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(平成27年08月10日 更新)




世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)」 の
公式シンボルマークです

(三重県教育委員会文化財保護室の使用承認受領済 H17,03,03)





★  『 紀伊山地の霊場と参詣道 の世界遺産登録 』 について


平成17年2月19日 「熊野古道」 の一部である

   「一石峠 〜 熊谷通 コース」
    (いっこく とうげ 〜 くまがや みち)

を初めて歩いて来ました。

数年前、四国八十八ヶ所の 「へんろみち」 を歩いてお遍路し、無事に結願できた2度の体験から、「熊野古道」を訪ねて一度はその歴史の路を歩いてみたいと願っておりました。   そして今回、

平成16年 (2004) 7月 7日 ユネスコ 第 28 回世界遺産委員会 (中国蘇州で開催) で 「熊野古道」 が遂に

  『紀伊山地の霊場と参詣道』

の名称で 日本で 12番目 の 「世界文化遺産」 として新しく登録されました。

世界文化遺産への登録を機会に 「熊野古道」 への旅が便利になり、今回 名古屋からバスツアーなどでの日帰り旅行が可能になりました。


今回登録された 『紀伊山地の霊場と参詣道』 の具体的な物件は
     「吉野・大峯」
     「熊野三山」 (本宮、速玉、那智)
     「高野山」
   の三霊場と それらをつなぐ参詣道で構成されております。   即ち、

   吉野山、 吉野水分神社、 金峯神社、 金峯山寺、 吉水神社、 大峯山寺、
   熊野本宮大社、 熊野速玉大社、 熊野那智大社、 青岸渡寺、 那智大滝、 那智原始林、
   補陀洛山寺、 丹生都比売神社、 金剛峯寺、 慈尊院、 丹生官省符神社、 玉置神社を含む大峯奥駆道、
   高野山・町石道、熊野参詣道(熊野川を含む中辺路・小辺路・大辺路・七里浜・花の窟を含む伊勢路)、

   などです。


『世界遺産』 を歴史的にみると、 1960年代の初め ナイル川に 「アスワン・ハイダム」が建設されることになり、その工事で [ヌビア遺跡群] が水没の危機にさらされました。

このとき ユネスコ はこの遺跡の救済キャンペーンを展開し、世界から寄せられた募金でこの遺跡を無事保存する事に成功したのです。

これを契機に、1972年の第17回ユネスコ総会で

  『世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約 』  (即ち「世界遺産条約」)

が締結されました。 

本条約の締約国は現在、 184ヶ国 になり、 日本は 1992年 この条約に加盟しました。

この条約に基づいて、締約国から推薦された遺産のうち、

  人類全体にとって顕著で かつ普遍的な価値をもつ 「文化遺産」
    あるいは 「自然遺産」
  又は両方の遺産価値を併せ持つ 「複合遺産」

として「世界遺産委員会」で指定され、「世界遺産リスト」 に登録された遺産を 『世界遺産』 と云っております。


 世界遺産条約 の締約国は世界遺産の保護について自国の遺産についてはもちろん、他国の遺産についても大規模な災害や武力紛争、開発事業や自然環境の悪化などの事由で危機にさらされている場合はその保護のために国際的な協力並びに援助を行なう義務を負っています。


 「世界遺産」に登録されている物件は 現在134ヶ国で 911件 になり、このうち文化遺産は704件、自然遺産が 180件、複合遺産が 27件となっております。
 また、登録を抹消された世界遺産は 2件 あります。


 そして我が国は 現在


  文化遺産(14件): 
            「法隆寺地域の仏教建造物」            (1993/12 登録)
            「姫路城」                        (1993/12 登録)
            「古都京都の文化財」                (1994/12 登録)
            「白川郷・五箇山の合掌造り集落」        (1995/12 登録)
            「広島の平和記念碑(原爆ドーム)」        (1996/12 登録)
            「厳島神社」                      (1996/12 登録)
            「古都奈良の文化財」                (1998/12 登録)
            「日光の社寺」                     (1999/12 登録)
            「琉球王国のグスク及び関連遺産群」      (2000/12 登録)
            「紀伊山地の霊場と参詣道」            (2004/07 登録)
            「石見銀山遺跡とその文化的景観」        (2007/06 登録)
            「平泉の文化遺産」                  (2007/06 登録)
            「富岡製糸場と絹産業遺産群」          (2014/06 登録)
            「明治日本の産業革命遺産」           (2015/05 登録)


  自然遺産 ( 5件):
            「屋久島」                        (1993/12 登録)
            「白神山地」                       (1993/12 登録)
            「知床」                          (2005/07 登録)
            「小笠原諸島」                      (2011/06 登録)
            「富士山」                         (2013/06 登録)


  無形文化遺産 ( 1件):
            「和食 (日本食)」                   (2013/12 登録)


の19件が世界遺産に登録されております。(H26/06現在)

和食の文化遺産登録は無形文化遺産登録で、フランス、地中海、メキシコ、トルコに次いで5件目の登録となりました。(H26/01現在)

 また次の数件が推薦候補として 「暫定リスト」 に記載されており、いずれも 「世界遺産」 に相応しい我が国の大切な歴史的遺産といえます。

            「古都鎌倉の寺院・神社ほか」
            「彦根城」 その他







★  『 熊 野 古 道 』 について

熊野古道の6ルート
「熊野古道」は

平安時代以降紀 伊半島の南部にある「熊野三山」 (本宮大社・速玉大社・那智大社)に詣でるため、全国から多くの人々が約千年に亘って歩いて往来した参詣道です。

この一帯は、”何人を寄せ付けない厳しい神秘的な自然環境”にあり、昔から神々の宿る地域と考えられ、自然崇拝のもと、神道や仏教、修験道そして真言密教など異なるものを差別することなく受け入れてきたのです。


そして 6つの [参詣道]  に大別されている。  即ち、


《 大辺路 》 : 京都を出発点に大阪府内を通り、和歌山県の田辺市付近を縦断し、
  海岸線を通って熊野三山に至る参詣道を [大辺路] と云う。

《 中辺路 》 : 紀伊半島を横断する参詣道を [中辺路] と云う。

《 小辺路 》 : 高野山と本宮大社をつなぐ参詣道を [小辺路] と云う。

《 熊野川 》 : 本宮大社と速玉大社をつなぐ参詣道を [熊野川] と云う。
  熊野川も信仰の対象として多くの人々が利用して往来してきた。

《 伊勢路 》 : 伊勢から熊野三山に至る参詣道を [伊勢路] と云う。

《 大峯道 》 : 中でも吉野から熊野三山に至る参詣道は [大峯道] と云う。
  その殆どが山越えの険しい峠道で、民家もなく行き倒れも多い
   難行苦行の修行の旅であったと云われている。







★  『 伊 勢 路 』 について  (全行程:90.3km)

伊勢路ルート
『伊勢路』 は一般的に、その主用な部分が次の15 のコースに区分され、呼称されており、その各コースの概要を記述します。


@ツヅラト峠・荷坂峠 [@(H17/03/27)、A(H17/04/18)]
  (ツヅラト とうげ ・ にさか とうげ)
九十九(つづら)折れ・・・ 9.0K/3.5H
ツヅラト古道は、約千年の昔、伊勢神宮より熊野三山詣での道として開かれた信仰の道です。
海抜357mのツヅラト峠は熊野古道有数の難所であった。
宮川沿いの道をたどり、さらにその支流の大内山川沿いの道を辿り、山間の大小さまざまな坂を上下しながら進む道は、容易な通行でなかったことがうかがえる。
御詠歌を唱えつつ坂道を登りつめ、この峠に立って初めて「浄土に続く海」を見ることができた。
山脈の遥か向こうに光る補陀落の海を眺め、信仰の聖域に辿り着いた実感に、疲れも吹き飛んだことでしょう。


A一石峠 〜 熊谷道 [@(H17/02/19)]
  (いっこく とうげ 〜 くまがや みち)
癒しの道・・・ 8.0K/3.0H
林に囲まれたゆるやかな登りが続く山道を行く 「一石峠・平方峠」。
そして林道を下ると下方に優美な古里海岸が見えてくる。
古里の集落を通り、古里トンネルを迂回する岬の道 「海道」ルートは展望台から 「紀伊の松島」の絶景が広がる。
道瀬海岸沿いをしばらく歩くと、[道瀬トンネル]の左側から熊谷道に入る。
熊谷道の曲がりくねった道は昔、入り江であった跡だという。


B始神峠・三浦峠 [@(H17/03/05)]
  (はじかみ とうげ ・ みうら とうげ)
はぜの木が多いから?・・・ 8.5K/3.0H
始神峠は、紀伊長島の町と海山町の境界をなす峠道です。
一部石畳道も残る江戸道と、 道脇を保護するために積上げられた見事な石垣の明治道が残されている。
峠には昔茶屋があり、今も峠の隅に茶屋の土台石が残されている。
峠からの眺めは最高! 天気のよい日には遠く東の空に[富士山]を望むこともできる。
この峠を越えた文人の印象は・・・
  「はじかみ坂は西国礼所一二の険難なりしに、いまだ東雲近き折りから、
  海上の絶景やや眼を覚ますが如く、東方すでに明なんとして、
  暁の雲紅に海日車輪にひとしくほのぼのとさしあがれば鶯などが左右に啼かはしぬー」

あなたは、どんな印象を持ちますか?


C馬越峠 [@(H18/11/23)]
  (まごせ とうげ)
昔は間越峠と書きました・・・ 7.0K/3.5H
海山町と尾鷲市の境を分ける馬越峠には、中世のままの石畳道が残されており、この地方は日本一多雨地帯であり、重要な参詣の道を大雨から守る目的で作られたと思われる。
石は階段のように敷きつめられ、石と石の隙間が少なくなるようにうまく組み合わせ、足の行くところ、踏みしめるところに石がうまくおかれている。
天狗倉山山頂から尾鷲市の眺め、八鬼山から高峰山に至る山並み、熊野灘の見事な眺望などを楽しむことができる。


D八鬼山越え [未了]
  (やきやまごえ)
かつては山賊や狼が出没!?・・・ 9.5K/4.5H
いくつもの峠を越える熊野古道のなかでも、一番の難所と言われる道です。
その険しさに加え、かつては山賊や狼が出没し、旅人を震えあがらせたと云います。
ここで、行き倒れた巡礼も多く、石畳の傍らには町石を兼ねた多くの石仏や墓碑があります。
登り口には尾鷲節の歌碑が建ち、檜林・石畳の道を通り、途中七曲がりと呼ばれるジグザグ道を上る。
九木峠・三木峠を通り、八鬼山山頂へ。
山頂には 「さくらの森エリア」 の展望台があり、天気が良ければ志摩半島から那智山まで見渡せる絶景の広場である。
名柄一里塚跡 を通り、三木里へ向う。


E三木峠 〜 羽後峠 [未了]
  (みき とうげ 〜 はご とうげ)
海を眺めていい気分!・・・ 5.8K/2.5H
入り江の集落、三木里と賀田を結ぶルートで、海岸線を行く国道311号を見下ろしながら歩く眺めのいいコースです。
賀田湾口を望む岬の上を行く三木峠と羽後峠の前後、勾配が急な部分には階段状の石畳が残っており、苔むした岩石の転がる涸れ川とともに、古道気分が満喫できる。
羽後峠から延々とつづく猪垣の長さは、熊野古道の中でも一番といわれるほど、最長だと思われる。
熊野古道・伊勢路の中でもかなり初心者向けのコースである。


F曽根次郎坂・太郎坂 [未了]
  (そねじろう ざか ・ たろう ざか)
じりょう自領・たりょう他領がなまって・・・ 5.5K/3.0H
尾鷲市曽根と熊野市二木島を結ぶ古道で、その峠は甫母(ほぼ)峠と呼ばれいる。
中世には峠が志摩国と紀伊国の境であったため、志摩国側の曽根村にとって自領と他領に分かれることから、この名前がついた。
JR賀田駅から登り口までの海岸沿いには千年以上の歴史があるという飛鳥神社がある。
登り口を入り南の関所跡・安定寺跡を過ぎ、鬱蒼と茂った檜林・石畳道を登ると甫母峠に登りつく。
峠の下り道ところどころから、二木島湾口の楯ヶ崎が見え隠れし、楯を並べたような岩壁は、<熊野の海金剛> と呼ばれている。
さらに下ると 猪垣記念碑 や、みごとな石垣 の残る場所がある。


G二木島峠 〜 逢神坂峠 [未了]
  (にぎしま とうげ 〜 おおかみざか とうげ)
伊勢と熊野の神々が逢う峠・・・ 4.5K/3.0H
杉や檜の植林の中を、ほぼ全行程にわたり、石畳の道が断続しながら続き、当時の面影を残している。
熊野古道の中では初級者向けの快適なハイキングコースである。
登り口に近い道脇右手に 「二木島の一里塚」 と 「キリシタン燈籠」 がある。
これを過ぎて少し登ると、国道311号線に出る。 ここから二木島湾の眺めは良い。
二木島峠を越え、ひと登りすると逢神坂峠に至る。
逢神坂峠から苔むした石畳の道を下ると 新鹿浦 に降り立つ。
新鹿海岸は白砂の海岸で、砂浜も広々とし、透明度抜群の南紀を代表するビーチである。


H大吹峠 〜 波田須の道 [未了]
  (おおぶき とうげ 〜 はだすの みち)
竹林の中でヒーリング・・・ 5.0K/3.5H
峠のあたりは、美しい竹林があり、風にそよぐ竹林の中を歩いていると、中国の山地に遊ぶ心地がすると云う。
ところどころに残る石畳や、延々と続く 猪垣 とあいまって、まことに雅趣のある古道である。
波田須は徐福伝説で知られた里であり、石仏や弘法石清水など、古跡の多いところである。
また、弘法大師がこの道をお通りになった際、足跡を残した場所として岩に足型のくぼみがある 「弘法御足跡水」 があり、
くぼみには霊水がたまり、年中枯れることがないと云う。


I観音道 [未了]
  (かんのん みち)
厳かな気持ちで・・・ 5.0K/3.0H
江戸時代の観音信仰から生まれたといわれる観音道。
江戸時代、全国に観音信仰が普及し、地方にも三十三観音霊場が飛躍的に増え、泊観音も、比音山清水寺と呼ばれ、古くから近在の人々が観音講をつくり参詣した。
そして多くの信者により西国三十三ヶ所の石仏が寄進されたという。
最後の大きな観音像から約十分で清水寺下の石段に着く。
石段を登りきると小さな広場があり、正面が本堂。 戦後、住職が亡くなったため無住寺となり、祀られていた木造千手観音像は現在大泊の清泰寺(せいたいじ)に安置されている。
今は建物も朽ち、立ち入り禁止である。
観音信仰が盛んだった往時の賑わいを偲びながら、三十三体の観音様が見守る観音道を歩くのは意義深い。


J松本峠 〜 鬼ヶ城・浜街道 [@(H18/02/04)]
  (まつもと とうげ 〜 おにがじょう ・ はま かいどう)
昔は交通の要所だった・・・ 4.5K/3.0H
登り口を入って間もなく、道の両脇に竹林が現れる。 杉や檜が多い熊野古道で、独特の風情を醸し出している。
なだらかな上り坂が峠まで延びており、道に沿うように猪垣も続く。
峠に残る等身大のお地蔵様には、昔、鉄砲の名手が、この地蔵を化け物とまちがえて撃ってしまったという鉄砲弾の跡が残されている。
峠からの下りは快適で、さらに途中の梅林のあるあたりからの七里御浜の眺望は素晴らしい。
松本峠から15分ほどで鬼ヶ城へ着く。 秀吉の時代に作られた という城跡があり、桜の季節は見事な桜並木である。


K浜街道 〜 花の窟 [未了]
  (はま かいどう 〜 はなの いわや)
日本の渚百選と日本最古の神社・・・ 3.5K/2.0H
熊野市木本から和歌山県新宮市の熊野速玉大社に向かうこの道は、七里御浜街道(浜街道)と呼ばれ、海岸線に沿った道である。
七里御浜は、熊野市から熊野川河口までの延長25kmにもなり、吉野熊野公園に指定されている。
花の窟は日本書紀にいう国生み神話に登場する イザナミノミコト の葬地として祭られ、高さ70mの岩そのものがご神体である。
毎年2月2日と10月2日に、巨大な花で飾った日本一といわれるしめ縄をひく「お綱かけ神事」 は、県の無形民俗文化財に指定されている。


L横垣峠 [未了]
  (よこがき とうげ)
浜街道と分かれ山間を行く本宮道・・・ 5.5K/2.5H
熊野市有馬・花の窟で、新宮へ向かう 「浜街道」 と本宮へ向かう 「本宮道」 に分かれる。
水壺地蔵の祠 と 石灯籠 はその昔、弘法大使がここを通りかかった時、杖で地面を突いて清水を湧き出させたといわれる場所である。
地蔵を過ぎ 道はゆるやかな登り坂から、やがて蛇行しながら下り始める。
雑木林に変わるところが横垣峠である。
峠から坂本への下りは、この地方特有の地中のマグマが隆起してできた神木流紋岩を使った石畳が美しい。
紀州犬の故郷として知られる坂本の集落を抜ける道は、山里の風情が漂う。
集落の中ほどには紀州でも指折りの有名な亀島の灯籠がある。
やがて国道311号に出てしばらく行くと、朝霧の里に着く。


M風伝峠 [未了]
  (ふうでん とうげ)
一年中風のやむことのない峠・・・ 4.0K/2.0H
御浜と紀和の町境が風伝峠である。
現在は峠の下をトンネルが貫通し、随分楽になったが、標高257mの峠が奥熊野と和州北山とを結ぶ最短コースとして、江戸時代以前から重要な役割をはたしていた。
風伝とは風巓の当て字で、本来は風のよく通る峠を意味し、尾呂志は峠から吹き下ろす風伝おろし颪が転じたものといわれる。
夏から初秋にかけては、峠から下ってくる朝霧が見事である。
道は途中から旧311号と重複しており、峠までは舗装はされてはいるものの、曲がりくねった旧国道を峠まで登っていくと、昔からあった茶屋が今もある。


N通り峠 [未了]
  (とおり とうげ)
展望場から望む「丸山千枚田」は絶景!・・・ 5.0K/2.0H
通り峠は、本宮道と分かれ吉野方面へと至る「北山道」である。
登り口からほどなく小石のごろごろした地道となり、やがて苔むす石畳道になる。
勾配が少しきつくなり、ゆるやかなカーブを登ったところが峠となる。
木立の中に 「子安地蔵」 と呼ばれる左腕に子供を抱いた首のない石仏が祭られている。
展望台から望む 「丸山千枚田」 は1,300枚を超えるという棚田の斜面に広がる景観は絶景だ。
特に青畳を敷きつめたような初夏、そして黄金の簾を山全体にかけたような初秋は最高の絶景である。






              [爺] の 熊野古道 (伊勢路) 歩き


(1) 「一石峠〜熊谷道 コース」 の概要紹介

一石峠〜熊谷道コース
この企画は 新聞折り込み広告(スライド写真を参照)の情報から 3月予定の  「始神峠コース」 と一緒に申し込み、参加が実現しました。   即ち、



@ 「一石峠〜熊谷道コース」 を歩く

日 時 : 平成17年02月19日 (土)

* 主催:東鉄観光  協賛:東濃鉄道
* 企画名:「とうてつグリーンツアー」

  「一石峠〜熊谷道コース」  ⇒ 昼食(弁当)+お茶+旅行保険 付きで \4,800/人

当日は朝から小雨の降り続く1日だったが、コースを歩く間は傘が要るか要らないかくらいの空模様で、「熊野古道歩き」には返ってそんな天気が相応しい思えた。



  07:30 自宅から車で10分の乗車場所 東鉄バス小牧車庫 に向かって出発

  08:00 可児市(岐阜県)から参加者15名を乗せて到着したバス(516号)に乗車し、出発

  09:30 春日井IC(東名高速)から高速道路に乗り、約1時間半後に亀山SA(東名阪)で短時間のトイレ休憩
       SAで積み込まれた弁当とお茶がみんなに配られ、早い昼食を食べる

  11:20 [一石峠〜熊谷道コース] の登山口(加田教会前)に無事、バスは到着

  11:45 一石峠

  12:50 展望台

  13:30 三浦峠

  14:10 古道歩きの終点 [ 三野瀬駅前 ] に到着

  14:30 バスに乗車 帰途につく

  14:50 国道42号沿いの道の駅「マンボウ」 に到着  トイレ休憩
       夕食用にサンマ寿司を購入 バスの中で喫食

  16:30 亀山SAでトイレ休憩

  18:30 東鉄バス小牧車庫に到着

  19:00 帰宅


* 古道歩きの参加者 : 22名 +運転手、ガイド、添乗員

* 古道歩きの時間 : 約3時間 (11:30 〜 14:30)

* 古道の距離 : 7,9km

* 古道歩きの歩数 : 12,500歩


         
 【一石峠・熊谷コース】スライドショウ
      [スライドショウ]





(2) 「始神峠 コース」 の概要紹介

始神峠コース [ 解 説 ]:

 三浦峠越えの古道は、当地では 熊ヶ谷道 とも呼ばれ、現在の紀伊長島町道瀬(どうぜ)と同町三浦を結ぶ古道です。
 江戸時代のガイドブックである「西国三十三所名所図会」に 三浦峠 あるいは 三浦坂 とあり、江戸時代後期に熊野古道の景観を描いた「熊中奇観(ゆうちゅうきかん)」でも 三浦坂 と呼ばれていたことが分かります。

 始神峠(はじかみとうげ)は、現在の紀伊長島町 太地 と 海山町 原 を結ぶ古道の峠で、痩せた尾根筋にあたる峠には茶屋跡もあり、紀伊長島町側の海を見渡すことができ、大島をはじめ、暖地性植物群落として県の天然記念物に指定を受けている鈴島も正面にみることができます。
 始神峠を通る古道は、江戸時代まで利用されていた道(通称 江戸道)と、明治時代に入ってから、生活道として荷車が往来できるほどに広げた道(通称 明治道)がありますが、本来の参詣者の道であった江戸道には、雨水などを路面に滞水するのを防ぐ「洗い越し」などの工夫がみられます。




[左図の各ポイントの説明]

 @. 発電所グランド
   海側にまわれば江戸道。
   山側にそってJRの陸橋(りっきょう)をくぐれば明治道の登り口です。

 A. 明治の道
   深い谷あいから道路面まで、みごとに積み上げられた石垣は明治20年代の工事技術のすばらしさをしめしています。

 B.  このあたりは、雑木林(ぞうきばやし)が続き春秋は花や紅葉のトンネルの中を行くようです。

 C. 江戸の道
   江戸時代のものと思われる石段や石畳みが残る古道です。

 D.  始神峠
   峠の上からの眺めは最高です。東の方にかすんで平たい島のようにのびているのが志摩半島です。
   茶屋あとや江戸時代の紀行作家鈴木牧之の句板があります。
   鈴木 牧之(すずき ぼくし)新潟県の人 江戸時代に北陸や関西地方を旅して紀行の本を多く出しました。
   この峠をこえたとき作った句が「待(ま)ちかねて 鴬(うぐいす)啼くか日の出しほ」

 E.  宮谷池
   宮谷の池は、周囲一キロメートルほど澄(す)んだ水をたたえています。



@ 「始神峠 コース」 を歩く

日 時 : 平成17年03月05日 (土)


* 主催:東鉄観光  協賛:東濃鉄道
* 企画名:「とうてつグリーンツアー」

    「始神峠コース」  ⇒ 昼食(弁当)+お茶+旅行保険 付きで \4,800/人

天 候 : 午前中、時々薄日が漏れるくらいの曇天で、午後は晴れ間の多い良い天気でした。
     風もなく 「熊野古道歩き」 には相応しい天気でした。


  07:30 自宅から車で10分の乗車場所 東鉄バス小牧車庫(坂下) に向かう

  07:50 可児市(岐阜県)から到着したバス(516号)に乗車し出発。
       春日井IC(東名)から東名高速、東名阪 経由で熊野に向かう。

  09:10 約1時間半後に [亀山SA] (東名阪自動車道)で短時間のトイレ休憩。 
       SAで積み込まれた弁当とお茶がみんなに配られ、早い昼食を食べる

  11:10 バスは無事 目的地の三野瀬駅近く[さくら公園] に到着

  11:20 [始神峠コース] 登山開始 (宮川第2発電所)

  12:05 「始神峠」到着
        東方に熊野灘の展望が最高、 富士山が遠方かすかに見える。

  13:05 「宮谷池」 (周囲1km) 到着

  13:40 船津駅前に帰着

  13:50 バスに乗車 帰途につく

  14:30 国道42号沿いの道の駅「マンボウ」 に到着  トイレ休憩  夕食にサンマ寿司、ビールを購入 バスの中で喫食

  14:50 国道42号沿いの「サークルK」で緊急トイレ

  16:30 [亀山SA] でトイレ休憩

  18:00 東鉄バス小牧車庫に到着

  18:40 帰宅


* 古道歩きの参加者 : 14名 +運転手、ガイド、添乗員

* 古道歩きの時間 : 約2時間 (11:20 〜 13:40)

* 古道の距離 : 8,4km

* 古道歩きの歩数 : 14,000歩



        
 【始神峠コース】スライドショウ
      [スライドショウ]





(3) 「ツヅラト峠・ 荷坂峠 コース」 の概要紹介

ツヅラト峠コース [ 解 説 ]:

 ツヅラト峠は 度会郡 大内山村 梅ヶ谷 と 北牟婁郡(きたむろぐん)紀伊長島町 志子 を結ぶ峠、
 荷坂峠は 大内山村 梅ヶ谷 と 紀伊長島町 長島 を結ぶ峠です。
 荷坂峠越えの道は江戸時代に入ってから 紀州藩 が新たに開いたもので、それまではツヅラト峠越えが紀伊国へ至る主要道でした。

 ツヅラト峠越えの古道は、「つづら折れ」がその語源となったといわれるように、いくつものヘアピンカーブを歩くことになります。
 紀伊長島町側の山裾付近に石畳がみられ、現在紀伊長島町の史跡として指定されています。
 伊勢から熊野へ向かう場合、それまで山間の風景が多かったのですが、峠からは初めて熊野の海や島嶼を眺めることができます。
 その島嶼群の一つである大島の暖地性植物群落は現在、国の天然記念物に指定されています。
暖地性植物群落とは、スダジイなどの照葉樹林の群落を指します。
 東紀州地域が黒潮の恵みを受けた温暖の地であり、かつその自然美を今に伝えている地域といえます。

 荷坂峠は、ツヅラト峠同様、大内山村と紀伊長島町の町村界となっており、峠には茶屋跡もみられます。
 現在国道沿いの祠に移された [如意輪観音石仏] (にょいりんかんのんせきぶつ) は、もとはこの峠にあり、熊野へ参詣する人々などが旅の無事を祈っていたと思われます。




[左図の各ポイントの説明]

 @ 「ツヅラト峠登山口」標柱
   石作りの標識。:ここより古道に入る。谷川は宮川水系の最も上流のひとつです。

 A. 「ツヅラト峠頂上」標柱
   石作りの標識。:峠からの眺めはすばらしい。ここは海抜357m。
   眼下に広がるのは紀伊長島町、赤羽川河口一帯です。
   ここより一気に海抜0mの紀伊長島町志子地区まで九十九折(ツヅラオ)れの
    坂道を下ります。
   それでツヅラト峠という名前がつきました。

 B. 石でかためた側面[石垣]
   急な坂の側面は、自然石で石垣を築き、がっちり固められています。
   工法は野面乱層積(ノヅラランソウヅミ)といわれるむかしからのつくりかたで組まれ、
    古道をしっかりと守っています。

 C. 石畳道
   約300mにわたって階段状の石畳が続く。
   もとは約一間幅で続いていたそうです。
   石道は10世紀頃から民衆の力で築かれたものといわれています。

 D. 庚申堂(コウシンドウ)
   高さ2mほどのお堂の中に3体の石像があります。
   いずれも江戸時代のもので、おだやかな顔をしています。
   手をあわせると「ほっと」する思いがします。

 E. 紀州公句碑
   [牟婁こえて、鶯聞くや梅が谷]
   この碑は、何代目かの殿さまが巡視でこの地を訪れたとき
    耳にしたというウグイスの声をよんだ句であるといわれます。

 F. 八柱神社(ヤバシラジンジャ)
   大内山村の氏神さま。
   春は桜、秋は紅葉の名所です。



@ 「ツズラト峠コース」 を歩く  (1回目)

日 時 : 平成17年03月27日 (日)

* 「歩き遍路友の会(東海)」 で計画し、会員の希望者8名が参加して実施しました。

 2005. 03. 27(日) 天候にも恵まれ、みんなで楽しく歩くことができました。

 その概要を纏めましたので公開します。



* 参加者 : 「歩き遍路友の会(東海)」 会員8名 (年齢はH17/03現在)

    渡辺嘉満氏(72)、 岡田雪雄氏(71)、  西岡久男氏(70)、  上野勝彦氏(63)、
    池田詔郎氏(62)、 末田昭治氏(61)、 木村富士男氏(52)、  爺さん(69)  の8名

   バスの乗客は、われわれ8人以外に県内の人が25人参加され、大型バスに総勢33人の乗客、 そして運転手(ワンマンバス)の34人



天 候 : 午前中は快晴の好天で暖かく、午後は薄雲が広がったが 風もなく穏やかで 「熊野古道歩き」 には最適の天気でした


移動手段 : 「熊野古道シャトルバス(三交トライパル)」 を利用
        <http://www.kumanokodo.co.jp> (Tel:052-561-5100)

  [往 路]  JR名古屋駅西口に 07:50 までに集合・乗車
         JR名古屋駅西口 ⇒  三重交通梅ヶ谷バス停 まで三重交通バス

  [復 路]  JR紀伊長島駅   ⇒  JR名古屋駅西口 まで三重交通バス
         JR名古屋駅西口で解散


参加費 : 三重交通シャトルバス運賃: \4,500/1人
       名古屋駅までの往復交通費、昼食代、その他は各自で負担

[ 経 過 ]

[ 2005. 03. 27 ]

  06:30 自宅から JR高蔵寺駅まで 車で行き、パーク

  06:52 JR高蔵寺駅で中央線普通電車に乗車、  07:20 JR名古屋駅着

       名古屋駅構内で昼食用の弁当購入(\550)

  07:50 名古屋駅西口の北端に停車中の三交バス(2号車)に乗車 (参加者8人は全員後方の座席にゆったりと着席)

  08:05 三交バスは乗客33名を乗せて出発
       [東名阪自動車道] 、[伊勢自動車道] を経由 [勢和多気IC] で高速を下り、国道42号を南に走る

  09:55 道の駅 「奥伊勢おおだい」 でトイレ休憩 (10分)

  10:40 [三交梅ヶ谷バス停] に到着  「ツヅラト峠」に向かって歩き始める  今日は語り部さんなど道先案内がいない

  11:45 「ツヅラト峠」 に到着
       うすい霞の彼方東方に 熊野灘の展望が開け、心も体も疲れが一気に洗い流された気分になる
       昔の人たちは ここで [伊勢] と別れをつげ、 
        目指す霊場に向かって 厳しい山岳自然の待つ [熊野の国] を歩いて行ったのだろう

  12:15 「ツヅラト峠」 を熊野に向かって下山

  12:25 つづら折れ の急な下り坂 古道が続く

  12:35 古道沿いに残る 「炭焼き釜の跡」

  12:45 [石畳の熊野古道] を楽しく下りて行く

  12:55 古道の右に [棚田の跡地] が残されている

  13:05 古道を下り切って 「花広場」 (菜の花畑) に

  14:10 「JR紀伊長島駅」 前を通過  (渡辺さんは 紀伊長島町を散策と云われ一時 別行動になる)
       残りの7人は道の駅「まんぼう」 まで歩く

  14:35 道の駅 「まんぼう」 に 7人無事到着

  17:20 道の駅 「まんぼう」 で帰りの 三交バス(2号車) に7人乗車。  8人揃って元気に帰途につく

  18:00 道の駅 「奥伊勢おおだい」 でトイレ休憩

  19:45 JR名古屋駅西口に無事帰着  (三交バスの安全運行に感謝)

  20:35 JR高蔵寺駅に帰着

  21:00 自宅に無事帰着



* 歩きの時間 : 約 3,2 時間 (10:40 〜 14:35)

* コースの距離 : 9,0km

* 歩数 : 22,000歩

        
 【ツヅラト峠コース】スライドショウ@
      [スライドショウ]





A 「ツズラト峠コース」 を歩く  (2回目)

日 時 : 平成17年04月18日 (月)


* 主  催: 名古屋観光日急 <http://www.nagoyakanko-nikkyu.com/im.html>
* 企画名: 「ドラゴンパック 熊野古道」

    「ツヅラト峠コース」  ⇒ 弁当+バナナ+お茶 付きで \4,980/人

天 候 : 朝から風も弱く快晴の好天で、日中は気温が22℃を越える暖かい1日となり、「熊野古道歩き」 に最適の天気でした。


  07:30 自宅から10分(車で)の乗車場所 [名古屋観光日急バス春日井車庫] に向かう

  08:15 乗客2人が定刻の出発時間 (08:00) に間に合わず、15分遅れ23人の乗客を乗せて出発。

  08:30 [勝川 IC] から [東名阪自動車道] に乗り、[亀山 IC] (09:10) に向かう。

  09:15 「あんぜん文化村」でトイレ休憩 と 弁当の積み込みを実施。

  09:35 [関 IC] で [伊勢自動車道] に乗り、[勢和多気 IC] へ(10:05)

  10:50 大内山村入り口で語り部さん(上村さん)が乗車。

  11:05 [ロッジやまびこ] 前にバスは到着、自己紹介と登山準備。


  11:15 [ツズラト峠コース] 登山開始。 ([ロッジやまびこ] から)

        ←1,4km 30min→

  11:35 「大内山村-登山口」から熊野古道に入る。
       熊野古道 は民有地のため「ツズラト峠コース案内石柱」は地主に遠慮して公道(少しずれた位置)に建てられている。

        ←0,9km 30min→

  12:15 「ツズラト峠頂上 (357m)」 到着。
       眼下遠くには熊野灘の大海の眺望が広がり、足下にはこれから下って行く黄色い菜の花畑が遠くに見える。
        その先には紀伊長島町の町並みが点在する。
       第2展望台で 昼食 休憩 (12:20〜12:45)

  12:45 第3展望台を経由して下山開始。

        ←2,0km 40min→

  13:35 「志子奥-登山口」 に到着。

        ←1,0km 20min→

  14:25 志子町 R-422 沿いのバス駐車場所に到着。
       参加者23名が乗り込み帰途にむけ出発。


  14:35 道の駅「マンボウ」(R-42沿い) に到着。  トイレ休憩 (!4:35〜14:45)  夕食にサンマ寿司とビールを購入してバスの中で喫食。

  15:35 [勢和多気 IC] から [伊勢自動車道] に乗る。

  16:10 [関 IC] で [伊勢自動車道] から一般道R-42 に下りる。

  16:20 [あんぜん文化村] でトイレ休憩 (16:20〜16:35)。 昼食弁当包装紙の当選番号で 「ビール飴」 を貰う。

  16:40 [亀山 IC] から [東名阪自動車道] に乗る。 (16:40)

  17:00 [勝川 IC] で [東名阪自動車道] から一般道R-19 に下り、春日井車庫に到着。 (17:30)

  18:00 帰宅。



* 本日の古道歩き参加者 : 23名 +運転手、ガイド

* 歩きの時間 : 約2時間 (11:00 〜 14:25)

* 古道のコース距離 : 約 7,9km

* 歩数 : 12,000歩



        
 【ツヅラト峠コース】スライドショウA
      [スライドショウ]






(4) 「松本峠 と 鬼ヶ城 コース」 の概要紹介

松本峠コース [ 解 説 ]:

 熊野市の大泊と木本を結ぶ松本峠は、名勝・鬼ヶ城の山手に位置する。

竹林に囲まれた峠には、鉄砲で撃たれたと伝わる地蔵が立っており、
途中の梅林からは七里御浜が一望できる。

ここを下れば古道はなだらかな浜街道となり、
イザナミノミコトの御陵・花の窟を経て新宮までは峠越えはない。

「日本の渚100選」の七里御浜を歩いてみよう。




[左図の各ポイントの説明]

 @. 松本峠
   標高は135m足らずですが、昔は交通の要所でした。

   山側にそってJRの陸橋(りっきょう)をくぐれば明治道の登り口です。
   今も鉄砲傷で有名な地蔵の他、多数の石像物や寺子屋の師をたたえる
   顕彰碑などが竹林のなかに立っています。
   顕彰碑には、530人に教えたと刻まれている。

 A. 峠道の梅林 と あずま屋
   「西国三十三所名所図会」のさし絵にも描かれたのは、このあたりとされています。
   ここは、七里御浜を見るにも最高の場所です。
   約25kmほど続く海岸線が眼の下に広がっています。
   熊野詣で が盛んなころから、この絶景は変わっていないでしょう。
   この海岸線の向こうに、新宮の速玉大社、さらに那智大社、青岸渡寺があります。

 B.  花の窟 と おつなかけ神事
    獅子岩からほどなく国道沿いに巨大な岩が現れます。
    『日本書紀』に イザナミノミコト の墓として登場する 花の窟 です。
    高さ45mの岩そのものがご神体です。
    2月2日と10月2日に、日本一といわれる巨大な花で飾ったしめ縄をひく「おつなかけ神事」が行われます。



@ 「松本峠 と 鬼ヶ城 コース」 を歩く

日 時 : 平成18年02月04日 06:15〜 20:30(土)

天 候 : バス旅行の経路上の天気は 寒冷な気温(日中でも最高気温が +3℃)と北からの吹き込みの雪、そして時々薄日がさすような曇り空の天気で、ウオーキング時の天気が心配でしたが、熊野に近づくと快晴の好天に恵まれ、松本峠、鬼ヶ城のウオーキングは風もなく最高のウオーキング日和でした。
     風もなく 「熊野古道歩き」 には相応しい天気でした。


企画など
  * 企画名: 「世界遺産 熊野古道・松本峠と黒潮おどる鬼ヶ城を歩く」
         「MS 名鉄西部観光バス」の新聞折り込み広告でこの情報を入手。
  * 旅行の企画 ・実施 : 中日旅行会
  * 主 催 : 「MS 名鉄西部観光バス の さわやかツアー」   (www.mskanko.co.jp)


  往路 : (四日市から津・久居にかけて気温低く激しい降雪あり)

    名鉄犬山駅(06:15)  ⇒  名鉄扶桑駅(06:25)  ⇒  名鉄江南駅(06:35)  ⇒  名鉄一宮駅(07:30)  ⇒

    東名阪・弥富IC(08:05)  ⇒  大山田PA(08:15)  ⇒  東名阪・清和多気IC(09:37)  ⇒  R-42(09:40)  ⇒

    ドライブイン・「あら竹」(10:00)  ⇒  ドライブイン・「おとと」(11:27)  ⇒  鬼ヶ城センター到着(12:10)


  歩きコース: 距離 約6km (快晴で風も穏やなウオーキングに最適な天気)

     鬼ヶ城センター (スタート) ⇒ (12:25)

        松本峠登り口(大泊町側)  ⇒  松本峠(鉄砲傷のあるお地蔵 12:20)  ⇒  鬼ヶ城趾・あずまや  ⇒

        鬼ヶ城趾・展望台(13:05)  ⇒  松本峠  ⇒  松本峠登り口(木本町側 13:30)  ⇒  七里御浜(北の端)  ⇒

        鬼ヶ城西口ゲート  ⇒  鬼ヶ城  ⇒  土産物売店  ⇒  

     鬼ヶ城センター (ゴール) ⇒ (14:30) 



   帰路 : (往路と同様に津から四日市にかけて降雪あり)

    鬼ヶ城センター出発(15:15)  ⇒  道の駅[マンボウ] (16:36)  ⇒   [嬉野PA] (18:00)  ⇒  名鉄一宮駅(19:15)  ⇒

    名鉄江南駅(20:05)  ⇒  名鉄扶桑駅(20:20)  ⇒  名鉄犬山駅(20:30)



費 用 : 弁当、 お茶、 ハイキングバッグ、 旅行保険付きで  \5,200 / 人



旅行の概要

  04:30 起床 出発の準備を済ませてからパソコン打ち

  05:25 犬山駅前に向け車で出発

  06:00 犬山駅前に到着


[ バ ス 往 路 ]

  06:15 参加者4名乗車して犬山駅前を出発

  06:25 扶桑で乗客を拾う

  06:35 江南で乗客を拾う

  07:30 バスの調子が悪いらしい様子
     運転手が本部に携帯電話で車両の交替を要請
     一宮駅で交替の車に乗り換え 一宮で9名が新たに乗車 

  08:05 弥富ICから[東名阪自動車道]に乗る

  08:15〜08:40  [大山田PA]でトイレ休憩
     名古屋からシャトルバスで来た乗客9名をが新たに乗車(乗客総数49名)

  09:55〜10:15 R-42沿いのドライブイン「あら竹」でトイレ休憩 (気温-1℃)

  11:15 紀伊長島から尾鷲に入る
        途中路面に積雪があり、気温は-1℃

  11:20〜11:30 ドライブイン「おとと」でトイレ休憩
     弁当(アイスバッグ入りの2段弁当+紙パックのお茶)を積み込む  各自は車内で昼食

  11:50 バスは尾鷲から熊野に入る  天気は好天で風も穏やか、熊野灘の波は静か

  12:15 「鬼ヶ城センター」到着 (今日のスタート+ゴール地点)
      (JR熊野駅手前約2kmくらいに位置し、 犬山から約250kmの地点  片道約6時間を要した)


[ ウ オ ー キ ン グ ]

   『熊野古道 松本峠と鬼ヶ城を歩く』 (約6kmのコース 約2時間 11,800歩)

     12:25 「鬼ヶ城センター」 をスタート

     12:40 「松本峠」 到着 (2,600歩)

     13:05 「鬼ヶ城展望台」 に到着 (5,400歩)

     14:30 「鬼ヶ城センター」 にゴール (11,800歩)


[ バ ス 帰 路 ]

  15:15 「鬼ヶ城センター」を発ち帰途に

  16:35〜16:50 道の駅[マンボウ]でトイレ休憩

  18:00〜18:15 [嬉野PA]でトイレ休憩
     急いでキツネうどんで夕食
     名古屋からの乗客9名は下車し別のシャトルバスで名古屋駅に向かう

  20:30 犬山駅前に到着  (途中、一宮駅、江南、扶桑で逐次参加者を降ろす)
      (鬼ヶ城センター出発 から往路と同じルートを経由して 犬山駅前に到着するまで約6時間15分を要した)

  21:00 帰宅

   * 往路では途中4回 (扶桑、江南、一宮、大山田PA) 乗客を拾って総参加者49名に
   * 最初のバスはトラブル発生で車両交替になる
   * 鈴鹿から勢和多気ICまで激しい降雪で道路に積雪あり
   * 経路が長く正午過ぎに歩き始めた
   * コースは好天に恵まれ快適なウオーキングが楽しめた
   * 帰着が遅くなった



* 参加者 : 49名 +運転手、ガイド、添乗員

* 歩きの時間 : 約2時間 (12:25 〜 14:30)

* 距 離 : 6,0km

* 歩 数 : 11,800歩


        
 【松本峠と鬼ヶ城コース】スライドショウ
      [スライドショウ]


(5) 「馬越峠 コース」 の概要紹介

馬越峠コース [ 解 説 ]:

馬越峠コースは

 紀北町と尾鷲市の境をなす峠。
 一面にシダを敷き詰めた尾鷲桧の美林の中に、約2キロにわたって苔むした石畳道がつづく。
 途中の夜泣き地蔵や馬越一里塚、峠の可涼園桃乙句碑など史跡も多い。
 また峠の東には尾鷲が一望できる天狗倉山へのハイキングルートが通っており、
 このコースは、天狗倉山往復を含んでいる。
 峠を下った馬越公園は桜の名所だ。


[左図の各ポイントの説明]

@夜泣き地蔵
 土地の人の話によれば、大正時代までは、石地蔵があったといいます。
 今は、自然石がおかれているだけです。
 もともと、旅人の無事を祈って建立されたものですが、
  いつのころからか子どもの夜泣きカンの虫封じにきくと信じられてきた石像です。
 登り口から575m。

A石橋
 一枚の大石を橋として谷川にかけてあります。
 その下を四季を問わず澄(す)んだ水が流れています。

B馬越一里塚
 かつては道をはさんで西に松東に山桜が植えられていました。
 現在は、石積みの跡(あと)が残っているだけです。

C一里塚を過(す)ぎたこのあたりは、急な坂道です。
 山の斜面をほりわって、できるだけ傾斜を少なくするように工夫しています。
 旅人が疲れないようにと作られています。

D可涼園桃乙(かりょうえんとうおつ)の句碑
 近江(おうみ)の国[今の滋賀(しが)県]の俳人(はいじん)桃乙という人の句。
 「夜は花の上に音あり山の水」という俳句を書いた碑が立っている。

E桜地蔵
 土地の人は、水飲み場になっていたので、水飲み地蔵と呼んでいました。
 そのあたりに、桜の木が多かったので桜地蔵と呼ばれるようになりました。

F馬越公園
 桜の名所です。
 海を眺(なが)める風景も美しい。

G尾鷲(おわせ)神社
 スサノオノミコトをまつる神社です。早春に行われる「ヤーヤ祭り」の舞台としても知られています。
 境内(けいだい)には樹齢(じゅれい)千年を越す幹回(みきまわ)り10mと9mの夫婦楠(めおとくす)がそびえています。





@ 「馬越峠コース」 を歩く

        [馬越不動尊 と 不動瀧]

日 時 : 平成18年11月23日 (木・祝日)

勤労感謝の日の11月23日、名古屋観光日急の [ドラゴンズパック] バスツアーを利用して「熊野古道・馬越峠コース」を歩いて来ました。

残念なことに デジカメの準備不十分 のまま出発し、数枚の写真しか残せませんでした。

参加者33名と添乗員、運転手の35名で出発です。

前日まで快晴の好天が続き、そして翌日の24日もまた好天の温かい1日になりました。

しかし旅行当日は南岸を前線通過で雨の予報でした。

案の定、朝から曇り空で雨の中を歩くことになりそうだと雨対策をして出かけました。

春日井市の勝川ICから東名阪道に乗り、伊勢道、紀勢道を経由して、国道42号沿いの「道の駅海山」で車を降り
そこでから「JR尾鷲駅」までの6.3kmのコースを歩きました

そのうち[熊野古道馬越峠コース]は国道42号沿いの[鷲毛バス停]から[馬越峠公園]。

左に山道を入る処に案内があり石畳の道が峠に向かって続きます。

自然石を敷いた長い石畳の登り道を行くと左に[夜泣き地蔵]があります。

ここを過ぎると長さ2m、巾1mくらいの板石を渡した石橋を歩いて狭い清流の上を渡ります。
  (注意しながら歩かないと見過ごしてしまいます)

左側に[馬越一里塚](12:10)があり急な傾の石畳の山道を登っていくと「馬越峠」に到着です。

峠には[休憩所]の小屋があり、その前には[可涼園桃乙の句碑]があります

  「夜は花の上に昔あり山の水」


峠からは下り坂の石畳が続きます

この頃から小雨が降り出したが石畳を濡らす程にはならず滑って転ぶ人もなく全員が元気に歩いて下ることができました。

[桜地蔵](別名:水飲み地蔵)が左手にあり、更に下ると尾鷲湾を前方に望む「馬越公園」の中を通って下りて行きます。(公園の中にトイレ)

「馬越公園」の直ぐ下の右手に[馬越不動尊]と[不動滝]があります。


[馬越峠の石畳]はここまで約2.2km続き日本一の多雨地帯尾鷲の熊野古道を雨の被害から守って来たのです。

尾鷲の狭い道幅の街中を抜けると 「JR尾鷲駅」 に到着です


駅前で待機中のバスに乗り込み、14:20バスは雨の中を出発して帰途につきました。


[ 経 過 ]

 乗客33名 + 男性添乗員 + ドライバー = 35名  (\4,600)

朝食 (パン、ピーナッツ、クッキ+缶コーヒ) と 昼食 (弁当、バナナ、お茶) 付き


春日井車庫(08:00)⇒勝川IC == [東名阪道] == 亀山IC -- あんぜん文化村(弁当積み込み)(09:10〜09:20)

  --関IC == [伊勢・紀勢道] == 大宮大台IC (10:00) -- 車中で昼食(10:10〜10:30) -- [道の駅 海山]

   (11:10) ・・・ [馬越峠コース・ウオーキング] ・・・ (14:05)

  尾鷲駅(14:05着---14:20出発) -- 大宮大台IC == [伊勢・紀勢道] == 関IC --あいぜん文化村(休憩16:30〜16:55)

  --亀山IC == [東名阪道] == 勝川IC -- 春日井車庫(18:10) ⇒ 自宅(18:30)










「高野山・町石道」(こうやさん・ちょういしみち) ウオーキング

* 「歩き遍路友の会(東海)」 第4回総会で上野さん(No:15)から「高野山・町石道を歩いてみませんか。」のご提案があり、
  行事として実施が了承され、希望者を募り、男性会員4名が参加して実施しました。

 その概要を纏めて紹介します。


(1) 町石道コースの概要紹介
   南海・難波駅案内所などで A3版・彩色刷りの案内図(下図)が無料で配布されております

       [高野山町石道コース案内図]




(2) 町石道 の 歴史的背景

  高野山・町石道(こうやさん・ちょういしみち)は
 町石道(こうやさん・ちょういしみち)は 高野山への七つの参詣道のうちの一つで、弘法大師によって高野山開創の直後に設けられた登山道で、 紀ノ川流域にある 「慈尊院」 (大師の母公・玉依 を祭る 九度山町 海抜94m) から 「高野山・壇上伽藍」(海抜815m)を経て「奥の院・御廟」に至る高野山への表参道といえます。

この 「慈尊院」 から 「奥の院・御廟」までの全行程 約 24km のいわゆる「町石道」には、慈尊院から伽藍(金剛峰寺)まで180基、伽藍から御廟まで36基の町石が1町(109m)おきに合計116基、そしてその間、36町おきに4基の里石(りせき) が建っています。

 昔、弘法大師によってこの参詣道が開かれた当時は木造の卒塔婆が建てられていましたが、文永2年(1265) 覚きょう上人(高野山・遍照光院) が石造の卒塔婆建立を発願し、当時の鎌倉幕府の要人であった安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により発願後約20年後の弘安8年(1285)に完成しました。

 この町石は 高さ3m、幅30cm、重さ約750kgの五輪卒塔婆形の四角な石柱で、山上36町を金剛界37尊、山下10町を胎蔵界180尊にあて、それぞれを表す梵字と施主の名前が刻まれています。

 これらの町石は高野山表参道の道標であるとともに、人々は1町ごとの町石に手を合わせて二世安楽と欣求浄土を祈りながら登ったと云われています。

*慈尊院の石段を登って、丹生官省符神社の鳥居右横に [180町石] があります。
*高野山大門をくぐって伽藍に [1町石] があります。
*大師が月に九度び、山を降りて母を見舞われた事から [九度山町] の名が残ったのです。
*180 の町石のうち、九度山町に 23基、かつらぎ町に 61基、高野町に 96基 があります。
*[町石道] は 36町・1里制にもとづき、古代条里制がほぼ完全な形で残る歴史的な遺構といえます。


(3) 参 加 者: (年齢はH17/11現在)

   伊藤君和さん (No:10)
   上野勝彦さん (No:15)
   牛島良輔さん (No:16)
   爺(日高伴介) (No:52)  以上 4 名




(4) 宿 泊:
   高野山唯一の天然温泉のでる宿坊「福智院」 (詳細資料) に宿泊しました。

        和歌山県伊都郡高野町高野山657 
         TEL 0736-56-2021
         http://www.fukuchiin.com/


(5) 日 程:
  期日:平成17年11月19日(土) 〜 20日(日)の1泊 2日
   両日とも 天候に恵まれ、楽しく充実したウオーキングができました。

◎1日目: 平成17年11月19日(土)

 04:45 目さましで起床、 パソコンを開いて「E-mail」受信
 05:15 予約のタクシーでJR春日井駅に向かう (\3,150)
 06:10 JR中央線でJR名古屋駅着 (\320)
      売店で駅弁など(朝食用)購入して集合場所へ
 06:45 名古屋駅(近鉄)待合室に4人全員集合
 07:00 名古屋駅(近鉄・特急アーバンライナー)発 ⇒難波駅(近鉄)に向かう
       * 会員の荒川正則さん(No:03)のアドバイスで「3・3・SUNフリー切符」を利用しました
 09:13 難波駅(近鉄)着
       ⇒構内の案内標示を頼りに難波駅(南海)まで大急ぎで歩く (案内が分かり難く、距離も長いので最低15分の乗り継ぎ時間は必要)
 09:36 難波駅(南海・高野線・急行)発
 10:39 九度山(くどやま)駅(南海)着
           ⇒待合い室でウオーキングの服装に着替える(白衣を着用)

  Start (0.0km)     10:50 九度山駅を出発し、[町石道] のゴール根本大塔に向かって元気に歩き出す

     0.5km / 00.5km   10:55 [真田庵] 到着 参拝

     1.0km / 01.5km   11:10 [慈尊院] 到着 参拝

               11:25 [第百八十町石] <180>

               11:50 [第百七十町石] <170>

               12:00 展望台到着 <166> (昼食)

     2.0km / 03.5km   12:22 海引山分岐<153>

     3.0km / 06.5km   13:10 六本杉峠<136>

     1.4km / 07.9km   13:20 古峠<124>

     0.4km / 08.3km   13:35 二つ鳥居<120>

     0.8km / 09.1km   14:00 神田応其池<113>

     3.0km / 12.1km   14:50 笠木峠<085>

     3.0km / 15.1km   15:25 矢立<060>

     5.8km / 20.9km   17:05 大門<006>

Goal ( 0.6km / 21.5km)  17:25 根本大塔 (第一町石 <001> )


 17:50 宿所(福智院)着 4人同室部屋に落ち着く
 18:20 入浴(大浴場)
 19:00 夕食(ビール+日本酒)
 20:00 入浴(小浴場)
 21:00 消灯・就寝


   町石道全行程(九度山駅〜根本大塔)     : 21.5 km
   所要時間                      : 約 6.5 時間
   初日ウオーキング歩数              : 約 36,000 歩



        
 【高野山・町石道コース (往路)】スライドショウ
      [スライドショウ]



◎2日目: 平成17年11月20日(日)

 05:20 ひとり、二人と目が覚めて起床
 05:30 入浴(大浴場)
 06:00 福智院 本堂で催される朝の勤行に4人で参加
 07:00 朝食
 09:00 福智院(宿坊)を出発
     * 全ての荷物を携行して出発したが、お願いして山を出発するまで預かって貰えば良かったと後から反省
 09:00〜12:00 檀上伽藍・金剛峰寺・各寺院拝観・奥の院 等 散策・参拝
 12:00 昼食(高野山町のうどん屋) 土産などの買い物
 12:40 ケーブルカーの上の駅・高野山駅に向かって歩く
     * 道の右側にある[女人堂]に参拝
     * [女人堂]から200mも行くと遮断機が設置され、それより先は南海電鉄専用のバス道路で、歩行者は進めないと注意される
 13:20 不動坂の林道を下ってケーブルカーの下の駅・極楽橋駅(高野線)に向かって歩く
     * 急な下り坂(歩き易い)の林道を約2km進むと極楽橋駅に到達する
     * 路面に木材チップが埋め込んで整備された路面で歩きやすい
 14:00 極楽橋駅 到着
 14:10〜14:40 難波駅行き電車の発車まで待ち時間があるので
         極楽橋駅 と 高野山駅 の間をケーブルカーで1往復の体験乗車をする (333フリー切符利用で無料)
 14:43 極楽橋駅(南海・特急) 発
 16:18 難波駅(南海) 着
     * 地下商店街で夕食の弁当を購入して近鉄・難波駅に急ぐ
 17:00 難波駅(近鉄・特急) 発
 19:08 名古屋駅(近鉄) 着
     * 町石道ウオーキングを無事に終了. 駅ホ−ムで解散して各自家路に急ぐ
 19:14 JR名古屋駅発(中央線) (\320)
 19:37 JR春日井駅着
 20:00 自宅に帰着 (タクシー \2,550)


   2日目ウオーキング時間          : 約 5.0 時間
     ウオーキング歩数            : 約 21,000 歩



          
 【高野山・町石道コース (復路)】スライドショウ
      [スライドショウ]



(6) まとめ:

  @、概略の経費 : 約 32.800円 (個人的な経費で参考の額)
       *交通費
         ・自宅・春日井駅往復 (タクシー)      -- 5,700円
         ・春日井駅〜名古屋駅往復          -- 640円
         ・名古屋 〜 高野山往復           -- 9.960円
          (内訳)
            「3・3・Sanフリー切符」          -- (5.000円)
           近鉄特急券(名古屋・難波往復)    -- (3.700円)
           南海特急券(難波・高野山往復)    -- (1.260円)
       *宿泊費1泊2食ビール付(4人相部屋)     -- 11.500円
       *その他の食事・飲み物など          -- 約5,000円
                    合計 Σ:       -- 約 32,800円










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