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(平成15年03月12日 起稿)
(平成27年04月18日 更新)


平成12年7月、定年まで 勤めておりました MHI (Nagoya)
ワンゲル部 OB 5人 で
10日間 の 北海道旅行 を して きました


利尻富士、旭岳 の 登山 と 釧路湿原(熱気球搭乗)、襟裳岬、有珠山
を 回って来ました。


その 記録を

『北海道 車の旅』

と 題して 紹介 します。


★ 参加者: 三菱重工(株) 名航 ワンゲル部OB会員 (年齢順)
O 氏  : 70歳
小 生  : 64歳
T さん : 64歳
I 氏  : 63歳  = (企画、車運転、会計 等 全て担当)
K 氏  : 62歳
   (年齢はH12,7現在)
★ 期間 : 平成12年7月21日(金) から 7月31日(月)




★ 7月21日 ( 金、晴、初日 ) * JR金山駅集合 - 名神・北陸自動車道経由 敦賀港へ - 北海道の旅へ出発(小樽行きフェリー)
集合時間 の 18時 に間に合うように 祐子に春日井駅まで車で送って貰う。
・(途中から 一皓君と 陸人君は 後部座席で寝込んでしまう)
・(リュック、ボストンバッグ、ウエストバッグの旅行姿)

4分遅れの 17:34 発の 名古屋行きの 電車に乗る。
ホームで 待つ間に 強い日差し と 荷物で もう汗びっしょり。

17:50、 金山駅着 に 到着。 駅周りの地理に疎く急ぐあまり集合場所への道を 遠回りしてしまう。
他の 4人も 丁度 着いたところ。

みんなと挨拶し、 旅の無事を お願いして 待機のバンに 乗り込む。
運転席に I氏、 O氏 が 助手席、 後部座席に小生 と Tさん、 そして 最後部に K氏が 座る。

計画通り 18:10、 出発。 R-19 を 一宮IC へ向って走る。
途中、 真正面から 射し込む 大きな 赤い 夕日の 日射しが 殊の外 眩しい。
19:05、 一宮 から 名神高速道に 乗る。

次第に 夕闇の世界 になり、 前方車の 赤い尾灯が次第に 鮮明になり、 前の車との 距離が
余計に 近く感じられ、 車の速度も より早く感じられて怖い感じもする。

20:15、 敦賀IC を出て 敦賀市内に 入る。

20時半 フェリー埠頭に 迷わずに到着する。時間が早いのか 混雑を 感じない。
誘導員の 案内で 所定の 駐車場に 車を 停め、5人でターミナルビルに 入る。

何度も 敦賀に 来たことは あるが、フェリーターミナルに来るのは 今回が 初めて。

あちこちの 様子を 眺めて 2階に 上がり、食堂でラーメン や そば で 夕食を 済ます。
みんな揃っての 最初の 食事。

フェリーでの 1昼夜の 旅は 自分には 初めての体験で、 何か わくわくする 期待感が ある。
時間が あるので、 売店など ぶらついて 時間をつぶす。

そうするうちに 乗船の 案内放送があり、 4人は( I 氏は車で乗船 ) 列の後ろに並び、
タラップを渡って、 22:30 小樽行き 新日本海フェリー「すずらん丸」の船内に 入る。

I 氏、 K氏と 小生の 3人は 433号室( 1等船室) へ。
O氏、 Tさんは 428号室( 1等船室 ) へ。

船は 定刻の 23:30、 静かに 岸壁を 離れ 北海道に向けて 1昼夜の 船旅に 出航する。

部屋に 入り 窓から 外を 見ると、反射する光で 波静かな 敦賀湾を 船は ゆっくり 外洋に
向かって 進んで いるのが 判る。

湾を 出て 巡航に入ると 船は 28ノット 以上の速度を 出しているのが
テレビ画面の GPS案内で 知らせてくれる。

0時半 を 過ぎた ところで 3階の 浴場に 行き真っ暗な 海を 見ながら 入浴。
433号室に 5人が 集まり アルコールを 入れ、暫くしてそれぞれの 部屋に帰り 就寝。


* 今日の特記事項

(1) 大相撲夏場所 13日目で 横綱・曙 が 13連勝で2年振りの優勝を決定

(2) フェリー「すずらん丸」について:
 @運営:新日本海フェリー [ http://www.snf.co.jp/index2.html ]
 Aすずらん丸概要:定員=507名
  ・乗用車=80台
  ・トラック=120台
  ・全長=199.45m
  ・総トン数=17,345トン
 B 敦賀-小樽間の運賃
  (1等 船室) = 14,140円/1人
  (乗用車) = 24,170円 /1台
 C(所要時間 = 約20時間

  ☆ GPSnavシステムを使って常時船の現在の位置、速度、予定到着時刻等を表示。



★7月22日 ( 土、曇天、2日目 )

* 日本海を小樽港に 向け 航海。 小樽港からサロベツ原野に向けて ドライヴ ( 車中泊 )

6時半 過ぎに 目覚め、 外を 見るが 島影など何も見えない。

メモを とったり、 TVを 観たりして 過ごす。

TV のチャンネルを 10 にして 船の航行状況をチェックすると 「本船は ただいま 粟島沖を 航行中です」 の案内が表示されている。 時計は 8時 少し前。 急いで 右舷に 出て見るが 残念ながら 粟島の島影を 見つけることはできない。

37年前、 松島基地に 勤務していた頃、 当時の主力戦闘機F-86Fの 4機編隊を 引っ張って、粟島を IPポイントに 訓練射撃空域に入り、T-33が 曳航する BarnerTarget を 標的に、6連装の キャリバー50 機関砲の 実弾射撃訓練に青春の 汗を流した頃を 懐かしく 思い出す。

9時半 みんなで 朝食を 食べに 行く。  食堂は カフェテリア方式で 各自が 好きな物をテイクアウトし 最後に 会計を 済ます方式。

食後、5階の ビデオルームで 「鉄道員(ぽっぽや)」を上映すると 云う 案内放送が あり、退屈しのぎに 覗いて みる。
暫くすると 眠くて これ以上 我慢できなくなり、部屋に戻って横になる。

エンジンの振動 と 船の 小さな揺れ で 直ぐに 寝入ってしまう。

I 氏に 起こされ、 みんなで カフェテリアで昼食。またと云う気持ち。  各自 それぞれが 好みの メニューに なる。

K 氏ら 3人の 座った テーブルが 「振動が激しく食器が動いて安心できない」 と云って 別の 場所に 移動する。
船の テーブルは 床に 固定され 全く 動かないが、椅子は鎖で床に 繋がれ 一定量の 移動しか 出来ず、 船の傾きや 振動にも倒れないようにしてあるのだが、このテーブルは 固定が 弛んで いるのだろうか。

食後、 デッキに 出て、船に 寄り添うように ホバリングしがら乗客の 投げ出す カッパエビセン をうまく くわえて食べる カモメを 間近で見ながら、暫く 海風に 吹かれて 時間を 過ごす。

これらの カモメは 敦賀から 夜通しついて きたのだろうか、それとも 近くの海上に漂っていたのが 船を見つけ近寄って 来たのだろうか。

16時過ぎ、 船は 奥尻島沖を 航行しているが、島影を見つける事は 遂に 出来ない。 晴れていれば 海上に 浮かぶ 奥尻の 島影が見える筈なのに。

西の空に 雲間から 夕日の 赤みが 射し込み、明日は晴天が 期待できそうだ。

しばらくすると 船は 暗い 小樽湾に 入り、19:25、 予定より 1時間早く 小樽港の 岸壁に接岸する。

下船は 同乗者全員が 車に乗って 上陸することになり、19:35、小樽に上陸する。

I 氏に 安全運転を お願いして 北を 目指し車を 走らせる。  期待に 胸を膨らませ これから 北海道一周の旅の始まり。

まだ 夕食を 食べて いないので 空腹を 感じ始める。 遅くならない内に 食べようと 食堂を 探しながら北を目指し 車を 走らせるが、なかなか見つからない。  船で 済ませてくれば 良かったが 後悔 先に立たずだ。

これ以上行くと ますます 人気が 無くなりそうなので、寄り道に なっても 少し 札幌方面に 車を 走らせて探す事にする。 深夜の 外気が なま暖かい。

「札幌市」の 標識があって 間もなく、 左側にレストラン「どんでん」 の看板を 見つけ みんな 安堵の歓声。 駐車場に入り 車を降り、みんなそれぞれに 深呼吸 や 背伸び。

名古屋でみかける 「えちぜん」と 店の雰囲気からメニューまでよく似た店。

お寿司 と 蕎麦 を組み合わせた 定食を 食べる。(20:30)

腹ごしらえが 終わり また R-231 に 引き返し、一路最初の 訪問地 「サロベツ原野」を 目指す。

いつの間にか 後部の3人は 失礼して 寝込んでしまう。


* 今日の特記事項

(1) オールスター第一戦でヤクルトのペタジーニがMVPに。セントラル勝利。


「 新日本海フェリー 」:
敦賀から小樽へ向けて粟島沖を
巡航中の 「すずらん丸」(船尾)
撮影日時(2000/07/22 07:52)
「 GPS表示 」:
小樽港へ向けて巡航中の
「すずらん丸」のGPS位置をTVで標示
撮影日時(2000/07/22 16:20)



★ 7月23日 ( 日、晴れ時々曇り、3日目 )

* サロベツ原野、宗谷岬を見学、フェリーで利尻島へ(宿泊:民宿うめや Tel:01638-2-1016)

目を覚ますと 車はサロベツ原野の 案内看板の前( 駐車公園 ) に到着して停車中

時間は午前2時半。  快晴の空は 星で すごく綺麗。

前方(西方)に利尻富士の綺麗な勇姿が地平線上に遠望出来る。  みんなで カメラのシャッターを押す。

日の出が近づき周囲が明るくなるとじわーっと霧が出てきて見えなくなってしまう。

駐車場のトイレで 洗顔を済ませて 眠気を 覚ます。

ラジヲで 昨夜のオールスターゲームの 結果とヤクルトのペタジーニが MVPになったこと知る。

いつの間にか 6時半に なっており、再び オロワンラインを北上。

地図で 見つけた 「地平線倶楽部」 と云う店で朝食をと探して行くと その店は 閉店中の 看板。

次第に 周りの霧が 濃くなってくる。

Tさんの 話を頼りに 豊富町に 珍しい 「油温泉」と云うのがあると云うので、朝食も そこで食べようと 豊富温泉を 探して広大なサロベツ原野の中を 更に R-44 を走る。

途中 「サロベツ原生花園」 に 車を 停め、朝日に照らされながら 約30分間 見て歩く。

8時30分 豊富温泉街の 集落に 着き、行き当たりにある町営の 温泉施設 ( 入浴料 450円 ) の前で 開館を待っている一人の婦人に「 近くで 朝食を食べさせて くれる処は 無いだろうか」と聞くと、「 この前の K旅館の おばあさんが 親切な人なので、頼めば支度して 食べさせて くれると思うよ」との話。

同姓の K氏が すすんで 交渉に行ってくれて、暫くしてみんなを手招きし「 親切な奥さんで、 30分 待てば 1,000円で朝食の準備をしてくれ、その間に 風呂にも 入って いいと 云っている。ここも同じ油温泉だそうなので ここにしよう」 と云う。

各自、荷物を持ち、靴を 脱いで 案内された部屋に入り、 早速みんな 揃って 入浴。

ここの温泉は 油田を 求めて ボーリングした処、油の掘削には失敗したが、 その代わり温泉が噴きだし、 その温泉には珍しく 少量の重油が含まれていたが、 その温泉を活用して 現在の温泉街が 生まれたのだそうだ。

実際に 入浴してみると 湯面に うっすらと 虹色の油膜が光り、 はっきりと 重油の臭いがする。

だから この温泉で 頭や 身体を 洗うことは出来そうになく、ただ温まるだけ のように思える。

一度 顔や 身体を 洗うと 再度 入浴する 気にはなれない。

最初に 寄った公衆浴場で 地元の人に どうしているか聞けばいろんな事が 解ったと 思い 少々 残念に思う。

風呂から 上がって 準備して貰った 朝食を食べ、出された請求書を みると ちゃっかり 入浴料として金500円也を請求されていました。

9時半、 稚内を 目指して R-40 を 北に 走る。

途中、 道端の 気温表示に 25℃ と 出ている。  道理で 車の中も 暑いはずだ。

10:10、稚内港に到着。 乗船手続きを 再確認し、利尻島往きの フェリー乗船まで時間があるので宗谷岬の 見学に R-237 を東に向けて車を走らす。

何十年振りに 「 日本最北端の碑 」 が目に入る。

車を降りて 碑の近くに 行き、 目を凝らして北方を視るが 樺太の 島影は 見えない。 「 間宮林蔵の立像 」、「 旧海軍望楼 」 などを小1時間 見学して 再び稚内に 向かう。

稚内駅前の 食堂で 冷やし中華を 食べる。

近くの 無料駐車場に 車を停め、 荷物を持ってターミナルに向かう。 利尻島、 礼文島 に行く 3日間は 車を 稚内に置いておくことになる。

隣のANAホテルで トイレを借りる。 エアコンが 効いて 涼しい。

フェリー乗船まで ターミナル内を 観て 回ったり、海産物店を味見をしながら 時間をつぶす。

今日は Tシャツ姿でも 汗が出てくるほど 暑い。

出航 30分前の 15時に 利尻島 鴛泊 (オシドマリ)往きの フェリー「ニュー宗谷」に 乗船。 (2等船室運賃 は 1,880円 )

2等船室の 隅に 荷物を置き、甲板に 出て 出航の模様を見学する。 船は 定刻の 3時半に もやい綱を 解いて 静かに岸壁を離れ、沖合を目指して速度を上げる。

出航して 間もなく 野寒布岬の 先を 取り舵で左に回航すると 利尻富士の 勇姿が 左舷前方に見えてくる。 残念ながら 中腹から 上の 頂上を 雲の中に隠して下半分しか 見えない。

船室に 帰り、 隣に 席を占めていた 大阪からツアー客の婦人と雑談して 時間を過ごす。

穏やかな航海の あとフェリーは 定刻の 17:10、無事鴛泊港 の 岸壁に 接岸。

桟橋を 降りると旅館、民宿の 賑やかな 歓迎の中に混じって今夜 泊まる 「うめ屋」 の旗を 見つける。

迎えの バンで 民宿まで送って貰う。 運転の青年は 宿の主人だろうか。 とても気さくに 質問に 答えてくれる。

途中、 海岸に 切り立った 奇形の山を 見つけ、港で貰った 案内書と 見比べながら、尋ねると 「ペシ岬」 と 教えてくれる。

18時 から 日本酒を 飲みながら 夕食を 頂く。 食後、 宿のバンで 「利尻富士温泉保養施設」に 入浴のため 送ってもらう。

温泉は、今朝入った 豊富の [油温泉] とは ちがって透き通ったお湯が蕩々と 湧き出ており、
今日の 暑さの汗を みんな流してくれる 最高の 気分の入浴でした。 ( 入浴料 / 400円 )

町の人に 利尻島の人口を 聞くと 現在 約 8,000人との答え。 冬は厳しいだろうが、 夏の今は 穏やかな町だ。

帰りも電話して宿から迎えに来てもらう。 明日の利尻富士登山を考えて早めに就寝する。


* 今日の特記事項

(1) オールスター第二戦で中日の山崎がMVPに。セントラルが連勝。

(2) 稚内は晴れて暑かったが利尻は曇りがちでやはり夜は涼しく寝やすい。

(3) 夜のニュースで今日は 熊谷で38℃、岐阜で37℃を越え、台風6号の影響で 特に北日本、裏日本が暑かったとのこと。
  北海道も各地で25℃を超える暑い1日だった。



「 サロベツ原野 駐車公園 」:
オロワンライン沿いにある
トイレなど整備された駐車場
撮影日時(2000/07/23 04:00)
「 サロベツ原野 」:
オロロンライン案内板
撮影日時(2000/07/23 06:28)
「 エゾリンドウ 」:
サロベツ原生花園 の中でみつけた
高山植物の エゾリンドウ
撮影日時(2002/07/23 07:38)
「 宗谷岬 」:
海峡に向いて立つ間宮林蔵の像と
日本最北端の碑
撮影日時(2002/07/23 11:35)

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「 方位標識 」:
世界大都市の方位を示す標識
撮影日時(2000/07/23 11:40)
:「 旧海軍望楼 」:
今も遺跡として保存されている
旧帝國海軍の施設
撮影日時(2000/07/23 11:50)
「 雲で隠れた利尻富士 」:
鴛泊港(利尻)へ巡航中の
「ニュー宗谷」から
撮影日時(2000/07/23 16:00)
「 ペシ岬 」:
「民宿うめや」の部屋から見た奇景
(7/25 朝食前の散歩で登頂)
撮影日時(2000/07/23 17:05)



★ 7月24日 (月、雨、4日目 )

* 利尻富士登山 (宿泊:民宿うめや 2泊目)

利尻島

5時過ぎに 目覚める。

外は 中程度の 雨が 降っており、 夜半からずっと降り続いて いるようなので 登山道はぬかるみの悪路が 予想され、 心配になる。

5時半、 朝食 と 昼食 の おにぎりを貰い、車で利尻富士 3合目登山口 まで 送って貰う。

雨は 小雨ながら 降り続いており、 濃い霧の中で風もある。

5人で 頂上を 目指して 最初の 登山道を 登り始める。

200m位 登った処に 「甘露泉名水」 と 云う掲示板が あり、 日本百名水の ひとつと 説明されている。

大きな岩の 下から水量も 多く 綺麗な 水がとうとうと 湧き出している。 備え付けの コップで 飲んでみると 甘い舌触りで、すごく美味しい。

美味しい清水に 出会えるのは 山登りの楽しみの一つだ。

水筒にも 新しい水を 詰めて リュックにしまう。

これから 頂上まで 約6kmの 登山道。

暫くすると 更に雨 と 風が 強くなって きたので、風雨対策を重装備に 着替えるため 木陰に 入ってジャンパーを着用し、リュックの上から ポンチョをかぶる。

着替えを 終わって、 顔に 雨を 受けながら旅館で貰ったおにぎりの 包みを一つ 出して食べる。

前を通り過ぎる登山者の 後について、一歩また一歩と登っていく。

勾配は なかなか厳しく 強い風 と 雨の中では余計に 登りにくい。

そのうち 前後に 仲間の姿が 見えなくなってしまい、独り登山になる。

7合目を 過ぎて 少し登った処で 1人の 男性が引き返して 来たので 聞くと  「 風が強く 霧も深いので引き返します」  との返事。

やはり 自分も 諦めて 引き返す べきか、 これも大事な勇気の一つと 思案して いる処へ、 1人は 短パンの軽装をした 青年同士の 2人連れが登って来て「行ける処まで行く」 と云うので 自分も ついその気になり、もう少し 行ってみようと 一緒に 登って みることにする。

軽装の青年は 神戸大 3年生で 16日 から 自転車で北海道を1人で 旅を しており、 利尻富士の登山だけは是非 達成したかった のだと云う。

暫く 登ると こんもりとした小山があり、「長官山 」 と云う。 ここが 8合目。  霧で 周りの 景色は 全く見えない。

水たまりと ぬかるみになった 登山道を 暫く登ると広さが 約10坪くらいの 割と大きな 山小屋があり、「 利尻山避難小屋 」 と云う。
中を覗くと 10人 近い人が 雨宿りをして 食事などをしている。 
青年と 小屋に 入って 暫く 休み、 周囲の人の会話を聞いてみると みんな 登り続ける様子。

最後の 1個の むすびを 食べ、 装具を 整え山小屋を出る。  さっきより 雨が 大分 小降りになり、 霧も薄らいできていた。

そこからの 登山道は 尾根伝い になり、 勾配も緩やか になり 登りやすく なる。

用心して 出来るだけ 山側を 歩き、 やっと頂上に到着。

頂上には 2人のみで、 他には 誰もいない。  時計を みると 10時10分を 示している。

登山に 5時間近く かかったことになる。

青年が 大声で 「 ヤッター 」 と叫ぶ。  自分も 真似て 南峰に 向かって、 風雨を まともに受けながら「 ヤッホー 」 と 大声を 出してみる。

山頂の 神社の 賽銭箱に 2人分の 20円を 入れて無事登頂できた ことを 一緒に 感謝する。

靴と ズボンは ぬかるみで ぐしゃぐしゃの 泥まみれ。

この頂上は 1,718.7m の 北峰で、 最高峰は急峻な谷を 挟んで 数百メートル 南に 2m 高い 南峰があるはずだが、 ここからは 霧に遮られて 見ることは 出来ない。

頂上には 4-5 分 居ただけで 下山を 始める。

道は 水たまり と ずるずる滑る ぬかるみで、登りよりもっと 滑りやすく 注意しなければならない。

ズボンは 益々 泥まみれになり、 完全防水の靴も中は 泥水で じゃぶじゃぶと 音のする状態になり、この上な く歩きにくい。

今回のために 初めて買った アイゼンを 両足に装着する。  少し下山した処で 元気に 登ってきた K氏 とTさんの2人に 出会い、 「 O氏 と I 氏は 登山を中止し 名水の傍の 休憩所で 待っている」 との伝言。

帰りに 「 利尻山避難小屋 」 を覗いてみるとさっきと違って 中年の 女性が 1人 寂しく板の間に座って 休息している。  一言挨拶を 交わして 小屋を後に 下山を続ける。

短パンの 青年が 着ている 半透明の ビニールのレインコートは 背中から 引き裂かれ て 無惨な形になっている。
彼は それを 細工して 出来るだけ多くを 覆えるように着ている。  短パンから 出た 細長い足は 泥まみれに なって靴も泥で 覆われ、 見るからに 寒そうだが元気に前を 下りて行く。

6合目を 過ぎた処で 足を 滑らし ぬかるみの中に尻餅をついてしまう。  そして、 灌木の 中に 滑り落ち 仰向けの 格好で1m くらい 下に 転落してしまう。  枝を 掴んで 起きあがろう とするが、 背中が宙に浮いていて なかなか体勢を 立て直せない。
2m くらいの先から
  『 大丈夫ですか 』
と 青年が 声をかけて呉れるが手を 出してくれない。  このままでは墜落する危険を感じるが手を貸してはくれない。

やっと 自力で 体勢を 立て直し、 足が 枝の間を抜けて地面に 着き、自力でどうにか無事に道まで 上がることができた。  急死に一生を得た気持ちだった。
この一瞬の恐怖は利尻登山とともに一生忘れない恐ろしい想い出になるだろう。
兎に角、一大事に ならずに 済んで 良かった と思うと共に万一と 想像するといつまでも 怖くなってくる。

見ると 右足の アイゼンは紛失して 何も 残っておらず、左足は金具が取れてゴムバンドのみ 泥まみれの靴について残っている。

それからは 用心の 上に 用心を重ね注意しながら 下山を続け、1 時半、 I 氏 と O氏が待つ 休憩所 にたどり着く。

下山に 3時間25分 もかかっていた。

「 甘露泉名水 」 で 口を うがいして 洗浄し、顔や手を洗い、 川の流れに入って 靴 と ズボン の泥を粗い流し 2人が差し出してくれた チョコレート の菓子で 空腹を癒し、達成感に 満足していると そこへ K氏 と Tさんが元気に 下山してきた。

みんな揃ったので 宿屋に 電話して バンで 迎えに来てもらい「うめ屋 」 に無事に帰り着く。

早く 入浴し、 汚れた 靴や ズボンを 洗濯して乾燥しなければならない。
玄関脇の 水道で 靴の 泥を 落とし、 古新聞を詰めて玄関の隅に置く。

洗濯物を携行し 入浴の 支度をして 町の 温泉まで車で送って 貰う。

入り口左の コインランドリーに ズボン や シャツなどの洗濯物を入れて入浴する。

温泉での 温もりは 昨日より もっと 有り難く感じられ、何とも 言えない 満足感にしたる。

ゆっくりとした 入浴を 終わり、 洗濯機から洗濯物を出して 袋に 入れて 持ち帰る。

帰りの 気分は上々で 宿で 歩いて 帰る。  宿の前の 酒屋で K氏 と アルコールを 買って帰る。

宿の 乾燥器に 洗濯した ズボンなどを セットする。  百円で 1時間、 十分 乾燥出来る はずだ。

念願の 利尻富士登山 を 達成でき、 順調な北海道の旅の 第一歩を 踏み出す ことができ、 安心して21時に 就寝。




★ 7月25日 ( 火、曇り、5日目 )

* フェリーで利尻島から礼文島へ 桃岩展望台見学 (宿泊:オーツク荘 Tel:01638-6-1935)

礼文島

5時半に 起きだし、登山で 濡れた 靴が まだ乾ききっていないので、旅館の 履き物を 借り、 4人で  「ペシ岬」 に登る。  
登り道は まだ 濡れて おり、 所々 滑って 結構疲れる。

展望台から 稚内の [野寒布岬 (ノシャップミサキ)] が霞んで遠望できる。  旅館からの往復に 約45分を要した。

7時、 旅館の 食堂で 朝食。  朝の 散歩で 食欲がでて、 美味しく 食べられる。

出発まで 少し時間が あるので 支度してから片道7-800mの 「夕日ヶ丘」 に みんなで登ってみる ことにする。

頂上の 展望台から 眼下に 見える 「ポンモシリ島」が静かな 海面に 映えて 美しい。

展望台で 一休みし、 同じ道を 歩いて 帰ると丁度旅館を 出発する 時刻の 9時半に なっていた。  往復おおよそ50分の朝の散歩だった。

宿の息子さんが バンで 港まで 送ってくれる。

礼文島の 香深港往きフェリー 「クィーン宗谷」は定刻の 10:05 に 鴛泊を 出航。

後方に 遠くなっていく 利尻富士の 姿を 遂に全景で見ることは出来なかった。

40分間 穏やかに 航海して 定刻の 50分に無事岸壁に 接岸。

港には 利尻島と 違い歓迎の 賑やかさは 無く旅館の迎えも少ない。

港で 「オーツク荘」 の場所を 聞いて 訪ねて行く。  尋ねて 行く 途中、 女性に 挨拶して 島の人口を尋ねると約 3,800 人との 答え。

時間が 早く、 まだ 宿のチェックイン 出来ないので荷物だけ「オーツク荘」 に置かせて貰い、「桃岩展望台(249.5m) 」 に登る ことにする。

利尻島は 利尻山への 登山で 島を 売り出し、一方礼文島は 高山植物の 花が 咲き乱れる島として観光宣伝している だけあって、 平地から高山植物の 花が 咲いており、 展望台へ 登る道の両側は数々の 綺麗な 花が 咲き誇って いる。  しかし、 時期的には 最盛期を 少し過ぎた ものがあったが、「タカネナデシコ」、「レブンシオガマ」、「エゾノコギリソウ」など、 まだまだ 美しい花が一杯涼しい風の中で 咲いている。

往復に 2時間35分 かかって 下山し、 香深の町を昼飯の 食べられる 場所を 探して あちこち歩き、名物の「うに丼」 を食べるか どうかで みんなの話が纏まらず、 結局 「オーツク荘」 の近くの食堂「酒壺」 に入り、 「浜ラーメン (1,100円)」を選ぶ。

エビ や ホタテ貝、 たこ、 わかめ、 ウニ など海の幸が色々入っていて スープに だしが 美味しく出ていて、らーめんの スープを 初めて 飲み干す。

漁港の 一帯を 見学して 回り時間を 費やして、15時過ぎを確認して 「オーツク荘」 の玄関に立つ。

2部屋に 別れて 落ち着く。

食前に K氏、 I 氏、 Tさん と 少し アルコールを頂く。  飲んでいると 時間 の 経過が 早く、 いつの間にか夕食の時間になり、 海の 幸が いっぱいの夕食を 頂く。

食後も また 少し 飲んでいたら、 いつの間にか寝込んでしまう。

夜中に 目が 覚めると テーブルの上には コップなどそのまま。

トイレから 帰って また 知らぬ間に 寝入る。


* 今日の特記事項

(1) ニュースによると 旭川、 札幌 などで床上浸水が発生するほどの大雨。

(2) 低い雲で 利尻富士の 勇姿を 見ることは出来なかったが、雨の影響も 受けず 計画どおり 旅が 続けられる。


「 クィーン宗谷 」:
鴛泊港を定刻の 10:05 に出港し
礼文島の香深港に 10:50 着岸
撮影日時(2000/07/25 11:05)
「 桃岩展望台からの遠望 」:
展望台から見た
利尻島南西部の眺望
撮影日時(2000/07/25 12:28)



★ 7月26日 ( 水、晴れ間から時に雷雨、6日目)

* フェリーで礼文島から稚内へ 旭川を通り旭岳温泉へ(宿泊:白雲荘 Tel:0166-97-2131)

目を 覚ますと 6時少し前。

洗面を 済ませて 階下に 降りて 朝食。

晴れ間の ある天気で 北海道にしては 暑くなりそう。

今朝も 残念ながら 利尻富士の 雄姿は 見えない。

奥さんが 「今日は 主人が 漁に 出ないので港まで送ってやる」 と 云う。  初老の 気弱そうな 主人が フェリーターミナルまでバンで送ってくれる。

列の 後について ターミナル埠頭で 待って いると沖合にフェリー船の 姿が見え、 近づくにつれ それが稚内から 鴛泊へ 渡った時と 同じ 「ニュー宗谷」。

慣れた 手順で 乗船する。  船は 定刻の 8時45分に 離岸する。

2等船室の 床に 横になり、 荷物入れの 囲いに上半身を突っ込んだ姿勢でいつの間にか 眠り込む。

約2時間の 航海の後、 船は 静かに 稚内港に接岸する。

礼文島から 見る利尻富士が 一番美しい 姿を見せてくれると云うが、 中腹から 上を 雲の中にかくしたままで残念ながら 遂に 全姿を 見せてくれることはなかった。

稚内駅前の 土産物屋で 買い物を して、 一路R-40 を 南下し、 北海道中央部に ある 旭岳温泉を目指して進む。

途中、 昼食を食べようと 地図を 頼りに 「道の駅:チニタオトネップ」を探し、 車を停める。

店内には 7-8人 の 客が 入っており、 店員の女性が薦めてくれる 名物の 「チプラソバ (黒蕎麦)」 を注文する。  色の黒い、粘り気の少ない 本物の 蕎麦に似た味で、久し振りに 美味しい 蕎麦を 食べれた気がする。

食事を 済ませて 名寄盆地を 旭川に 向けて田園地帯を走る。

畑には 背丈位に 成長し 白い ヒゲを つけて、今でも収穫出来そうな 実をつけた トウモロコシ や 背丈が未だ その半分くらいにしか なっていない成長中のトウモロコシの畑、 収穫直前の熟れた小麦畑、白い花を つけた ジャガイモ畑、 アスパラガスの畑、白い花いっぱいの 蕎麦畑 が澄み切った 空から降り注ぐ 強い太陽の 光を受けて 広がる北海道らしい田園風景が 広がる。

時たま 作業中の 耕耘機を 見るくらいで、 人影は殆ど 見あたらない。

北海道の 道は その多くが 長い距離を 直線で走るものが多く、 50km の 制限速度にも 拘わらず、大体7-80km で 流れており、 それが さも普通のように感じさせる。

時々、 通り過ぎる 石狩川支流の 河川は どれも昨日の大雨で 増水し、 濁流が 渦巻いている。  ニュースになるくらいの大雨 だったことが理解できる。

美深町で 右折して R-40 から R-275 に入り、朱鞠内湖(シュマリナイコ) に向かう。  説明をみると 昭和 18 年に 発電目的で 造られた人造湖で、昭和 49 年には 道立自然公園に指定され、 湖としては北海道一の 水量を 有し、もし決壊すると 石狩平野の全面が 水浸しになると書いてある。

また 日本の 過去最低気温 -41.2℃ を 記録したのがこの近くと説明されている。

展望台で 小休止して 朱鞠内湖を 後にする。

士別町で 再度 R-40 に復帰した 頃から 激しい雷雨に遭遇する。  I 氏は 特に 気を 配りながら 運転しているのが分かる。

雷雨が 通り過ぎると、 正面から強い 日差しが雲間から射し込んで 急に 車内が 明るくなる。

旭川市に 入って 暫くすると 左側に 「スタルヒン球場」の大きな施設を左側に 見て 左折し、 これまでの南下から 東方に進む。

16時40分、 旭川駅前を 通過、 まだ 旭岳温泉まで約45kmある。

そして 山間部に 入って最後の 15km はカーブの連続で急な 上り坂が 続く。

坂道を 登り始める頃から 雷雨も すっかり 上がり、涼しい風が 車窓から 吹き込んでくる。

旭岳温泉 入り口の 左側に 案内看板があり、今夜宿泊予定の 「白雲荘」 は 200m くらい先の右側にあることが 分かり 安心する。

もうすぐだ。

「白雲荘」は 道路から 少し入った 処に在り、綺麗な建物で、道路に 沿った処の 駐車場に駐車し、 各自 荷物を持って 玄関に入る。

入り口の 時計を 見ると 17時45分 を指している。

宿のマスターから 「生ものが心配なので、 入浴の前に食事を済まして下さい」と云われる。

マスターの 接客態度が すごく気持ち よく、快適な宿泊が期待できそうだ。

マスターの 案内で 5人が 同室に 入る。

荷物を 部屋に 置いて 直ぐに 食堂に 降りる。

食事は 品数が 多く、 美味しい。

冷蔵庫に 冷やされていた 十数本の ワンカップ地酒は全てこのメンバーで 飲みきってしまい、 もうありませんと云う処まで いってしまった。

笑いながら マスターも あきれている。

この施設は 半官組織の 施設らしく 部屋もきれいで、来週はある団体が 合宿に 使用する とのこと。

洗濯したい と云うと 洗濯機、洗剤も 気安く貸して下さり、 ボイラー室を 乾燥に 使わせてくれる。

随分の アルコールを 飲んで 美味しい 夕食を終わる。

大きめな 浴場は すごく透明な 温泉で 真水のような感じ。  湯の温度も 最適で 気持ちよい 入浴を 楽める。

湯上がりに また 酒の席になり、 話が弾んで「格調だ」とか 「品位だ」 とか 熱弁が 続いていると隣から「ドアを閉めて下さい」 と クレイムを貰う。

シューンとなって 話が 静かになると 窓の外は激しい雨が降っていることに 気づく。

23時半 就寝。


* 今日の特記事項

(1) エール・フランス の コンコルドが パリのシャルルドゴール空港を離陸した直後、左エンジンから火を噴き、
  パリ郊外に 墜落 炎上。 114人が犠牲に。

(2) 根室沖に巨大漂流物体発見:後にロシア太平洋艦隊の潜水艦探知装置(Dnestr)と判明



★ 7月27日 ( 木、晴れ、7日目 )

* 旭岳登山、日の出公園、富良野へ (宿泊:ふるさと荘 Tel:0167-22-2612)

4時半起床 直ぐに入浴。

雨が上がって 茶色の岩肌を 空に向けて 尖らしている旭岳の勇姿が窓から 間近に 望める。

ボイラー室に 干しておいた 洗濯物を 取り込み、荷物の整理をして、 朝食を 食べに 階下に下りる。

食事を 十分に 頂いて 宿のみなさんに お礼を云って、8時に車で宿を出発。

昨夜からの 雨で登山道の 下草が 濡れているだろうと思い、短パンの上に 雨着のズボンをはいて登ることにする。

歩いて 300m 位の処にある ロープウエイ駅 有料駐車場に車を置いて 駅に行く。

ロープウエイは 往復で 2,800円。 片道 5-6分。

姿見駅で ロープウエイを下りて 整備された 湿原の花園の中を旭岳を正面に見ながら 約700m 上がると 「姿見の池(標高:1,665m)」があり、 池の前に 立つと旭岳の勇姿が 頭上からかぶさってるように 間近にある。

ここが五合目で、 頂上の 2,291m までの 高度差は 626m しかない。

急速に 天気は回復し、 9時20分 に 登山を始める。  間もなく 雨着ズボンの下は 汗で びっしょり濡れて足にまつわりつき、登りにくいので 山道から少しはずれて 腰を下ろし、靴を脱ぎ 雨着のズボンを脱ぎ去って、 靴を履き直して短パン姿の 軽装になり リュックを背負って再び登り続ける。

大きなリュックに 食料や キャンプ用品などを一杯に詰め込んだ重装備の 7-8人 の1隊が大きな岩を 中心に荷を降ろして 休息している傍を軽く挨拶を交わして登山を続ける。  彼らも短パン姿で 重装備の登山だ。

日射しも 強くなり、 ごろごろしたこぶしくらいの石に進む歩幅をロスさせられる。

2,060mの八合目で 小休止する。

大きな岩陰に 隠れて 生理現象小を させてもらう。  短パンは こんな時に楽チン。

頂上は 目の前の 大きな岩の陰になって 見えないが、振り返ると「姿見の池」 から 旭岳温泉、 旭川方面に開けた眺めは 朝日に照らされて 非常にきれい。

時計を見ると 登山開始から ほぼ1時間を 経過している。

再び 登り始めて 間もなく 頂上に 到達。

五合目から 1時間35分で 頂上に 達したことになる。

頂上は 2,291m で それほど高くないが、 北海道では一番高い山で、利尻富士 と 同様に 日本百名山の ひとつである。  山頂は 広く、なだらかな丘のようになっており、優しい気風の山である。

登山の途中、 軽装で ゴミを拾いながら 我々を追い抜いて行った腕章を付けた監視員に尋ねると、一見 綺麗に見えるが 少し掘りかえすと以前に埋められたゴミが ぞくぞく出てくる との説明。

そういえば 足下にも 石の中からビール瓶の口が覗いている。  自然を大事にして、 汚したくないものだ。

山頂は 無風で穏やか。 気温も快適。

腰を降ろして 昼飯のおにぎりを食べ、 山頂からの眺めを写真に 収め、 40分くらい 過ごす。

11時半、 みんな揃って 下山を 始める。

下山は 足を滑らして 転倒し易いので 登りよりもっと注意を 要する。

「姿見の池」を 通って、 ロープウエイ駅に急ぐ。

大急ぎで 切符を買い、 辛うじて 13時01分 発の下り便に乗り込む事に成功。

北海道の 真夏の 日差しの中を、5人元気にバンに乗り込み、今夜の 宿泊地 富良野を 目指して発車する。

左足 親指に 痛みを 感じたので 靴下を脱いでみると、足の親指と 薬指の 爪が 赤く充血 している。  靴紐を 締め直さずに下山 したのが 原因だろう。途中足先に 圧迫感を 感じていた のを覚えている。

その時、 「 キツネだ。 キタ-キツネ !! 」 運転中の I 氏 の叫び声。

旭岳温泉を過ぎて 間もない 原野地帯を下っている途中のこと、驚いて フロントガラス越しに 前方を見ると10m 位 前方を 左から 右に 細身の薄い 茶色をした キツネが 恐れる 様子も なく歩きすぎているのが真ん前に見える。

こんなチャンスに 恵まれたことは 幸運だ。

「丘のまち 」 美瑛町を 通り過ぎ、 「 ラベンダーの町」上富良野で 「 日の出公園 」 に立ち寄る。  日本一の ラベンダーを 期待して 車を停め 立ち寄る。

残念ながら ラベンダーの痛みが ひどく、 「25日の大雨に 打たれて、 花は 大きな 打撃を受け、申し訳ありません 」 と 筆書きの 謝罪文が張り出されている。

色合い も 香りも 哀れな姿の ラベンダーを見ることになる。

今夜の 宿泊場所は 富良野市の 「ふるさと荘」になっているが場所が 分かりにくく、 途中 車を停めて 電話したり、聞いてやっと 富良野スキー場入り口 右側に「ふるさと荘」 の看板を 見つけ、16時 車を駐車場に停める。

今日は 北海道各地で 30℃を 越す暑い 1日になり、みんな真っ赤に 日焼けした顔 や 腕を お互いに見ながら夕食時の 酒の肴に して今日の 1日を振り返る。

10時を 過ぎる頃、 今夜の 1升瓶の酒 と、昨日の残りのウイスキーが 空になり 話題も尽きて寝ることになる。


* 今日の特記事項

(1) 北海道各地で30℃を超す暑い1日。


「 旭 岳 」:
山の中腹からは 今も
噴煙が上がる活火山
撮影日時(2000/07/27 09:40)
「 旭岳登山道 」:
汗びっしょりになって
中腹で一休み
撮影日時(2000/07/27 10:28)
「 旭岳 山頂 (2,291m) 」:
   高度差 625m を約1時間35分 かけて登り
旭岳山頂に立つ 北側には残雪
撮影日時(2000/07/27 11:05)
「 上富良野 」:
「日の出公園」の周囲は
広大なラヴェンダーの原
(盛りを過ぎていました)
撮影日時(2000/07/27 14:45)




★ 7月28日 ( 金、晴れから曇り、8日目 )

* 富良野からファーム富田を見学して釧路湿原へ(宿泊:民宿のーむ Tel:0154-40-2135)

6時過ぎに 起きだして 布団を 片付け、 階下に下りて朝食を 済ます。

玄関前に停めた車に 荷物を 積み込み、送りに出て 呉れた 主人に さよならを 云って8時出発。  R-237 を 旭川方面へ 約10km 引き返して「ファーム富田」を見学に行く。  ここも 大勢の人で 賑わっていたが、 ラベンダーは昨日の「日の出公園」 と同様に 痛みが ひどく、ラベンダーの美しさを 観賞するまでには いかなかった。

花を観て歩いたり、 メロンを 賞味したり して約50分を過ごす。

再度 R-237 を南下し、 空知川を 渡って 間もなく[東山やなぎ]の分岐点で 左折して R-38 を帯広方面 に進む。

南富良野町で 郵便局を 見つけ 車を 道端に停めてもらい、15万円を降ろし 旅行費用の 支払いをする。お願いして事務所の 中にある 職員トイレを借りる。

清水町を 通り、 10時30分 狩勝峠を 越えるとくねくねと長い 下り坂が 続き、 清水市に入る。

十勝清水 IC から 「道東自動車道」 に乗って帯広市街をバイパスする。

途中、 十勝平原SA で トイレを 済ませ、小休止する。

11時50分 池田 IC で 「道央自動車道」 を下りて一般道 を 南東に 進み、 十勝ワインの 「ワイン城」に寄り、 町営施設の レストランで特徴のある雰囲気 と 味の 唯一の メニュー「ビーフカレー」で昼食。

お土産に 甘納豆 と 甘口の 十勝ワイン を購入。

R-73 から 13時半 豊頃 を 過ぎて R-38 に入り、釧路に向かって 車を 進める。

14時頃、 久し振りに 右側に 海が 見えてくる。

北海道の JR本線は 殆どが そうだが、 単線の根室本線に沿って 北東に 進み、 王子製紙工場前を通過、右斜めに 直進すると 「釧路駅」 と云う標識を発見。

釧路 の 町は 駅の周辺が 根室本線や R-38 に対し、右斜め45度 で交差するように 区画されており、釧路駅まで行くと 大分 寄り道に なることもあり、駅をバイパスして R-38 から R-44 を経て R-391を 根室本線 沿いに 北東に 走って 釧路湿原に行こうと地図判読しながら 進んだ処で、 旧釧路川を釧路川と誤解し、 4km ほど 早く 左折してしまった事が道に迷う原因をつくる。

R-391 に入ると 人は 勿論、車の 往来も 少なくなり、道も狭くなって案内板も 無く、 心細くなってくる。

今走っている この非舗装の 道路は、なんとなく間違っているようなので、 引き返しを 決断、I 氏 の 記憶を頼りに 舗装道まで 引き返して、もう少し北東に進むことにする。

しばらくすると、「民宿 のーむ」 の案内 を左に発見。

細い道を 左折して 根室本線沿いに 引き返すように走ると、やや暗くなりかけた 自然林の中に「細岡展望台」は左に、 「民宿 のーむ」 は右に の案内を発見。

みんな安堵の 歓声。

16時15分 「民宿 のーむ」 前に 車を駐車。

50歳 くらいの 主人の 案内で 2階の 3つの部屋に落ち着く。

I 氏 と 22号室 に入り、 2段ベッド の下にシーツを広げ、 今夜の ベッドを造る。

主人の 説明を 聞いて、 湿原の 方向を 見ると霧も晴れ、 見渡す 限りの 湿原の中を 曲がった流れが川のように 見える。

その向こうには ここから 100km 以上も離れた 雌阿寒 (1,490m)、 雄阿寒岳 (1,370m)の勇姿が 見える。

階下から 「風呂へどうぞ」 の声。

先ず、K氏が 入り、 暫 くして 隣室の O氏が下りてから大分 経ったので、 そろそろ 入れるかなと思い、洗面具を持って 下りて みると、 K氏が 丁度 着替え中で「まだ湯が少ないので外で洗って出てきた」とのこと、O氏は 洗い場で ひげ剃り の真っ最中。

まだ お湯は 半分くらい。  「熱くて入れない」 とのこと。

服を 脱いで 中に入り、 2人で 洗い場の 3本の水道を出しっぱなし にして 洗面器に 水を貯めては風呂にうつす。

30杯 以上の 水を注いで やっと 入れるようになる。

昨日の 日焼けで 腕や 足首や ももが ぴりぴりとしみる。  お風呂では 場所がら 石鹸も シャンプーも 置いてなく、ぬるめのお湯で 身体を 流すだけにする。

今日は そんなに 汗を かいて いなかったので、我慢ができる。

17時から 夕食。 鰻丼、 キャベツ、 レタス、インスタントの澄まし汁、スイカ一切れの簡単な 夕食。

20時30分 から 食事をした 部屋で 「コッタン湿原」など釧路湿原の自然について スライドを 使って主人がブリーフィングして くれる。

これは 宿泊客への 定番サービス とのこと。

この辺りの 所有は 五千坪位の 単位で 所有されており、ここも友人から 譲って貰い 東京から夫婦で来て 経営しているとの話。
ここも やはり約五千坪 あるそうだ。

奥さんの 姿は 結局 見ることはなかった。

天候に 恵まれれば 明朝、熱気球からの 湿原見学が出来るかもしれないとの話。

「ここ一週間、 天気が 悪く 飛んでないが、明日は良いような 気がする」 との話。

部屋の 天窓を 開けて 頭を 出して あたりを見回すと真っ暗な 湿原の中に 2ヶ所 灯りが見える。

その向こうは 雌阿寒、 雄阿寒岳 が在るはずだが何も見えない。

上空は 薄い 霧を 通して 星のきらめきが 見える。  左には 釧路市街の 灯も 見える。

明日の バルーンは 期待できそうだ。

部屋の 灯りを 暗くして 就寝。


「 釧路湿原 」:
自室の天窓から上半身を乗り出し
ミルク色の霧が空から降り注ぐ釧路湿原を一望
撮影日時(2000/07/28 16:45)




★ 7月29日 ( 土、海霧、9日目 )

* 釧路湿原から襟裳岬経由して様似町アポイへ(宿泊:アポイ山荘 Tel:01463-6-5241)

上のベッドから K氏が 起き出す 気配で 目が覚める。

外の 明るさを 見て 起き出す。

天窓を 上方に 押し開けて 湿原から 吹き寄せる少し湿り気のある 新鮮な 空気を 部屋に 取り込む。

外は 深い霧に 包まれ、 遠くは 全く見えない。

「カッコー」 と 小鳥の 鳴き声が 聞こえる。

階下へ 下りて 洗面を 済ませて、 部屋で 柔軟体操。

隣室の O氏が 廊下を通り過ぎるのが 半開きのドアから見えたので 聞くと 展望台の 方へ散歩する と云う。  同行する事にする。

鉄道を 横切ると 右側の 広場には 既に バルーンの準備に5-6人の 青年が 動き回っている。

道路を 左に 入ると 「細岡展望 台」、 「大観望」へと道が続いており、 そう遠くない処にある。

少しずつ 霧が 薄くなってはいるが、 釧路湿原の全貌を見る事は できない。

30分ほど 散歩して 「民宿 のーむ」 への道を引き返す。

広場では バルーンが 半分近く 膨らみ、 ローピングなどの作業が進んでいる。

7時からの 朝食は ホットドッグ 2本 と 紅茶だけ。 ちょっと淋しいが我慢するしかない。

東京から 来て、 昨夜 遅く 投宿したと云う40歳台後半らしい母親 と 20歳台はじめの 娘さん親子が朝食の席で 一緒になる。 2人に 姉妹らしい雰囲気を感じる。

自分自分で 食後の 片づけをして、 出発できるように荷物を車に 積み込み、 バルーン乗り場に 向かう。

空は 薄い 雲だけで 風も弱く バルーンには好都合な天候。

我々の 前に 家族連れの 5人が 搭乗を 待っていたが、彼らの話では「今日まで 3日待ってやっと乗れそうだ」 と喜んで云う。

料金は 約5分間の 搭乗で 一人 1,400円。

バルーン搭乗の チャンスに 遭遇できた 幸運に感謝しながら車に乗車、 8時過ぎ R-391 から昨日迷った釧路市内 を 無事に 通り抜けて R-38に乗る。

空は 完全に 雲がとれて 晴れてきた。

10時半、 吉野共栄 の 交差点で 左に 曲がり R-336 に入り、 海霧 が 出始めた 十勝川 を渡る。

11時、 豊似分岐 を左に進んで 海岸線沿いを走る。

太平洋に 面した 黄金道路沿いの 海岸では 多くの青年が黒いウエットスーツで サーフィンを楽しんでいるのが見える。

音調津の バス停横の 「まるみ食堂」 で 昼飯を食べることにして車を 停める。

軽い 朝食だったので みんな 空腹を訴え、 走りながら食堂を探すが なかなか 見つからず、 やっとたどり着いた食堂。

てんぷら定食 に付いてでた 昆布の佃煮 が 殊の外美味しかったので出るとき 白髪をした 主人に「美味しかったので買って 帰りたいが 何処で売って いるか」 と尋ねると「自家製です」との答え。

店を出てみると 道路に面した 物干しに 海岸から拾って来たらしい肉の厚い 昆布が 5-6本 風に 吹かれて 生乾きで干してある。

店前の 公衆電話で 初めて 百合子に 旅の経過と帰宅予定などを 連絡する。

オンコの沢 トンネル を通り、 右手は松林のなだらかな 小山が 続き、 左手の海は 荒く打ち寄せる波で 茶色に 濁っている。

分岐点を 左に入って 襟裳岬に 向かう。

漁師小屋の 並ぶ 海岸を 過ぎて 襟裳岬駐車場に車を 停める。

13時15分、 車を 降りて 外に出てみると風が予想外に 強く、 海から 吹き上がってくる濃い 海霧で 断崖の 下にある 海面は 見えない。

灯台の霧笛が 耳元で 鳴らされ 耳が 痛くなる。

記念に お土産を 買って、 今夜の 宿泊場所「アポイ山荘」に向けて出発。

襟裳岬を 出発して 日高地方を 西に 進むと霧も晴れて 日差しも 強くなってくる。

もう そろそろ 「アポイ山荘」 の 案内標識が出てくるだろうと 注意しているが それらしい物が全く無いので不安になり、 道沿いの おばあさんに尋ねると「もう少し行くと、 左に 案内が出ている」と教えてくれる。

「アポイ山荘」 は この辺りの 町民の 憩いの場として愛用されていると云う。

間もなく 道の左に 小さな 案内板を 発見。

R-336 を 右に 入り 少し山へ登ると 立派な建物の「アポイ山荘」と 老人養護施設がある。

15時過ぎ 車を 停め、 荷物を 降ろして 玄関に向かう。

一寸した ホテル並の 第3セクター式経営の施設で賑わっている。

フロントでの 手続きを 済ませ、 5人が #212室に入る。

高山植物の 花が 咲き乱れると云う 「アポイ山」への登山は、 今回の 楽しみの 一つだったが、明日のスケジュールを 考え 取りやめる ことになる。

部屋の 整理を 済ませてから 大浴場の 温泉に入る。

温泉は 旭岳温泉と よく似た 綺麗な湯で 湯量も多く快適な 入浴を 楽しむ。

18時、 みんなで 1階の 食堂に 下りて 夕食。  食事は 美味しいが 日本酒は 「越の寒梅」 や「久保田」などが主体で、 一番安い酒でも270cc の瓶が900円 と相当に高いので、 今日は我慢する。

19時から 中日・巨人戦 を TVで 観賞。 残念ながら 6 : 4 で中日が敗れる。

2度目の 入浴を 楽しんでから 就寝。

遂に今夜は 「北海道の旅」 最後の晩になる。  蒸し暑くなかなか寝付かれない。


* 今日の特記事項

(1) 山口市で 16歳の 少年が 「金の使い道を話してくれないので頭にきた」と
  金属バットで 母親を 撲殺。


「 バルーン搭乗 」:
経験のためバルーンに
乗ってみることになりました
撮影日時(2000/07/29 07:35)
「 バルーンからの遠望 」:
バルーンから見た「民宿 のーむ」
撮影日時(2000/07/29 07:40)
「 襟裳岬 」:
濃霧の中の岬に立つ
K氏とO氏
撮影日時(2000/07/29 13:25)
「 歌詞碑 」:
島倉千代子&森進一が唱う
演歌「襟裳岬」の歌詞が書いてあります
撮影日時(2000/07/29 13:30)





★ 7月30日 ( 日、快晴、10日目 )

* 様似町アポイから白老のアイヌ資料館(ポロトコタン) を見学し、昭和新山、洞爺湖、有珠山を経て小樽港へ、フェリー乗船 (宿泊:船中)

6時、 目を 覚ますと 宿の周りは 濃い霧に包まれている。

隣の K氏 の布団は 空で 既に 朝の散歩に 出かけているらしい。

洗面を 済ませ、 短パン姿に 着替えて 散歩に出かける。

玄関から 養老院の前を 左の山手に 上がり 「見晴台」と案内が出ている方に 行ってみる。

散歩道は 牧場の中を 歩き、 3つの 鉄のドアを開閉して行くように なっている。

道の所々に 糞が 落ちているだけで、 牛も馬も姿はない。

約30分歩いて 散歩を 終わる。

和食の 朝食を 美味しく 頂き、 満腹の 満足を得る。

8時30分 「アポイ山荘」 を出発。

R-336 を 海岸沿いに 西北に 走り、 様似町から浦河町 に入ると R-235 になり、 三石町、静内町と 車が進むと 左の海岸線沿いに 陸上自衛隊対空射撃場の看板が見える。

暑い 日射しの中、 迷彩服を 着て訓練に 汗を流している隊員の姿が 柵の中に 見える。

霧が晴れ、 空も 雲が 少なくなって、 晴れ間が多くなり車内の 温度も 上がってくる。

新冠町に 入っても 左側に 海を見ながら 進む。

右手の なだらかな 丘陵は 殆どが サラブレッド牧場に変わり、所々に 馬の姿が 見える。

門別町、 鵡川町 と サラブレッド の養育牧場は延々と続き、 西部劇に 出てくるような処を車は走る。

10時50分、 苫小牧を 通過する頃、また海霧が出てくる。

11時半、 白老町に入り 道端の 住民に アイヌ資料館の場所を聞いて R-36 を引き返し、「ポロトコタン・アイヌ資料館」(入場料:\650) を訪ねる。

約1時間 見学して回る。  みんなで 焼きトウモロコシを食べる。

アイヌ資料館を 出て間もない 竹浦の ドライヴハウスで遅めの昼食を食べる。

午後になって 霧も晴れ、 暑い日射しが 強く照り注いで来るようになる。

室蘭港に 架かる 美しい大きな橋を 左に見て、R-37 を北に進み、 伊達町を 過ぎて 暫くすると、右手に「虻田仮設住宅群」 を発見。  3月末の有珠山噴火で被災した人たちの何人かはいまだに 不自由な生活を強いられているのだろうと思うと気の毒になる。

有珠山の 噴火も 落ち着き、 住民の生活も 普通に還って、近くを通れる と云うので 有珠山の西側を通る道への右折場所を 探して 走っていると、 それらしい交差点で数台の車は 右折しているが、右折進入禁止の標識が出ているので 躊躇しながら 通り過ぎてしまう。

右手前方に 見えていた 噴煙が、 今は後方になって来たので、引き返し、さっきの道を曲がって入る事にする。

数百メートルも 行くと、 完全に 交通止めになっており、それ以上は進めない。

その向こうは 路面が 大きく裂け、 でこぼこに隆起しているのが車内から 見える。

3月31日に 起きた 23年振りの 噴火の 大きさが想像できる。

右折禁止の 標識にも 拘わらず 進入していた車は近所の住民の車 だったのだろうか。

R-37 を更に引き返し 有珠山 と 昭和新山 の間をぬけるR-453 を洞爺湖方面に 進入し、 途中昭和新山で一休みする。

洞爺湖湖岸に 出ると 観光客で 賑わう中を、入れ墨をした若い男たちが闊歩しているのを見る。

道路に 面した 土産物屋 や 旅館の前 には 火山灰を掃き集めた布袋が 積み上げられている。  道路の 左側奥 2-3百メートル の 2ヶ所から濃い噴煙をもくもくと 噴き出しており、 噴火の恐ろしさを今更に感じる。

湖を 右に 見て走り、 R-5 で蝦夷富士 (羊蹄山)とニセコアンヌプリ の間を ぬけて 18時半、ニッカウイスキーの町・余市町にでると、石狩湾の海が見えてくる。

フェリーが 小樽を 出航する時間には 余裕をもって間に合うと 安心していたが、 今夜は 小樽港で花火大会があり、 余市を 過ぎる頃から 車の数が多くなり、港の手前 10km から渋滞が始まり、予定の時間を1時間も オーバーして 20時10分にフェリーターミナルに到着。

ターミナルの 食堂で夕食を 食べようと、 5人で注文して待っていると、 若いウエイターが1人で 先客の団体に 時たま 一皿ずつを 小走りで運んでいる様子が、 どうも 変なので 「どのくらい時間がかかるか」 聞くと 1時間くらい かかりそうだとの回答。

出航に 間に合わなく なりそうなので、 注文をキャンセルし、近くの 食堂に 行き、 どんぶり物で夕食を済ます。

ターミナル食堂の 要領の 悪さを みんなで話題にして、22時30分の乗船までの時間を過ごす。

小樽発の フェリーは 敦賀からの時と 同じ 「すずらん丸」で、部屋も I 氏、K氏と 434号室を 割り当てられる。

往路で 顔見知りになった 若い乗組員が 顔を覚えていて声を掛けてくれる。

台風6号が 九州東方を 接近中で、 進路に 依っては運航に変更も あり得る との船内放送があり、「すずらん丸」は 予定通り 23時30分、エンジンの 振動で床を小刻みに 振るわせながら静かに 小樽港の岸壁を離れ、 10日間 滞在した北海道を 後にする。

先ず、 3階の浴場に 行って 汗を流し、 ウイスキーを少し飲んで眠気を誘い 知らぬ間に 寝入る。



「 ポロトコタン 」:
白老にあるアイヌ資料館の入り口
撮影日時(2000/07/30 11:55)
「 昭和新山 」:
久しぶりに訪ねた
平成の昭和新山の姿
撮影日時(2000/07/30 14:00)




★ 7月31日 ( 月、晴れ、11日目 )

* 西日本海フェリーで敦賀港へ 北陸道、名神高速経由名古屋へ帰宅

カーテンの 隙間から 射し込む 日射しが 眩しく目を覚ます。

時計を みると 7時 少し前、 隙間から 外を覗くと雲一つない快晴で 海も 静か。

I 氏は 既に 起き出しており、 K氏は まだ寝ている。

部屋を 抜け出して 3階の浴場に 行く。

風呂で O氏と 一緒になる。

5人 揃って 8時から カフェテリアで 朝食。

部屋に 帰り、 16歳の 少年が 母親を 撲殺した痛ましい事件の続報を TVで 観る。

デッキに 出てみたが 強い日射しと、熱風に我慢できず、部屋に帰り、 居眠り混じりにTVを 見て過ごす。

13時半、 みんなを誘って カフェテリアに行き昼食。

14時40分、 窓から山が見えるので、画像案内で船の位置を確認すると 佐渡の沖を 航行中。  灯台が 割合 近くに見える。

15時10分には 能登半島、 輪島の沖を 快適に航行中。

18時のニュースによると 台風6号による 南からの吹き込みで、富山では38.7℃ の最高気温を記録したとの事。デッキに出たときの 暑さが 解った。

敦賀に着いたら 食事をしないで 直接 名古屋に直行する予定なので、時間は 早いが 18時半からカフェテリアで最後の夕食を 軽く食べる。

部屋に 帰り、 メモなどして、 荷物も片づけ、降船の準備をする。

台風の影響もなく、 船は 予定通り 20時に敦賀の出発時と同じ岸壁に 接岸する。

降船は 同じように 車両に みんなが 乗車して降りることになる。

誘導に 従って車両デッキに 行き、 車に乗車してから動き出すまで20分近くかかり、 エンジンの排気ガスで息苦しくなる。

前の パジェロについて 上陸。 ターミナルから敦賀ICまでバイパスを通り、21時半には北陸自動車道を名古屋を目指して 軽快に走る。

昼間の暑さも 大分和らぎ 車内に流れ込む空気が気持ち良い。

22時40分、 名古屋駅前に 車を停め、 降ろしてもらい車の旅を全て 終わる。

JR中央線で 春日井駅に出て、駅前からタクシーに乗り込み22時半無事帰着。

予定では 0時を 過ぎるかもしれない筈だったが、2時間も早い帰宅に、百合子や 忠泰君を 北海道出張に送り出しての帰りに我が家に寄っていた 祐子ら親子もビックリ。

一皓君、陸人君は 早速 土産の クッキーに 熱中する。


* 今日の特記事項

(1) 日本海側で フェーン現象。  富山で 38.7℃を記録。



「 僚 船 」:
敦賀に向けて巡航中 秋田沖で
汽笛を鳴らしながら僚船とすれ違う
撮影日時(2000/07/31 14:30)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=



- 以上 -


参考までに 今回の旅行の経費は一人当たり 約 12万 5千円 でした





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