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(平成19年03月22日 作成)
(平成25年01月07日 更新)




第 二 部
( 修 行 の 土 佐 )



[第一部 発心の阿波]

[第三部 菩提の伊予]

[第四部 涅槃の讃岐]


☆ 『 土 佐 入 り

H18/3/31 (金 歩き遍路 9日目) 快晴 日焼け

* 行程:[遊遊NASA](07:10) ⇒ [古目大師](08:35) ⇒ [土佐街道(古道)](09:00〜09:30) ⇒ [東洋大師](11:35) ⇒ [法界上人堂](12:10) ⇒ [仏海庵](12:55) ⇒ [民宿とくます](15:30)

* 歩いた距離:33,5km = (Σ 277.3km)

* 歩数:49,000歩

* 宿泊:「民宿とくます」(徳島県室戸)(\6.500)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


朝食は 06時からバイキング方式の食事でゆっくり時間をかけて美味しく満腹まで頂きました 快調な朝食で今日も元気に歩ける事請け合いです

07:10 出発する時にフロント前を通るとマネージャーさんが歩きお遍路さんにお接待ですとおにぎりの包みを手渡してくれました 室戸への道では全くお店が無いので今日の歩きにはこれが何よりのお接待です

途中、道ばたの梨畑で真っ白い花が満開に咲いていました

へんろ道を歩いて行くと道の右側に大師庵 [古目(コメ)大師] があります これは 「発心の阿波」 最後の大師庵でここから数百メートル先から 土佐の國 に入るのです

国道55号線では [水床トンネル] が阿波と土佐の境界です

[水床トンネル] の手前の喫茶店 「飛行船」 に立ち寄ってトンネルを歩いて通るのはどうですかと様子を尋ねると女主人がトンネルの内部は照明が暗くて、歩道も無い古いトンネルなので歩いて通るのは非常に危険なので古目大師の前をそのまま行く旧道を歩いた方がよいと教えてくれました

その上どうぞと席を引いてコーヒーを飲んで行きなさいと持てなしていただいたのです   ありがとうございました

[古目大師] 前のへんろ道を少し行った左側に 『土佐街道(古道)』 と杉板にマジックインキで書いた案内が立ててあるのが雑草の陰から見えたのです その先の様子を見て少しの迷いは感じたのですが興味と冒険心につられて雑草が生い茂るけものみちらしい小径を踏み分けて入ってしまったのです

その小径を少し入ると最近人が踏みつけたような所もあったり、また5〜6m行ってみると最近は誰も通った形跡がないように雑草がわがままに生い茂っていたりするのです

少なからず不安な気持ちになりながらがも少しずつ奥に踏み入ってしまい、ついに雑草で埋もれた山の尾根まで登ってしまったのです  ますます不安が募りながらも引き返す勇気もなく、ただ少しずつ進んでいるうちにこのまま人里に出てしまうまで前進するより仕方がないと心に決めたのです

その尾根からは下に向かって今度は水の流れていない大きな石がごろごろした渓流に従って下って行く事になったのです   そこには蔦やトゲのある野バラのような小枝が前方を遮りなかなか思うように進めないのです

こんな所で足を滑らせまた左手首でも骨折しようものなら、ここで助けを呼ぶことはできずそれこそ大変なことになるぞと自分を諫めながら両手で生木の枝の助けを借りながら慎重にそして又しんちょうに一歩いっぽゆっくり下って行ったのです

こうして長い時間不安な気持ちのまま下りを続けていると突然情景が変わって落語にでて来そうなみすぼらしい2軒長屋の裏口に出てきたのです

あーあ 助かった   人里に出られたのだ
これは正しく土佐の旧道だ   この道を歩いてみて良かった   そして歩き通して良かった   今となってはこんな素晴らしい経験ができたことが兎に角最高に嬉しかった

その裏口の中では60歳くらいの男性2人が話しこんでおり、こちらに気付いて

 「この裏の道から来たのかね」

と驚いた風で聞くので

 「土佐街道の古道と案内が出ていたので歩いて来たがもっといい道かと思ったが大変な道だった  少しは古道も整備して欲しいですね」

と云うと

 「今はだれも通らないよ  お遍路さんも通ったのを見たことないよ  通らない方がよかったのに」

と2人が顔を見合わせながら応えてくれる

通らない方がよかったと云われても、もう通って来てしまった後の祭りだったのです

でも怪我もしないで無事に通過でき 「土佐街道」 の古道をどうにか歩いて通り抜ける事ができたことは歩き遍路の歴史の一端を知ることができ、今回の貴重な体験の一つとして感謝しながら「阿波の国」を後にしたのです

国道55号が甲浦を通る処では前回と同じように路上でミカンを売っている2人のおばあさんからお接待だと云って6つもミカンを接待して下さり、空の蜜柑箱を借りて腰を下ろし、2人のおばあさんと楽しい雑談をしながらお接待で頂いたみかんを食べて暫く休んでいきました

そこからすぐの処に太平洋を望むように [観音様] が美しい姿で祭られており、そこから眺める太平洋の遠望は最高に素晴らしいからと2人にも勧められ、海から吹き上ってくる涼しい風に吹かれながら観音様の美しい姿を拝み、太平洋の遠望を暫く楽しんでから出発して行きました (10:30)

東洋大師では湯茶のお接待を頂き、今朝 宿を出発する時にお接待で頂いたむすびを食べて昼ご飯にしました(11:15〜11:35)

気がつくと宿を出発してもう4時間が過ぎているのにまだ14kmしか前進しておらず休憩の取りすぎだった事に気づいたのです 今夜の宿までまだ 20km近くも歩かなくてはならなかったのです 大変な事になったとそれこそ大あわてです

それからは心して歩きの速度を早めあまり道草をしないようにして急ぎ足で歩いた結果 [御水谷] を12:10 に通過し、[法海上人堂] を12:50に通過することができたのです
これでそれほど遅くならずに宿に到着できる目処がついたのです

途中、和泉市から来たと云う須山征明さんと云う方と出逢い、山からが水が流れ落ちてくる道ばたの涼しい処で暫く一緒に休憩してこれまでの歩きなどについて雑談したのです 須山さんは今夜は 「ロッジ尾崎」に泊る予定だと云われる

[佛海庵]ではここの歴史を記した案内板を立ち読みして次に向かってまた歩いて行きました(14:05)

15:10 [佐喜浜]を歩いて行くと遠くに[夫婦岩]が小さく見えてきて、6年前の嵐の朝の情景が懐かしく思い出されました

切り立った400m級の連なる山々から太平洋に落ちこんできた急斜面を切り開いて走る国道55号線を歩いていると昔のおへんろさんが 「飛び石、跳ね石」 で死にものぐるいの苦難をしながら次の札所 [最御崎寺]に向かって少しずつ前進して行った当時の情景が偲ばれて、ここを歩く度に涙がこぼれ落ちてくるのです

また、この辺りから太平洋を眺めると自分の視界全部が太平洋になり、地球が丸いことを自分の肉眼で確認することができるのです

今夜の宿の [民宿とくます]には順調に 15:30に到着することができ、早速風呂に入らせて貰いました

3/29 一緒に歩いた沢田さんとまた同宿でした


  * 民主党永田議員のメイル問題で前原民主党代表と執行部全員が引責辞任
  * プロ野球のセ・リーグ開幕



「 古目大師(1) 阿波最後の大師庵 」
(2006年3月31日 : 08:42)
「 古目大師(2) 阿波最後の大師庵 」
(2006年3月31日 : 08:43)
「 甲浦のミカン市場 」
(2006年3月31日 : 10:24)
   

「 先はまだ遠い (R-55の道標) 」
(2006年3月31日 : 10:29)
「 東洋大師(明徳寺) 山門 」
(2006年3月31日 : 11:39)
「 室戸岬 は遙かかなた 」
(2006年3月31日 : 12:20)
   


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☆ 『 金剛頂寺 宿坊

H18/4/01 (土 歩き遍路 10日目) 快晴

* 行程:[民宿とくます](07:00) ⇒ [夫婦岩](07:15) ⇒ [室戸岬](09:45) ⇒ [御蔵洞](09:55) ⇒ [24番 最御崎寺](10:30) ⇒ [25番 津照寺](12:50) ⇒ [26番 金剛頂寺](宿坊)(14:10)

* 歩いた距離:34,9km = (Σ 312.2km)

* 歩数:48,000歩

* 宿泊:「金剛頂寺宿坊」(高知県室戸)(\6,500)
   △洗濯機3台(洗剤有)=\100、乾燥機3台=\100/30分


今朝の[夫婦岩]は静かにたたずんだままで私を迎えてくれ、初めて二つの尖った岩の間にある神社にもお参りすることができました

室戸岬に近い [御蔵洞]も初めての見学で、誰もいない洞の中に入ってフラッシュライトで内部を照らしながらゆっくりと見学できました(09:50〜10:10)

これまでの2回は足が痛くて見学する気持ちにもならず、また時間を取られるのが不安で見学したい欲望を抑え後ろ髪を引かれるように横目で観ながら通り過ぎて行きましたが、今回はためらいもなく見学するのは当然と云った気持ちで見学して行きました

見学を終わって入り口の庵で正座して番をしてた女性に話かけて、ここでの弘法大師が修行された当時のこの辺りの地形の様子などについていろいろ興味深いことを教えて貰いました

[最御崎寺] には室戸岬の東側からの登山道を上り下りとも利用し、山頂では好天に恵まれて岬の灯台も小走りで見学することができました

[津照寺]の参拝を終わり、[金剛頂寺]には14:10 に到着いました

まだ宿坊に入るには時間が早いのでゆっくりと参拝し見学して時間を過ごしました   時間になったので宿坊の玄関を訪ね、4年振りの訪問ですと出迎えの奥さんに挨拶してから 213号室に案内されました 奇しくもこの部屋は前回に泊まった部屋と同じ部屋で懐かしい気持ちでリュックを降ろしお茶を頂きました

ここの宿坊は食事の内容が特に良く他では期待できないサービスが提供されており、洗濯機、乾燥機ともそれぞれ3台が設置されおり 100円ずつで利用できます

夕食に行くとまた東京の沢田さんと同宿になり、奇遇を歓談しながら楽しい夕食を頂く事が出来ました


  * 携帯電話へのデジタル放送を開始(ワンセグ)
  * 小3男子が5階から投げ捨てられて死亡



「 夫 婦 岩 」
(2006年4月01日 : 07:09)
「 室 戸 岬 」
(2006年4月01日 : 09:49)
「 御 蔵 洞 」
(2006年4月01日 : 09:55)
   

「 霊場24番 最御崎寺 仁王門 」
(2006年4月01日 : 10:33)
「 室戸岬灯台 」
(2006年4月01日 : 10:58)
「 霊場25番 津照寺 山門と仁王門 」
(2006年4月01日 : 12:52)
   

「 霊場26番 金剛頂寺 仁王門 」
(2006年4月01日 : 14:13)
   



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☆ 『 終日 雨降り

H18/4/02 (日 歩き遍路 11日目) 出発から大雨 夕方から晴れ間

* 行程:[金剛頂寺宿坊](07:00) ⇒ [不動岩] ⇒ [大師霊場] ⇒ (ドライブイン27)(13:10) ⇒ [27番 神峯寺(H430m)](14:30) ⇒ [ドライブイン27](15:20)

* 歩いた距離:34,7km = (Σ 346.9km)

* 歩数:43,000歩

* 宿泊:「ドライブイン27」(高知県安田)(\6,000)
   △洗濯機(洗剤有)=無料、乾燥機=無料、風呂の湯使用制限なし


玄関の広場は団体さんが雨のなかでの出発のバスに乗り込むため待機しており大変混雑していました 出発する歩き遍路の姿は私以外に見あたらず私は独り出発になってしまいました へんろ道へ入る行き方を奥さんに聞いて降りしきる雨の中に勇気を出して一歩を踏み出して行きました 雨への完全装備をして混み合う玄関を通り抜けて左に行くと直ぐに雑草が生い茂るへんろ道に入り、ズボンは瞬く間にびしょ濡れになってしまったがもうかまっていても仕方ない

土砂降りのなかで大事なことは遍路案内を見落とさないことが一番だ   そして濡れた石畳に足を滑らせて転ばないことだ そんなことに細心の注意をしながらやっと海岸沿いの国道56号線まで迷わずに出ることができた

今夜の宿を予約しておいた [ドライブイン27]に昼過ぎに到着 奥さんに頼んで荷物を置かせてもらい軽い身支度になってもう一度雨の中に出て[神峯寺]に向かう

途中、鳥居を過ぎて上り坂にかかった処で参拝を終わって下りて来たスカイラインが後輪を溝に落として道をふさぎ、双方向の車が動けなくなっているのに出くわした 濃霧の中を車と乗ってた人たちの間をぬけて急な勾配の坂道を急ぎ、[神峯寺]の山門に到着   山門は濃霧に閉ざされてごく近くに来るまで視界には入らなかった

寺務所に着いた時は汗と濃霧と小雨で全身がびっしょりと濡れて白衣が身体にまとわり着いてどうにも気持ちの悪い状態でした

境内は濃霧で数メートル先が見えない有様で不用意に動き回る事は危険な天候状態でした そして流れる霧はますます濃くなって行くような気配なので急いで山門まで引き返し、一言挨拶をして直ぐに下山を始めました

境内では1人の参拝者にも遭遇せず、そして下りの参道では2台の車が上って行っただけで歩いて上って来る人には一人も出合いませんでした 車が上って来たと云うことは先ほどの脱輪事故は既に無事解決したことを意味するのだろう

中腹を過ぎると次第に霧がはれ、小雨が降る中を軽快に下って行き、殆ど下りきって鉄道の陸橋まで来たところで突然強い雷雨が降り出し、今になって急ぐ事はないと橋脚の下で雨宿りをして雷雨が通り過ぎるのを待った

暫くすると空が明るくなってきて風向きも変わり天気は急速に良くなり宿のレストランに着いた頃には雲間から青空も見えるように回復してくれた

雨と深い霧で身体が真まで冷え切ったことを奥さんに話して宿の方に連れていってもらい、早速洗濯機をセットして濡れた衣服を入れてからすぐさま風呂場に行きお湯を流し込みながら風呂につかりました ここの宿では風呂の湯は補充しながら入ってよいことになっているのです 朝から1日中雨の中を歩いて来て真まで冷え切った身体には風呂で温まるのが最高の回復剤です

宿では4人の歩き遍路が同宿することになり、1人は東京の沢田さん、そして他の2人は初めての人で1人は京大の大学院でスポーツ医学を専攻し、その実技体験を兼ねて1日50kmのペースで今日まで歩いて来たと云う学生さん、そしてもう1人は素泊まりを続けながら頑張って歩いている若い女性でした


  * 室戸を過ぎると田植えは大方終わっていた



「 霊場27番 神峯寺 濃霧の中の仁王門 」
(2006年4月02日 : 14:32)
   



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☆ 『 サイクリングロード

H18/4/03 (月 歩き遍路 12日目) 快晴で暑い

* 行程:[ドライブイン27](06:20) ⇒ [旅館かとり](13:45)

* 歩いた距離:30,6km = (Σ 377.5km)

* 歩数:48,000歩

* 宿泊:「旅館かとり」(高知県香美)(\7,350)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


5時に起床し、テーピングなど準備を済ませて宿舎から食堂(レストラン)に歩いて行き、06時から準備された朝食を食べ 20分には国道55号を西に向けて出発しました

出がけに昨夜同宿した素泊まり遍路の彼女に 「ムスビを1つ握ってやって下さい。 途中で必ず追いついて渡してあげるから。」 と奥さんにお願いしてムスビを握って貰う
快く握ってくれたムスビと一緒に袋に入れた数個の飴をお接待ですと奥さんが手渡しながら国道で見送ってくださる

07時過ぎこれから歩いて行く遠い前方にビル街が朝の太陽に照らされて光って見えてきた 地図を見て評定すると安芸市の中心街のようだ

07:45 道の反対側のコンビニで昨夜の彼女(土井さん)が買い物をしているを見つけ、宿の奥さんから預かってきたむすびを宿の奥さんからだと云って手渡し 「ガンバレよ」 と励ましの声をかけて別れる

津久茂町から夜須町まで続くサイクリングロードは 約15km もの長い道のりで今日のような晴れた日には日陰がないのと砂浜の照り返しで余計疲れる

今夜の宿の [旅館かとり] はレストラン、宴会場、結婚式場などと民宿もやっている処で毎度の食事はつっかけを履いて一度外に出て駐車場を通り抜けてレストランに移動し、食事をするのです


  * 途中の桜が満開でした
  * この地方は茗荷の産地で今が最盛期でした
  * 新型ウイルス[ヤマダ・オルタナティブ・ウイルス]発生のニュース



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☆ 『 はりまや橋

H18/4/04 (火 歩き遍路 13日目) 晴れ 夕方から雷雨混じりの雨

* 行程:[旅館かとり](06:30) ⇒ [28番 大日寺](07:45) ⇒ [29番 国分寺](10:15) ⇒ [30番 善楽寺](12:55) ⇒ [BH 香訪苑](14:40)

* 歩いた距離:26,3km = (Σ 403.8km)

* 歩数:44,000歩

* 宿泊:「BH 香訪苑」(高知県高知)(素泊まり\3,900+Inet OK)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、最高のBH


[大日寺]の手前で右折するところを真っ直ぐ行ってしまい 1kmも余計に歩く事になってしまった

今日は日差しが強く暑く、随分と日焼けした

[大日寺]の参拝を終えて退出する処で石段を上って来た土井さんと遭遇し、お互いに激励の言葉をかけて別れる

[国分寺]を出て暫く行った旧道の左に [焼きそば]の看板を出した小さな店を見つけたので休憩を兼ねて中に入ってみました 奥から出てきた奥さんに焼きそばができるかと聞くと直ぐに造れると云うのでお願いして作ってもらい昼食を兼ねて暫く休んで行くことにした

そばを食べてる間奥さんが得意に高知特産の深層水についていろいろと説明して教えてくれ、初めて聞く新しい知識でした 焼きそばも美味しい出来映えで食べ終わると疲れも取れて気力が回復し、また次を目指して元気に歩き始める事ができました

[善楽寺]にお参りして高知市街に入る頃から雨が降り始め、今夜泊まる高知駅前のBHの [香訪苑]に入る頃には雷鳴も鳴って本降りになってきました

[香訪苑]は高知駅からすぐ近くの割安で便利なホテルで、設備もよく利用しやすい宿でした

今夜は夕食を兼ねて [はりまや橋] を見学に行く計画を立てて来たので夕食は買わないでホテルに到着した 急いで風呂に入り、今日の歩きの資料を整理してからフロントに設置されたパソコンを使わせて貰いに1階に下りて久しぶりに Web Mail の削除作業をした

フロントにインターネットに常時接続のノートパソコンが2台準備されており自由に使わせてもらえるのです 大都市のBHには[香訪苑]のようにインターネットに常時接続のパソコンが複数台準備されていて宿泊者は自由に使える宿が多く、旅行者には大変ありがたいです

最近は悪質で」無意味な e-Mail が数多く届くようになり暫く受信しないで放置するとサーバーがイッパイになって受信できなくなるのでそれ以前にサーバーに在る e-Mailを削除してすき間を造る必要があるのです 久しぶりに Web Mail に接続してサーバーをきれいにする事ができたので暫くの間は安心です

外が大分暗くなってきたので傘を差して雨の中を [はりまや橋] の見学に出かけました 雨の雑踏に隠れた実物は想像していた [はりまや橋] とは大分違って小型のレプリカ かと誤解してしまうような飾り物の橋でした

悪い事ですが四国の思い出造りに雨に濡れた赤い橋を歩いて渡ってみました   「四国のみなさんごめんなさい」

その直ぐ近くの[司(つかさ)]と云う土佐料理の専門店に入って鰹のたたきと鯨料理を注文し、日本酒と一緒に本場の味を賞味して来ました これが本場の鰹のたたきかと 味覚本能 と 胃袋 には良い想い出造りになりました

食べ終わって外に出ると土砂降りの雨はますます強くなり膝から下はびしょぬれになって宿舎に帰りつきました この2つは共に高知宿泊の忘れられない想い出になりました



「 霊場28番 大日寺 山門 」
(2006年4月04日 : 07:49)
「 霊場29番 国分寺 仁王門 」
(2006年4月04日 : 10:17)
「 霊場30番 善楽寺 仁王門 」
(2006年4月04日 : 12:57)
   



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☆ 『 桂 浜

H18/4/05 (水 歩き遍路 14日目) 曇り時々雷雨 午後から晴れ間

* 行程:[BH 香訪苑](06:30) ⇒ [31番 竹林寺](08:15) ⇒ [32番 禅師峰寺](10:00) ⇒ [浦戸大橋](12:05) ⇒ [桂浜](12:40) ⇒ [民宿浦戸荘](14:15)

* 歩いた距離:25,1km = (Σ 428.9km)

* 歩数:32,000歩

* 宿泊:「民宿浦戸荘」(高知県浦戸)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


4時半にベッドから起き出し、部屋の朝風呂に入って目を覚ます   これも BH の利点だ

足のテーピングなど出発の準備を終え1階に下りて朝食まで最後のインターネットを楽しむ そして 6時から朝食を食べる(\500)  給仕のおばさんが2人で食事を食べる人は自分だけの特別サービス

フロントで [竹林寺]のある[五台山]への行き方を聞いてホテルを出発する

[五台山]頂上にある公園に着いてから [竹林寺]山門の位置が分からず探し回ってるうちに雨が強くなってきた   近くにあった公園のトイレに入って雨支度を整える

犬の散歩中の男性にやっと出会い山門への道筋を聞いてその通りに緩やかな坂道を下って行くと左側に [竹林寺]の山門を発見   今回は迷う事なくたどりつく事ができた

どうした訳かこれまでの 歩き遍路では [竹林寺]の山門へ行く道が分からないままで山門から正式に入ってお参りできたのは今回が初めだ これまでは裏口らしいところからの参入だったり、竹の垣根を乗り越えて不法侵入したりの参拝だったのです だから [竹林寺]の印象はこれまでなにかはっきりしない漠然としたものでしたが、今回初めて [竹林寺]の歴史と威風を肌で直に感じながら参拝することができました

[禅師峰寺]への道筋は今回は一度も迷うことなく割と容易に到着できました

[浦戸大橋]の手前にある[レストラン太陽]に入って(11:30)生ビールと鰹のたたきの昼ご飯を食べました 暫く休んで雨が小降りになるのを待って出発    [浦戸大橋]からの眺めを楽しみながら桂浜に向かって歩こうと大橋に向かいました

[浦戸大橋]は浦戸湾口をまたぐ海上の大きな橋で交通量も多く、雨は小降りになったのに風は右から左に強く吹き、渡り切るのに随分苦労しました

[桂浜]は私にとって初めての訪問であり、長男が中学生の頃崇拝し、熱中した坂本龍馬の銅像もゆっくり見学したいと思って訪ねて来たのです

また先日(3/12)の盗難事件で石手寺の [訶梨帝母天堂] へお供えしようと息子夫婦から預かって来た大事な2個の石もリュックと一緒に失ってしまったので、その代りにする2つの石をできたら[桂浜]で拾って行きたいと思ったからです

この2つの石は孫の久君の安産祈願のために過日父親が [訶梨帝母天堂]から新しい石を一つ戴いて帰り、その石に安産で無事に生まれた子供の名前とか感謝の言葉などを記し、それに新しい石を1つ添えて再び [訶梨帝母天堂]の前に積み重ねられた石の山に一緒にお供えするためのものです

ところが[桂浜]の海岸には砕石のような角の尖った色の黒い石ばかりで、お供えできるような丸みのある白い石は何処を探してもここでは見つからないのです

仕方ないので [桂浜]で拾って行くのはあきらめ宿舎の [浦戸荘]に向かって歩き始めました その途中にある [長浜花街道海岸]では見つかりそうなのでもう一度砂浜に下りて適当な石はないかと探して歩きました

これならいいと思える大きめの石と小さめの石の2個を拾い上げ、手提げに仕舞って宿舎に向かいました

[浦戸荘]では自分以外の宿泊客に港湾関係の仕事で出張で来ている人たちが5人宿泊しており、夕食では彼らと一緒になりました

宿の奥さんは気さくな方で部屋のテレビは自由に観ることができるが、エアコンは 2時間/100円 の有料になっていました



「 霊場31番 竹林寺 仁王門 」
(2006年4月05日 : 08:18)
「 霊場32番 禅師峰寺 仁王門 」
(2006年4月05日 : 10:00)
「 浦 戸 大 橋 」
(2006年4月05日 : 12:06)
   

「 桂 浜 」
(2006年4月05日 : 12:43)
「 坂本龍馬の像 」
(2006年4月05日 : 12:46)
   



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☆ 『 宇 佐 大 橋

H18/4/06 (木 歩き遍路 15日目) 快晴 暑く日焼け

* 行程:[民宿浦戸荘](06:30) ⇒ [33番 雪蹊寺](08:20) ⇒ [34番 種間寺](08:30) ⇒ [35番 清滝寺(H130m)](11:05) ⇒ [宇佐大橋](13:35) ⇒ [36番 青龍寺(H140m)](13:35) ⇒ [国民宿舎土佐](14:55)

* 歩いた距離:34,5km = (Σ 463.4km)

* 歩数:49,000歩

* 宿泊:「国民宿舎土佐」(高知県土佐)(素泊まり\2,500=2段ベッド4個セットの8人部屋+Inet OK)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\200/30分、浴衣=\300


06:00 から朝食を食べ、06:30 宿を出発し[雪蹊寺]を目指して歩きました 空は快晴で肌寒いくらいの爽やかな海風を受けながら歩いていると前方に見覚えのあるリュック姿が歩いているのです やはり土井さんでした

[大日寺]で別れて以来の再会で、あれからのことなどを話し合いながらしばらく一緒に歩いて行きました

朝方涼しかったので長袖シャツを下に重ね着をして出発したが歩いていると大分汗ばんできたので [種間寺]の手前で、長袖を脱いで白衣とTシャツだけの薄着に着替え、また元気を取り戻して歩き始めました

[種間寺]の参拝を終わり山門の陰で腰を下ろし土佐文旦を2個平らげ、さー出発しようと立ち上がった処に土井さんが元気に到着してきました 自分のペースで一歩一歩歩いてくる彼女のお遍路の姿に見習うものを感じました
   * 帰宅後、彼女から「43日間の通し歩き遍路で無事に結願できた」とメイルで知らせてくれました。(H18.05.09)   おめでとう。

[仁淀川大橋]から[清滝寺]までのへんろ道は新しくできたバイパスの方は車両の通行量が増えて分かり難くくなっており、一方前回歩いた旧道の方は商店街の車が走るだけで歩きやすくなっておりました

[青龍寺]手前の浦の内湾をまたぐ [宇佐大橋]は大きくて最高に美しい橋です 欄干からは底まで透かして見えるきれいな海でアサリ採りをしている漁船を眼下に見ながら快風を受けて歩いて渡るのは最高に気持ちが良く、毎回この橋を歩いて渡るのが楽しみです

今夜の宿に選んだ 「国民宿舎」には初めての宿泊ですが、ここへ行く道は [青龍寺]の納経所裏から [奥の院]へ通ずるへんろ道が険しい坂道ですが最短で 歩き遍路の歴史を感じさせるルートです   ただ雨降りの日には滑りやすい危険な所が各所にありますので注意が必要です

14:55 汗びっしょりでフロントに到着し、鍵をもらって部屋に行くと2段ベッドが4つ入った部屋でした   値段相応の部屋でたまには結構な部屋でした 当日は通常の部屋は予約が取れず素泊まり\2,500の部屋しか無かったのです

床には1人分の私物が乱雑に広げられ、誰か宿泊している様子です 残りの7つは空いておりその1つに装具を置き早速露天風呂に入りに行きました

床に私物を広げたまま外出していた青年(20歳前後)が夕方になって、今日はバスを乗り継いで[桂浜]に遊びに行っていたと云って帰って来たのです

2人で話していると彼も小牧市から来ていることが判り、奇遇に驚きながらも急速に親近感が湧き、お互いのここまでの旅の様子などを寝るまで話し合って過ごしたのです

洗濯機、乾燥機(各\200)は地下に設置され自由に使用できます

インターネットが可能なパソコンが2台設置してあり自由に利用できます 早速インターネットを利用させて貰いました



「 霊場33番 雪蹊寺 入り口石柱 」
(2006年4月06日 : 07:08)
「 霊場34番 種間寺 山門 」
(2006年4月06日 : 08:33)
「 霊場35番 清滝寺 山王 」
(2006年4月06日 : 11:09)
   

「 霊場35番 清滝寺 仁王門 」
(2006年4月06日 : 11:19)
「 宇 佐 大 橋 」
(2006年4月06日 : 13:39)
「 霊場36番 青龍寺 仁王門 」
(2006年4月06日 : 4:16)
   



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☆ 『 美 島 商 店

H18/4/07 (金 歩き遍路 16日目) 快晴で暑い1日

* 行程:[国民宿舎土佐](06:00) ⇒ [宇佐大橋] ⇒ (美島商店) ⇒ [仏坂岩不動] ⇒ [別格5番 大善寺](13:00) ⇒ [焼坂トンネル] ⇒ [大谷旅館](14:40)

* 歩いた距離:36,2km = (Σ 499.6km)

* 歩数:54,000歩

* 宿泊:「大谷旅館」(高知県中土佐)(\7,200)


[国民宿舎]からの出発ルートは昨日の奥の院コースを逆に下るのは日の出前で山の中はまだ薄暗いので少し危いと思い距離は大分長くなるが車道を選んで涼しい空気を感じながら軽快に下りて行きました

早朝の [宇佐大橋]はまた格別に美しい橋でした 橋の欄干は [浦戸大橋]と比べて低く、乗り出すと上半身が水上に出てそのまま誘い込まれそうな危険を感じます

朝日に光る浦の内湾の海面を見ながら歩いて行くと道の左に懐かしい [美島商店]があります

6年前のとき立ち寄って買い物をしたら店の奥さんが心のこもったお接待をして下さり、4年前はその時のお礼を一言云って行きたいと立ち寄ってみたのですが早過ぎてまだ就寝中らしく家の中が暗かったので感謝の合掌をして前を通り過ぎて行ったのです

店の前に来ると奥さんの姿が見えたので今度こそ一言お礼を云って行こうと玄関先で声をかけると

 「朝ご飯をお接待しますから、お急ぎでなかったらお掛けになってお待ち下さい」

と招き入れられ、ご好意に甘えて出来上がるのを新聞を読みながら待たせてもらい、奥さんは愛想をしながら目の前の小さな炊事場を忙しく動きまわり間もなく温かいご飯とみそ汁に卵焼きの朝食を造って下さり、熱いお茶と一緒に素晴らしい朝ご飯をご馳走して下さったのです

優しそうなご主人も近くで愛想をして下さり、歩き遍路の私を2人で精一杯のお接待をして下さったのです お陰で元気いっぱいになりまた次を目指して歩いて行きました

温かいご好意に心から感謝します   有り難うございました

横波分岐からはこれまでの2回は [仏坂岩不動]を通るコースを歩いて来ました今回は [鳥坂トンネル]を通るR-23のコースを歩いてみることにしました
このトンネルは特に支障なく歩けました

別格5番の [大善寺]は街の中にあり山門のないお寺の一つです
住職から [角谷トンネル]は歩くのに全く問題がないと教えられました

これまで暗くて歩道が狭く長い危険なトンネルだと認識していた [焼坂トンネル]は照明が改善されて大分明るくなり歩き易くなっていたのです
しかし中には照明を点けずに走り去る車もありこれには用心が必要です

宿の手前の西岡酒造で地酒の [純米酒久米](720cc \1,050)を買って [大谷旅館]にチェックインしました


  * 民主党代表に小沢一郎氏を選出


「 別格霊場5番 大善寺 街中のお寺 」
(2006年4月07日 : 13:03)



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☆ 『 七子峠 と 熊井トンネル

H18/4/08 (土 歩き遍路 17日目) 快晴で風が強く黄砂が舞う 日焼け

* 行程:[大谷旅館](05:00) ⇒ [七子峠(H293m)](R-56経由)(07:10) ⇒ [37番 岩本寺(H210m)](10:25) ⇒ (片坂へんろ道) ⇒ [熊井トンネル](15:20) ⇒ [民宿さかうえ](14:40)

* 歩いた距離:41,5km = (Σ 541.1km)

* 歩数:62,000歩

* 宿泊:「民宿さかうえ」(高知県佐賀)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=なし、屋上の物乾し場使用


食堂のテーブルには昨夜頼んでおいたムスビが3つ準備してあり、それらを急いでほおばり 05:00 薄暗い中を国道56号線を七子峠に向かってゆるやかな長いながい坂道を上って行ったのです 過去の2回で [久礼・大坂谷コース]、[そえみみず遍路道コース]を歩いているので今回で3つのコース全てを歩いたことになります

[七子峠]を越えると今度は [岩本寺]に向かって国道をただひたすら下って行くのです

[仁井田郵便局]に立ち寄り軍資金をおろしてリュックに仕舞い、道の向かいの [JR仁井田駅]でトイレを借りようと訪ねたところ駅舎はあるものの既に廃線の廃駅となりトイレも取り壊されて無いのです  もう我慢できずに大急ぎで藪の中に駆け込んで行きました

[岩本寺]に参拝のあと門前の和菓子屋で桜餅を1個だけ注文して食べて行きました 私には初めての経験ですが、その[桜餅]の桜の葉っぱが飴色ではなく緑色なのです 店の奥さんの話ではこの辺りでは桜餅はみなこんな感じの青い葉を使うのだそうです

[片坂へんろ道]は勾配が非常に急な下り道で進みは早かったです

遍路道を下り終えて[市野瀬]に出てからは川を挟んで国道6号の反対側の道を歩いて行くと自然に国道に合流します

[伊与喜]では56号線の東側の旧国道を歩くと [熊井のトンネル]を通ることができます   一度は通ってみて下さい

[民宿さかうえ] での食事は夕食、朝食ともなかなか進まなかった 歩き遍路さんの宿泊にはどうかと感じた


  * 神戸空港に28歳男性の4駆が侵入し暴走



「 国道56号線経由で七子峠に到着 」
(2006年4月08日 : 07:09)
「 霊場37番 岩本寺 仁王門 」
(2006年4月08日 : 10:27)
「 熊井トンネル 」
(2006年4月08日 : 15:21)
   



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☆ 『 四万十川大橋

H18/4/09 (日 歩き遍路 18日目) 快晴で風が強く日焼け

* 行程:[民宿さかうえ](05:00) ⇒ [入野分岐] ⇒ [波供養](08:15) ⇒ [双海分岐] ⇒ [四万十川大橋](11:45) ⇒ [津蔵渕合流点] ⇒ [真念庵分岐](13:10) ⇒ [旅館安宿](14:30)

* 歩いた距離:44,3km = (Σ 585.4km)

* 歩数:58,000歩

* 宿泊:「旅館安宿」(高知県下の加江)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


夕食が不味くて食べられなかったので朝食はおにぎりにして欲しいと昨夜の内にお願いして就寝した 1階のテーブルの上のおにぎりが準備してあり、それを急いで食べて早々に海沿いの薄暗い国道を南に向かって出発する (05:00)

[井の岬トンネル]を06:30通過

[浮津接待所]の前を通り過ぎようとするとそこの主人から 是非ぜひ と招き入れられ甘いコーヒーをご馳走になりました

そこから遠くない処にきれいな砂浜の[入野海岸]があります

天気もよく波も静かで砂浜も波に洗われたままにすごくきれいな様子なので、今回2度目の [波供養]をして行こうと海辺に下りて行きました

両親の戒名と叔父、叔母の俗名を砂面に書いて感謝の言葉と安らかな永眠を祈りました

[田の浦海水浴場]では大勢のサーファーが波間で大波にゆれて遊んでいるのが遠くに見えました

[田浦海水浴場]から [双海分岐]を経由して [四万十川大橋]への道を歩いて行ったが、その途中で何度も道に迷い行き会う人に道を聞いてやっと [四万十川大橋]が見える処まで辿り着く事ができました

橋の手前のコンビニで菓子パンと牛乳、缶ビールを買い込んで公園のベンチで食事をしていると、犬の散歩に来ていた地元の男性が近づいて来て歩き遍路についてあれこれと聞かれ暫く雑談して過ごしました

[四万十川大橋]を渡りきった処で目の前に1台のタクシーが停まり、窓を開けて「これ接待です」とミカン2個を差し出しながら

 「家族はいないのか」、「子供は居るのか」

などと私の身元を案ずるような事を問いかけてくるのです 老人が独りで四国を歩いているのをみるとその陰には人に言えない不幸が隠れているのだろうかと想像して聞いてきたのでしょうか そして

 「日本をよくしてや」

と云って手を振って発車して行きました   心のなかで さよなら と小さく応えて走り去るタクシを見送って別れた

[真念庵]分岐手前の [伊豆田トンネル(L1,620m)]は照明も明るく歩道もしっかりして安心して歩けるトンネルです

14:30 [安宿]に到着 出迎えてくれた若主人が早速、洗濯と入浴を勧めてくれ、洗濯物をもって風呂場に下りると洗濯機と乾燥機の使い方と入浴と組み合わせた手順について詳しくブリーフィングをしてくれるのです それは

入浴前に風呂場にある洗濯機(洗剤込みで無料、乾燥機は100円/30分)に洗濯物をセットして風呂に入り、入浴を終わって洗濯物を乾燥機に移し、次に入浴する人に連絡する

次に入浴する人は同じ手順で入浴と洗濯をしていくのです 入浴の順番は宿に到着した順で、全員が順序よく効率的にスムーズに済まされていくのには感心させられました

また、風呂は有り余る間伐材を薪にして燃しているのだそうで何時も水で薄めながら入浴でき、多くの人が入れ替わり入ってもお湯がきれいなままでした この仕事を主人が専用で担当してるようでした

食堂兼務の民宿なので食事も美味しいかったです


  * 強い黄砂のあらし



「 波供養 入野海岸で 」
(2006年4月09日 : 08:18)
「 四万十川大橋の袂で昼食 」
(2006年4月09日 : 11:35)



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☆ 『 台風なみの 暴風雨

H18/4/10 (月 歩き遍路 19日目) 小雨

* 行程:[旅館安宿](06:30) ⇒ (民宿旅路)(08:30) ⇒ [窪津漁港](10:00) ⇒ [38番 金剛福寺](12:10) ⇒ [足摺岬灯台](12:30) ⇒ [窪津漁港] ⇒ [民宿旅路](16:00)

* 歩いた距離:41,6km = (Σ 627.0km)

* 歩数:59,000歩

* 宿泊:「民宿旅路」(高知県以布利)(\6,000)
   △洗濯機=無料、乾燥機=なし


朝テーピングしようとしてナイフが見あたらない 多分一昨日泊まった[民宿さかうえ]で朝のテーピングのとき取り出して仕舞い忘れてきたのだろうと思う

今にも降り出しそうな天気なので傘を手に 06:30 [安宿]を出発

08:30 今夜お世話になる [民宿旅路] に到着 奥さんは外出中で主人が1人で留守番中だった

リュックに必要な物だけを詰め替え軽装になって 08:40 [足摺岬]を目指して出発

[旅路] から海岸に出て[以布利漁港]を通る遍路道を歩く 1回目の時は親父さんがバイクに乗って案内してくれ、2回目の時は奥さんが途中まで一緒に歩いて案内してもらったが今回は独りで記憶を頼りに漁港を通るコースを歩いて行きました

10:00 [窪津漁港]に到着 港の喫茶店でモーニングコーヒーを注文する コーヒーに みそ汁、ゆで卵、野菜サラダ、トーストがついてくる

隣でコーヒーを飲んでいた中年の女性がここらではトーストに砂糖をかけて食べるのが普通だと教えてくれ彼女自身も砂糖をかけて食べている 教えられたように真似して食べてみたが疲れて糖分を必要としてる身体には格別に美味しく食べられました

12:10 [金剛福寺]に到着 今にも降り出しそうな空模様ながらどうにか降らないままで保っていてくれるのがありがたい

最初に山門を撮してから帽子を脱いで礼拝し本殿と太師堂の参拝に向かう

参拝を済ますと山門の前から真っ直ぐに行く道を大急ぎで歩いていき [足摺岬灯台]を見学してきました 眼下に見える海面は低気圧の影響で大波が恐ろしいように岩にぶち当たって荒れ狂っているのです 周囲には人影が全くなく、強風に飛んでいくビニール袋のように太平洋に吹き飛ばされはしないだろうかと不安な気持ちになり、早々に引き返してきました

[金剛福寺]を後にして今夜の宿 [旅路] への帰路を急ぎました

国道から[以布利海岸]へ向かう分岐点で 東京の沢田さんと北海道の高田さんの2人にまた出合いました 彼らは今夜はユースホステルに泊まる予定だと云っていました

[旅路] に到着する直前から雨脚が急に強くなり、大濡れになる前に急いで宿に走り込みました 今朝出発する時、テレビで大雨(150mm〜200mm)になる予報が出ていて心配していたが、本降りで濡れてしまう前に宿に到着できたのは幸いでした

今夜は東京から来た6人の青年たち (NGOの皆さん)と一緒になり賑やかな夕食になりました

明日は [延光寺] 近くの [S旅館] を予約しているが、今もこんな風雨では山間部を通るへんろ道を歩いて安全にたどり着けるだろうかと心配になってくる 天気予報では明日の午前中までこのような風雨が強いままで続くと云っているのです

夕食が終わった頃から強くなり始めた風雨は次第に台風並みにまで発達して、夜通し裏の竹林が騒ぐ音でなかなか寝付かれませんでした



「 霊場38番 金剛福寺 仁王門 」
(2006年4月10日 : 12:10)
「 足摺岬の灯台 」
(2006年4月10日 : 12:30)
「 足摺岬の荒波 」
(2006年4月10日 : 12:31)
   



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☆ 『 10kmだけの 前進

H18/4/11 (火 歩き遍路 20日目) 夜来の暴風雨 午後から小雨

* 行程:[民宿旅路](11:50) ⇒ (民宿久百々) ⇒ [旅館安宿](14:15)

* 歩いた距離:10,0km = (Σ 637.0km)

* 歩数:14,000歩

* 宿泊:「旅館安宿」(高知県下の加江)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100


夜通し続いていた風雨の音で早く目覚め、とても出発できそうな天気ではないと判断し、風雨が少しは治まるまでこのまま宿に滞在させてもらえるようにお願いする
天気予報では昼過ぎには回復するだろうと予報している

[S旅館] に 「こんな天候で今のところ出発できそうにないので今日の予約をキャンセルさせて欲しい」 と一番に電話する

7時のテレビニュースでは関西地方での大雨を報じている 今年の天候は季節はずれに暑かったりまた急に寒くなったりして異常気象ばかりが続いている

NGOの皆さんは確定した1週間のスケジュールで来ており、装備もしっかりした準備をして来ており予定の時間に豪雨の中を連れだって出発して行った   宿には自分だけになってしまった

天候の回復に気を配りながら折角の余裕時間ができたのでメモ帳の資料を整理してノートに書き写したりして時間を有意義に使って過ごす

10時過ぎになると予報通りに風雨も静かになり、西の空が気持ち明るくなって来たようだ    奥さんと相談して少しでも前進した方が良いだろう云うことになり、[旅館安宿]の予約が取れれば10kmでも進出しておこうと出発の支度にとりかかる

奥さんが[安宿]に電話をかけて今夜の宿を頼んでくださる   予約が取れたと奥さんが知らせてくれる

空も明るくなり、雨もすっかり小降りになってきたので早めの昼食をお願いする 奥さん自慢の自然食ラーメンを造って食べさせて下さる

忘れ物がないようもう一度部屋に見回し、歩き支度を整え、傘を右手に11:50、 10km先の [安宿]に向かって出発する 奥さんが国道まで出てきてバナナ2本と菓子、飴などを袋に入れてお接待ですと手渡して送り出して下さる このころには風雨はすっかりと落ち着いてきた

今日の浜道は川の水量が多く歩いて渡れる状態ではないのでそのまま国道321号を北に向かって歩いて行くことにした

右下に広がる太平洋ははるか遠くまで白波がたち、海岸線の岩場で砕け散った荒波の飛沫が海からの強い風に乗って塩辛さをここまでも運んでくる

暫く歩くと雨あがりの新緑に雲間からの薄日がさしてまぶしいくらいに輝きはじめ、気分も足取りも軽くなってくる

途中、[久百々]の奥さんに過去の2回の歩きでお世話になったお礼を云って行こうと思い、玄関に立ち寄り 「ご免ください」 と大声で呼んでみたが返事がない 何度大声を出しても返事が返ってこないので、納札に突然の訪問をメモ書きして残し、[安宿]目指して歩く

[下の加江橋]にさしかかる手前辺りで後方から「ヒダカさーん」と呼んでる声が聞こえた 振り向くと車の窓から手を振って [久百々]の奥さんの車が近づいてきていた

「奥に居たのになぜ聞こえなかったのだろう」、 「玄関のメモを見つけ大急ぎで追いかけて来た」 と車から降りて来られ、しばらくホームページの更新や前回お世話になった時のことなど懐かしく話し、土佐文旦、バナナ、飴など入れた袋包みをお接待だと云って手渡して下さる

お礼を云って奥さんの車を見送ってからまた [安宿]を目指して歩いて行く

14:15 [安宿]に到着 早速案内されて一昨日と同じ手順で洗濯と入浴を済ませる

夕食までの時間を明日の計画や資料の整理などをして、久しぶりに開脚など筋肉のストレッチをして身体をほぐし気分転換をする   久しぶりの開脚は身体もびっくりしたようで気持ちがよい


  * 拉致被害者・横田恵さんの夫とされる男性は韓国拉致被害者のキムヨンナム氏である事がDNA鑑定で確認された



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☆ 『 船 ヶ 峠

H18/4/12 (水 歩き遍路 21日目) 朝から晴れて暑い1日

* 行程:[旅館安宿](06:15) ⇒ [39番 延光寺](13:00) ⇒ [米屋旅館](14:15)

* 歩いた距離:39,7km = (Σ 676.7km)

* 歩数:56,000歩

* 宿泊:「米屋旅館」(高知県宿毛)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=なし


昨夜は低気圧が通過して南からの吹き込みで蒸し暑くなり朝方まで窓を開けたまま寝てしまった

06:15 快晴の好天のなかを [延光寺]に向かって出発 少し歩くと額からも汗が吹き出してくる

07:50 三原村境界線近くの [河内神社]前を通過

[長谷谷橋]を過ぎて1km 余り入った処で畑仕事をしている男性に

 「船ヶ峠は(前方の峰を指しながら)あの辺りですか?」

と尋ねると

 「あーそうだよ  一番近い道を教えてあげるから 紙とペンを」  出せと云われる   遍路地図の[別冊]とボールペンを差し出すと

前方に見える三叉路を指さしながら(そこには直進方向は [平田]、左折すると [下川口]の道路案内の標識が見える)

 「従来はあそこの三叉路を直進して [来栖峠]を通って [船ヶ峠]に出ていたが  今はその向こうに新しくトンネル (来栖野トンネル) が出来たのであそこを左折して川沿いに行くと間もなく右側にトンネルがある」

 「そのトンネルを通り抜け、出た処で左に曲がり、旧道を行って [役場]の前を通ると直ぐに [船ヶ峠]に出られる。  これまでの [宗賀]を通るルートより大分近くなったからそっちを通った方がよい」

 「ボクはNGOだから嘘はつかない。」 と熱心に勧めて下さる

この先の三叉路を [下川口]方面に左折し、道なりに川沿いを行き、 [皆尾]を通過しそのまま約1kmも行くと右側にトンネルの入り口が見えてきた トンネルの入り口は垂れ下がった新緑の枝に隠れそうにして見えた

この [来栖野トンネル(540m)]は中央部が高くなっていて、入り口から反対側の出口を見るとトンネルの上の一部が半円形に僅かに見えるくらい縦にカーブしたトンネルで勾配のきついトンネルです 歩道も広く照明が明るいので大変歩きやいトンネルで [船ヶ峠]への距離も大分短縮されます

[三原村役場]や [農協]などの前を通って行くと間もなく [船ヶ峠]に到着できました

峠から暫く下って行くと道の左側に地元のボランティアの皆さんが造営して営業を開始したばかりのログハウス「清水川荘」が建っており、大きな看板も出ておりまだ作業も続いておりました

[梅の木トンネル]と[黒川トンネル]の間に青い水を深々と蓄えた [蛍湖]と云うダム湖があり、その上をまたぐ大きな橋を渡って歩いて行きます (11:20)

[延光寺] 手前のコンビニ [スリーF]でパンと牛乳、ヨーグルトを買って日陰に腰を下ろして昼食にしました

13:00 [延光寺]に到着   山門を写真に納め、本殿と大師堂を参拝しました

今夜の宿を宿毛の [米屋旅館]に予約がとれたので、国道56号を西に宿毛市街に向かって暑い日差しの中を歩いていきました

途中、なかなか食堂が見つからないまま歩いて行くと道の右側にレストラン [鶴亀]を見つけ水分補給と遅い昼食を取ることにしました 日照りが強いので大分ばて気味になって歩いていたのです

14:25 宿の [米屋旅館]に到着   部屋に通されて先ず真っ先に洗濯器の場所を聞いて洗濯をさせて貰いました 乾燥機を聞くとここには設置してないので部屋に張ってあるロープを使って干して欲しいとのことでした

    洗濯機は自動で洗剤も準備され無料で使わせてもらえましたが、乾燥機が無いのは今日のように好天日にはかまわないが
    雨の降る日には乾燥機がないと 歩き遍路は困ってしまいます



「 霊場39番 延光寺 仁王門 」
(2006年4月12日 : 13:03)



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