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(平成19年03月22日 作成)
(平成25年01月07日 更新)




第 三 部
( 菩 堤 の 伊 予 )



[第一部 発心の阿波]

[第二部 修行の土佐]

[第四部 涅槃の讃岐]


☆ 『 下 痢 6 回

H18/4/13 (木 歩き遍路 22日目) 朝から冷たい雨と強い風

* 行程:[米屋旅館](06:25) ⇒ (R-56経由) ⇒ (土佐から伊予)(08:10) ⇒ (R-56経由) ⇒ [40番 観自在寺](11:50) ⇒ [かめや旅館](15:20)

* 歩いた距離:33,7km = (Σ 710.4km)

* 歩数:52,000歩

* 宿泊:「かめや旅館」(愛媛県内海)(\6,000+Inet)
   △完全自動洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、靴乾燥機もあり(無料)、最高の宿


冷たい雨が降る中を 06:25傘を差して宿を出発する

今日はいくら歩いても全然温まらず身体の真から冷え切って腹具合が悪くなり1日中下痢腹に悩まされ続ける コンビニのトイレや道ばたの藪の中に飛び込んでは下痢処理をしながら歩き続ける 昨日まで腹中健康そのものだったのにどうした訳なのか今朝出発してから急に下痢腹に急変したのです 朝の食べ物の何かに当てられたのかもしれないと考えてみるがどんな物を食べたのかさえこの年になると逐一正確には思い出せない いや、不正確にでも無理な時が多い   困ったものだ

08:10 R-56は峠を越えてついに 「修行の土佐」から 「菩提の伊予」に入った

過去の2回は番所跡から [松尾峠]へ上るへんろ道を経由して伊予の國に入っていたが今回は天気も悪く別のルートの国道56号を経由して [篠川橋]で県境を越えて伊予に入ったのです [一本松町役場]までは国道を進み、そこから札掛、満倉へ進むルートを歩いて 11:45 40番の [観自在寺]に到着 本堂、大師堂に参拝して 12:15 [観自在寺]を後にしました

今夜宿泊をお願いした [かめや旅館]に15:20到着 若奥さんが出てこられ玄関前で 「写真を撮らせて」  と云われ到着したときのスナップを撮ってもらいました
その写真はカバーされて後から手渡してくれました

当日は食あたりですっかり腹具合が悪くなりコンビニや道ばたの藪の中などに6回も排便 (野糞、否、野下痢) をしてきたのです

宿に着いてまず若奥さんに

 「今朝から腹具合が悪く下痢腹です  夕食はおじやを造って頂けませんか」

とお願いする 夕食は茶碗 1杯のおじやと梅干し2個のみで我慢しました 明朝も同じおじやをお願いしたのです

これほど下痢に悩まされながら雨の中を 35kmも歩いて来たのにあまり疲労感もなく、普通に歩かれたのはお大師様のご利益を頂けたからでしょうか ありがたい限りです

隣の部屋には東京の沢田さんが宿泊しておることを知り、当日の宿泊者は彼と2人だけでした

[かめや旅館]は4年前に家屋を建て直されたそうで部屋は全く新しくきれいで、洗濯機、乾燥機は完備し、靴乾燥機までも準備され、至れり尽くせりの設備でした

食事についても私は残念ながら別室でおじやだけの淋しい夕事でしたが、沢田さんの夕食には伊勢エビ半分が膳に載った豪華な食事だったそうです(残りの半身は私に回ってくる筈だったのでしょう  残念です)

夜、若主人とパソコンの話になり、ホームページをサーバーにUPする方法を知りたいと聞かれ、IBMホームページビルダーやフリーソフトの"FFFTP"などの活用法などを暫く話し合ってから床につきました

[かめや旅館]は歩きお遍路さんの宿泊にぜひお勧めしたい旅館です


  * ライブドア株が市場から消滅


「 霊場40番 観自在寺 仁王門 」
(2006年4月13日 : 11:52)


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☆ 『 きれいな タオル

H18/4/14 (金 歩き遍路 23日目) 

* 行程:[かめや旅館](07:00) ⇒ [柏峠](08:20) ⇒ [子安地蔵堂] ⇒ (BH 菊水)(15:20) ⇒ [別格6番 龍光院](16:20) ⇒ [BH 菊水](17:10)

* 歩いた距離:35,0km = (Σ 745.4km)

* 歩数:55,000歩

* 宿泊:「BH 菊水」(愛媛県宇和島)(素泊まり\4,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


[かめや旅館]の1階には [へんろサロン]と名付けられた部屋が設けられ、昨夜若主人にお願いしておいた通りテーブルの上にインターネットができるようにLANで繋いだノートパソコンが準備してあり、 早速インターネットに繋いでサーバーにある全ての e-Mail を削除してから、彼のホームページ作成に使える フリーソフトの [FFFTP]をダウンロードしてデスクトップに残して電源を切り、大急ぎで出発準備に取りかかりました

昨夜は腹具合も落ち着いてよく眠れたが、まだ少し下痢腹が残っていたのでお願いしておじやを造ってもらい、それを食べて出発 日中は昨日より大分落ち着いてきたが、それでも歩きの途中に4回もトイレに駆け込む有様でした

東京の沢田さんはこれまで国道56号ばかりを歩いてまだ [柏峠へんろ道]を歩いた事がないと云うので、その経路の素晴らしさを話して一緒に歩く事にしました
 
宿を出たところで九州から初めて歩きに来たと云う一人歩きの若い女性と一緒になり途中まで3人で歩く事になりました

汗を流しながらきつい峠道を上り [野口雨情の歌]を鑑賞しながら一歩一歩上って行きました 峠の清水大師から眼下に広がる [つわな奥の展望台]で瀬戸内の眺めを写真に撮ったりして3人で暫く休憩し、柏峠の余韻を味わいながら又峠を下って行きました

[津島の街]で前方を歩いて行く高野さんを見つけ声をかけてまた暫く一緒に歩く事になりました

途中、九州の彼女とはコンビニ前で別れ 沢田さんと高野さんは昼食を食べるとうどん屋に入って行きましたが、私は腹具合改善のためもう少し我慢して歩きたかったので、 2人と別れて一人先に歩いて行く事にしました

[松尾トンネル]へ向かう分岐点の手前のコンビニでパンとヨーグルトを買って国道56号から左折して旧道に入り陽当たりの場所で腰を下ろして昼食にしました 旧国道の [松尾トンネル]は天井から落ちる水滴の音が周りの濡れた側壁に冷たく染みこむような静寂があり気持ちよく歩けます

今夜の宿の [BH 菊水]でチェックインを済ませ、荷物を部屋に運んでからフロントで [龍光院]への道順を聞いて早速出かけた

[龍光院]は [JR宇和島駅]の近くで街中の高台にあり、山門はないが大きなお寺でした

お寺の手洗い鉢に彫られた龍の彫刻は素晴らしく豪華な作品で暫く見とれてしまいます

また、何よりも感心したことは参拝者が使うトイレの掃除が隅々まで行き届いていることで、お手ふきのタオルはきれいに洗濯された新しい物が置いてあったことです お寺で納経をしてもらったあの美しく上品な奥様の人柄でしょうかこれまで何処のお寺でも経験させて貰ったことのない素晴らしい印象を頂きました 奥様 有り難うございました

お寺からの帰路、宇和島駅隣のコンビニで今夜と明朝の食事を買い込んで 17:10 [BH 菊水]に帰着しました

今日も腹具合が全快しておらず歩きの途中に 4回の対地爆撃を余儀なくされました こんな悪条件でも 35,0kmの距離を元気に歩けたのはお大師さんが見守り力づけて下さったお陰でしょうか


  * [ユリカモメ] 脱輪による事故発生 ⇒ 4/17 復旧



「 柏峠 つわな奥展望台 」
(2006年4月14日 : 08:27)
「 別格6番 龍光院 道路から石段 」
(2006年4月14日 : 16:27)
「 龍光院 本堂 」
(2006年4月14日 : 16:52)
   

「 龍光院 大師堂 」
(2006年4月14日 : 16:54)
「 龍光院 稲荷大明神 」
(2006年4月14日 : 16:55)



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☆ 『 やっと 回 復

H18/4/15 (土 歩き遍路 24日目) 終日大雨 傘破損 3月並の低温

* 行程:[BH 菊水](06:30) ⇒ (食事処長命水) (09:30) ⇒ [41番 龍光寺](10:15) ⇒ (食事処長命水) ⇒ [42番 仏木寺](11:20) ⇒ [43番 明石寺](15:30) ⇒ [BH 宇和パーク](17:00)

* 歩いた距離:27,0km = (Σ 772.4km)

* 歩数:46,000歩

* 宿泊:「BH 宇和パーク」(愛媛県東宇和)(素泊まり\5,300+朝食バイキング\630)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


朝から寒い雨降りで腹具合が心配でしたが嬉しいことに今朝は快調な排便で気持ちよく出発できたのです

前回のようにホテルの奥さんが玄関の外まで出て [龍光寺]への行き方を説明しながら見送ってくれました

三間町の国道57号の坂道を傘を片手に上って行き、[龍光寺]の手前を雨の中で案内標識を見落として遠回りの道を歩いていると、突然の強風に吹かれ差していた折りたたみ傘の骨が2ヶ所で折れてしまい、傘を広げることができなくなり全身雨ざらしでびしょ濡れなり、何とかしなければとお寺の手前にある [食事処長命水]に飛び込んで行きました

今朝は半袖シャツと白衣の間に長袖のシャツを着て出発したが、途中で白衣の下にウインドブレーカーを更に着込んで重ね着したのが保温に随分と役立ちました

モーニングコーヒー(コーヒー、トースト、卵、おはぎ:\500)を注文して外を見ていると東京の沢田さんと北海道の高野さんが店の前を手を振ってお寺の方へ向かって通り過ぎて行きました

コーヒーを飲みながら店の主人から [龍光院]の裏の山の開墾にまつわる世にも不思議な話を聞かされて時間の経つのを忘れて聞き入ってしまいました その話の要旨は次のようなものです 是非貴方も立ち寄って店の主人(74歳)から直接この面白い話を聞いてみて下さい

 * この店の前代の主人から[龍光院]の裏の山林約10町歩の土地を買い取り、ブルトーザーなどの機械力を使って大木を切り倒し独りで開拓した
 * そこに遊技施設を造り始めたら県の役人が14人も現場にきて工事の中止を指示して行った
 * そこから切り出した大木でここの [食事処長命水]を建て替えた
 * お大師さんのお告げどおり、[龍光院]の裏山にあった大きな石の下から大量の水が湧き出し、今ある大きな池になった
 * 湧き出した水(長命水)を飲んで多くの人が病気を快し、全国からそのお礼の手紙がたくさん届いている
 * 2羽の烏(カラス)が騒いで知らせてくれた場所を開墾したら、毎年その土地に沢山の山菜が芽生え、今も春には多くの山菜が収穫できる
 * 毎朝、龍光院裏の池に水(長命水)を汲みに行ってここに運んで来ている

など信じがたいようなそして興味深い話を聞かせてもらいました

折りたたみ傘が風で壊れた事を話して、店の主人から透明のビニール傘を分けて貰い、リュックを店に預けて[龍光寺]を参拝しました 参拝を済ませ店に寄って荷物を受け取り [仏木寺]に向かって雨の中を出発しました

[仏木寺]を出て [歯長峠]までは前回歩いた [歯長峠へんろ道]は天気が悪く、悪路で危険が予想されるので国道57号の長い坂道を先ほど貰った傘を差して一歩一歩を上って行きました [歯長峠トンネル]を抜けて出た処の [送迎庵見送大師]から左下に向かって階段を下って行くへんろ道 (雨でも歩きやすい) を下って行きました

途中 [民宿みやこ(レストラン)]に入って温かいうどん定食を食べ、冷えた身体を温める為に一休みしました (14:00) 店には初めて出会う同年代らしい男性の独り歩きのお遍路さんが食事を終わって丁度出発するところでした

[明石寺]は大きなお寺で石上げのお寺です 参拝を終わり門前の土産物店で今夜の宿の [宇和パーク]へのへんろ道を尋ねると、若主人が紙を出してきて詳しい地図を書きながら詳しく説明してくれました 有り難うございました

大雨のなか 17:00 [宇和パーク]に到着 チェックインを済ませたあと早速濡れたものを全部洗濯して、乾燥機に投入してから地階の大風呂に行きました 内部が煉瓦造りの一風変わった風呂でサウナもあり、一人の青年(自動車教習学校に入校中の生徒)と一緒になりました

びしょ濡れになった靴は古新聞を貰ってきて中に詰め込んで乾燥させました 濡れたリュックも古新聞で乾燥しようとポケットをチェックしていると 4/9 に紛失していたナイフが出てきました お陰で明日からはテーピングが楽になります



「 霊場41番 龍光寺 仁王門 」
(2006年4月15日 : 10:18)
「 霊場42番 仏木寺 仁王門 」
(2006年4月15日 : 11:24)
「 霊場43番 明石寺 仁王門 」
(2006年4月15日 : 15:33)
   



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☆ 『 鳥 坂 隧 道

H18/4/16 (日 歩き遍路 25日目) 晴天

* 行程:[BH 宇和パーク](08:30) ⇒ [鳥坂隧道](10:30) ⇒ [BH だいいち](14:45)

* 歩いた距離:17,7km = (Σ 790.1km)

* 歩数:26,000歩

* 宿泊:「BH だいいち」(愛媛県大洲)(\5,800)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、ホテル内のレストランで食事可能


05:30 モーニングコールで起床

部屋のバスタブにお湯を入れてゆっくり入浴して身体を温める 好きなときに何時でも入浴が出来るのが BH の利点だ 腹具合も完全に回復し平常になったようだ

今朝はチェックイン時に申し込んだバイキングの朝食だ(\630)  ゆっくり時間をかけて腹一杯食べる

明日は別格の[出石寺]を往復するので今日は大洲に泊まる事になる   歩く距離は短くなるので出発もゆっくりした時間でよい

パンとジャムを昼食用にお接待をされて 08:30 出発

早朝は曇っていたが歩き出して間もなく快晴の空に晴れ上がり風もなく温かい穏やかな天気だ

今日は日曜日なので交通量も少ないだろうと [鳥坂隧道]を歩いて行くことにした

長さが 1,117m の [鳥坂隧道]はかって歩道巾が 60cm 位で非常に狭く、壁も排煙で真っ黒くなっており、天井からの照明も薄暗いので非常に危険なトンネルだったが、
今回歩いてみて白線で表示された歩道の巾は 約1m に拡幅され、側壁も約 2,5m の高さまで白く光るペイントで塗装し直され、照明も明るく改善されていたので前回とは比べものにならないほど非常に歩きやすくなっていました 皆さんも安心して歩いて通り抜けて下さい

[鳥坂峠]は宇和と大洲の境界で標高が約400mもあり、今日は天気が良く視界も良かったので眼下に広がる遠景は素晴らしくきれいだった

国道56号沿いの大洲ゴルフ場のティーショットが見える処で一休みしながら今朝貰ってきたパンとジャムで昼ご飯にしました

大洲の酒屋に入り缶ビールを買って飲みながら店の奥さんに [寿旅館]の事を聞くと

 「寿旅館の奥さんは 2年前、風呂場で突然倒れそのまま亡くなられた」

と教えてくれる   やはりそうだったのかと最近連絡が全く取れなくなった訳が理解できた 6年前の3/28 に初めて宿泊したときの印象が強く、4年前の 3/23には玄関に立ち寄ったがお会いできなかったので納札に書き置きのメモを玄関のすき間に挟んで立ち去り その夜、内子の宿に電話を貰って久しぶりに話しをしたのが懐かしく思い出されます

可能ならお線香を上げさせて貰おうと今日も玄関に立ち寄ってみたのですが堅く閉ざされていてお参りは叶いませんでした

大洲の街中にある [BH だいいち]にチェックインしてから近くのコンビニに明朝の食事を買いに往復して部屋に入りました(14:45)

風呂に入ってから久しぶりのに昼寝ができました この昼寝は明日の元気に繋がります

夕食はホテル内のレストランで焼きそばを食べ早めに就寝することにしました

明日は片道約15kmも離れて、高さが 800mを越える別格の[出石寺]を往復するのでやはり不安です 好い天気が予報されて居り、体調も元通り元気にになったのでこれだけは安心して気持ちよく寝付くことができました


  * 千葉のコスモ精油所で爆発事故
  * 関東の郵便貯金ATMが一時ストップ
  * これまで最悪のトンネルだった[鳥坂隧道]が改善されて歩き易くなった



「 歩き易くなった 鳥坂隧道 」
(2006年4月16日 : 10:33)



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☆ 『 出 石 寺

H18/4/17 (月 歩き遍路 26日目) 快晴 朝方は寒い

* 行程:[BH だいいち](05:50) ⇒ [別格7番 出石寺(H812m)](09:15) ⇒ (BH だいいち)(12:40) ⇒ [別格8番 十夜ヶ橋](14:50) ⇒ [新町荘旅館](18:45)

* 歩いた距離:41,8km = (Σ 831.9km)

* 歩数:62,000歩

* 宿泊:「新町荘旅館」(愛媛県内子)(素泊まり\4,200)
   △洗濯実施せず、サービス良い


昨日準備しておいたパンと牛乳を食べて 05:50 出発   今日の歩きに不要な物は一つに纏め袋に入れてフロントで預かって貰った

天気は風もなく好天で、少し冷え込んでひんやりと寒いが体調は良くなったので気分も爽快に元気な足取りで歩いて行ける

歩いて行く途中にへんろ道案内が殆ど見あたらないのですごく不安になってくる

途中民家も無くなっての二股分岐点で多分こちらが [出石寺]への道だろうと判断して上って行ったら途中から地図とは別の方向にカーブして行くので 「どうも間違ってるようだ」とますます不安になってくる 誰かに教えて欲しいのですがいくら周囲を探しても朝も早いし農作業をしているような人影は近くに見当たらないのです 遂に立ち止まり、そして「ぜったい間違ってる」と自分で自分を納得させてから引き返しを決断して分岐点まで引き返して来ました

そして分岐点から別のもう一つの道を上って行くと今度は地図に載った[出石寺]が在る方向へ上って行くのでやや安心してこの道どんどん上って行きました

この道を行けば間違いなくお寺に辿り着けると少しずつ自信が湧いてきた処にやっと待っていた「へんろ道入り口」 の案内板が目の前に現れた時は疲れも吹っ飛んで、うれしさで独り笑みが出てきました

最後の約3kのへんろ道を上りきると境内の下の段に立つ大きな弘法大師像の足下に出ることができたのです

階段を上がって境内の上の段にある本堂と大師堂に参拝し、納経をして貰いに納経所に行くと親子と思われる男性2人がおられ親御さんと思われる方から

 「歩いて来たのか」    「どこからか」

など、いろいろと話しかけられそれに応えながら雑談をしているとテーブルの奥から「食べて行きなさい」とミカンを3個出して下さる

納経を終わり代金を払って数珠玉を分けて貰ってから、向かいにある売店に立ち寄りメニューから [煮込みうどん]を注文し、出来上がるまでの間に納経所で貰ったミカンもいただき、できたうどんも食べ終わると体力も十分回復し、今日の大任は果たしたので安心して山を下りて行けそうです

札所のお寺に食堂の売店は珍しいのですが特にこんな山奥で参拝者の少ない別格のお寺に食堂があるのは本当に珍しく、歩き遍路には何ともありがたく貴重な存在です

[出石寺]は高い山の頂上(H812m)にあり、威厳のある大きなお寺でした

お寺からの帰りは道に迷うこともなく宿まで快調に歩いて、往きの2/3の時間で帰って来ることができました

宿の[BH だいいち]に着いてリュックを詰め替え、出発の支度をしてから館内のレストランに行き焼きそばを昼食に食べました

ホテルの電話を借りて今夜の宿を内子町の [新町荘旅館]に、そして明日の宿を [大宝寺]の下の [民宿和佐路]に予約の電話をして、どちらも予約がとれてひとまず安心です

これから [十夜ヶ橋]に参拝して行くので内子到着は遅くなりそうなので [新町荘旅館]の宿泊は素泊まりでお願いしました

[BH だいいち]を13:30に出発し、[十夜ヶ橋]大師堂に14:50に到着 周りの風景が4年前とすっかり変貌して、お大師さんが眠る [十夜ヶ橋]の上には高速道(松山道)が被さっており、テレビで見た [東京日本橋]の風景と酷似していました

内子町に向かって国道56号を歩いていると道の右側に「インターネットができる喫茶店(グリーンハウス)」の看板が目に入ったので是非寄って行こうと喫茶店に飛び入り、コーヒーを注文してパソコンを触らせて貰い、4日振りにメイルサーバーの掃除をして行く事ができました

大洲から内子町に入った処に [豚太郎]の大きな看板が目に入り、夕食をここで食べて行くことに決めラーメンと餃子を注文、待ってる間に明後日の宿を46番の [浄瑠璃寺]前の [民宿長珍屋] を電話して予約しました 無事に予約が取れました

内子の手前で国道56号から左に逸れてへんろ道に入るとぬかるんだあぜみちの様な処を歩くようになります   ここの道の状態は毎回同じようにぬかるんだ田んぼ道です
そこをぬけると今度は大きなスポーツ公園の中に出てそこををぬけて内子町の旧道に入ります その先が内子の中心街です

町の中のスーパーで明日の朝食を買い込んで今夜の宿 [新町荘旅館]の玄関に 18:45 到着できました 玄関に出迎えて呉れたお嬢さんは上品な方でにこやかな仕草で心が和み、疲れも癒されました 通された和室もお風呂も設備が良く気持ちの良い宿でした   歩きお遍路さんには推奨できるお宿です




「 別格7番出石寺 最初に出逢う巨大な大師像 」
(2006年4月17日 : 09:16)
「 別格7番出石寺 仁王門 」
(2006年4月17日 : 09:18)
「 別格7番出石寺 本堂 」
(2006年4月17日 : 09:30)
   

「 別格7番出石寺 大師堂 」
(2006年4月17日 : 09:31)
「 別格7番出石寺 納経所 」
(2006年4月17日 : 09:48)
「 別格8番十夜ヶ橋 本堂・納経所 」
(2006年4月17日 : 14:53)
   

「 別格8番十夜ヶ橋 大師堂 」
(2006年4月17日 : 14:54)
「 別格8番十夜ヶ橋 の橋 」
(2006年4月17日 : 14:59)
「 別格8番十夜ヶ橋 大師横臥像 」
(2006年4月17日 : 15:02)
   



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☆ 『 ひ わ だ 峠

H18/4/18 (火 歩き遍路 27日目) 快晴 暑い1日

* 行程:[新町荘旅館](05:30) ⇒ [大瀬小学校](08:30) ⇒ [突合分岐](09:55) ⇒ [鴇田峠(ヒワダ゙)(H790m)](14:00) ⇒ [44番 大宝寺(H560m)](15:00) ⇒ [民宿和佐路](18:45)

* 歩いた距離:42,4km = (Σ 874.3km)

* 歩数:64,000歩

* 宿泊:「民宿和佐路」(愛媛県久万)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=設置工事中


昨夜買ったおいた巻きずしを食べ、テーピング、快便を済ませて 05:30 宿を出発

内子橋を渡った処でR-329に進むべき処を間違って松山に行くR-56を1時間ほど歩いてから自転車通学の高校生に聞いて間違いを教えられ悔しい思いをしながらも大急ぎで引き返し、内子橋まで帰ってきて左折し川沿いに [大瀬]を目指してどんどん進んで行きました

08:30 大瀬小学校前の大江健三郎氏の実家の前を通過

09:25 [千人宿大師堂]前の山本商店でパンと缶コーヒーを買って大師堂の縁台に腰を下ろして腹ごしらえをしました

09:55 [突合分岐]を通過   この辺りも新しい道路が造られ4年前とは様相が随分変っていました

12:50 [下坂場峠(H560m)] に差しかかった時、道路の左側の一軒家で年若い奥さんが花壇の手入れをして居たのが急に家に駆け込み、間もなく帰ってきてアルミホイールに包んだ物を通り過ぎようとする私に差し出して

 「お接待です どうぞ」

と手渡して下さったのです

冷たく冷えた包みはケーキかなと想像しながら

 「有り難うございます  丁度腹ペコになっていた処です  早速ご馳走になります  有り難うございました」

とポケットから取り出した納札を手渡し、お礼を云って受け取りました

10m くらい先の道の右上に陽当たりの草地を見つけそこに腰を下ろして早速頂きました 冷たい包みを開いてみると炊き込みご飯のおにぎりが2個入っており、辺鄙な峠越えの山道で売店もなくお腹を空かしていた自分には最高のお接待でした

辺鄙な山奥の道を遍路さんが歩いてここを行く時はきっとお腹を空かしているに違いないと準備して待っていて下さり 丁度今日は私がここを通りかかり、こうしてお接待して下さったのだと感謝して戴きました   有り難うございました

[下坂場峠]から約1里行くと[鴇田峠(ヒワダトウゲ H790m)] に到着します

[ひわだとうげ]の名前の由来が峠の案内板に

  『 大師が大洲から久万に歩いておられる折、連日の雨降りだったそうです
   ところが大師が丁度この峠に差し掛かった時 雨が止んで晴れてきたそうです
   大師が思わず 『日和だ(ヒヨリダ)』 と叫ばれたそうです
   この「日和だ」 が 「ひわだ」 になって    「ひわだ 峠」 の名前がついたのだそうです 』

と紹介されておりました

15:20 [大宝寺] に到着   4年前を回想しながら本堂、大師堂を急いで参拝して回りました

今夜は [大宝寺]の下の [民宿和佐路]に泊まる予定なので山の中を通るへんろ道の途中で日暮れないように裏道に出てへんろ道を急いで歩きました

4年前、宿坊に泊まった次の朝のお勤めで [大宝寺]には無限の森林資材と美味しい無限の水があるのが誇りだと和尚が話しておられたのが印象的でした [岩屋寺]へ通じる裏のへんろ道の両側には深い杉の山林が続いていますが、永年枝落としなどの手入れがされないまま延び放題の枝が太陽の光を遮り、地肌は一片の青葉もなく真黒になって死渇してしまっているのです そして大きな杉が根本から一面で倒壊してしまい、山は完全に死滅した状態になっているのです 枯れて倒れた大木は全て苔むして青くなっているのです   淋しいかぎりです

18:45 [民宿和佐路]に無事到着  気さくな奥さんが玄関のソファに腰掛けたままで迎えてくれました


  * 日ハムの新庄剛志選手が今年限りで現役引退を宣言



「 鴇田峠 入り口 」
(2006年4月18日 : 12:44)
「 鴇田峠 頂上 」
(2006年4月18日 : 14:01)
「 大宝寺 大門 」
(2006年4月18日 : 14:49)
   

「 大宝寺 仁王門(1) 」
(2006年4月18日 : 15:02)
「 大宝寺 仁王門(2) 」
(2006年4月18日 : 15:03)
「 大宝寺の裏山は死んでしまった 」
(2006年4月18日 : 16:07)
   



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☆ 『 峠 御 堂 隧 道

H18/4/19 (水 歩き遍路 28日目) 朝の内小雨 後晴れ

* 行程:[民宿和佐路](06:10) ⇒ [八丁坂へんろ道] ⇒ [45番 岩屋寺(H650m)](08:00) ⇒ (民宿和佐路) ⇒ [河合] ⇒ [三坂峠] ⇒ [46番 浄瑠璃寺](15:20) ⇒ [民宿長珍屋](16:20)

* 歩いた距離:35,2km = (Σ 909.5km)

* 歩数:52,000歩

* 宿泊:「民宿長珍屋」(愛媛県松山)(\5,500)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


05:45 から朝食を食べて、リュックを宿に残し 06:10 [岩屋寺]に向かって出発

国道を右に逸れてへんろ道に入り [八丁坂へんろ道]を歩いてみました この山道は「どちらをへんろ道にするか」と検討する時、大師が楽でない方にしようと云われてこの道が正規のへんろ道になったそうで、さすがに厳しい道のりで想い出に残る大変なルートでした

苦しいへんろ道を歩いて最後の急な坂道を下りて行くと [岩屋寺]の裏の仁王門の真上に出て来ました(07:55)

その坂道を下って [仁王門]を通りぬけるとそこはまた荒々しい環境の境内でした

荒々しい庭を通り抜けてやっと [大師堂]にたどり着き、参拝していると急に大粒の雨がぱらついてきたのです 雨がひどくならないかと心配になってきました

急いで参拝を済ませ、急な下りの石段を下りて表の [山門]をくぐって写真に収め [岩屋寺]を後にしました(08:15)

[岩屋寺]には山門が裏と表の2つあり、2つともこぢんまりして大変よく似た [山門]でした

川沿いのへんろ道を歩いて [古岩屋荘]の横から国道に出て [和佐路]に急ぎました

奥さんに頼んでペットボトルにお茶を補充してもらい、荷物をリュックに詰め直して出発の準備を済ませました

これまでは2回とも河合から [峠御堂隧道(L633m)]を歩いて通りぬけたが、最悪で危険なトンネルだったのでもうこのトンネルは通らず、今回は [高野]を通るへんろ道にする予定で来たが、 天気も雨降りになってきたので奥さんのお勧めはとどちらが良いかと聞くと、トンネル内の照明工事が3日前に終わったばかりで今は安全に歩いて行けると思うのでトンネルルートを勧めるとの返事

そしてトンネルを出たら直ぐ左に山道を下るへんろ道を歩くと国道より随分距離が短いと教えて呉れる

お勧めのルートを歩くことにして[三坂峠]に向かって宿を出発

トンネル入口に歩行者専用に押しボタンが設置してありこれを押して入ると人間の動きに反応して自分の位置の照明が明るくなって自動車に注意を喚起してくれるので、歩き遍路には安心なトンネルに改善されていました 皆さんも安心して歩いて通り抜けて下さい

トンネル出口には [古岩屋荘]提供の反射タスキが用意されており、1本貰って行きました(10:20)

途中 [お久万大師堂]前の菓子屋に立ち寄って [お久万まんじゅう](\110×2)を後学のために2個食べて行きました

天気は回復して乾いた日差しと強い風に悩まされながら長い坂道を上って12:40 [三坂峠]に到着

峠を越えると [浄瑠璃寺]までしばらく食べる処がないのでこの三坂峠で絶対に食べて行かなければとドライブインや食堂を探してみたが峠の店は何処も今は閉鎖されてゴースト街になっていたのです

道の左に昔商店だったらしい家が見つかったので奥に向かって 「ご免ください」と声をかけると奥からおばあさんが腰をかがめて出てきた  「峠のこの辺には食堂はもう無いのですか」 と聞くと、この辺り今は全部閉鎖されてしまい、自販機しか残っていないと云う   そして 「お餅があるので焼いてやろうか」
と云われ、お願いすると暫くしてあんこ餅を2個(\200)焼いて皿に載せて出して下さったのです

餅を食べながら暫くおばあさんとこの三坂峠を越えて行く昔のお遍路さんの話を聞いて雑談し、2つを食べ終わるとお礼を云って鍋割り坂のへんろ道に向かって出発しました

お陰で空腹は癒され、元気を回復して久万街道(鍋割り坂)を下って行きました 午後から天気が急速に回復して厳しい暑さになったのです 坂道の途中で木々のあい間から太陽にきらめく松山湾が遠くに望まれたのです

鍋割り坂を下りきった処の石材屋にご好意で設置された無人接待所に立ち寄ってミカンをご馳走になり再び元気を取り戻すことができました

[網掛石大師堂]と道を挟んである大きな[網掛石]の網模様は何とも不思議な石だと感心する

15:10 今夜の宿の [長珍屋]に到着   玄関には前回と同じように「歓迎 日高様」の掲示板が出されていました

頼んでリュックを置かせて貰い直ぐ前の [浄瑠璃寺]に参拝に行って来ました [浄瑠璃寺]には山門はありません

本堂、大師堂を参拝してまだ時間があるので納経所に立ち寄って  「お願いがあります  宜しかったら私の疑問に応えて頂けませんか」 とお願いしてから、私がかねてから疑問に思っていたことを教えて欲しいとお願いしたのです  即ち

 「これまでずーっと疑問に思ってきた事ですが
  お寺に着いて参拝前に手を洗ったり、口を濯いだりする場所を 「お手洗い」 とも呼びます
  また大便、小便の用を足すトイレ・便所の事も一般に 「お手洗い」 と呼称します
  後者と混同されない正しい呼び方、区別できる呼び方はお寺では何と呼ぶのですか 」

と納経所の方に尋ねてみたのです   処がそこに居た皆さん一様に頭をひねり
 「これまでそんなことを考えたことも疑問に思ったこともないよ」
との結論で、残念ながら確答はもらえませんでした

今回のお遍路を終わるまでにはこの疑問が解決出来たらと考えています またどこかのお寺で質問させて下さい
  * 雑誌 「サライ」 (2007/4/19号 P44) に 「手水場(ちょうずば)」 と記述したありました。 これで解決とします。


  * これまで最悪のトンネルだった [峠御堂隧道] は改良工事が施されて歩き易くなっていた



「 霊場45番 岩屋寺 裏口の仁王門 」
(2006年4月19日 : 07:58)
「 岩屋寺 山門(表口) 」
(2006年4月19日 : 08:15)
「 霊場46番 浄瑠璃寺 石柱の門 」
(2006年4月19日 : 15:23)
   



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☆ 『 訶 梨 帝 母 天 堂

H18/4/20 (木 歩き遍路 29日目) 夜半に雷雨 午前中寒く晴天

* 行程:[民宿長珍屋](06:10) ⇒ [47番 八坂寺](06:25) ⇒ [別格9番 文殊院](06:55) ⇒ [48番 西林寺](08:20) ⇒ [49番 浄土寺](09:20) ⇒ [50番 繁多寺](10:10) ⇒ [51番 石手寺](11:30) ⇒ [ホテルNO1松山](15:10)

* 歩いた距離:21,0km = (Σ 930.5km)

* 歩数:34,000歩

* 宿泊:「ホテルNO1松山(Tel:089-921-6666)」(愛媛県松山)(素泊まり\5,140+朝食バイキング\500+Inet OK)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、BHとして良


05:50 朝食を食べて 06:10 出発

出発するとき調理場のおばさんにお願いして雨除け用にゴミ袋(業務用で約100×150の大きさ)をおねだりしてリュックに仕舞って行きました

最初の [八坂寺]には06:25に到着

掃き掃除をしている男性に挨拶して本堂と大師堂に参拝し写真を撮ったりした後、句碑を真剣な顔をして観ているとその男性が
 「納経をしましょうか」
と声をかけて下さる   納経は正規には午前7時からでまだ10分以上も前で、こんなご好意は珍しいことです丁重にお断りしてからまた句碑の歌を心の中でよんでみる

  『 おへんろの 誰もが 持ってる ふしあわせ 』

06:55 9番目の別格寺 [文殊院] に到着し参拝する 四国遍路の開祖河野衛門三郎が祭られているお寺と云う 町中にある小さなお寺で親しみのある和尚さんで納経の時に暫く親しみのある雑談をさせて貰いました

11:30 [石手寺]に到着  いつもながらこのお寺は多くの参拝者で賑わっている

本堂、大師堂への参拝を済ませてから大師堂横の [訶梨帝母天堂]に参拝しました 孫の暁久君の安産誕生の祈願のため長男が戴いて帰った石をお礼の石と共にお供えにきたのです お遍路14日目の4/5に桂浜で拾い今日まで15日間大切に背負って来た2個の石(220gと120g)をやっと [訶梨帝母天堂]にお供えすることができたのです 近くに居られた東京の歩き遍路の伊藤さんにお節介にもこの鬼子母神を祭る[訶梨帝母天堂]についてついつい知ってることを説明していました

心の重荷も背中の重荷も取れて気持ちが楽になり、今夜は松山市内に泊まってゆっくりして行こうと県庁のある中心部まで出て暫く市内を歩き回って見学して歩き、ビジネスホテルの、[ホテルNO1松山]を予約しました

ホテルは設備も良く、インターネットも利用可能で12階には道後温泉の湯を引いた大浴場と露天風呂があり、推奨できるホテルです


  * 石油先物価格5万円台に高騰
  * 関東地方で突風被害
  * 竹島周辺の海洋調査実施で韓国ともめる(結局中止に)
  * 下日本兵の石野さん(83)がウクライナから一時帰国



「 霊場47番 八坂寺 山門 」
(2006年4月20日 : 06:28)
「 別格9番 文殊院 全景 」
(2006年4月20日 : 07:00)
「 文殊院 本堂 」
(2006年4月20日 : 07:01)
   

「 文殊院 大師堂 」
(2006年4月20日 : 07:01)
「 文殊院 大きな大師の像 」
(2006年4月20日 : 07:01)
「 霊場48番 西林寺 仁王門 」
(2006年4月20日 : 08:20)
   

「 霊場49番 浄土寺 仁王門 」
(2006年4月20日 : 09:24)
「 霊場50番 繁多寺 山門 」
(2006年4月20日 : 10:11)
「 霊場51番 石手寺 山門 」
(2006年4月20日 : 11:33)
   

「 石手寺 仁王門 」
(2006年4月20日 : 11:36)
「石手寺にお供えする石」
(2006年4月19日 宿で測定)
「 訶梨帝母天堂にお供えした石 」
(2006年4月20日 : 11:47)
   



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☆ 『 快 調 に 歩 く

H18/4/21 (金 歩き遍路 30日目) 快晴

* 行程:[ホテルNO1松山](07:30) ⇒ [53番 円明寺](09:30) ⇒ [52番 太山寺](10:10) ⇒ (円明寺) ⇒ [鎌大師](13:50) ⇒ [遍照院] ⇒ [BH 来島](18:15)

* 歩いた距離:45,4km = (Σ 975.9km)

* 歩数:66,000歩

* 宿泊:「BH 来島」(愛媛県大西)(素泊まり\3,200)
   ▲洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、暖房は夜間切られ寒い、丹前なし


06:00 から12階の大浴場で朝風呂に入り、テーピングなどの準備をして支度を調えてから1階に下りて行く   07:00から食堂でバイキングの朝食が始まるのです  バイキングは\500で、チェックインの時にチケットを購入しましたが、食堂前でも直前に販売しておりました   バイキングだからできることです バイキングの料理は豪華な内容で美味しくいただけました

食事を終わって07:30ホテルを出発   そよ風が冷たいので出発前に長袖シャツを重ね着してホテルを出ました

[太山寺]、[円明寺]に向かうルートでは毎回松山市内で方角が間違ってスムーズにたどり着けなかったのですが今回は遍路案内を絶対に見過ごさない覚悟と不安なときは人に聞きながら歩いた結果 09:30 [円明寺]に無事到着できました 参拝を終わってお寺の左隣にある酒屋でお願いしてリュックを置かせてもらい [太山寺]に向かいました

[太山寺]は [一の門]、[仁王門]そして [山門]と3つの門が 約300mおきに続いて建っており境内も広々としてずっしりとした感じの大きなお寺です

[山門]を入った処で女性が近寄ってきて袋に入れたクリームパンと缶コーヒーと卵を「お接待です」と云って差し出され 「前山ダムの近くにある[おへんろサロン]に行かれた事がありますか」と聞かれ、 「これまで2回歩きましたが[おへんろサロン]の事を知らなかったので1度も立ち寄っていないのです。 今回はぜひお邪魔しようと楽しみに考えています。」と返答した この奥さんは ここを通っていく歩き遍路さんに[おへんろサロン]の紹介に来て居られるのだろうか 必ず訪問すること約束し、お接待のお礼を云って別れました

参拝を終えて [円明寺]に引き返す時は気温も上がり汗たらたらでシャツは汗びっしょりになりました

酒屋で長袖を脱ぎ、アンダーシャツを着替えてからまた出発しました

松山市、北条市、菊間町、大西町と歩いて行く国道196号は左手に瀬戸内の静かできれいな海岸が続き、底まで透いて見える海辺を心地よいそよ風と春の日差しを受けながら陽気な気持ちで歩いて行きました 体調も最高で計測してみると平均時速が5km/hくらいで歩けているのです この長い海岸線をもし1週間前のような風雨の日に歩かなければならなっかったらと思うと今日のような歩きができることの幸運に歩きながら感謝しました

今朝、松山市内や境内で戴いたお接待のおにぎりや卵、お茶などをバッグに入れて持ち歩いて来たのですがここらで腹に仕舞って軽くして歩きたいと思い、レストラン「海鮮北斗」の近くの道路沿いに荷物を降ろし、腰を下ろして昼食にしました

13:50 [鎌大師]に到着  お堂の中には誰か訪問者がいるのだろう   手束妙絹さんの後を継がれた新しい門主さんのお話声が聞こえているのです 声をかけるのを遠慮して外からお参りして国道を歩いて行きました 途中ミカンを3個いただいてご馳走になり元気をつけ直して歩きました

和気の国道沿いにあった [ジェニーズ]に入り特売中のステーキを注文し、無性に欲しくなった甘いコーヒーを飲みたくてドリンクバーも注文し、続けざまに2杯も飲んで疲労の回復を図りました

明朝の食事を買い込んで今夜の宿 [BH 来島]にチェックインしました

到着が遅くなったが今日は体調もよく、天気にも恵まれて長い距離と多くの歩数を歩いてきたが足の痛みや疲れもなく快調に歩くことができました

[BH 来島]ではエアコンのS/Wを入れてから15分位しないと作動を始めないと云われ準故障状態のままで、丹前もなく、お茶の準備もなく、その上夜11時にはエアコンの元栓が切られてしまい寒くて安眠できなかったのです [BH 来島]はお遍路さんの宿として推奨できません


  * 今朝未明に伊豆地方で地震発生



「 霊場52番 太山寺 一の門 」
(2006年4月21日 : 10:00)
「 太山寺 仁王門 」
(2006年4月21日 : 10:03)
「 太山寺 山門 」
(2006年4月21日 : 10:11)
   

「 霊場53番 円明寺 仁王門 」
(2006年4月21日 : 09:27)
「 円明寺 山門 」
(2006年4月21日 : 09:29)



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☆ 『 雨着 は ゴミ袋

H18/4/22 (土 歩き遍路 31日目) 曇天 昼から強い雨

* 行程:[BH 来島](07:00) ⇒ [54番 延命寺](07:10) ⇒ [55番 南光坊](08:30) ⇒ (サティ今治)(09:00) ⇒ [56番 泰山寺」(09:45) ⇒ [57番 栄福寺](10:40) ⇒ [58番 仙遊寺](11:25) ⇒ [59番 国分寺](13:50) ⇒ [栄屋旅館](18:00)

* 歩いた距離:41,1km = (Σ 1,017.0km)

* 歩数:60,000歩

* 宿泊:「栄屋旅館」(愛媛県周桑)(\6,000+Inet)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、食事が美味しい


09:00 開店時間を待って[サティ今治]に入り靴売り場に直行 名古屋から履いてきた靴は踵に穴があいて雨の日には水が入るので買い換えなければならなくなったのです 腫れて膨らんだ足には最低28cmの大きさの靴が必要なのです こんな大きなスニーカーを売っている店はなかなか見つからず売っていそうな大型店を求めて [サティ]に来たのです 開店時間を見計らって来てみたが28cmの靴は1足しかないと云われ品選びはできないまま足に合うのでそれを買って履き替え早速 [泰山寺」に向かって歩き始めました

途中 [仙遊寺]からのへんろころがし [五郎兵衛坂]を下りる途中から冷たい雨が降り始めたので早めに雨支度をしようと農家の庭先を借りて 先日 [長珍屋]で貰ったきたゴミ袋に両手と頭を出す穴をナイフで切り開きリュックと身体の雨着をその場で即製しました 着心地は想像以上に快適でした 

  ゴミ袋製雨着の長所は: 軽くて着用感がないこと、蒸さないこと、行動が邪魔されないこと、思ったより風雨に強いこと、不要時の運搬が軽いこと です
  短所は: 恥ずかしいこと(ゴミ袋だから)、着ることと脱ぐことが難しいこと です

  皆さんも勇気のある方は試してみて下さい   最高ですよ

ゴミ袋雨着に傘を併用して歩けば少々の雨にはまったく大丈夫です

[国分寺]前のタオル屋さん [五九楽館]に立ち寄りご主人の徳永忠介さんと4年振りの再会して ベンチを使わせてもらい濡れた身体を拭いて持参の弁当を食べながら徳永さんとホームページの話などして暫く休ませてもらいました 「何か好きな言葉を書いてくれ」と云われ 『人生 即 遍路』 と書いて手渡すと早速タオルに刺繍して「どうぞ」とプレゼントして下さる 今夜宿泊する [栄屋旅館]への道順を聞いて降りしきる雨の中を出発する(14:40)

途中、強い雨に悩まされ道路地図の確認が疎かになって一度は約2kmも行きすぎてから後帰り、 二度目は右折する目印の遍路石を見過ごして直進してしまい [栄屋旅館]から 3kmも東にずれた地点に来てしまっていたのです

日没の暗闇で自分の位置と[栄屋旅館]の位置関係が判らなくなって困り果て、丁度駐車場から出てきた車に道を尋ねると
 「 [栄屋旅館]は叔母がやってる民宿です  良かったら送りますから乗って下さい」
と女の子と2人で買い物をしての帰り途中の奥さんが云って下さり、藁にもしがみつく気持ちで
 「近くまで乗せて下さい」
とお願いして宿の近くまで送り届けていただいたのです   あのときの奥さんとお嬢さんありがとうございました

宿に着くと奥さんが心配していたと出迎えてくださり、同宿の皆さんは既に夕食を終わって歓談中で遅れて着いた私は独りだけの夕食になりました 娘さんが使用してたと云う部屋に泊まり、設置してあったパソコンを少し使わせてもらいました


  * 長珍屋で貰ったゴミ袋は雨着の用に役立ちました



「 霊場54番 延命寺 仁王門 」
(2006年4月22日 : 07:09)
「 延命寺 山門 」
(2006年4月22日 : 07:10)
「 霊場55番 南光坊 仁王門 」
(2006年4月22日 : 08:33)
   

「 霊場56番 泰山寺 入り口石柱 」
(2006年4月22日 : 09:45)
「 霊場57番 栄福寺 入り口石柱 」
(2006年4月22日 : 10:44)
「 霊場58番 仙遊寺 仁王門 」
(2006年4月22日 : 11:26)
   

「 霊場59番 国分寺 入り口石柱 」
(2006年4月22日 : 13:52)



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☆ 『 佐 伯 商 店

H18/4/23 (日 歩き遍路 32日目) 午前中雨 午後から晴れ 蒸し暑い

* 行程:[栄屋旅館](06:30) ⇒ [別格11番 生木地蔵(正善寺)](07:15) ⇒ [別格10番 西山興隆寺(H270m)](08:25) ⇒ (生木地蔵) ⇒ [60番 横峰寺(H740m)](11:50) ⇒ [61番 香園寺](14:30) ⇒ [62番 宝寿寺](15:10) ⇒ [小松旅館](15:45)

* 歩いた距離:31,8km = (Σ 1,048.8km)

* 歩数:48,000歩

* 宿泊:「小松旅館」(愛媛県小松)(\5,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、夕食は牛肉のシャブシャブ


宿の主人が行く用事があるので [小松旅館]まで重い荷物を車で送り届けてやろうと云って下さる 不要な物などリュックに詰めてお願いする

参拝に必要な物だけをバッグに入れて、別格11番の[生木地蔵]を目指して出発

出発時に奥さんからムスビのお接待を戴く 今日は山道コースなのでムスビはありがたい

07:15 [生木地蔵]に到着 小さなお寺で余計に親しみを感じる 年老いた門主さんが小さなお寺を守っておられた

08:25 汗びっしょりになって [西山興隆寺]に到着 このお寺は長い坂道を上った深い森林に囲まれた処に建っている荘厳な寺院でした これで別格のお寺も半分参拝した事になります

今日は日曜日で四国ではコンビニ以外のお店は大体どこも閉まっているのです どこかでもうすこし食べ物を手に入れて置かないとこれから [横峰寺]に上って [香園寺]に下りるまでずうっと山の中ばかりでお店が無いので腹が減ってしまうことが不安です

どこかにパンか何かを売ってくれる店は無いだろうかと歩きながら必死の気持ちで探しているとガラス越しにテレビが映ってる店があったのです 店に誰かテレビを観ている人が居るに違いないと近づいてみると 主人らしい人がテレビを見ておられ訳を話して食べ物を売って欲しいとお願いすると

幸運にもその方は先達を努めておられる方だそうで歩き遍路に理解が深く、 昨日の売れ残りだけどと云いながら長いパンを3本、そして缶コーヒーと缶茶を袋に入れてお接待のどうぞと手渡して下さる

 「助かった。 本当に助かった。 ありがたい。」 代金を払わせて下さいとお願いしたがお接待ですよと笑って手を横に振りながら、

  何処から来たのか  今何日目か など 暫く雑談をした後に感謝のお礼を云って [横峰寺」を目指してまた歩き始めました

振り返って店を見ると屋根の上に「佐伯商店」の看板が出ておりました 佐伯商店のご主人さん有り難うございました


清水の湧きだしている処からヘンロ道を上って行きましたが各所で台風被害の復旧工事が行われており、 今日は丁度日曜日で工事が中断されており、通行止めが一時的に解除されていたので用心しながら通り抜ける事ができました 週日だったら全面通行止めで通してもらえなかったのにと大いに助かりました

小雨が降るなか傘を右手にバッグを左手に持って汗びっしょりになりながら 11:50 [横峰寺]の仁王門に到着しました 途中、佐伯商店の主人から頂いたパンでエネルギー補給したので元気な足取りで登り切れたのです

納経所を訪ねて下り道のアドバイスをお願いすると 
 「 [61番 奥の院]経由のへんろ道は崩落して危険だから 3.1km 先の分岐点で右の道を行き採石場横を抜け小松オアシスを経由して [香園寺]に下りて行ってください」  と教えて下さる

宿で貰ったムスビで腹ごしらえをして 12:20 [横峰寺]を出発

教えられた通りに下ってきて 14:30 [香園寺]に到着 ひとまず難所の一つ [横峰寺]を無事に踏破できた事は嬉しい

[香園寺]は鉄筋コンクリート2階建ての建物の中に本堂と大師堂が収まっており、山門はなく他のお寺と雰囲気が全く違ったお寺です 門前に甘納豆の屋台が出ており「おへんろさん どうぞ」とお接待してくださる 疲れた身体には甘い物は特に美味しい   有り難うございました  境内で一宮の水谷さんと再会 これから [京屋旅館]まで上って今夜はそこに泊まり、明日 [横峰寺]を打つ予定だと云われる

[宝寿寺]は山門の無いこじんまりしたお寺で[JR小松駅]に近いお寺です

参拝を済ませて今夜宿泊の [小松旅館]に向かう   国道11号を挟んで歩いて直ぐの処だ 旅館には [栄屋旅館]のご主人が運んで下さったリュックが無事に届いていました 4/20に [石手寺]で一緒になった東京の佐藤さんと同宿になり、夕食は肉屋さんだけあってお肉たっぷりの肉シャブ料理でした



「 別格10番 西山興隆寺 仁王門 」
(2006年4月23日 : 07:57)
「 別格11番 生木地蔵 本堂 」
(2006年4月23日 : 06:45)
「 生木地蔵 大師堂 」
(2006年4月23日 : 06:53)

「 生木地蔵 霊木と楠大明神 」
(2006年4月23日 : 06:45)
「 生木地蔵 納経所 」
(2006年4月23日 : 06:45)
   
「 霊場60番 横峰寺 仁王門 」
(2006年4月23日 : 11:49)
   

「 横峰寺から下山の途中 」
(2006年4月23日 : 12:29)
「 霊場61番 香園寺 寺院 」
(2006年4月23日 : 14:34)
「 霊場62番 宝寿寺 入り口石柱 」
(2006年4月23日 : 15:14)
   



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☆ 『 鉄筋ビルの 霊 場

H18/4/24 (月 歩き遍路 33日目) 晴天 暑い1日

* 行程:[小松旅館](06:20) ⇒ [63番 吉祥寺](06:45) ⇒ [64番 前神寺](07:35) ⇒ [別格12番 延命寺](14:45) ⇒ [パークホテル](16:30)

* 歩いた距離:43,3km = (Σ 1,092.1km)

* 歩数:56,000歩

* 宿泊:「パークホテル」(愛媛県三島)(素泊まり\5,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


[吉祥寺]は旅館から 1km余りの距離で街中の中ぐらい規模で新しい造りのお寺でした

[前神寺]へ向かう途中、明日の宿泊を池田の[民宿岡田]に電話してお願いする   無事に予約が成功  岡田の主人に明日の別格13番[仙龍寺]の打ち方を尋ねると車道を歩く事を勧めると云われる

[前神寺]は山門が無く、寺院は鉄筋コンクリート2階建てのビル造りでその中に本堂と大師堂が設置されております   参拝には靴を脱いで上がって行います  またこのお寺は [石槌神社]と混在する大きな敷地の中にあります

別格12番[延命寺]は国道11号に沿った旧道沿いの街中にあるこじんまりしたお寺です 参拝して納経の時に門主にお寺の手を洗う場所の正式な呼び方を尋ねてみたがやはり考え込まれて即答は得られませんでした 大師お手植えの松の巨木[いざり松]が長年境内を賑わしていたそうですが昭和43年に枯れてしまい、その一部が境内に記念として残され祭られていました

ホテルへの途中、食料の調達にローソンに入り、ホテルの場所を聞くと2番目の歩道橋の近くだと教えられました

2番目の陸橋を目指して歩くがそれがまた何と遠いこと   早すぎた食料調達と期待はずれに遠いのに疲れ果てて仕舞いました

明日の別格13番の [仙龍寺]へのへんろ道の勉強が終わっていないのですごく心配です 歩きへんろ道を歩かないで車道を行けと誰からも教えられたが案内が少なく道に迷ってしまうのではないだろうかと不安がつのるばかりです


  * 山の手線高田馬場で線路の盛り上がりが起こり運行停止



「 霊場63番 吉祥寺 山門 」
(2006年4月24日 : 06:46)
「 霊場64番 前神寺 山門 」
(2006年4月24日 : 07:35)
「 別格12番 延命寺 入り口石柱 」
(2006年4月24日 : 14:467)
   

「 延命寺 本堂 」
(2006年4月24日 : 15:05)
「 延命寺 大師堂 」
(2006年4月24日 : 15:06)
「 延命寺 いざり松 」
(2006年4月24日 : 15:13)
   



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☆ 『 大 西 さ ん

H18/4/25 (火 歩き遍路 34日目) 快晴

* 行程:[パークホテル](05:30) ⇒ (途中) →車→ [別格13番 仙龍寺(H320m)](06:55) →車→ [65番 三角寺(H360m)](09:20) ⇒ [別格14番 椿堂(常福寺)](11:15) ⇒ [民宿岡田](16:30)

* 歩いた距離:16,2km = (Σ 1,108.3km)

* 歩数:30,000歩

* 宿泊:「民宿岡田」(徳島県四国中央)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、主人と息子さん夫婦の3人でサービス


4時に目覚め5時半ホテルを出発 ホテル前で水を撒いている男の人に [三角寺]への道順を尋ねると彼は水まきを止めて東の空を指さしながら
 「向こうの自動車道の下の道を左に行くと間もなく [三角寺]への道案内が出てくるのでそれれが一番判り易くいし近道です」、
と教えてくれる

その通りに自動車道を目指して歩いていると手前の団地内で道は行きたい左方向とは逆にゆっくりと右にカーブしていてだんだん遠く離れて行きそうなので心配になり
引き返そうかと思案していると目の前の車庫からエンジンをかけて出発しようとしている車があるのです
大急ぎで車に駆け寄って
 「お早うございます  [三角寺]へ行きたいのですが向こうの高速道の下の道を行けば良いと
  教えて貰ったのですがどう行けば高速道の下の道に行けるか教えて下さい」
とお願いする

その方(四国中央市の大西さん)は汲んできた霊水などを近所に配って喜ばれておられる方だそうで、今朝も採って来たばかりの筍を近所の方に配りに行こうとしておられた処でした
 (後から気が付いたのですが時間は朝の6時頃で大西さんはまだ朝食前だったのではないかと思います  大変失礼な事をしてしまいました)

 「三角寺へ行くなら兎に角車に乗れ」と強く乗車を勧められるのです

断る事が出来ないまま好意に甘えて助手席に乗せてもらったのです

大西さんの慎重な運転に感心しながら助手席に同乗させてもらい、自己紹介をして、今回は3度目の歩き遍路であること、別格を含む108寺を歩いてお遍路している事、今日は [三角寺]から別格の [奥の院仙龍寺]にお参りして今夜は池田の [民宿岡田]に泊まる予定だとお話すると
 「私も久しぶりなので一緒に行きましょう」

と云われ [三角寺]の前を素通りしていつの間にか車は山の中の道を走り、06:50 に [仙龍寺]山門の下に駐車場(H132m)に到着したのです

駐車場から長い急な石段を上って行くと芭蕉に俳句に詠われている「静けさや 岩にしみいる 蝉のこえ」を彷彿とさせるようなそう広くはないが静かな [仙龍寺]の境内に到着(H320m)しました

境内から奥に向かって登って行く険しく狭い石段の山道を独り登って行くと突然目の前に落差30mもありそうな一筋の白い流れの滝が現れたのです [仙龍寺]には [三角寺]から今日来た自動車道ともう一つ山の上を行くへんろ道があるのですがこのへんろ道は通る人がなく危険なので行かないようにと奥さんから忠告されたのです

多分この滝の上がへんろ道の終点(H500m)になっているのだろうと想像し、もし歩いていたらこの瀧の上にでて来たのだろうと思うと怖さを感じました [仙龍寺]は境内を中心に駐車場と滝の上では400m近い高度差のある切り立った場所に建つお寺です そして歩きへんろ道の終点の滝の上には山門ではないが門柱が歩いて来たお遍路さんを迎えてくれるそうです

本堂は境内の中に大きな2階建ての庫裡の中に在り、そこで和尚さんと大西さんと3人で雑談をしてコーヒーもご馳走になりました

帰りには大西さんに [三角寺]前まで車で送ってもらい、別格14番の[椿堂]まで送っていくと云われたが丁重にお断りし、厚くお礼を云って別れました

11:15 [椿堂]に到着   歩きお遍路さんには納経料をお接待しますと云われ、また普通\100の色つきお姿もタダで付けて下さいました

[民宿岡田]には16:30到着   早速洗濯を済ませ、明日の別格15番 [箸蔵寺]往復の立案にとりかかりました


  * 尼崎線脱線事故から1周年



「 別格13番 仙龍寺登山口 」
(2006年4月25日 : 06:57)
「 仙龍寺 仙人堂 」
(2006年4月25日 : 07:04)
「 仙龍寺の奥にある瀧 」
(2006年4月25日 : 07:15)
   

「 仙龍寺 寺舎(内部に本堂と大師堂) 」
(2006年4月25日 : 07:32)
「 仙龍寺 本堂 」
(2006年4月25日 : 07:48)
「 霊場65番 三角寺 仁王門 」
(2006年4月25日 : 09:22)
   

「 お世話になった大西さん 」
(2006年4月25日 : 09:48)
「 別格14番 椿堂入り口 」
(2006年4月25日 : 11:18)
   
「 椿堂 本堂 」
(2006年4月25日 : 11:23)

「 椿堂 大師堂 」
(2006年4月25日 : 11:28)
「 椿堂 寺舎(納経所) 」
(2006年4月25日 : 11:40)



*********************

☆ 『 広 大 な 敷 地

H18/4/26 (水 歩き遍路 35日目) 曇天

* 行程:[民宿岡田(H225m)](06:20) ⇒ [別格15番 箸蔵寺(H550m)](10:10) ⇒ [民宿岡田](15:00)

* 歩いた距離:37,4km = (Σ 1,145.7km)

* 歩数:54,000歩

* 宿泊:「民宿岡田」(徳島県池田)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、主人と息子さん夫婦の3人でサービス


今日は[民宿岡田]から別格15番の [箸蔵寺]を往復します

朝食の時にご主人からルートの資料を貰い、不要な物は残して軽装になって 06:20 に出発しました

[天神トンネル]、[白地トンネル](両トンネルとも短いが歩道が狭く歩きにくい)を過ぎて最初の信号と白地郵便局を目印に左折してR-267からR-32と国道を川沿いに東に約15km行くと箸蔵の町に到着します

へんろ道を北に1,250m上った処に [箸蔵寺の山門(H395m)]が迎えてくれます

山門からしばらく歩き、朱色の太鼓橋を渡って更に数百段の石段を上ると広い境内が2段に別れて広がり、上の境内には立派な本堂と金剛堂(大師堂)があり、下の境内には納経をしてもらう大きな寺務所と庫裡があります

納経所の話ではこのお寺の敷地は霊場で 1番の広いとの事で兎に角広く威厳を有したお寺です

11:00 帰途につき半袖シャツに白衣だけの薄着でも軽快に歩いていると汗が額から滴り落ちてくるほどです
13:30 途中の [喫茶店プール]で軽食とコーヒーをいただき体力を回復して今夜も連泊する [民宿岡田]に向かって軽快に帰って行きました


  * 偽装建築で8名逮捕



「 別格14番 箸蔵寺 」
(2006年4月26日 : 10:10)
「 箸蔵寺 仁王門 」
(2006年4月26日 : 10:12)
「 箸蔵寺 太鼓橋 」
(2006年4月26日 : 10:17)
   

「 箸蔵寺 本堂 」
(2006年4月26日 : 10:29)
「 箸蔵寺 大師堂 」
(2006年4月26日 : 10:35)
「 箸蔵寺 本堂 」
(2006年4月26日 : 10:40)
   

「 箸蔵寺 長く急な石段 」
(2006年4月26日 : 10:45)
「 箸蔵寺 鐘楼 」
(2006年4月26日 : 10:45)
   



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