてる 家の主人 に木の名前を聞くと 「 にいたか梨 」 と云うのだと教えてくれる。


そこの 若主人 が土佐文旦を 2個 お接待して下さる。

有り難くお礼を云って山道を少し上った処のへんろ道の傍で一休みしながらご馳走になる。 乾いた喉には最高に美味しい。

朝の日ざしとそよ風が汗も乾かしてくれて最高の癒しだ。

峠への急な上り坂には石畳が敷いてあるところもあり、土砂の流出で伊予の国へ通ずるただ一つの連絡路が失われないようにした昔の人の知恵と苦労が偲ばれる。

また昔は道の両側に立派な松並木があり、峠に上って行く人々の疲れを癒してくれていたそうだが、戦時中に船舶の材料として全て伐採され、その根株も松根油を採るために掘り上げられてしまい、今もへんろ道の両側にはあちこちにその跡が残り、大戦の哀れさも一緒に味わせてくれる。


峠には 「 真新しい庵 」 が造営されており、大師が祭られている。  

峠越えのお遍路さんの1人くらいなら宿泊もできるように余裕も設けられている。 心ある方の奉仕に依るのだという。

峠を越すと長かった 「 修行の土佐 」 とお別れして 「 菩提の伊予 」 に入る。

峠 を堺に今、登ったきた土佐側 のへんろ道は自然のままで、松の根を掘り返した穴もそのまま残り、ごろごろ石の山道が続いてきたが、峠を超えて「ここより伊予の国」の道しるべを過ぎるとへんろ道にも谷側に立派な手すりが付けてあり、まるっきり別世界の感じがする。


その手すりに寄りかかって家に、足の具合も回復し、元気に伊予に入った事を電話で知らせる。

雲の切れ間から見える透き通るような青空に4本に別れた白いコントレールが北西に延びていくのが見える。


  「 F-15イーグルのスロットルを再びこの手に握ってあの青空をもう一度飛んでみたいなぁー。」

とふと思ったりもする。

県道299号を西に歩いて午後1時過ぎ、 [ 観自在寺 ] の前に到着する。

そこに 鶴野さん が手を振って出迎えてくれているのを発見。

彼女はすでに [ 観自在寺 ] の参拝 を終わったと云う。 こんなに早く彼女が先を歩いていたのかと驚く。

彼女はここから 2km くらいの処に宿泊して明日も続けて歩くと云う。 すごい頑張りやだ。

  『 ぼくは 9km先の 「 民宿ビー チ」 に泊まるから もう少し頑張って同じ処まで行きませんか。 』

と勧めるが頑として応じる様子がない。 「 頑張って。」  と云って別れる。

今朝、最後の別れと思ったのにまたも再会できた事が不思議な気がする。

彼女は学校があるので、そろそろ打ち上げて帰宅しなければならない時だろうとも想像する。 

こんどは最後のお別れになるだろうと思って 「 サヨナラ 」  を云う。

お寺に着くと境内で 徳安氏 の姿を発見。 離れた処から手を振って挨拶する。

白装束の 女性お遍路さん と連れになって出発しようとしているように見える。

  徳安氏 とは 3/23 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。  何時までも 元気で頑張って下さい。


観光バスが来ないうちに先に納経を済ませ、本堂と大師堂に参拝する。

山門をくぐり振り返って一礼し、お寺を後にする。

暫く行った処で先ほどの 白装束の女性お遍路さん が電話ボックスから丁度出てきたところで顔が合う。 

挨拶を交わすと、今夜の宿の予約をしていて、さっきの男性には先に行って貰ったと云われる。 「 お先に出発します 」  と軽く挨拶して先に行く。

この女性は先達のようにお遍路について詳しい方で、この後、いろんな事を教えて貰うことになるこれが最初の出会いでした。

後日、納め札を交換して自己紹介し合い、岡山から来られた 石原布美子さん と云われる方で、先日 「 そえみみずへんろ道 」 でお接待された
奥代初子さん と同様に別冊200ページに名前が紹介されている方でした。


午後になると小雨が降りだし、宿に着くまで傘を広げて国道56号をただひたすら歩き続け、15 時過ぎ国道沿いの 「 民宿ビーチ 」 に到着。

宿に着くなり 2年前も同じ日の今日 お世話になったのですと 奥さんに挨拶をする。 漁から帰って来た宿の主人も歓待して下さる。

早速、窓越しに海の見える大きな浴槽に溢れるほどのお湯を入れてもらい入浴する。

身体を洗っていると今度は右足拇指の爪が、昨日の左親指と同じようにまたも何の感触もなくタオルに着いて脱落してしまう。

下には既に薄皮が出来ていて触ってみても余り痛みを感じない。

脱落した爪は洗浄して、風呂場の窓から 「 今日まで歩きを支えて呉れて有り難う 」  感謝の気持ちで自然の海に還してやる。

ついに 4枚の爪が取れてしまった。 もうこれ以外に剥がれそうな爪はない。 痛さもなく明日からの歩きには何の心配もない。

今夜の宿泊者はタクシーで霊場周りをしている 男性2人 とその 運転手 を合わせて全部で4人だけ。

夜になると雨は音をたてて本降りになってくる。


* 今日の出来事

 @ : 社民党議員辻本清美氏が秘書給与問題で議員辞職。



「 松尾坂口番所跡(説明板) 」:
松尾峠土佐側の入り口には
かって存在した番所について
詳しい説明がしてあった
撮影日時(2002/03/26 08:29)
「 大師堂 」:
昨年(2001)松尾峠の旧大師堂跡に
有志に依り新しい大師堂が造営された
一人が宿泊可能な畳の余地が設けてある
撮影日時(2002/03/26 10:18)
「 40番札所観自在寺 」:
大きくて立派な仁王門


撮影日時(2002/03/26 12:56)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 21日目 (H14,03,27 水 晴れて暑い1日) 『 野口雨情 の歌 』


* 行程 : 「民宿ビーチ」⇒ (5.3km) ⇒ 柏峠 (清水大師) (H450) ⇒ (14.9km) ⇒ 旧国道松尾トンネル ⇒ (11.8km) ⇒「ビジネスホテル 菊水」


* 距離 : 32.0km = (Σ 691.8km)

* 歩数 : 43,600歩

* 宿泊 : 「ビジネスホテル 菊水」 (愛媛県宇和島市御幸町)



昨夜来の激しい雨は夜明け迄降り続いていたが、出発する頃はすっかり止んでくれた。

予報では午前中は時々雷雨混じりの激しい雨が降るだろうと云っている。 雨具の用意だけして出発する。

宿の夫婦 に見送られて 国道56号 を海沿いに西に向う。 空は黒い雲で覆われ、海からの風も強く海面は白波をたてて荒れている。

「 柏郵便局 」 前から右折して 「 柏坂峠 」 へのへんろ道を進む。

前回の時も同じように詳しい説明を受けて出発したが、 「 郵便局 」 をやり過ごし、調布から来た 荒木氏 といい調子になって国道をどんどんと進み、行き過ぎて隧道まで来てしまってから間違いに気付き、悔しい思いをしながら引き返した事が思い出される。


「 柏坂峠 」 へのへんろ道を行くと 民宿が点在する。 石原さん や 徳永氏 、 守屋氏 はこの辺りに泊まったのだろうか。

もう出発した後だろうか。 いろんな事を考えながら独り山の峠に向かって歩いてゆく。

民家の間を通り過ぎ、7 時少し前に 峠への山道に入る。 入り口から険しい上りの坂が続き、湿めっぽい天気で汗びっしょりになって一歩一歩踏みしめて上ってゆく。

暫く上っていくと、海へ出てゆく漁師の勇ましい心情を歌った 「 野口雨情の歌 」 を書いた白いボードが立ててある。

 「 いい歌だなー。」  と暫しその前に立ちつくし、声に出して読みながら、熱くなった身体を山のそよ風で冷やす。

一歩一歩と踏みしめながら少し上っていくとまた同じような 100cm ×20cm くらいの縦長の白いプラスチックボードが道沿いに立てられ、 「 野口雨情の歌 」 が書いてある。

ボードの多くは 2つか 3つに 折れて 地べた に落下している。

何か 野口雨情 が気の毒に思われ、元あった位置の近くに戻してから 改めて歌の情けを味わう。 汗も気持ちよく感じられる。

汗びっしょりになって登って来た お遍路さんには 疲れを最高に癒してくれるしばしの憩いだ。

5つ目のボードに来たとき、

  「 しまった。 最初の歌からメモしておけばよかった。」

と悔まれる。 しかし、メモを取るために引き返すのはどうしても無理なことだ。

あと いくつの歌が出てくるか分からないが、兎に角これからの歌は メモ していこう、と決心。 手帳に走り書きを始める。

都合8つの歌が掲示されており、メモできた4つの歌は、


  * 5番目の歌  『 松の並木の あの柏坂  幾度涙で 越えたやら ・・・・・・・・野口雨情 』


  * 6番目の歌  『 梅の小枝で やぶ鶯は  雪のふる夜の 夢をみる ・・・・・・野口雨情 』


  * 7番目の歌  『 遠い深山の 年ふる松に  鶴は来て舞ひ 来て遊ぶ ・・・・野口雨情 』


  * 8番目の歌  『 山は遠いし 柏原はひろし  水は流れる 雲はやく ・・・・・・野口雨情 』


  愛知県佐織町にお住いの上野勝彦さん(S17生) が 本日(H15.4.15) 柏峠の野口雨情の歌詞 8つ全てを写真に納めて送って頂きました。
     写真に写っている白い歌のボードはどれも新しくきれいに造り直されておりました。
     地元の人達の奉仕に依るものだろうと嬉しく思います。

     上野さんの好意に感謝しながら 1番目から 4番目までの歌を 次に載せて ホームページを補完させて頂きます。
     上野さん 有難うございました。

       追記:上野勝彦さんは 平成15年3月1日 1番札所・霊山寺を出発し、全ての遍路道を通し歩きで巡拝され、
           4月5日 88番札所・大窪寺にお参りされ、36日間で無事 結願されました。 おめでとうございます。


  * 1番目の歌  『 沖の黒潮荒れよとまヽよ  船は港を唄で出る ・・・・・・野口雨情 』


  * 2番目の歌  『 雨は篠つき波風荒りよと  國の柱は動きやせぬ ・・・・野口雨情 』


  * 3番目の歌  『 松はみどりに心も清く  人は精神満腹に ・・・・・・・・・・野口雨情 』


  * 4番目の歌  『 空に青風菜の花盛り  山に木草の芽も伸びる ・・・・・野口雨情 』


やっとの思いで [ 清水大師 ] が祭ってある 「柏峠 」 ( H450 ) に着く。 峠を過ぎると津島町に入る。

暫く緩やかな坂道を下りると道の左、林の中に屋根付きの 「 茶堂休憩所 」 がある。

石原さん と 守屋氏 、水持氏 の3人が休憩を終わってこれから出発しようとしているのに出会う。

徳永氏 は先ほど出発して行ったと云う。 峠を過ぎての下りは緩やかな道でしっかり整備されていて歩き易い。

「 松尾峠 」 とよく似た印象だ。

人里に出ると道沿いの川には大きいのは40cm以上もありそうなたくさんの鯉が放流されており、通り過ぎるお遍路さんの疲れを癒してくれる。

川沿いの桜並木は昨夜の雨と強い風が満開の花びらを散り急がせている。

津島の賑やかな商店街を歩いて行っていると道ばたの車から 男性 が出てきて

  『 お遍路さん。 これ今朝自分の家で採ったばかりのものだから食べて。 美味しいポンカンだよ。 』

色の濃いポンカンを 2 個手渡して下さる。 お礼を云って手提げに仕舞い、まだまだ続く緩やかな上り坂を歩いて行く。

左手のコンビニで昼食用にパンと牛乳を買い込み、津島の町のはずれで 国道56号 から左に逸れて 旧道 に入る。

しばらく登ると小雨混じりの冷たい風が次第に強くなり、身体がじんじんと冷えてきたので雨合羽を取り出して風よけに羽織る。

しばらく上って道ばたの風当りの少ない場所を探して腰を降ろし、先ほど買ったパンで昼ごはんにする。

小型トラックが1台こちらを振り向きもしないで通り過ぎてゆく。 余計に寒さが身に浸みてくる。

旧国道の 「 松尾トンネル 」 の中では誰も来ていないので、BO 大時代の号令調整を思い出し、久しぶりに最大の大声を出して叫んでみる。

地中深く染み込んで何時までも残っていて欲しいと思いながら。 気分もスッキリした。

トンネルを出て廣いなだらかな下り坂の道を歩いていると、下から自転車を押しながら上って来る女性が自転車を停めて、

  『 お遍路さん、おへんろさん、今、おばあちゃんの処で焼き芋を貰ったので持っていって食べて。 』

前のカゴからアルミホイールを出して道路に広げ、サツマイモを6〜7本も載せ、その上を2重、3重にアルミホイールを巻いてくれる。

宿に着くまで冷めないように気を遣ってくれている。 親切な人だ。

  『 そんなに沢山じゃなくて、2 本か 3 本で沢山です。 持って帰ってお子さんに上げて下さいよ。 』

年の頃は40台と思われるこの婦人に遠慮して辞退するが容赦なく私の手提げに押し込んでしまう。

今夜は ビジネスホテル なので都合がよい。

  「 こんなに沢山貰ったのだから、今夜の夕食は少な目に買って行かないと。」

と思いながら急に重くなった手提げを持って疲れた足どりで 宇和島 を目指して歩き続ける。

国道56号 に合流して暫く行くと左の小高い処にお寺があり、[ 子安地蔵堂 ] の大きな看板がでている。

「 安産祈願 」 にお参りして行こうと石段を上ってみると 守屋氏 が先客でお参りしている。

再会の挨拶をして、お地蔵さん にお参りする。 琴さんの 無事安産 をしっかりと祈願する。

途中コンビニに立ち寄り、小さめの弁当 2食と缶ビールを仕入れ、「 宇和島駅 」 近くの 「 ビジネスホテル菊水 」 に到着。

早速、先ほど貰った焼き芋を温かいうちに頂こうとアルミ箔 を開いてその一つを手に取ると予想に反して芋は冷たく生の泥が付いている。

何か不安な気持ちになり、もしやと両手で折ろうとすると折れない。 

持ち直してやっと二つに折ってみるとこれは生のさつま芋で、焼き芋でも何でもないのです。

何という意地悪をされたことか。 疲れた身体に余分の重い荷物を持たされて。

ホテルの女主人 に事の次第を話すと、

  『 多分それは峠の気違い女でしょう。 』

と云う結論で、笑い話にしかならないお接待を受けた事になってしまう。

買ってきた2食分の食料だけではちょっと不足気味なので、余計残念な思いがする。


* 今日の出来事

 @ : 平成14年度予算成立。



「 旧国道松尾隧道 」:
薄暗く人通りもないので、BO大時代の
号令調整を思い出して大声で叫んでみる
撮影日時(2002/03/27 12:15)
「 子安地蔵堂 」:
国道56号に面して建つ庵
お参りしている方はお遍路友の守屋氏
撮影日時(2002/03/27 13:26)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 22日目 (H14,03,28 木 快晴で涼しく気持ちが良い) 『 今中氏との 出会い 』


* 行程 : 「ビジネスホテル 菊水」⇒ (10.0km) ⇒ 41番 龍光寺 (りゅうこうじ) (H190) ⇒ (2.8km) ⇒ 42番 佛木寺 (ぶつもくじ) (H190) ⇒ (3.2km) ⇒ 歯長峠 (H490) ⇒ (7.6km) ⇒ 43番 明石寺 (めいせきじ) (H280) ⇒ (3.9km) ⇒「宇和パーク ビジネスホテル」


* 距離 : 27.5km = (Σ 719.3km)

* 歩数 : 42,600歩

* 宿泊 : 「宇和パークビジネスホテル」 (愛媛県東宇和郡宇和町)



昨日コンビニで買ってきた寿司で朝食。

05:35 フロントで昨夜の電話代を支払い、国道56号に乗って北東に進み、途中から 県道57号 を [ 龍光寺 ] を目指して北に向かう。

長い緩やかな上りが続く。 朝の空気は肌寒く歩き遍路には気持ちがよい。

途中、前方に 守屋氏 と 石原さ んの後ろ姿を発見、ピッチを上げて 2人に追いつく。

挨拶をし、石原さん と納め札を交換して自己紹介する。 貰った納め札の裏には

   *『 許されて この命ある 尊さと 不思議を思い 今日も路ゆく。  胎蔵ヶ峰にて H 9,8,15 』


と達筆な字で書いてある。

石原さん は何度も四国を歩いて居られるそうで、へんろ道の細部に詳しく、この後何度もへんろ道の歩き方や道案内をして貰う事になる。

できたら今回計画している 「 石鎚山 」 に登山についても教えて貰おうと思い、

『 「 石鎚山 」 に登山しようと思っているんですが、登山経路 や 途中の旅館 などについて教えて下さい。 』

とお願いする。

『 前の日は 「 栄家旅館 」 に宿泊して、 [ 横峰寺 ] ( H700 ) に参拝し、 「 星の森峠 」 ( H800 ) を通って 「 周桑農協休憩所 」 ( H260 ) まで下り、
そして 「 行者堂 」 ( H730 ) を経由して 「 白石旅館 」 ( H1400 ) に宿泊すると良いでしょう。 
そして、登山の当日は必要な荷物だけを持って 「 石鎚山 」 ( H1982 ) に登り、帰りに 「 白石旅館 」 で荷物を受け取り、河口へ下りると良いでしょう。 
そして [ 63番 ] 、[ 62番 ] 、[ 61番 ] を打って後帰りして [ 64番 ] へ進むと良いです。 
「 栄家旅館 」 と 「 白石旅館 」 を予約するときは 石原 から紹介された と云って下さい。 』

と詳しく解説して下さり、すっかり登山の手順・要領が理解できて安心できる。

宇和島市 から 三間町 に入り、前方に白い服装で元気に歩いて行く 水持氏 を再発見し、急ぎ足で追いかけて行く。

途中、中年の男性そのお嬢さん の親子連れのお遍路さんと挨拶してやり過ごす。

水持氏 は明日の [ 明石寺 ] で打ち止めにして、午後 「 宇和駅 」 から 徳島 に帰る予定だと云われる。

一緒に歩けるのもあと少しだけで何とも名残惜しい気がする。

07:35 [ 龍光寺 ] に参拝。  これから 水持氏 と 守屋氏 と一緒に 石原さん の先導で
「歯長峠へんろ道」 を行く事になり、大急ぎで 寺の前の 「 食事処長命水 」 に行き、軽く腹ごしらえをして来る。 ( おはぎ2個  \300 )


石原さん の案内で山門前の駐車場から墓地を通って、旧へんろ道 に入る。 4〜500m 行くと叉 墓地 になりそして 県道31号 に出る。

約2km 歩くと右側に [ 佛木寺 ] がある。

そこから
「 歯長峠 」 を越える山道のへんろ道に入って行く。 

今日は快晴でしかも乾燥した空気で涼しく、その上良き先導者の案内に付いて行けるので 歩きお遍路が味うことができる 最高の醍醐味が期待出来そうで 胸がわくわくしてくる。


[ 佛木寺 ] から暫く歩くと、「 歯長峠 」 へ上る へんろ道案内 があり、それに従って左に入る。 丁度時計が 10 時 を指している。

15分ほど歩くと再び県道にでる。 約300m 行って右に石段を上るると 休憩所 がある。

全身に涼しい風を受け止めながら、石原さん の体験談などを聴く。 興味深い話に耳を傾け疲れを癒す。

「 歯長峠 」 への山道に入ると 左上の山頂に 鉄塔 が見える。  あそこが峠らしい。

勾配 が急になって鐵の鎖 が地を這うように設けてあり、その助けを借りて一歩一歩と上っていく。

20分も上ると視界が開けて鉄塔の根元に出る。

「歯長峠」 には [ 見送大師 ] の庵 があり、やさしい太陽の日射しを受けて一休みしながら今の感激が冷めない内にメモをとる。

下りは杉林をぬけて 県道31号 から 29号 に出て左に曲がる。

昨日、陸人君 が携帯にくれた 「E-mail」 を思いだす。

  *『 じじ おおきくなったら しこくに つれていってね : りくとより 』


孫達 と 「 歯長峠 」 を一緒に歩ける日が来るだろうか。  元氣に長生きして実現したいものだ。

そんな 情景を想像しながら歩いていると、それが全くの夢物語にならないよう、その日まで元気でいなければならないと責任を感じる。

そんな事を考えていると足の痛みも忘れてしまい、もう一度 四国を歩いてみたいと思う気持ちが芽生えてくる。 

歩き遍路には何かそんな不思議な 魅力 があるのだ。

快晴の暑い太陽 が照りつける下、 [ 導引大師 ] の前を歩いていると かすかに ジェット機 の爆音が聞こえる。

こんな山の中でと思いながら上を見ると紺碧の空を 東に進路を取って飛ぶ民間機の コントレール が真っ白に延びている。

あの機長はコックピットからこの俺を見ていないだろうか。 「 汗まみれになった白衣のこの俺を 探しだしてくれないか。」 と思ったりする。

石原さんの提案で、県道沿いの 「 レストラン みやこ 」 で昼食を取ることになる。 店に到着し、

  『 もう少しすると歩き遍路の仲間が3人食事に寄りますので宜しくお願いします。 』

店の主人 にお願いして席を予約する。

暫くすると 石原さん と 水持氏、守屋氏 の3人が、そして 鶴野さん と眼鏡をかけて初めて見る長身の 男性 が続いて一緒に入ってくる。

鶴野さん とは26日に [ 観自在寺 ] の前で別れ、彼女はもう打ち上げて帰宅したものと思っていただけに、ここでの再会にはまたもびっくり。

予期しない再会に先ず握手して、彼女の健脚をたたえる。

  『 わたしは必ず日高さんに会えると信じていました。 』

と彼女は云う。

もう一人の男性は兵庫県の川西市から来られた 今中さん と云う方で、4月11日 結願の前日に宿泊した 「 民宿 ながお路 」 まで一緒に歩くことになる最初の出会いでした。

6人で賑やかに昼食を食べながら 水持氏 の元気な健脚を称え、送別する。

それに応えて 水持氏 がみんなの食事代を支払って下さる。

  『 水持さん、最初にお会いしてから4日間の楽しい出会いを下さり有り難うございました。 』

   水持氏 とは 3/25 初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。 何時までもお元気で長生きして下さい。


出発時に食堂の主人から全員にポンカンを1個づつお接待して下さる。 有り難うございました。

満開の桜並木の下をくぐって [ 明石寺 ] に向かう。  途中、廃寺同然になった林の中の [ 奥の院:白王権現 ] に参拝して行く。

[ 明石寺 ] に到着すると前後して観光バス が到着したので混み合う前にと4人で急いで納経所に向かう。

お寺に着いたら、先ず手や口を清め、最初に鐘を突くもので、参拝を済ませてから突くのは 「 出鐘 」 と云って葬式のやり方なので気をつけた方が良いと 石原さん が教えてくださる。


[ 明石寺 ] から次のお寺、 [ 大宝寺 ] までの距離は約 70 km もある。

石原さん は今夜から、修行のために各所の庵などを利用して野宿同然の宿泊を体験して行かれるそうで、お寺を出た処でお別れすることになる。

  『 いろいろとご指導を頂き有り難うございました。 石原さん には多くの事を教えてもらい、また素晴らしいへんろ道にも案内して貰いました。 
   この素晴らしい出会いも今日で最後となります。  
   観自在寺 前でお会いしてからの3日間、本当に充実した歩きお遍路をさせて頂き、有り難うございました。 』

   石原さん とは 3/26 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。
      石原さんには 親切にいろんな事を教えて頂きました。 有難うございました。
      何時までも若々しく、元気で頑張って下さい。


鶴野さん と 2人になり、聞くと彼女も今夜の宿は同じ 「 宇和パークビジネスホテル 」 だと云う。 それならと ホテル を目指して2人並んで歩く。

途中 「 サンクス 」 に立ち寄って食料を買い込み、ホテルに到着。

フロントで 守屋氏 と 今中氏 も一緒になる。 今中氏 とここでお互いに納め札を交換して自己紹介する。

206号室の鍵を貰って部屋に行き、バスタブに湯を入れる。

明日は低気圧の接近で久しぶりに荒れ模様になると云う。

これまでは夜半の荒れ模様も朝には回復して日中は好天になり、歩きには悪い影響は余りなかったが、明日はどうだろうか。 心配だ。

寝る前にカーテンを開けて外を見ると雲間にはまだ月が見える。 早く降り出して朝には回復して欲しいと願いながら床に入る。



「 送迎庵見送大師 」:
歯長峠(H490)に建つ庵
リュックと金剛杖を置いて
メモを取りながら3人の到着を待つ
撮影日時(2002/03/28 11:03)
「 女性先達石原さん 」:
遍路途中から親切な案内を受けて
歩きお遍路を楽しむ事ができました
(明石寺手前で)
撮影日時(2002/03/28 13:57)
「 43番札所明石寺 」:
山門の天井格子には
見事な色彩画が描かれている

撮影日時(2002/03/28 14:24)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 23日目 (H14,03,29 金 冷たい雨が降り続く) 『 ことぶき旅館 を訪ねて 』


* 行程 : 「宇和パーク ビジネスホテル」⇒ (8.4km) ⇒ 「鳥坂隧道」 ( H400 1,117m ) ⇒ (8.9km) ⇒「ことぶき旅館」⇒ (4.3km) ⇒ 十夜ヶ橋 ⇒ (8.5km) ⇒「松乃屋旅館」


* 距離 : 30.1km = (Σ 749.4km)

* 歩数 : 43,000歩

* 宿泊 : 「松乃屋旅館」 (愛媛県喜多郡内子町)(*下記注)



熟睡できないままに朝になってしまう。 6 時にホテル前の 国道56号 に出て、北へ向かって歩く。

暫くすると乾いていた路面に雨粒の跡がつき始める。 出発を待っていたかのように頭上の黒い雲から大粒の雨が落ち始めてくる。

どうもこれから本降りになってきそうなので空き地に入り、リュックから雨着を出して着用し、国道をなおも北に向かって歩く。

暫く歩くと雨着の内側は汗でびっしょりになって肌に貼り付いて気持ちが悪くこれ以上我慢できない。

レインコート を着用して歩くのはやはりダメだ。 脱いでリュックにしまい、替わりに 傘を 取り出す。

通り過ぎる車が 轍に貯まった泥水を容赦なくはねとばす。 傘で防いでいたが、そのうちに雨と跳ね水で全身が濡れてしまう。

それでも歩いていると寒さはなく、レインコートを着用しての蒸し暑さよりずっと凌ぎやすい。

昨日は最高の天気に恵まれ、石原さん の良き先導を得て、最もへんろ道らしい遍路道の歩きを楽しむ事ができたが、今日は逆に最悪の条件になりそうだ。

2年前、「 鳥坂隧道 」 を通過した時に感じた恐怖感は今思い出しても恐ろしい。

今日は何としても隧道を避けて「 鳥坂峠 」 を越えたいと思って歩いてきたが、何時しか峠への入り口をやり過ごしたらしい。

向こうにトンネルの入り口が見えてきた。 峠の入り口へ引き返そうかとも考えたが降り続く雨に決断が鈍り、遂にトンネルの入り口まで来てしまう。

「 鳥坂隧道 」( 1.117m ) は歩道の設備がなく、車道境界の白線からトンネルの側壁まで 1m 有るか無いかの狭さで、トンネル内の照明も暗く、更に排気も悪い。 

その上1km以上もあって歩き遍路には条件も最悪で、危険この上ないトンネルだ。

準備してきた反射板を 金剛杖 の先に結び付けて、ドライバーになるべく早く気づいて貰うように車道側に突き出してトンネルに入って行く。

この反射板は前回の反省で事前に準備してきたもので、少しは恐怖感を和らげてくれる。

大型トラックが轟音を残してすぐ側を容赦なく通り過ぎて行く。 こちらの存在に気づいて呉れて居たのだろうか、心配だ。

中には無灯火で走り去る乗用車もある。 こちらは堪ったものではない。

トンネル を通り抜けるまで恐怖の連続で、すごく長く感じた 20分だった。

やっとの思いで通り抜け、強い雨が降りしきるなかを大洲市に入る。

へんろ案内に従い国道56号から県道441号を行き、鵜飼いの屋形船が繋がれた 「 肱川橋 」 近くの 「 ことぶき旅館 」 を探し訪ねて行く。

この度は宿泊できなかったが、2年前に泊った時、奥さんの行き届いた心遣いにすごく感激したので、お会いしてその時のお礼を云って行きたいと考えてきた。

チャイムを押してみたが、返事が返ってこない。 何度やっても同じだ。 雨の中、傘で雫を除けながら

  *『 2年前の 3/28、歩きお遍路でお世話になりました者です。
     その節は大変お世話になり、素晴らしい想い出を頂きました。
     一言お礼を申したく立ち寄りましたが、お会いできず残念です。 本当に有り難うございました。
     今夜は内子の松乃屋に泊る予定です。    平成14年3月29日 09:30  』



納め札 の裏にメモ書きしてドアの隙間に差し込んで立ち去る。

すり減った踵の穴から水が入って靴下が濡れ、肉刺の痛みが復活してきた。

途中 「 靴屋 」 を見つけて立ち寄り、聞いてみたが適当なのが見あたらず仕方なく購入を諦める。

田舎道の多い歩き遍路では 「 靴屋 」 を見つけるのは大変だ。 兎に角、早いうちに新しい靴に交換しないといけない。

雨の中を自転車で近づいて来た 男性

  『 十夜ヶ橋 は まだ遠いでしょうか ? 』

と尋ねると

  『 次の信号を渡ってすぐです。 トヨガハシは。 』

  『 有り難うございました。 あれは "トヨガハシ" と読むんですか。 これまで間違って読んでいました。 勉強になりました。 有り難うございました。』

お礼を云って別れる。 これまで "ジュヤガバシ" と読んでいた自分が恥ずかしい。 正しい知識が一つ増えたことは喜びだ。

これも 「人生 即 遍路 」 だ。

[ 十夜ヶ橋 ] に立ち寄り、弘法大師 が一夜の宿をされたという場所を訪ね、参拝する。 四国お遍路の歴史を現実的に感じる。 橋の下で一夜の野宿を

   * 「希望する人には"ゴザ"を無料でお貸し します。」

の張り紙もしてあり、6畳くらいの広さのコンクリートの空き地が橋の下の祭壇の前に準備されている。 

今夜、石原さん もここでで野宿して行かれるのだろうか。

和服の 奥さん の出迎えを受けて、上から下までびっしょりと濡れた白衣姿で1時前に 「 松乃屋旅館 」 に到着する。

チェックインには早すぎるので、荷物を預かって貰い、奥さんに 「 内子座 」 への道順を聞いて見学 (\300) に行く。

大正天皇 の即位を記念して大正5年に創建されたそうで、宿から歩いて5〜6分の処にあり、見応えのある素晴らしい 文化遺産だ。

見学を終え、まだ時間は早いが宿に帰ってチェックイン ( * 3階 錦の間 ) させて貰う。

濡れた衣類を洗濯機に放り込み、部屋のバスタブに熱めのお湯をたっぷり入れて入浴する。

濡れて疲れた身体には至福の一時だ。 素晴らしい大浴場があると聞いたが 時間が早く 準備が間に合わず 残念ながら今日は利用できなかった。

風呂から でて、食事までの時間を利用してメモを整理していると、 「 ことぶき旅館 」 の 女将さん からの電話連絡が部家に入る。

2年ぶりに聞く懐かしい声だ。 今朝訪ねて行って会えなかった事は残念だが、こうして直接お礼が云える事は四国の新たな想い出ができ、更に出会いを深める事ができた。

夕食で1階に下りてみると 守屋氏 が同宿している。 2人並んで奥さんの料理の説明を聞きながら懐かしい麦飯の夕食を頂く。

その時、玄関に 鶴野さん と 青年 の2人が入ってきて、夕ご飯を食べさせて欲しいと頼んでいたが奥さんから無理だと断られ、2人はまた雨の中に出ていってしまう。


* 注 :「 松乃屋旅館 」 について

 @:歩きへんろも中間点を過ぎ、疲れを洗い落とすのに一寸豪華気分を味わうのは適当と思う。

   3階でエレベーター付き。

   ホテル並の設備。風呂は 自室のバスタブ と 大浴場。

 A: 内子町本町(旧道)にあり、 「 内子座 」 も近い。

 B: 以前は最低料金が \12,000 だったが、お遍路さん歓迎のため昨年から \8,000 を用意。

 C: 毎食事、奥さんの料理解説あり。 ご飯は麦ご飯、郷土色豊かな料理。

 D: 女将さんは美人。道後で修行を積んだ次期女将さんのお嬢さんのサービスもあり。


    愛知県佐織町の上野勝彦さんから野口雨情の歌が記された「松乃屋旅館」の箸袋を送って頂きました。
       その歌をここに追記します。 (H15.4.15)



   * 『 伊予の内子を忘れてなろか 人の情の厚いとこ ・・・・・・野口雨情  』



「 十夜ヶ橋太師堂 」:
国道55号の十夜ヶ橋交差点にあり、
その橋の下に祭壇がある

撮影日時(2002/03/29 10:47)
「 十夜ヶ橋の祭壇 」:
大師が 橋の下で1夜の宿をされた祭壇
コンクリートの上に借りたゴザを敷いて
一夜の修業野宿もできる
撮影日時(2002/03/29 10:52)
「 内子座の外観 」:
内部はきれいに保存され、
時々 演芸会も開催されている
地階の奈落も見学できる
撮影日時(2002/03/29 13:08)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 24日目 (H14,03,30 土 晴れて暑い天気になる) 『 河野さんとの 出会い 』


* 行程 : 「松乃屋旅館」⇒ (9.7km) ⇒ 大瀬小学校 ⇒ (5.5km) ⇒ 突合分岐点 ⇒ (13.5km) ⇒ 下坂場峠 (H560) ⇒ (4.2km) ⇒ ひわた峠 (H790) ⇒ (3.3km) ⇒ 44番 大宝寺 (だいほうじ) (H560) ⇒「44番大宝寺 宿坊」


* 距離 : 36.2km = (Σ 785.6km)

* 歩数 : 53,900歩

* 宿泊 : 「44番大宝寺 宿坊」 (愛媛県上浮穴郡久万町)



04:30 に起床。 雨はもう止んでいるが空にはまだ厚い雲。

6時から 守屋さん と一緒に朝食を頂き、天気は良くなる予想なので今日も快適な歩きを期待して一足先に宿を出発する。

朝ご飯も麦飯の献立で満腹になる。

  守屋氏とは 3/24 に初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。  何時までも 元気で無農薬野菜の生産に頑張って下さい。
     [ その後守屋氏から頂いた 「e-Mail」 に依ると4月14日に無事 結願されたと云う。  おめでとうございます。]



旧道 か ら国道379号 に出て一路東へ進む。 空も次第に晴れ上がり心地よい冷気で足の痛みも少なく快適なお遍路を続けることができる。

靴は早いうちに買い換えないと使用に耐えられなくなってしまうのが心配だ。

一昨日、 [ 龍光寺 ] への遍路道で会った父親と娘さんの親子遍路にまた出会う。 

昨日の雨の中での歩きの様子とか、昨夜は何処に泊ったのかと聞かれ、暫く雑談してまた歩き続ける。

内子 と 大瀬 の間には S 字にカーブした 「 長岡山トンネル 」 ( 392m ) と 右カーブした 「 和田トンネル 」 ( 190m ) があり、どちらも歩道が完備し、排気もよく快適な歩きができる。


トンネルを出ると風に吹かれて桜の花びらが舞い、桃と梨が濃いピンク色 と 白色に咲いて、山肌を美しく彩っている。

国道から左に逸れて昨夜の水たまりの残る草むらの道を歩いて行くと、ゴム長に大きなリュックを背負った野宿姿の男性の おへんろさん に追いつく。

  『 ご苦労さんです。 頑張って下さい。 』

と声をかけて通り過ぎる。

落ち着いた雰囲気の旧道を行くと左手に春休みで静かな 「大瀬小学校 」 があり、その手前にはノーベル文学賞受賞の 「 大江健三郎氏の実家 」 がある。

今は実のお姉さんが住んで居られると近所の方が教えてくれる。

9 時過ぎ、道傍にある 「 千人宿記念大師堂 」 に参拝、 内子町 から 小田町 に入る。

今回は 突合分岐点 から 左に コースをとり、辺鄙は 「 鴇田峠 」 (ヒワタトオゲ ) を歩いて [ 大宝寺 ] に向かう計画だ。

分岐点 を行くと右側に小さな 「 宮本商店 」 がある。 店先で  「 コンニチハ 」  と大声で呼んでみるが返事が返って来ない。

入り口は開いているのに 人の気配がしないのだ。 何度も大声を張り上げるが やはり反応がない。

外に出て右隣の家に向かって大声で呼ぶと、やっと おばあさん が幾分腰をかがめて出て来る。

おばあさんに 若い娘さん と  小さい子供2人 がついて来る。 パンと牛乳が欲しいと云うと牛乳はまだ来てないと云う。

パン はあると云って、かぶせてあった新聞紙をはぐると箱の中には種類の違うパンが5〜6個ある。 どうも昨日の残り物らしい。

それでも仕方がないのでその中から3個を貰って代金を支払う。

奥さんが店の前に出て自販機から 500cc の冷えた烏龍茶を買ってきて、

  『 暑いから気を付けて歩いて行ってね。 これは私からのお接待です。 』

と云って手渡してくれる。 狭い 宮本商店 に入り大声を張り上げて「コンニチハ」と呼び続けた事、明るい日射しの中で冷たい烏龍茶を自販機から出してお接待して下さったみなさんとの出会いは、突合分岐点 の田舎風情いっぱいの風景と併せ、出会い遍路の想い出の一つとして記憶に残ります。 有り難うございました。


みなさんとお別れして緩やかな上り坂を歩いて行くと、「上田渡 (カミタド) のバス停 」 の手前に、 『 およりんか 』  と云う大きな看板を掲げて、地元の奥さんたちが土曜市を開いているのを見つけ、遍路道情報を得ようと立ち寄る。


  『 まー、どうぞ、 どうぞ 』

と腰掛けを勧められ、甘いコーヒーもご馳走になる。

買い物に立ち寄る人はなく、一人の おばあさん が 弘法大師が中国から経典を勉強して持ち帰るまでの歴史話などをとくとくと話して下さり、良い勉強をさせて貰いました。

あの時のおばあさん、どうも有り難うございました。 日が射し込んだ明るいテント小屋でのよい想い出になりました。

「 落合トンネル ( 103m 歩道完備 ) 」 を抜けて強い日射しの中、今日もまた一段と日焼けするなと思いながら峠に向かって緩やかな上り坂を歩いていると後から

  『 日高さんですね? 』

と念を押すように声をかけられる。 人気のない山の中で予期しない突然の声にびっくり。

振り返るとがっしりした青年がすぐ後ろについている。 そういえば昨夜「夕ご飯を食べさせて下さい。」 と 鶴野さん と一緒に 「 松乃屋旅館 」 を訪ねて来たあの青年のようだ。


彼は 先日、「 へんくつや 」 で鶴野さん が話題にしていた 早稲田大学の学生で、東京から来た 河野さん と云う。

大学院の部活で四国遍路の研究をやっていて、

  『 日高さん のホームページ は時々見ています。
    今度も、日高さん が四国を歩いておられることをホームページで知り、何処かでお会いできると思って歩いておりました。
     学校が間もなく始まるので明日は東京に帰らないといけないんです。 最後のチャンスにお会いできて最高に嬉しいです。』


と、うれしい事を云ってくれる。

静かなへんろ道を 2人で並んで歩きながら、四国遍路の歴史や文化を話題にいろいろな話をしてくれる。 楽しい一時を過ごすことができた。

前方に 鶴野さん の後ろ姿を発見。  河野氏もあれは 鶴野さん だと云い、昨夜は同じ宿に泊まったと云う。

追いついて 鶴野さん に聞くと民宿を 5 時に出発したと云う。 女性は強い、特に彼女の頑張りはすごい。

途中、 「 だんどり岩 」 と呼ぶ大きな岩がある。 弘法大師 がこの岩の上で 「 ぢだんだ 」 を踏んだと云う言い伝えが残っているそうだ。

独り歩いて行くにはさみしい峠道では時々思いっきりの大声を出して心身の緊張をほぐし、また心に渇を入れて歩く。

「 鴇田峠 ( ヒワタトウケ ) ( H800 ) 」 への厳しい坂道を上り、そしてまた下って 久万の町 に入る。 

久万 は盆地の町でそのはずれの小高いところに [ 大宝寺 ] がある。

14時55分 疲れた躰で無事 [ 大宝寺 ] に到着。  

参拝を終わり、納経所 に行って今夜の宿を予約した宿坊について名前を云って尋ねると、話の口振りからこの寺の 住職さん らしい少し無愛想な感じの人がノートをめくり、予約のある事を確かめ、電話で宿坊に準備を確認してくれる。 


もう少し経ってから行ってくれと云われる。

総檜造りの新しい宿坊だと聞いて期待して来たが、厭になるくらい古い宿坊に連れて行かれる。

案内してくれた 住職夫人 に聞いてみると、新しい宿坊は団体客用に使われるていると云う。

2階の部屋に案内されて、暫くすると 河野氏 が隣の部屋に到着。

鶴野さん は満杯で宿坊を断られ、民宿を探して久万の町まで下りて行ったと云う。 

疲れた身体で大変だったろうと気の毒に思う。


「 お遍路の友 」:
44番 大宝寺 に向かって歩く
河野氏(早稲田院生)と鶴野さん(阪大学生)の2人
(下坂場峠のへんろ道)
撮影日時(2002/03/30 12:17)
「 44番札所大宝寺 」:
山門には 入りきらない程の
大きな大わらじが奉納されている

撮影日時(2002/03/30 14:52)
「 44番札所大宝寺 」:
境内には山頭火の句碑
”朝まいりは わたくし一人の
銀杏ちりしく  山頭火”
撮影日時(2002/03/30 14:55)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー





>
☆ 25日目 (H14,03,31 日 快晴の天気で暑い) 『 白神さんとの 出会い 』


* 行程 : 「44番大宝寺宿坊」 (H560) ⇒ (11.4km) ⇒ 45番 岩屋寺 (いわやじ) (H600) ⇒ (8.5km) ⇒ 河合分岐点 (H570) ⇒ (10.3km) ⇒ 三坂峠 (H710) ⇒ (7.8km) ⇒ 46番 浄瑠璃寺 (じょうるりじ) (H85) ⇒ (0.1km) ⇒「民宿 長珍屋」


* 距離 : 38.1km = (Σ 823.7km)

* 歩数 : 57,000歩

* 宿泊 : 「民宿長珍屋」 (愛媛県松山市浄瑠璃町)(*下記注)



起こされて 5時45分 から団体客に混じって、朝のおつとめ (勤経) に参加する。

これまで不幸にも機会がなく朝のお勤めに出るのは初めての経験だ。 

人の流れに従ってついて行くと、こぢんまりしたお堂に半分が祭壇、半分が畳敷きで、詰めれば40人くらいが座れそうな広さの部屋だ。

僧侶 3人が着座して20分くらいお経を挙げて朝のお祈りの行事が終わると、中央に座っていた僧侶がこちらを向き直って、久万の町の風土 や [ 大宝寺 ] の歴史などについて約20分法話をして下さる。


昨日納経していた方で、やはり [ 大宝寺 ] の住職さんだったのだ。 今朝は昨日の印象ほど無愛想な感じがしない。

法話は充実した内容で役に立つお話だった。

久万は盆地の中に在り、時々四国の最低気温を記録する位寒い土地で、水が豊富で美味しく、このお寺で使う水は全部湧き水で賄なうことができ、それでも余るほどだと云う。


また [ 大宝寺 ] の寺領には昔から豊富な杉と檜があり、松山城 の築城の時には多くの材木が運び出され一役を買ったと云う。

今も大きな檜が沢山育っており、お寺の改築や造築には将来とも全く不自由をしないと云う。

久しぶりに40分ちかく正座したので立ち上がる時にまたひと苦労する。

朝食を終わり、帰京すると云う 河野氏 と別れの挨拶をして、急いで出発。 

前回と同じコースで お寺 の左裏からへんろ道を下ってトンネルの入口を左に見て県道に出てくる。

  河野氏 とは 昨日 初めて出会ったのに、もう今日が最後の出会いになった。

     その前から何度か噂を聞いていたので、随分前から出会ひがあったような気もする。
     何時までも 元気で日本の将来のために頑張って下さい。



途中、お願いして 「 民宿和佐路 」 の縁側にリュックを置かせて貰い、軽装になって [ 岩屋寺 ] に向けて県道12号を東に進む。

途中から林の中のへんろ道に入り、標高750m の峠を越える上り下りの激しい山道を木陰の涼しさの中でも汗びっしょりになって [ 岩屋寺 ] に向かって歩く。

山の中で 鶴野さん に追いつき、聞くと昨日は [ 大宝寺 ] から 3km 離れた 「 でんこ旅館 」 に泊ったと云う。

2年前に 荒木氏 と2人で泊まった自分には想い出のある名前だ。 

今朝、自分より3km も多く歩いた事になり、彼女の気力、体力に敬服する。

へんろ道 を下って山の上から [ 岩屋寺 ] の山門にでる。 汗を拭きながら [ 岩屋寺 ] を参拝する。

梯子を登って二人で岩洞の仏像にも参拝する。

ベンチに腰掛けて少し腹ごしらえをしてから、 [ 浄瑠璃寺 ] を目指してすぐに出発する。

今日中に納経を済ますには時間的にあまり余裕がない事を意識しながら県道を 「 河合 」 に向かって歩く。

途中のへんろ道で 鶴野さん のリュックをピックアップし、「 民宿和佐路 」 では自分のリュックを受け取り、装具を整えて10km先の 「 三坂峠 」 に向かって歩を進める。

今朝、 [ 大宝寺 ] 裏のへんろ道から出た処の トンネルは 「 峠御堂隧道 」 ( 623m )と云われ、車道の端の白線から壁までがわずか50cm位しかない暗いトンネルで、3日前に通った 「 鳥坂隧道 」 よりも更に条件が悪く歩いて通過するには極めて危険なトンネルです。 


前後に気 を配 りながらやっとの思いで通り抜けることができましたが、お遍路さんはこの トンネル は通らずに、 「 仰西 」 に抜ける 「千本峠コース 」 を優先的に選ぶべきだと思います。

  *『 歩きお遍路での危険は何としても避けるべきであり、一方 苦痛は何としてでも忍耐するべきものと思います。
     即ち、苦痛には敢えて立ちむかい、危険は努めて回避しなければならない。
     これが歩き遍路を無事に完遂するための教訓です。』


国道33号 に出て、暫く行くと道の反対側に 「 らーめん太郎 」 の看板を見つけ、鶴野さんを誘って店に入る。 

一緒に食べたラーメンと餃子は 空腹の2人 には大変美味しかった。

「 三坂峠 」 への緩やかな上りと単調な道は疲れをだんだんと蓄積させ、峠に着いたのは 2時45分で、5時までに [ 浄瑠璃寺 ] の納経を終えるにはあまり余裕がない。

峠で 鶴野さん の到着を待って彼女を励まし、直ぐに出発する。

峠 から [ 浄瑠璃寺 ] へ向かう下り坂は 「 鍋割り坂 」 と呼ばれている長い急な山道で、昔、松山 に向かう鍋売りの行商がこの下り坂で転んで売り物の鍋を割ってしまったと云う逸話が残っておる、長くて急な下り坂の続いた山道で、これは [ 仙遊寺 ] と [ 国分寺 ] の間にある 「 五郎兵衛坂 」 に似た 坂道 です。


峠からの 7km あまりの道は心身の疲れを癒してくれる田苑の中にあります。 

この調子で歩けば5時にどうにか間に合いそうな確信がもてた。

今夜の宿に選んだ 「 民宿長珍屋 」 の前を通り過ぎる時に見ると玄関前には

    「歓迎  日高 御一行様 」


との歓迎の書き出しがしてある。 団体でもないのに一寸仰々しいと思いながらも、記念にカメラに収める。

[ 浄瑠璃寺 ] は平地にある寺で、「 長珍屋 」 の前を過ぎてすぐの左手に、道路に面して靜に山門がある。

十分、間に合って納経を済ませる事ができた。 納経を済ませ、ゆっくりした気分で本堂と大師堂に参拝し、境内を散策する。

宿に着いて間もなく、

  『 団体客が到着する前にお風呂にどうぞ。 混み合いますから。』

と案内されて、急いで入浴する。 溢れ出る程のお湯を満たした大きい浴槽での入浴は疲れた身体には最高の癒しだ。

今日も頑張って呉れた両足を熱めのお湯でマッサージをしてやる。

夕食の時、隣に座った老齢の方が、私の日焼けを見て

  『 歩きお遍路ですか? 』

と話し掛けてきて、「 金色の納め札 」 を下さる。 見ると岡山から来られた 「 寄島地蔵講 」 の公認先達 で 白神さん と云われ 80歳の至極元気そうな方だ。 

納め札をお返しして自己紹介する。

白神さん からお遍路の心構えなどについて色々な話を聞かせて貰い有益 な時間を過ごすことができた。

白神さん、金色の納め札と貴重なお話、有り難うございました。  何時までも大切に保存します。



* 注:「 民宿 長珍屋 」 について

 @:食事も良い。 団体客が多いので、予約は早めに。

 A:歩きへんろには特別に何かと行き届いた気配りがある。

 B:早い朝食にも応じて貰える。

 C:風呂はジャグジー、サウナもあり、歩き遍路には最高の癒しの宿になる。

 D:独り歩きお遍路さんの宿泊者も玄関に 「 △△ご一行様大歓迎 」 を掲示して歓迎。 部屋への案内も気配りも十分。



「 45番札所岩屋寺 」:
へんろ道の左右、あちこちに
沢山の石仏が並んで出迎えてくれる

撮影日時(2002/03/31 09:52)
「 46番札所浄瑠璃寺 」:
佛手石 を撫でると器用になれると云う
また、あらゆる知恵や技能向上にご利益が
あるとも云われている
撮影日時(2002/03/31 16:48)
「 民宿 長珍屋 」:
”歓迎  日高 御一同様
と大書して若奥さんが玄関で
出迎えてくれる  感激です
撮影日時(2002/03/31 16:59)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 26日目 (H14,04,01 月 快晴の夏日で更に日焼けする) 『 岡田君の 供養 』


* 行程 : 「民宿 長珍屋」⇒ (1.0km) ⇒ 47番 八坂寺 (やさかじ) (H95) ⇒ (4.5km) ⇒ 48番 西林寺 (さいりんじ) ⇒ (3.1km) ⇒ 49番 浄土寺 (じょうどじ) ⇒ (1.6km) ⇒ 50番 繁多寺 (はんたじ) ⇒ (2.5km) ⇒ 51番 石手寺 (いしてじ) ⇒ (11.8km) ⇒ 52番 太山寺 (たいさんじ) ⇒ (2.3km) ⇒ 53番 円明寺 (えんみょうじ) ⇒ (2.0km)⇒「民宿 伊予路」


* 距離 : 28.8km = (Σ 852.5km)

* 歩数 : 53,200歩

* 宿泊 : 「民宿 伊予路」 (愛媛県松山市堀江町)



早い朝食を頂き、6時半に宿を出発。 前回は [ 八坂寺 ] への道で迷ってしまい、レモン畑に入り込んで無駄な時間を費したが、今朝は出がけに宿の人に

  『 この道を真っ直ぐ行くと左に 「 八坂食堂 」 があるので、そこを左折して真っ直ぐに行くと 八坂寺 の山門に出ます。 』

と教えられ間違うことなくてらに到着できた。

まだ時間が早く地元の人らしい男性が本堂の前を掃き掃除をしている。

山門を入った処に句碑がある。

  *『 お遍路の 誰もが持てる 不仕合わせ。  白象 』

分かりやすい文句で 自然に頷ける。 本堂と大師堂の参拝を終わり、納経してもらって 国道40号を北へ歩く。

[ 浄土寺 ] の境内にある桜は今が満開で、快晴の太陽を受けて美しく咲き誇っている。 

お遍路して歩いていると四国の各地で満開のお花見が楽しめる。

仙台 から来たと云う同年輩らしい 男性 のお遍路さんと一緒になる。 名前は聞けなかった。

この方も慣らして来たのにと云いながら足が痛くて困っていると云う。

[ 石手寺 ] では、 「 宝物館 」 に展示してある 「 衛門三郎ゆかりの小石 」 を見学したが、ガラス越しでの見学で、距離もあってはっきりとは見えない。

「 鬼子母神 」 が祭られ、多くの人から 安産祈願の高い信仰を集めていると云う 「 訶梨帝母天堂 」 ( カリテイボテンドウ ) を特に参拝した。

参拝してると1人の おばあさん が小石を返して、手を合わせているので聞いてみると

  『 結婚した娘が6年振りに赤ちゃんを授かり、無事に元気な女の子を産ませて貰ったんですよ。 
    だからこうして今日お礼にお参りさせて貰ってるんです。 嬉しいですよ。 あなたはどちらが生まれましたの? 』


と早速に聞き返される。

堂の前には記名された小石と無地の小石がうずたかく積まれており、妊婦などはこの中の無地の小石をお守りに戴いて持ち帰るのだそうだ。 そして、

ご利益を頂いて無事に出産を終えたら、持ち帰った小石に感謝の気持ちで名前などを記入し、もう1つ新たらしい小石と併せて2つにして、お礼参りをしてここにお返しするのだと教えて下さる。


  『 来月長男 夫婦に初めての赤ん坊が出産する予定なので、安産祈願にいま歩きお遍路をやっているんです。 私も是非頂いて帰り、ご利益を頂きましょう。』

と応えて、高く積まれた石の中から小さ目の石を見つけて 1つを取り出し鬼子母神に、

  『 どうか宜しく見守ってやって下さい。』

と祈願して、ズボンのポケットに仕舞う。

[ 石手寺 ] を出て間もなく前回入浴を楽しんだ漱石の坊ちゃんに出てくる 「道後温泉」 の前を通り 松山の市街に入る。

今日は 病気で亡くなった同期の 岡田鄰義君 の故郷と母校のある町を通り抜ける予定だ。

出来るだけその近くを通って行きたい。 

手元にある情報では、彼は 「 土肥町 の小学校 」 を出て、道後近くの 「 御幸中学校 」 を卒業、そして 高等学校 は御宝町近くにある 「 松山東高校 」 と云うことだけだ。


また、その町名や学校名が今もそのまま残っているか どうかも確かでない。

少しでも確かな情報にしたいと警察か交番を見つけようと歩いていると 「道後消防署 」 の看板を発見。

訪ねて事情を話し教えを請うと、休憩中の3人の消防士が街の地図を広げて相談しながら、私の 「 別冊 」 と見比べ [ 太山寺 ] へのへんろ道で南よりの道を行くと

「 松山東高校 」 近くを通り、途中 「 御幸町 」 も通るのでこちらを行った方が良いだろうと教えてくれる。

お礼を云って教わったコースを歩いて行く事にする。

松山市街 を通るので出来るだけ人通りの少ない処をえらんで、岡田君 の供養をしながら次 の 太山寺 に向おうと歩いていく。


* 『 岡田君。君と俺は幹候校を卒業以来 戦闘機乗りになるため同じ道を歩んできたのに、初級操縦課程から F-86F の部隊勤務まで一度も同じ飛行隊で勤務する機会がないまま過ぎてしまった。    そして初めて一緒になったのは昭和41年の北海道千歳基地だった。』


* 『 あれはまだ寒い春の日だったと思う。 
   俺が201教育飛行隊から新編の203戦術飛行隊に転属する事になると、君はその後を埋めるように千歳の201飛行隊に転属してきて、同期で2人目の Fー104Jの機種転換教育をうける事になった。』


* 『 また、真町の官舎では俺達は前と後の列びに住まい、お互いに初めての子供が出来たばかりで家族ぐるみの付き合いをしてもらった。』


* 『 そして、昭和42年、俺は実験航空隊に転属し、そのまま千歳基地派遣隊で Fー104J パイロットとして試験飛行に従事する事になると、君は Fー104J の実任務パイロットになって、またも 俺を追い出すように 203飛行隊に転属してきた。』


* 『 ある日、君は 千才基地のベースオペレーションで俺に云ったことがある。 
   俺は何時もお前を追い出しては、その後に入り込んでばかりいるが、悪く思わんでくれよ。と 』


* 『 俺はその後 間もなく退職して三菱に入社し、制服を脱ぐことになってしまった。
    しかしその後、君は俺の後を追うことなく最後まで自衛官として崇高な任務に邁進し続けてくれた。』


* 『 あんなに壮健だった君が 病に侵されてしまうなんて想像もしていなかった。 
   そして今度は君が一足先にそちらに行って仕舞うことになった。 
   それは昭和55年12月3日で、早くも20年余の才月が経過してしまった。』


* 『 いずれ俺たち同期の者はみんな、遅かれ早かれ必ず君の後を追ってそちらに行くことになる。 
   君は先遣隊として俺たちの歓迎の準備を万端整えておいてくれよ。 頼んだぞ。』


* 『 奥さんやお子さん、そしてお孫さん達みんな元気で過ごして居られ、また俺達同期が協力してしっかりと衛るから安心して安らかに眠っていて呉れ。』



[ 石手寺 ] から 松山市内 を抜けて [ 太山寺 ] に至る遍路道は約12kmと遠く、特に市街地のため遍路案内も少なく、その上ビルに隠れて見過ごしてしまったり、目標となる山なども見えず、また市内の人たちも遍路道や札所への関心や知識も少ない人が多く、尋ねる度に教えてくれる方向が違っていたりして暑い日射しの中をどのくらい余分な道を歩いただろうか。


[ 太山寺 ] に着いて暫くすると 鶴野さん が疲れた足取りで到着する。 聞くとやはり市街地で道に迷ったと云う。

参拝を終わり山門を出て次の札所に向かって歩いていると、今朝 [ 浄土寺 ] で会った仙台からの男性が足が痛いと云いながら前方からやって来るのに出会う。

自分の来た方向とは全く逆の方向からだ。 やはり彼も途中で道に迷ったと云う。

歩きお遍路の人は [ 石手寺 ] から市内を抜けて [ 太山寺 ] に至る遍路道はほんとうに迷いやすいので細心の注意をして早め早目に道を聞いて歩いていって下さい。

次の [ 円明寺 ] を参拝して宿舎の 「民宿伊予路 」 には4時過ぎに到着した。 年輩夫婦の経営で主人の方はなんとなく無口の方だ。

有料で使える洗濯機と乾燥機があり、それを使って今日の暑さで汗びっしょりになった衣類を洗濯し、乾燥機に入れ、その間に入浴する。

風呂から出て乾燥した衣類を部屋に持ち帰って整理し、夕食も食べ終わり、明日の準備も済ませて寝ようとして、ふと今日 [ 石手寺 ] の 「 訶梨帝母天堂 」 から頂いてきた安産の小石の事を思い出す。


何処を探しても見あたらない。 [ 石手寺 ] であの時ズボンの右ポケットに入れた事を思い出す。

しかしそれ以降、石を仕舞った覚えがない。 するとあのまま洗濯機に入れ、そして乾燥機にかけたに違いない。

乾燥機を回していて大きな音がして宿の人に見つかり、捨てられた可能性がある。 これは一大事。

罰当たりな事になってしまったと不安になり、急いでフロントに行ってみると既に消灯されて暗い。 お願いして奥さんに起きてもらい

  『 ズボンの中に 石手寺 の小石が入っていたと思いますが、ありませんでしたか? 』

と恐るおそる聞くと

  『 乾燥機が大きな音を立てて、カッタン、カッタンと云うので見たら石が入ってるじゃないの。 』

と云いながら旦那から貰ってきて返して呉れる。

 「 石手寺 の石 」 と聞いて、おばあさんは云いたい小言も云えずに返してくれたのだろう。

  『 済みませんでした。 助かりました。 有り難うございました。 』

  「ああ 良かった。 捨てられてなくて助かった。」

今度は大切にリュックの底に仕舞い、安堵して床に入る。
* この小石について

  1年後の 平成15年5月23日、息子 克彦 が [ 石手寺 ] を訪ね、
  長男健介君 が満1歳の誕生日 を 無事に迎えられた事を報告し この小石をお返しして、
  今年末 誕生予定の第二子の安産を祈願して また 新しい小石を頂いてきました。 (H15.5.24)


* 今日の出来事

 @ :横浜市長に無所属の中田宏氏が初当選。



「 47番札所八坂寺 」:
お遍路発祥の地として
衛門三郎が祭られている


撮影日時(2002/04/01 07:15)
「 51番札所石手寺 」:
鬼子母神を祭る”訶梨帝母天堂”は
多くの人から安産祈願の高い信仰を集めている
孫の安産誕生を祈念して小石を一つ持ち帰り
琴さんに手渡し、14/4/21 体重3,684g、身長53.5cmの
元気な長男(健介君)を無事に誕生しました
撮影日時(2002/04/01 10:58)
「 53番札所円明寺 」:
寛永年間に建立されたキリシタン灯籠で
円明寺では信者の礼拝を
黙認していたと思われる

撮影日時(2002/04/01 15:36)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 27日目 (H14,04,02 火 各地で夏日、暑く更に日焼け) 『 南光坊での 出会い 』


* 行程 : 「民宿 伊予路」⇒ (11.5km) ⇒ 鎌大師 ⇒ (10.5km) ⇒ 青木地蔵 ⇒ (10.7km) ⇒ 54番 延命寺 (えんめいじ) ⇒ (3.6km)⇒ 55番 南光坊 (なんこうぼう) ⇒ (1.8km) ⇒ 「今治サティ」⇒ (2.1km) ⇒ 「笑福旅館」


* 距離 : 40.2km = (Σ 892.7km)

* 歩数 : 61,500歩

* 宿泊 : 「笑福旅館」 (愛媛県今治市北宝来町)



中年の ご婦人 と 2人で早い朝食を頂く事になる。 このご婦人が

  『 何処かでお会いしましたね。 』

  『 ああー、そうだ、  岩屋寺 からの帰りに山の中でお会いしましたね。』

そう云われれば、汗びっしょりになって [ 岩屋寺 ] への上り道を急いでいた時に出会ったあのご婦人のような気がする。

宿を出発するとき、この婦人と一緒におにぎり3個を宿の奥さんから 「 お接待です 」 と手渡され、お礼を云ってリュックに仕舞う。

宿を出て暫く北に向かって海岸沿いに国道196号を歩いていくと松山市から北条市に入った事を知らせる標識に出会う。

北条市 はテレビドラマ 「 花へんろ 」 の舞台となった処らしく、道沿いに宣伝の看板が今も出ており、朝の通勤の車で渋滞した傍の歩道をもう汗びっしょりになって歩いて行く。


道の両側の桜は今が丁度 満開で右前方の山には白い梨の花も咲いている。

8時過ぎ、強い日射しの中を鎌大師に到着。 白衣 はもう汗でびっしょり。 

道から上がった大師堂 にお参りし、その左に平屋があり、この機会に是非お会いして行きたいと訪ねて来た 「 手束妙絹尼さん 」 は多分この建物に住んで居られるのだろうとノックして


  『 お早うございます。 』

  『 おはようございます。 』

声をかけてみるが応答がない。 老齢と聞いているので まだ休んでおられるのなら起こしてはいけないので、これ以上大きな声を出すのは止めにして 「 納め札 」 に、

  *『 高松の 藤井さん に勧められ、是非とも手束妙絹尼さまにお目にかかり、一言でもお言葉を頂けるのを楽しみに歩いて来ました。
    今回お会いする事が叶わず、とても残念に思います。  先を急がなければなりませんので、このメモを残させて頂きます。
    歩いて感ずる処は「人生 即 遍路 」 です。  平成14年4月2日 08:30 』



と書き込んで玄関に差し込み、鎌大師さん を後にする。

「手束妙絹さん 引退」 の報道  (2003,4,30)


[手束妙絹さん 1998,08]  
「愛媛県北条市にある番外霊場・鎌大師堂の庵主・手束妙絹さんが、満94歳の誕生日の2003年4月30日をもって引退されることになりました。
手束妙絹さんは、1909年(明治42年)生まれで、幼い時期を台湾で育ち、その後、東京や名古屋に暮らし、結婚・出産を経て、終戦後、身一つとなられました。
たまたま参加した小豆島遍路で四国遍路に興味をもったことから、本四国を歩くことになり、毎年歩き遍路で巡ること15回。
そうして1979年(昭和54年)、70歳になろうというとき、縁あって、鎌大師堂の庵主となられたのです。
以来、訪れる遍路たちの話を聴き、あるときは共に悲しみ、あるときは諭しながら遍路を見守ってこられました。
いわば「現代歩き遍路の大先輩」ともいうべき存在です。  遍路中や、庵主となられてからの様々な人との出会いは、
その著書『人生は路上にあり』、『お遍路でめぐりあった人びと』、『堂守日記 花へんろ一番札所から』などに語られています。
歩き遍路のかなりの人が、手束妙絹さんにあこがれて、一目会いたいと思い、丘を登って、この鎌大師堂を訪れてきたのです。」

私もその1人ですが、残念ながらお会いすることができないままになりました。
その後、平成15年5月3日放送の「生中継 春遍路・四国こころの旅」 (NHKラジオ第一) の中で手束妙絹さんは 養老院に入られる予定 と報じていました


道に出て4〜5m 行った処で後から

  『 日高さーん 』

と呼ぶ声。 聞き覚えのある声だ。 振り返ると 鶴野さん。

 昨夜は彼女も同じ 「 民宿伊予路 」 に泊って今朝は6時に出発したと云う。

菊間町 に入ると道の両側のあちこちに瓦製造の町工場が並んでいる。 車に瓦を積み込んでる男の職人の人に近寄って

  『 菊間町 には瓦工場 が多いのはどうしてですか?  良い土が取れるからですか? 』

と尋ねてみた。 すると、

  『 昔、松本城 を築城する時、殿様から菊間の住民に瓦の製造を受け持つように命じられ、その時の伝統、技術が今に受け継がれ、こうして工場が残っているんです。』

との答え。 物造りの技術や文化がこうして年月を経て受け継がれている事の素晴らしさを感じる。

大西町 に入って暫く歩いていると、右側の鉄道線路沿いに椅子を出して腰掛けてる おばあさん から

  『 お遍路さん、 今日は暑いだろう。 ほんとにご苦労だね。 何処からだね? 』

と声をかけられる。

  『 愛知県からです。』

  『 さっきの人は神奈川県から来たって云ってたよ。 飴を食べて。 』

と云って飴玉 2 個を手渡して呉れ、袂から握った手を差し出して

  『 これも持って行って。』

と云う。 手を広げて出すと5円や10円、1円玉を沢山握らされる。

  『 有り難うございます。 遠慮しないで頂いていきます。 お元気で長生きして下さい。 』

とお礼を云って立ち去る。

お接待の本来の姿をじかに体験できたような気がする。 

後で数えてみると合計73円で、次の [ 延命寺 ] であのおばあさんの為にお賽銭として納めさせてもらう。

しばらく行くと道の左側に 太陽石油 の 精油工場 があり、それに隣接して小さな庵の [ 青木地蔵 ] がある。 

立ち寄ってお参りし、暫く木陰の涼しさで燃える躰を冷やす。

アスファルト舗装の暑さの中を 2km 位も歩いた処に蜜柑類を広げて売っているバラックの店があった。 

喉の乾きで無性に食べたくなり、

  『 ご免下さい。 』

と声をかけてみる。 奥から半袖とステテコに はちまき姿の男性が元気よく出てくる。

  『 少しでないと買えないんですが。 50円くらい分けて分けて貰えますか? 』

とお願いする。 5〜6個 両手に取って

  『 はい いいですよ。 50円で。 』

ああ、助かった。 これなら直ぐに食べてしまえるので重たい思いをしないで済む。

  『 これを飲んで行きなさい。 』

と冷たくしたオロナミンC もお接待して下さる。 有り難い。

ぐーっと一気に飲み干して空き瓶を返し、お礼を云って出発しようとした処へ同じような服装の同年輩のお遍路さんが来て、

  『 私も 50円分みかんを売ってください。 』

と云ってミカンを分けて貰い、そしてこの人も同じ様に オロナミンC のお接待を受ける。

挨拶して一緒に歩きながら自己紹介し合うと、この 男性 は 神戸 から来たと云う区切り打ちの 歩きお遍路で 土肥さん と云う方で、これから最後まで一緒に連れだって歩く事になる出会いでした。


[ 延命寺 ] では 真念法師 の残された三百年以上も昔の 「道しるべ石 」 を見ることができた。

[ 南光坊 ] へのへんろ道沿いの淀んだ流れの小川には 40cm 位もある大きな鯉が泳いでいたが、ヘドロの汚い水の中に放たれて、暑い日射しを受け、何とも可哀想な様子に思われた。


[ 南光坊 ] の納経所で

  『 納経をお願いします。 』

と納経帳を差し出すと、恰幅のよい作務衣の方

  『 汗をかきましたね。 』

3ヶ所に朱印を押して、すらすら毛筆で納経帳に書き終えると、

  『 今日の日付を入れましょうか ? 』

  『 えっ。 日付を入れて頂けるんですか ?   有り難うございます。  記念になりますのでぜひお願いします。』

  『 今、すいていますから。 空いている時は、希望する歩きお遍路さんには入れてあげるんです。』

と、云って [ 南光坊 ] の ページ の右下に、

  [ 平成十四年卯月二日 ]


と納経の日付を記入して下さる。

  『 こんなに親しく話し掛けて頂き、有り難い思いで納経をして貰ったのは 遍路中で初めての経験です。 感激でいっぱいです。 
    これまでの疲れも吹っ飛んで仕舞いました。 有り難うございました。 』

お礼を云って立ち去ろうとすると、

  『 錦の納め札 を一枚差し上げます。 これは八十六歳の方から 8枚送ってもらった中の1枚です。なかなか手に入らない物です。』

  『 これは素晴らしい物を有り難うございます。 いつまでも大切に保存致します。』

お礼を云って納経所を後にする。 これまで経験したことのない出会いを頂き、本当に有り難うございました。

頂いた納め札の裏を見ると、

  香川県宮脇町の小西辰雄さん ( 85歳 ) の256回目のお遍路記念の納め札

である趣旨が記入されている。 貴重なものなのでいつまでも大切に保存しなければならない。
尼崎市に在住の大脇様 (平成15年春通算36日で結願 66歳) から便りを頂き、私に日付入りの納経をして
  下さった「作務衣姿の方」は、特技の書道を活かして[南光坊]で納経のお手伝いをして居られる
  今治市在住の 平田 潔さん と云われる方と知らされました。
  ここに感謝の意を込めて紹介させて頂きます。  (H15.05.06)

今夜の宿の 「 笑福旅館 」 に着いて、玄関先にリュックを置かせて貰い、 「今治サティ 」 まで歩いて念願の靴を買いに行く。

宿の主人 に聞くと300mくらい先だと云うので 「 一寸行って来ます。 」  と軽い気持ちで出かけたが歩いても歩いてもまだ先で、ゆうに 1km は超える距離があった。

それでも底に孔が開いた靴を買い換える事ができ、あまり疲れも感じないで帰ってくることができた。

前回 の時も同じ 「 今治サティ 」 で ヒール の裏張りをして貰い無事結願できたが、今回も同じ店で靴を更新する事になった因縁に何か奇異なものを感じる。



「 鎌 大 師 」:
北条市にある太師堂
住職の手束妙絹尼さまに
お会い出来ず残念でした

撮影日時(2002/04/02 08:45)
「 納 経 帳 」:
55番札所南光坊でお接待された
 「日付入りの納経」と 「錦の納札」
そして、今回持参の 「自分の納札」 です

撮影日時(2002/04/02 10:52)
「 靴の新旧交代 」:
7日目(3/13) から 27日目(4/02)まで
20日間 675km の歩き遍路 を支えてくれた靴(右)は
底に大きな孔があいて使用不能になりました
左は明日から最後まで使用する新品です
撮影日時(2002/04/02 16:20)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 28日目 (H14,04,03 水 快晴で今日も暑い1日) 『 アイゼン 持ってますか ? 』


* 行程 : 「笑福旅館」⇒ (2.7km) ⇒ 56番 泰山寺 (たいさんじ) ⇒ (3.0km) ⇒ 57番 栄福寺 (えいふくじ) ⇒ (2.5km) ⇒ 58番 仙遊寺 (せんゆうじ) (H300) ⇒ (6.7km) ⇒ 59番 国分寺 (こくぶんじ) ⇒ (16.0km) ⇒ 「栄家旅館」


* 距離 : 30.9km = (Σ 923.6km)

* 歩数 : 48,300歩

* 宿泊 : 「栄家旅館」 (愛媛県周桑郡丹原町)



朝食を済ませて 6時半に 「 笑福旅館 」 を出発。 昨日の夕方靴を買いに歩いた 「 今治サティ 」 の傍を通って [ 泰山寺 ] に向かう。

靴の履き具合は期待以上に良く、ほとんど違和感もなく歩いて行けそうだ。

[ 泰山寺 ] も [ 栄福寺 ] も 今治市内の平地にあるが、 [ 仙遊寺 ] は 「作礼山 」 と云う山の頂にあり、名前の通り仙人だけがこの山野を走り回っていたのではないかと想像させるくらい厳しい地形で、長い急な坂道をまぶしい日射しをまともに受けながら上り続けてやっと山門に到着。


そこからまた手すりのついた長い石段を登ってやっと境内に到達することができるお寺だ。

涼しい風の吹き抜ける山頂の境内には立派な宿坊が建っている。 昨夜の泊まり客は既に出発した後らしく静寂としている。

[ 仙遊寺 ] から [ 国分寺 ] へ向かうへんろ道は 「 鍋割り坂 」 に似た急勾配の長い下り坂で 「 五郎兵衛坂 」 と呼ばれている。

昔、 [ 仙遊寺 ] に大きな太鼓があり、その音で今治の漁民は漁ができず、漁師の 「 五郎兵衛 」 は遂に怒って [ 仙遊寺 ] に駆け上り、その太鼓を引き裂いての帰り道、この下り坂 で転び、大けがをしたと云う。


その後、この坂は 「 五郎兵衛坂 」 と呼ばれるようになったと云う。

[ 国分寺 ] の山門を出た処に 「 タオル の里:五九楽館 」 と云う茶店がある。 そこの 若いご主人 から

  『 歩きお遍路のあなた。 アイスクリームを食べて行って下さい。 』

と手招きされる。 入って行くとそこには 鶴野さん ともう1人の女性 が腰掛けてアイスを頬張りながら涼んでいる。

今日も晴れ上がった暑い日射しに靴底 を通して足が焼きつくように熱い。

日陰 の風通しの良いベンチに腰掛けて頂いたあの アイスクリーム の味は格別に美味しく、今も懐かしい想い出だ。

  『 ホームページ を開いていますので見て下さい。 』

と云って名刺を渡され、小さな汗拭きのタオルもお接待される。

小さいタオルは特に歩きお遍路さんには汗拭きに好都合で、2年前にもこの前をお寺に向かって歩いているときにお接待されてその後の歩きに大変重宝したことを思い出す。

  『 じゃー、ボクのも見てください。 』

アドレスを書き込んだ納め札を渡す。

  『 いやー、 このホームページ、 私 見ましたよー。 』

と云ってホームページ の内容をいろいろと誉めてくれる。 これから行く 「 栄家旅館 」 への道筋を聞いて店を後にする。

途中、今治市 から 東予市 に入る直前、広い道路のむかいに 「道の駅 」 を見つけ、 鶴野さん を誘って、急いで横切って店内に入る。 

2 人で肉うどんを食べて空腹を癒す。 その時に飲んだ 「 生中 」 の美味しさはまた格別でした。

宿迄の 16km は、強い日射しと強い向かい風で疲れた身には長い長い道のりに感じられた。

予報をみると明日の天気は良さそうなので、計画通り 「 石鎚山登山 」 を実行しようと、石原さん から教わったように 「 白石旅館 」 に予約の電話を入れてみる。 

相手の第一声は、

  『 アイゼンを持って来ていますか? 』

今の 「 石鎚山 」 にはまだ 残雪 が多く、アイゼン を装着していないと、とても登ることは危険だと教えられる。

  『 分かりました。 有り難うございました。 予約の件はキャンセルさせて下さい。 』

お礼を云って早々に電話を切る。 アイゼンと聞いてはこの話は続けられない。

自分の認識不足を反省しながら、また 「 石鎚山 」 の偉大さを実感する。

毎日こんなに暑い日が続いているのに、四国の中で残雪で登れない山があるとは想像もしていなかった。

また、これまで四国を歩いてきて残雪のある山を見たことはない。 信じがたい言葉だが、素直に受け入れるしかない。

明日は人里離れた [ 横峰寺 ] に登るので途中の食料を調達をしようと民宿までの道筋で売店を探して行くと、宿のすぐ手前でベーカリーを見つける。

店に入ってパンを 3個選び、勘定をお願いすると、ご主人

  『 歩きお遍路さんですね。 今日は暑かったでしょう。 お代は結構です。 お接待させて下さい。 今夜は栄家さんですか。』

お願いしたパンを袋に入れて手渡して下さる。 お接待にお礼を云って、すぐ先の 「 栄家旅館 」 に向かう。

夕食には隣に土肥氏、その隣に 鶴野さん、向かいに千葉から来たと云う 男性 、右隣には 女性3人組 など10人が宿泊しており、明日の [ 横峰寺 ] への道のりなどの話にみんながうち解けて食事の時間を過ごす。



「 優しいへんろ石 」:
56番泰山寺前で見つけた
優しそうな古い珍しいへんろ石

撮影日時(2002/04/03 07:10)
「 57番札所栄福寺 」:
境内の片隅に立つ
お願い地蔵尊
ふっくらと可愛いお顔をされたお地蔵さん
撮影日時(2002/04/03 08:15)
「 58番札所仙遊寺 」:
八十八ヶ所御砂踏=
大師像を八十八ヶ所霊場のご本尊の
石仏が囲んでいる
撮影日時(2002/04/03 09:11)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 29日目 (H14,04,04 木 快晴 北の高気圧で涼しく歩き易い) 『 西条の青年との 出会い 』


* 行程 : 「栄家旅館」⇒ (17.5km) ⇒ 60番 横峰寺 (よこみねじ) (H740) ⇒ (9.3km) ⇒ 61番 香園寺 (こうおんじ) ⇒ (1.5km) ⇒ 62番 宝寿寺 (ほうじゅじ) ⇒ (1.5km) ⇒ 63番 吉祥寺 (きちじょうじ) ⇒ (3.3km) ⇒ 64番 前神寺 (まえがみじ) ⇒ (0.4km) ⇒「湯ノ谷温泉」


* 距離 : 33.5km = (Σ 957.1km)

* 歩数 : 45,100歩

* 宿泊 : 「湯ノ谷温泉」 (愛媛県西条市洲之内)(*下記注)



06:30 土肥氏 と食卓で向かいに座っていた千葉からの 男性 と3人で宿を出発する。 朝の涼しい風を全身に受けながら爽快な気持で南に向かって歩く。

気持ちのよい朝だ。 宿から [ 横峰寺 ] までの 17km のうち 「 道の駅 」 まで約14km は車も通行できる舗装道路で、最後の2.2km だけが昔の風情がそのまま残るけわしいへんろ道になっている。


途中、後ろから来た軽トラックが横を徐走しながら、運転の男性 が、

  『 お遍路さん、その先まで行くのでよかったら乗って行きませんか ? 』

と誘ってくださる。 独りで工事現場かどこかへ行く途中らしい。

歩いてお遍路していると親切に乗車を勧めてくださる事が時々ある。 好意はとても嬉しいが、これだけは丁重にお断りして歩き続ける事にしている。

歩き通すと決めたお遍路にとっては一度でも車に乗る事はなにか汚点が残るようで、気持ちの上でどうしても妥協できないものがある。

わけを話して、折角のご厚意を丁重にお断りし、行って貰う。 そんな好意を受けた後は気持ちが晴れ晴れとしてなんとなく歩きが軽快になってくる。 

走り去る車に手を振って見送る。

横峰寺 への最後の 2.2km は山道の急峻なへんろ道で、そのちょうど入り口 には山肌から 清水 が流れ出ており、地元の人が車でポリ容器を持って汲みに来ている。

お願いしてその清水を飲ませて貰う。 備え付けのコップで一気に 2杯を飲みほす。 冷たくて美味しい。 すごく旨い。

美味しく飲みほした清水はすぐに大粒の汗となって額や顔から流れ出し、白衣を更に濡らせてびしょびしょにしてしまう。 

それがまた歩き遍路にとっては替えがたい醍醐味でもあるのです。

山道に入って最後に急な長い登りが続き、これぞ 四国一の難所 を思わせるへんろ道だ。

途中、2人の男性お遍路に挨拶をしてやり過ごし、09:05 清々しい朝の木漏れ日を受けて静かにたたずむ [ 横峰寺 ] の山門に到着する。

この [ 横峰寺 ] は 四国八十八ヶ所 の中で、 [ 66番雲辺寺 ] ( H910 ) に次いで2番目に標高が高く、その遍路道もそん色のない難所でした。

先に参拝を終わり、納経もしてもらってから日溜まりのベンチで汗に濡れたアンダーシャツを着替えていると、宿を一緒に出た 土肥氏 と 千葉の男性 が相次いで石段を上って来る。


  『 早いですね。』

こちらに気づいて 千葉の男性 が通り過ぎて行く。

  『 いぇ、いぇ、上り坂は結構好きなんですよ。 』

と応える。

汗で濡れた下着などをベンチに広げて乾かしながら一休みしていると、参拝を終えた 2人が前後して「お先に」と行って山を下りてゆく。

余り遅れても気後れがするので、荷物を片づけ彼等が下りていった後を追って大師堂の左側から境内を出て山道のへんろ道に入る。

暫く下りていくと [ 香園寺 ] まで10kmの標識に出会う。 緩やかで長い下り道を走るように下りて行くと車道に出る。

へんろ道から右側に少し入った処に [ 61番奧の院 ] が見える。 

前回素通りしたし、今日は時間に余裕もあるので、うららかな天気にも誘われてお参りして行く事にした。

大師堂 の格子越しに間近に実物大の 「大師像」 が見える。 えらく近くに安置してあるのだなと感心しながら礼拝し、近づいてよくよく観察すると、少し動く。 

 なんとお寺の 住職さん がこちらを向いて正座しておられるのではないか。

驚きと珍しい物を拝見した思いが重なって今も印象に残っている。

次いで隣の本堂にまわると同年輩らしいご婦人 が独り熱心に参拝しておられる。 その後ろに立って参拝していると、

  『 どちらからですか ? 』

  『 愛知県から 来ました。 』

  『 ずーっと 歩いておられるんですか? 』

  『 はい。 3月7日に 徳島駅 を出発して、ここまで毎日歩いて来ました。』

と応える。 懐からゆっくりと財布を出して

  『 お接待させて下さい。 』

と云って、 千円札を手渡して下さる。 こんな大金をお接待されても良いのだろうかと躊躇しながら、有り難くお礼を云って納め札を差し出し

  『 日高と申します。 四国の皆さんのご好意で2回目の歩き遍路をさせて貰っております。 有り難うございます。 』

とお礼を云って [ 奥の院 ] を後に、 [ 香園寺 ] に向って歩く。

先日、大西町 で線路脇のおばあちゃんから頂いた72円と2個の飴玉のお接待も、今のお接待もそこに差異を感じてはならないのが本来のお接待の姿ではないだろうかと思う。


要するにお遍路さんに対するお接待の真心だと思う。 だからお接待を頂いたお遍路の方も同じ真心で感謝しなければならないと思う。

[ 香園寺 ] は鉄筋コンクリートの近代的な建物で、四国霊場 の他のお寺とは雰囲気が少し違う。

左右にある入り口から備え付けのスリッパに履き替えて聖堂 に入ると正面に黄金色の巨大な本尊・大日如来さまや子安大師さまなどが安置され、大師堂も同じ部屋に一緒にお祭りしてある。


前方には多くの固定椅子 ( * 資料に依ると全部で 827脚あると云う ) が設置された 巨大な大聖堂です。

建物の正面にも小さな拝殿があり、聞いてみると足の不自由な人や、靴を脱いで参拝できない人の為に、こちらからでも参拝出来るようにしてあるのだと云うことです。 納経所 は本堂に向かって左側にあります。


[ 宝寿寺 ] から [ 吉祥寺 ] に向かって歩いて行くと、右手のはるか山の稜線の更にそのずーと向うのひときわ高い山際に白い残雪らしいものが見えるのです。

そうだ、あれが 「 石鎚山 」 に違いない。 今回、四国で初めて見た雪山で、あの山にだけ残雪がある。 冬支度なしでは登れない事が素直に納得できた。

[ 吉祥寺 ] から旧道に入り、 [ 前神寺 ] に向かって歩いていると、

  『 お遍路さーん。』

と呼び止められる。 振り向くと家から おばあちゃん が出て来て、

  『 お遍路さんの姿をみると懐かしくてね。 私も昔、歩いて四国を回ったことがあるんだよ。 もうこの年でお遍路はできないけどね。 』

  『 この前ね、若いお遍路さんが、「 ゼンシンジ はこっちですか ? 」と聞くんですよ。 確かに 「 ゼンシンジ 」 と読めるもんね。 』

と云いながら、懐から百円硬貨を出して

  『 これ、お接待させて下さい。 気を付けて最後までお参りを続けて下さいよ。 』

  『 有り難うございます。 おかあさんから元気を貰いました。 最後の結願まできっと頑張ります。 』

お礼を云って納め札を手渡し、手を振ってお別れする。

[ 前神寺 ] からへんろ道を 400mくらい行った処に今夜の宿の 「 湯ノ谷温泉 」 がある。 部屋に案内されて荷物を下ろし、直ぐに風呂場に急ぐ。

服を脱いで入れたロッカーの施錠が上手くできず困っていると、近くから 若い男性 が手伝ってくれて、無事に施錠を完了する。

まだ時間が早いのに、もう 5-6人が湯船に入っており、先ほどの男性が筋向かいの位置に来て色々と話し掛けてくれる。

源泉は少し離れた処から出る硫黄成分の冷泉で、歴史の古い温泉だと教えてくれる。 

「 道後温泉 」 と同じ銭湯方式でシャンプーや 石鹸は自分で持参しなければならない。 準備して行かなかった私に

  『 これを使っていいですよ。』

と ボデイソープ と シャンプー を近くに寄せて呉れる。

  『 この蛇口から美味しい飲み水が出るんですよ。 山から清水を引いてきているんです。 飲んでみてください。 』

温度調節ができる浴槽用のクロムメッキ蛇口の横に、温泉の湯煙で真っ黒に錆びた押し下げ式の蛇口がある。

それを手で押さえて水を出して見せてくれる。 自分の前の蛇口を押してみると冷たい水が出る。

彼に手伝ってもらって両手に汲んで飲んでみると冷たくて実に美味しい水だ。

  『 西条は美味しい水がふんだんに湧き出るんですよ。 』

と自慢げに話してくれる。

特別に飲み水だけの配管がしてある浴場なんて初めての経験だ。 この青年の自慢はウソではない。

脱衣場には、豪華な祭りの山車を写した 「 菊川祭り 」 の写真が貼ってある。 

その写真を指して、賑やかな祭りの様子を色々と熱心に話して呉れる。

自分が今住んでる近くの 「 高山祭り 」 の様子を見聞した範囲で話してあげる。

彼のように自分の故郷を心から自慢できる青年をうらやましく思う。 

西条のような町が自分の故郷だったらどんなに素晴らしいことだろうかと彼をうらやましく思う。

全国の少年たちが自分の故郷に誇りをもち、自慢できる様になることが都会一辺倒の風潮を変え、故郷創成にもつながるのにと彼の話に感心しながら 湯ノ谷温泉 を堪能させてもらった。


 [ 61番奧の院 ] で出会ったご婦人、旧道で 「 ゼンシンジ 」 の話をしてくれた おばあちゃん 、そして故郷を自慢に誇ってくれた 青年 のみなさんとの出会いは、汗びっしょりになって登った [ 横峰寺 ] へのへんろ道と共に忘れられない今日の素晴らしい想い出です。  有り難うございました。


朝食の準備が 7時からしかできないと云われ朝食は断り、フロントの女性に近くのコンビニの在処を教えて貰い、明日の軽快な歩きをイメージしながら床に就く。


* 注 :「湯ノ谷温泉」について

 @ : 温泉が最高で、歩きへんろで蓄積された疲労を十分に癒して呉れる。

 A : 硫黄泉の冷泉を湧かしたお風呂で湯量も豊富のいい湯です。

 B : 朝食は7時からで、前日弁当の用意もできる。

 C : 地元の人も入浴しており、楽しい交歓もできる。



「61番札所香園寺 」:
安産、子育て、お身代わり、女人成仏に
ご利益がある子安大師
撮影日時(2002/04/04 11:50)
「 63番札所吉祥寺 」:
左の穴の開いた高さ1mほどの成就石と
下をくぐって祈願するくぐり吉祥天女
撮影日時(2002/04/04 13:19)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 30日目 (H14,04,05 金 快晴で暑い1日) 『 無心に歩くだけも お遍路 』


* 行程 : 「湯ノ谷温泉」⇒ (9.5km) ⇒ 西条・新居浜の境界 ⇒ (11.4km) ⇒ 新居浜・土肥の境界 ⇒ (17.7km) ⇒「ろんどん莊旅館」


* 距離 : 38.6km = (Σ 995.7km)

* 歩数 : 56,200歩

* 宿泊 : 「ろんどん莊旅館」 (愛媛県伊予三島市中央)



薄暗いフロントに声をかけると、仮眠中の婦人が玄関まで出てきて鍵を開けてくれ、5時40分に旅館を出発。

国道11号 に出て昨日教わったコンビニの 「 サンクス 」 に入り、パンと牛乳を買って朝食にする。

今日も雲一つない快晴の空で、朝の風は涼しく兎に角気持ちがよい。

新居浜市 では 国道 と並行した 旧道 を照りつける太陽に今日も肌を焼かれながら歩いていく。

正面に旅客機のコントレールが朝日に照らされて白く延びて行くのが見える。

今日は参拝する札所はなく、ただ宿泊予定地の 伊予三島市 に向かって 38km 約 10里の道を東へ、東へと歩くのみの1日だ。

東に向かって国道11号の長い登り坂を汗を流しながら歩いて上って行くとその頂上は約600mの標高があり、そこから土居町になりゆっくりと下っていく。

強い日射しのなか豊岡町の旧道を疲れた足取りで歩いていると、

  『 お遍路さん、 ちょっと待ってください。 』

2人で立ち話をしていた おばあちゃん の1人が自分の家に駆け込み、間もなく出てきて、

  『 仏壇に お供えしていた 伊予かんです。 お接待させて下さい。 』

葉っぱが2枚付いた伊予柑を下さる。 お礼を云って納め札を手渡し、また東へ向かってただただ歩いていく。

この頃になると疲れで足取りがふらついてくる。 事故に会わないよう一歩一歩意識して歩いて行く。

今日も強い日射しと暑さで一段と日焼けが進み手首が更に赤黒くなっている。


* 今日の出来事

 @ : 岐阜市、各務原市で大きな山火事発生したとのニュース。

 A : 第74回選抜高校野球決勝戦: 報徳学園 (兵庫) が 8-2 で 鳴門工 (徳島) を破り28年ぶり、2度目の優勝。


  目次へ ーーー






☆ 31日目 (H14,04,06 土 夕方から雨) 『 民宿岡田の主人を 訪ねて 』


* 行程 : 「ろんどん莊旅館」⇒ (6.2km) ⇒ 65番 三角寺 (さんかくじ) (H350) ⇒ (7.2km) ⇒ 常福寺 (通称:椿堂) (H100) ⇒ (7.2km) ⇒「民宿岡田」⇒(5.9km) ⇒ 66番 雲辺寺 (うんぺんじ) (H910) ⇒ (9.8km) ⇒ 67番 大興寺 (だいこうじ) (別名:小松尾寺) ⇒ (8.7km) ⇒ 68番 神恵院 (じんねいん) ⇒ (0.1km) ⇒ 69番 観音寺 (かんおんじ) ⇒ (1.7km) ⇒「ビジネスホテル 観音寺」


* 距離 : 46.8km = (Σ 1,042.5km)

* 歩数 : 70,900歩

* 宿泊 : 「ビジネスホテル観音寺」(香川県観音寺市茂木町)



満天に星がきらめく中、宿から街灯を頼りに 国道11号 に出て、左折して一路東へ向かう。

道の反対側に 「 サークルK 」 を見つけ、車の来ないのを確めて横断し、店先に リュック を置いて店に入る。

ひときわ明るく見える店内には見慣れた 「 サークルK 」 のユニホームを着た青年が1人で店番をしている。 パンと牛乳を買い、

  『 温かくしてもらえませんか? 』

とお願いすると、気安く レンジ で チン をして返して呉れる。 店先に牛乳のカゴを逆さにして腰掛け、早速朝食にする。 外はまだ暗いが寒くはない。

こんな場所で恥ずかしさもなく食べられるのは四国の歩き遍路の特権とも云える。 あんパンと牛乳、ヨーグルトでお腹も充満し、元気が湧いてくる。

途中から国道を右に逸れてへんろ案内に従って 海抜350m の [ 三角寺 ] を目指して坂道を上って行く。

先ほどの牛乳は全て汗となって額から ポトッ、ポトッと乾いた路面に一定間隔で落ちて黒い汗玉の印を残す。

規則正しく落ちてくる汗の雫を踏みしめながら元気を出して登って行く。

先ほどから思案していたのだが、まだ薄暗く周りに人家もないし、人の気配もないので、竹藪にリュックを降ろし、好条件の場所を見つけて対地爆撃を敢行する。 

気分も爽快になって最後の頑張りを出す。

南の空に薄く白っぽい下弦の月が浮かんでいる。 それに向かってキラキラと白銀色した短かい飛行機雲 が将に月を串刺しにするように延びてゆく。 懐かしい光景だ。

左眼下には数本の煙突から白い煙が真っ直ぐにのびている海岸沿いの大きな工場があり、それを中心に 伊予三島 の町が広がっているのが見える。

[ 三角寺 ] の参拝を終わり、まだ7時前なので納経が始まるのを待っていると納経所から1人のお遍路さんが出て来た。

  『 もう納経をして貰えるんですか ? 』

と聞くと、してもらったと云う。 それならと入って、

  『 こんなに早く 納経して貰えるんですか?  7時前なのに。』

と云うと 住職さん が、

  『 もう10分前です。 そんなに早くはないですよ。』

あるお寺では納経の始まりを待ってると、 「 納経は7時からだよ。」 と云っておいて、7時になったら 「 準備が出来てないので一寸待ってくれ。」 と云って待たされたりする。 

これが納経所のありふれた姿だったから。

  『 早くやって頂けることは嬉しい事です。 有り難うございます。 』

お礼を云いながら納経して貰う。 最高に気分が良い。

住職さんに先ほどの煙突のある工場について聞くと「エリエール」を造っている「 大王製紙 」の工場だと教えてくれる。

「大王製紙 」 の社名の由来は会社創立のとき、前社長が 「 王子製紙 」 に負けないように [ 大王 ] にしたのだということです。

[ 三角寺 ] の山門を出て振り返り一礼し、石段を下りていると、反対に登ってくる 鶴野さん に出会う。

間もなく学校が始まるので今度こそ今日で打ち上げて帰宅するのだと云う。 遂に彼女とのお別れの時が来たのだ。

3月18日、土佐の [ 国分寺 ] 前で最初に出会ってから今日まで一緒に歩いた素晴らしい出会いに感謝し、彼女のこれからの人生を頑張って欲しいと心からの激励を送って別れる。


偶然にも今度の歩きお遍路の旅の半分以上を彼女といつも一緒に旅する事になった。

名残惜しい気持ちでお別れの挨拶をして [ 三角寺 ] を後にする。

  鶴野さん とは 3/18 に初めて出会い、その後は一緒にも歩き、そして同じ宿にも泊まり、
    お遍路を続けてきましたがこれが最後の出会いでした。 何時までも 美しく、元気で 頑張って下さい。

      [その後鶴野さんからもらった 「e-Mail」 に依ると 4・5月の連休を利用して残りを歩き、
       5月02日に無事 結願されたとのこと。   おめでとうございます。]



[ 三角寺 ] を出て坂道を東に向かって下りていると、玄関から丁度出て来た若い主人 が、

  『 向こうのあの山の一番高い処が 雲辺寺 です。 遠いですが頑張って行って下さい。』

と励ましてくれる。 遙か 20km の彼方の山頂に 鉄塔が 4本見える。 

そうだ、前回の時、汗だくになって山道を登り、やっと視界が開けた処は 鉄塔の足下だった。

これからあそこまで歩いて行くのかと思うと気が遠くなってくる。

国道192号に出る処にある [ 椿堂 ( 常福寺 ) ] に参拝し、仮予約しておいた宿泊予定をキャンセルし、緩やかな登り坂の国道を歩いて、「 境目トンネル 」 に向かう。

このトンネルは長さが 855m あり、狭いが一段高くなった歩道が両側に備えられ、安全に歩いて行ける。

前回のお遍路で泊まった 「民宿 岡田」  のご主人の応対にお遍路宿の象徴的なものを感じ、感激したので今回も是非泊って行きたいと、4日前から電話で宿泊のお願いをしたが、予約が一杯で断られ、その後も毎日のようにキャンセル待ちの電話をしてみたがついに予約が取れないまま今日になってしまった。


トンネルを出た処で 「これからお訪ねしたい。」 と電話すると、主人が出てこられて元気な声で 「 待っている。」 との返事。 

意気揚々と 「 民宿 岡田 」 を目指して遍路道を歩いて行く。

すぐ手前に小学校があり、その校庭に 「二宮尊徳の銅像 」 があるのを見付け、昭和 20 年ごろ租界していた井原 の小学校 の校庭の片隅に 「奉安殿」 と並んであった 「尊徳の銅像」 がたまらなく 懐かしくなってきて、行きすぎてしまった道を急いで引き返し 近づいてカメラに収めて行く。


「民宿 岡田」 のご主人は2年前と変わらず血色がよく至極お元気の様子だった。 しばらく思い出話をして出発しようとすると、

  『 泊まって貰えなくてほんとに悪かった。 これは今朝、泊まり客に渡したお接待の弁当だから一つ持って行って。 』

とおむすびの包みを頂く。

家の前に出て通りがかりの地元の男性と二人で、私がお礼に渡した納め札を見ながら、手を振って送って下さる。

何時までもお元気でお遍路宿のご主人としてこれから訪ねてくる多くの 「 おへんろさん 」 のために頑張って下さいと祈る。

旧道を約 1km 行くと道の左に、北に向かって山に入る小径があり、遍路案内に従ってそれを登って行く。

涼しく感じていた山の空気も次第に蒸し暑くなり、額や顔面から止めどもなく滴り落ちる汗で上半身をびっしょりと濡らす。 

踏み出す足の前に汗の滴がポトリ、ポトリと規則正しく落ちてくる。

ここまで濡れて中途半端でなくなると、びしょびしょもかえって気持ちがよい。

道の両側には 「結願 」 とか 「 南無大師返照金剛 - 同行二人 」 、或いは結願した人の 「 住所 ・氏名 」 などを赤ペイントで書いた 7cm×20cm くらいの白い金属板が木の枝に結びつけてある。


誰もいないさみしい山奧のへんろ道でもこの札を見つけると少しの寂しさも感じる事なく歩いて行ける。

約 3km の山道を登っていくと、やがて視界が開けて南北に延びる稜線 (H800) に出る。

そこは高圧線の鉄塔の真下で今朝、 [ 三角寺 ] の下で若い主人が遙か彼方の山を指して 「 向こうの山の一番高い処が 雲辺寺 です。」  と 教えてくれたあの地点に今到着できたのだ。


自分のこの足で一歩一歩 歩いてここに到着できたのだ。 こんな時に 「人生は日々の弛まぬ努力の積み重ねなのだ。」 と悟らせてくれる。

これが 「人生 即 遍路 」 なのだ。

今、山頂に到達し、思いっきり涼しい風を全身に受けて味わうことができる最高の気分の一瞬だ。

冷たく冷やしたヱビスの「生中 」 をグイッと飲み干す、それ以上の爽快さなのだ。 まさしく歩きお遍路の醍醐味を味わえる一時だ。

稜線を北に進み緩やかな車道を1.5km登って四国八十八ヶ所 の中で標高が一番高い [ 雲辺寺 ] ( H910 ) に到着する。 時間は11時半。

[ 雲辺寺 ] の参拝を終わり、北に向かって山の中のへんろ道を下りて行くと間もなく 観音寺市 の標識があり、そこから 香川県に入る。

八十八ヶ所のなかでは [ 雲辺寺 ] から 「 涅槃の讃岐 」 に組み込まれているが、地理的には 伊予 と 讃岐 の境界にあって、この [ 雲辺寺 ] だけは徳島県に所在する。

[ 雲辺寺 ] からの長い緩やかな下り道を 「 トントコ、 トントコ  トントコ、 トントコ 」 と ゆっくりした調子の駆け足で下りて行く。

このリズムの駆け足は疲れた筋肉をもみほぐし、これまでの疲れを意外と取り除いてくれる。 

緩やかな下り坂で、足元が安全で、視界もよく、転倒しないように十分注意して軽快に走ることが大切です。

暫くこの調子の駆け足で下りていくと全身の筋肉がほぐれ、身体も神経も疲れが取れ、すごく爽快な気持ちにしてくれます。

途中、団体らしいお遍路さんの一団を追い越していくと、みな驚いたように言葉をかけるが、決して大変な事ではなく、疲れが取れ、早く進める効率の良い有効な手段です。

   [* 皆さんも機会があったらこの効果をぜひ試してみて下さい。]

約 700m 下って車道に出ると前方の視界が開けてくる。

立ち止まって振り返ると後方の山頂に白っぽい構築物 が遠く見える。 あれは [ 雲辺寺 ] のロープウエイ駅 (H930) の建物だ。

[ 雲辺寺 ] そのものは見えないが、ついさっきまであそこに自分が居たのだと思うと、今ここに居る自分に不思議を感じ、一歩一歩の積み重ね、こつこつと続ける努力が何時か成果に結びつくことを歩き遍路はまたも未熟な自分に教えて呉れる。


[ 白藤太師堂 ] の前を歩いて行くと、向こうから白い上着を着た 男性 が近づいてきて、

  『 へんろ道で集団を追い越しませんでしたか? 』

変な事を初っぱなから聞いてくる人だなと思いながら、

  『 どうしてですか? 』

と聞き返すと、

  『 さっき、 雲辺寺 から車で下りて来るとき貴方に出会いました。 うちのグループはその前に 雲辺寺 に到着して居りましたので。 
    その金剛杖に特徴ありましたから貴方の事をよく覚えていたのです。 』


車などから発見されやすいように反射板を金剛杖に結びつけ、リュックに装着して、私は歩いていたのです。

そういえば [ 雲辺寺 ] からのへんろ道で汚れのない白衣を着た20人くらいの軽装の集団を追い抜いて先に行かせて貰った。

  『 そういえば下り道で20人くらいの集団のお遍路さんを追い越してきました。 そうですか、あの人達は 「 空海の道ウオーク 」 の人達だったんですか 。 』

と相づちを打つと、

  『 早いですね、それにしても。』

今朝、伊予三島を出発して、 [ 三角寺 ] から [ 雲辺寺 ] を回り、今ここまで来ていることに驚かされる。

14時少し前、地元では [ 小松尾寺 ] の名前で親しまれている [ 大興寺 ] に到着。

[ 大興寺 ] から次の [ 神恵院 ] への遍路道 でたった 1つの遍路案内 を見落としたために、大きく道を間違ってしまい、途中何度も道を聞きながら [ 神恵院 ] と [ 観音寺 ] にやっとの思いで到着出来た。 その長い道のりの途中から小雨が降り始める。


[ 神恵院 ] と [ 観音寺 ] の2つのお寺は同じ境内にあって山門も一つ、納経も同じ処でして貰える。

納経所の 住職夫人 に今夜の宿の 「 ビジネスホテル観音寺 」 への道順を教えて貰い、次第に本降りになってくる雨の中を傘を差して宿舎に向かう。

宿舎での夕食は宿の 若いご主人 にお願いして豚カツ定食を美味しい味に作ってもらう。

食事を終わって久しぶりに新聞を読んでいると、宿の予約らしい電話が架かってきた。 主人が話すのを聞いていると、

  『 ・・・4日後の10日。 ああ、いいです。 空いています。 お名前は 「 ミズモトさん 」 ですね。 判りました。 』

と云うのが聞こえてきた。 確かに 「 ミズモトさん 」 と聞こえた。 あの 「 水元さん 」 に間違いない。 

3月16日 「 ドライブイン 27 」 で初めて一緒に泊まり、そして3月24日にまた 「 民宿くもも 」 で一緒になった札幌の 水元さん に間違いない。

大きな声をだして電話に聞こえるように、

  『 水元さーん、 日高です。 いまここに泊まっているんですよ。 気をつけて頑張って来て下さーい。 』

と大声で叫ぶ。 離れた電話を通して水元さんの穏やかな声が帰ってくる。

  『 日高さんですか。 驚いた、早いですねぇー。 頑張って下さい。 私も頑張っていきますから。 』

はっきり聞こえてくる。 久しぶりに懐かしい声を聞いた。 水元さん、予期しない素晴らしい出会いを有り難うございました。

  水元氏とは 3/16 に初めて出会い、そしてこれが最後の声での出会いでした。 何時までも 元気で頑張って下さい。


今日は朝早くから歩き、[ 三角寺 ] や [ 雲辺寺 ] のような難所のお寺にお参りして、46km も歩いたのに昨日よりは疲労感が少ない。

宿に着いても不思議に疲れを感じない。 歩数も7万歩を超したのに気持ちの良い疲労感のみで、歩き遍路も終わりに近づいて、こんな事があるとまた四国を歩いてみたいと云う気持ちが起ってくる。


爪が取れた4本の指も今は歩きに全く影響しない。

雨は 21時過ぎから更に強くなり、夜通し降り続く。



「 65番札所三角寺 」:
侘びしいたたずまいの仁王門

撮影日時(2002/04/06 06:37)
「 二宮尊徳像 」:
池田町の小学校校庭に建つ懐かしい像

撮影日時(2002/04/06 09:44)
「 66番札所雲辺寺 」:
わびしく、ひっそりと建つ仁王門

撮影日時(2002/04/06 11:25)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 32日目 (H14,04,07 日 昨夜の豪雨も朝には止んで好天に) 『 金比羅さん 詣で 』


* 行程 : 「ビジネスホテル 観音寺」⇒ (3.3km) ⇒ 70番 本山寺 (もとやまじ) ⇒ (12.2km) ⇒ 71番 弥谷寺 (いやだにじ) (H220) ⇒ (4.3km) ⇒ 73番 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ) (H95) ⇒ (0.4km) ⇒ 72番 曼荼羅寺 (まんだらじ) ⇒ (2.1km) ⇒ 74番 甲山寺 (こうやまじ) ⇒ (1.6km) ⇒ 75番 善通寺御影堂 (ぜんつうじみえいどう) ⇒ (0.1km) ⇒ 75番 善通寺本堂 (ぜんつうじほんどう) ⇒ (9.1km) ⇒ [金比羅宮奥宮] (H420) ⇒ (2.0km) ⇒「万よし旅館」


* 距離 : 35.1km = (Σ 1,077.6km)

* 歩数 : 54,200歩

* 宿泊 : 「万よし旅館」 (香川県仲多度郡琴平町)



天気が心配で、夜中にカーテンを開けて外を見ると4時の時も、5時の時も依然として雨は降り続き、雨が打つ道路の水たまりの波紋が電灯の光でゆれていたのに、天気予報では朝の内に止んで午後は晴れると云っている。


最初の [ 本山寺 ] までは距離が短いので出発をあまり早くはできない。

昨日 「 民宿岡田 」 で頂いたおにぎりを食べて、6時半 「 ビジネスホテル観音寺 」 を出発。

外の出てみると先ほどまで降っていた雨も上がって、西の空には雲の切れ間もでき、明るくなりかけているような気もする。

路面の水たまりはそのまま残り、時折通過する車が飛びはねる泥水を避けながら [ 本山寺 ] に到着。

早々に参拝し納経して貰って、 [ 弥谷寺 ] へ向かって出発。

長い道のりを歩いて行くと、はるか山手に2年前宿泊した「ふれあいパークみの 」 の建物が見えてくる。

あの時は早朝に宿を出発して目の前の [ 弥谷寺 ] に上る石段をやり過ごし、次の札所へ向かう道をどんどんと進んで行き、途中で間違いに気づいて、悔しい思いをしながら引き返したのがついこの前のように思い出される。


兎に角今朝は蒸し暑い。 汗びっしょりになって長い石段を上って [ 弥谷寺 ] に参拝する。 大師堂は靴を脱いで上がり、そこで納経をして貰うようになっている。

必ず靴を脱がなければならないお寺はこの弥谷寺の他に、 1番 [ 霊山寺 ] の納経所兼遍路用品販売所、 そして 61番 [ 香園寺 ] の大聖堂 の3ヶ所だ。

足を痛めている自分だけでなく、歩き遍路にとっては靴を脱ぐことは現在のお遍路さんにはあまり歓迎されないだろうし、また入り口の余分な混雑の原因にもにもなる。

 しかし、 [ 弥谷寺 ] で靴を脱いで大師堂に上がってみると佛さまが更に身近に感じられ、なかなかよいものだと感じられた。

住職さんの説明に依ると [ 弥谷寺 ] の石段は全部で 540段 あるそうだ。

次の [ 善通寺 ] は弘法大師誕生の地で、八十八ヶ所の中心的寺院として祭祀してあり、 [ 御影堂 ] と呼ばれる大師堂と [ 本堂 ] がそれぞれの大きなお寺として独立して存在し、現在の遍路道順でお参りすると最初に [ 御影堂 ] にお参りし、次に [ 御影堂 ] からまっすぐに延びた参道を通って [ 本堂 ] にお参りするようになる。 


そして本堂と五重の塔の間を抜けて大きな山門から退出する事になる。

納経所 で聞いてみるとやはり本来の姿は大回りして、先ず [ 本堂 ] の大山門から入り、最初に [ 本堂 ] にお参りして次いで [ 御影堂 ] に参拝するのが正式な参拝順序だと教えてくれる。


[ 善通寺 ] の近くには麦畑が広がり、まだ青いがどれも大きな穂を付けている。 終戦時に井原 ( * 島根県邑智郡 ) に疎開してた頃の田舎の風景が思い出されて懐かしい。

[ 善通寺 ] の大きな山門 を出て商店街を東に行くとJR の踏切があり、それを渡って直ぐに国道319号に出る。

ここを右折してまっ直ぐな国道を約 6km行くと [ 金刀比羅宮 ] 入り口の鳥居に出る。

途中の中華屋でラーメンと餃子を食べながら、 「 別冊 」 を頼りに琴平の旅館に予約の電話を入れ、「万よし旅館 」 に泊めて貰う事になる。

途中、「 万よし旅館 」 に立ち寄って リュックを置かせて貰い、

  『 金比羅さん にお参りして来ます。 』

女将さんに伝えて、手提げと金剛杖だけの軽装で出発する。

  『 奧宮さんまでお参りすると大体 3時間くらいかかります。 気を付けて行ってらっしゃい。 』

と送り出してくれる。 [ 金比羅さん ] は石段が多く、山門までに365段、御本社までに785段、奧社まで参拝すると全部で 1368段 あると案内に書いてある。

山門までの石段の両側には [ 金比羅さん ] 特有の歴史と文化を感じさせる店が並び、観光客を乗せた駕籠屋さんも時たま息をはずませ汗びっしょりになって登っていく。

[ 金比羅さん ] 詣 は大変だと聞いていたが、 [ 岩屋寺 ] や [ 仙遊寺 ] を体験して来た者にはそれほどの驚きはない。

帰りに、コンビニに立ち寄り明日の朝食用にあんパンと牛乳を買い込んで宿に帰ると、女将さんに、

  『 早かったですね。 奥宮さんまでお参りできましたか ? 』

と聞かれる。 宿はこれまでと違い、賑やかな人混みの多い街中あるが、泊まる部屋は静寂そのものだった。



「75番札所 善通寺 」:
御影堂 (大師堂)

撮影日時(2002/04/07 12:33)
「 金比羅宮 山門 」:
歩きお遍路の途中
金比羅さんに参拝
撮影日時(2002/04/07 15:35)
「 金比羅宮 奥の院 」:
ここ奥宮まで石段が1368段あると云う

撮影日時(2002/04/07 15:49)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 33日目 (H14,04,08 月 朝濃霧 その後快晴になり真夏の暑さ) 『 心なごむ お接待 』


* 行程 : 「万よし旅館」⇒ (8.1km) ⇒ 76番 金倉寺 (こんそうじ) ⇒ (3.9km) ⇒ 77番 道隆寺 (どうりゅうじ) ⇒ (7.1km) ⇒ 78番 郷照寺 (ごうしょうじ) ⇒ (6.3km) ⇒ 79番 天皇寺 (てんのうじ) ⇒ (6.8km) ⇒ 80番 国分寺 (こくぶんじ) ⇒ (0.1km) ⇒「えびすや旅館」


* 距離 : 32.3km = (Σ 1,109.9km)

* 歩数 : 49,600歩

* 宿泊 : 「えびすや旅館」 (香川県綾歌群国分寺町)



3 時時半に起床し、昨日買っておいたパンと牛乳で腹ごしらえをして、4 時 50分フロントに鍵を残し、まだ薄暗いうちに出発する。

[ 金倉寺 ] への前半は国道319号をまっ直ぐ北に昨日歩いた道を引き返せば良い。

途中から右折して旧へんろ道に入り暫く歩いていると、次のへんろ案内がいつまで歩いても1つも出てこないことに気がつく。

しかし、そのまま暫く歩いていると田圃の中に入り込んでしまい、あぜ道が急に狭くなって、ついに行き止まりになってしまった。

誰かに道を聞かなければと近くに人を捜し求めて暫く右往左往していると、遠方に犬を散歩させている 男性 を発見。 地獄に仏の気持ちでこの人を見失っては一大事と、大声で呼び止める。


  『 すみませーん。 すみませーん。 』

静かな中で出来る限りの大声で呼び続けてみる。 やっと立ち止まってこちらを振りかえってくれる。 助かった。

  『 済みません。 へんろ道を見失ってしまいました。 金倉寺へはどう行ったら良いのでしょうか ? 』

大急ぎでその人の方に走り寄りながら尋ねる。

  『 あー、 へんろ道からは一寸外れてますが、余り間違ってはおりませんよ。 よくここへ来ましたね。 
    このままあぜ道を行って田圃を横切り、その向こうの家の傍を抜けると廣い道に出ます。 
     そこの交差点の陰に昔の遍路石があるので、それに沿って行くと 金倉寺 に出ます。 』


  『 そうですか。 わかりました。 有り難うございました。 』

心からお礼を云う。

  『 どちらから来られたのですかですか ? 』

  『 愛知県から来ました。 』

  『 ずうっと 歩きですか ? 』

  『 徳島駅 から全部歩いて来ました。 』

そこら辺も一面に麦畑が広がっている。

  『 この辺りは 麦畑が多いですが、これは何という麦ですか? 』

  『 からす麦です。 昔に比べると随分少なくなりました。 』

これらの麦は、今は人間の食料ではなく、家畜の飼料として栽培され、それも脱穀して穀物だけを出荷するのだと云う。 

牛馬の飼料なら麦藁も一緒に出荷出来るだろうにと短絡して考えるのは、やはり 「 昭和一桁症候群 」 (「ためになる言葉」) の現象だろうか。 

自分ながら戦中派の貧乏根性が消えないのはちょっと情けない。

  『 有り難うございました。 』

と心からのお礼を云って別れる。

6 時10分、 [ 金倉寺 ] に到着。 参拝を終わっても、まだ早いので納経所前のベンチでメモ帳を開いていると、あの 今中氏 が到着。 久しぶりの再会だ。

作務衣姿の 男性 が来て納経所の鍵を開け、

  『 納経は 7時 からです。 まだ10分前ですから。 』

と一言云って入っていく。 7時になったので 今中氏と納経所のドアを開けて入ると、

  『 準備がまだなのでもう一寸待って。 』

と云いながら、硯に墨汁を流し込んでいる。

丸亀 の繁華街を人混みと真夏のような日射しを浴びながら、今中氏 と一緒に歩いて行き、2人とも腹が減ってきたので、讃岐のうどんを食べて行こうと相談がまとまり、丁度 自転車で通りかかった ご婦人


  『 美味しい讃岐うどんを食べさせて呉れる食堂を教えて下さい。 』

とお願いすると、人混みの歩道に自転車を停め、行く手の 2軒のうどん屋の場所を教えてくれる。

そこへ 若いOL が道の反対側から信号を横切って走り寄り、

  『 うちの社長からです。 事務所の窓からお遍路さんの姿を見つけて、「 お遍路さん にあげて来い。」 と云われました。 』

袋に入った冷いヨーグルトを1本づつ手渡して呉れる。

社長さん のご好意に対し 今中氏 とお礼を云い、事務所の方に向かって手を振ってお礼を云う。

教えてもらった うどん屋 を訪ね 600円 の天ぷらうどん を食べる。 さすがに美味しいうどんだ。

ついでに空になったボトルに冷いお茶を詰めて貰う。

2人して次の [ 郷照寺 ] をめざして宇多津 の町に歩いて行く。

[ 郷照寺 ] で納経を済ますとそこの住職夫人

  『 歩きお遍路ですか? 』

と云いながら席を立って後ろの冷蔵庫からヤクルトと奥さんの手作りらしい紙袋に入れたお菓子を

  『 お接待です。 』

と云って手渡して下さる。

続いて入ってきた 今中氏 も同じお接待を受ける。

心の和む納経をしてもらい、次のお寺に向かってまた 今中氏 と一緒に歩く。

11時半、 [ 天皇寺 ] に到着。 参拝を終わり、納経所を探して行ってみると誰もいない。

呼び鈴を鳴らして待っていると、住職夫人 が出て来られて丁寧に納経をして下さる。

  『 今夜は 国分寺 近くの 「 えびすや旅館 」 を予約しておりますが、まだ時間が早いのでこれから 白峰寺 を打って、 国分寺 に行ったらと思いますがどうでしょうか。 
    何か良いアドバイスをお願いします。 』

と云うと、

  『 今の時間では 白峰寺 を回るのは一寸無理だと思いますよ。 
    それより今日はこれから 国分寺 を打ってゆっくり宿泊し、明日 81番 、82番 、83番 と順番に打った方が効率的ですよ。 
     そうすると 高松市内 なら明日の旅館 はたくさんありますから 。 』


と教えて下さる。

真夏のように照りつける太陽の暑さで疲れもひどかったので、教えられた通り早めに旅館に入る事に決め、 [ 国分寺 ] を目指して歩いて行く。

今中氏 は [ 国分寺 ] から [ 白峰寺 ] を打ち、近くの 「 国民宿舎 」 に泊まる計画だと云って急いで [ 国分寺 ] を出発して行く。 

彼の健闘を祈り、再会を約束して山門の前で別れる。

讃岐の [ 国分寺 ] は、境内に昔の金堂の礎石や四国最古 とされる鐘など歴史の重みを感じさせる遺物が数多く残存するお寺で、全体から何となく威風が感じさせられる。

「 えびすや旅館 」 は [ 国分寺 ] の隣で、訪ねると奥さんが出てきて時間が早いのに 2階に案内して下さる。 

早速、洗濯機を借りて汗に汚れたものを洗濯し、夕方までに乾燥できるように日当りの空き地に干す。

夕食の食卓で 土肥氏 とばったり再会。 お互いに元気な健闘を喜び会う。

2人で食事をしていると、少し遅れて年の夫婦の方が下りて来られ、前の席に座られる。 

その方は藤沢市から来られた2人とも 80歳 のご夫婦で 矢島さん と云われる。

2人 は 歩いたり、タクシーを乗り継いだりしてゆっくりと四国を回っているんだと云われる。 

明日はみんな同じコースを行く事になる。


「 80番札所 国分寺 」:
四国最古のこの梵鐘には
大蛇にまつわる伝説が残っている
撮影日時(2002/04/08 13:53)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 34日目 (H14,04,09 火 快晴で暑い1日) 『 矢島夫妻との 出会い 』


* 行程 : 「えびすや旅館」⇒ (6.7km) ⇒ 81番 白峰寺 (しろみねじ) (H250) ⇒ (4.6km) ⇒ 82番 根香寺 (ねごろじ) (H360) ⇒ (13.3km) ⇒ 83番 一宮寺 (いちのみやじ) ⇒ (5.8km) ⇒ 「栗林公園」⇒ (0.8km) ⇒「ビジネスホテルパルコ」


* 距離 : 31.2km = (Σ 1,141.1km)

* 歩数 : 52,900歩

* 宿泊 : 「ビジネスホテル パルコ」 (香川県高松市観光通)



ご飯3杯を美味しく頂き、6時半に宿舎を出発。 濃い霧を通して青空が見えるがこれから登る山の峰はかすんでいる。

今日も暑くなりそうだ。

宿を出て間もなく左折し、緩やかな登り坂にある住宅地の中の道を通り抜け、そして墓地の中を抜けるとそこからは灌木の茂る山道になり、小じんまりした [ 石鎚神社 ] を過ぎると急に険しい上り坂になる。


額や顎からポトポトと流れ落ちる汗滴が踏み出す足の前に規則正しく落下してくる。 その滴の跡を左右交互に踏みつけながら力強く登っていく。

帽子のひさしからも汗の滴が落ちてくるようになる。 シャツを通して白衣も汗びっしょりになり、袖が腕にまつわり付き、腕が振りにくい。

最後の1.5km は 220m も上るほどの急な勾配で、昔からこの遍路道も 「 へんろころがし 」 と呼んで難所の一つに数えられている。

やっとの思いで稜線を走る県道に到着すると朝の冷たい風が吹き抜けて何とも云えない清涼感で、特級の 「 生中 」 を一気にグイッと飲み干したような満足感に浸れた一瞬でした。


案内に従って山頂の道を左に約 2kmくらい行くと、左側に自衛隊の演習場があり、朝もやの中に十数台のトラックやジープが野営しているのが見える。

そこから間もなく県道を左に入り山道を下って行くと左側に珍しい形をした 「 摩尼輪塔 」 と 「 下乗石 」 の2つの大きな石 があり、掲示の説明 を読んでみて古い歴史を感じる。

間もなく [ 白峰寺 ] を打って次の [ 根香寺 ] に向かう 土肥氏 と遭遇する。 「早いですね。」 と挨拶し、再会を約束して別れる。

昨日、宿に着いて2階に行くと一人早く着いて隣の部屋で疲れて寝ていると宿の奥さんが話していたのが 土肥氏 だったのだ。

[ 白峰寺 ] の参拝を終わり、納経所でトイレの場所を聞くと、住職さん が 山門を出た処にある と教えてくれる。

急いでいたのでリュックを近くの空き地に残して山門を目指して走る。

山門を出たところが広い駐車場で、その右側に小さな古びた建物を見つける。 それが参拝者用のトイレらしい。

行って入り口の木戸をあけてみると便器は割れて半分が無い状態だ。 

隣の戸を開けてみても黒いコガリで真っ黒に変色し使用をためらってしまう。 

どれもまともな気持ちで使える状態ではない。

それでも遣わざるを得ない。 木戸がまともに閉まらないまま遣わされる。

出口にある手洗の水道も蛇口が止められていて水が出てこない。

弘法大師 の教えにも逆らう有様で、何たる事かと腹が立ってきて仕方がない。

多くのお遍路さんが使うトイレがこんな状態に放置されていて良いのだろうか。

四国88ヶ所 には ここ [ 白峰寺 ] だけではなく、他にも似たようなお寺が多い。

「 お遍路 」 を世界遺産に登録しようと本気で努力されるのであれば、関係者の方達はこんな処からの改善に目を向けて欲しいと強く感じます。

根香寺 へ向かって山道を歩いて行くと、右側に 「 陸軍用地 」 と刻まれた高さが50cmくらいの苔むしたコンクリート柱 を雑草の中に見つけた。

こんなものが今も遍路道に残っているのかと、一昔前の日本の歴史を実感させられる。

同じ物が他に3本も苔むして雑草の中に残っていた。

静寂なへんろ道をしばらく歩いていくと林の中に休憩所があり、そこで休憩しておられる 矢島さん夫妻 に出会う。 聞くと、

  『 旅館からタクシーで 白峰寺 にお参りし、そのままタクシーでこの上の県道まで来て、これから 根香寺 までは歩いて行こうとここに下りて来た処なんです。 』

お元気で仲の良いこのご夫婦を心から羨ましく思う 。

2人と別れて、下りの山道を軽快に歩いて [ 根香寺 ] の駐車場に着く。 

先ほど別れた 土肥氏 が参拝を終わって次の一宮寺へ出発する処に出会う。

どちらに向かって行けば良いかわからず迷っているのだと云われる。

前回、同じ所で自分も迷った事を思い出し、記憶を基に話して無事なお遍路を祈り、見送って山門へ向かう。

2年振りに見る [ 根香寺 ] の山門、本堂そして大師堂は懐かしい。

納経を終わって次へ行こうと今来た山門の方へ歩いているとベンチに腰掛けている 矢島さんご夫妻 にまたも再会する。

  『 ちょうど今到着した処で、ちょっと一休みしているんです。 』

へんろ道を無事に歩いて来られた元氣さを称え、次の再会を約束して別れる。

[ 根香寺 ] から高松市内の [ 一宮寺 ] までは約13km あり、長い道のりで疲れるが、途中に通過する鬼無の町は 「 盆栽の里 」 として松などの素晴らしい盆栽がたくさん並んで栽培されており、歩いて行くお遍路さんの目を楽しませてくれる。


市街に入り昼時なので何処かで美味しいうどんが食べられる店はないかと探して歩いていると、サラリーマンらしい男女が駆け込んでいる店を見附け、店の名前は看板に「こんぴらや」と書かれている。 これは間違いなく待望のうどん屋らしい。


入り口にリュックを降ろし、店に入るとお客さんは1列に並んでいる。

セルフサービスのうどん屋だ。 殆どの人が同じ物を注文しており手順も簡単そうだ。 前の人に

  『 ここは何がいちばん美味しいですか? 』

  『 私は 「 ぶっかけ」 を食べます。 安くてわりと美味しいですよ。 』

この人に倣って 「ぶっかけ大」 を注文する。 

備え付けのタレとネギ、生姜、そして天かすを思いっきりのせて、端っこの席につく。

美味しくて量もたっぷりあり、320円 の安さだ。 随分儲かった気分にもなれる。

2時に [ 一宮寺 ] に到着。 本堂、大師堂に参拝し、納経所に向かっていると先に到着した 土肥氏 とまた再会する。

今夜の宿を聞くと彼も 「 栗林公園 」 の近くの 「 ビジネスホテル 」 を予約していると云う。

  『 まだ時間があるのでもし良かったら、一緒に 「 栗林公園 」 を見学して行きませんか? 』

と誘ってみると 是非見学して行きたいと同意される。 

2人で歩いて山門まで出てくると、ベンチに腰掛けて2人で何か食べておられる 矢島さん夫妻 にまたも再会する。

  『 お先に失礼します。 』

挨拶して 「 栗林公園 」 に向かって出発する。 

歩き遍路ではこのように再会する機会が多いが、何時が最後の出会いになるのか分からないので、毎回が最後の出会いと思いこみ、また再会できる事を期待して別れる。


途中、何回も道を尋ねて歩き、3時半過ぎにやっと 「 栗林公園 」 に到着。

土肥氏 は公園入口近くに公衆電話を見付けて走り込んで行く。 しばらくかかりそうなので先に入園して見学することにする。

その後、公園内で 土肥氏 の姿をさがしたが遂に見付けることは出来なかった。

入場料 \400 を払って昔の駅の改札口のような造りの東門から入る。 時間にあまり余裕も無いので 「皐月亭 」 の店員らしい男性

  『 どこから見るのが一番栗林公園らしい眺めなんでしょうか ? 』

  『 「梅林橋 」 から池の向こうの松の姿を眺めるのが一番でしょう。 その向こうからあっちに向かって見るのです。』

と橋の方と左手の築山を手で指さしながら教えてくれる。 その場所に行って暫くベンチに腰かけて、店で買ってきた缶コーヒーを飲みながら一服する。 

さすがに 「 筥松 」 、「 屏風松 」 の出来映え、眺めは素晴らしい。

その向こうの松で 5,6人の職人さんが松の手入れをしている。 近寄って物好きな質問をしてみる。

公園には約1,500本の松があり、1本の松の手入れに1人の職人がつきっきりで3〜4日はかかると云う。

我が家の松の手入れに支払う金額から推して、公園の維持管理には随分な経費がかかる事が想像される。

繁華街を通ってやっと今夜の宿に辿り着くと、フロントの 男性 がにこやかに迎えて呉れ、部屋に案内される。 

落ち着いてから、買い込んで来た弁当と缶ビールで早速食事にする。 駐車場にある洗濯機を借りて洗濯をさせてもらう。

歩いている間は足裏の痛みは殆んど感じなくなったが、まだ足の腫れが残り靴の中は何時もぱんぱんに充満している感じだ。

洗濯も早めに片づけて、ベッドに入るが寒くて寝付かれない。 聞くとボイラーが故障して、今急いで修理していると云う。

暖房が効かないと洗濯物が明朝までに乾かないのが心配だ。

フロントに相談すると乾燥機は無いが全自動を使ってしっかり絞ると乾きが早いのではないかとアドバイスしてくれる。

再び薄暗い駐車場に下りて全自動を回してしっかり脱水し、部屋に紐を張って広げる。

その後ボイラーも修復して、少しずつ部家が温かくなってくる。 洗濯物を吹き出し口の近くに移動して干し直し、やっと安心できて床に入る。

既に11時半を回っている。


「 摩尼輪塔と下乗石 」:
白峰寺手前のへんろ道にある
摩尼輪塔と下乗石
撮影日時(2002/04/09 08:04)
「 陸軍用地の石碑 」:
白峰寺から根香寺へのへんろ道沿いの
草むらに残る[陸軍用地] の古い石柱
撮影日時(2002/04/09 08:51)
「 栗林公園 」:
梅林橋から北湖を望む(東方向)
(入場料:\400)
撮影日時(2002/04/09 15:36)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 35日目 (H14,04,10 水 朝の霧はすぐに晴れて快晴の暑い1日) 『 甚五郎前の へんろ道 』


* 行程 : 「ビジネスホテル パルコ」⇒ (7.1km) ⇒ 84番 屋島寺 (やしまじ) (H284) ⇒ (4.6km) ⇒ 洲崎寺 (すざきじ) ⇒ (2.6km) ⇒ 85番 八栗寺 (やくりじ) (H210) ⇒ (7.6km) ⇒ 86番 志度寺 (しどじ) ⇒ (7.0km) ⇒ 87番 長尾寺 (ながおじ) ⇒ (0.0km) ⇒「民宿 ながお路」


* 距離 : 28.9km = (Σ 1,170.0km)

* 歩数 : 39,700歩

* 宿泊 : 「民宿 ながお路」 ( 香川県大川郡長尾町 )



洗濯物の乾き具合を確認するために夜中に3度も起き出したお陰で、出発まで無理すれば着用出来るまでに乾かすことができた。

後は着て、歩きながら乾かせばよい。 お陰で眠い朝だ。

遍路旅もほとんど終わりに近づいてきたので、思い出にと遍路旅に遣った装具一式を床に列べてカメラに収める。

紆余曲折はあったが、ここまでガンバって歩き通してくれた両足もカメラに収めた。

熱いお茶を入れ、昨日買い込んだ弁当を食べ、出発の支度をして階下に下りる。

薄暗いフロントには昨夜面倒を見てくれた2人とは別の男性が座っており、

  「 昨夜の2人に宜しく伝えて下さい。 」

と頼んで部屋のキーを返し出発する。

宿を出て北に向かい、国道11号に出て右折し東に進む。 

高松市街 から左前方に見える屋島の山頂は霧でかすんでよく見えない。

路面が少し濡れているのは 昨夜雨が降った為だろうか。

日照につれて次第に霧も晴れ、屋島の山頂もきれいに輪郭が見えてくる。

屋島に近づくと台形の山が次第に大きくなり、目の前全面に大きく広がってくる。

これからお参りする [ 屋島寺 ] はあの山のどの辺りにあるのだろうかと気になってくる。

[ 屋島寺 ] への遍路道は4mくらいの道幅があり、色付きの舗装や、煉瓦が敷き詰められたり、所々に石段もあったりして、急な勾配ながら滑らず歩き易い。 

夫婦連れなど 地元の人たち が朝の散歩から三々五々と下りてくるのにすれ違いに出会う。

  『 ご苦労さんです。 』 、 『 頂上はもう直ぐですよ 。』 、 『 頑張って下さい 。』

地元の人達から返ってくる励ましの挨拶は登ってゆくお遍路にとってこの上ない活力源になる。

この遍路道は約1.600m の距離で280mも上る急な坂道になっており、重いリュックを背負って、汗で白衣までびっしょり濡れて上って来るお遍路の苦労が、散歩帰りの人にはよく理解できるのでお互いに交換する朝の挨拶も元気で気持ちが良い。


まだ早いので [ 屋島寺 ] には参拝者の人影は少なく、涼しく静寂な雰囲気の中で心靜にお参りをさせて貰う。

[ 屋島寺 ] から [ 八栗寺 ] へ行くには、前回と同じように [ 屋島寺 ] に隣接する 「 ホテル甚五郎 」 の玄関前から断崖の様に切りたった処を下る 「 古 いへんろ道 」 を下って行く事にして来た。


前回の 『 初めてのお遍路 』 でも記述したように、このへんろ道は老人や女性には危険で、雨の日には絶対に避けるべきだと云うのが正直な所見だった。

そんな教訓から今回はロープを準備し、金剛杖 はリュックに結びつけて両手を使えるようにして危険を最大限避ける手段で崖下りに臨んで来た。

ところが下り始めてみると、なんとなんと材木を打ち込んで立派な階段に造り替えられている。

これなら容易に、しかも安全に下りて行ける。 それも完成したばかりの眞新しい様子で、自分が初めての通行者ではないだろうか。

ロープを仕舞い何の危険も苦労もしないで県道まで下りて行けた。 なにか拍子抜けした物足りない感じさえする。

多くの方 がたくさんの汗を流して整備してくださったお陰で、これからここを通って行くお遍路さんみんなが安全に、かつ容易に下って行ける。

顔は見えないが、こうして多くの方達の努力に支えられて我々現在の歩きお遍路さんは無事に結願まで歩く事ができるのだ。 

本当に有り難うございます。 感謝。 感謝。

県道 を横切って更に下って行くと勾配のきつい住宅地を通り抜る。 

さらに下りてゆき、堀沿いの道を歩きながら、自転車の後ろに子供を乗せて通りすぎるご婦人に [ 洲崎寺 ] への道順を尋ねるとその 奥さん は [ 洲崎寺 ] のことを全くご存じない様子。


がっかりしていると、丁度自転車に乗って通りかかった革ジャンの 男性

  『 洲崎寺 ならこのまま堀沿いに歩いて行くと、左角に 「 うどん屋 」 の看板が出ています。 そこを左に曲がってまっ直ぐ行くと自然と 洲崎寺 に出ます。 』

と明快に教えてくれる。 そして、

  『 何処からですか ? 』

  『 愛知からきました。 』

  『 愛知県 からですか。 わたしは去年、歩いて日本を一周したんです。 愛知県の 豊川とか、豊田を通りましたよ。 懐かしいなアー。 』

と云われる。

  『 日本を歩いて一周されたんですか。 荷物を背負って? すごいなー。 』

  『 いや、いや、 車を曳いてです。』

  『 車を曳いて? それはもっと大変な事です。 スゴイ事 をされたんですね。 』

  『 荷物を載せて片手で引っ張るやつですから軽いですよ。 貴方の方が大変です。 背負って歩くのは大変です。 

もうすぐですから頑張って歩いて行って下さい。』

と励ましてくださる。

歩いて日本を一周した人とこんな処で遭遇できるなんて貴重な出会いだ。

別れるときお互いの健闘を称え合ってしっかりと握手していく。

お陰で迷うことなく [ 洲崎寺 ] に到着。 老住職 がお孫さんと陽当たりの庭で遊んでおられる。

改装なったばかりの屋島の合戦を模した庭園が大きく広がっている。 

若住職さんから御朱印を貰い、庭隅に祭られている 「 真念さんのお墓 」 にお参りして、 親子三代の住職さん に見送られて次の [ 八栗寺 ] へ向かう。

[ 八栗寺 ] の近辺は 「石匠の里 」 として宣伝され、道沿いには沢山の 石屋さん が並び、石を切りだし、研磨して造った仏像や布袋さんなど大小の石像が数多く展示されてあり、目を楽しませてくれる。


[ 八栗寺 ] の参拝を終わり、お腹も空いてきたので美味しい讃岐うどんを食べたいと思い、丁度通りかかった自転車の ご婦人 に、

  『 この辺りに讃岐うどんの美味しい店はありませんか ? 』

と聞くと

  『 あーあー、 直ぐそこのお店が美味しいですよ。 ここら辺ではあのお店が美味しいとみんなに評判です。 』

と、100m くらい先の看板を指さして教えてくれる。

お礼を云って行こうとすると急いで財布をとりだし

  『 お接待させて下さい。 最後まで頑張って下さい。 』

と云って 100円硬貨を 2枚 下さる。

お礼を云って、教えて貰った店に行き 「 ざるうどんの大 」 を注文。 好みの生姜と一味をたっぷり入れて一気に食べる。 さすがに 讃岐うどんだ と云える美味しさを味わう。


うどんを食べて元気を取り戻し、真上からの暑い日射しを浴びながらも軽快に [ 志度寺 ] に向かって歩いていると、前方から先ほどの奥さんが自転車で帰ってきて、

  『 もうすぐですよ。 頑張って下さい。 』

と励ましの言葉をかけて下さる。

  『 さっきは有り難うございました。 うどんも美味しかったです。 頑張って歩きます。 お元気で。』

ご婦人から頂いた親切と出会いに感謝します。 有り難うございました。

[ 志度寺 ] に近づくと 海岸沿いの旧道を歩く。

ここの海岸では 「牡蠣 」 を焼いて食べさせて呉れるお店が有名と聞いているが、毎年3月下旬には終わり、前回も時期を過ぎて残念ながら食べられなかった。 

今回も時期を過ぎて、海岸は閑散としている。

何とかして時機を得て、店閉いの前に [ 志度寺 ] にお参りできる日程で歩いてみたいものと思う。

12時丁度に [ 志度寺 ] に到着。 お遍路さんも数えるくらいしか居なかったのでゆっくりと参拝させてもらえる。

気温の高い 2時過ぎに [ 長尾寺 ] の参拝を済ませ、宿舎の 「民宿ながお路 」 に到着。

奥さんが玄関で迎えて下さり、階段を2階に上がった直ぐの部屋に案内される。

いよいよ明日は結願の日だ。

洗濯機を借りて汗で汚れたものを洗濯して日当たりの物干し場に広げて干す。

国道にある 「 郵便局 」 まで浴衣に突っかけ姿で歩いて貯金を下ろしに行く。

途中は田舎道を想像していたが、思ってた以上に人や車の通行の多い賑やかな繁華街を通る事になり、一寸恥ずかしい思いをさせられる。 でも、貯金を降ろして明日からの軍資金も十分になったので一安心だ。


夕食に呼ばれて食堂に下りて行くと 今中氏 が既に食事中。

明日は旅館に荷物を残して [ 大窪寺 ] を打ち、再びここに引き返して来て、「JR 」 で自宅に帰る計画だと云う。

だから明朝の出発もゆっくりだと云う。 今中氏 とも今夜が最後の出会いになる。

  今中氏 とは 3/28 に 「 レストランみやこ 」 で初めて出会ってから、共に歩いて来ましたがこれが最後の出会いになりました。
    何時までも元気で頑張って下さい。


2人で夕食を食べていると遅れて 矢島夫妻 が入って来られお互いに叉の再会を喜び合う。

矢島夫妻 とも今夜が最後の出会いになるのでこれまでのお礼を云い、ご健勝を祈る。

  矢島夫妻 とは 4/08 初めて出会い、そしてこれが最後の出会いでした。
    ご夫婦共に何時までもお元気で長生きして下さい。


どうした事か今夜は何となく食欲がなく、一杯のご飯でご馳走さんを云って、明朝は早く出発する計画なので頼んでおいた弁当を貰って部屋に戻り、早めに床につく。

どうして食欲がなかったのか不思議だ。 今回のお遍路では初めての事だ。

いずれにしろ明日はいよいよ
「結願の日」 だ。

天気が下り坂の予報なのが少し心配だ。



「 爺の歩き遍路装備品一式 」:
歩きお遍路もいよいよ終盤になりました
遍路旅に携行した品々を
早朝の出発前、宿の床に並べてみました
撮影日時(2002/04/10 04:45)
「 もう痛くありません-1 」:
次の一歩を踏み出せなかった
あの激痛も今は懐かしい昔のはなし
今日も軽快に元気に歩きます
撮影日時(2002/04/10 04:50)
「 もう痛くありません-2 」:
両足の抜け落ちた生爪も今朝観ると
醜い姿ながら日々蘇生し再生しており
今日も元気な爺姿でお四国を歩き通します
撮影日時(2002/04/10 04:50)
「 84番札所 屋島寺 」:
立派に整備されたへんろ道を登り
流れ落ちる汗を拭きながら辿り着いたら
静かな山門が出迎えてくれる
撮影日時(2002/04/10 07:29)
「 洲崎寺 」:
四国遍路の父 真念の墓が
洲崎寺にあります

撮影日時(2002/04/10 08:50)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 結願の日 (H14,04,11 木 午後から雨になる) 『 喜びの 結願 』


* 行程 : 「民宿 ながお路 」⇒ (12.8km) ⇒ 88番 大窪寺 (おおくぼじ) (H445) (結願) ⇒ (4.8km) ⇒ 長野分岐 (H220) ⇒ (21.7km) ⇒「7番十楽寺 宿坊」


* 距離 : 39.3km = (Σ 1,209.3km)

* 歩数 : 60,300歩

* 宿泊 : 「7番十楽寺 宿坊」 (徳島県板野郡土成町)



昨夜貰った弁当を食べ、物音を立てないように部屋を出て、5時に宿を出発。

外はまだ暗く、左前方の山頂辺りに小さな灯りが点滅しているのが見える。

あそこが結願の [ 大窪寺 ] だろうか。 それとも 女体山 だろうか。 曇っているが幸い雨はまだ降りだしてこない。

風もなく穏やかで 776mの 女体山 も山頂まで安全に登ることができた。 それから300m以上も下って8時半 [ 大窪寺 ] に到着。

混み合う前に納経を済まして置こうと石段の端にリュックを置いて納経所に上がって行く。

納経帳を出して

  『 結願の記念に納経の様子を写真を撮らせて貰っても宜しいでしょうか。』

2年前の反省から事前に聞いてみる。 顔は撮らないでと了解してくださる。

四国を歩いて1周した記念に1枚撮らせてもらう。 時計を見ると9時8分だ。

念願の通し歩きお遍路で 2度目の結願を達成した瞬間だ。

2年前の3月10日の早朝、初めての歩き遍路で [ 大窪寺 ] まで歩いて来て、ここで結願できたあの時の感動と重ね合わせ、総ざらえの気持ちを込めて本堂と大師堂に参拝する。


今度の歩き遍路を通して支えてくれた 金剛杖 に、前回と今回のお遍路の概要をボールペンで記入し、両親に 結願達成 を報告する気持ちを込めて [ 大窪寺 ] に納めてくる。


  『 ありがとうございました。』

[ 大窪寺 ] の山門を出て石段を下り、 「 民宿八十窪 」 の縁側で一休みしながら琴さんに

  『 今、やっと結願できたよ。 もう絶対に安産間違いなしだから安心していいよ。 』

と伝える。

彼女 も 克彦 も初めてのお産への不安が少しは安らいでくれると思う。 自分も所期の役目を果たせ安堵する。

今夜はこれから約26km先の [ 十樂寺 ] まで行って宿泊し、明日は [ 霊山寺 ] にお礼参りに参拝して、帰宅する計画だ。

[ 大窪寺 ] を出発して長野分岐点 を右に進み、讃岐 から 阿波・徳島 に入る。

冷たい山風が吹き、何時の間にか ぽつりぽつりと雨が降り出してくる。

2年前も同じような天気だった事を思いだす。 傘をリュックから出して差して歩く。

途中の 「 岩野トンネル 」 ( 105m ) は両側に歩道があり、左の歩道は幅が3mくらいもある豪華な造りで歩き易い。

途中から左足の第2指の指先がどうしたことか、急にひりひりと痛みだす。

何か薬品がかかって火傷でもしたような痛さだ。 痛いのは指の上側だ。

なんとしても我慢が出来ないので、道側に腰掛けて靴下を脱いでみたが爪の後ろが少し赤くなっているだけで肉刺もできていないし、皮も剥けていない。

何か薬品でもかかったのではないかと思われるような痛さだ。

救急バンドを巻いてみたが余計に焼き付くような痛さを感じる。

とても我慢できないのではいで、メンソレを塗って再度まき直して靴下を履く。 兎に角我慢して歩き続けるしかない。

次第に風雨が強まり、もし今朝からこんな天気だったら女体山は安全に登れただろうかと自分の幸運に感謝しながらも、左足の指の痛さは我慢ぎりぎりだ。

雨の中、 [ 十楽寺 ] の宿坊に到着し案内されて十畳くらいの大部屋に入って行くと背中を向けて一人の青年が書き物をしている。

挨拶して旅装を解き、洗面所に行って左足を水道の水で冷やしてみる。

冷やすとすごく気持ちが良い。

部家に帰り手当をして、一服していると2人の男性が続いて到着。

3人共 明日から歩き遍路に出発する人たちだ。

私が結願してお礼参りに [ 霊山寺 ] に行く途中だと話すと、

  「 いつ出発したのですか?」、 
  「 全部歩いてきたのですか?」、 
  「 何日で歩いたのですか?」

と色々と聞いてくる。

天気に恵まれ、日焼けして暑かったが歩き易かったことなどを話してあげ、4人で歓談する。

先に到着していた青年は

  『 時々 テレビに名前が出ているので見て下さい。』

と云って名刺を差し出し、お互いに自己紹介して挨拶する。

彼は 若林さん と云う青年でテレビ関係の演出・構成などの仕事にしていると云う。

これからテレビを見るときは 若林さん の名前が出ていないかと興味が湧いてくる。

仕事に恵まれ、十二分に稼いだので、仲間からも勧められて四国にやって来たので少しぐらい苦しくても結願まで頑張ると張りきって云う。

私が使った反射板などを良ければ使って欲しいと差し出すと喜んで受け取り、早速リュックに結びつけ、明日からの歩きに使ってくれると云う。

  その後若林さんから頂いた 「e-Mail」 に依ると5月末に47日目で無事結願されたとのことです。
     貴方の頑張りに敬意を表します。 おめでとうございます。


左足の痛みはいつの間にか忘れがちになる位まで落ち着いてきた。

皮膚が少し赤くなっているが肉刺でもなく水ぶくれにもなっていない。

毒虫にでも刺されたのか、薬品でもかかったのだろうか原因がわからないままだ。

風呂に入ってマッサージしてみる。

もう明日の [ 霊山寺 ] への歩きだけなので それほど心配はしていない。

夕食に集まってみると岡山から来た宗教関係の9人の団体と一組の中年の夫婦、そして同室の4人の15名が今夜の宿坊泊りの仲間だ。

今も外から雨だれの音が聞こえてくる。

部屋にはテレビが無いので、仕方なく早めに寝床に入り雑談していたがいつの間にか寝入ってしまう。



「 女体山 山頂 」:
結願j寺 大窪寺への途中には
780mの女体山山頂が在りそこからまた
次は長い下りの山道です
撮影日時(2002/04/11 08:26)
「 結願の納経 」:
結願の寺大窪寺で最後の納経をしてもらい
36日間の通し歩き遍路もいよいよ終盤です

撮影日時(2002/04/11 09:08)
「 金剛杖の奉納 」:
今までは大師とたのみし金剛杖
つきて収める大窪の寺
2度の結願経過を杖に記入して大窪寺に奉納
撮影日時(2002/04/11 09:37)


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






☆ 霊山寺にお礼参りして帰宅 (H14,04,12 金 雨は上がり快晴で熱い1日) 『 無事 終わりました 』


* 行程 : 「7番十楽寺 宿坊」⇒ (18.0km) ⇒ 1番 霊山寺 (お礼参り) ⇒ (0.5km) ⇒ JR板東駅 ⇒ JR徳島駅 ⇒ (バス) ⇒ 難波 ⇒ (近鉄電車) ⇒ JR名古屋駅 ⇒ JR春日井駅 ⇒ (迎えの車) ⇒「自宅」


* 距離 : 18.5km = (Σ 1,227.8km)

* 歩数 : 25,400歩

* 宿泊 : [自宅]



5時半に目を覚まし、外をみると一部青空も見える。 雨は完全に上がって今日の天気は回復まちがいない。

左足中指の痛みも昨日よりずっと和らぎ、触ると少し痛いが歩きには全く影響はなさそうだ。

なんと云っても今日で長い歩き遍路の旅は全てを終わるのだ。 心配はしない。

みんなの荷物をみると大きさも重さも私のリュックの倍くらいはありそうだ。

今日からの歩きでは肩にこたえて、特に [ 焼山寺 ] 登山では荷物の重さに苦労するだろう。

早いうちに整理した方がよいと勧めるが、なかなか決断ができない様子だ。

   『 - -「荷物をもっとへらして!」 や 「トンネルが危ないから」と反射板 もいただきました。
       お遍路の2日目には、日高さんに言われた通り、約5キロの荷物を田舎に送り返しました。
        あれが良かったんですね〜。』
                [ 後日 若林さん から頂いた「e-Mail」の一文です。 ]


朝食を頂いて、7時、まぶしい朝日を正面から受けて [ 十楽寺 ] の宿坊を出発。

気楽に歩いていると安心し過ぎて鉄道沿いの国道を行くべき処を何時のまにか新しくできた北よりのバイパス道路を進んでしまったらしい。

鉄道沿いの道からだんだん離れていってるような気がするが、通りすぎるのはトラックばかりで道を聞ける人は来ない。

コンパスを取り出してチェックすると、ほぼ北の方向に歩いているので間違いなく少しずつ離れて行ってる。

約1時間くらい歩いた時、農道から出てきた軽トラックに手をあげて停まってもらい運転の青年に訳を話して聞くと

  『 この先の小道を右に真っ直ぐに、そうだねぇー 1kmくらい行くと鉄道沿いの国道に出ます。 
    多分最初の信号だったと思います。 その信号を左に行って下さい。 [ 霊山寺 ] に行きます。 まだ大分ありますよ。 』


と教えてくれる。

お陰で随分寄り道したが、10時15分に無事 [ 霊山寺 ] の山門に到着。

  『 やっと帰ってきました。 』

本堂、大師堂にお参りし、無事に結願できたことを報告し、感謝する

  『 36日間をかけて 八十八ヶ所 にお参りし、両親の供養をし、孫の無事な安産祈願もでき、家族の健康祈祷もして、
     そして友人の供養も滞りなく済ますことができ、昨日無事に結願させて頂きました。 』



そしてたくさんの人々と素晴らしい出会いができたことも報告する。

寺務所 に行って最後の納経をしてもらい、

出発時に書き込んだ 「歩き遍路者ノート」 の3月7日の欄の自分の氏名の右端に前例に倣って赤ペンで今日の日付を記入し、心の締めくくりをする。

3月7日朝、徳島駅 で最初の1歩を踏み出してから今こうして177万歩目に目的地に到達できた満足感が全身に充満し、両手を挙げて歓喜の大声を出したい誘惑が起こる。


勧められてお菓子とお茶をご馳走になる。 殊の外、美味しく感じられる。

横断歩道をわたって山門 から真っ直ぐに出て板東の街の旧道を通り 「板東駅 」 に向かう。

春の日射しをまともに受けながら気分も軽快に歩いて行く。

駅に着いてみると2年前と違って無人駅に変わっている。

以前の駅には 「 田舎の駅、故郷の鉄道駅 」 らしい、おばあちゃんのやさしい雰囲気が感じられた。

2年前を思い出しすと無性に懐かしい。

「どうしてこんな無人駅にしてしまったのだ。」 と怒り出したくなるくらい悲しい思いがする。

今の駅舎は何もない殺伐とした無人倉庫のこころだ。

決してお遍路さんをやさしく迎えてくれる駅でも、お遍路の玄関駅にふさわしい駅でもない。

駅前の店に缶ビールを買いに立ち寄って主人に話を聞くと、

  『 昔は電車が着くとお遍路姿の人がたくさん降りてきて、 霊山寺 に向かってぞろぞろと長い行列ができたものだが、
    今は観光バスがお遍路さんを乗せて国道を行くので、この道を通る人はいない。 』


と淋しそうに云われる。

町は寂れ、この辺りの店はほとんどが廃業してしまい、ついに駅員さんもいなくなってしまったと嘆いておられる。

最後になって今後のお遍路の将来像を見せつけられたようでさみしい気持ちにさせられる。

店のご主人は何時までも今日のようなうららかな日射しを受けて、元気で長生きをして欲しいと祈りながら無人の待合室を通り、昔の木製の改札口を抜けて誰もいないホームへと歩いていく。


しばらく来ない電車を待ってベンチに腰掛け、白昼の夢を見た。

遍路談義で混み合うプラットホームにベルが鳴り渡り、間もなく徳島方向からこちらに近づいてくる車両の姿がみえる。

駅長さん が駅舎から出てきて、ホームで徳島行きの電車を待つ日焼けしたお遍路姿の人達に

「いい天気ですね。 四国を歩いてこられましたか。 よかったですねぇ。」

と感情と親しみのある声をかけて、ホームに入ってきた電車に向かっていつものように敬礼をして迎える。

3両編成のジーゼル車のドアが一斉に開き、中からリュックを背負ったお遍路さんが、ある人は菅笠をかぶり、またある人は手に持って降りてくる。

徳島行きの電車を待っている我々にも声をかけて、改札口に急いで行く。

うららかな朝の日射しを受けてどの顔も年老いていても夢のある元気な顔に見える。

駅前の道は [ 霊山寺 ] に急ぐ多くのお遍路さんで見る間に混み合ってくる。

先ほどの店の主人も店先に立って移動する人並みに向かって旧知のように何事か親しげに声をかけてお遍路さんを送りだしている。

旧い文化を地道に正しく継承して来たお陰で、四国の遍路道 がやっと 「世界遺産に登録」 されることになり、お遍路さんみんなの話題になっている。


2両編成の電車がブレーキの音をきしませてホームに入ってくる。

夢から現実の世界に還り、徳島行きの車輛に乗り込むのは自分一人だけだった。


徳島駅からバス、近鉄、JR等 を乗りついで午後7時過ぎに無事自宅に帰着。


「 無事結願のお礼参り 」:
36日間の歩きお遍路を無事に全うでき
1番札所霊山寺にお礼の報告をする
撮影日時(2002/04/12 10:43)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=


*********************************************************************************************************

  目次へ ーーー






B あ と が き 




2度目の通し歩き遍路を終わって、早くも 2ヶ月が経過しました。


  『 そんなに苦しい思いをしてどうして四国を歩くんだ。 』

  『 もっとゆっくりした区切り打ちで、物見遊山を楽しみながら年相応に歩いて来たら いいじゃぁないか。 』


等々・・いろんなアドバイスを 知人から貰いました。

自分でもそう思うこともあり、特に阿波を歩いている時には自分で自分の行動を批判する事もありました。

最初の時の3日目に


  「もう止めてかえろうか。」

  「そんなことになったら男の恥だぞ。一生悔やむことになるぞ。」

  「足が痛いぐらいで あまり大仰な事を云うなよ。」

  「そうだよな。」

  「だったら、歩き続けるしかないじゃないか。」


自問自答の結論は

  「今日も歩き、明日も歩き、明後日も歩き、そして歩き続ける。」


だったのです。

四国を歩く、即ち、四国八十八ヶ所、約1200km の遍路道を歩いて回ると数々の人生教訓 をお遍路の体験 の中から教えて貰えるのです。

種田山頭火の歌に読まれている

     『 人生 即 遍路 』

とは

  「 歩き遍路は全体を通して、人生の縮図 を暗示してくれる。」

とも 云えるし、

  「 苦痛に耐え黙々と歩いていくと、その時々に 人生の教訓 を示唆してくれる。」

と理解しています。

四国を歩き続けると自分のいやな面が在りのままに 何の粧いもなく見せつけられ、

自分の過去を振り返らせ、あの失敗、このつまずきの原因など全てを暗示し、

そして示唆してくれる素晴らしい導師です。

自分が見えてくるのです。

これが 歩き遍路の 怖いほどの魅力なのです。


    このように素晴らしい人生の教訓を示唆して呉れる 「歩きお遍路 」 も、一つ残念なことは
    自分の実生活に適用する道だけは指導して呉れないので、なかなか自己改善に辿り着けません。 ??


ーーーーーーーーーーーーーーーー{ 南無大師返照金剛  同行二人 ]


* 追記-1: 参考:総距離 =1,227.8 km  総歩数 =177万4千余歩  経費 =約35万円
* 追記-2: 安産祈願のご利益は満々でした。 (予定日 2日前の 4/21、3,600gr の元気な男子 [健介君] を安産しました。)
* 追記-3: 4人の孫達が成長して、何時の日かこのページにアクセスしてくれる日のくるのが楽しみです。

  目次へ ーーー

- 以上 -



  『歩き遍路で学ぶこと』  (2007,02,25)

人生で経験する最大の恐怖、苦痛は「死」ではないだろうかと想います

それは誰一人として経験した者が存在せず、ただ自分なりに勝手に想像するだけしか道がなくそこに心の癒しを求めて宗教心が起こってくるような気がします

その残酷さの例は戦中や、敗戦直後の「死の行軍」(話に聞き、映画で観ただけですが)ではないかと想像するだけで怖ろしい

なぜならこれらは人生で味わった最大の苦痛だったろうと想像されるからです

この2度の歩き遍路で18番恩山寺と20番立江寺の途中R-136沿いにある「お京塚」の近くで味わった脚の痛み・苦痛は唯自分が息をして生きているだけでベロベロになった両足裏からドクンドクンと打ち寄せる連続した痛みはこれまで経験したことのない試練でした

この苦痛を踏み越えて先に歩いて行けたのは

 「どんなに痛く、苦しくても死ぬことはないんだ」

と死の行軍で死んでいった昔の兵隊さんや引き揚げ者の事を想像することで自分を奮い立たせ足を引きずりながらも痛さを超越して前に進むことができたと思います

もしもあそこで自分が挫折して歩き遍路を断念していたら今の自分は恥ずかしい一面を他人の面前に晒して生きていなければならない事になっていたと思います

人生には負けて通り過ぎるべき時と命を賭してでも絶対に負けてはならない場合があります

「負けるが勝ち」の言葉どおり他人との些細な争い事は一歩譲って負けて通り過ぎる方が得策な事が多い

しかし他人と比べて自分の努力不足や根性の足りなさでその障壁に打ち負かされることは人生の不覚であり、将来に必ず禍根を残して悔やまれる結果になるのです

逆にそれを打ち負かして目的を成し遂げた時は必ずや爽快な回想となり人生の成果に連なることは間違いなしです

そしてその山を越えると向こうは明るい見通しが待ち受けているものです

70年の自分の人生を振り返ってみて人生を左右するかもしれないような大きな困難に遭遇することは5回くらいと考えてもよいのではないかと思います

その時は何物にも比較できないと思えるような大きな苦難であっても将来自分も必ず迎える死と比べるとそれを超えるほどの苦しみではないだろうと想像できます

長い人生の中で僅か数回しか遭遇しない苦難ですからそれがどんなに過酷な試練であっても明日の光明を信じて努力し耐えていくのが人生の生き方だと歩き遍路が教えてくれたのです

今日踏み出した一歩は千数百キロの長いみちのりから見ると取るに足らないほんの僅かな一歩にすぎないがその僅かな一歩の積み重ねから自分の今日までの長い人生が成り立っていることを銘記させられました






『 出会のお遍路 』

を最後まで 読み進んで頂き お礼を申し上げます

が歩いた 2度目のお遍路の旅を
少しでも理解され、楽しんで頂けましたら幸いです






inserted by FC2 system