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( 平成27年09月08日 更新 )



世の中には 貴重な 経験に 基づいた 先人の言葉 や、

永い歴史が 残してくれた多くの 教訓や 諺(コトワザ)

処世訓として 面白く、そして有益な言葉 などがたくさんあります。


これまで先輩・友人から教わったもの、資料などから入手したものを

時にふれ 書き残しておいたものを次の9部に分類 して紹介します





 『 ★ 人 間 』   『 ★ 日 本 』   『 ★ 教 育

[ 上記 3項目 はこのページ にあります ]




[ 下記の 6項目 は別ページにあります ]
( クリックすると Jump します )


 『 ★ 知 識 』   『 ★ 危 機 』   『 ★ 仕 事

 『 ★ 健 康 』   『 ★ 老 い 』   『 ★ 微 笑



各セクションに跳んで 楽しみながら,  ゆっくり,  ご覧下さい











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人 間







上記の 「 青春 」 の言葉は、二次大戦終戦後の1945年9月27日、昭和天皇が日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、初めて民間人と並んでツーショット写真を撮られた時に、お二人の後ろの壁に掛っていた 詩 がこの「青春の詩」(英語) だったのです。



マッカーサー元帥は、友人の John  W.Lewis 氏 ( コーネル大学教授 ) より贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていました。 しかし作詩者のサミエル・ウルマン氏 は、当時は全く無名でアラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていませんでした。
この詩を、ある日本人 ( 岡田義夫氏 : 明治24年埼玉県生れ,元東京毛織のOB ) が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳し、これが後に 松下幸之助氏 の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事が紹介され、雑誌にも掲載され一躍有名になりました。
又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこの詩の一節を引用したのも有名な話です。
その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になってアラバマ州のバーニングハム市でウルマンが晩年を過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見されました。
JASA (日本協会) が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営しており、この様な経過を経て日本で有名になった後にアメリカにお里帰りした心温まる話があります。



[原文]

YOUTH
Youth is not a time of life - it is a state of mind; it is a temper of the will, a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, doubt , self - distrust, fear and despair - these are the long , long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen,  there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

  you are yang as your faith, as old as doubt ;
  as young as your self - confidence, as old as your fear;
  as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.




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 「 青 春 」  ( 松下幸之助  H11.1.28 )


青春 とは 心の若さである

信念 希望 にあふれ 勇気 にみちて

日に新たな 活動 をつづけるかぎり

青春は 永遠にその人のもの である



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 「六 然」  (崔銑が王陽明に贈った言葉)

自処超然    自ら処すること超然 (ちょうぜん)     物事にとらわれず、

処人藹然    人に処すること藹然 (あいぜん)     人には和気あいあいと接し、

有事暫然    有事には暫然 (ざんぜん)         起こった事柄にはてきぱきと対応し、

無事澄然    無事には澄然 (ちょうぜん)        平安無事の時は心を澄ませ、

得意澹然    得意には澹然 (たんぜん)         得意の時は奢らず、淡々とし、

失意泰然    失意には泰然 (たいぜん)         失意の時は泰然(自若)としておれ。



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 「六 中 観」  (安岡正篤「百朝集」より)

忙中閑あり     忙しいからこそ 閑が存在する。 何もすることがなくての閑は 無内容な閑である。
            繁忙の中から得た時間こそが 本当の生きた時間ということである。

苦中楽あり     これについては 「プラス思考」 と言い換えたほうが理解しやすい。 苦楽をつくり出しているのは 「心」 に外ならない。
            苦中の楽こそが本当の楽で、 楽ばかりでは 退廃させるだけである。

死中活あり     一身を犠牲にする覚悟があって、初めて窮境を脱し、活路を見出すことができる。
            即ち、死ぬ気になって道を開こうと努力すれば、開けない道はないということである。

壺中天あり     人間はどんな境遇にあろうとも、自分だけの壷中の天を創りえる。
            私たちのまわりにも 「 えっ、このひとにこんな趣味があったの 」 とか、 「 こんな奥床しい芸を持っていたのか 」とか、
            驚かされることがある。 こうした自分の別天地を持っている人というのは、いかなる逆境にあろうとも、救われる人である。

意中人あり     出世して役職について、さて周囲を固めようと思ったが、自分の手足として動いてくれる人がいなかった ということでは、
            とうてい事はなしえないものである。 日頃から意中の人を射止めておくことが大事である。

腹中書あり     すぐれた頭脳の持ち主というのは、先人が残した文献を繙き、読みながら、実は先人が発している周波数を
            つかむことに長けた人で、このような人は 現実問題に対して、瞬時に先人の知恵に周波数を合わせ、
            解決策を見い出すことが なんなく出来るはずである。



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 『 心にのこる人生の言葉 』 

一番忙しい人間が、一番たくさんの時間をもつ。……(アレクサンドロ・ビネ)

その気になれ。 道はひとりでに開けてくる。……(ある高校教師の言葉)

挑戦なくして 成し遂げられた偉業は一つもない。……(高橋竜二)

機会を待て。 だが、けっして時を待つな。……(W・ミュラー)

明日にするな。 今日やって明日休め。……(輪島功一)

今日なし得ることに 全力を尽くせ。 しからば明日は一段の進歩あらん。……(ニュートン)

やってみな わからしまへんで。 やってみなはれ。……(鳥井信治郎)

今ならできる。 今しかできない。……(牛尾治朗)

善を学ぶは千日も足らず。 悪を学ぶは一日も余りあり。……(中国の俗諺)

経験は危険を教えてくれる 教師である。……(外山滋比古『生きる知恵』)

成功している人は、 みな途中であまり道を変えていない。……(松下幸之助)

失敗させることによって、 神は人を鍛える。……(西洋の諺)

焦ることはなんの役にも立たない。 後悔はなおさら役に立たない。……(ゲーテ)

感謝して今日を生きることが 明日への希望である。……(日野原重明)

疑いを持たない秀才より、 好奇心を持った劣等生になりなさい。……(塩野七生)

仕事にたいするときは上機嫌でやれ。 そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない。……(ワグナー)

倒されし竹はいつしか立ち直り、 倒せし雪はいつしか消えてなくなる。……(悠玄亭玉介)

共に喜ぶのは二倍の喜び、 共に苦しむのは半分の苦しみ。……(ドイツの諺)

外相整いて、 内相自ら熟す。……(吉田兼好『徒然草』)

失ったものを数え上げずに、持っているものを大切に思う。……(曾野綾子『近ごろ好きな言葉』)

知らないのは恥でない。 知ろうとしないのが恥である。……(沢柳政太郎『学習法』)

一日の計は朝に在り。 一年の計は春に在り。 一生の計は少壮の時に在り。……(安井息軒)


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 「辛いと云う字は」   薬師寺管長安田暎胤氏
「世の中は娘が嫁と花咲いて、嬶かかと萎しぼんで婆々と散り行く」
 辛抱の辛は辛いという字ですね。
 一番上に横に一を入れると幸せになるんですよ。
 そうですね。辛いという字は一番上にちょっと横文字入れますと、
 幸せという字に変わってしまいます。
 「一つ辛抱すると幸せに変わるんだ」と。


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 「恩を売る」 (施人慎勿念、受施慎勿忘)
人に施(ほどこ)しては慎みて念(おも)うこと勿(なか)れ

施しを受けては慎みて忘るること勿れ     文選より


  ◇人に恩恵を与えても、そのことは早く忘れるようにすべきである

   人から恩恵を受けたならば、いつまでもそれを忘れないようにしないといけない


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 「追ってる人生」  渡辺惇一  (H15.8.14 TV番組で)
 エ・アロール(それがどうしたの)から

 目的を持って生きることは それが達成されなくても 追い続けることにより 若さを保つことができる。


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 「主将の陥りやすき三大失観」  (武田信玄遺訓)
一つ、分別あるものを悪人とみること
二つ、遠慮あるものを臆病とみること
三つ、軽躁なるものを勇豪とみること

現代は自己主張の時代、たとえ思慮深い人でも、己を慎んでしゃしゃりでない人は目立たず、重用されることが少ない時代です。
人を見る眼が濁らぬよう、自戒しなければならないと思います。


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 「二物を求めず」    誕生院(岡山県美作の法然上人の御旧跡)
                 のお土産品包み紙に書かれていた文です  (天蔵寺 法林-66 から引用 H20,11,01 )

  ツノ ある牛は 歩むが遅い
  ツノ ない馬は 走るが速い
  器量のよい人 愛想が悪い
  愛想のよい人 器量がもう一つ
  愛想も器量も どちらもよけりゃ
  これまた身体が 弱くて病院通い

  金のある時 暇がない
  暇がある時 金がない
  お金お金と無理してためた
  たまった途端に いのちがもたぬ

  家も新築 お金もできたが
  肝心要の子ができぬ
  できたできたと ちやほやしたら
  貯めたお金を 湯水と使う

  お金も子供も 云うことないが
  貰った嫁御が 気にいらん
  産んだわが子も たてつく時代
  他家で生まれた 人じゃもの
  辛抱するのが あたりまえ

  二つそろって 良いことないと
  悟るまでに 月日がかかる
  わかりかけたら この身の終わり
  ほんに浮き世は ままならぬ



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 「男 の 酒」 
一、男の酒のうれしさは
   たちまち通う意気と熱
   人生山河 険しいけど
   君盃を 挙げ給え
   いざ我が友よ 先ず一献

二、美人の酌に酔えばとて
   今宵は今宵なにかある
   男は明日に 生きるもの
   君杯を 挙げ給え
   いざ我が友よ 先ず一献

三、秋月影に酌むもよし
   春散る花に酔うもよし
   哀れを知るは 英雄ぞ
   君杯を 挙げ給え
   いざ我が友よ 先ず一献

四、還らぬ恋に 泣くもよし
  恋には愚痴ぬ男児なれ
  国に死すべき 日のために
  君杯を 挙げ給え
  いざ我が友よ 先ず一献

五、友の情けに泣くもよし
   今は遥けき故郷の
   母を想いて 泣くもよし
   君杯を 挙げ給え
   いざ我が友よ 先ず一献

六、青葉の風の親しさよ
   青葉の雨の爽やかさ
   晴るるはうれし 雨もよし
   友泣くもよし男児ゆえ
   いざ我が友よ 先ず一献

七、花が少女の姿なら
   青葉は若き男児なれ
   人生実れ 麦の秋
   君杯を挙げ給え
   いざ我が友よ 先ず一献


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 「今年こそ、目標を達成できる自分になる! 」  (TEPORE H27,01,08)

「一年の計は元旦にあり」ということわざがあるように、年始に目標を設定した方も多いのではないでしょうか。
TEPORE編集部でも、ほとんどのスタッフが目標を設定しており、皆やる気にあふれています。
しかしながらはじめは意欲たっぷりだったはずなのに、時が経つにつれて熱が冷め、知らず知らずのうちに諦めていた…といった経験がある方も少なくないはず。
その一方で辛抱強く努力を続けて目標に近づこうとする方もいらっしゃるでしょう。
あなたはどちらのタイプですか?

そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、目標を達成するためのコツをご紹介します。

●目標を達成できる人とできない人の違いはどこにある?
私たちの意識には顕在意識と潜在意識とがあります。
顕在意識は決定・判断・選択をする意識で、自覚することができるのに対し、潜在意識は本能的な意識で、自覚することができません。
目標達成を左右するのは潜在意識。目標を達成できる人は潜在意識の中に「目標は達成するもの」という意識が根付いていますが、達成できない人は「目標は達成できないもの」という意識が根付いています。
この意識の違いが、目標を達成に大きく関係しているのです。

●あなたの目標設定、間違っていませんか?
<目標を明確化している?>
目標は、明確化すると達成しやすくなります。ダイエットを例に挙げると、ただ「ダイエットをする」だけでは、具体的に何をすべきかが見えません。 しかし「1日30分以上のウオーキングをして、半年間で3キロ痩せる」のように、どんな方法で・いつまでに・どうなりたいかなど、目標を細分化してゴールを具体的にすると分かりやすく、行動に移しやすくなります。

<目標や方法に魅力を感じられる?>
周りの人にとって魅力的な目標や方法が、自分にあてはまるとは限りません。
例えば「体幹を鍛えて正しい姿勢を手に入れるために、週に一度はヨガのレッスンに通う」という目標設定をしたとしても、ヨガ自体に興味がなければ長続きしません。
自分自身にとって魅力を感じられるような目標や方法を設定しましょう。

<目標は小さすぎず大きすぎない、現実的なものを選んでいる?>
簡単に達成できる目標では物足りないですし、現実からかけ離れた目標や、達成できそうにない高い目標では意味がありません。
例を挙げると、年収300万円の人にとって、「一年間で1000万円貯金する」という目標は、現実的ではないでしょう。
「一年間で100万円貯金する」というように、背伸びをしたら手が届きそうな目標が理想です。

●目標達成のために実践したい4つのこと
<必ず達成できる! と意識にインプットすること>
まずは潜在意識をプラスのイメージに傾けます。
自分が目標をクリアしたときに得られるであろう達成感や満足感をイメージトレーニングし、潜在意識にインプットしましょう。
そうすると、その気持ち良さを求めて、無意識に、目標へ向かって前進するような行動がとれるようになります。

<紙に書いたり誰かに話したりして、アウトプットすること>
目標を書き出して常に見えるところに貼る、家族や友人と一緒にお互いの目標を話し合って励ましあう、なども達成への近道です。
こうすることで自分自身にプレッシャーが加わって、目標達成への意欲が湧いてきます。

<努力を惜しまないこと>
日々の小さな行動が、やがて大きな成果につながります。
目標を設定したら毎日の努力を惜しまず、地道に積み重ねていきましょう。

<モチベーションを維持して臨むこと>
目標を達成するために必要なのが、高いモチベーションを保つことです。
TEPORE編集部には、目標を達成するまでの中継地点でご褒美を用意して、モチベーションを維持するようにしているというスタッフがいます。
お楽しみがあることで意欲が湧き、次のステップへ進む原動力につながるそうですよ。

目標を掲げ、諦めずに努力し続けることはとても大切なことですが、目標があることで苦痛を感じたり、疑問に感じたりしたら本末転倒です。
なりたい自分像をもう一度考え直し、自分自身が心豊かに生きていけるような目標を探しながら、2015年を充実した一年にしましょう。


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 「こころみよ」 イギリスの教育家  ヒクスン  (H15.10.05 PILOT誌)

  「 こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     これぞ 心にとどめるべき教え


   こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     たとえはじめに成功せずとも


   こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     やがては、必ず勇気がわいてくる


   うまず努力を続ければ

    勝利の日がくるから、恐れることはない


   こころみよ、こころみよ

    繰り返しこころみよ 」



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     (2008.01.15)

朝日新聞の「天声人語」(2008,01,15)に紹介されたのを友人M君が「E-mail」で知らせてくれました

  「この国もまだいけそうだと少し安心した。」 

の書き出しで紹介されておりました


[中学生、校生 の部]


 ・夏の午後ゆれるカーテン見上げては流されるだけの自分を恥じる
         池田高等学校2年(北海道)            :長谷 佳奈子

 ・大量の情報めぐるインターネット僕は網から抜け出せずにいる
         北見北斗高等学校3年(北海道)          :大嶺 達成

 ・つらいのは君だけじゃないとか言わないで悩んでいるのぼくなんだから
         北見北斗高等学校3年(北海道)          :久保 哲也

 ・ほうれん草のおひたし最近水っぽい握力落ちた母の細腕
         鵡川高等学校3年(北海道)            :千葉 幸

 ・同じ家に住んでいながらすれちがい牛舎に父を訪ねに行こう
         六ヶ所村立千歳中学校1年(青森)         :岡部 翔

 ・その願い「叶って欲しい」と祈るより「叶えてやるさ」と動き始めろ
         県立青森中央高等学校3年(青森)         :能代谷 智樹

 ・実習帽時を経るたび汗を吸いだんだん近づく職人の臭い
         県立むつ工業高等学校1年(青森)         :織田 朋洋

 ・また明日会話できると思ってた冷たい父に話しかける私
         県立むつ工業高等学校3年(青森)         :中村 美加

 ・国境は人が造ったバリケード空見て想うそんなのないと
         県立むつ工業高等学校3年(青森)         :橋本 航

 ・仲間とのそば打ち語る父の顔白髪頭の少年がいる
         県立水沢高等学校3年(岩手)           :場 史織

 ・青みかんまだすっぱくて食べれないいつかは熟せ私の心
         県立山田高等学校2年(岩手)           :阿部 千恵子

 ・かりんとう一口食べると思い出す甘くて頑固なばあちゃんの顔
         岩出山高等学校2年(宮城)            :橋 郁美

 ・大空を切り裂いて飛ぶ白球に私はこの夏恋をしていた
         県立秋田高等学校3年(秋田)           :野村 万里奈

 ・おばあちゃんさっきも言ったよその話忍びよる影そっと肩抱く
         県立置賜農業高等学校3年(山形)         :関口 亜沙実

 ・いくつもの仮面を使ってくたびれた元の自分はどれだったかな
         県立北村山高等学校3年(山形)          :森 里奈

 ・白鳥がV字になって連れて来る自然の厳しさ冬将軍
         県立酒田工業高等学校2年(山形)         :伊藤 翔

 ・大好きな君の隣に行きたくてらせん階段一気に登る
         県立下館第一高等学校3年(茨城)         :渡辺 徹

 ・A4のコピーB5でとるように自分の気持が全ては見えない
         東洋大学附属牛久高等学校3年(茨城)       :岡野 友彦

 ・最近ねはやってるんだよKYがなぜなら僕もKYだから
         那須高原海城中学校2年(栃木)           :田中 孝明

 ・食品の賞味期限をちゃんとして買い物のとき迷惑だから
         星野学園中学校3年(埼玉)             :野村 彩乃

 ・どんな日も私を迎えてくれるのはしっぽで伝えるおかえりなさい
         県立熊谷女子高等学校1年(埼玉)         :井上 実香

 ・鏡の前で十回練習したけれどあなたの前だと言えない二文字
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :宇佐美 静香

 ・夕焼けに鳥がつくったVサイン明日の試合の勝利のサイン
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :岡田 朋子

 ・水彩の絵の具で描いてあるような窓越しに見る雨降りの街
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :杉山 容子

 ・シロクマが最近暑いと泣いている今すぐ止めよう地球温暖化
         県立坂戸西高等学校3年(埼玉)          :黒沢 麻祐

 ・おとうとがニコニコしながらできたよと笑顔いっぱい初さかあがり
         県立羽生実業高等学校1年(埼玉)         :石井 莉乃

 ・家事をする母の背中を見ていたらふいに声出た私がやるよ
         県立松山女子高等学校1年(埼玉)         :磯田 美優

 ・「受験費用心配しなくて良いから」と父のメールに涙こらえる
         県立松山女子高等学校3年(埼玉)         :小林 麻未

 ・車イスガタガタゆれて怖かった砂利道でわかった高齢者の思い
         県立養護学校さいたま桜高等学園1年(埼玉)   :森田 聖吾

 ・「はよ起きや!」「わかってるわ、うるさいな!」ほんまは毎朝感謝してます
          聖望学園高等学校2年 (埼玉)           :松田 千里

 ・「ちくしょう」と悔し涙を流すほど頑張れた君がうらやましいな
         市立幕張本郷中学校2年(千葉)          :富樫 恵理子

 ・プレゼント選ぶことより悩んでる貴方に伝わる言葉選びを…
         芝浦工業大学柏中学校1年(千葉)         :和田 倫枝

 ・思春期だそんな言葉で片付けてほんとの思いを無視してばかり
         東邦大学付属東邦中学校3年(千葉)        :橋 さくら

 ・復興の願いを込めて新潟の夜空彩る大輪の花
         麗澤中学校1年(千葉)                :近藤 秀哉

 ・ありがとう人と人とをつないでる言ってうれしい言われてうれしい
         麗澤中学校2年(千葉)                :飯塚 千佳

 ・がんばれとアヤメの花が私の背細い葉っぱでそっと押したよ
         和洋国府台女子中学校1年(千葉)         :石井 美貴

 ・結び合う心も足も一歩ずつ前へ前へと百足は進む
         和洋国府台女子中学校3年(千葉)         :岩井 香奈

 ・秋空を見上げて想う晩ごはん雲のかたちで献立占う
         県立佐原高等学校3年(千葉)            :吉田 真奈美

 ・辛い時泣いてもいいよ溜め込むな話を聞くよそれが友達
         県立津田沼高等学校2年(千葉)          :石渡 香里

 ・赤点をはじめてとった時のこと修正液でも消せない思い出
         県立津田沼高等学校2年(千葉)          :岩田 昌之

 ・おはようと確かに聞こえた母の声現実を告げる指輪の遺品
         県立津田沼高等学校3年(千葉)          :徳留 裕美

 ・雨の日のたった一人のAO入試雨雲だけが私を見てる
         県立松戸高等学校3年(千葉)           :藤ア 香織

 ・片隅に積み上がってる参考書夏物語るマーカーのあと
         西武台千葉高等学校3年(千葉)          :野呂 友里恵

 ・真夜中にひとり眼を閉じ呟いたぼくはここだよ誰か見つけて
         東京学館船橋高等学校2年(千葉)         :松下 渓介

 ・ウチの母最近多い代名詞アレこれソレで意思伝わらず
         東京学館船橋高等学校2年(千葉)         :宮田 好実

 ・ケータイやインターネットが友達で寂しくないか君の人生
         稲城市立稲城第二中学校2年(東京)        :落合 将喬

 ・大臣や大人がゆとりと言ってるが子供はしっかり勉強してる
         小金井市立緑中学校3年(東京)           :藤田 真

 ・北極の厳しさ伝える温暖化青き地球の声無き悲鳴
         国分寺市立第五中学校2年(東京)         :佐々木 智未

 ・落ちついて僕はそんなに美味くない鹿に言葉は通じないけど
         国分寺市立第二中学校3年(東京)         :御畑 龍一郎

 ・嬉しいな職場体験保育園やんちゃな子たちにチュウされギュウされ
         文京区立第三中学校2年(東京)          :齋藤 みなみ

 ・朝顔はさみしがりやの誰かみたい隣の棒にすぐ絡みつく
         鴎友学園女子中学校2年(東京)          :大野 花菜

 ・試験中私の中で鳴り響くベートーヴェンの運命ダダダ
         暁星中学校3年(東京)                :上原 浩平

 ・辞書をひき「バレンタイン」の隣には「破廉恥」があると気付いたあの日
         暁星中学校3年(東京)                :宮 康貴

 ・あの月でうさぎと遊んでいるだろか澄んだ空気に妹を想う
         慶應義塾中等部1年(東京)             :石出 大地

 ・色彩をけずりおとした冬の森空の青だけひときわめだつ
         慶應義塾中等部1年(東京)             :向井 美月

 ・手のひらに人と書いてのみこんだ背負った楽器がずしりと重く
         頌栄女子学院中学校3年(東京)          :工藤 真弓

 ・両親の働く姿に胸打たれそっと終わらすマイ反抗期
         頌栄女子学院中学校3年(東京)          :樋口 絢美

 ・無言館絵のうったえに答え出ず何をすべきかたたずむ私
         東京学芸大学附属大泉中学校2年(東京)     :松原 瀬奈

 ・雨の日の帰り道には武士多し傘を片手にいざ勝負せよ
         東京学芸大学附属大泉中学校3年(東京)     :須藤 秀太

 ・レジ袋「結構です」とエコ宣言その一言が地球を救う
         都立田柄高等学校1年(東京)            :保科 香澄

 ・南極の氷を溶かす温暖化海面上がり島が溺れる
         都立府中工業高等学校1年(東京)         :中村 勇太

 ・内奥に濃密な闇蓄えてずしりと重い熟れた無花果
         都立南平高等学校3年(東京)            :伊東 光穂

 ・洗い髪ふわりと香るシャンプーと共に流したひと夏の汗
         学習院女子高等科2年(東京)            :黒田 真理恵

 ・喜びや悲しみさえも写し出す六本の弦が奏でる調べ
         暁星高等学校1年(東京)               :星野 真之介

 ・あじさいのがくにたまったにわか雨きらりこぼれる紫の粒
         駒澤大学高等学校3年(東京)            :高見 麻未

 ・エアコンで家族が集う夏の居間異常気象がもたらす絆
         女子学院高等学校1年(東京)            :小玉 千陽

 ・あなたから返事を待ってる間だけ空気と時間は密度を変える
         星美学園高等学校3年(東京)            :恩田 桜子

 ・大好きな君に会えるの期待して今朝もいつもの各駅停車
         専修大学附属高等学校2年(東京)          :長谷 亜也

 ・ハンカチにハニカミそしてぽっちゃりと「王子」の安売りいつ終わるのか
         早稲田大学高等学院3年(東京)           :吉田 泰介

 ・声だけで私とわかる患者から触れた時間の重み感じる
         新宿区医師会立看護高等専修学校1年(東京)   :山下 貴之

 ・甲子園郷里の球児の活躍に急にふるさと自慢する父
         神奈川大学附属中学校3年(神奈川)         :七田 洋平

 ・あのときにああしていればこうすればifを重ねる僕の人生
         慶應義塾普通部3年(神奈川)             :安田 恒星

 ・「俺は何故生き残ったんだ」涙する祖父の背中に言い返せぬ夏
         神奈川大学附属高等学校1年(神奈川)       :三田村 優紀

 ・散り終えた金木犀の木の下に夕焼け色の花の絨毯
         上田西高等学校1年(長野)              :中村 美月

 ・「痛くない?」鍼持つ指が震えてる今日も実技で真剣勝負
         県立岡崎盲学校1年(愛知)              :石島 美奈

 ・点ブロの上で困って立ち止る私の前に出される右手
         県立岡崎盲学校1年(愛知)              :森田 香織

 ・「大丈夫」とにじむ涙をかくす母もっと私を頼っていいよ
         光ヶ丘女子高等学校3年(愛知)           :杉浦 恵

 ・猛毒の枯れ葉剤でもドクちゃんの生きる希望は枯らせなかった
         京都医健専門学校1年(京都)            :粟津 良太

 ・稲かりでぼくの力をあてにして父と軽トラ休んでいたよ
         清風中学校1年(大阪)                :籔中 奎介

 ・両親はそんなオモチャというけれどメールひとつで涙も出るよ
         府立今宮高等学校2年(大阪)            :福家 里奈子

 ・高野山目指し夜道を歩くなか心を奪う天のオリオン
         大清風高等学校1年(大阪)             :鳥居 宏臣

 ・法被着て鉢巻しめて真剣にだんじり曳けば皆男前
         清風高等学校1年(大阪)              :矢口 陽平

 ・ネットカフェ名前はカフェのはずなのに今では人の家になってる
         清風高等学校2年(大阪)              :三浦 礼寛

 ・鉄骨が音を響かせ埋めてゆく祖母と遊んだ想い出の地を
         清風高等学校3年(大阪)              :上垣内 勇樹

 ・おじいちゃんみんなの話題と違うけど私はちゃんと聞いてるよ
         県立総合技術高等学校3年(広島)         :岸 友佳里

 ・水槽のグッピーいつも涼しそう赤いドレスがまるで貴婦人
         如水館高等学校3年(広島)             :木梨 真奈

 ・初任給で何か送ると電話した頑固な祖母が静かに泣いた
         県立宇部工業高等学校3年(山口)         :辻畑 真太郎

 ・「よう来たね」迎えてくれた祖母の手に皺の数だけやさしさ見える
         高知工業高等専門学校4年(高知)         :小川 修平

 ・酸性雨オゾンにフロンにエルニーニョどうなる未来どうなる私
         久留米信愛女学院高等学校2年(福岡)       :齋藤 結乃

 ・年賀状昔は全部手書きした今ではみんな「あけおめ」メール
         九州国際大学付属高等学校3年(福岡)       :松本 聖也

 ・道ばたに一つ綿毛のたんぽぽが風に吹かれていのちを飛ばす
         佐世保市立相浦中学校2年(長崎)          :宮本 歩

 ・クラス替え誰となるかと楽しみでいつもより早く学校へ来た
         佐世保市立中里中学校2年(長崎)          :百枝 健佑

 ・練習で球拾いしながら盗んでる先輩のプレー憧れながら
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :浅田 献斗

 ・手仕上げで工作物を磨く音部屋中やすりのサ行ザ行音
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :浅田 亮

 ・初めての機械実習緊張の心の角を切り飛ばしてる
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :泉田 純次

 ・八月の長崎の空ためらって大雲は影をやさしく落とす
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :西村 翔

 ・だんだんと母になりゆく姉がいておなかに話すやさしい笑顔
         県立鹿本高等学校3年(熊本)            :村上 真紀

 ・南天に静かな光十三夜「かぐや」の便り地上にて待つ
         岩田中学校1年(大分)                :麻生 壮元

 ・「帰るね」と言ったら急に話し出す祖母の顔見て「まだいようかな」
         県立鹿児島中央高等学校2年(鹿児島)      :内田 菜月

 ・傷ついた私の心に海がある流した涙がいっぱい溜まって
         Troy High School2年(アメリカ)           :李 玖澤




[小学生 の部]


 ・紫のすみれは私くるくると五月のかぜに乗って踊るよ
         さいたま市立城南小学校5年(埼玉)        :野原 彩佳

 ・夏の朝犬がろうかで動かずに、じっとしたまま天へ召された
         コロンビアインターナショナルスクール6年(埼玉) :荒川 和樹

 ・松郷の林の緑そよそよと自然を感じああコロンビア
         コロンビアインターナショナルスクール6年(埼玉) :伊藤 慎馬

 ・できるってしんじてけったさかあがりけしきがまわるガッツポーズだ
         成田高等学校付属小学校3年(千葉)        :重吉 彩乃

 ・冬の朝空気がすんで顔出したぼうしかぶった白い富士山
         川崎市立久末小学校6年(神奈川)         :八木橋 詩織

 ・日の下でかまを手に取り稲をかる額はあせで軍手はどろで
         安城市立桜林小学校5年(愛知)           :南雲 裕貴

 ・しゅうかく日すごく楽しいいねかりだかまをもつ手に力が入る
         安城市立桜林小学校5年(愛知)           :山本 祐輔

 ・「にじ見たで」 「パパも見たで、こっちのな、はしからはしまで全部にじやで」
         茨木市立春日小学校3年(大阪)           :小川 美紀

 ・あいのりのワゴンに乗れたうれしいなみんなといっしょにハイ!ポーズ カシャ
         雲仙市立小浜小学校6年(長崎)           :川添 樹良

 ・牛さわりいろんな所さわったよとくに頭をさわりまくった
         雲仙市立小浜小学校6年(長崎)           :津田 航










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日 本



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 「 日の丸・君が代の歴史的由来 」 ( H11.3.7正論から )

日の丸についていえば、すでに八世紀前半、元日の朝廷での朝賀に「太陽をかたどった旗が掲げられた」という記録がある。

その後、武門の誉れや正義の旗印に使われるなどの経緯を経て、幕末の安政元年(一八五四年)、薩摩藩主・島津斉彬の提言と、水戸藩の徳川斉昭の賛同を得た上で幕府が外国の船と間違われないように、日の丸を「日本総船印 」に決定した。

そして明治三年、新政府が太政官布告で各国に「国旗 」として通告したという歴史がある。

君が代については、明治二年、英国の軍楽長から「どこの国にも国歌が必要だ 」という提言を受けた薩摩藩士が、和漢朗詠集などにあった「君が代は…」の歌を選び、最終的には宮内省の雅楽課が曲をつけてできあがったのである。

この二つの経緯を通して、まず、日の丸も君が代も「明治の国づくり」に当たって、国際社会で恥じない国をつくろうとした努力の一環として制定されたことが分かる。

いわば、先人たちが国づくりのために流した汗がしみこんでいるといっていい。

また、国際社会に船出するに当たり、他国との摩擦を避け、理解を得るために制定されたということだ。

こうした歴史を学ぶだけでも、自ずと日の丸・君が代への理解と敬愛の念は深まるはずだ。

日教組などのいう「軍国主義の象徴」との批判は、一時期の不幸な歴史をことさらに日の丸・君が代に結び付ける論法であろう。

特に、君が代の歌詞については「天皇が支配する世の中の繁栄を歌ったもので、主権在民に反する」という論議もある。

しかし、日本という国 は、二千年の歴史の大半は天皇が支配したのではなく、天皇を象徴として国民的な統合を保ってきたのである。

だから「天皇を象徴としていただくこの国の弥栄(いやさか)を願った歌」であり、民主主義とも少しも矛盾しない。

問題は各党やジャーナリズムが法制化への賛否を述べる前に、こうした歴史を持つ日の丸・君が代をどう受け止めているかである。



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 「 建国記念の日 について 」   ( H18.2.11正論から )

 「建国記念の日」の意義は記念といふ文字の意味が示す如く、建国の昔を思ひ起すことである。神武天皇が橿原(かしはら)の宮で即位を宣言された日付はもちろん記録に留められてはゐないが、それは一年の中で最もよき日である正月元日のことであつたと想定するのが人間の美意識乃至(ないし)聖性への意識にとつてふさはしい。

 そこでその御即位の年を讖緯(しんい)の学によつて算定し、その年の元旦を、明治六年に公定した現行の太陽暦に換算してみると二月十一日に当ることが算出できた。それは元来日本国紀元開始の日付なのだから、制定当時の如く、紀元節と呼ぶ方が適切である。

 さて、公私を問はず人間にとつて重要な行事はそれにふさはしい「吉日(よきひ)」を選んで挙行するのがよい、といふ思想は古今東西の人情の自然と言へるだらう。神武天皇の御即位がその年の元旦だつたらうと考へた『日本書紀』の編纂(へんさん)者に倣(なら)つて、明治二十二年の大日本帝国憲法の発布を、その年の二月十一日・紀元節といふ吉日を期して遂行した明治の先人の感性も、やはり一種の美乃至聖性の意識に発したものだとして改めて賛意を表したくなる。

 即ち、現行の「建国記念の日」は我が国の近代史に即して考へてみれば帝国憲法発布の記念日でもある。だからこの日を記念する行事の意義づけの一環として、国民にとつて憲法とはいつたい何か、如何なるものであるべきか、といつた問題を、その根本から考へてみる日だ、といふ受取り方にも意味があらう。

 その発布の記念日に、便宜的に現在明治憲法とも呼んでゐる旧帝国憲法制定の沿革と、それに費した先人達の苦心、そしてその各条章の本文にこめられた国憲の法理の本質を思ひ起し、再考してみるのである。それは現行一九四六年憲法の根本的改定が漸(ようやく)く現実の日程に上つてきたかに見える今日、新憲法のあるべき姿を考へるためにはむしろ必須の前提だと言つてよい。
    (産経新聞掲載の 「建国の日に考える憲法と皇室典範」 の中の一文 :東京大学名誉教授小堀桂一郎氏)


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 「 各国の国歌 について 」 ( 朝倉 謙氏から-- H11.3.14 )

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第一. 「 日本の国歌 君が代 」

1、 君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで

2、 君が代は 千尋の底のさざれ石の 鵜のいる磯とあらわるるまで

3、 君が代は 限りもあらじ長浜の 真砂の数は数みつくすとも

    作曲者 : 林 広守
    作  詞 : 不明
    出  典 : 文部省音楽取調係編纂唱歌集(明治14年)


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第二. 「 アメリカ国歌 」 ( The Star-Spangled Banner )星条旗 大使館訳詞


1、 おお 君よ 曙光の中で見えるか 黄昏の光の中で我らが誇りに満ちて称えた

  その太い縞と輝く星は危険な戦いの間中

  我らが見守る塁壁の上に勇壮に翻っていたか

  火矢の赤い輝き 空中で炸裂する爆弾は

  我らの旗が未だそこにある事を夜どうし教えてくれた

  おお あの星条旗は未だ翻っているか

  自由な人々の国 勇者の故国の上に


2、 立ち込める深い霧を通して 微かに見える岸の上に

  不逞なる敵の軍勢は恐ろしいまでに静まり返っている

  高く聳える急坂の上 断続的に吹く微風に 半ば隠れ

  半ば現れているあれは何か

  見よ それは曙の最初の旭光に映えて栄光に満ちて翻り 今輝いている

  おお それは何時までも翻っている星条旗

  自由な人々の国 勇者の故国の上に


拘束されたフランシスコ・スコット・キーが、敵艦上からボルチモアのフォート・マックヘンリー要塞への一昼夜にわたる攻撃を見て、それでも且翻る星条旗の姿に感動し作詞したものだそうです。
曲は、当時米国で愛唱されていた乾杯の歌「天国のアナクレオン」です。
原曲は、英国人ジョン・スタフォード・スミスの作曲したものでメロデーは、プッチーニの「蝶々夫人」にも使われているそうです。



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第三. 「 英国国歌 (God Save The Queen) 」 (大使館訳詞)


  神よ 我が尊い女王を守り給え 我が気高い女王に長寿あれ

  神よ 女王を守り給え 女王に勝利と幸福と栄光を与えよ

  我らの上に長く君臨されよ 神よ女王を守り給え


 世界の国歌の中で最古のものといわれているが、作詞者、作曲者は不明   1600年代チャールズU世が王位につき王制を復活した頃「神よ王を守り給え 」   という歌詞が出来たとの説もある。
 しかし、チャールズU世も次のジェームスU世も弾圧専制政治を行い、  国民の歌というより王党派の歌であったのかもしれない。
 しかし曲は、ヘンデル、ベートウベン、パガニーニ、ウエバー等が引用している。



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第四. 「 フランス共和国国歌 ( La Marseillaise) 」 ( 大使館訳詞 )

1、いざ、祖国の子達よ 栄えある日は来れり!

  圧政の血に染む旗は 我らに上げられたり!

  彼の暴虐なる兵士たちの 広野に叫ぶを聞かずや!

  我らの腕の中に来りて 我らの妻子を殺さんとす   武器を取れ 人々よ! 隊伍を組めよ!

  進め! 進め! 汚れし血を我らが畑に注がしめよ!


2、何かを願う 奴隷 逆賊 密謀の王たちの群れ!

  誰が為に久しく整えしや かかる恥ずべき桎梏を!

  フランス人よ! 我らのためなり 何たる恥辱!

  憤激の嵐は起こらん! 人々は敢えて我らを古の   奴隷となさんと企めり!

  武器を取れ 人々よ


3、何事ぞ! 他国の軍勢 我らの家に錠を敷かんとす!

  何事ぞ! 賤しき傭兵の群れ

  気高き我らの兵を葬らんとす!

  神よ 奴隷の手によりて我らの額は敵の軍門に屈せん!

  卑しき専制の輩は 我らの主とならん!

  武器を取れ 人々よ



フランスは、王政に反抗し1789年フランス革命が勃発、王政のオーストリアは、自国への波及を危惧し圧力を掛けるが、フランスはこれに対し1792年、宣戦布告し戦争に突入。
当初フランス軍は劣勢であったが、義勇軍を募り、マルセーユからに義勇軍がこの歌を高らかに合唱しながらパリに入った事から、マルセーユ軍団の歌と呼ばれた。
そしてオーストリア軍を撃破し、王制を廃止し協和政府の樹立を宣言。
1795年7月14日この歌は国歌に制定されるが、帝政の復活等を経て再度1879年国歌に制定された。
作詞作曲は、オーストリアとの戦争に参戦した陸軍工兵大尉ルージェ・ド・リールこの曲は、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化師」「二人の敵弾兵」に、また、映画「カサブランカ」にも使われている。



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第五. 「 ソビエト社会主義共和国連邦国歌 」 ( 大使館訳詞 )


1、自由な共和国の揺るぎ無い連邦を

  偉大なルーシが永遠に打ち固めた

  諸民族の意思によって創立された

  単一の力強いソビエト連邦万歳!
  ( くりかえし )
  讃えよ 我が自由な祖国

  諸民族友好の頼もしい砦!

  人民の力 レーニンの党は
  我らを共産主義の勝利に導く!


2、雷雨を突いて自由の太陽が我らを照らし

  偉大なレーニンが我らに行く手を照らした

  レーニンは正義の事業に諸民族を立ち上がらせ

  労働と功績に我らを奮い立たせた!
  ( くりかえし )


3、共産主義の不滅の思想の勝利の中に

  我らは我が国の未来を見る

  そして栄光の赤旗に

  我らは常に献身的に忠誠たらん!
  ( くりかえし )



帝政ロシア時代、英国と同様「神よ、皇帝を守り給え」という支配者賛美の歌が歌われていた。
1917年ロシア革命によってロマノフ王朝は打倒され、その後は、プロレタリアの革命歌「インターナショナル」が国民歌として国歌の役目を果していた。
第2次大戦において、ソ連は、資本主義諸国と手を握り、対独戦争を遂行する必要が生じたため、国歌の全国コンクールを実施し、その結果、1943年この詩と曲が採用された。
フルシチョフのスターリン批判以降は曲だけ演奏されたが、1977年になってスターリンをレーニンに変え公式に国歌として採択された。



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第六. 「 中国国歌 」(大使館訳詞)

  起て! 奴隷になることを望まぬ人々よ!

  我れらが血肉で築こう新たな長城を!

  中華民族に最大の危機迫る

  一人一人が最後の雄叫びを上げる時だ!

  起て! 起て! 起て!

  諸人心を一つに 敵の砲火を突いて進め!

  敵の砲火を突いて進め!

  進め! 進め! 進め!



中国の国歌「義勇軍行進曲」は、最初、「風雲児女」という映画の主題歌であった。
この映画は、1931年日中紛争の最中であり、抗日義勇軍?に参戦する青年の姿を描いたものです。
この曲は、日本軍に立ち向かう中国人の戦意を高め、歌詞も戦時下らしく激越な愛国精神の激励歌です。
1949年9月27日、中国人民政治会議で正式に国歌が制定されるまで、「 義勇軍行進曲 」を国歌とすると決議されています。
一時歌詞が改められましたが、1982年12月4日第五回全人代で、「義勇軍行進曲 」 の原歌詞を復活させ、中国の正式の国歌と定めている。



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以上各国の国歌の歌詞を列記しましたが、皆様はどのように感じられましたか。
日本国歌の真の愛情を歌い上げた歌詞に比し、各国の血なまぐさい歌詞の差に驚いております。
しかしこれが、本当の愛国の歌(国歌)で、日本が例外なのかもしれません。



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 「 日本人の矛盾する性格 」 (ルース・ベネディクト)

・ 日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく

・ 軍国主義的であると共に耽美的であり

・ 不遜であると共に礼儀正しく

・ 頑固であると共に順応性に富み

・ 従順であると共にうるさくこずき回されることを憤り

・ 忠実であると共に不忠実であり

・ 勇敢であると共に臆病であり

・ 保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる

・ 彼等は自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる

・ 彼等の兵士は徹底的に訓練されるが、しかしまた反抗的である



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 「 故 マザー・テレサの言葉 」

「 いま地球で飢えたところが2つある。
アフリカと日本です。
日本の飢えは、精神の飢えです。 」

と1982年に言われたことがあります。
私たち日本人が無くしたものを、ここで感じてくだされば幸いです。



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 「日本の世界遺産」 (H26.04.30)

    * 「世界遺産」とは : 國・民族を超えた価値を持つ貴重な建造物や自然環境などを保護するため、
       世界遺産条約に基づき、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が毎年開く世界遺産委員会で登録するかどうかを決める。
       2007年7月現在、世界で 800件余 が、日本では19件が 登録されている。

 [文化遺産 13件]

   法隆寺地域の仏教建造物(奈良県斑鳩町 1993)

   姫路城(兵庫県姫路市 1993)

   古都京都の文化財(京都市、京都府宇治市、大津市、1994)

   白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県白川村、富山県平村、上平村 1995)

   原爆ドーム(広島市 1996)

   厳島神社(広島県宮島町 1996)

   古都奈良の文化財(奈良市 1998)

   日光の社寺(栃木県日光市 1999)

   琉球王国のグスクおよび関連遺産群(沖縄県 2000)

   紀伊山地の霊場と参詣道(三重県、奈良県、和歌山県 2004)

   石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県大田市 2007)

   平泉(岩手県平泉市 2007)

   富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県富岡市 2014)



 [自然遺産 5件]

   屋久島(鹿児島県屋久町、上屋久町 1993)

   白神山地(青森県、秋田県 1993)

   知床(北海道・知床半島とその沖合3kmまでの海域 2005)

   小笠原諸島(東京都 2011)

   富士山と三保の松原(静岡県、山梨県 2013)



 [無形文化遺産 1件]

   和食文化 (日本食 2013)






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 「日本の宝、「和食」のおはなし!」  (TEPORE H26,02,25)


近年、日本の食文化が欧米化の傾向にあるといいますが、私たち日本人の奥底に根付いている食文化とは、ご飯やお味噌汁といった和食の献立ではないでしょうか。
TEPORE編集部でも、海外旅行から戻った途端、和食が恋しくなって梅干しのおにぎりを空港内のコンビニエンスストアで買って食べたというスタッフがいます。
その気持ち、とても良くわかりますよね。

そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、日本の宝ともいえる、「和食」についてご紹介します。
2013年12月に「和食」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたという大きなニュースがありました。
日本人として、とても嬉しいお知らせでしたよね。
ところで皆さんは、有形文化遺産と無形文化遺産の違いをご存知ですか?
簡単にご説明しますと、有形文化遺産は建造物などといった形があるものが対象となります。
例えば、1993年に登録された姫路城や、2013年に登録された富士山といった世界遺産は有形文化遺産となります。
対する無形文化遺産は、形にならないもので、人間が持つ知恵や習慣、文化などが対象となります。
例えば、今回登録された「和食」の場合ですと、無形文化遺産登録の対象となったのは「おせち料理」という特定の食ではなく、「お正月におせち料理を食べるという日本の文化」ということになります。
私たち日本人にとって、ごく身近に感じられる日本の食文化ですが、世代を越えて受け継がれ、また海外からも高く評価されるには、それなりの理由があります。

●栄養バランスに優れた健康的な食生活
「一汁三菜」を基本とする日本の食事スタイルは、和食の基本的な形とされており、平安時代末に登場したといわれています。
理想的な栄養バランスがとれることに加え、「うま味」を上手に使うことによって、動物性油脂の少ない食生活が実現できるため、日本人の長寿や肥満の予防につながっています。
これは世界から注目されている食生活でもあります。

●正月などの年中行事との密接な関わり
日本の食文化は、正月やひな祭りなどの年中行事と密接に関わりを持ち、行事の際に家族や地域の方と「食」の時間をともにすることで、絆を深めることにも一役かっています。

●自然の美しさや季節の移ろいの表現 自然の美しさや季節の移ろいを食事の場で表現することも日本の食文化の特徴の一つです。
その時々の花や葉などで料理を飾り付けたり、季節に合った器を利用して季節感を楽しむのは、日本人ならではの志向です。
若者を中心に和食離れが進んでいるといわれていますが、日本人が長い間育んできたすばらしい食文化が、今の私たちの体を支えているといっても過言ではありません。
ご飯とお味噌汁を食べるとホッとする、お正月におせち料理は欠かせない、様々な食器を買い足したくなる、…そんな気持ちになるのは、やはり私たちが日本人だからなのでしょう。
さて、和食といえばだし汁が基本の味付けの一つといわれており、だしの味次第で料理の善し悪しが決まる、ともいわれています。
ここでは、一般的なだしをご紹介します。

●昆布だし
上品で控えめなだしです。鍋料理・茶碗蒸し・和え物など具の香りや素材の味わいを大切にする料理に向いています。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l4fcHad97a8a2Iid0hs2w51p87d

●一番だし
香りが高く、口当たりも上品なのでお吸い物やうどん、そばのだしなど、だしの味を生かした料理などに向いています。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l5fdH4e1f4107Iid0hs2w51p87d

●二番だし
醤油・みりん・砂糖・味噌などの調味料で味付けをする料理のベースに使用します。特に味噌汁など味の濃い汁物や、惣菜の煮物などに向いています。
※薄すぎると感じた場合は、新たにかつお節を追加する「追いがつお」 という方法で調整をしてください。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l6feH30866208Iid0hs2w51p87d

TEPORE編集部の若手スタッフに聞いたところ、「かつお節といえば既に削られてパック詰めにされているものしか知らず、この前、削りたてのかつお節を食べた時には、香り豊かなかつお節の味に感動した」と言っていました。
最近では手軽なパックなどを使っているご家庭が多いようですが、かつては、削り器で、削りたてのかつお節を使ってだしをとっていたというご家庭が多くありましたよね。
今回の日本の和食についての登録は、食に関しての無形文化遺産登録で、フランス、地中海、メキシコ、トルコに次いで5件目の登録となりました。
日本の食文化が自然と身についている私たちにとっては、当たり前の食事かもしれませんが、外国の方々にとって日本の食文化は大変珍しく、興味深くうつるそうです。
確かに、食に対する日本人のこだわりは格別ですし、季節を感じながら食事をするという形態は珍しいのかもしれません。
今回のユネスコ無形文化遺産の登録を機に、さらに世界の人々に日本の良さをじてもらえたら嬉しいですね。


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 「江戸しぐさを知ろう!」  (TEPORE H22,06,10)

皆さんは、「江戸しぐさ」という言葉を聞いたことがありますか?江戸時代、江戸に住む町人(職人・商人など)たちが人間関係を円滑にし、日々気持ちよく暮らすために考えられた知恵が、後世「江戸しぐさ」と呼ばれるようになったそうです。

江戸しぐさが生まれた背景には、江戸の町の成り立ちが関係しているといわれています。
江戸の町は、江戸城を中心に武家屋敷が立ち並んでいたため、町人(江戸人口の約半数)は、市街の狭い地域で暮らしていたそうです。
限られたスペースで大勢の人々が円満に暮らすために、町人たち自身によって考えられ、暗黙のマナーとされていたのが江戸しぐさでした。

江戸しぐさの中には、「こうするとみんなが快適に過ごせる」というものがある一方、「これをやってはいけない、やるのは野暮(やぼ)だ」という行動もあります。
そんな江戸しぐさの中から、私たちの生活にも取り入れられそうなものをいくつかご紹介します。

●傘かしげ
雨の日に傘をさした人同士がすれ違うときには、お互いの傘を外側に傾け、しずくが相手にかからないようにすることです。
こうすると、傘と傘がぶつかることもありません。

●こぶし腰浮かせ
乗り合いの渡し船などに乗っているとき、あとから人が来たら、みんなで腰を浮かし、こぶし1つ分、体を横にずらして席を作ることです。

●肩引き
狭い道をすれ違うとき、お互いに相手側の肩を後ろに引き、体を斜めにしてぶつからないように歩くことです。

●かに歩き
肩引きでもすれ違えない狭い道のときは、向かい合わせになり、完全に体を横にして歩くことをこういいます。

●七三歩き
公共の道では、道の端から三分目(3割)ほどまでの間を歩き、真ん中は緊急の用などで急ぐ人のために空けておくことです。
道をふさぐように真ん中を歩いたり、大勢で横並びになって歩いたりするような、後ろから来る人のことを考えない歩き方は「通せんぼしぐさ」といわれ、注意を受けたそうです。

●片目だし(お通りゃんせ)
家や店から通りに出るときは、急に飛び出さず、まず顔を出して左右を確認。
通行している人がいればやり過ごしてから、タイミングを見計らって出て行くことで、出会い頭の衝突などを防ぐことができます。

どれもちょっとした心遣い一つででき、現代でも街中や電車などで日常的に使えそうですね。
出身も仕事も異なるさまざまな人が集まって動いている今の社会、ささいなことからトラブルなどが起こることもあるでしょう。
そんなとき、先人たちの知恵である「江戸しぐさ」を心がけるだけで、自分も周りの人も気持ちよく過ごせるのではないでしょうか。


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  『 食事五観丈 』  一畑山薬師寺の開運箸袋から  (H27,01,03)


 一、食事にはいかに多くの人の手数と労力がついやされているか、その苦労を思い、天地自然の恩恵を忘れてはならない。

 二、自分の人格の完成を目指し、また自分の務めを成し遂げるために食事をする。

 三、食べ物に対して不平や不満を抱かず、飲み過ぎ、食べすぎの貪る心を起こさないよう、食事は心の修行である。

 四、食事は飢えや渇きをいやし、心身の枯死を免れる良薬と思って、決しておろそかに食べないと云う心、平和な心持ちで食する。

 五、人として正しく生きることを成就するための食事であることに対して、反省と感謝の心を持ち、新たな誓いを心に持ち行うこと。



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 「江戸の町人たちから学ぶ、心配り!」  (TEPORE H26,04,30)

今現在も私たちの生活に浸透している歌舞伎や将棋、相撲、落語といった娯楽や、和菓子や和食といった食文化。
これらが庶民の間で発展したのは江戸時代のこと。
畳や障子が一般的になったのも、この時代だそうです。
徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から、徳川慶喜が大政奉還をした1867年までの260年以上もの間、大きな争いごともなく繁栄し続けた江戸の町。
そこには、人づきあいを大切にする、町人たちの知恵がありました。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、江戸の町人たちから学ぶ、心配りについてお話したいと思います。
人口密度の高い江戸の町で暮らす人たちは、人間関係を円滑にするために、様々な気遣いをして、失礼のない応対を身に着けていたそうです。
これらは、今の時代にも応用できるものが数多く存在します。
ここでは、古くから伝わる知恵の中から、TEPORE編集部が厳選した現代社会に活かせるものをいくつかご紹介します。

●先入観を持たない
江戸では、初対面の相手に、年齢、地位、職業を聞かないという暗黙のルールがありました。
この3つを先入観として持つと、公平な目で人を見ることができなくなるため、あえて聞かずに、自分の直感力だけで判断していたそうです。
あるとき、TEPOREスタッフの一人が「偏見や先入観、思い込みは捨てて、子どもの頃のように、出会った人とすぐに打ち解けられたら良いのに…」と話していたことがありました。
大人になると、知らず知らずのうちに色々な情報に左右されてしまいがちです。
先入観を持つことなく、一人の人間として接することで、コミュニケーションのしやすい状況が生まれます。
人づきあいにおいて、忘れてはならないことですね。

●お互いに謝って、トラブルを未然に防ぐ
トラブルが発生したとき、両者間で「うかつでした」と謝っていた江戸の人たち。
誰かの足を踏んでしまったとき、踏んだ側が謝ることはふつうですが当時は踏まれた側も「自分の不注意のために足を踏ませてしまって、すみません」という意味を込めて、「うかつでした」と謝っていたそうです。
もちろん、喧嘩に発展させたくないという思いや、踏んでしまった相手を思いやる気持ちもあるのでしょう。
ぜひ今日から真似たい、大人な対応ですね。

●「忙しい」を口にしない
江戸の人たちは「忙しい」といわれると、とても怒ったそうです。
忙しいという漢字は、りっしんべんに「亡」と書きます。
つまり心が亡くなるという状態を示しています。
そのため当時の人は、心を亡くした人に、大事なことを任せていられないと思っていたそうです。
また「忙しい」と口にするのは、自分のことだけで精いっぱいのため、心配りができない、と自ら認めているようなもので、野暮とされていました。
忙しいことはある意味、大変ありがたいことですが、忙しいのは自分だけではないはずです。
どんなときでも心を亡くさず、周囲を気遣える人になりたいものです。

●聞き上手
もし、あなたが話をしているときに、相手が腕や足を組んだり、顔を上げずにメモを取り続けていたりしたら、どう感じますか?
話す相手と正対して少し身を乗り出し、相手の目を見て相槌を打ちながら、どこかで聞いたことがある話でも最後まで聞く。
これが「聞き上手」です。
江戸の人たちは、相手が気持ちよく話せるように、聞く方も礼儀をつくしていました。
現代でも優秀な新聞記者は、メモを取らずに話を聞き、相手が席を外したときにメモを取るようにしているのだそうです。
「あなたの話を興味深く聞いています」という聞き上手な姿勢が、思わぬ“特ダネ”に出あうコツなのかもしれませんね。

このように、江戸の町人たちの対応は、人に対する優しさや思いやりという、日本人が誇る美徳が基盤になっています。
これは海外からも高く評価され、大規模な災害などが起きたときの日本人の秩序ある行動は、多くの国で話題になることもしばしば。
非常時にもかかわらず、相手を思いやる気持ちや助け合う気持ちを忘れず、冷静さを失わない日本人に、世界の人々から驚きと賞賛の声があがっています。
これからも“心の国・日本”といわれるよう、周囲の人への心配りを大切にしていきたいですね。


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 「みんな大好き! ジャパニーズ・ギョウザ!」  (TEPORE H27,01,13)

子どもから大人まで、多くの人が大好きな餃子。
TEPORE編集部にも餃子好きが多く、中には、餡はもちろん皮まで手作りするというスタッフがいるほど。
もはや国民食といっても過言ではない餃子ですが、日本に広まったのは、今からわずか100年ほど前のことです。
戦後、中国へ渡っていた日本人が帰国した際に伝えたのが始まりだといわれています。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、もっと餃子が楽しく、美味しく食べられる! 餃子の魅力についてお話します。

●日本人と餃子
中国では水餃子が一般的なのに対し、日本では焼き餃子が定番です。
この違いには諸説ありますが、水餃子を主食として食べていた中国に対し、日本の主食は米。
水餃子をおかずとして食べるために焼いたところ、ご飯との相性が良いことが分かり、餃子は焼くものとして広く知られるようになったという説が有力だそうです。

●あなたはどんな餃子がお好き?
  餃子のあれこれ
<餃子の種類>
香ばしい焼き餃子は、日本食のひとつとして海外でも高い評価を得ています。
パリパリとした食感の羽根付きのものや、一口サイズのもの、鶏の手羽先を袋状にして餡を詰め込み焼いたものなど、バリエーションも豊富。
また、厚みのある皮で餡を包んで茹でた水餃子も人気です。
他にも野菜などとスープを一緒にいただくスープ餃子、水蒸気の熱で蒸し上げ、プリプリの食感が楽しめる蒸し餃子、油でカラッと揚げた揚げ餃子などがあります。

<作り手のこだわりが生きる餡>
餃子の中身は、みじん切りにした野菜とひき肉に下味をつけた餡が主流ですが、お店やご家庭によって選ぶ材料はさまざま。
シソやチーズを入れて、いつもと違った風味に仕上げたり、レンコンを入れて食感を楽しんだり、アレンジは無限大です。
あんこやチョコレート、フルーツなどを餡にした、デザート感覚でいただける揚げ餃子も美味しいですよ。

<あなたは白菜派? キャベツ派?>
世帯あたり餃子購入額の、1位2位を毎年争っている、宇都宮市と浜松市。
違いは色々ありますが、大きな特徴は、メインの野菜として宇都宮餃子が白菜を使うことが多いのに対し、浜松餃子はキャベツを使うことが多い、ということのようです。
水分たっぷりの白菜と、甘くてシャキシャキのキャベツ。皆さんはどちらがお好みですか?

<TEPORE編集部おすすめのつけダレレシピ>
醤油にラー油とお酢を加えたものがポピュラーですが、お好きな調味料を組み合わせて、オリジナルのつけダレを考案するのも楽しいものです。
例えば、ポン酢大さじ1に対して味噌小さじ1を混ぜ合わせたつけダレ。
さっぱりとした風味の中に味噌のコクが溶けあい、いつもの餃子とは違った味わい方ができます。
皆さんも、ぜひ新しい味に挑戦してみてくださいね。

●中国や日本だけじゃない?! 世界で愛されている餃子
中国や日本に限らず、世界で食べられている餃子。 モンゴルでは水餃子や蒸し餃子などが食べられている一方で、インドでは揚げ餃子が人気です。
韓国では日本同様、焼き餃子、蒸し餃子、水餃子が食べられていますが、最もポピュラーなのがスープ餃子なのだとか。
地域や風土によって食べ方や味付けは違うものの、餃子は世界で愛されているのですね。

●これぞジャパニーズ・ギョウザ! 餃子の美味しい焼き方
STEP1:フライパンを温めて、サラダ油大さじ1を全体になじませ、餃子の平らな面を下に少しずつ離して並べます。
STEP2:100ml程度の熱湯を注いでフタをし、中火で約5分蒸し焼きにします。
STEP3:水分が無くなってきたら、餃子の周りにサラダ油小さじ2を回し入れ、再びフタをして、きつね色に焼けたら出来上がりです。
 POINT★羽根付き餃子を作る場合は、熱湯の代わりに水溶き薄力粉を加えます。
    水1カップに対して薄力粉大さじ1が目安です。
     STEP3は行わず、強火にして羽根をパリっと仕上げましょう。

中国で大変な盛り上がりをみせる旧正月(春節)。
その前日から家族揃って餃子をつくり、春節当日から5日間かけて水餃子を食べる、というのが古くからのならわしだそうです。
日本でも、家族が手伝って餃子をつくるというご家庭も多いのではないでしょうか。
または、友人と集まって、餃子パーティーをするという方もいらっしゃるでしょう。
このように、餃子は団欒に欠かせないメニュー。
人と人とを笑顔でつなぐ、不思議な力が宿っているのかもしれませんね。
これからも“心の国・日本”といわれるよう、周囲の人への心配りを大切にしていきたいですね。


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 「今、「道の駅」 がスゴイ!」 (TEPORE H27,04,15)

一般道のドライブ中に気軽に立ち寄れるコミュニティスポットとして、現在、日本全国に1,040駅ほど登録されている「道の駅」。
もともとはドライバーや同乗者たちの憩いの場としてのサービスが中心でしたが、最近では地域の魅力を活かした取組みや、利用者が楽しめるような様々なイベントが企画されるなど、個性豊かな賑わいの場として、多くの方が訪れています。

そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、休憩するだけの施設ではない! 「道の駅」の今、についてご紹介します。

●「道の駅」とは
国土交通省によって1993年4月に制度が開始された「道の駅」は、安全で快適なドライブをサポートするための道路交通環境を提供し、周辺地域を活気づけることを目的とした施設です。
主な役割として、駐車場やトイレなどの「休憩機能」、道路情報や観光情報などの「情報発信機能」文化施設などを通して地域の交流を図る「地域連携機能」があり、さらに災害発生時の防災拠点としての機能が期待されています。

●アンテナショップとして知られる「道の駅」
地元の名産品や特産品が買える場として知られている「道の駅」。
TEPORE編集部に、車での旅行が大好きなスタッフがいるのですが、毎回「道の駅」に立ち寄って、その土地ならではの、採れたての野菜や果物、郷土料理などをチェックするそうです。
「道の駅」で購入する農水産物は、新鮮で美味しいものが多く、しかも安いのが魅力だと話していましたよ。
そのため、観光客だけでなく、地元の人も多く足を運んでいるそうです。

●楽しみ方いろいろ! 「道の駅」の今
「道の駅」といえば、旅の“途中”に立ち寄るといったイメージを持つ方が多いと思いますが、今の「道の駅」は、旅の“目的”といっても過言ではありません。
そこで、ユニークな「道の駅」をセレクトしてご紹介します。

<温泉施設でゆったり>
最近は、温泉施設を備えた「道の駅」が増えています。
中には、岩盤浴、内湯、露天風呂、足湯と多種類取り揃えていたり、本格的な宿泊施設が併設されていたりと、単なる休憩施設とは一線を画したものもあります。

<屋内温水プールでワイワイ♪>
子どもたちに嬉しい、屋内温水プールがある「道の駅」もあります。
天気を気にせず一年中楽しめるとあって、家族連れに大変人気です。
流れるプールやスライダーがあるキッズ用プール、競泳用プール、さらに温泉を利用した寝湯やジャグジー、気泡で筋肉をほぐす気泡圧注浴などもあり、連日、幅広い年齢層の方々で賑わっているそうです。

<女性から絶大な人気を誇るブッフェ>
三ツ星ホテルで活躍していたパティシエがつくる絶品スイーツが食べられるランチブッフェを行っている「道の駅」があります。
以前、そのブッフェを食べたことがあるTEPORE編集部スタッフの話によると、スイーツはもちろん、フルーツや地元の素材を使った料理も大変美味しく、大満足だったそうです。

<道路と鉄道のコラボレーション>
旧駅舎が「道の駅」にある、「道と鉄道の駅」も人気です。
廃線となった列車が動かせる状態で保存されており、実際に乗車体験、運転体験ができるイベントも実施されています。
廃線になった鉄道駅をそのまま再利用する施設は全国でも珍しく、いつも多くの鉄道ファンで賑わっています。

<まだまだあります! ユニークな「道の駅」>
その他にも、敷地内でいちご狩りやぶどう狩りなどが楽しめたり、天然水を汲んで持ち帰ることができたり、特産品を使った料理教室が開催されたり、週末には蒸気機関車がすぐ横を走る様子が見られたりするなど、さまざまな体験ができる「道の駅」。
近隣の「道の駅」間でスタンプラリーが行われていることもありますので、何ヶ所か回ってみるのも楽しいですね。

「道の駅」を見かけると、つい寄り道したくなるのは、そこに美味しいものや楽しいことがあると思うから。
「道の駅」は、地元と観光客とをつなぐ大切な場所といえるでしょう。
絶好のドライブシーズンを迎えるこれからの季節、単なる休憩施設としてではなく、アミューズメント施設としての「道の駅」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

・国土交通省 道の駅案内
http://cl.tepore.com/c/Ccl0i8gnw0z41wH3b6c2c58Iid0i8grijf697



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 「滝に魅せられる私たち」 (TEPORE H27,06,30)

心地良い水音に爽快感が漂う空気、そして豪快な水しぶき…。
四季折々に違った表情を見せてくれる神秘的な滝は、古来より私たちを魅了し続けてきました。
滝の周りはとても涼しいため、暑い時季になると、涼を求めて多くの方が足を運んでいます。
週末を利用して、日本三名瀑のひとつ、茨城県の「袋田の滝」に行ってきたTEPORE編集部スタッフは、天然のクーラーに心も体も癒されたそうです。
風景を想像するだけでも、その涼しさが十分に伝わってきますよね。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、五感で自然の雄大さを感じることができる滝についてお話します。

●滝の癒し効果をクローズアップ!
<自然界に多く存在する「1/fゆらぎ」でリラックス>
小鳥のさえずりや小川のせせらぎなど、自然の音を聞くと心が穏やかになったり、リラックスできたりしたことはありませんか? これは、規則性と不規則性が丁度良いバランスで調和した「1/fゆらぎ」というリズムが大きく関係しています。
自然界の音も、人の心拍も「1/fゆらぎ」であり、同じリズムを持つもの同士が共鳴し合うことで、心地よさや安らぎが生まれ、人の心を落ち着かせていると考えられています。
滝の近くにいるとリラックスできるのは、ここにも水音として「1/fゆらぎ」が存在しているからなのです。

<「空気のビタミン」マイナスイオンがたっぷり>
自然の中、特に滝や渓流などの近くの空気は爽やかで、とても清々しい気持ちになります。
これは「空気のビタミン」とも呼ばれているマイナスイオンの効果だといわれています。
そもそもイオンとは、原子や分子など、電気を帯びた小さな物質のことを指し、マイナスの電気を帯びたものをマイナスイオンと呼びます。
マイナスイオンは自然の中に多く、特に滝つぼの周りの水しぶきが飛び散るあたりに多く発生するとされています。

●さまざまな滝の姿
滝はその形状から6つの種類に分類されています。
・直瀑(ちょくばく)
 水の落ち口から滝つぼに向かってほぼ一直線に流れ落ちる、ダイナミックな滝。
 和歌山県の「那智の滝」は落差が133mもあり、日本一の直瀑の滝として知られています。
・分岐瀑(ぶんきばく)
 途中で岩などによって流れが枝分かれしたもの。
 日光三名瀑といわれる、栃木県の「霧降の滝」がその代表です。
・渓流瀑(けいりゅうばく)
 傾斜した川床を滑るように流れ落ちるタイプ。
 東洋のナイアガラともいわれ、国指定の天然記念物である群馬県の「吹割の滝」が有名です。
 2方向から浸食された岩盤の両側面から水が流れ落ちる珍しい滝です。
・段瀑(だんばく)
 階段状に落下する富山県の「称名滝」は、4段で落差350mにもなり、日本の滝百選のひとつでもあります。

残りは、川が断崖から海に落下する「海岸瀑(かいがんばく)」と、地層の中を走る伏流水が崖の途中から流れ出た「潜流瀑(せんりゅうばく)」です。

●「滝行」が密かなブーム
今、女性たちを中心に「滝行」が注目を集めています。
滝行とは、流水に打たれながら心身を清め、煩悩を打ち払うことを目的とした伝統的な修行。
なんと、TEPORE編集部スタッフの友人が、この滝行を体験したのだそうです。
その友人によると、滝に打たれている間は、水圧と水量の激しさに、一切の見聞き、身動きがとれなくなり、戸惑う瞬間があるそうなのですが、次第にバランスが保てるようになるのだとか。
そして滝行を終える頃には、日頃のストレスや迷いが消えて、何事にも立ち向かっていけるような気持ちになれたそうです。
滝行には危険が伴う場合がありますので、体験される方はお寺の住職やその道の専門家に同行してもらい、正しい指導のもとで行うようにしてくださいね。

日本には大小合わせると、5,000を超える滝があるともいわれており、群馬県の「吹割の滝」にいたっては、年間で100万の人が訪れるそうです。
日々の忙しさに追われてパワー不足が気になる方は、雄大な滝からたっぷりのエネルギーをもらってみてはいかがでしょうか。
日帰りの気軽なレジャーとしても最適なので、ご家族や友人を誘って出かけてみるのも楽しそうですね。

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 「この夏きっと出かけたくなる! 列車の旅」 (TEPORE H27,08,12)

テレビの旅番組の中でも「列車の旅」をテーマにした番組は、いつの時代も数多く放送されています。
列車に揺られながらのんびりと旅をしている様子を見ていると、自然と旅情をかきたてられるものですよね。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、子どもも大人も楽しめる列車の旅についてお話します。

●列車の旅の魅力
<車窓の景色を楽しむ>
列車の旅の魅力といえば、車窓からの眺め。
列車のどの方向にどんな景色が広がっているかを下調べして、窓際の席を確保したいですよね。
また、期間限定で運行するような珍しい臨時列車などを見ることができる可能性もありますので、カーテンはできるだけ開けておきましょう。

<移動中の時間を自由に楽しむ>
地域の特産物を使った駅弁に舌鼓を打つのも良し、お酒を楽しむのも良し、眠くなったら寝るのも良し。
車移動と異なり、運転手役の方に気をつかう必要がないため、列車での過ごし方はマナーを守れば自由です。

<人との出あいを楽しむ>
特に鈍行列車の場合は、地元の人々が交通手段として利用しているため、さまざまな出あいがあります。
TEPORE編集部でも、学生時代にボックス席に座り合わせた同年代の乗客と仲良くなったスタッフがいます。
15年以上経った今でも親交を続けているというから驚きですよね。

●「青春18きっぷ」でおトクに旅行
JR線の普通・快速列車の普通車自由席およびBRT(バス高速輸送システム)、JR西日本宮島フェリーの乗り降りができる、期間限定のきっぷです。
年齢に関係なく一律11,850円で5回使用することができ、1回あたり2,370円で1日乗り放題です。
ひとりで5日間連続利用して遠出をしたり、ふたりで往復して4回分を使って1泊旅行をしたり、5人グループで1回の日帰り旅行をしたりと、旅のプランを自由に組むことができます。

●豪華観光列車で優雅な旅
<クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」>
豪華な車両で九州各地を巡る列車。
単なる移動手段ではなく、贅を尽くした環境で九州を周遊することができると、熟年層から人気です。
高額な価格設定にもかかわらず、発売後はすぐに完売してしまいます。

<新型観光特急「しまかぜ」>
大阪難波、名古屋それぞれと三重県の賢島とを結ぶハイグレードな観光列車。
展望車両と一般席では、プレミアムシートを採用し、カフェ車両では沿線の特産品を使ったメニューを提供するなど、贅沢に過ごすための工夫が満載です。

<寝台特急「カシオペア」>
上野〜札幌間を約17〜19時間かけて結ぶ2階建の豪華寝台列車。
全室A個室で、まるでホテルに滞在しているかのようなおもてなしを体験できます。
老朽化の問題で、今年10月以降の運行は未定となっており、運行中止になる前に乗っておきたい! とTEPORE編集部内でも話題です。

●この夏おすすめの特別臨時列車
<四万十川の美しい景色が楽しめるトロッコ列車>
予土線・窪川駅と宇和島駅間をトロッコ列車「しまんトロッコ」が運行します。
開放感あふれる客車から眺める、清流四万十川の美しい景色は圧巻です。

<9年目の今年も走ります! 妖怪電車>
京都の嵐山・四条大宮間を走る嵐電を、お盆と翌週末に妖怪電車が走ります。
妖怪に扮した姿を認められると妖怪割引運賃で利用できるほか、妖怪総選挙やスタンプラリーが行われるなど、イベントも盛りだくさんです。

<青春18きっぷで乗る、夜行快速列車>
新宿発、白馬行きの「ムーンライト信州」も運行中。
早朝から北アルプスの各方面へのバスが接続しているため、登山客に大変人気の列車です。
青春18きっぷを利用する場合には、別途、座席指定券が必要です。
日付をまたいでしまう場合も注意してくださいね。

特別な遅延がない限り、到着時刻が正確で、予定が立てやすいのも列車の旅の魅力です。
いつもは車でお出かけになる方も、この夏は渋滞知らずの列車での旅を満喫してみてはいかがでしょうか。
個性豊かな列車に揺られて、ゆったりとした時間を過ごしてみるのも楽しそうですよ。

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 「秋に都内で紅葉をめでる、秋の公園巡り」  (TEPORE H22,10,23)

東京都内の公園や庭園などの多くは、例年11月中旬ごろ〜12月上旬ごろに紅葉のピークを迎えます。
紅葉シーズンに合わせて、都内の公園では野だてや伝統芸能などさまざまなイベントが予定されています。
都内で紅葉の名所として知られる公園・庭園を中心に、これから開催される秋のイベントをいくつかご紹介しましょう。

●都立庭園 紅葉めぐりスタンプラリー 11月13日(土)〜12月12日(日)
都立の9庭園<浜離宮恩賜(おんし)庭園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、六義園(りくぎえん)、向島百花園、清澄庭園、旧古河庭園、旧岩崎邸庭園、殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園>の中から5庭園を巡り庭園スタンプを集めると、東京都公園協会特製の「都立庭園カレンダー2011」(非売品)がもらえます。

●旧岩崎邸庭園「オータムコンサート」
 11月6日(土):東京都台東区池之端1丁目
旧岩崎邸は、三菱財閥の創業者である岩崎彌太郎(やたろう)の本邸として、1896(明治29)年に建てられました。
完成当時の岩崎邸は、現在の約3倍ある敷地(1万5,000坪)に20棟以上の建物が立ち並んでいたそうです。
現在は、屋敷全体が国の重要文化財に指定されていますが、その中でも「洋館」は、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計による本格的なヨーロッパ式邸宅として知られています。
「オータムコンサート」では、俳優の田中健さんによるケーナ(南米に伝わる縦笛)の演奏会が、庭園の「芝庭」で開催されます。

●武蔵国分寺公園「国分寺まつり」
 11月7日(日):東京都国分寺市泉町2丁目・西元町1丁目
武蔵国分寺公園は、かつての中央鉄道学園の敷地跡(泉地区)と、旧郵政省の職員住宅跡地(西元地区)を整備して造られた都立公園です。
泉地区の芝生の「円形広場」や、西元地区の「こもれび広場」の周りで、イチョウやケヤキなどの紅葉が楽しめます。
今年で27回目を迎える「国分寺まつり」は、市民まつり・商工まつり・農業祭の3つを合わせて盛大に開催されるイベントで、毎年約10万人が来園するのだとか。
恒例の歴史行列やイベントが繰り広げられるほか、多くの模擬店も並んでにぎわいます。

●清澄庭園「晩秋のライトアップ」
 11月13日(土)〜21日(日):東京都江東区清澄2・3丁目
岩崎彌太郎とその息子らが築いた、明治を代表する名園が清澄庭園です。
期間中は、開園時間を午後9時まで(入園は午後8時30分まで)延長して、中の島にあるハゼの木を中心に園内がライトアップされます。
恒例の「秋の清澄庭園」にちなんだ俳句の募集を実施。
また、東京都選定歴史的建造物である「涼亭」の内部を、庭園ガイドボランティアの解説を聞きながら見学することもできます(毎日先着20名)。

●六義園「紅葉と大名庭園のライトアップ」
 11月19日(金)〜12月5日(日):東京都文京区本駒込6丁目
都内でも紅葉の名所として名高い六義園では期間中、開園時間を午後9時まで(入園は午後8時30分まで)延長して、園内のライトアップが行われます。
江戸時代に造られた代表的な大名庭園を美しく彩る、紅色や黄色に染まった木々が幻想的な光に照らし出されます。

●小石川後楽園「深山紅葉を楽しむ」
 11月20日(土)〜12月5日(日):東京都文京区後楽1丁目
小石川後楽園の紅葉スポットは、琵琶湖を表現した「大泉水」と、京都の嵐山を流れる大堰(おおい)川にちなんだ小川の周辺です。
期間中、園内で「江戸太神楽」(11月21日)・「江戸糸あやつり人形」(11月28日)などの上演や茶会(12月5日)、庭園ガイドなどが行われます。

日本各地の紅葉の名所に足を運んで、色鮮やかな景色を堪能するというのも確かに魅力的ですが、ときには身近にある公園へ紅葉狩りに出かけてみるのも楽しいかもしれません。
見慣れた公園が美しく色づいた姿からは、ふだん気づかなかった身近な自然の風情を味わえるのではないでしょうか。


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 「七夕を知ろう!」   (TEPORE H22,06,30)

7月7日は「七夕の日」です。
願い事を書いた短冊を笹につるす「七夕」は、日本人にとってなじみ深い行事でもありますね。
今回は、七夕伝説の起こりや、織姫と彦星といわれる星の見つけ方などについてご紹介します。

●七夕伝説の起こり
織姫と彦星が年に1度、七夕の日に会えるという伝説は、一般的に中国の伝説・行事と日本古来の神事が混じり合ってできたといわれています。
天の川のほとりに住む機(はた)織りが上手な織女(しょくじょ:織姫)は、対岸に住む牛飼いの牽牛(けんぎゅう:彦星)と結婚しました。
とても仲のよい夫婦でしたが、結婚以来、2人は働かなくなってしまいました。
その様子を見た織姫の父親である神様・天帝(てんてい)は怒って、2人を引き離してしまいます。
しかし、悲しみのあまり泣き暮らす2人を見て、かわいそうに思った天帝は、まじめに働くことを条件に、年に1度、七夕の夜だけ会うことを許します。
諸説ありますが、これがいわゆる中国の「織女牽牛(しょくじょけんぎゅう)」伝説です。

この伝説が発展したのが、中国の行事「乞巧奠(きこうでん・きっこうでん)」です。
これは織女にあやかって機織りや裁縫の上達を祈り行われたもので、日本でも宮中行事として取り入れられました。
旧暦7月7日に供え物をして、技芸の上達を願った和歌をかじの木の葉に書いたそうです。

江戸時代になると庶民にも広がり、かじの木の葉の代わりに短冊が用いられるようになったといわれています。
さらに日本には、棚機女(たなばたつめ:棚機つ女とも)と呼ばれた女性が、棚機(たなばた)という織り機で衣を織り、米の豊作を祈るという神事がありました。
この神事と織女牽牛伝説・乞巧奠とが結びついて、七夕の行事ができ上がったのではないかと考えられています。
七夕を「たなばた」と読んでいるのも、この棚機に由来しているという説が有力だそうです。

●七夕の日
七夕の日といえば7月7日が定着していますが、本来は旧暦7月7日に行われていました。
現在でも、七夕祭りが8月に催される地域があるのもそのためです。
国立天文台では、旧暦に基づき独自に定義した「伝統的七夕」の日を発表しており、今年は8月16日にあたります。

●織姫(織女星)と彦星(牽牛星)の見つけ方
晴れた夏の夜(20〜21時ごろを目安に)に東の空を眺めると、ひときわ明るい星が3つ、三角形に並んでいるのがわかります。
これがいわゆる夏の大三角形で、北にある星がこと座のベガ、東にあるのがわし座のアルタイル、西にあるのがはくちょう座のデネブです。
ベガが七夕伝説の織姫(織女星)、アルタイルが彦星(牽牛星)で、晴れていれば都会の夜空でも見ることができます。
ベガとアルタイルの間には、光の帯、天の川が流れていますが、その光がとても淡く、残念ながら山奥など真っ暗な場所でしか見られません。

●笹飾り
七夕のとき笹につるす飾りには、それぞれ意味があるのをご存じでしょうか。
例えば短冊は、今ではあらゆる願い事がつづられますが、以前は芸事や書道などの上達を願うものだったそうです。
ほかに折り鶴は、家族の中で一番年長者の年齢分だけ折り、家内安全や家族の長寿を祈るもので、投網(とあみ:折り紙にはさみを入れて網目状にしたもの)は、豊漁の願いが込められ、幸運を集めるといわれています。

●七夕のイベント
7〜8月は全国各地でさまざまな七夕のイベントが開かれています。
ここでは代表的な七夕祭りをいくつかご紹介します。

・湘南ひらつか七夕まつり
七夕飾りの豪華さに定評があります。
期間中は、コンテストで選ばれた湘南ひらつか織り姫がイベントを盛り上げます。
七夕おどり千人パレードや歌謡ステージなども催される予定です。
期間:7月1〜4日 会場:JR平塚駅北口商店街中心
※一部イベントを除き雨天決行

・茂原(もばら)七夕まつり
関東屈指の祭りとして知られています。
七夕飾りだけでなく、もばら阿波おどりやYOSAKOI鳴子おどりといった、迫力あるパフォーマンスも祭りを盛り上げます。
期間:7月23〜25日 会場:茂原市中心部(JR茂原駅〜茂原市役所)
※雨天決行

・仙台七夕まつり
東北3大祭りの一つに数えられる、日本でも有名な七夕祭り。
毎年、豪華けんらんな笹飾りを一目見ようと、全国から多くの観光客が訪れます。
前夜に行われる仙台七夕花火祭など、関連イベントもたくさん予定されています。
期間:8月6〜8日 会場:仙台市中心部商店街および周辺
※雨天決行。荒天の場合、花火祭など一部イベントは変更の可能性あり。

夏の風物詩として日本に定着している七夕。
ご家庭で笹飾りを作ったり、夜空を見上げたりしながら、夏の訪れを楽しまれてみてはいかがでしょうか。




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 「ブーム到来! 人々が惹きつけられるお寺の魅力とは?」  (TEPORE H26,12,02)


歴史ある本堂で座禅を組んで心を落ち着けたり、お坊さんの言葉に感銘を受けたり、パワースポットとして足を運んだりすることができるとして、近頃、お寺がブームとなっています。
今までは、お寺というと敷居が高いと感じる方が多く、年に数回、墓参りや法要、お正月のときだけ訪れるというケースがほとんどでした。
しかし最近は、お寺を身近なものとして利用してもらうために、一般の参詣客も気軽に立ち寄ることができる工夫が施され、その結果、多くの方がお寺に訪れるようになったのだそうです。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、今、静かなブームを巻き起こしている「お寺」についてお話したいと思います。

●お寺で開かれるさまざまなイベント
近頃は、お寺という静寂の中でさまざまなイベントが企画されています。
例えば心の平穏と調和を取り戻すヨガ、仏教の教えを英語で説く英会話教室、精進料理や座禅体験の他、映画鑑賞会、アートの展覧会、音楽イベントやダンスコンテスト、フリーマーケットなどが開かれています。
TEPORE編集部でも、2012年より東京・目黒のお寺で行われている「除夜の鐘 プロジェクションマッピング奉納」を見に行くスタッフがいます。
除夜の鐘が鳴るのを待っている間、お寺の境内に映し出される美しい映像に見入っていると、寒さも忘れてしまうのだそうですよ。

●お寺の中にある「寺カフェ」
境内に設けられたオープンテラス形式のカフェや、本堂の一室を開放してつくられたカフェ、年に数回だけ本堂を茶室として利用することができるカフェなどがあります。
お茶やお菓子のサービスがあるところがほとんどですが、中には飲食物の持ち込みを自由とし、憩いの場として開放しているカフェも。
また現代人の駆け込み寺として、気軽に悩みを相談できる場所をつくりたいとの思いから、お寺とは別の場所に寺カフェをオープンしたというお坊さんもいらっしゃいます。

●「写経」のススメ
経文を書写する写経は、もともと自らの信仰を深めて、ご先祖様への祈りを込めて行う「行」のひとつですが、最近では心を鎮め、集中することで雑念を振り払い、脳を活性化させる目的で実践される方が多いようです。
最もポピュラーなのが、文字数が276文字とお経の中では比較的少なく、一時間程度で書写できる般若心経です。
写経には、真っ白な半紙に経文を書き写すものや、あらかじめ経文が薄く印刷された写経用紙をなぞるものなどがあります。
写経は自宅でももちろんできますが、定期的に写経会を開催しているお寺や、常に写経用のお部屋が用意されているお寺もありますので、ご興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。

●お坊さんに人生相談ができる「坊主バー」
仏教を広く知ってもらうために、また親しみを持ってもらうために、現役のお坊さんが営んでいるバーがあります。
お坊さんに悩みや思いを打ち明けたいという目的で足を運ぶ方も多く、中には日本全国からお客さんが訪れるバーもあるそうです。
1日に1度開催される短い法要と法話の時間には、お酒を飲む手を止め、熱心に聞き入るお客さんも多いとか。
以前、坊主バーを訪れたことがあるTEPOREスタッフの話によると、リラックスした状態でお坊さんの話を聞くことができるため、仏教をより身近なものとして感じられるのだとか。
また、仏教の教えをもとに名づけられたオリジナルカクテルや、経本のように書かれたメニュー表など、坊主バーならではのユニークなおもてなしに、お坊さんの遊び心が感じられると話していました。

●「宿坊」で心も身体もデトックス
寺や神社に泊まる宿坊も人気です。もともとは修行中の僧侶が宿泊する施設でしたが、今では一般の参詣客も宿泊することができるようになりました。
通常の宿にはない、読経、座禅、写経などを体験することができ、精進料理をいただくことができるとあって、大変好評のようです。
設備も申し分なく、薄型テレビやエアコン、シャワー付きのトイレなどが完備されていたり、中には男女別の大浴場が併設されていたりするところもあるため、旅行先の宿として利用する人も増えているそうです。
携帯電話の電源を切って日々の騒々しさから離れ、野菜や豆類などを中心に調理された料理を食べて、静かに自分を見つめ直すと、一泊でも十分貴重な時間を過ごすことができそうですね。
昔の人は、自分の考えを整理したり正したりするために、頻繁にお寺に足を運んでいたといいます。
毎日の忙しさに追われていると、本来の自分を見失ってしまうこともあります。
そんなときはお寺やお坊さんの元を訪ねてみてはいかがでしょうか。



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 「今年の夏は浴衣で過ごしてみませんか?」  (TEPORE H26,08,05)

浴衣のはじまりは平安時代までさかのぼり、蒸し風呂が一般的だった当時、水蒸気で体に火傷を負わないようにと着ていた、麻の湯帷子(ゆかたびら)が起源だといわれています。
江戸時代には、湯上りの汗を取るために着用する着物として庶民に普及し、安価でやわらかな着心地である綿の浴衣が好まれるようになりました。
今回のTEPOREコラムでは、夏の定番着物として人気を集める「浴衣」についてお話します。

●浴衣を自分で着付けることができますか?
お祭りや花火大会に浴衣を着て出かけたいと思うものの、きれいに着付けられないという理由から、浴衣で出かけることを諦めてしまう、という方もいらっしゃるかもしれません。
先日、TEPOREで「浴衣を自分で着付けることができますか?」という質問をしたところ、4割以上の方が「自分で着付けられる」と回答されました。

▼投票結果はこちらからチェック!
http://cl.tepore.com/c/Ccl0hygm26yigzH9a69076aIid0hygpr3rh11

着付けにもいろいろな流派があり、方法も様々ですが、自分でテキパキと着付けができる人はとても粋で素敵ですね。

●浴衣が着崩れてしまったときの対処法
着付けたばかりの浴衣は凛として見えますが、着崩れてしまうと、だらしなく見えてしまいます。
ここでは、サッと直せる浴衣の着崩れ対処法をご紹介します。
<衿元が緩んできたら>
下前の衿は脇の下にある隙間から手を入れ、上前の衿は帯の下部分を、左右の衿が同じ高さになるように調節しながら引っ張ります。
<裾が広がってきたら>
女性の場合、着丈より長く余った分の生地を腰で折り返しています。
このおはしょり部分や帯付近に伸びてしまった着物をもとの位置に入れ込んで、身頃をまっすぐにして整えます。
腰紐がゆるんでいたら、しっかりと結び直ししょう。
男性の場合、おはしょりはありませんので、帯の位置を確認しながら身頃を整えます。

●浴衣のお手入れ方法
浴衣は手洗いが基本ですが、きちんと畳んでネットに入れ、洗濯機の「手洗いコース」で洗うこともできます。
このとき、衿がよれないように糸でざっくりと縫っておくと、型崩れの予防になります。
念のために浴衣についている洗濯表示を確認してから洗うようにしてくださいね。
直射日光は避け、風通しの良い日陰に干しましょう。
浴衣を裏返しにして物干し竿に袖を通して広げて干したり、着物用ハンガーにかけて干せば、ある程度のシワを防ぐことができます。
シワやハリ感のなさが気になる時は、あて布をしてアイロンがけをすると良いでしょう。
アイロン後は再び浴衣をハンガーにかけ、完全に熱が取れて湿気が飛んだことを確認してからきれいに畳み、畳紙に包んでしまいます。

●浴衣を着る時のマナー&所作
浴衣は着物の中でもカジュアルな普段着ですので、フォーマルな場所では遠慮するのが無難です。
反対に浴衣が相応しい場所は、お祭りや花火大会などのイベントです。
TEPORE編集部にも、夏祭り用に浴衣を新調したスタッフがいます。
イベントだけでなく、ちょっとしたお出かけに着たり、親しい友人たちと浴衣姿で集まったりと、どんどん活用していきたいと話していました。
そして実際に浴衣を着たら、立ち居振る舞いにも気を使いたいもの。
座る時は背筋を伸ばして足を揃え、帯が崩れないよう浅く腰かけます。
階段の上り下りでは、階段に触れないように裾を少し持ち上げ、つま先に重心を置きましょう。
腕を伸ばす時にはもう片方の手で袂を押さえて、腕が見えすぎないように気を配ります。

昔から、藍で染めたものは冷え性や肌荒れ、あせもなどの予防に効果があるといわれており、藍染の浴衣はお風呂上りに最適です。
また、藍の香りを虫が嫌うため、虫の出る夕方以降に紺地を着ることは合理的といえます。
絵柄のモチーフにも「涼」を感じさせる植物や生き物が多く使われているのも浴衣ならでは。
夏を過ごしやすくするために、浴衣には色や素材、柄が持つ特長が見事に反映されているのですね。




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 「雨が似合う植物を観察しよう!」  (TEPORE H26,06,18)



早いもので、今年も梅雨のシーズンがやってきました。
雨が続くと、つい外出を控えてしまう、という方もいらっしゃるかもしれません。
けれども、濡れるのが嫌だ、出かける準備が面倒だといって家の中に閉じこもっていると、いっそう鬱々とした気分になってしまいます。

今回のTEPOREトクトクコラムでは、梅雨時に美しく映える植物をご紹介します。
雨が似合う、お気に入りの植物を探しながら、傘を片手にのんびりと散策に出てみませんか?
運動不足解消と気分転換を兼ねて。

●あじさい 梅雨の風物詩ともいえるあじさいは、ピンク、青、紫、白の花を咲かせます。
花の色の違いは遺伝であるという説もありますが、土のpH状態によって生じるともいわれています。
土が酸性に傾いている場合は青っぽく、アルカリ性に傾いている場合は赤っぽい花が咲くのだそうです。
今の時季は、各地にある「あじさい寺」と呼ばれるお寺などが、多くの観光客でにぎわいを見せていることでしょう。
TEPORE編集部にも、毎年この時季に鎌倉のお寺へあじさいの写真を撮りに出かけるスタッフがいます。
散策路に植えられた2,500株ものあじさいの花は、いつ見ても圧巻だそうです。
また、雨に濡れたあじさいの花を撮影したいという思いから、あえて天気が悪い日に出かけるとのことでした。

●タチアオイ
毎年、梅雨入りの頃に花が咲きはじめ、梅雨明けの頃に花期が終わる、まさに梅雨を告げる花。
そのため「ツユアオイ」とも呼ばれています。
草丈は人の背丈ほどの高さがあり、茎は直立しています。
赤、白、黄色、紫、ピンク、といった色とりどりの花が茎の下から順に上に向かって咲き、大きいものだと直径が10cm以上になるものもあります。
一重、八重、フリルのようなものなど、花の咲き方もさまざまです。
根は漢方薬(胃腸薬)の原料として、花はハーブティーの原料として利用されることもあります。

●ホタルブクロ
その昔、ホタルを釣り鐘型の花の中に入れて、持ち運んだり遊んだりしたことから名づけられたというホタルブクロ。
4〜5cmの円筒形をした花が下向きに咲き、その色は白や薄い紅紫色をしています。
「アメフリバナ」という別名を持ち、梅雨の代表花として愛好家が多いともいわれています。
湿度の高い梅雨の時季だけ、その姿を見ることができるホタル。暗闇にポワッと青白くはかない光を放つ様子は、とても幻想的で美しいものですね。
ホタルブクロにホタルを入れて鑑賞すると、より風流を感じられるかもしれませんね。

●ユキノシタ
日陰で湿った場所に生える多年草で、白と赤紫色の花が咲きます。
花びらは全部で5弁あり、下部分2枚だけが長く伸びている珍しい形をしていますが、その姿はとても美しく、観賞用としても人気があります。
白い花が雪のように見えること、また花の形が白い舌状に見えることから、「雪の舌」「雪の下」となったという説があるそうです。
ユキノシタは別名「ミミダレグサ」とも呼ばれ、昔から耳の薬として知られています。
さらに、むくみの予防・改善や美白効果もあるため、化粧品やハーブティーなどにも利用されています。
また食用にもなり、葉や蕾を酢味噌やゴマで和えたり、炒め物、煮物、天ぷらにしたりして食べられています。

●苔
古くから日本庭園などで使われている苔には、独特の風情があります。
特にこの時季の苔は、水分をたっぷり含んでふっくらとし、つややかに輝いています。
苔は生命力が強く、たとえカラカラに乾いてしまっても、適度な水分と光があれば持ち直すこともできるのだとか。
そのため、植物を育てることが苦手というTEPORE編集部スタッフも、苔だけは長年枯らさずに育てられているのだそうです。
また最近では、苔を利用した緑化運動が盛んになっているようです。
苔は根をはらず、土が必要ないため、ビルの屋上や壁面での施工が可能で、管理もしやすいと注目を集めています。

雨の日は傘を差すうえに、足元が気になることもあって、周囲を見ることが少なくなります。
しかし、道端や住宅の庭、公園などに目を向ければ、雨雫を存分に受けて、活き活きと伸びやかな植物たちを見つけることができるでしょう。
きっと、元気とパワーをもらえますよ。


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 「MADE IN JAPAN のものづくり!」  (TEPORE H26,02,12)

スキーワックスメーカーは、国内メーカーで唯一、全日本スキー連盟の指定を受けて、ノルディックスキー女子ジャンプの高梨沙羅選手らにワックスを供給しているのだそうです。
このように、過去にもオリンピックで使用された日本製の道具がたくさんあります。
例えば…

●スキー競技のウエア
長野オリンピックでスキージャンプラージヒル団体で金メダルを獲得した原田雅彦選手、アルベールビル、リレハンメルオリンピックでスキーノルディック複合団体で金メダルを獲得した荻原健司選手らが着用したスキーウエアは日本製。
素材の織り方や縫い目の位置まで考え、選手の力を最大限に引き出すよう、作りこまれているのだとか。
今回のソチオリンピックでも、多くの選手たちが日本製のウエアを着用しているようです。

●スキー競技のスキー板
トリノオリンピックでアルペン男子回転で7位に入賞を果たした湯浅直樹選手が使用していたスキー板も日本製。
かつて日本国内には多くのスキーメーカーがあり、アルベールビルオリンピック男子回転でノルウェーの選手が日本製のスキーを履いて金メダルを獲得したこともあるのだそうです。

●競泳のゴーグル
過去のオリンピックで4つの金メダルと1つの銀メダル、そして2つの銅メダルを獲得した男子競泳の北島康介選手がロンドンオリンピックで使用していたゴーグルは日本製でした。
水の流れをスムーズにするレンズを採用し、視界が広く見やすいのが特長。
フィット感も抜群なのだそうです。
同じく、ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した男子競泳の立石諒選手や女子競泳の寺川綾選手も日本製を使用していたそうです。
TEPORE編集部でも、北島選手が使用していたゴーグルと同じメーカーのものを愛用しているスタッフがいます。
本人曰く、そのゴーグルをつけてジムのプールで泳いでいると、いつもより速いタイムで泳げる気がする…とのこと。
その気持ち、少しわかる気がします。

●砲丸投げの砲丸
アトランタ、シドニー、アテネオリンピックと3大会連続で金・銀・銅を独占した砲丸は日本製。
球の重心は見事に中心に位置しており、投げる力が球に効率よく伝わって、飛距離を伸ばせるように作られているのだそうです。
また、規則変更によりアテネオリンピックの公式球では採用されなかった技術ですが、人の指紋に合うように細い筋を入れて、握りやすくする工夫が施された球が選手たちから評判だったといわれています。

●ハンマー投げのハンマー
アテネオリンピックで金メダルを獲得した男子ハンマー投げの室伏広治選手が愛用しているハンマーも日本製。
規格の範囲内で、できるだけ球を小さくして、球と取っ手を繋いでいるピアノ線を長くすることが遠くへ「飛ぶ」秘訣なのだとか。
球の重心をわずかに外側へずらす独自技術で、より遠心力のかかる製品を開発したそうです。

●卓球の公式球
ロンドンオリンピックの卓球公式球も日本製。
小さな球体は完璧なバランスを保ち、約300キロの負荷がかかるといわれるスマッシュにも耐えられるように作られているといわれています。
また、完全な球形を大量生産するのは技術上困難なため、たくさん作られた球の中からどの程度球形に近いかで、グレード分けされているのだとか。
その中で最も品質の高いものを3スターと呼び、公式大会などで使われるのだそうです。
そしてオリンピックでは、3スターの中から更に厳選された最高品質のものが使用されているそうです。
その他、自転車競技で使われた、臭わないヘルメットのあごひも、テニスとバトミントンで使われたストリングマシン(ガット張り機)、バレーボールとビーチバレーのネット、ラリーが続くと評判のバレーボール(球)、ワールドカップでも採用された大きな歓声にも負けないホイッスルも実は日本製。
さらに、ロンドンオリンピックで、観客をロンドン市内から競技場へ運ぶ交通網の主役となった6両編成の新型特急車両も日本製だったというから驚きです。
日本の技術があちらこちらで活きていたのですね。
そして、畳も日本製。東京オリンピック以来、36年ぶりにシドニーオリンピックの柔道で日本製の畳が使われていたそうです。
海外製の畳は日本製に比べて内部の構造が柔らかく、踏ん張りがきかなかったのだとか。
そこで日本のスポーツメーカーが、表面のビニールの凹凸が深く、中身もコルクや発泡スチロールを層にすることにより、適度な硬さが保たれる柔道畳が開発されたそうです。
日本のお家芸である柔道で使用される畳が日本製というのは、日本人として嬉しいことですよね。
また、選手たちが使う道具をメンテナンスする技術も優れていると評判の日本。
例えばスケートの刃(ブレード)。
フィギュアスケートは靴と同様に、ブレードと呼ばれる刃の部分も非常に重要だといわれています。
その刃の研ぎ師が日本にいるため、世界の名だたる有名選手がわざわざ刃を研ぎに来日しているそうです。
スピードスケートにおいても刃はとても重要で、コーナーで体を傾けた際などの安定性を高めるために、少し湾曲しているそうなのですが、このブレードを湾曲させる器具を製作したのも日本企業の力。
湾曲の度合いが大き過ぎると、直線での氷の抵抗が増えて失速してしまうため高度な技術が必要なのだそうです。

このように、4年に1回の大きな大きな大舞台のために、命をかけて、並々ならぬ練習を積み重ねてきた選手たちの裏には、日々道具の技術開発をしている職人さんたちがいます。
そして彼らも、オリンピックの表彰台に日の丸を揚げられたら…という夢を抱いているのです。
ソチオリンピックでも、日本の技術がメダルをもたらすこともあるかもしれません。
こう考えると、また違った見方でオリンピックを楽しむことができそうですね。



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 「毎日でも履きたい 愛すべきジーンズ!」  (TEPORE H27,02,17)


アメリカで労働者の作業着として誕生したジーンズ。
今では世界中で親しまれるようになり、カジュアルウェアの代表として、圧倒的な地位を築いています。
新品のジーンズを、長い時間をかけてお気に入りの一本に仕上げることに楽しみを感じる方がいる一方で、ヴィンテージとしての価値がついた高価なジーンズを収集することに喜びを感じる方がいたりと、ジーンズとの付き合い方は人それぞれ。
特にこだわりはないけれど、いつもジーンズを履いている、という方もいらっしゃるかもしれませんね。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、実用性とファッション性を兼ね備え、日常のおしゃれに欠かせないジーンズについてお話します。

●日本人とジーンズ
日本にジーンズが登場したのは戦後。
アメリカ軍の放出品として出回った古着の中に、ジーンズがありました。
映画「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンがジーンズを着用していたこともあり、アメリカ文化を象徴するアイテムとして、若者を中心にジーンズは急速に普及しました。
アメリカから輸入されたジーンズは生地が硬かったため、履き心地を良くするために、日本はジーンズについたノリをあらかじめ洗ってから出荷する独自の技術を開発。
「ウォッシュ加工」と呼ばれるこの技術は瞬く間に世界に広がり、今ではスタンダードとして定着しています。

●MADE IN JAPAN!
日本のジーンズ技術は世界でもトップクラス
日本におけるジーンズの加工技術は大変優れており、中でも、昔から繊維の町として栄えていた岡山県倉敷市児島は、国産ジーンズ発祥の地として世界中から高い評価を受けています。
生地の質が良いことでも知られ、その実力は海外の高級ブランドがこぞって仕入れに来るほど。
近年、ジーンズに絡めた観光に力を入れている児島には、岡山のジーンズメーカーの店舗が集まった「児島ジーンズストリート」があります。
訪れたことがあるTEPOREスタッフの話によると、街中にジーンズが吊るされていたり、内装がジーンズで作られたバスや、ジーンズがデザインされたタクシーが走っていたりするのだそうです。
ジーンズの資料館などもあり、連日、多くの観光客で賑わっているそうですよ。

●ヴィンテージジーンズとは?
過去に発売されたジーンズのことで、時代が古いほどヴィンテージとしての価値は高くなります。
作られた当時の縫製技術で仕上げた独特の雰囲気や、残存している本数自体が少ない型であることなどが人気の理由です。
中でもファンを魅了してやまない最大の魅力は、長い時間をかけて履き込んだことで生まれた色落ちです。
薬品や機械を使った人工的な色落ち加工とは異なり、体の線に沿って刻み込まれた色落ちは、自然に出来たジーンズの味であり、歴史です。
そこに価値がつけられ、高値で取引されています。

●ジーンズを長く楽しむために知っておきたいこと
全体的な色落ちを防ぎ、風合いを損なわないためにもジーンズはできるだけ洗わない、と考える方もいらっしゃるようですが、実際には適度に洗った方が良いそうです。
他の衣服と同様にジーンズも、汗や皮脂、泥やホコリで汚れています。
放っておくと汚れが落ちなくなるばかりか、生地を傷めてジーンズ自体の寿命を縮めてしまうことにもつながりますので、汚れが気になったら洗濯をするようにしましょう。
ジーンズを履く機会が多いTEPORE編集部スタッフは、ごわつき感を軽減するために、柔軟剤を加えて洗濯しているそうですよ。

<洗い方>
生地同士が擦れて、一部だけが色落ちしてしまうことのないよう、必ずジーンズを裏返して洗いましょう。
穴の開いたダメージジーンズや裾などがほつれている場合は、ネットに入れてから洗濯機に入れることをおすすめします。
ジーンズ専用の洗剤を使用するのがベストですが、漂白剤の入っていない中性洗剤や洗濯石鹸でも良いでしょう。
ジーンズは少なからず色落ちしていきますので、他の洗濯物と一緒に洗う場合は注意しましょう。

<干し方> 裏返しにしたまま、軽く叩いてシワをとってから陰干します。
生地が厚く乾きにくいので、風通しの良い場所に干しましょう。
乾燥機はジーンズを縮ませる場合には有効ですが、生地を傷めてしまうこともありますので、多用することは避けた方が無難です。

色や素材のバリエーションが豊富になり、種類が多様化しているジーンズ。
ベルボトムやケミカルウオッシュ、ブーツカットやローライズ、ストレッチ加工など、時代のニーズに合わせて流行も変化してきました。
今後、どんなジーンズが流行るのか楽しみですね。


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 「花火をもっと楽しむには?」   (TEPORE H24,07,26)

7月も後半になり、今年も各地で多くの花火大会が開かれます。
夏の夜空を彩る大輪の花は、日本の夏を象徴する風物詩のひとつ。
今回は、知っていると花火をより深く楽しめ、一緒に見る家族や仲間との会話を盛り上げるのに役立つ、打ち上げ花火の雑学をご紹介します。

●花火用語を覚えよう
花火の種類は大きく分けると2つあります。
1つは打ち上げられたとき丸く開く「割物(わりもの)」で、日本花火を代表する花火です。
もう1つが、上空で花火玉が2つに割れ、中の火薬が自由に飛び出す「ポカ物」。
こちらは細工次第で、さまざまなアレンジができ、意外性のある斬新な形の花火を楽しめるのが魅力です。
花火玉の中に詰められた火薬は「星」と呼ばれ、打ち上げられて開いた後は、すべて同時に消えるのが理想とされています。
この消える瞬間を「消え口」といい、「お、いい消え口だね」というように使います。

●世界でも評価が高い日本の花火技術
私たちは、どこから見ても丸く広がる花火を当然のように楽しんでいますが、美しい球状に見せる技術は、実は日本独自のもの。
その精巧さは、世界でも称賛の的なのです。
町のどの場所からでも花火を楽しめるようにと、歴代の花火師たちが切磋琢磨してきた技術のたまものです。
星を上下左右にきれいに飛ばすために重要な役割を果たしているのが、花火玉の中心に仕込まれる「割薬(わりやく)」です。
割薬は、もみ殻や綿の実、コルクなどに火薬をまぶしたもので、花火玉の大きさに合わせて、芯となる素材や火薬の配合も異なっています。

●スターマインは打ち上げ方法のひとつ
花火にまつわるワードの中でも、「スターマイン」という言葉に聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか。
実は、スターマインとは花火の種類ではなく、短時間でたくさんの花火を打ち上げる手法のこと。
連続的に打ち上げることで、豪華な演出が可能になり、現在の花火大会を盛り上げるプログラムとして欠かせないものになっています。
組み合わせる花火の種類によって、さまざまなイメージを作り出すことができ、特に、数十発から数百発を打ち上げるスターマインのプログラムを複数の場所から打ち上げる「ワイドスターマイン」は迫力満点です。

●温故知新な最近の花火事情
花火の中でも、「和火(わび)」と呼ばれるものをご存じでしょうか?
江戸時代、外国製の火薬が輸入される前につくられていた花火のことです。
木炭を燃焼させるときの深いオレンジ色のみで構成された、線香花火のようなシンプルな情感が持ち味。
十年ほど前、江戸開府400年記念をきっかけに再び注目を浴び、現在では多くの花火大会の定番となっています。
古きよき花火が復活する一方、昨今の打ち上げには最新技術が使われていて、点火は花火師ではなく、コンピューターで制御することが主流になりました。
打ち上げのタイミングをプログラミングすることで、音楽に合わせて開花させることができ、より感動的な演出を実現させています。
花火の色を一斉に変えたり、消えたりさせるためには、ひとつの玉に入った星がすべて均一に揃っていなければならず、熟練した技術が必要です。
一瞬で消えてしまう、はかなくも美しい花火に込められた、花火師たちの知恵と技、そして努力に想いをはせながら、心ゆくまで堪能したいものです。



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 「和の心を育てる盆栽を始めてみませんか?」  (TEPORE H27,03,24)


近頃、スタイリッシュな和風のグリーンインテリアとして、花を咲かせる木や苔玉などの盆栽が、若い方や女性たちから人気を集めています。
海外からも大変注目されていて、「BONSAI」という言葉が世界共通語にもなっているほど。
絵画やオブジェなどとは異なり、花を咲かせ実を付け、紅葉して落葉する、という植物の変化と共に、小さな鉢の中で四季を感じられることが最大の魅力とされています。

そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、初心者でも始めやすい盆栽についてご紹介します。

●盆栽は芸術作品
盆栽は、日本で生まれて日本で発展した芸術です。
自然に生きる草木を鉢や器で育て、その自然美と趣きのみならず、小さな空間に凝縮された世界観まで鑑賞する盆栽は、まさに自然の縮小版。
樹木の成長とともに、剪定したり、枝に針金をかけて整枝したりと、手を加えていくにつれて美が宿り、何年もかけて自分だけの作品が出来上がっていきます。

●盆栽の種類
100種類以上あるといわれる樹種は、大きく4つに分けられます。
黒松や赤松、五葉松、真柏、桧などの「松柏盆栽」、モミジやカエデ、ケヤキなどの「葉もの盆栽」、桜や梅、椿などの「花もの盆栽」、姫リンゴやピラカンサ、カリンなどの「実もの盆栽」の4つです。
また、樹高によっても呼び方が異なり、60cm以上のものを大品盆栽、20〜60cmのものを中品盆栽、20cm以下のものを小品盆栽、さらにもっと小さい、10cm以下のものをミニ盆栽と呼びます。

●盆栽の選び方
これまでは盆栽園や展示会など、盆栽を専門で扱っている店で購入するのが一般的でしたが、最近では、ホームセンターやインターネットでの販売も増えてきました。
盆栽を初めて育てる場合は、まずは手ごろで小ぶりな盆栽から始めてみましょう。
具体的には、黒松や真柏、モミジ、ケヤキなどが育てやすくておすすめです。
選ぶときは、伸びた枝や苔の手入れがされているか、葉の色が美しく、ツヤが感じられるか、枝葉や茎の量が多く、根がしっかりしているか、などをポイントにすると良いでしょう。
TEPORE編集部には、苔玉に、赤い実のなる南天を仕立てたミニ盆栽を育てているスタッフがいます。
とても丈夫で育てやすいと話していましたよ。

●お手入れ方法
<置き場所>
日当たり、風通しの良い場所に置きます。
室内で盆栽を楽しむ場合も、2〜3日部屋の中に置いたら、その後2〜3日は外に出すなどの工夫をしましょう。

<水・肥料のやり方>
今の時季は1日1回、夏は1日2回、秋は1日1回、冬は2日に1回をそれぞれ目安に水を与えます。
晴れた日の日中は避け、朝方や夕方に鉢底から水が流れ出るまでたっぷりとやることが基本です。
肥料は年2〜3回、固形の肥料を成長期の春と秋に与えます。
液体の肥料は補助的に使用すると良いでしょう。

<剪定の仕方>
伸びた枝や、見栄えを損なう不要な枝をハサミで切ることで、残った枝葉への日当たりや風通しが良くなり、病害虫の予防にもつながります。
ハサミを入れるところのすぐ下に元気な葉があることを確認してから切りましょう。

<植え替え>
年月を経ると、根が多くなることで水の浸透が悪くなり、栄養分を吸収しにくくなるため、周期的に植え替えをする必要があります。
時季は春、芽が動き出す頃が最適です。
植物によって植え替えの周期は異なりますが、松で3〜4年、花や実をつける木で1〜2年に1回が目安といわれています。
以前、TEPOREトクトクコラムでガーデニングについてご紹介しました。
コンテナ(鉢)を使った植物の育て方は、盆栽にも通じるものがあります。
あわせてチェックしてみてくださいね。

▼私たちの心を豊かにしてくれる「ガーデニング」
http://cl.tepore.com/c/Ccl0i7mn4akc8fHc415ce0aIid0i7mqk5p40f

四季のうつろいを感じたり、植物の成長に満足感を得たりすることができる盆栽。
水やりの時間を決めて、様子を観察しながら盆栽を世話することは、ペットを飼う感覚と似ているかもしれませんね。
ぜひ生活に取り入れてみてはいかがでしょうか。



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 「絵手紙で真心を届けよう♪」  (TEPORE H26,11,11)

手書きの手紙をもらうと、とても嬉しいものですが、実際に自分が手紙を書くとなると、字を書くのが苦手、手紙はハードルが高い、などと感じて、電話やメールで済ませてしまうという方も多いかもしれません。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、誰でも気軽に取り組める趣味のひとつとしても、通信講座などで大ブームとなっている「絵手紙」についてお話したいと思います。
絵手紙とは、ハガキに絵を描き、言葉を添える手紙のこと。
親しい友人やお世話になった方へ、丁寧に気持ちを込めておくる絵手紙は、きっと見る人の心を動かすことでしょう。

●大事なのは、自分の思いを一生懸命に描くこと
お礼状や近況報告、季節のお便りなど、手紙を書く理由は人それぞれ。
もちろん、何か特別なことがなくても、「元気にしていますか?」と、相手のことを思ったときに筆を取る、という方もいらっしゃるでしょう。
絵手紙を書く際の心構えは、絵や字の上手・下手に関わらず、相手を思い、心を込めて書くことです。
その人らしさを表現するのが、絵手紙の醍醐味。

絵手紙を書き始めると、時間を忘れて夢中になれたり、誰かのために一生懸命になれたりする自分に出あうことができるでしょう。

●絵手紙に必要なのは
絵手紙にルールはありません。
キャンバスとなるハガキに、筆ペンや色鉛筆、クレヨンなど、お手持ちの筆記用具を使って、まずは書いてみましょう。
TEPOREでは、ワンランク上を目指す方に、墨と水彩絵の具を使って、筆で書くことをおすすめします。
滲みやかすれ、濃淡が入り混じることで味わいが増し、素敵な絵手紙が完成しますよ。

●ハガキに絵手紙を書いてみよう
<STEP1 絵の題材を選ぶ>
季節の果物や野菜、植物、旅行先の風景、ペットなど、題材は何でも構いません。
身近にあるものから、描いてみたいと感じるものを選びましょう。

<STEP2 絵を描く>
題材をよく観察しながら、ハガキに輪郭線を描きます。
ハガキから題材がはみ出るように描くと、絵に迫力が出ます。
次に、手早く色をつけていきましょう。
水彩絵の具の場合、乾くと色が沈んで見えてしまうため、濃いめに色づけをしておくと、鮮やかな仕上がりになりますよ。
また、光沢を表すときなどは、ハガキの白が効果的に働きますので、余白を残しながら塗ると良いでしょう。
さらに、書き添える言葉が沈んでしまわないよう、背景は塗りすぎないようにしましょう。

<STEP3 言葉を添える>
心のこもった言葉も、絵手紙にとって大事な要素です。
伝えたい気持ちや、絵で表現しきれなかった思いを言葉に託しましょう。
言葉を添えるときのポイントは、おくる相手を思いながら話しかけるように、飾らない言葉と読みやすい字で書くことです。
長く書く必要はありませんよ。

<STEP4 ハンコを押す>
自分の名前を表す、落款印を押しましょう。
鮮やかな朱色の印影は、絵手紙をぐっと引き締めます。
できれば、消しゴムや印材を彫ってオリジナルのハンコを作ってみましょう。
小さいながらにも存在感のあるハンコは、遊び心、満載です。

●いつでも本番!
「ヘタでいい、ヘタがいい」。
これは絵手紙の創設者である小池邦夫さんの言葉です。
絵手紙に練習は必要ありません。多少のいびつさも、個性や味わいのひとつと考えます。
作品ではないので、上手く書けなくてもいいのです。
もし途中で間違えてしまったとしても、完成してみると、良いアクセントになっていることもあるので、じっくりと書き上げてみてください。
そして、完成した絵手紙は必ずポストに投函しましょう。
TEPORE編集部にも、季節の便りとして叔母さんからおくられてくる絵手紙を楽しみにしているというスタッフがいます。
味のある絵に、短く言葉が添えられた絵手紙は、どこかユーモラスで、見ていると笑顔がこぼれて、優しい気持ちになれるのだとか。
メールが主流となり、手紙を書く機会がめっきり減ってしまった今だからこそ、絵手紙の素朴な温かさが心にしみるのかもしれませんね。
皆さんも、受け取る相手が喜んでくれる姿を想像しながら、絵手紙を書いてみてはいかがでしょうか。



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 「1日数分から始められる、読書習慣」  (TEPORE H26,11,18)

皆さんは、日頃から読書をしていますか?
読書をすると教養が身に付き、発想力、思考力、想像力、記憶力が鍛えられます。
視野が広がり表現力も豊かになるため、コミュニケーション能力や文章力が向上するなど、得られるメリットはたくさんあります。
中でも、ストレス解消という点においては、たった6分間の読書によってストレスが大幅に減少するという研究結果が明らかになったほど、効果的であることがわかりました。
これは没頭して本を読みふけることで現実世界から意識が離れ、気持ちが切り替わってリラックスできるからだそうです。
また、集中して本を読むと脳が活性化され、認知症の予防にも効果を発揮するといわれています。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、もっと気軽に、効率的に本を読みたい方のために、最近の読書事情についてお話ししたいと思います。

●本の買い方
TEPORE編集部で読書家として知られているスタッフは、欲しい本が決まっていないときは書店で、読みたい本があるときはインターネットで、というように、購入する場所をその時々で分けているそうです。
書店には売り上げランキングが壁に掲示されていたり、店員さんがおすすめの本を紹介していたりと、知らない本に出あえるチャンスがたくさんあります。
実際に手に取って装丁を眺めることも、目次をチェックすることもできますね。
一方、インターネットでは、珍しい本や洋書が簡単に注文できる他、既に読んだ方の感想をチェックすることもできます。
また、本は意外に重さがあるため、複数冊欲しいときにはインターネットで注文して、直接家に届けてもらう方が楽です。
ライフスタイルやそのときの状況に応じて、書店とインターネットを上手に使い分けてみてくださいね。

●読書記録のススメ
先日開催した「読書」についてのTEPOREアンケートには、読んだ本のタイトルや内容を忘れたために、再び同じ本を買ってしまった、という失敗談をたくさんいただきました。
熱心に読んだ本でも、時間が経ってしまえば忘れてしまうこともありますよね。
せっかくなので、本のタイトルや作家名、読んだ日付の他、印象に残った言葉や心に響いた文章などをまとめて、自分だけの読書記録をつけてみませんか?
ノートなどに手書きで綴る方法以外にも、最近ではインターネットのサービスやアプリなどを使って管理する方法もあり、大変人気があるようです。
自分が今までどれぐらいの本を読んできたのかが一目で分かりますし、過去に読んだ本を再度読むときにも大変役立ちますよ。

●電子書籍の実力は?
近頃は、24時間好きな時に購入することができるうえ、活字の種類や大きさ、背景色や画面の明るさなどが自分好みに調整できるとあって、電子書籍を利用する方が増えてきました。
本を購入したはいいけれど、しまっておくスペースがないといった場合も、電子書籍なら保管場所を心配することなく、1つの端末に何百冊もの本が保存できるので、とても効率的です。
電子書籍ストアやアプリによっては、本を無料でダウンロードできるものがあるので、ご興味のある方はぜひ試してみてはいかがでしょうか。

●読書会に参加しよう
本好きが集まって交流をはかる「読書会」が、各地で開催されています。
ここでは、参加者が共通の本を読んでお互いに感想を述べあったり、各自が好きな本を持ち寄って紹介しあったりしているそうです。
読書会では普段自分では選ばないようなジャンルの本に出あえたり、様々な人たちと意見交換ができるため、参加者は年々増加傾向にあるといいます。
中には、共通の価値観を持った者同士が親しくなるケースもあり、世代が違う人との交流や異業種交流の場としても活用されているそうです。
忙しい毎日を送っていると、落ち着いて読書をするための時間が割けないこともあるでしょう。
先ほどもご紹介した「読書」にまつわるアンケートでも、読書をしないと答えた方の約4割が「本を読む時間がないから」と回答されていました。

▼TEPOREアンケート「読書」についての結果はこちらから!
http://cl.tepore.com/c/Ccl0i2msgxa4w8Hd070f1daIid0i2mwazutp1

まとまった時間がとれなくても、ちょっとした空き時間を利用して、こまめに本を読み進めてみてください。
きっと、あなたの心を満足させてくれるはずですよ。

★  役立つ知識&旬な話題が満載のTEPOREコラムがすべてここに!  ★
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  これまでのトクトクコラムはもちろん、悠遊マネーコラムもCHECK♪
   http://cl.tepore.com/c/Ccl0i2msgx9tw2H705312b3Iid0i2mwazutp1



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 「浜辺の宝探し・ビーチコーミング!」  (TEPORE H26,09,02)

皆さんは、「ビーチコーミング」をご存知ですか?
ビーチコーミングとは、浜辺に流れ着いた、生態系に影響の少ない漂着物を収集し、観察することをいいます。
櫛=コーム(comb)で髪をとくように、手で浜辺をときながら漂着物を拾うことから、ビーチコーミングと呼ばれています。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、浜辺の宝探しともいえる、ビーチコーミングについてお話します。

●ビーチコーミングではどんなものに出あえるの?
ビーチコーミングでは、きれいな貝殻や海のさまざまな生物、海外から流れ着いた空き瓶などを収集することができます。
それが一体何なのか、ここまでどうやって流れ着いたのかなどを想像しながら収集するのはとても楽しいものです。
TEPORE編集部のスタッフによると、以前、ビーチコーミングをしたときに、外国製の珍しい瓶を見つけたそうです。
意外なものを発見したことで、ますますビーチコーミングに魅せられたと話していました。

●ビーチコーミングに出かけるときに準備しておきたいもの
宝物を入れる袋は必ず持参しましょう。
スコップや軍手があると、収集の際に役立ちます。
海面や砂浜はアスファルトよりも紫外線が反射しやすいので、帽子を被ったり、長袖を着用したりなどして、肌を守ることもお忘れなく。
長時間砂浜を歩くこともあるので、履き慣れた靴で出かけると良いでしょう。
また、生物図鑑などを持参し、知らなかった生物の名前を覚えたり、生息地を調べて、そこに流れ着くまでのルートを想像するなどしながら歩くのも楽しいものです。

●浜辺で注意したいこと
漂流物の中には、危険なものが含まれていることがありますので、むやみに触らないようにしましょう。
時には、毒を持った魚類が漂着している場合も。
怪しいと感じたら直接触らずに棒で突くなどして、生きていないことを確かめてから近づくようにしましょう。
ビーチコーミングをする範囲は、波打ち際から砂が濡れているところまでが一般的ですが、波の高い日や風の強い日など、天候が芳しくないときは、危険を伴うことがあります。
なるべくなら、晴れた風の弱い日に行くことをおすすめします。

●漂流物でアート体験
浜辺に流れ着いた貝殻を拾って瓶に入れて飾ったり、流木をお部屋のインテリアにしたりと、色々な楽しみ方ができるのがビーチコーミングの醍醐味です。
そこで、ビーチコーミングで手に入れた漂流物を使って作るオリジナルアートをご紹介します。

<貝殻で作るオリジナルフォトフレーム>
お手持ちのフォトフレームにさまざまな形の貝殻を接着剤で貼りつけます。
海での思い出の一枚を入れてお部屋を飾りましょう。

<ビーチグラスで作る電気スタンド>
長い年月をかけて自然に角が取れたビーチグラス(ガラス片)を煉瓦のように積み重ねて、電気スタンドを作りましょう。
完成したら、その中にコード付きソケットを通したり、ロウソクを入れて点灯してください。
あたたかな光を感じることができますよ。
実際に作ってみたというTEPORE編集部のスタッフによると、ビーチグラスはなるべく大きなものを選ぶようにすると、短時間で作れるとのことでした。

●ビーチコーミングを通してゴミについて考える
浜辺にはゴミも流れ着きます。
もともとはゴミではなかったものも、長い間海を渡って浜辺に辿り着く過程で、本来の姿からは遠ざかり、ゴミとなってしまったものもあるでしょう。
好みの貝殻や流木、ビーチグラスなどを拾うと同時に、ゴミも一緒に回収すれば、海の環境保護につながります。
宝探しをしながらエコ活動ができるなんて、素敵なことですね。

砂浜に目を向けてみると、海からの贈り物が意外にたくさん落ちていることに気づきます。
それらを探索していると、思わず夢中になり、時間があっという間に過ぎてしまいます。
夏の終わりにビーチコーミングで、海水浴とはまた違った海の楽しみ方を体験してみてはいかがでしょうか。



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 「平成24年の日本で金環日食を楽しもう!」   (TEPORE H24,05,09)

平成24(2012)年5月21日(月)は太陽が光のリングのようになる「金環日食」が、日本の広い範囲で見られる日。
今回は、歴史的にも大変珍しいこの天文ショーを楽しむための基礎知識や、正しく観測するために準備しておきたいものなどについてご紹介します。

●そもそも金環日食とは?
日食とは、月が太陽の前を通るため、地球から見ると月によって太陽が隠されてしまう現象のことです。
日食は、太陽の隠れ方によっていくつか種類があります。
月の外側に太陽がわずかにはみだし、その名の通り“ゴールドリング”のように見える日食を「金環日食」と呼びます。
軌道の関係で、太陽が地球から遠く、月より小さく見える場合に重なるときは、太陽がすっぽりと月に隠れてしまう「皆既日食」となります。
月と太陽がぴったり重なっている状態を見られるのは、地球上でもごく狭い範囲に限られるため、金環日食や皆既日食が見られるのは、とても貴重な機会なのです。

●5月21日の金環日食が見られる地域は
当日は、多くの地域で「金環日食」が見られます。
具体的には、九州、四国、近畿、中部地方にかけての南部(太平洋側)、および関東地方が金環日食を見られる範囲に入り、それ以外の地域でも太陽が部分的に隠れる「部分日食」を観測することができます。
日本で金環日食が見られるのは、1987年9月に沖縄本島で観測して以来なので、今回は25年ぶり。
本州に限っては、実に129年ぶりだそうです。
次に見られるのは18年後の2030年6月1日の夕方ですが、これは北海道のみ。
今回のように多くの人にチャンスが訪れるのは、本当に奇跡的なことなのです。

●金環日食が見られる時間は
金環日食が見られる時間帯やその長さは、各地域によって異なります。
国立天文台の発表によると、今回、見られるのは朝の日の出直後の時間帯です。
東京では7時31分ごろ、静岡では7時29分ごろ、京都は7時30分ごろ、高知は7時25分ごろ、鹿児島では7時20分ごろからそれぞれ始まりますが、同じ県でも場所によって差があります。
国立天文台のホームページでは、詳しいエリアごとの金環日食の時間を調べることができるので、事前に確認しておくと安心です。
また、自分がいる場所では、太陽がどの位置にくるかチェックしておくのも大切です。
せっかく準備したのに、建物に隠れて見えなかった!ということがないようにしたいですね。

●金環日食の観測方法
金環日食は太陽を見ることになるので、目を傷めないよう注意が必要です。
安全に楽しむためには、必ず日食専用グラスや遮光板を使いましょう。
絶対にやってはいけないのが、肉眼でそのまま日食を見ることです。
たとえ日食で隠されていても、太陽の光や熱は非常に強く、目の網膜を傷つけるので失明する危険性があります。
サングラスや半透明の下敷きなどを使うのもNG。
濃い色のサングラスであっても、太陽を直接見るには光の遮断が十分でなく、目に有害な光を通してしまいます。
また、光を1点に集めてしまう望遠鏡や双眼鏡などは、日食専用グラスとの併用でも、絶対に使用禁止です。
現在、金環日食に向けて、さまざまな種類の日食専用グラスが販売されています。
これらをしっかりと目に当てて、安全な観測を心がけましょう。
金環日食は、一生に一度見られるかどうかという、とても貴重な天体現象。
月曜日の朝ということで、出勤や通学時間に該当する方も多いと思いますが、ぜひ余裕をもって準備をし、壮大な宇宙のロマンを感じてみたいですね。



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 「銭湯の歴史!」   (TEPORE H22,08,05)

一日の疲れを癒やすために、ゆっくりお風呂に入るという方も多いと思います。
ほかの国々の人たちから見ても、日本人はお風呂好きで知られているようですが、日本のお風呂文化に欠かせない特徴的な場所といえば「銭湯」ではないでしょうか。
そこで今回は、銭湯の歴史についてご紹介します。

日本での銭湯の起源には諸説あります。銭湯を「不特定多数の人々が入る風呂」ととらえると、奈良時代、寺院などで行われていた「施浴(せよく)」が起源となっているようです。
施浴とは、心身の汚れを落とすために僧たちが入浴したあと、近隣の人々にお風呂を無料で開放していたことを意味するといいます。

また、平安時代の文献に「湯浴(あ)み」「湯屋」という文字が登場していることから、このころから銭湯のような場所があったのではないかといわれています。
現存する日本最古の「湯屋」は、鎌倉時代に建てられたといわれる東大寺の「大湯屋」だそうです。
「お金を払って入る風呂」という意味では、鎌倉時代の文献に「湯銭」という文字が登場していることから、このころには現在の銭湯に近い方式のお風呂が存在していたという説もあります。

室町時代末期の「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」には、人々が楽しそうに当時の風呂屋を利用している様子が描かれています。
そして17世紀初めには、江戸で「町ごとに風呂あり」といわれるほど銭湯が広まっていたそうです。

ただし、江戸時代の銭湯は、今の銭湯とは少し異なっていました。
現在のように浴槽に張ったお湯につかるのではなく、「戸棚風呂」と呼ばれる、今でいう蒸し風呂のようなものだったようです。
これは浴槽にひざがつかる程度のお湯を入れ、そこに下半身だけつかり、上半身は湯気で蒸して温まるというもの。
人が浴室を出入りするときに蒸気が逃げてしまうのを防ぐため、出入り口を狭くするなど、さまざまな工夫がされていました。
風呂場の中には蒸気が充満して薄暗く、隣の人も見えない状態だったといわれています。

その後、現在と同じくたっぷりのお湯に首までつかる銭湯が増えると、「すえ風呂」「水(すい)風呂」と呼ばれ、一般家庭にも広まっていきました。 最初は、沸かしたお湯をくんで大きな桶(おけ)に入れ、そこにつかっていたようです。 そのあと、お湯をより早く沸かすために「鉄砲風呂」と呼ばれる、桶の中に鉄の筒を取りつけ、その下で火をたく方法が発明されます。
桶の底に鉄の平釜をつけて湯を沸かす「五右衛門風呂」は、関西地方に多かったそうです。

近代になり、洗い場にお湯の出る蛇口が取りつけられるなど銭湯の設備も変化していきました。
1965(昭和40)年ごろには全国に2万2,000軒もあった銭湯ですが、高度経済成長とともに内風呂つきの家が増えたことなどから廃業するところが増え、現在(平成22(2010)年4月時点)も営業している銭湯は全国で約3,800軒となりました。

高い煙突が象徴ともなっていた銭湯。その数は徐々に減ってきていますが、開放感のある広いお風呂にざぶんと入る気持ちよさは、自宅の風呂ではなかなか味わえないものです。
たまには気軽に、お近くの銭湯へ出かけてみてはいかがでしょうか。



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 「 衣替えを“楽”にするコツ!」   (TEPORE 25,04,25)

春は、服装も華やかに軽やかになる時期。
皆さんは、寒い冬の間、お世話になったコートやセーターをもうしまいましたか?
暖かくなるのはうれしいものの、かさばる衣類を収納するのに頭を悩ませている方もいるのでは?
今回は衣替えが“楽”になるコツをご紹介します。

●収納前の分類でストレスフリーな衣替えを皆さんの家庭にある収納。
その大半を占めるのが衣類という方も多いでしょう。
新生活を迎える方も多い春は、衣替えもあわせて収納を見直すチャンスでもあります。
収納する前に、シーズンオフの冬物を次のシーズンでも気持ちよく着られるよう、手入れしましょう。
しっかりと汚れを落とし、湿気によるカビや衣類をエサとする虫の繁殖を防ぐことが大切です。
取り扱いが難しい冬のコートやセーターは、クリーニングに出すという方も多いですよね。
クリーニングから戻ってきた衣類は、2、3日陰干しをすると良いでしょう。
クリーニング後に付けられるビニールカバーは、ほこりを避けるためのものなので、長期間保管する場合は外して不織布のカバーなど衣類が呼吸しやすいものに取り替えましょう。
次に、衣類の分類をします。四季の間でも「少し肌寒い」「ちょっと暖かい」など微妙な気候の変化がある日本。
一日を心地よく過ごすために、適切な衣類をすぐ取り出せるよう、次のように分類して収納すると便利です。
(1)春・夏に着る薄手の衣類
(2)真夏のみに着る衣類
(3)秋・冬に着る薄手の衣類
(4)真冬に着る厚手の衣類
いま着ている衣類は、見やすく、取り出しやすい位置に収納します。
高さとしては目線から腰までの位置に入れるのが便利です。
一方、シーズンオフの衣類は、高い場所に収納します。
衣類は湿気に弱いもの。
下にたまりやすい湿気を避けるためです。
整理して収納しても、収納スペースに入りきらないことで、衣替えを難儀に感じる方も多いようです。
その場合は前述の分類前に、いまある衣類を処分するかしないか、分けましょう。
処分するものの目安としては、「汚れや傷みが目立つもの」「2、3年着ていないもの」「過去の流行による奇抜な色や柄のもの」などです。
状態が良いものなら、フリーマーケットやリサイクルショップを利用するのも手です。
着回しがしやすいものや、着ていて気分が上がるものなどお気に入りの衣類ばかりのクローゼット・ワードローブなら衣替えも楽しくなりますよ。

●生活を快適にする衣類の保管サービス
「衣類の汚れを落とし、次のシーズンまで良い状態でスッキリ保管すること」が衣替えの基本。
とはいえ、クリーニング店への持ち込みが面倒だったり、収納スペースに限りがあったりと、スムーズにいかない場合もありますよね。
そんなクリーニングと収納の悩みを解消してくれるのが、長期保管もできる 宅配クリーニングサービスです。
どのように便利なのかは、意外と知られていないもの。
そこで、実際にあるサービスの流れを見ていきましょう。
(1)衣類や布団などを、まとめて自宅から宅配便で発送預けたい商品を専用バッグや箱に入れ、運送業者に渡すだけ。
クリーニング店への持ち込みや引き取りの手間がかかりません。
(2) 丁寧なクリーニングでお手入れも安心自分では扱いにくい毛皮や皮革製品、着物などは商品ごとに丁寧にクリーニング。
染み抜きだけでなく、折り目加工や超撥水(はっすい)加工といったオプション対応も。
(3)最適な環境の保管庫で長期間保管
クリーニング代のみで、半年以上の保管が可能なサービスも。
衣類以外に、布団やカーペットなどかさばるものも保管でき、家の中もすっきり。
このほか、衣類の一点一点に不織布のカバーをかけてあったり、預けた商品を撮影し、インターネット上で確認できたり、またオンラインで返却指定ができたりと、うれしいサービスもさまざま。
さらにスキーやスノーボードなどウインタースポーツのアイテムのメンテナンスから保管、必要なときに宿泊先やスキー場に送ることができるサービスもあります。
衣替えの時期にあわせてキャンペーンを行っているところもあるので、比較して試しに利用するのも良いですね。
衣替えとは、季節の移り変わりを実感できる日本の慣習であり、訪れる季節に備えて衣服の収納場所を変えたり、季節の変化に体を適応させたりする目的もあります。
スマートな衣替え術を身に付けて、来るべき季節を快適に、楽しく過ごしましょう。



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 「 今年の夏は浴衣で過ごしてみませんか?」  (TEPORE H26,08,12)

今年の夏は浴衣で過ごしてみませんか?
浴衣のはじまりは平安時代までさかのぼり、蒸し風呂が一般的だった当時、水蒸気で体に火傷を負わないようにと着ていた、麻の湯帷子(ゆかたびら)が起源だといわれています。
江戸時代には、湯上りの汗を取るために着用する着物として庶民に普及し、安価でやわらかな着心地である綿の浴衣が好まれるようになりました。
今回のTEPOREコラムでは、夏の定番着物として人気を集める「浴衣」についてお話します。
浴衣を自分で着付けることができますか?
お祭りや花火大会に浴衣を着て出かけたいと思うものの、きれいに着付けられないという理由から、浴衣で出かけることを諦めてしまう、という方もいらっしゃるかもしれません。
先日、TEPOREで「浴衣を自分で着付けることができますか?」という質問をしたところ、4割以上の方が「自分で着付けられる」と回答されました。
・投票結果はこちらからチェック!
着付けにもいろいろな流派があり、方法も様々ですが、自分でテキパキと着付けができる人はとても粋で素敵ですね。
浴衣が着崩れてしまったときの対処法
着付けたばかりの浴衣は凛として見えますが、着崩れてしまうと、だらしなく見えてしまいます。
ここでは、サッと直せる浴衣の着崩れ対処法をご紹介します。

<衿元が緩んできたら>
下前の衿は脇の下にある隙間から手を入れ、上前の衿は帯の下部分を、左右の衿が同じ高さになるように調節しながら引っ張ります。

<裾が広がってきたら>
女性の場合、着丈より長く余った分の生地を腰で折り返しています。
このおはしょり部分や帯付近に伸びてしまった着物をもとの位置に入れ込んで、身頃をまっすぐにして整えます
腰紐がゆるんでいたら、しっかりと結び直しましょう。
男性の場合、おはしょりはありませんので、帯の位置を確認しながら身頃を整えます。

浴衣のお手入れ方法
浴衣は手洗いが基本ですが、きちんと畳んでネットに入れ、洗濯機の「手洗いコース」で洗うこともできます。
このとき、衿がよれないように糸でざっくりと縫っておくと、型崩れの予防になります。
念のために浴衣についている洗濯表示を確認してから洗うようにしてくださいね。
直射日光は避け、風通しの良い日陰に干しましょう。
浴衣を裏返しにして物干し竿に袖を通して広げて干したり、着物用ハンガーにかけて干せば、ある程度のシワを防ぐことができます。
シワやハリ感のなさが気になる時は、あて布をしてアイロンがけをすると良いでしょう。
アイロン後は再び浴衣をハンガーにかけ、完全に熱が取れて湿気が飛んだことを確認してからきれいに畳み、畳紙に包んでしまいます。

浴衣を着る時のマナー&所作
浴衣は着物の中でもカジュアルな普段着ですので、フォーマルな場所では遠慮するのが無難です。
反対に浴衣が相応しい場所は、お祭りや花火大会などのイベントです。
TEPORE編集部にも、夏祭り用に浴衣を新調したスタッフがいます。
イベントだけでなく、ちょっとしたお出かけに着たり、親しい友人たちと浴衣姿で集まったりと、どんどん活用していきたいと話していました。
そして実際に浴衣を着たら、立ち居振る舞いにも気を使いたいもの。座る時は背筋を伸ばして足を揃え、帯が崩れないよう浅く腰かけます。
階段の上り下りでは、階段に触れないように裾を少し持ち上げ、つま先に重心を置きましょう。
腕を伸ばす時にはもう片方の手で袂を押さえて、腕が見えすぎないように気を配ります。
昔から、藍で染めたものは冷え性や肌荒れ、あせもなどの予防に効果があるといわれており、藍染の浴衣はお風呂上りに最適です。
また、藍の香りを虫が嫌うため、虫の出る夕方以降に紺地を着ることは合理的といえます。
絵柄のモチーフにも「涼」を感じさせる植物や生き物が多く使われているのも浴衣ならでは。
夏を過ごしやすくするために、浴衣には色や素材、柄が持つ特長が見事に反映されているのですね。


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 「日本を救う?! ローカルヒーローと食♪」    (TEPORE H26,01,07)

近頃、都内には、地方の特産品を紹介・販売するアンテナショップが増えていますね。
特に、銀座や八重洲付近には、「高知」「福島」「沖縄」の他、様々な地域のお店がたくさんあります。
そんな店内では各地のご当地ソングが流れ、その地域の名産品が並んでいるのを目にします。
ところ変わって飲食街に行くと、“郷土料理”を提供しているお店もチラホラ見られるようになりました。
地方から上京してきた方にとっては、故郷を味わえる場所として、また、その地を知らない方にはもの珍しさに……、というように色々な楽しみ方があるようですね。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、そんな地方を盛り上げているアンテナショップや郷土料理に共通している、“地域活性化”に目を向けて近年ではどのようなものがあるのかを紹介します。

●ご当地の正義を守る?! “ローカルヒーロー”
ご当地ものといえば、近年メディアで取り上げられている“ローカルヒーロー”。
テレビ番組に登場するヒーローとのクオリティーの差は否めませんが、中にはそれに迫るものもあるようです。
このローカルヒーローは、地元の子供達に自分の住んでいる土地のことを知ってもらうこと、そして全国に向けた地域の情報発信としての役割を持つようになりました。
ちなみに、アンテナショップでは、そんなローカルヒーローのテーマソングが流れていたり、商品などが並んでいたりするのが目につきます。 そういえばTEPORE編集部のスタッフも、この間アンテナショップへ行った時にパッケージにローカルヒーローがデザインされたレトルトカレーを買ってきていたようです。
またそれと一緒に、その土地の名産品“メロン”が入ったカレーも購入したそうで、食べてみたところ、メロンの風味もしっかり感じられて『美味しかった』と言っていました。

●ご当地宣伝マスコット“ゆるキャラ”
ローカルヒーローと同じような役割なのが、“ゆるキャラ”。
その地域の特徴をきぐるみのデザインに盛り込んだキャラクターが多く、子どもたちはもとより女性にも人気のようですね。
そんなゆるキャラの定義、「ゆるキャラ」の名付け親によると、
・郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
・立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
・愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
とされています。
何気なく見ている「ゆるキャラ」、結構厳しい基準があるのですね。
そういえばTEPORE編集部に、ゆるキャラグッズをお土産でいただいたスタッフがいました。確か熊本のゆるキャラだったと思います。
ずんぐりむっくりな胴体と、その特徴のあるほっぺたを見ていると次第に癒やされてくると言っていましたね。

●“郷土料理”から知る地域の特徴
沖縄のゴーヤチャンプル、広島の牡蠣(かき)料理、岡山のママカリずしというように、各地の郷土料理からもその地域を知ることができます。
というのも郷土料理とは、いわば、その地方に根づいた食文化の集大成。
味付けや食べ方、そして使用している食材など、その土地の特徴が色濃く出ているため、その地域を知るには良い方法だと思われます。
また、近頃では飲食街などで郷土料理を提供するお店が増えたこと、冒頭でご紹介したアンテナショップでも、その土地の特産物を加工した食品を販売していることからも、身近にその地方の食文化を堪能することができ、これをきっかけとして、『その地に行ってみたいなぁ』と思う人も増えているそうです。
今回のTEPOREトクトクコラム、いかがでしたか?
ローカルヒーロー、ゆるキャラ、そして郷土料理などを通じてその土地の文化を知る。
そこで育った方からしてみれば当然のことでも、他県出身の方からするとすごく新鮮なこともありますよね。
このようなことからも、地域に興味を持つ人が増え、そこから各地域が活性化すれば、日本全体がもっともっと元気になるのではないでしょうか。



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 「立ち寄りたい サービスエリア&道の駅」   (TEPORE H22,08,12)

8月のこの時期、故郷へ帰省されたり、海・山・行楽地へ遊びに出かけられたりする方もいらっしゃることでしょう。
その際の移動手段として車を利用される方も少なくないと思いますが、ドライブの途中に立ち寄る場所として最近、注目されているのが、高速道路にある「サービスエリア」と一般道路の「道の駅」です。

最近の「サービスエリア」や「道の駅」は、単なる休憩所というだけでなく、それ自体がレジャー目的になっているところも。
それだけ魅力ある「サービスエリア」や「道の駅」が増えているということでしょう。

「サービスエリア」は、一部を除いて各高速道路会社の系列管理会社が設置・運営している、休憩施設を備えた道路サービス施設です。
道路公団の民営化後は、サービスエリアごとの採算性が重視されるようになり、それまでのトイレ、レストラン、給油所だけではなく、コンビニエンスストアやカフェ、フードコート(飲食店街)、宿泊施設、愛犬を自由に走らせることができるドッグランなどを備えたサービスエリアが各地に誕生しています。

関東近郊で話題の「サービスエリア」には次のようなところがあります。

●足柄サービスエリア(東名高速道路・上り線)<静岡県御殿場市>
富士山を一望できるロケーションに、コンビニエンスストアやファストフード店などを備えた複合商業施設の一部が今年4月にオープン。
年内にはさらにさまざまなお店がオープン予定だそうです。
また、高速を降りずにホテルに宿泊できるハイウェイホテル「レストイン足柄」もあります。

●双葉サービスエリア(中央自動車道・上り線)<山梨県甲斐市>
約1万平方メートルに及ぶ併設のハーブガーデンでは、ラベンダーなどが栽培されています。
ハーブガーデン内には遊歩道が整備され、ドッグランも設けられています。
また、ショッピングコーナーには地元の名物がそろい、特に「みみほうとう」は、無添加のめんを使った郷土料理として人気が高いそうですよ。

●横川サービスエリア(上信越自動車道・上り線)<群馬県安中市>
実物の電車の一部を設置して、廃止前の信越本線・横川駅を再現した「横川駅メモリアルコーナー」が人気です。
電車の座席で名物「峠の釜めし」を食べることもでき、高速道路上で駅弁気分が楽しめます。

●羽生(はにゅう)パーキングエリア(東北自動車道・下り線)<埼玉県羽生市>
昨年秋、個性的なお店がそろうフードコートを中心に、スイーツショップ、カフェ、ベーカリー、コンビニエンスストアなどを備えた複合商業施設「パサール羽生」がオープン。
最近、人気急上昇中のパーキングエリアです。

一方、「道の駅」は、国土交通省によって登録された休憩施設と地域振興施設などが一体となった道路施設です。
高速道路には24時間利用可能なサービスエリアやパーキングエリアがあったのに対し、一般道路にはそうした施設がなかったことから、1993(平成5)年から本格的な整備が進められてきました。
現在、47都道府県のすべてに「道の駅」が設置され、その数は936か所(7月末現在)に上ります。
「道の駅」の特徴は、地域の歴史や文化、観光などの情報を発信し、地元とのふれあいの場として個性的でより魅力あるものを目指していることです。
さらに農産物直売所を設けたり、地元の食材を活かしたレストランを併設したりするなど、地産地消の拠点としての利用が進んでいます。
例えば、関東近郊で注目の「道の駅」には次のようなところがあります。

●道の駅 多古(たこ)<千葉県香取郡多古町>
3基の白い風車と大きな水車がシンボルの道の駅です。
地元農産物の販売と食事コーナーを備えた「あじさい館」では、食味日本一にも選ばれたことがある多古米(白米・玄米)や朝採り野菜、地元産の乳製品などが販売されています。

●道の駅 ちくら・潮風王国<千葉県南房総市千倉町>
千倉の海岸に面したオーシャンビューの道の駅です。
施設内にはいけすがあり、漁業協同組合直営の「海市場ちくら」では新鮮な海の幸が手ごろな価格で手に入ります。
ふれあい広場には漁船も展示されています。

●道の駅 どうし<山梨県南都留郡道志村>
山梨県屈指の清流・道志川沿いにある道の駅で、渓流を活かした水遊び場も設けられています。
出荷量日本一のクレソンをはじめ、新鮮野菜や手作りの漬物などを販売。
「手作りキッチン」では、地元の新鮮食材を使った郷土料理がいただけます。

●道の駅 水上町水紀行館<群馬県利根郡みなかみ町>
登山のメッカ谷川岳のふもとに位置し、利根川源流の町・みなかみ町にある道の駅です。
利根川上流域に住む淡水魚を観察できる水産学習館(有料)や、ロッククライミングが体験できる室内ロッククライミングウォール(有料)も備えています。
8月22日まで、夏休み恒例のマスのつかみ取り(有料)も実施中。

ご紹介した以外にも、特色ある施設やサービスを備えた魅力的な「サービスエリア」や「道の駅」がたくさんあります。
そういった中で、お休みの日にお気に入りの「サービスエリア」や「道の駅」を目指して車で出かける方も少なくないそうです。
例えば、限定販売のスイーツを手に入れるために「サービスエリア」に出かけたり、地元農家が持ち込む新鮮な野菜を求めて早朝から「道の駅」に向かったり、レジャーの一つとして楽しまれているようですよ。

夏の後半、そして秋の行楽シーズンに車で遠出される際には、皆さんも「サービスエリア」や「道の駅」を上手に利用されてみてはいかがでしょうか。

※情報は2010(平成22)年8月10日時点の内容です。
 情報が変更される可能性がありますので、事前に必ずご確認のうえ、お出かけください。



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 「廃校を利用した施設」   (TEPORE H22,09,30)

近年、過疎化や少子高齢化などの影響によって児童数が減り、廃校になる学校が増えています。
文部科学省によると、1992(平成4)〜2008(平成20)年度までに廃校となった公立の小・中・高等学校などは5,259校に達したそうですが、最近は廃校になった校舎を取り壊してしまうのではなく、新たな目的で再利用する動きが全国に広がっています。

東京都千代田区にある旧練成(れんせい)中学校は、2005(平成17)年に廃校したあと、今年6月に文化芸術の拠点施設「3331 Arts Chiyoda」(アーツ千代田3331)として開業しました。
よみがえった校舎には、画廊やアーティスト、クリエーターなどが教室だった場所を借りて入居しているほか、レンタルスペースとして利用できるギャラリーや会議室、体育館(3331ホール)などもあります。
教室の椅子や黒板など、建物以外の設備も再利用されています。
また、屋上にはレンタル用のオーガニック菜園が造られ、利用している方には「都会の真ん中で土に触ることができる」と好評だそうです。

2007(平成19)年に廃校になった東京都新宿区の旧四谷第四小学校は、2008(平成20)年から地域文化の発信拠点「四谷ひろば」として利用されています。
「四谷ひろば」は、地域で自主運営する「地域のひろば」と、NPOが運営する「CCAAアートプラザ」「東京おもちゃ美術館」の3つから構成されています。
「東京おもちゃ美術館」は、もともと別の場所にありましたが、小学校の校舎を改装してここに再オープンしました。
世界のおもちゃ、日本の伝統的なおもちゃなど約1万5,000点が展示され、館内には、理科室だった部屋を利用した休憩所があるなど、随所に校舎の雰囲気が残されています。
そのほか、ボードゲームなどができる「ゲームのへや」や、おもちゃを作る「おもちゃこうぼう」などもあり、ゆっくり遊べるので、遠方から訪れる親子連れの方も多いそうですよ。

東京都荒川区にある旧道灌山(どうかんやま)中学校の1〜2階は、2001(平成13)年に廃校後、ベンチャー企業への貸しオフィスとして利用されています。
1教室を2等分にした区営のオフィスは、周辺よりも比較的安い賃料が設定されているため、入居希望者もとても多いとか。
建物は学校当時のままですが、通信回線の光ファイバーをひくなど、オフィスとして使いやすい環境を新しく整えたそうです。

栃木県塩谷郡塩谷町の旧熊ノ木小学校は、1999(平成11)年に廃校後、2002(平成14)年「星ふる学校『くまの木』」という宿泊型体験学習施設に生まれ変わりました。
木造校舎を利用して、木工芸・つるを使った造形などの伝統工芸や、味噌作り・そば打ちなどの郷土料理、影絵や昔の遊びの文化など、この地域ならではの体験学習を行うことができます。
また、大きな桜の木が残る校庭には新設された直径3.5mの天体ドームがあります。
この辺りは空気がきれいで星がよく見えるので、天体教室も人気だそうです。
ほかに、周辺の美しい里山で農作物を育てる農林業体験もできます。

このほかにも、病院や福祉施設、専門学校、道の駅、映画・テレビCMのロケ地として使われるなど、廃校はさまざまな形で利用されています。
そうした廃校の有効活用を促進するため、文部科学省では「廃校リニューアル50選」を発表し、モデルケースとして紹介しています。

廃校を再利用してよみがえったこれらの施設には、用途は違っても共通する“思い”が込められています。
それは、かつて地域コミュニティーの中心だった学校を廃校になったあとも大切にし、地域の人々の新たな活動の場として活かしたいという願いです。
「今あるものをムダにしない」という、エコロジーの面からも注目したい取り組みですね。



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 「NHK放送では云ってはいけない商品名の一例」   (Doorblo H24,05,15)

ファミコン(任天堂) → 家庭用ゲーム機

シャーペン・シャープペンシル(シャープ) → メカニカルペンシル

ポリバケツ(積水化学) → プラスチックバケツ

タバスコ(キルへニー&オーバーシーズ) → ペッパーソース

ゴールデンウィーク(映画業界) → 大型連休

テトラポッド(日本テトラポッド) → 消波ブロック

ボンド・セメダイン → 接着剤

破魔矢(破魔矢寿製作所) → 縁起物の矢

マジック(内田洋行) → フェルトペン

ジェットスキー(川崎重工) → 水上バイク

ウォッシュレット(TOTO) → 温水洗浄便座

セロテープ(ニチバン) → 粘着テープ

ドライアイス(ドライアイス) → 固体炭酸

万歩計(山佐時計) → 歩数計

ピアニカ(東海楽器) → けん盤ハーモニカ

シーチキン(はごろも) → マグロの油漬け缶詰

オセロ(ツクダ) → リバーシ

テフロン加工(デュボン) → フッ素樹脂加工

エレクトーン(ヤマハ) → 電子オルガン

サランラップ(旭化成) → 食品包装ラップ/ポリラップ

クレパス(サクラクレパス) → パステルクレヨン

ジープ(ダイムラー・クライスラー) → オフロード4WD車

宅急便(ヤマト運輸) → 宅配便

味の素(味の素) → 化学調味料/うまみ調味料



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 「パブリックアートを知ろう!」  (TEPORE H22,11,26)

皆さんは、「パブリックアート」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
パブリックアートとは、一般に公開された公共の場所に設置された芸術作品のことです。

例えば、皆さんが通勤や散歩で通る道に彫像が建っていませんか?
また、広場や公園に不思議な形のオブジェなどがあるのを見たことはありませんか?
こういったものもパブリックアートの一種だと考えられています。
このほか、芸術性の高い建築物などもパブリックアートの分野に入るという考え方があるようです。
どの範囲まで芸術作品と見なすかによって、パブリックアートの定義は異なりますが、共通しているのは誰もが自由に訪れることができる開放された場所、パブリックスペースにあるということです。

パブリックアートという言葉は、1960年代にアメリカで生まれたといわれています。
作品の制作者は、世界的に著名な芸術家であることも珍しくありません。
名だたるアーティストの作品にも気軽に接することができ、しかも無料で見る(体験する)ことのできるのがパブリックアートの良さといえます。

そうした誰もが知っているアーティストによるパブリックアートの作品といえるのが、東京の渋谷駅(JR線と京王井の頭線を結ぶ連絡通路)にある、岡本太郎の壁画「明日の神話」です。
この作品は縦5.5m、横30mの巨大な壁画で、当初、メキシコで建設中のホテルに飾る壁画を描いてほしい、と依頼されて岡本太郎が1968(昭和43)〜1969(昭和44)年に作ったものだそうです。
しかし、依頼主の経営状況が悪化したため、ホテルが未完成となり『明日の神話』も行方不明になってしまっていたそうです。
これが2003(平成15)年に発見され、修復作業などを経て、2008(平成20)年からこの場所に設置されています。

同じく岡本太郎によるパブリックアート「こどもの樹」もよく知られているのではないでしょうか。
これは「こどもの城」(東京都渋谷区)にあるオブジェで、四方八方に枝を広げた樹の先端にたくさんの顔がついていて、迫力がありながら、どこかしらユーモラスな雰囲気も漂わせています。
また、銀座の数寄屋橋公園(東京都中央区)にある「若い時計台」というオブジェも岡本太郎作です。
大阪万博のシンボルともいわれる「太陽の塔」を思わせる形をしていますが、実は「太陽の塔」の4年前に制作されたものだそうですよ。

また、神奈川県横浜市では、街づくりの一環としてパブリックアートを設置する取り組みを早くから行っていて、市内のさまざまなエリアでパブリックアートを見ることができます。
大通り公園(横浜市中区)には、オーギュスト・ロダンの「瞑想」、ヘンリー・ムーアの「三つの部分からなるオブジェ」、オシップ・ザッキンの「働く女」といった、近代彫刻の巨匠と呼ばれるアーティストの作品が設置されています。

同じ横浜市のみなとみらい21地区にある最上壽之(もがみ ひさゆき)の「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」は、太いステンレス製パイプがジェットコースターの線路のように上へ伸びたりぐるりと回転したりしている、不思議な形のオブジェです。
周囲の広場は、このオブジェの名前からいつしか「ヨーヨー広場」の愛称で呼ばれるようになったそうです。

このように大きな作品ならば誰もが気づき、足を止めそうですが、中には街の風景に溶け込んでいて、ふだん意識することなく通り過ぎているようなものもあります。
皆さんのお住まいや職場の近くにも、そんなパブリックアートがあるかもしれません。
芸術の秋、身近なパブリックアートを再発見しに出かけてみるのもおもしろいかもしれませんね。



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 「日本の伝統食、そばを食べよう!」  (TEPORE H26,05,20)

大晦日に食べる「年越しそば」、引っ越しの挨拶で近所に配る「引っ越しそば」など、私たちの生活に密着しているそば。
香り・こし・のどごしを楽しめるそばは、日本のみならず海外でも人気の、日本が誇る伝統食です。
そこで今回のトクトクコラムでは、日本人なら知っておきたい、そばの美味しい基礎知識をご紹介します。

●意外と知らない!? そばの高い栄養価
低カロリーでヘルシーなイメージがあるそばですが、実は栄養価が高い食品のひとつです。
そばには、疲労回復ビタミンとも呼ばれるビタミンB1、脂質の代謝を促進し、皮膚・髪・爪の再生に大きく関係するビタミンB2、整腸作用のある食物繊維などが豊富に含まれています。
また、ポリフェノールの一種で、そばに多く含まれているルチンは、血管の弾力を保ち、疲労回復や生活習慣病の予防といった効果があります。
ビタミンCの吸収を助ける効果もあるので、野菜のかき揚げなどと一緒に食べると、美味しさも栄養価もアップします。

●乾麺を使った冷たいそばの美味しい茹で方
そばを食べるなら、冷たいそばに限る! という方も多いはず。
ここでは、これからの暑い季節にぴったりの冷たいそばの美味しい茹で方をご案内します。

1 大きめの鍋にたっぷりのお湯(4L以上)を沸騰させます。
2 1〜2人前(1〜2束)のそばを鍋に入れ、浮き上がってきたら箸でやさしくほぐします。
  このとき、お湯がふきこぼれないように注意してください。差し水の必要はありません。
3 茹で上がりの目安は、鍋にそばを入れてから約3分〜4分ですが、火力によって茹で時間が異なりますので、お好みの硬さに調理してください。
4 茹で上がったそばを素早くざるにすくい上げてやさしく水洗いし、氷水で冷やしながら、そばを締めます。
5 しっかり水を切り、水切れの良い器に盛ります。

●そば通に学ぶ! 美味しいそばの食べ方
そばの食べ方に特別な作法はありません。TEPORE編集部は、ご自身が好きなように食べるのが一番美味しいと考えます。
とはいえ、美味しいそばの食べ方というものがあるそうですので、ご紹介します。

1 最初は何もつけずに、そば本来の味を楽しみます。
2 次に、箸でつまんだそばの3分の1ほどをつゆにつけて、一気にすすります。
  そばをつゆ全部に浸してしまうと、そばの風味が損なわれてしまいますので、ほどほどに。
3 薬味を入れていただきましょう。
  薬味には、味の調整はもちろん、食欲増進や殺菌作用などの効果があります。
  そば通の中には、つゆにわさびを溶かさずに、そばに直接つけて風味を楽しむという人や、そばを食べる合間に薬味を少し舌先に乗せて口直しをするという人もいるそうですよ。
4 最後にそば湯をいただきましょう。
  そばに含まれているビタミン類やルチンなどの栄養分の大半は水溶性のため、そばを茹でるときにお湯に溶け出してしまいます。
  そばの栄養を余すとこなく体内に吸収するためにも、そば湯までしっかり楽しみましょう。

そばを食べるときに音をたてるべきか? とTEPORE編集部で話題になったことがありました。
すする行為は、そばと空気を一緒に吸い込むことで、味と香りがより堪能できるともいわれています。
美味しさが増す気がするというスタッフもいれば、マナー違反だというスタッフもいて、賛否両論。
人が不快にならない程度に、適度に音をたてて食べる、くらいが丁度いいのかもしれませんね。

そばは日本の麺の代表です。白米と比べてカロリーが少なく、ダイエット効果も期待されています。
積極的に食べて、健康維持に役立てましょう。


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 「進化が止まらない!? 最新文房具事情をリサーチ!」  (TEPORE H26,09,24)

仕事効率をアップさせてくれたり、モチベーションを上げてやる気を高めてくれたりする文房具に、いくつになっても心惹かれてしまうという方も多いのではないでしょうか。
先日、TEPORE会員の皆さんに、「あなたは普段、万年筆を使っていますか?」と尋ねたところ、「あまり使わない」という意見が目立ちました。
欧州では、万年筆が日常的に使われていますが、日本においては、ボールペンが主流。
こういった背景が関係している結果なのかもしれませんね。
最近では、実用的で手頃な万年筆が増えており、子どもや初心者にも扱いやすいと人気を集めています。
いつかは、大人のたしなみのひとつとして、万年筆を使いこなしてみたいですね。
さて、今回のTEPOREトクトクコラムでは、今日からでも使いたい!
最新文房具をジャンル別にご紹介していきます。
あなたのお気に入りは見つかるでしょうか?

●書く:消せる水性ボールペンは、ビジネスマンの必需品
消せる水性ボールペンの登場に、驚いた方もいらっしゃるでしょう。
温度の変化で色が消える特殊なインキを採用しているため、ボールペンの頭やキャップについている専用ラバーで筆跡をこすることで、摩擦熱によってインキが透明になります。
ビジネスマンから圧倒的な支持を受けたこのボールペンは、発売以来、世界で10億本以上も売れる大ヒットとなりました。

●消す:“修正したところを修正できる”修正テープが登場
一方、通常の水性ボールペンや油性ペンなどでの書き損じは、修正テープが便利です。
乾かす必要がないため、修正後すぐにテープの上から書き直すことができます。
利き手を問わず、なめらかな使い心地を実現し、先端が回転するなど、使いやすく改良されています。
最近では、引き過ぎた修正テープをきれいにはがせる“テープはがし”が付いたものや、消しゴムと一体化したもの、修正する前の文字を紙の裏から見えにくくしたものなども、人気を集めています。

●切る:シュレッダーはさみでプライベート情報の流出を未然に防止
明細書やダイレクトメールなど、個人情報が記載された書類を捨てるときに便利なアイテムが、シュレッダーはさみです。
シュレッダーはさみの特長は、はさみの刃が3枚、5枚、9枚などと複数であること。
もともと、このシュレッダーはさみは海苔を細かく切るための調理用品でしたが、細かく裁断できるという利点を生かし、個人情報を守るためのはさみとして販売したところ、瞬く間に人気に火が付きました。
電気代がかからないので、エコな製品ともいえますね。

●貼る:手がべたべたしない、スマートなテープのり
手を汚さずきれいにのり付けができるテープのりも、進化系文房具のひとつ。
粘着剤をテープに乗せてロール状にしているため、紙に押し当てて引くと、粘着剤がテープから紙に移るという仕組みです。
紙がよれたりシワになったりせず、きれいにスピーディーに貼ることができると評判です。
塗った箇所が分かるよう、色付きのテープのりも発売されています。

●綴じる:針のいらないステープラーはエコにも一役買っています紙を折り込んで綴じる、針のいらないステープラーは、安全で環境にやさしいエコ文房具。 針を補給する必要がなくコストもかかりません。
以前、TEPORE編集部のスタッフが、誤って針のついた資料をそのままシュレッダーにかけてしまい、シュレッダーが壊れかけたことがありました。
それ以来、針のいらないステープラーを使うようにしている、と話していました。

●記す:スマートフォン連動の文房具たち
今、スマートフォンとの連携で、さらなる機能を発揮するデジタル文具が注目されています。
スマートフォンのカメラで撮影した手書きのメモをデジタル化できるノートや、手書きのメモと音声を同時に記録できるデジタルボールペンが、その代表ではないでしょうか。
また、フタにスマートフォン用撮影台がついた名刺ケースは、名刺を撮影して情報をデジタル化しながら、名刺本体をケースに保存できるという優れもの。
スマートフォンと文房具を融合させて上手に使いこなせば、仕事もぐんとはかどりそうですね。

文房具の進化は目ざましく、今では便利で実用度が高く面白い文房具が数多く発売されるばかりか、専門の雑誌が出版されたり、文房具とカフェが融合したお店がオープンしたりと、話題が尽きません。
今後もますます使いやすく改良され続ける文房具。
これからも目が離せませんね。


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 「おいしいっ!! 秋の日本酒!」  (TEPORE H25,10,08)


ちょうど今は、秋の季節。脂ののった戻り鰹(かつお)、香り豊かな松茸、風味が良い秋そばなど、美味しい食材がたくさんありますよね。
しかし、秋はこれらのほかにも旬のモノがあるのです。
それは、この時期だけに出荷される「ひやおろし」です。
このように日本酒は、季節や製法の違いなどによって、種類・名称が変わります。
今回のTEPOREトクトクコラムでは、そんな日本酒について、その種類の説明や日本酒がからだにやさしいと言われている理由についてご紹介します。

●「ひやおろし」と呼ばれる理由、何だと思いますか?
「ひやおろし」とは、冬の寒い時期にしぼったお酒を“一度”火入れし(加熱処理)、ひんやりと温度が安定した蔵で春から夏の間、大切に保管・熟成させたもののことをいいます。
夏の暑い時期が過ぎた頃、涼しい外気温と貯蔵しているお酒の温度が同じになった秋の季節に、この熟成されたお酒“ひや”を瓶詰めして、二度目の火入れをせずに出荷“卸(おろし)”したことから、「ひやおろし」と言われるようになりました。
ちなみに「火入れ」とは、お酒に熱を加えることによって、含まれている酵素の働きを抑えることと、濁りや臭みを生じさせる火落(ひおち)菌の殺菌のために行われる、品質を保つための作業のこと。
一般的には、貯蔵前に一度火入れし、瓶詰め前もしくは瓶詰めした後(瓶火入れ)に二度目の火入れを行います。
また、この「火入れ」の回数によって、日本酒の種類・呼び方が違うというのも、日本酒の面白いところですね。
では、どんな種類・呼び方があるのでしょう?
それぞれの特徴とともに挙げてみましょう。

◇火入れ0回の「生酒(なまざけ・なましゅ)」
お酒に熱を通していないため、フレッシュ感や麹(こうじ)の香りを味わうのに最適な火入れ方法とされています。
しかし、独特のクセや荒さが感じられ好みが分かれるということと、保存に関しては日持ちしないという面もあります。

◇火入れ1回の「生貯蔵酒/ひやおろし」
生貯蔵酒は、貯蔵前に火入れをせず瓶詰め前後に一度火入れをする方法で作られたものをいいます。
お酒のフレッシュさと香りが味わえ、荒さも丸くなりスッキリとしていますが、熟成した味を楽しめないという面もあります。
一方、ひやおろしは、貯蔵の前に一度火入れをするため、安定した熟成が進み、飲み頃の秋口になると、まろやかでトロリとした風味を味わえるのが特徴です。

◇火入れ2回の「一般酒」
貯蔵前に一度火入れし、瓶詰め前後に二度目の火入れを行います。
熟成されたお酒のコクとまろやかさが感じられるほか、保存期間が前述のものと比べ長いというのも特徴です。
(蔵によっては2年ほど熟成させたものや、20年ものの「古酒」などもあるのだとか)

●日本酒のラベルに表示されている吟醸って?
日本酒のラベルをよく見ると、「吟醸」や「純米」と表示されているのですが、いったいこれは何を表しているのでしょうか? 
実はこれ、原料米の製造方法やその他の条件によって分類された「特定名称」で表記されたものなのです。
それでは、どのように分類されているのかをご紹介します。

■種類
◇吟醸酒(ぎんじょうしゅ)
使用原料…米、米こうじ、醸造アルコール
精米歩合…60%以下
麹米使用割合…15%以上
香味等の要件…吟醸造り、香味、色沢が良好

◇大吟醸酒(だいぎんじょうしゅ)
使用原料…米、米こうじ、醸造アルコール
精米歩合…50%以下
麹米使用割合…15%以上
香味等の要件…吟醸造り、固有の香味、色沢が特に良好

◇純米酒(じゅんまいしゅ)
使用原料…米、米こうじ
精米歩合…−
麹米使用割合…15%以上
香味等の要件…香味、色沢が良好

◇純米吟醸酒(じゅんまいぎんじょうしゅ)
使用原料…米、米こうじ
精米歩合…60%以下
麹米使用割合…15%以上
香味等の要件…吟醸造り、固有の香味、色沢が良好

◇本醸造(ほんじょうぞうしゅ)
使用原料…米、米こうじ、醸造アルコール
精米歩合…70%
麹米使用割合…15%以上
香味等の要件…香味、色沢が良好

などの種類に分類されています。
ちなみに精米歩合とは、玄米の状態を100%とし、その中心へ向かって磨いた(削った)割合のこと。
例えば、60%の表示ならば40%の玄米を磨いたお米を使用しているということです。
そして吟醸造りとは、大変手間がかかる作業で、丁寧に精米した白米を低温でゆっくりと発酵させ、特有の香りを出すという高度な技術のことを指します。
また、上記の「特定名称」での分類は、お酒の優劣を表しているものではありません。
杜氏(とうじ)の技術、使用するお米、その年の天候、お水、火入れの具合などの要因が複雑に絡み合って、素晴らしい日本酒は作られています。
さまざまな土地や色々なお店に通って、ご自身の好みにあった日本酒を探す、というのも日本酒の楽しみ方なのではないでしょうか。
余談ですが、TEPORE編集部のスタッフもお土産で色々な日本酒を頂くのですが、一度に飲み比べてみると「色」や「香り」などの特徴がそれぞれはっきりと分かって面白いですよ。

●日本酒がからだにやさしい理由
昔からお酒は、「百薬の長」などと言われています。
今回のTEPOREトクトクコラムで紹介している「日本酒」は、数種類あるお酒の中でも特に栄養価が高いとされています。
というのも、発酵で生じる栄養成分のほかに、からだにやさしいアミノ酸やビタミン、ミネラル成分などが豊富に含まれているからです。
また、他のお酒に比べて多く含まれている「アデノシン」という成分は、血管を長時間拡張させ、からだを温め続ける効果があります。
このことから、血行が良くなることで冷えの対策に、そしてストレスなどで凝り固まったからだの緊張がほぐれますから、精神的にも、そして肉体的にもリラックス効果が期待できる飲み物なのです。
しかし、飲み過ぎには注意! 一般的に日本酒の場合、1合〜2合の間が適量だとされており、週に2日の休肝日を設けることが上手なお酒との付き合い方なのだとか。
お酒は美味しく楽しく、そして、からだにやさしく飲みたいですね。

今回のTEPOREトクトクコラム、いかがでしたか?
普段、何気なく飲んでいる日本酒も、こうしてみるとたくさんの種類や、季節によって販売されるものなどがあって面白いですね。
今夜あたり、少し冷えたからだを秋の味覚と共に「日本酒」で暖める、なんていうのはいかがでしょうか。


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 「ホエールウォッチングの楽しみ方!」  (TEPORE H23,02,24

冬から初春にかけて、日本各地で多くの鯨を見ることができます。
最近、その鯨たちを観察する「ホエールウォッチング」が人気なのだとか。
鯨をただ眺めるだけでも楽しめますが、鯨の生態や種類について少し知っておくと楽しみも倍増するかもしれませんね。
そこで今回は、ホエールウォッチングの楽しみ方や注意点などをご紹介します。

日本近海で見ることができる鯨は、地域によってその種類もさまざまですが、1年を通して見られる鯨の主なものは、マッコウクジラやニタリクジラなどで冬になるとザトウクジラなどがやってきます。

ホエールウォッチングでは、この鯨の種類を見分けることも楽しみの一つです。
ポイントは、大きさや、ひれの位置・形、体色、模様などを観察すること。
これによって、鯨の種類はもちろん、個体識別ができる場合もあります。

また、鯨の行動についても知っていると、観察がいっそう楽しくなるはずです。
潮を高く吹き上げる独特の「ブロー」と呼ばれる行動は、一定の間隔で行われることが多いので、1回目から2回目までの時間を計っておくと次はいつブローするかがだいたいわかるそうです。
また、「ブリーチング」と呼ばれる水面へのジャンプは、背中から落ちる背面型やお腹から落ちる腹打ち型など、いくつかのパターンがあるそうなので、違いを観察するのも楽しいかもしれませんね。

観察するだけではなく、記録に残したいという方は、写真やビデオで撮影するのもよいでしょう。
陸から観察する場合は問題ありませんが、船からのホエールウォッチングでは揺れる場合があるので、手ぶれ防止機能つきのカメラが撮影に便利です。
カメラのシャッタースピードは速めにし、連写機能もうまく使うと、シャッターチャンスを逃さず撮れる可能性が高くなります。
そのほか、ホエールウォッチングには5〜8倍程度の視野の広い双眼鏡や、紫外線から目を守り、水面下も見えやすい偏光サングラスなどを持っていくと役に立つそうですよ。

ホエールウォッチングを思う存分楽しむためには、注意点もあります。
船でのホエールウォッチングでは、海上は風が強く寒いうえに、しぶきがかかるなどしてぬれることもあります。
防水性のウインドブレーカーやズボンなど、水に強く暖かい服装は欠かせません。
靴は、ぬれた甲板でも滑りにくい履物が望ましく、カメラや携帯電話などの電子機器類は特に防水対策をしておくと安心ですね。
乗り物酔いする人は、乗船前に酔い止めの薬を飲んでおくといいでしょう。

また、ホエールウォッチングを行っている地域では、自主ルールを定めている場合が多いようです。
例えば、小笠原ホエールウォッチング協会では、小型船(20トン未満)の場合は、鯨から300m以内では船を減速させる、ザトウクジラ(ヒゲクジラ亜目全種)から100m以内・マッコウクジラから50m以内は進入禁止、鯨の進行方向に先回りして行動を妨げないようにする、などのルールがあります。
これらのルールは鯨と人間の両方を守る意味で定められているので、しっかり理解して観察したいですね。

日本では、北海道の室蘭付近や東京都の小笠原諸島、高知県の室戸岬・黒潮町沖、沖縄県の座間味(ざまみ)島付近などが代表的なホエールウォッチングスポットといわれています。
近くにお出かけの際は、大海原に生きる巨大なほ乳類を観察するホエールウォッチングを体験してみてはいかがでしょうか。



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 「お盆の行事 に込められた思い!」    (TEPORE H22,06,22)

皆さんがお住まいの地域では、「お盆」 は7月ですか? それとも8月ですか?
関東や東北の一部、ほかにも地域によって7月13日にお盆の「迎え火」、16日(または15日)に「送り火」を行う習慣があるようです。
これは旧暦でのお盆が7月15日を中心に行われていたので、明治時代になって新暦に変わっても、そのまま旧暦の日付と同じ日を採用したことによるそうです。

一方、8月15日を中心にしたお盆は、「月遅れのお盆」と呼ばれます。
新暦7月15日はまだ梅雨のさなかのところも多く、農家が忙しいときと重なるなどから、お盆を1か月遅れで行うようになったといわれています。
全国的に見ると「月遅れのお盆」が多く、それに合わせて夏季休暇をとって帰省される方も多いですね。
そのほか、沖縄など、地域によって旧暦7月15日に当たる日を中心にお盆を行っているところもあるそうです。

このようにお盆は、地域によって時期は異なりますが、もともと中国で行われていたと伝わる仏教行事「盂蘭盆(うらぼん:盂蘭盆会(え)とも)」のことをいうそうです。
盂蘭盆の行事は「盂蘭盆経」という経典に書かれていた、次のような説話に基づいているといわれています。

お釈迦(しゃか)さまの十大弟子で「神通第一」(弟子の中で何事もなし得る霊妙な力が最も優れている)といわれる目連(もくれん)は、その力を使って、亡くなった自分の母親が餓鬼道(常に飢えと渇きに苦しむ世界)におちて苦しんでいることを知ります。
そこで水や食べ物を差し出しましたが、すべて口に入る直前に炎となって、母親の口には入りません。
目連は悲しみ、お釈迦さまに救いを求めたところ、修行を終えて7月15日に集まる僧侶たちに食事をふるまって、供養するように言われます。
そして、そのとおり実行すると、母親は餓鬼の苦しみから救われたのです。
さらに、お釈迦さまは同じように7月15日にいろいろな飲食物を盆に盛って、仏や僧、大勢の人たちに供養を行えば、亡き母だけでなく多くの先祖も苦しみから解き放たれるだろうと説きました。

この説話にあやかって7月15日に供物をささげて、亡くなった父母や祖先の霊を供養する「盂蘭盆」の行事が行われるようになったのだとか。
諸説ありますが、この「盂蘭盆」が日本に伝来し、先祖の霊を迎える日本古来の神事などと結びついて民間行事として広まり、現在のような日本独特のお盆が定着していったのではないかと考えられているようです。

日本のお盆でよく知られている風習の一つに「迎え火」や「送り火」があげられます。
一般的にお盆の期間が始まる13日(地域によって異なります)の夕方に、「迎え火」をたいて先祖や亡くなった方の霊を迎えます。
家の門口や庭先、盆棚の前などで、乾燥させたオガラ(皮をはいだ麻の茎)などに火をつけて燃やし、帰ってくる霊の目印とするのが「迎え火」です。
玄関先や軒先、仏壇の前などに「盆灯籠(どうろう・とうろう)」を置いたり、「盆提灯(ぢょうちん・ちょうちん)」をつるしたりするのも、同じく霊への目印です。

霊を送り返す「送り火」は、お盆が終わる16日(または15日・地域によって異なります)の夜に行われます。
家の門口や墓地などで、「迎え火」と同じように火をたいて先祖の霊を送るのです。
家々の送り火のほかに、地域や町をあげての「送り火」もあります。
中でも有名なのが、「大文字焼」で知られる京都の「五山送り火」(8月16日)でしょう。
京都の町を取り囲む山々に、たいまつの炎で「大・妙・法」の文字や「船形」「鳥居形」が浮かび上がります。
そのほか、小さな舟(精霊舟)を作ってお供え物などを乗せて、川や海に流す「精霊送り」(精霊流し)や、「送り火」をともした灯籠を川に流す「灯籠流し」も、お盆を締めくくる「送り火」の行事として知られていますね。

また、「迎え火」や「送り火」に合わせて、先祖の霊が乗るための「精霊馬」を作って、盆棚や仏壇などに飾るところもあります。
「精霊馬」とは、なす・きゅうりに竹ぐしなどで足をつけて、馬や牛に見立てた飾りのこと。
この「精霊馬」にも地方による違いがあって、迎え用に作るところ、送り用に作るところ、迎えは馬で送りは牛を作るところ、あるいはその逆など、さまざまなようです。

日本の夏に欠かせないお盆の行事には、亡くなった人をしのび、今を生きる家族の息災を先祖の霊に感謝する気持ちが込められています。
地域や家々によって、お盆の行事にもさまざまな違いがあると思いますが、こうした思いをこれからも大切に受け継いでいきたいものですね。

※今回ご紹介している「お盆の行事」に関する内容は一般的なもので、地域や 家庭によって異なることがあります。



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 「神無月、地方によっては「神在月!?」  (TEPORE H25,10,15)


20年に一度、執り行われる儀式、神宮式年遷宮遷御の儀(しきねんせんぐうせんぎょのぎ)の第62回目が、先日(内宮:10/2、外宮:10/5)、伊勢神宮で行なわれました。
この遷宮とは、古くなったお社から新しく建て直したお社へ、神さまにお引越しをしてもらうというもの。
テレビや雑誌などでは、こぞって取り上げていましたね。
また、今年の5月、巨大な注連縄(しめなわ)で知られる出雲大社の遷宮(5/10)も、60年ぶりに行なわれたことは記憶に新しいと思います。
ちなみにこれらの神社、昔から“パワースポット”としても知られ開運のためにお参りする人も後を絶たないのだとか。
さて、旧暦の読み方では「神無月(かんなづき)」と言われる10月。
しかし先ほど紹介した出雲大社のある島根県の出雲地方では、「神在月(かみありづき)」と言われています。
なぜこのように言い方が違うのでしょうか?
今回のTEPOREトクトクコラムでは、そんな10月の言い方について、ご紹介します。

●神さまの会議が行なわれる「出雲大社」
一説によると、10月の出雲には全国から神さまが一度に集まるとされており、そんな出雲には神さまがいることから「神在月」、そして他の地方では神さまが出雲に行って留守にしているので、「神無月」と言われているそうです。
さて、この月に全国から集まった神さまたちは、一体何をしているのでしょう?
ちょっと気になりませんか?

実は、出雲に集まった神さまたちは、「縁結び」の会議をしているらしいのです。
そしてその様子は、島根県の博物館にある絵で見ることができます。
どのようなものかというと、出雲大社に集まった神さまたちが男女の名前を別々の木札に書き、会議の末にカップルを決定、その木札を結びつける「縁結び」を行っているというもの。
縁には、仕事、お金、家族などがあるのですが、縁結びといえば男女の縁。
そうイメージされやすいのももしかしたらこの絵が有名だからかもしれませんね。

●おいしいもの、いっぱいの出雲
出雲のおいしいものといえば、「ぜんざい」が有名です。
全国で食べられるので、なんでわざわざ出雲なの? 
と思われるかもしれませんが、実はここ“出雲”が、ぜんざい発祥の地なのです。
昔から出雲では、10月に全国から神さまを迎え「神在祭(かみありさい)」を行っています。
そのお祭りで振る舞われているのが、神在餅(じんざいもち)。
これがなまって、じんざい→づんざい→ぜんざい というように変化していき、皆さまがよく知る「ぜんざい」として全国に伝わったそうです。
また、このほかにも出雲でおいしいものといえば、「出雲そば」があります。
私たちが知っている普通のそばと違い、皮ごとそば粉を挽くので香りが高く、黒い色をしているというのが特徴です。
実は、このそばもちょっとした小話があります。
それは、神在月の時期にお参りに来た人の楽しみとして、門前にある屋台で釜揚げされた「出雲そば」を食べる、というのがありました。
そして神在祭が終わり、今度は神さまを見送る儀式「神去出祭(からさでさい)」が行われるのですが、これにちなんで釜揚げされたそばを“神去出そば”と呼ぶようになるのです。
今でもその習慣が残りこの時期になると屋台が軒を連ね、お参りで少し冷えたからだをこのそばで温める、というのが参拝者には人気のようですね。

●いつも以上のにぎわいを見せる「伊勢神宮」
「一生に一度は伊勢参り」昔からそう言われるくらい大切にされている神社が伊勢神宮(いせじんぐう)です。
通称お伊勢さんとして親しまれているこちらは、日本人全員の総氏神(そううじがみ)として祀(まつ)られています。
ちなみに氏神とは、簡単に言えば住んでいる土地を守っている神さまのこと。
そして総氏神とはその上に立つ神さまのことを言います。
そんな伊勢神宮は今年の10月、20年ぶりに総額約550億円もの費用をかけて遷宮を行いました。
神さまのお引越し(遷宮)には結構な金額がかかるのですね。
しかし、神宮内で使用される装飾品や神殿などを作るといった、日本古来の伝統技術を次世代に継承していくということも含まれていますから、引越しだけの値段だけではないようです。
余談ですが、実はTEPORE編集部のスタッフも遷宮の日にお伊勢さんに行ってきました。
神宮内を歩いているとなんだか神聖な気持ちになって、心身ともにとても癒やされてきました。
なんでも、神社を囲っている森林からは、「フィトンチッド」といわれる成分が放出され、リラックス効果が得られるのだとか。
旅行するならば、一度は行っていただきたいおすすめの癒しスポットです。
「フィトンチッド」に関してはこちらをチェック!
→【Vol.359 月に1回でもOK! 「森林浴」の効果とは!?】
http://cl.tepore.com/c/Ccl0hmsmdxuabdH39d1f6d0Iid0hmsp69cwr1

●伊勢にもあります、おいしいたべもの
伊勢神宮には内宮と外宮に分かれており、それらには全国からやってくる参拝者をおもてなしをしようと、たくさんの飲食店でにぎわいを見せています。
特に今年は遷宮の年でもありますので、例年よりも一層、お客さんが多いそうですね。
そんなお伊勢参りの人気の食べものと言えば、「伊勢うどん」。
通常のうどんとは違い、麺をクタクタに茹で、たまり醤油がベースの黒く濃厚な汁でいただくのが特徴です。
そしてなぜ、ここまで茹でるのかというと、お伊勢参りは江戸時代のころから、老若男女のあらゆる年齢の人が参拝しており、今と違って交通手段も徒歩で何日もかけて行くというものでした。
そんな疲れきったからだには、消化に良い物を、ということで始めたのがきっかけだという説があります。
ちなみにこの時期、伊勢神宮のある三重県では、伊勢海老をはじめとした海の幸、本しめじなどの山の幸が旬の時期。
そして、出雲大社のある島根県では、11月ごろから新そばが出始めます。
今度のお休みには、お参りとおいしいものを食べに、旅行に出かけてみてはいかがでしょうか。
また、最近ではこれらをインターネットでお取り寄せすることもできますので、時間がなくてなかなか旅行に出かけられない、そんな方にはおすすめです。
今回のTEPOREトクトクコラム、いかがでしたか?
10月は「神無月」と何気なく教えられていましたが、地方によってはこのように言い方も違うのですね。
こういう歴史を知っておくというのも、その土地の文化を学ぶ大切なことなのだと思います。



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 「“もったいない”はエコのお手本!?」  (TEPORE H25,10,22)


10月は“3R(スリーアール)”推進月間ですね。この3Rとは、
『リデュース(量を減らすこと)』
『リユース(繰り返し利用すること)』
『リサイクル(再資源化すること)』
を表しています。
さて、このリサイクル。先進国を中心に、世界中ではその活動が盛んに行われていますね。
日本では “エコ”と名のつく以前から“もったいない”といって、モノを大切にしてきました。
TEPORE編集部でも、いらなくなった紙の裏側を“もったいない”からメモに使ったり、プリンターの使用もちょっと控えたりというような心がけをしています。
“もったいない”。
普段の生活にこの言葉を取り入れるだけでも、随分とエコになりますよね。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、家庭でできるちょっとしたエコについてと、3Rのお手本といっても過言ではない江戸時代に見られるエコ、それがどのようなものであったのかを紹介したいと思います。

●家庭でできるエコとは?
エコ活動で大切なのは、一人ひとりのエコに対する認識ではないでしょうか。
例えば、エコバックや、マイ箸、エコカーなどが挙げられますが、そのほかにもどのようなことが家庭ではできるのでしょう?

◇冷暖房器具(エアコン)の掃除をする
エアコンの設定を冷房の場合は1℃高めに、暖房の場合は1℃低めにすると約10%の省エネになるといわれています。
しかし、エアコンの内部がホコリなどで汚れていると、エネルギーの効率も悪くなり、無駄な電力を使用してしまいます。
ですから、季節ごとに内部の掃除をしておきましょう。

◇使わない電化製品のコンセントは抜く
コンセントを差し込んだままにしておくと、“待機電力”といって、機器を使用していなくても電力を消費しますので、使用しない時は主電源を切るようにしましょう。
また、電気屋さんなどで売られている節電用の電源タップだと、一気に主電源が切れますから非常に便利です。

◇必要な時だけお水を流す
お水を一分間流しっぱなしにすると、12リットルもの量が流れるというデータがあります。
洗顔や歯磨き、そして食器洗いなど、流しっぱなしにしがちなところでは、必要な時だけお水を出すようにしましょう。

◇使わなくなったものはリユース
デジタルカメラ、パソコン、本やCDなどの自分が使わなくなったものは、他人に渡すというのも、エコでしょう。
このところ、捨てるよりも誰か役に立つこと、少しでもお金になるなどの理由から、フリーマーケットやリサイクルショップなどの利用が盛んになっているようです。

◇修理して長く使う
最近では、電化製品も安く購入できるモノがあるため、修理せずに新品に手が届きがちです。
しかし、使えなくなったからといってすぐに買い換えるのではなく、しっかりと修理をして、使い続けるというのもエコではないでしょうか。
また、スーツを例にすると、しっかりとした生地や仕立てが丁寧なモノは、何十年も着ることができます。
しかし、それなりのモノはやはりそれなりに…。良いモノを購入し長年使用することも、エコではないでしょうか。

●江戸時代のエコってどういうもの?
実は江戸時代のエコは、3Rのお手本と呼ばれるくらい、モノを大切にして捨てなかったといいます。
例えば何年も経った古着の場合、それを捨てずに一旦、糸をほどいて元の反物の状態にしてから洗います。
その後、再び着物として使えるようであれば元通りにし、使えなければ、ぞうきんや赤ちゃんのおむつにします。
また、それでも使えない場合は燃やして灰にし、畑の肥料に再利用していたそうです。
また、紙についても、いらなくなった紙は捨てずに、包み紙やふすまの強度を持続させるための下張りとして再利用していたとのこと。
さらに、“紙くず買い”といって、今でいう古紙回収業者のような人が紙くずを回収し、その紙をすき直してから再生紙として販売したり、それらをちり紙としても利用したりしていたといいます。
ほかにも、昔から日本の食卓には無くてはならない「米」。
これを収穫した後に残る“わら”も、米俵や日除け・雨具の笠(かさ)や蓑(みの)、草鞋(わらじ)などを作る材料として、再利用されていました。
このように使わなくなったモノ・余ったモノを使えるモノへと再利用し、捨てるモノを極力無くすという生活スタイル、ぜひ見習いたいものですね。
ちなみに、TEPORE編集部のスタッフも、何年かに一度、フリーマーケットに出店して、着なくなった服や使わなくなった電化製品を売っているようで、その売上を新しい服を買う資金にしているみたいです。

今回のTEPOREトクトクコラム、いかがでしたか?
私たちの生活の中で、普段から“もったいない”と思うだけでも、身近にあるゴミや無駄な資源を減らすことができ、エコに貢献できるのではないでしょうか。



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 「 尾張三山 」  (Wikipedia H23,01,04)

尾張三山(おわりさんざん)とは、愛知県北部(尾張地方北部)に位置する3つの山(尾張富士、本宮山、白山)の総称である。
いずれの山にも頂上付近に神社があり、信仰の対象ともなっている。
尾張富士が本宮山と山の高さを競い合ったことに由来して 「石上げ祭」が、毎年8月の第1日曜日に開催されている。



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 「大みそかの過ごし方!」  (TEPORE H22,12,21)

一年の締めくくりの日、大みそかがもうすぐやってきます。
いろいろな行事、風習があるようですが、皆さんはどのように過ごされますか?
今回は、大みそかの過ごし方についてご紹介しましょう。

●正月準備の最終チェックを
毎月の末日を「みそか」または「つごもり」といい、12月の末日は一年の最後の日なので「大みそか」または「大つごもり」と呼ばれています。
大みそかには新しい年を迎える準備ができているか、最終チェックをしましょう。
前もって、大掃除や正月料理の準備、正月飾り、新しい年のカレンダー、お年玉に使う新札・ぽち袋の用意など、紙などに書き出してリストを作っておくと、やり忘れがなくなります。
また、新しい年を迎えるにあたり、服や下着、箸、歯ブラシなどの日用品を新調するのもいいですね。

●年越しそばを食べる
大みそかの夜には、長寿などを祈ってそばを食べる習慣があります。その由来はいろいろあるようです。
そばは切れやすいので一年の災厄などを断ち切るという意味で食べるようになった、また、金細工師が飛び散った金粉を集めるためにそば粉を使ったことからお金が集まる縁起をかついだなどという説があります。
ほかに、そばは風雨にさらされて倒れても太陽に当たればすぐ起き上がる植物なので、そのたくましさにあやかろうとしたともいわれています。

●除夜の鐘をつく
「除夜」とは「旧年を除く夜」という意味で、一年最後の夜、つまり大みそかの夜をいいます。
お寺によって鐘をつき始める時間はまちまちですが、大みそかの深夜0時前後につく鐘が除夜の鐘で108回つくことは皆さんご存じでしょう。
人には108の煩悩があるといわれ、その数だけ鐘をつき、その音を聞くことによって煩悩を取り除き、清らかな心になって新年を迎えようというものです。
お寺によっては一般の参拝者も除夜の鐘をつけるところがあるので、参加してみてはいかがでしょうか。
予約が必要だったり、費用がかかったりする場合もありますので、事前に調べておきましょう。

●それぞれの過ごし方で
大みそかの夜に、厄をはらい、新しい年の福を祈願する除夜祭を行う神社やお寺もあります。
テーマパークや有名スポット、コンサート会場などでも、新年を迎えるカウントダウンに合わせてイベントが開催されるところもあるので、そういったところに出かけてみても楽しいでしょう。
また、自宅や帰省先でのんびりテレビを見たり、家族団らんのときを過ごしたりするのもいいかもしれませんね。



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 「残したい“日本の音風景”!」  (TEPORE H22,06,24)

1996(平成8)年に環境庁(現・環境省)は、全国各地で人々がシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を公募し、「残したい“日本の音風景100選”」を選定しました。
この100選には、川の流れや海の波音などの「自然の音」、鳥の声や虫の羽音などの「生き物の音」、祭りや産業などの「生活文化の音」などが含まれていて、日本の音風景が多様であることをうかがい知ることができます。
今回は、その中からいくつかの音風景をご紹介します。

●水沢駅の南部風鈴<岩手県奥州市>
毎年6〜8月、JR東北本線水沢駅ホームには、この地方で製作された南部風鈴がたくさん飾られ、「リーン、リーン、チリーン、チリリーン」という、さわやかな音がハーモニーとなって聞こえてきます。
これは、1963(昭和38)年から
毎年行われていて、水沢駅は別名「風鈴駅」とも呼ばれているそうです。
風鈴は、伝統的な釣り鐘型、松かさ型、灯ろう型などのほかに、果物や野菜、花などをかたどったものなども増え、目でも楽しめます。

●太平山(おおひらさん)あじさい坂の雨蛙(がえる)<栃木県栃木市>
栃木市街地にほど近い太平山のふもとから山頂に向かう参道は、1,000段の石段が続いています。
石段の両側には西洋あじさい、山あじさいなど約2,500株のあじさいが植えられ、この一帯はあじさい坂といわれています。
6月中旬〜7月上旬ごろ雨が降ると、あじさいの間から「ケロケロケロッ」という雨蛙の大合唱が始まるそうです。

●大井川鉄道のSL<静岡県川根本町(かわねほんちょう)>
南アルプス奥大井のふもとに、日本では数少なくなったSLが走っています。
大井川鉄道の金谷(かなや)駅から千頭(せんず)駅まで、日に何度か走る(冬期約3か月は火・木曜運休)SLは「シューッ、シュー、ボッボッボッボッボッボ…」と蒸気の排気音と汽笛を山あいに響かせています。
付近には多くの野鳥が生息し、そのさえずりも時に聞こえてくるのどかな音風景が広がっています。

●吉田川の川遊び<岐阜県八幡町[現在の郡上(ぐじょう)市]>
子どもたちが度胸試しで橋から川に飛び込む姿を、テレビなどで見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その川がこの吉田川です。付近の子どもたちは夏の間、吉田川で泳いだり、岩場や高さ12mの新橋から飛び降りたりして遊ぶそうです。
「ヤァーッ」という子どもたちの歓声、「バァッシャァーン」という水しぶきの音は、この地ならではの「夏の音」といえるでしょう。

●小鹿田皿山(おんたさらやま)の唐臼(からうす)<大分県日田(ひた)市>
民陶の里・小鹿田皿山では、300年近い伝統のある小鹿田焼(おんたやき)が作られています。
唐臼は全国でも珍しい水力を利用した陶土粉砕機で、水流で杵(きね)を動かして、臼の中の陶土をつくものです。
「ギィー…、ゴトン、ザァー」と響き渡る唐臼と水の音は、里の中央を流れる大浦川のせせらぎと調和し、静かな山里の風物詩となっています。

●エイサー<沖縄県うるま市>
沖縄の旧盆の時期に、青年たちが中心となって各地で踊られる「エイサー」。
旧暦7月15・16日の夜、集落ごとに集まり、無病息災、家庭円満などを祈念して踊りが披露されます。
伝統的で華やかな衣装に身を包んだ旗持ちや太鼓隊、踊り手たちなどが隊列を組み、三線(さんしん)や太鼓のリズムにのって踊る姿はとても勇ましいものです。
「エイサー、エイサー、スリエイサー」というはやし言葉と、「ドンドン、ドドン」という太鼓の音がリズミカルに響きます。

私たちは、日々さまざまな音に囲まれて暮らしています。
日常生活の中でも耳を澄ませてみたら、今まで気がつかなかった「音風景」を発見することができるかもしれませんね。



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 「知っているようで知らない、お彼岸のあれこれ」  (TEPORE H26,09,17)

今年の秋のお彼岸は、9月20日(土)から9月26日(金)です。
この時季、お墓参りや法要に参加する予定の方もいらっしゃるでしょう。
お彼岸はご先祖様を供養する日、と分かってはいても、お彼岸の由来やお墓参りをする理由などは、知らない方も意外に多いのではないでしょうか。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、今さら人に聞けない「お彼岸」についてご紹介します。

●お彼岸とは
春分・秋分の日を中日として、その前後3日を合わせた7日間をお彼岸といいます。
「彼岸」は、サンスクリット語の「波羅密多(はらみた)」が由来といわれていて、悟りや涅槃(ねはん)の境地を意味しています。
煩悩と迷いに満ちたこの世、「此岸(しがん)」の者が、理想世界である「彼岸」に到達するために、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という6つの実践徳目「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の修行をするための期間でもあります。
お彼岸の中日にはお墓参りをし、残りの6日間で1日につき1徳目を修行して、最後までやり遂げた者だけが極楽浄土に行くことができると考えられていました。
また、「日の願」という言葉から「日願」になったという説もあり、太陽の神を信仰する日本独特の神道と結びつきやすかったともいわれています。

●お彼岸の過ごし方
家庭では仏壇をきれいに掃除して、季節の花を飾り、おはぎや団子などをお供えします。
そして、家族揃ってお墓参りに出かけます。
時間があれば草むしりや掃き掃除、墓石や水鉢、花立て、香立ての洗浄など、お墓周りの清掃をしましょう。
お墓にも故人が好きだった花や食べ物などをお供えします。
お墓が菩提寺(ぼだいじ)の寺内にある場合は、寺院で営まれる彼岸会(ひがんえ)法要に参加しましょう。

●お彼岸にお墓参りをする理由
お彼岸にお墓参りは付き物ですが、そもそもなぜお墓参りをするようになったのでしょうか。
仏教の世界では、ご先祖様のいる彼岸は西、私たちがいる此岸は東にあると考えられています。
太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日・秋分の日は、彼岸と此岸が最もつながりやすく、此岸にいる者が彼岸に近づくにふさわしい日とされていました。
そこで、この期間にお墓参りをしてご先祖様の供養をし、いずれ自分も彼岸に到達できるようにと精進するようになった、と伝えられています。
TEPORE編集部が調べたところ、お彼岸にお墓参りをする文化は、日本独自のもので、他の仏教国では行われていない、とのことでした。
お彼岸のお墓参りは、仏教としての習わし、というわけではないのです。
農耕民族である日本人にとって、豊作を願う春と収穫をする秋は、自然の恵みに感謝する風習がありました。
そういった気持ちがご先祖様に対する気持ちと結びついたのかもしれませんね。

●お墓参りに対する意識調査結果
以前、TEPORE会員の皆さまに「どんなときにお墓参りに行きますか?」
という調査を行ったところ、1位はお盆、2位が春・秋の彼岸、3位が帰省したとき、という結果に。
次いで、故人の命日、思いついたとき、となりました。
中には、散歩代わりに毎日、という意見もあり、お墓参りを日常的にしている方も大勢いらっしゃることが分かりました。
その他、お墓参りにまつわる皆さんからのエピソードや、ぼたもちとおはぎの違いなども、こちらのページでチェックすることができます。
ぜひご覧になってみてくださいね!
▼TEPOREアンケート「お墓参り」
http://cl.tepore.com/c/Ccl0i04sgxlvivHaf940c45Iid0i04vxucpfy

「暑さ寒さも彼岸まで」とよくいいますが、これは、昼と夜の長さがほぼ同じになる春分・秋分の日を境に寒さや暑さが和らぎ、過ごしやすくなることが由来しています。
お墓参りに出かけるには良い季節ですので、今年のお彼岸は、ぜひご家族でお墓参りをして、思い出話に花を咲かせてみませんか。
今年の秋のお彼岸は、9月20日(土)から9月26日(金)です。
この時季、お墓参りや法要に参加する予定の方もいらっしゃるでしょう。
お彼岸はご先祖様を供養する日、と分かってはいても、お彼岸の由来やお墓参りをする理由などは、知らない方も意外に多いのではないでしょうか。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、今さら人に聞けない「お彼岸」についてご紹介します。

●お彼岸とは
春分・秋分の日を中日として、その前後3日を合わせた7日間をお彼岸といいます。
「彼岸」は、サンスクリット語の「波羅密多(はらみた)」が由来といわれていて、悟りや涅槃(ねはん)の境地を意味しています。
煩悩と迷いに満ちたこの世、「此岸(しがん)」の者が、理想世界である「彼岸」に到達するために、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という6つの実践徳目「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の修行をするための期間でもあります。
お彼岸の中日にはお墓参りをし、残りの6日間で1日につき1徳目を修行して、最後までやり遂げた者だけが極楽浄土に行くことができると考えられていました。
また、「日の願」という言葉から「日願」になったという説もあり、太陽の神を信仰する日本独特の神道と結びつきやすかったともいわれています。

●お彼岸の過ごし方
家庭では仏壇をきれいに掃除して、季節の花を飾り、おはぎや団子などをお供えします。
そして、家族揃ってお墓参りに出かけます。
時間があれば草むしりや掃き掃除、墓石や水鉢、花立て、香立ての洗浄など、お墓周りの清掃をしましょう。
お墓にも故人が好きだった花や食べ物などをお供えします。
お墓が菩提寺(ぼだいじ)の寺内にある場合は、寺院で営まれる彼岸会(ひがんえ)法要に参加しましょう。

●お彼岸にお墓参りをする理由
お彼岸にお墓参りは付き物ですが、そもそもなぜお墓参りをするようになったのでしょうか。
仏教の世界では、ご先祖様のいる彼岸は西、私たちがいる此岸は東にあると考えられています。
太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日・秋分の日は、彼岸と此岸が最もつながりやすく、此岸にいる者が彼岸に近づくにふさわしい日とされていました。
そこで、この期間にお墓参りをしてご先祖様の供養をし、いずれ自分も彼岸に到達できるようにと精進するようになった、と伝えられています。
TEPORE編集部が調べたところ、お彼岸にお墓参りをする文化は、日本独自のもので、他の仏教国では行われていない、とのことでした。
お彼岸のお墓参りは、仏教としての習わし、というわけではないのです。
農耕民族である日本人にとって、豊作を願う春と収穫をする秋は、自然の恵みに感謝する風習がありました。
そういった気持ちがご先祖様に対する気持ちと結びついたのかもしれませんね。

●お墓参りに対する意識調査結果
以前、TEPORE会員の皆さまに「どんなときにお墓参りに行きますか?」
という調査を行ったところ、1位はお盆、2位が春・秋の彼岸、3位が帰省したとき、という結果に。
次いで、故人の命日、思いついたとき、となりました。
中には、散歩代わりに毎日、という意見もあり、お墓参りを日常的にしている方も大勢いらっしゃることが分かりました。
その他、お墓参りにまつわる皆さんからのエピソードや、ぼたもちとおはぎの違いなども、こちらのページでチェックすることができます。
ぜひご覧になってみてくださいね!
▼TEPOREアンケート「お墓参り」
http://cl.tepore.com/c/Ccl0i04sgxlvivHaf940c45Iid0i04vxucpfy

「暑さ寒さも彼岸まで」とよくいいますが、これは、昼と夜の長さがほぼ同じになる春分・秋分の日を境に寒さや暑さが和らぎ、過ごしやすくなることが由来しています。
お墓参りに出かけるには良い季節ですので、今年のお彼岸は、ぜひご家族でお墓参りをして、思い出話に花を咲かせてみませんか。



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 「秋は、衣替えとお掃除の季節!」  (TEPORE H25,10,29)

夏の衣類をしまって、冬物を出す“秋の衣替え”。
次に夏物を出した時に、黄ばみが出ていてお気に入りの服が台無しになった、なんて経験もあるのではないでしょうか? 
TEPORE編集部でも、まさに今年、そんな経験をしたスタッフがいます。
ちなみに、この黄ばみの原因は、夏にたくさんかいた“汗”。
その汗がしみとなり(汗じみ)変色することで、この“黄ばみ”になってしまうのです。
そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、衣替えに適したこの季節にこそしておきたい、家庭でできる汗じみを取るコツ、そして衣替えと一緒に掃除もしておきたいということで、夏に活躍したクーラーや裸足でペタペタ歩いたであろう、床(フローリング)のお掃除についても紹介したいと思います。

●家庭でできる汗じみ対策
汗じみが黄ばみになる前にできる対策といえば、ズバリ、きちんと洗濯することです。
というのも、汗じみは水溶性のしみのため、市販の洗濯洗剤で毎回洗濯していれば、汗じみは予防できます。
しかし、面倒なのでほかの洗濯物が溜まってから後日洗おうだとか、汗をかいていないからまだ洗わなくてもいいかも、という理由から洗濯することを渋っていると、気づいた時にはすでに汗じみができてしまいます。
衣類についた汗が、汗じみになるには時間との勝負!! 
面倒でも、着終わった衣類はきちんとその日に洗濯するようにしましょう!

●それでも汗じみになってしまったら
日頃はきちんと洗濯しているけれど、仕事が忙しかったり雨の日が続いたりと、洗濯できなかったということもあります。
そのせいで汗じみができてしまったら、いつもの洗濯の前に以下の方法を試してみてください。
(1)組み合わせる
洗濯に強い素材(綿などの白物)は粉の洗剤と粉漂白剤が、色物(ポリエステルなど)の衣類には液体洗剤と粉の漂白剤、そしてあまり洗濯に向かない素材(シルクなど)には、液体洗剤と液体漂白剤の組み合わせが良いとされています。
(2)温度と時間
白物や色物などによって使用するお湯の温度も違います。
例えば、白物であれば40℃から50℃くらい、色物であれば30℃から40℃のお湯で、上記の組み合わせの洗剤を良く溶かします。
溶かし終えたら、今度は衣類をつけこみ、約20分間様子を見て下さい。
それでも、効果が表れなかったら、1時間ほど時間を延ばし様子を見ると良いそうです。
その後は、いつもどおりの洗濯を行なってください。
(3)クエン酸を入れる
もし(2)で洗濯し落ちそうになければ、10倍の水で薄めたクエン酸を入れ、様子を見て洗濯して下さい。

注意点として、衣類に洗浄液などを使用するときは、事前に目立たない所で色落ちテストを行って下さい。
素材によっては色落ちする場合がございます。
また、上記で紹介している方法は、一般的に汗じみが落ちやすいと言われているもので、その効果を保証するものではございません。
やはり汗じみ対策には、毎回きちんと洗濯することが大切です。
これで、ある程度の汗じみは落ちると思いますが、それでもやはりしつこいモノは落ちないことがあります。
いくら落ちないからといって、何度も洗うと生地を傷める可能性があります。
そうならないためにも、特に大切な衣類や自宅で洗濯するのが難しい衣類は、専門のクリーニング業者にあずけることが、安心できるのではないでしょうか?

●夏に活躍したクーラーと床(フローリング)の掃除
◇エアコンの掃除
エアコンはワンシーズン使用すると、内部がかなり汚れます。
皆さんは、冬にさしかかるころにエアコンをつけて、「何か変な臭いがする」と思ったことはありませんか? 
実はこれが、エアコン内部のカビの臭いなのです。
そして秋は、冷房を使い終わった“夏”と暖房を使いはじめる“冬”のちょうど真ん中の季節。
エアコンをつけないでも過ごしやすい気温が続きますから、夏に活躍したエアコンをきれいに掃除して、快適に暖房をつけられるように準備をするには適した季節でもあります。
TEPORE編集部のスタッフも、このあいだエアコンのお掃除を済ませました。
最近急に寒くなってきましたし、そろそろ暖房が活躍しそうでしたから。
ちなみに、その時の掃除方法を紹介しますと、
(1)内部のホコリを掃除機で吸い取る
(2)フィルターを取り外してブラシなどを使ってしっかり洗浄し、その後きちんと乾燥させる
(3)アルミフィンに市販のエアコン洗浄スプレーを噴射し除菌
(4)元通りに設置
ちなみにエアコンには、細かな電気部品もあるので、フィルターやアルミフィン以外の部分(エアコン内部など)は専門業者にお任せしましょう。

◇フローリングの掃除
「フローリングにはダニがいない」そう思われている人もいますが、実はカーペットや畳に比べて少ないというだけであって、ここにもきちんと住んでいます。
秋は一年間で最もアレルギーを発症しやすい季節とされていますので、念入りに掃除をしてアレルギー対策を行ってください。
また掃除の注意点としては、いきなり掃除機をかけると排気の風でダニの死骸やホコリが舞い上がってしまい、ますますアレルギーの原因にもなりかねません。
ですから、一度雑巾がけをすること、加えて、夏場から秋口にかけては裸足でいることも多く、フローリングは雑菌の温床になっている可能性もあります。
雑巾がけの他にも、除菌ができるウエットタイプのワイパーシートもありますので、こちらを使用してから掃除機をかけるようにしましょう。
今回のTEPOREトクトクコラム、いかがでしたか?
秋は食欲やスポーツだけではなく、衣替えやお掃除にも適した季節なのですね。
しかし、体調を崩しやすくアレルギーが一年の中で、もっとも発症する季節でもありますから、衣替えや掃除の際は、マスクをするなどの対策も忘れずにしてくださいね。


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 「日本の宝、「和食」のおはなし!」  (TEPORE H26,02,25)


近年、日本の食文化が欧米化の傾向にあるといいますが、私たち日本人の奥底に根付いている食文化とは、ご飯やお味噌汁といった和食の献立ではないでしょうか。
TEPORE編集部でも、海外旅行から戻った途端、和食が恋しくなって梅干しのおにぎりを空港内のコンビニエンスストアで買って食べたというスタッフがいます。
その気持ち、とても良くわかりますよね。

そこで今回のTEPOREトクトクコラムでは、日本の宝ともいえる、「和食」についてご紹介します。
2013年12月に「和食」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたという大きなニュースがありました。
日本人として、とても嬉しいお知らせでしたよね。
ところで皆さんは、有形文化遺産と無形文化遺産の違いをご存知ですか?
簡単にご説明しますと、有形文化遺産は建造物などといった形があるものが対象となります。
例えば、1993年に登録された姫路城や、2013年に登録された富士山といった世界遺産は有形文化遺産となります。
対する無形文化遺産は、形にならないもので、人間が持つ知恵や習慣、文化などが対象となります。
例えば、今回登録された「和食」の場合ですと、無形文化遺産登録の対象となったのは「おせち料理」という特定の食ではなく、「お正月におせち料理を食べるという日本の文化」ということになります。
私たち日本人にとって、ごく身近に感じられる日本の食文化ですが、世代を越えて受け継がれ、また海外からも高く評価されるには、それなりの理由があります。

●栄養バランスに優れた健康的な食生活
「一汁三菜」を基本とする日本の食事スタイルは、和食の基本的な形とされており、平安時代末に登場したといわれています。
理想的な栄養バランスがとれることに加え、「うま味」を上手に使うことによって、動物性油脂の少ない食生活が実現できるため、日本人の長寿や肥満の予防につながっています。
これは世界から注目されている食生活でもあります。

●正月などの年中行事との密接な関わり
日本の食文化は、正月やひな祭りなどの年中行事と密接に関わりを持ち、行事の際に家族や地域の方と「食」の時間をともにすることで、絆を深めることにも一役かっています。

●自然の美しさや季節の移ろいの表現 自然の美しさや季節の移ろいを食事の場で表現することも日本の食文化の特徴の一つです。
その時々の花や葉などで料理を飾り付けたり、季節に合った器を利用して季節感を楽しむのは、日本人ならではの志向です。
若者を中心に和食離れが進んでいるといわれていますが、日本人が長い間育んできたすばらしい食文化が、今の私たちの体を支えているといっても過言ではありません。
ご飯とお味噌汁を食べるとホッとする、お正月におせち料理は欠かせない、様々な食器を買い足したくなる、…そんな気持ちになるのは、やはり私たちが日本人だからなのでしょう。
さて、和食といえばだし汁が基本の味付けの一つといわれており、だしの味次第で料理の善し悪しが決まる、ともいわれています。
ここでは、一般的なだしをご紹介します。

●昆布だし
上品で控えめなだしです。鍋料理・茶碗蒸し・和え物など具の香りや素材の味わいを大切にする料理に向いています。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l4fcHad97a8a2Iid0hs2w51p87d

●一番だし
香りが高く、口当たりも上品なのでお吸い物やうどん、そばのだしなど、だしの味を生かした料理などに向いています。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l5fdH4e1f4107Iid0hs2w51p87d

●二番だし
醤油・みりん・砂糖・味噌などの調味料で味付けをする料理のベースに使用します。特に味噌汁など味の濃い汁物や、惣菜の煮物などに向いています。
※薄すぎると感じた場合は、新たにかつお節を追加する「追いがつお」 という方法で調整をしてください。
⇒ http://cl.tepore.com/c/Ccl0hs2te6l6feH30866208Iid0hs2w51p87d

TEPORE編集部の若手スタッフに聞いたところ、「かつお節といえば既に削られてパック詰めにされているものしか知らず、この前、削りたてのかつお節を食べた時には、香り豊かなかつお節の味に感動した」と言っていました。
最近では手軽なパックなどを使っているご家庭が多いようですが、かつては、削り器で、削りたてのかつお節を使ってだしをとっていたというご家庭が多くありましたよね。
今回の日本の和食についての登録は、食に関しての無形文化遺産登録で、フランス、地中海、メキシコ、トルコに次いで5件目の登録となりました。
日本の食文化が自然と身についている私たちにとっては、当たり前の食事かもしれませんが、外国の方々にとって日本の食文化は大変珍しく、興味深くうつるそうです。
確かに、食に対する日本人のこだわりは格別ですし、季節を感じながら食事をするという形態は珍しいのかもしれません。
今回のユネスコ無形文化遺産の登録を機に、さらに世界の人々に日本の良さをじてもらえたら嬉しいですね。



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 「話題のフルーツ魚って!?」  (TEPORE H25,08,20)

「フルーツ魚」をご存じですか? 
「みかん」「かぼす」などフルーツを混ぜたエサで育てられた魚のことで、最近話題になっているのです。
今回のTEPOREトクトクコラムでは、種類や食べ方など、フルーツ魚についてご紹介します。

●ほんのりフルーツの香りが漂い、魚ぎらいにも人気
昔から日本は世界で最たる「魚食大国」といわれています。
2007年のデータによると、一人当たりの魚介類の供給量は人口100万人以上の国のなかで世界一とのこと。
とはいえ、消費量自体は年々減少の一途をたどっています。
そのため「もっと魚を食べて!」と、漁業関係者を中心にさまざまな取り組みが行われています。
かんきつ類やハーブなどをエサにして育てられた養殖魚「フルーツ魚」も、そんな取り組みの一例。
地域の特産品のフルーツを使うことで地域色を打ち出し、付加価値をつけた「ブランド魚」の一つです。
「養殖魚」と聞くと、「天然魚よりランクが落ちる」というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、
何とかして天然魚の味に近づけようとするのではなく、「人間の手で育てるからこその味づくりを」という逆転の発想に挑んだのがフルーツ魚なのです。
その身からは、ほんのりフルーツの香りが漂い、魚独特の生臭さが抑えられるという特徴が。
フルーツと魚の組み合わせに難色を示していたTEPORE編集部のスタッフも、居酒屋で友人にすすめられて「みかん鯛(だい)」を口にし、さっぱりとした味わいが気に入ったとのこと。
魚料理が苦手な人や子どもからも好まれるケースが多いようです。

●フルーツ魚の種類と特徴
では、フルーツ魚にはどんな種類があるのでしょう?
  それぞれの特徴とともに挙げてみましょう。

■「みかん鯛」「みかんブリ」「みかんハマチ」(愛媛)
みかんを特産品とする愛媛県では、その搾りかすを魚のエサに混ぜることで有効活用しています。
香りと味が良く、切り身にしたときも色落ちが少ないとのこと。

■「かぼすブリ」「かぼすヒラメ」(大分)
変色しやすいブリの身も、かぼすの果汁や果皮を混ぜることで生じる抗酸化作用によって変色までの時間が約2倍伸びるというデータが出ているとか。
一般的な養殖ブリに比べ、脂ののりがサラリとしているといわれます。
また、かぼすヒラメはかぼすの香気成分リモネンの蓄積により、肝の臭みが消えてエンガワがさっぱりしているのが特徴。

■「長崎ハーブ鯖(さば)」(長崎)
ナツメグなど数種類のハーブを混ぜたエサを1年以上与えて養殖しています。
脂質が控えめで、身に透明感があるのが特徴。
ハーブを飼料として与えることで、食欲増進・消化促進・免疫機能向上・抗酸化などの作用が見られるようです。

■「柚子ブリ(ゆずぶり)」(鹿児島)
高知大学と地元漁協とで共同開発し、冬季限定で販売。
エサにフルーツを混ぜるだけでなく、香り付けまで行ったフルーツ魚の元祖ともいわれています。
塩焼きやしゃぶしゃぶで食べると、ゆずの香りがいっそう引き立つそう。

■「オリーブハマチ」(香川)
特産のオリーブの葉の粉末を添加したエサを20日間以上与えて飼育。
通常のハマチに比べて、酸化・変色しにくい肉質に改善されているそうです。

ちなみにハマチは香川県の県魚に選定されている出世魚。
香川県出身のTEPORE編集部スタッフは、関東ではハマチもブリと呼ぶことが多いのに驚いたとのこと。
「オリーブハマチ」の知名度が高くなるとともに、「オリーブ」「ハマチ」といった地域の特産物も両方、覚えられそうですね。

●高値でも話題性で人気。
おすすめの食べ方は「刺身」
こうしたフルーツ魚は通常の養殖魚に比べて高めですが、インパクトのある名前や話題性から、すし店や鮮魚専門店など外食産業からの引き合いが増えているそう。
実際、「期間限定」としてフルーツ魚を使ったメニューを提供するすしチェーンや居酒屋もあります。
もちろん、一般消費者向けにも市場に出回っているのでチェックしてみては? 
西日本が産地のものが多いために流通も西日本が中心ではありますが、通販を行っているものも多いほか、首都圏のスーパーや都内にある都道府県アンテナショップに並ぶこともあります。

フルーツ魚のもっともオススメの食べ方としては、やはり香りが最大限に楽しめる「お刺身」。
お刺身を軽くだしにくぐらせるしゃぶしゃぶや、切り身をシンプルに塩焼きにするのもいいですね。
ちなみにオリーブハマチは、シメた翌日の刺身だと、甘みが増して、よりおいしいそう。
短冊で購入した場合は、トレーからラップに移して2重に巻き、翌日に刺身で味わうのが「通」の食べ方だそうです。

ひと口に「フルーツ魚」といっても、各生産者はエサのフルーツの質や分量、与える期間などに独自の基準を設け、おいしさを守る工夫をしています。
そんなこだわりを知っておくと、よりおいしくいただけそうですよね。



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 世界遺産 「海に浮かぶ厳島神社」 について :    (H20.11.20)

海に浮かぶ朱塗りの鳥居と神殿が、幻想的な風景を見せる「厳島(いつくしま)神社」。
日本三景の一つ「安芸(あき)の宮島」にある「厳島神社」は、前面に広がる海、背後の「弥山(みせん)」のふもとに残る原始林などとともに、1996(平成8)年にユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に登録されました。

かつて「安芸の国」と呼ばれていたのは、現在の広島県西部にあたる地域。
戦国武将・毛利元就(もうり・もとなり)の生誕の地でもあります。
その安芸の国にあって、広島湾に浮かぶ小島が「宮島」です。島の中心には「弥山」と呼ばれる主峰があり、弘法大師(空海)がお堂を建立したと伝えられるなど、古くから信仰の地としてあがめられてきました。
「神をいつきまつる島」として、別名「厳島(いつくしま)」とも呼ばれていたそうです。

平家の総帥であった平清盛の援助を得て建てられたのが、平安時代後半の1168年ごろのことだと伝えられています。
これが「厳島神社」で、このとき、現在のような回廊で結ばれた海上社殿がほぼ完成したのだそうです。
海にせり出すように社殿が設けられたのは、島の土地が神聖なものだと考えられていたから、という説もあるようです。

「厳島神社」の象徴ともいえる存在が、海にそびえる朱塗りの「大鳥居(おおとりい)」です。
高さは、奈良の大仏とほぼ同じ16mもあって、樹齢500〜600年のくすのきが使われているそうです。
現在の大鳥居は8代目で、主柱となる巨木探しには20年近くかかったのだとか。
この大鳥居、根元をしっかりと海底に埋めて建てられているのかと思ったら実はそうではなく、海底に築いた石組
みの土台の上に、鳥居の重さだけで立っているのだそうです。
潮が引いたときに、その様子を目にすることができるようですよ。

「厳島神社」の「本殿」は、毛利元就によって1571年に改築されたものだそうですが、平安時代の貴族の館に用いられていた寝殿造りの様式を、創建時から変わることなく現代に伝える貴重な建築物として、国宝にも指定されています。
本殿の前面、寝殿造りでいえば庭にあたる部分に設けられているのが、「平舞台(ひらぶたい)」です。
広さは約553平方mあって、木柱ではなく、赤間石(あかまいし)という239本の石柱によって支えられているそうです。
平舞台の前方には「火焼前(ひたさき)」と呼ぶ突き出した部分があって、そこは神事を行う際に使われます。

「厳島神社」の外周を取り囲む朱塗りの「回廊」は、幅4m、長さは275m。
床板の間には「目透(めすか)し」という透き間があって、高潮のときなどは、この「目透し」が上がってくる海水の圧力を弱め、本殿に押し寄せる海水や雨水を海へ流す役割を果たしているのだそうです。
このほか、江戸時代に造られた「能舞台」は、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの一つで、海に浮かぶ能舞台としては唯一のものということです。

世界遺産「厳島神社」へは、JR宮島口駅からフェリーで約10分。
広島港(宇品港)から高速船(所要約22分)も運航されています。

宮島を訪れたなら、華麗で荘厳な「厳島神社」だけでなく、宮島ロープウェーで「宮島」の山頂に登り、手つかずの自然を満喫するのもいいでしょう。
今ごろでしたら、宮島にある「紅葉谷(もみじだに)公園」の美しい紅葉も見られるかもしれません。
この秋の終わりに、安芸の宮島へ出かけてみませんか



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 「新しいユネスコ世界遺産」  (TEPORE H22,11,12)

今年の夏にブラジルの首都ブラジリアで、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第34回世界遺産委員会が開催されました。
今回、新たに世界遺産として登録された21件の中から、いくつかをご紹介します。

●Phoenix Islands Protected Area(フェニックス諸島保護区)
キリバス共和国の自然遺産。
南太平洋に浮かぶフェニックス諸島とその周辺、40万8,250平方キロメートルの海洋保護区が世界遺産に登録されました。
域内に14の海山や深海域を含み、海洋保護区としては世界最大級です。
およそサンゴ200種、魚類500種、海洋ほ乳類18種、鳥類44種という多彩な生態系を有し、手つかずの貴重な自然が残されています。
キリバス共和国初の世界遺産としても注目されています。

●The Jantar Mantar, Jaipur(ジャイプールのジャンタル・マンタル)
インドの文化遺産。インド北部の都市ジャイプールにある、18世紀に造られた天体観測施設です。
さまざまな形をした約20もの石造設備は望遠鏡などの道具を使わずに、肉眼で天体観測できるように造られているのだとか。
当時の天文学者たちは、ここで星の位置や日食・月食の周期を測定したり、時間を知ったりしていたようです。

●Historic Villages of Korea: Hahoe and Yangdong
 (韓国の歴史的村落:河回村と良洞村)
大韓民国の文化遺産。安東(アンドン)河回(ハフェ)村と慶州(キョンジュ)良洞(ヤンドン)村はともに大韓民国東南部に位置し、14〜15世紀ごろに、両班(ヤンバン:当時の支配層)の支配階級文化と儒教思想の中心地として栄えました。
村の背後には山々がそびえ、前面には川が流れています。
このような村そのものの空間構成や建物の造りは大韓民国の伝統的なもので、風水思想が反映されているそうです。
また、現在もここで生活する人々によって、伝統的な儀礼や行事などが守り継がれている点も高く評価されています。

●Central Highlands of Sri Lanka(スリランカの中央高地)
スリランカ民主社会主義共和国の自然遺産。
世界遺産に登録されたのは島の中央南部に位置する高地で、高い所では海抜2,500メートルにもなることが特徴です。
その地形の特殊さから、この地域には絶滅の危険性があるスリランカヒョウなどを含む、多様な動植物が生息しています。

●Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
 (アムステルダムのシンゲル運河内側にある17世紀の環状運河地区)
オランダ王国の文化遺産。
首都アムステルダムは運河の街として知られています。
16世紀から17世紀にかけて港湾都市として開発され、運河は街を中心として同心円状に整備されました。
また、運河そのものだけではなく、運河にかかるいくつもの橋や、周囲に並ぶ切妻(きりづま)屋根(2つの傾斜面が山形状になっている屋根)にレンガ造りの家々など、景観を含めた街づくりが古くから行われてきました。
このような街づくりは、19世紀ごろまで大規模都市計画のモデルケースとされ、世界の都市デザインに影響を与えたともいわれています。

ご紹介した5件を含めて新たに21件が加わったことで、世界遺産は合わせて911件になりました。
世界のあちこちにまだ知られざる貴重な遺跡や自然、文化が残されていると知ると、なんだかワクワクしますね。
次の旅はどこに行こうかと迷われている方は、新しい世界遺産に注目してみてはいかがでしょうか。

※世界遺産名は英語の正式名称で表記しています。



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 世界遺産 「白神山地」 について :  手付かずのブナ原生林が魅力!  (H20.07.03)
ブナは、秋になると紅葉して葉を落とす落葉広葉樹です。
多くの鳥や動物たち
にとって、ブナの実は秋のごちそうですし、散った葉や倒れて朽ちた老木は、豊かな森や林を育む大切な栄養となります。ブナの木は、幹や根にたっぷりと水分を蓄えているので、ブナが生い茂る林は保水力が高く、よく「自然のダム」などと呼ばれます。

ブナの林は、近年になって急速に伐採が進みました。
ブナを切って、代わりに材木としての需要が高く、生育の早いスギを植林する動きが加速していったからです。
しいたけ栽培などに利用するため、人が手をかけて整えてきたブナ林は、かろうじて里山として残っていますが、自然のままで手付かずのブナ林というのは、私たちの周りからみるみる消えていきました。

ところが、青森県と秋田県にまたがる約13万haの広大な山間一帯には、いまだに人の手がほとんど加えられていない、世界最大級のブナの原生林が広がっています。
そのうちの約1万7,000haが、1993(平成5)年、ユネスコの世界遺産に登録されました。
屋久島とともに、日本で初めて世界自然遺産に登録されることになったその場所こそが、「白神(しらかみ)山地」です。

日本海に面して、標高1,000〜1,200m級の山々が連なる白神山地。
そこに広がるブナの原生林は、およそ8,000年前の縄文時代に誕生したものではないかといわれています。
以来、ほとんど人間による影響を受けることなく、現在まで自然のままの環境を保ち続けているのです。

北緯40度付近という高緯度にもかかわらず、多くの動植物を育む豊かなブナ林がある白神山地には、ツキノワグマ、ニホンザル、クマゲラ、イヌワシなど希少な動物たちが生息しています。
特に、日本で見られるキツツキとしては最も大きい天然記念物のクマゲラは、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧II類(にるい)に、同じく国の天然記念物であるイヌワシは、絶滅危惧IB類(いちびーるい)に指定されているほど、貴重な存在なのです。

白神山地とその周辺には樹齢400年ともいわれるブナの巨木「マザーツリー」をはじめ、3つの滝が続く「暗門(あんもん)の滝」、世界自然遺産地域を一望できる「二ツ森」や「津軽峠」、ブナの幹に残されたクマの爪跡が見られる「ミニ白神」などの見どころがあります。
どこまでも透明で神秘的な青い水をたたえた「青池(あおいけ)」がある「十二湖(じゅうにこ)」も、白神山地に隣接する位置にあります。
これらの見どころは、車で近くまで行って、少し歩けば目にすることができます。
また、JR五能線を走るクルージングトレイン「リゾートしらかみ」に乗車して、駅からバス利用で訪れる人たちも増えています。
3タイプの車両がある「リゾートしらかみ」では、車内や駅での楽しいイベントが用意されています。
列車の発着時刻に合わせた、お得な宿泊プランやガイド付きトレッキングツアーなども組まれているので、白神山地を訪れる人たちに大人気の交通手段となっているようです。

観光用に整備されている白神山地の見どころへは、高原の林の中を歩くような靴と服装で出かければ支障はないでしょう。
ヒールのある靴やサンダルだと、さすがに歩くのには無理がありますのでご注意ください。
さらに深く白神山地を知りたければ、本格的なトレッキングや登山の準備が必要です。
ただし、世界遺産に登録されている約1万7,000haのうち、およそ1万haは核心地域(保全地区)として、人の立ち入りが厳しく制限されています。
入山許可の申請が必要な登山地域や、林道すらもない地域があって、高度な登山技術を持ち、経験を積んだ人でなければ遭難の危険が伴います。
もちろん、完全に入山が禁止されている地域もあります。

人の影響を受けず、人間界から隔絶した世界が保たれていることこそが、白神山地の魅力であり、世界遺産に選ばれた理由でもあります。
その手付かずの自然を、このままそっくり後世に伝え残していくことは、私たちに課せられた義務であるともいえるでしょう。
その意識を胸に刻みながら、皆さんもこの夏、悠久のときを生きるブナの林、白神山地を訪れてみませんか。



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 「今も残る[里山]で生物多様性を考える!」  (TEPORE H23,01,06)

昨年2010(平成22)年は、国際連合が定めた「国際生物多様性年」で、10月には名古屋で「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されました。
「生物多様性」には、生態系の多様性(さまざまな環境があること)、種の多様性(いろいろな生き物がいること)、遺伝子の多様性(それぞれの種の中でも個体差があること)という3つのレベルでの多様性があります。
多くの生物種が、環境に応じて多様な生態系を形成し、地球の環境やわれわれの暮らしを支えています。
こういった自然が作り出す多様な生物の世界を総称して「生物多様性」というのだそうです。

「COP10」の議長国であった日本は、「生物多様性」が見られる1つの象徴的な場所として日本の「里山」を世界に紹介し、「里山」のような自然環境を守ることが「生物多様性」の保全につながるのだというメッセージを世界に発信しました。

「里山」とは、奥山(原生的な自然)と都市との中間に位置し、集落に近接する小高い山のことを指します。
間伐や下草刈りなど、人が手をかけることで環境を維持してきた自然がそこにはあります。
さらに、「里山」と集落、それらを取り巻く二次林(雑木林)、農地、ため池、草原などが一体となって構成される地域のことを「里地里山」と呼びます。
では、なぜ日本の「里山」がその「生物多様性」を考えるうえで象徴的な場所といわれているのでしょうか?

「里山」は、かつて日本の農村地帯にあたりまえのように見られました。
人々は「里山」から、燃料となる薪(まき)や、食料となる木の実・きのこ、田畑の肥料となる落ち葉など自然の恵みを得てきました。
一方、「里山」に住む生き物たちは、田畑などにいる昆虫や魚、カエルなどをエサにするなど、人の暮らしがそばにあることで生態系が保たれるという恩恵も得てきたのです。

また「里山」は、人が暮らす場所と、手つかずの自然との境界線でもありました。
クマなどの大型の動物が人里に出てこないための防波堤の役割も担っていたのです。
ところが近年、離農や農村の過疎化、農家の高齢化などで「里山」に人の手が入らなくなり、放棄された「里山」では繁殖力の強い動植物が勢力を拡大して、均衡が保たれていた生態系が急速に崩れてきたそうです。
そこで、もう一度、人が手をかけることでかつての「里山」の自然をよみがえらせ、人の暮らしと豊かな自然との共生を目指そうとする動きが、日本各地で始まっているのだそうです。

実は、東京の近郊にもまだまだたくさんの「里山」が残っています。
例えば、狭山丘陵の中の「さいたま緑の森博物館」(埼玉県入間市)や「トトロの森」(埼玉県所沢市)などには、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹の雑木林が広がり、オオタカやフクロウなども生息しているそうです。
ほかにも、多摩丘陵一帯では東京都八王子市にある「片倉城趾公園」や「殿入(とのいり)中央公園」「長沼公園」などは、公園として整備されてはいますが、「里山」の要素を今も残している場所といえるのではないでしょうか。
皆さんの身近にも、かつての「里山」の面影を残している場所がありませんか?

かつての「里地里山」で見られたように、人の暮らしと多様な生物が生息できる自然がともに成り立つような環境をもう一度、現代社会にも取り戻すことが大切なのかもしれませんね。



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 『 日本を旅しよう!』      [悠遊ナビ]


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●北海道・利尻島の「甘露泉水」の名水で咽を潤す  (TEPORE H22,08,26)
参照:[北海道の旅 : ./kita.htm ]

北海道の最北端、宗谷(そうや)地方の西の海上に浮かぶ利尻(りしり)島には、1985(昭和60)年に環境庁(現・環境省)の「名水百選」に選ばれた「甘露泉水(かんろせんすい)」があります。
「甘露泉水」は、「名水百選」と、2008(平成20)年に環境省が選定した「平成の名水百選」を合わせた全国200か所の名水の中で、最北に位置する名水です。

利尻島へは、フェリーで稚内港から約1時間40分、飛行機で新千歳空港から約50分で行けます。
利尻島は、島全体が「利尻礼文サロベツ国立公園」に指定されていて、豊かな自然が満喫できることから観光業が盛んです。

「甘露泉水」が湧き出しているのは、利尻島の最高峰・利尻山への登山コース、鴛泊(おしどまり)ルートの3合目付近です。
利尻山に降った雨や雪は、地下水となって長い年月をかけて蓄えられながら、島内のいくつかの場所で湧き出していますが、鴛泊ルートにある湧水はここだけしかありません。
そのため、「甘露泉水」は利尻山への登山者に貴重な飲料水として利用されています。
水温は年間を通じて5〜6度と冷たく、味は名前が表しているとおり「甘い」と評判です。

「甘露泉水」へ向かうには、稚内からのフェリー発着所となっている鴛泊港から車(タクシーで約10分)に乗り、利尻山の登山口である利尻北麓野営場まで行きます。
そこから「甘露泉水」まで徒歩15〜20分くらいです。
車を使わずに鴛泊港から歩くと、およそ1時間15分かかります。
標高1,721mの利尻山の山頂を目指すなら、「甘露泉水」からさらに5時間ほど山道を登らなければなりません。
これには本格的な登山の装備で臨む必要がありますが、「甘露泉水」までならば比較的簡単に行けます。
そのため、登山者以外でも水くみに訪れる人は珍しくないそうです。
「甘露泉水」の周囲に広がる森は、自然休養林として「森林浴の森100選」にも選ばれています。
そんな森の中を歩くトレッキングコースとして、「甘露泉水」から「ポン山」「姫沼」をへて鴛泊港に戻るルートが整備されています。
標高444mの「ポン山」の山頂からは、利尻山の雄大な姿と利尻島の北西に位置する礼文島までが見渡せるそうです。
また、原生林に囲まれた「姫沼」は島内有数の景勝地として人気があり、「姫沼」から海岸線に出たところには「姫沼展望台」が設けられていて、そこからは鴛泊港やペシ岬を一望する大パノラマも楽しめます。

こうした観光業以外で、島の経済を支えているのが水産業です。
特に、和食のだしとして評判の高い「利尻昆布」と、その昆布を食べて育つウニは、利尻島を代表する海の幸として知られています。

「利尻昆布」の収穫は、7月下旬から始まります。
7〜8月のよく晴れた波の穏やかな日には、昆布漁にいそしむ船を目にすることもでき、海岸での昆布干しの作業風景は、利尻の夏の風物詩ともなっています。さらに、秋になるとおいしくなるのが利尻のひらめ。
利尻富士町宿泊業組合では、特に今年9月20日〜10月19日までの1か月間に釣ったひらめを「利尻ひらめ」として、観光客にアピールしています。
この時期に利尻島を訪れて宿泊することがあれば、活き造りや昆布じめなどで、新鮮な利尻ひらめを味わってみてはいかがでしょうか。

周囲360度を海に囲まれた利尻島は、夏冬の気温差が比較的小さく、北の海にあっても意外に過ごしやすい気候なのだとか。
そろそろ秋の気配が感じられる利尻島へ、最北端の名水を味わい、豊かな自然と海の幸を堪能しに出かけてみませんか?



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●「富田の清水 と ねぷた」 に酔う弘前の夏   (TEPORE H22,07,16)

「弘前(ひろさき)ねぷたまつり」と「弘前りんご」の生産で知られる青森県弘前市。
津軽平野の南部に位置し、弘前藩の城下町として栄えてきた同市は、今も変わらず津軽地方の中心都市です。
その弘前市内に、豊かな清水が湧き出している場所があります。
それが、1985(昭和60)年に「名水百選」に選定された「富田の清水(とみたのしつこ)」です。

1686年、弘前藩の4代目藩主である津軽信政(のぶまさ)は、城下に清水が湧くのを知り、
この水を紙漉(かみすき:和紙を作るための伝統的な製法)に利用して藩の産業に育て上げようと考えました。
信政は、越前から紙漉職人を招い
て、紙漉を始めたそうです。そして、この清水は土地の旧村名、富田村をとって、「富田の清水」と呼ばれるようになりました。

津軽信政というお殿様は名君だったそうで、さまざまな産業を興したり、治水や新田の開発を指示したりして、弘前藩の全盛期を築き上げた人物といわれています。
富田村の紙漉も藩の財政を支える産業に発展し、明治になっても続いていたといいます。
そして「富田の清水」がある辺りは、「紙漉町」と呼ばれるようになったとか。
その後、紙漉は次第に行われなくなり、昭和の初めごろから、「富田の清水」は付近の住人たちの生活用水として利用されるようになりました。

弘前市内を流れる土淵(つちぶち)川に架かる清水橋のそばに、「富田の清水」はあります。
名水を守るように木造の建物が設けられ、その中に入ると、湧き出る水が6つの水槽によって区切られています。

「富田の清水」の水槽はそれぞれ用途が決まっていて、かつては水が流入する1番目と2番目の水槽は飲用、3番目の水槽は米や青物の洗い用と洗顔用、4番目の水槽は紙漉の材料や漬物たるをつけるための水で、5番目と6番目の水槽は洗濯用、足洗い用などといった具合に分けられていたそうです。
現在も飲用水をくみにたくさんの人が訪れるそうです。
その湧水量はとても豊富で、1日に約14万4,000リットル(ドラム缶で約720本)もの清水が湧き出しているということです。
弘前市内にはほかにも、県指定の「私たちの名水」に選定されている「羽黒神社霊泉」をはじめ、いくつもの名水があります。

ところで、青森県といえばりんごを思い浮かべる方も多いかと思いますが、県内で生産されているりんごの約4割が弘前で採れます。
実は、弘前市はりんごの生産量日本一の都市なのです。
ちょうど今ごろは、弘前りんごが少しずつ、その実を大きくする時期でもあります。
早いものでは8月くらいから、収穫が始まる品種もあるようです。

また、夏の弘前市といえば、忘れてならないのが「弘前ねぷたまつり」です。
ねぷたの起源は、平安時代初期に征夷大将軍の坂上田村麻呂が、蝦夷(えみし)征伐で敵をおびき出すために大きな人形を作ったという伝説があったり、
七夕祭りの松明流しや精霊流しが発展したりしたなど、諸説あるようです。
三国志や水滸伝(すいこでん)などを題材にした、勇壮で色鮮やかな武者絵が描かれた「扇ねぷた」や「組ねぷた」(人形ねぷた)などが
「ヤーヤドー」の掛け声とともに市内を練り歩きます。

今年の「弘前ねぷたまつり」は、8月1〜7日に開催予定です。
1日と2日が審査日で、この2日間で参加85団体のねぷたをすべて見ることができます。
毎年大勢の観光客でにぎわうお祭りですから、津軽の夏を堪能する旅を計画されるのなら早めに準備されるといいですね。
そして、夜を照らす迫力のねぷたに酔い、お祭り見物を満喫したあとは、「富田の清水」をはじめ弘前市内の名水で涼んでみてはいかがでしょうか。


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●「明治維新胎動の地・萩に湧く名水!」  (TEPORE H23,03,10)
維新の志士・高杉晋作や伊藤博文らを育てた松下村塾が開かれた長州藩の城下町、山口県萩市。
その萩市に湧く清く澄んだ水「三明戸湧水(みあけどゆうすい)と阿字雄(あじお)の滝(大井湧水)」は、2008(平成20)年、環境省の「平成の名水百選」に選ばれました。

「三明戸湧水」は、萩市大井簡易水道の水源となっている湧水で、今も一部の地区では生活用水として利用されています。
その水は、萩市にある阿武(あぶ)火山群の羽賀台から流れ出ているのだそうです。
羽賀台は標高約311mの溶岩台地で、そこで磨かれた地下水が湧き出しているのだとか。
湧き水は、道路脇に設けられた水路を流れて、農業用水などにも利用されています。
水源である湧水池は木陰の小さな水たまりのような場所で、一見するとそこから水路に流れる水が湧き出しているとは思えないほど。
ただし、水源保護のため、湧水池への立ち入りや水くみは禁止されています。
その湧水池のすぐそばに、水道供給のために給水施設が置かれていて、そこに「三明戸湧水飲用水」の水くみ場が設けられています。

一方、「阿字雄の滝(大井湧水)」は、火山の噴火によってできた柱状の岩肌を流れ落ちる、落差6mほどの滝です。
長州藩主であった毛利家の殿様も、ここで滝見物の催しを開いたという記録が残っているとか。
往時の「阿字雄の滝」の様子は、滝の周りにまつられているお地蔵さまや観音堂、滝の前にある大きな岩に彫られた江戸中期の長州藩重役・和智東郊(わち・とうこう)の碑文などからもうかがい知ることができます。
「阿字雄の滝」へは、本郷地区の公民館前から山道を登って行くのですが、滝に向かう斜面に設けられた小庭園は、水墨画で有名な禅僧の雪舟の手によって残されたものだと伝えられています。

約260年間にわたって、毛利36万石の城下町として栄えてきた萩には、萩城天守閣跡をはじめ、武家屋敷や藩の施設、商家が連なる古い町並みなど歴史的な建物が今も数多く残っています。
また、吉田松陰が主宰した松下村塾はもちろん、維新の志士たちにゆかりの深い場所も多く残され、幕末の歴史好きな方にとっては何ともたまらない場所といえます。
萩市は日本海に面して開けた町なので港町の風情も味わえますし、市北部に位置する笠山(かさやま)の椿群生林では、60余種およそ2万5,000本のヤブツバキが3月下旬ごろまでちょうど見ごろを迎えています。

明治維新胎動の地を訪ね、思う存分歩き回ると往時の面影を満喫できるかもしれませんね。
名水とともに、真ふぐ・しろうお・あまだいなど海の幸も堪能できる早春の萩へ、皆さんも出かけてみませんか?


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●「福岡県の "清水湧水" を飲んでウォーキング!」  (TEPORE H23,02,17)
福岡県の南東部に位置する「うきは市」は、2005(平成17)年に旧浮羽町と旧吉井町が合併して誕生した市です。
南には耳納(みのう)連山を望み、そこを源とする巨瀬(こせ)川、小塩(こじお)川、隈上(くまのうえ)川の3つの川が市内を流れ、一級河川・筑後(ちくご)川へと注いでいます。
そのうきは市に、今から約760年前に旅の僧侶によって発見されたと伝えられる名水があります。
それが環境省の「名水百選」に選定された「清水湧水(きよみずゆうすい)」です。

「清水湧水」の発祥については、こんな言い伝えが残されているそうです。
建長元年(1249年)といいますから、まだ鎌倉時代のこと。
常陸(ひたち)の国(現在の茨城県北東部一帯)出身の日用比丘(ひようひこ)という僧侶が、諸国を巡る旅の途中、この地に立ち寄った際に、うっそうと茂る木立の中にこんこんと清水が湧き出しているのを見つけました。
日用比丘は清浄な水が湧くこの土地を気に入って、庵を設けて数年滞在することにしました。
土地の人々は、日用比丘の徳行(徳の高い行い)を大いに尊敬して、こぞって喜捨(きしゃ:進んで金品を寄付すること)するようになり、ときの領主も田を寄進して、たちまちにして寺院ができました。
こうして建てられたお寺が、現在の臨済宗清水寺(せいすいじ)の前身だそうで、清水寺の境内に今も湧く「清水湧水」こそ、日用比丘が発見した湧水なのだとか。

昔から飲料水や生活用水、農業用水として利用されてきた「清水湧水」は、年間を通じて水温約17度を保ち、無色透明・無味無臭で、とても良質な湧水だそうです。
うきは市は、生活用水のほぼすべてを豊富な地下水(井戸水や伏流水)でまかなっているという全国でも珍しい地域で、のどかな田園地帯の中に湧く「清水湧水」は貴重な生活用水として、地元住民で組織する保存会の手によって大切に守られています。
また、毎年秋に開催される「うきはウォーキング」は、自然を満喫しながら市内を歩くイベントですが、そのコースの途中には清水寺も組み込まれていて、参加者は「清水湧水」でのどを潤してからゴール地点を目指すそうですよ。

うきは市を中心とする周辺地域は、「水土里(みどり)の路ウォーキング〜うきは・朝倉水の路めぐり〜」のコースにもなっています。
「水土里の路」とは、心やすらぐ農業水路のせせらぎや美しい農村景観を楽しみながら、地域の歴史や文化にも接することができるウォーキングコースとして、農林水産省が全国に設定したものです。
「うきは・朝倉水の路めぐり」のコースでは、吉井町の清流と白壁の町並みに加えて、隣接する朝倉市にある「菱野(ひしの)の三連水車」や、国内で現存する唯一の石張り堰(せき)である「山田堰」など、国の史跡名勝天然記念物「堀川用水及び朝倉揚水車」に指定されている史跡を目にすることができます。

いにしえの僧侶が清浄な水とたたえた名水で心身を清めて、早春の田園地帯をウォーキングすれば、気持ちも新たに春を迎えられるかもしれませんね。


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●町の各所で名水が湧く秋田「六郷湧水群」  (TEPORE H22,05,21)
1985(昭和60)年に環境庁(現・環境省)の「名水百選」に選定された「六郷(ろくごう)湧水群」は、秋田県仙北郡美郷(みさと)町にあります。

美郷町は仙北平野の南東部に位置し、東には奥羽山脈の連なりを望むことができます。
JR秋田新幹線・奥羽本線の大曲駅からは、バスで30分ほどです。
美郷町は2004(平成16)年に2町1村が合併して誕生したのですが、その合併した町の1つに六郷町がありました。

六郷という地名は、そもそもアイヌ語で、「清い水たまりのある所」を意味する「ルココッツイ」がなまったものだという説もあるようです。
昔から「水の郷 六郷」と呼ばれ、清水の湧く場所は現在も60か所以上あるといわれます。

「六郷湧水群」巡りの拠点となるのが、六郷地区にある「美郷町観光情報センター」です。
まずはここで六郷湧水群マップを手に入れ、付近の味どころや名産品もチェックしておくといいでしょう。

観光情報センターの裏手にある湧水は「キャペコ清水(しみず)」。
2つ並んだ円形の小さな清水です。
キャペコ清水の北側には「御台所(おだいどころ)清水」があります。
タカ狩りに来た佐竹の殿様がここの水を料理に使ったことから、「御台所清水」の名称が付いたのだとか。
比較的大きな湧水で、周辺には民家が立ち並び、地元の方が野菜を洗うなど生活に密着した名水でもあります。

御台所清水のさらに北側にある「米(よね)清水」は、田んぼに囲まれた湧水です。
「米清水」は、ほかの清水がかれるような干ばつのときも涸れず、町民が米を研ぎに来ていたことから、この名が付いたと言い伝えられています。
現在の米清水は、水藻や泥があるため底は見えませんが、体長5cmほどの淡水魚「ハリザッコ」が多数生息しています。
ハリザッコとはトゲウオ科のイバラトミヨ雄物型の通称で、背びれに鋭いとげがあることから地元ではこう呼ばれているそうですよ。

そして、六郷湧水群第一の名水との呼び声も高いのが「ニテコ清水」です。
名称の由来は、アイヌ語の「ニタイ(森林)」と「コツ(水たまり)」から転化したともいわれています。
1881(明治14)年に明治天皇がこの地を巡られた際に、このニテコ清水を差し上げたことから、「御膳水(ごぜんすい)」として有名になりました。
湧水のすぐそばには、名水を使った流しそうめんなどが食べられる和風レストラン「ニテコ名水庵」があります。
敷地内に設けられた水飲み場では誰でもこの清水を味わうことができるようです。
このニテコ清水を使った「仁手古(ニテコ)サイダー」はこの地の名産になっています。
レトロなガラス瓶に入ったサイダーは炭酸が弱めで、すっきりした甘さを楽しめますよ。

また、清水を巡り歩いて六郷湧水群についてもう少し知りたくなったら、「名水市場 湧太郎(ゆうたろう)」を訪ねてみましょう。
明治時代に建てられた酒蔵を改修した施設で、清水の湧く仕組み・水の性質などを学べる「水の学習室」などが設けられています。

新緑の季節を迎え、あちこち見て歩くにはちょうどよい気候といえそうです。
いたるところに清水が湧く美郷町六郷で、湧水群を巡りながら東北・秋田の初夏を満喫してみませんか?



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●勝海舟ゆかりの地   (TEPORE H22,07,11)
幕末と明治の激動期を駆け抜けた勝海舟(かつ・かいしゅう)。
テレビドラマなどでも、その活躍はおなじみですね。
そこで今回は、その生涯をたどりながら、勝海舟にゆかりのある東京都内の場所をご紹介します。

●勝海舟生誕の地<東京都墨田区両国4-25(両国公園内)>
海舟は、1823年に江戸の本所亀沢町(ほんじょかめざわちょう)で生まれました。
幼名は麟太郎(りんたろう)で、生まれた家は、現在の両国公園の中にあり、生誕の地であることを示す石碑が建っています。

●能勢妙見堂(のせみょうけんどう)<東京都墨田区本所4-6>
この寺には、海舟が子どものとき犬にかまれた際、海舟の父・小吉が回復を願って水をかぶったという逸話が残っています。
境内にはフロックコートにあごひげをつけた海舟の胸像があります。

●弘福寺(こうふくじ)<東京都墨田区向島5-3>
海舟が20歳前後に、数年間座禅修行に通ったといわれているお寺です。
青年期の海舟は、剣術や蘭学を学びながら日々を過ごしていたそうです。

1853年、海舟が30歳のころ、ペリーが来航し、日本に開国を迫り、徳川幕府老中の阿部正弘は、国家防衛に関する意見書を広く募集しました。
このときに提出した意見書が認められ、海舟は歴史に名を残す活躍の第一歩を踏み出します。
1855年、幕府は長崎奉行所内(現・長崎県庁のある場所)に長崎海軍伝習所を設置。
ここでは主に、オランダ海軍士官が幕臣や諸藩士の訓練を行ったそうです。
伝習生として海舟も長崎に派遣され、オランダ語や西洋の科学知識などとともに、海軍についての基礎を学びました。

●勝海舟邸跡<東京都港区赤坂6-10>
長崎から江戸に戻ったあと、1859年から10年近く住んでいた本宅があった場所です。
坂本龍馬が海舟を初めて訪ねてきたのも、この家だったのだとか。
現在は、海舟邸跡を示す標柱が建っています。

●軍艦操練所跡<東京都中央区築地6-20>
幕府は1857年、旗本や御家人などを対象に航海術や海上砲術、軍艦の運転などを教える軍艦操練所(旧名は軍艦教授所)を築地に設立。
海舟は教授方頭取を務めました。
現在は晴海通り沿いに説明板が立っています。

1860年、海舟は軍艦咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を横断し、アメリカに渡りました。
海舟はアメリカを訪れたことで西洋式海軍の必要性をいっそう感じ、江戸・築地の軍艦操練所と同様の機関を、京、大坂を控える神戸の地にも設立することを幕府に提案します。
これを受けて、1864年、神戸に海軍操練所が開設され、海舟は軍艦奉行となりました(翌年に廃止)。
1867年に大政奉還が行われ、翌年には新政府軍と幕府軍の間で戊辰(ぼしん)戦争がぼっ発。
海舟は幕府方の代表として、江戸城総攻撃を計画していた新政府軍との交渉にあたりました。

●西郷・勝会見の地<東京都港区芝5-33(第一田町ビル前)>
新政府軍の江戸城総攻撃が目前に迫った1868(明治元=慶応4)年旧暦3月13日、高輪の薩摩藩邸で、さらに翌14日この地にあった薩摩藩蔵屋敷で、海舟と西郷隆盛が会見したといわれています(会見地は諸説あります)。
この話し合いのあと、江戸城無血開城へと大きく動き出したのです。
海舟が45歳のころでした。

●勝海舟夫妻の墓<東京都大田区南千束2-14(洗足池公園内)>
明治維新後、新政府でさまざまな要職を務めた海舟は、1899(明治32)年1月19日、その生涯を終えました。
本人の遺言によって、洗足池(せんぞくいけ)のほとりに墓が造られています。

幕末から明治にかけて活躍した勝海舟の足跡は、案外たくさんの場所に残されています。
お近くにお出かけのときは、ちょっと足を延ばしてみると、歴史の一端をかいま見ることができるかもしれませんね。


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●新潟県「龍ヶ窪の水」は龍がくれた名水  (TEPORE H22,06,19)
新潟県中魚沼郡津南町(つなんまち)は、新潟県の最南端にあって、長野県との県境に位置しています。

日本有数の豪雪地帯であり、人気のブランド米「魚沼産コシヒカリ」の生産が盛んな町です。
今回ご紹介する名水「龍ヶ窪の水(りゅうがくぼのみず)」は、その津南町の谷内(やち)地区にあります。
名水の周辺は、県の自然環境保全地域や鳥獣保護区に指定されている自然豊かな場所です。
「龍ヶ窪の水」は大量の地下水が湧き出て、面積1万1,900平方メートル、水深1.5〜2mほどの池になっています。
湧水量は毎分約30tもあって、池の水は1日ですべて入れ替わっているのだそうです。
池への散策道の入口には駐車場があり、その駐車場からすぐのところに水くみ場が設けられています。
また、池のそばにある「龍ヶ窪神社」にも水くみ場があります。
名水は、これらの水くみ場で味わうことができます。
この「龍ヶ窪の水」は、1985(昭和60)年に環境庁(現・環境省)の「名水百選」に選ばれ、今も選定当時とほぼ変わらない水質を保っているそうです。
適度にミネラルを含んだ硬度の低い軟水で、臭気はなく残留塩素値も低いなど「おいしい水」の要件を満たし、まろやかな味わいを楽しめます。
一年を通して水温が7〜8度と安定しているのも、おいしさの秘密のようです。
また「龍ヶ窪の水」の起源については、次のような龍にまつわる伝説が伝えられています。
昔、長い日照りが続いて、村には水も食べるものもなくなってしまいました。
あるとき、1人の若者が食べ物を求めて村を見下ろす天上山に登ったところ、そこで昼寝をしている龍を見つけます。
龍のそばには大きな卵があり、若者はその卵を村に持ち帰ることにしました。
村では、「せめて年寄りと子どもだけでも卵を食べさせてやろう」ということになり、卵の殻を割ってみると、中から龍の子が現れて母龍に助けを求めたのです。
やって来た母龍は怒り狂って村人を食い殺そうとしたのですが、村人は「子どもだけは助けてほしい」と懇願しました。
人々の必死の願いに心を動かされた龍は、三日三晩雨を降らせて村に池を造ってやりました。
村人たちが大喜びして龍にお礼を言うと、龍は「この池はお前たちの美しい心の象徴だ。
しかし、人の心が曇るとき、この池はかれてしまうであろう」と言い残して消えてしまったのです。
以来、村人たちはこの池を「龍ヶ窪」と呼び、龍神をまつって大切に守り続けてきたそうです。
津南町の見どころはそれだけではありません。
「龍ヶ窪の水」からほど近い沖ノ原台地には、夏になるとひまわり畑が出現します。
台地の3ヘクタールほどの土地が一面のひまわりで埋め尽くされ、その数約50万本といわれています。
今年も7月17日〜8月15日まで「ひまわり広場」が開園する予定で、背丈より高いひまわり畑の中に迷路が作られたり、ライトアップが行われたり、さまざまなイベントが計画されているようです。
津南町の夏の風物詩でもある「ひまわり広場」には毎年、多くの露店が並び、たくさんの観光客が訪れてにぎわいます。
また、8月中旬には津南町3大盆踊りの一つである「竜神盆踊り」が、「龍ヶ窪の水」からすぐの竜ヶ窪温泉で行われます。
竜ヶ窪温泉には、温泉交流休養施設の「竜神の館」があって、露天風呂「竜神の湯」「縄文の湯」が地元の人たちや観光客に好評だそうです。
地元産の新鮮な山菜や高原野菜などが販売され、地元産大豆と「龍ヶ窪の水」を使った数量限定の手作り「名水豆腐」も名物となっています。
夏を迎えると、津南町の木々の緑もいっそう濃くなり、この辺りはさらに見ごたえを増すことでしょう。
名水「龍ヶ窪の水」でのどを潤して体の内側から涼をとったら、見渡す限りのひまわりの丘を歩いてみるのはどうでしょうか。
子どものころのまぶしい夏の日がよみがえってくるかもしれませんよ。


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●「白山美川伏流水群」は能登・湧水の里
豊かな湧き水に恵まれた“水の郷”とも呼ぶべき土地が、全国には何か所かあります。
石川県白山(はくさん)市もその一つ。
市内には、霊峰白山を源流とする手取川(てどりがわ)の伏流水(ふくりゅうすい)がいたるところで湧き出しています。
白山市内にある湧水の数は全部で120か所を超えるともいわれていますが、その中で特に日本海に面した美川(みかわ)地区にある約20か所の湧水は「白山美川伏流水群」として、平成の名水百選に選定されています。

「白山美川伏流水群」の湧水には、地元の方たちの手によって取水口が設けられていますが、その約半数は、美川漁港近くの美川浜町や美川永代町付近に集中しているようです。
昔から野菜などを洗ったり洗濯をしたり、また夏には野菜や果物を冷やしたりと地域の暮らしに利用されてきました。
定期的に水質検査を行っていてそのまま飲用できる湧水も多く、年間を通じて冷たく澄んだ味わいなのだそうです。
近隣の方々のほかにも、能登を訪れた旅人ののども潤してきました。

残念ながら、すべての湧水個所を網羅したガイドマップのようなものはなく、また一般には開放されていない取水口も少なくないのですが、JR美川駅から海へ向かって歩いていると、いくつかの湧水を見つけることができます。

その中の一つ、永代町の「お台場の水」は加賀藩が海辺に砲台を設置するために築いたお台場に湧き出る名水で、取水口には地元の方たちによって小屋が設けられ、大切に管理されています。
小屋の中には「平成の名水百選」の認定書のほか、水質検査の結果なども掲示されています。
飲み水としてはもちろん、生活用水としてさまざまに利用されてきました。

「お台場の水」の北側には「大浜の水」があります。
湧き出る水を石で囲っただけの簡素なものですが、誰でも自由に名水を利用することができる取水口です。
「大浜の水」のすぐそばには、美川地区の特産品でもある「ふぐのかす漬け」を製造販売するお店もあります。
全国的にも珍しい加工品製造にも、白山の伏流水がふんだんに使われているのです。

「大浜の水」のさらに北には「やすまる銘水」があります。
「やすまる」とは「安産」の意味で、この水を飲めば安産できるとの言い伝えがあるのだとか。
ここも定期的な水質検査を行っていて飲用可となっています。

「白山美川伏流水群」のある白山市は石川県の南部に位置する市で、県内では面積が最大で、人口も金沢市に次いで2番目に多い都市です。
2月の白山市では「雪だるままつり」(2月5日桑島地区・2月12日白峰地区)や、国の重要無形民俗文化財に指定されている「深瀬(ふかぜ)のでくまわし」などを目にすることができます。
「深瀬のでくまわし」は、約300年前に京都から白山麓の深瀬地区に伝わったとされる「でく」という人形を浄瑠璃(じょうるり)に合わせて操る人形芝居です。
公演は深瀬新町の「深瀬でくまわし保存会館」で行われ、2010年の開催日は2月21日(日)に予定されています。

また、冬に石川県を訪れるなら、金沢まで足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
「金沢城」と「兼六園(けんろくえん)」では、2月5日(金)〜7日(日)と11日(木・祝)〜14日(日)に雪景色のライトアップが行われ、夜間(17:30〜21:00、入場は20:45まで)は無料開放されます。
日本三名園の一つに数えられる「兼六園」が、雪と光の幻想的な世界に浮かび上がる様を目にしない手はありません。
ライトアップ見物で冷えた体を能登の名湯でゆっくりと温めるのもいいですね。

日本海に面した豊かな名水群の地を歩き、能登の風物をたんのうする冬の旅。
家族や友人など誘って、のんびりと出かけたいものですね。

ブナは、秋になると紅葉して葉を落とす落葉広葉樹です。
多くの鳥や動物たち
にとって、ブナの実は秋のごちそうですし、散った葉や倒れて朽ちた老木は、豊かな森や林を育む大切な栄養となります。ブナの木は、幹や根にたっぷりと水分を蓄えているので、ブナが生い茂る林は保水力が高く、よく「自然のダム」などと呼ばれます。

ブナの林は、近年になって急速に伐採が進みました。
ブナを切って、代わりに材木としての需要が高く、生育の早いスギを植林する動きが加速していったからです。
しいたけ栽培などに利用するため、人が手をかけて整えてきたブナ林は、かろうじて里山として残っていますが、自然のままで手付かずのブナ林というのは、私たちの周りからみるみる消えていきました。

ところが、青森県と秋田県にまたがる約13万haの広大な山間一帯には、いまだに人の手がほとんど加えられていない、世界最大級のブナの原生林が広がっています。
そのうちの約1万7,000haが、1993(平成5)年、ユネスコの世界遺産に登録されました。
屋久島とともに、日本で初めて世界自然遺産に登録されることになったその場所こそが、「白神(しらかみ)山地」です。

日本海に面して、標高1,000〜1,200m級の山々が連なる白神山地。
そこに広がるブナの原生林は、およそ8,000年前の縄文時代に誕生したものではないかといわれています。
以来、ほとんど人間による影響を受けることなく、現在まで自然のままの環境を保ち続けているのです。

北緯40度付近という高緯度にもかかわらず、多くの動植物を育む豊かなブナ林がある白神山地には、ツキノワグマ、ニホンザル、クマゲラ、イヌワシなど希少な動物たちが生息しています。
特に、日本で見られるキツツキとしては最も大きい天然記念物のクマゲラは、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧II類(にるい)に、同じく国の天然記念物であるイヌワシは、絶滅危惧IB類(いちびーるい)に指定されているほど、貴重な存在なのです。

白神山地とその周辺には樹齢400年ともいわれるブナの巨木「マザーツリー」をはじめ、3つの滝が続く「暗門(あんもん)の滝」、世界自然遺産地域を一望できる「二ツ森」や「津軽峠」、ブナの幹に残されたクマの爪跡が見られる「ミニ白神」などの見どころがあります。
どこまでも透明で神秘的な青い水をたたえた「青池(あおいけ)」がある「十二湖(じゅうにこ)」も、白神山地に隣接する位置にあります。
これらの見どころは、車で近くまで行って、少し歩けば目にすることができます。
また、JR五能線を走るクルージングトレイン「リゾートしらかみ」に乗車して、駅からバス利用で訪れる人たちも増えています。
3タイプの車両がある「リゾートしらかみ」では、車内や駅での楽しいイベントが用意されています。
列車の発着時刻に合わせた、お得な宿泊プランやガイド付きトレッキングツアーなども組まれているので、白神山地を訪れる人たちに大人気の交通手段となっているようです。

観光用に整備されている白神山地の見どころへは、高原の林の中を歩くような靴と服装で出かければ支障はないでしょう。
ヒールのある靴やサンダルだと、さすがに歩くのには無理がありますのでご注意ください。
さらに深く白神山地を知りたければ、本格的なトレッキングや登山の準備が必要です。
ただし、世界遺産に登録されている約1万7,000haのうち、およそ1万haは核心地域(保全地区)として、人の立ち入りが厳しく制限されています。
入山許可の申請が必要な登山地域や、林道すらもない地域があって、高度な登山技術を持ち、経験を積んだ人でなければ遭難の危険が伴います。
もちろん、完全に入山が禁止されている地域もあります。

人の影響を受けず、人間界から隔絶した世界が保たれていることこそが、白神山地の魅力であり、世界遺産に選ばれた理由でもあります。
その手付かずの自然を、このままそっくり後世に伝え残していくことは、私たちに課せられた義務であるともいえるでしょう。
その意識を胸に刻みながら、皆さんもこの夏、悠久のときを生きるブナの林、白神山地を訪れてみませんか。



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●希少な魚が泳ぐ岐阜県「加賀野八幡神社井戸」
岐阜県大垣(おおがき)市は県南西部にあって、県内では岐阜市に次いで人口が多い都市です。
日本列島のほぼ中央に位置し、古くから日本の東西を結ぶ経済・文化の交流点として栄えてきました。
この大垣市には、JR大垣駅から北東へ2kmほどのところに冷たく澄んだ名水の湧く「加賀野(かがの)八幡神社」があります。

加賀野八幡神社は、かつてこの地にあった加賀野城の城跡に造られた神社です。
加賀野城は1317年から244年の間、10代にわたって続いた武将の後藤氏が城主を務めていました。
戦で落城したあと、跡地に建てられた八幡神社は地元の氏神としてまつられ、古くから安産の神としても信仰を集めていたそうです。

その加賀野八幡神社の境内には、良質な地下水がこんこんと湧き出る井戸があります。
最初の井戸は1874(明治7)年に掘られたそうですが、現在の井戸はそれとは違って、1988(昭和63)年に掘り直されたものだとか。
深さ約136m、口径約15cmの井戸からは水温約14度の地下水が1分間に約400リットルも自噴し続けています。
これが「岐阜県の名水50選」、環境省の「平成の名水百選」に選ばれている「加賀野八幡神社井戸」です。

大垣市には自噴井戸が多くあり、豊かな地下水に恵まれていることから昔から「水の都」と呼ばれていたそうです。
その中でも「加賀野八幡神社井戸」は水質の良さなどから高い人気を誇り、県内のみならず県外からも連日多くの人が水くみに訪れ、
順番待ちの行列ができるのも珍しくないといいます。
地元有志による加賀野名水保存会が、周辺の環境保全に尽力するとともに定期的に水質検査も行っているそうです。

この「加賀野八幡神社井戸」の豊富な湧水を利用して池が作られ、そこに希少魚のハリヨが放流されています。
1991(平成3)年にはハリヨの池がある一帯が整備されて「加賀野名水公園」となり、岐阜県からハリヨの保護地域に指定されました。

野生のハリヨは、滋賀県と岐阜県だけに生息する珍しい淡水魚です。
成魚でも体長は5cm前後と小さな魚で、一年を通じて水温15度前後の冷水を好み、生息域は澄んだ湧水などに限定されています。
雄が水草のくずなどを集めて川底にトンネル状の巣を作り、そこに雌を誘い込んで産卵を促す、という珍しい習性を持っています。
近年、ハリヨは生息数が激減していて、環境省が定める絶滅危惧(きぐ)IA類、さらに岐阜県の指定希少野生生物に選定されている、希少な魚なのです。

加賀野名水保存会と地元自治会などは協力して、井戸とその周辺の清掃活動を行うとともに、ハリヨを保護するための網を水路に設置したり、蛍の幼虫育成やカワニナの養殖を行ったりするなど自然保護活動を続けてきたそうです。
その活動が認められ、2005(平成17)年には環境大臣表彰を受賞しています。

また、水の都・大垣市は松尾芭蕉の「奥の細道」の結びの地でもあります。
そのため、市内には芭蕉にまつわる句碑がいたるところに点在し、大垣市と芭蕉のかかわりを紹介する「奥の細道むすびの地記念館」も設けられています。
旅を終えた芭蕉が舟で下ったといわれる水門(すいもん)川には、明治〜昭和初期の面影を残す「船町港跡と住吉燈台(すみよしとうだい)」があって人気の観光スポットとなっているそうですよ。

若葉薫る季節のころには、岐阜県大垣市に湧く名水「加賀野八幡神社井戸」を訪ねてみませんか?
その際には、加賀野名水公園の池や水路で泳ぐ希少魚ハリヨも見て回りましょう。
ただ、警戒心が強い魚のようですから、なるべくそっとのぞいてくださいね。



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●産業遺産の「軍艦島」を知っていますか
昨年から一般の上陸・見学が可能になった「軍艦島(ぐんかんじま)」。
炭鉱の跡が残る産業遺産として注目され、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとしてユネスコの世界遺産暫定リストにも記載されました。
今回は、この軍艦島についてご紹介します。

まず、軍艦島という呼び方は通称ということをご存じでしょうか?
正式な名前は「端島(はしま)」といいます。
軍艦島という呼び名は、島を海や対岸から眺めたときに、大きな一隻の軍艦のように見えることからついたようです。

軍艦島は長崎港から南西に約19kmの海上に浮かんでいます。
軍艦島で石炭が発見されたのは1810年、漁民が偶然に見つけたとされています。
その後は小規模な採炭が行われていました。
最初の竪坑(たてこう:地底の石炭を採掘する場所へ通じる垂直の穴)が開坑したのは1887(明治20)年のこと。
1890(明治23)年には炭鉱の持ち主だった鍋島孫六郎氏から三菱社が所有権を買い取り、本格的な操業を開始しました。
炭鉱は24時間稼働していたので、島から明かりが消えることはなく、対岸や隣島から見ると不夜城のように輝いていたそうです。

軍艦島は、もともと南北約320m、東西約120mの島でしたが、島の発展とともに埋め立てが行われ、最終的には南北約480m、東西約160m、周囲約1.2kmとなりました。
面積約6.3haのうち約4割は鉱業所の敷地で、残りの約6割が生活の場だったそうです。
1916(大正5)年には、日本初の高層鉄筋コンクリート造りのアパート(7階建て)が建設されました。
狭いスペースに多くの人たちが生活するには高層アパートを造る必要があったことや、島が台風の被害を受けやすいことで強固な造りの住宅が必要であったため、ほかの地域に先駆けてこのような住居が建てられたそうです。
島には一番多かったときで約5,300人も暮らしていました。

住民のほとんどは炭鉱の従業員とその家族でした。島内には町役場や幼稚園・学校、病院、共同浴場、寺社、商店、映画館など、生活に必要なさまざまな施設がそろっていたといいます。
また、公園などの緑地スペースがなかったことから屋上に庭園を造り、今でいう「屋上緑化」も行われていたそうですよ。

こうした暮らしを支えていた炭鉱は1940年代初めに最盛期を迎えますが、石炭から石油へという日本のエネルギー政策の転換に伴い、1974(昭和49)年1月に閉山。
それから数か月のうちに全島民が退去し、軍艦島は無人島となりました。

その後30年近く、島は無人のままでした。
船でしかアクセスできない立地のため、調査などの目的以外で上陸する人はまれだったようです。
そのため、21世紀の現在まで、廃虚となった高層アパートなどがそのまま残っています。
これは世界的にも大変貴重なことであり、この景観を守りたいと考える人たちが次第に増えて、2001(平成13)年長崎県高島町(現・長崎市)へ島の所有が移管したのをきっかけに保全運動が本格化します。
そして2009(平成21)年、前述のとおりユネスコの世界遺産暫定リストに掲載されることになり、一躍脚光を浴びました。

軍艦島では、昨年から一般の上陸・見学を受け入れる体制が整いました。現在では、ガイド付きの軍艦島上陸ツアーも行われているそうです。
今年の旅行先候補に軍艦島を加えてみてはいかがでしょうか。

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●大分が誇る平成の名水!  (TEPORE H22,10,23)

玖珠(くす)川の清らかな流れと、豊かな山並みに抱かれた大分県玖珠郡玖珠町。
大分県西部に位置し、水郷として知られる日田市、温泉地として人気の由布(ゆふ)市などに隣接しています。

その玖珠町に湧く名水が環境省選定の「平成の名水百選」に選ばれた「下園妙見様湧水(しものそのみょうけんさまゆうすい)」です。
ここは、地域の生活用水として古くから利用されてきた名水で、今でも地元の方たちの手できれいに維持管理されています。
水源の近くには、妙見様をまつる社が置かれています。

九州というと、冬でも暖かい気候のように思われがちですが、玖珠町は霜が降りたり、路面が凍結したりするくらい気温が下がることがあるそうです。
そんな冬場も、「下園妙見様湧水」は絶えることなく湧き続けています。
湧水量は1日に約2,900トンと、とても豊富。
その味は、まろやかでおいしいと評判です。
また、この名水を使って作られた「万年元気とうふ」は、町おこしにも一役買っているそうですよ。

「下園妙見様湧水」は、標高約1,140mの万年山(はねやま)に降った雨が地層に磨かれて湧き出したものと考えられています。
万年山は、玖珠町が誇る日本最大級の二重メサの山です。
「メサ」とは侵食によって形成されたテーブル状の台地のことですが、それが二重構造になっているのは珍しいそうです。

「下園妙見様湧水」から6kmほどの、日田市との境界に位置するのが「慈恩(じおん)の滝」です。
上段20m、下段10m、合わせて30mの落差があるこの滝は、別名「裏見(うらみ)の滝」とも呼ばれています。
それは文字どおり、流れ落ちる滝を裏側から見ることができるからです。
滝の脇から、こけむした小道をたどっていくと滝の裏側に入ることができます。
下段の滝を裏側から見ることができるのですが、水量が多いときは、ずぶぬれ覚悟で臨んだほうがよいかもしれません。

玖珠町にはもう一つの「百選」があります。
それは、農林水産省選定の「日本の棚田百選」に選ばれた「山浦早水(やまうらそうず)の棚田」です。
まるで日本の原風景を見るような棚田は、玖珠町の中でも山奥の風情が濃い、慈恩の滝近くの集落で目にすることができます。
盆地の中央に集まった集落を取り囲むようにして、棚田が連なっています。
集落の中心にあたる場所にはお堂があって、そのそばにも清水が湧いています。

玖珠町では、10月の第4日曜日に五穀豊穣を祈る秋祭り「大浦楽」、10月下旬〜11月上旬に「滝の市滝神社祭典」が行われます。
「滝の市滝神社祭典」は滝神社の秋の大祭で、県指定の無形民俗文化財「滝瀬楽」が披露されたり、奉納相撲や素人芝居などが催されたり、夜遅くまでにぎわうそうです。
また、町内にも温泉施設はありますが、玖珠町から東へ少し足を延ばすと人気の由布院温泉がありますし、南へ下れば2009(平成21)年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星を獲得した、女性に人気の黒川温泉(熊本県)もあります。

これから、山々が紅葉に燃える季節がやって来ます。
名水と山間の素朴な町の風情が楽しめる大分に、秋を満喫しに行ってみたいですね。


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●南九州の名水「霧島山麓丸池湧水」に憩う    (TEPORE H22,09,09)

東は霧島連峰、北西には九州山脈に連なる矢岳(やたけ)支脈の2つの山系に挟まれている鹿児島県姶良(あいら)郡湧水(ゆうすい)町。
この町は盆地状の地形で雨が多く、その名のとおり湧き水に恵まれています。
中でも湧水量が豊富なことで知られているのが、環境省の「名水百選」にも選ばれている「霧島山麓丸池湧水」です。

霧島連峰に降った雨や雪は、長い年月をかけて火山層に磨かれ、良質な地下水となって山ろくのいたるところで湧き出しています。
「名水百選」の紹介文によれば、「霧島山麓丸池湧水」も、霧島連峰西端に位置する栗野岳(くりのだけ)の標高600m付近に降った雨が約35年の歳月をかけて湧き出したものだとか。

「霧島山麓丸池湧水」は、かつては国の管理下にあったそうですが、1922(大正11)年に地元に払い下げられたのを機に、堤防などを整備したのだそうです。
現在は、堤防に囲まれた丸池を中心に公園として整備されていて、ふだんは近隣の人たちが憩う場所として、春には桜の名所として人気を集めています。

丸池の底からはそこかしこで清水が湧き出し、その湧水量は1日に約6万トンと大変豊富です。
この名水は、町の生活用水としても利用されています。
また、最近では、丸池湧水から生まれたミネラルウォーターが湧水町の特産品として注目を集めています。

湧水町には、「霧島山麓丸池湧水」のほかにも、温泉や史跡、レジャー施設、ヒガンザクラやノハナショウブの自生地など、季節ごとにいろいろな見どころがあります。
今の季節、実りの秋を目にしたいなら、「くりの町幸田(こうだ)の棚田」を訪れてみてはいかがでしょう。
石を丹念に積み上げて一段一段、段差を作ったみごとな棚田が今でも大切に受け継がれ、大小さまざまな形の水田が集まった美しい風景を描き出しています。
この「くりの町幸田の棚田」は、1999(平成11)年に農林水産省の「日本の棚田百選」に選ばれています。

さらに、この機会に湧水町から足を延ばして、霧島連峰も訪れてみてはいかがでしょうか。
標高約1,700mの韓国岳(からくにだけ)を最高峰に、天孫降臨の神話が伝わる霊峰・高千穂峰(たかちほのみね)など、多くの山が連なる霧島連峰は、1934(昭和9)年に「霧島国立公園」として日本で最初の国立公園の一つに指定されました。
現在は、「霧島屋久国立公園」の中の霧島地域となっています。
今年話題の幕末のヒーロー・坂本龍馬も妻のお龍と新婚旅行でこの地を訪れ、高千穂峰に登ったことを手紙に残しているそうですよ。
また、霧島連峰には滝も多く、そのうちの一つ「犬飼滝」は、龍馬がお龍と一緒に眺めた滝とも伝えられています。

湧水町に湧く豊かな名水と、その周辺に自生する草花や棚田。
そして、伝説や歴史の逸話が残る霧島連峰の奥深い自然…。日本の美しい景観が広がる南九州で、秋の訪れを感じてみませんか?


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●熊本・南阿蘇の水源巡り」  (TEPORE H22,11,20)

阿蘇山が形成するカルデラ(火山活動によりできた大きなくぼ地)の南部に位置する、熊本県阿蘇郡南阿蘇村。
この村は豊かな湧き水に恵まれた地として知られ、環境省の「平成の名水百選」に選ばれた「南阿蘇村湧水群」があります。

「南阿蘇村湧水群」は、膨大な湧水量を誇る「竹崎水源」をはじめ、「池の川水源」や「湧沢津(わきさわづ)水源」など計10か所の湧水(水源)を総称した呼び方です。
水源ごとに特徴があって、どれも歴史や言い伝えがある名水ばかりです。
そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

●竹崎水源
阿蘇の南外輪山に降った雨が地下を通って湧き出している水源で、1日に約17万2,000トンもの湧水量を誇る名水です。
水源地はまるで川のようになっていて、その岸辺には竹やつばきが自生しています。
地元では、つばきの木の根元付近から湧く水がとりわけおいしいともいわれているそうです。

●池の川水源
1日約7,200トンの清水が湧く水源で、飲料水(上水道)としても利用されているそうです。
水源の湧水池には「兜(かぶと)石」と呼ばれる石があって、水量が増してこの石が見えなくなった年は雨が多く凶作に、石が見えている年は日年(ひどし)で豊作になる、という言い伝えがあるのだとか。

●塩井社(しおいしゃ)水源
塩井神社の境内にある水源で、1日約7,200トンの湧水量があります。
その名水は、近くの夜峰(よみね)山に降った雨が湧き出したものといわれています。
夜峰山は、阿蘇を造ったという健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、妻である阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)が出産する際に身を隠せるようにと一夜で築き上げたという神話が残されているそうです。

●湧沢津(わきさわづ)水源
1日約7,200トンの湧水量がある水源で、田んぼが広がる中に突然、清泉が地中から突き上がるように噴き出していることから「湧沢津」と呼ばれるようになったそうです。
水がとても軟らかく、現在も数戸の民家に上水道として給水されているようです。

●明神池水源
水源地は広さ約752平方メートルの池になっていて、1日約2,880トンの湧水量があり、湧き水が池のいたるところから吹き出しています。
この名水は「誕生水」とも呼ばれ、飲むと子宝に恵まれるといわれています。
池を望む丘の上にある群塚(むねつか)神社には、かつてこの地域を治めていた城主が、子どもが授かるようにと願をかけた誕生石もあるそうですよ。

そのほかの「南阿蘇村湧水群」の水源にもさまざまな伝承や特徴があります。
晩秋の休日、雄大な阿蘇を間近に眺めながら、南阿蘇村の水源巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。


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●宮崎 「妙見神水」 は4億年の味!?  (TEPORE H22,12,15)

九州のほぼ中央にある宮崎県西臼杵(にしうすき)郡五ヶ瀬町(ごかせちょう)。
町の南部には標高1,000mを超える山々が連なり、町全体が高地となっています。
その五ヶ瀬町には、環境省の「平成の名水百選」に選ばれた「妙見神水(みょうけんしんすい)」が湧き出しています。

「妙見神水」は、「四億年の雫(しずく) 妙見神水」とも呼ばれています。
それは、この名水が祇園山の石灰岩層洞窟から、山のふもとにある妙見神社の一角に湧き出していることに由来します。
標高約1,300mの祇園山山頂付近からは、およそ4億3,000万年前に海底に生息していたと考えられる三葉虫(さんようちゅう)やサンゴなどの化石が発見されているのだそうです。
それらは日本列島で最も古い部類の化石といわれ、そのことから祇園山は九州が海から隆起して形成されていく過程で、最初に誕生した山(九州発祥の地)ではないかと推測されるのだとか。
つまり「妙見神水」は、約4億年の時間が作り上げた祇園山の地層に磨かれた水というわけです。

境内に「妙見神水」の水くみ場が設置してある妙見神社は、今から約1,100年前、平安時代初めごろの清和天皇時代に建立された歴史ある神社で、水神様としてあがめられてきたそうです。
その妙見神社でくむ「妙見神水」は「授乳の神水」としても知られ、古くから「妊婦が飲むと丈夫な子どもが授かり、母乳の少ない人が飲むと乳がよく出る」と言い伝えられてきました。

石灰岩層でろ過されてミネラル分を豊富に含む「妙見神水」は、弱アルカリ性の水質で、澄んだまろやかな味わいが特徴なのだとか。
近隣の方はもちろんのこと、熊本・大分・福岡などからも水くみに訪れる方がいて、水くみ場は人の姿が絶えないようです。

これから本格的に雪のシーズンを迎えると、県内外から多くの人が五ヶ瀬町にやって来ます。
それは、五ヶ瀬町の南西部、向坂山の山頂付近にある「五ヶ瀬ハイランドスキー場」で、スキーやスノーボードなどを楽しむためです。
「五ヶ瀬ハイランドスキー場」は九州最南端にある(日本最南端でもある)天然雪を楽しめるゲレンデで、3基のペアリフトを備え、ほかにもこぶのある斜面や、ジャンプ台なども整備されています。

五ヶ瀬町の冷涼な気候はまた、良質な茶葉の栽培にも向いていて、日本茶の中でも今や希少な「釜炒り茶」の産地でもあります。
日本茶の製法には、蒸す方法と釜で炒る方法があり、現在は蒸す製法が主流となっています。
しかし、五ヶ瀬町の「釜炒り茶」の場合は、直火にかけた鉄釜で茶葉の新芽を炒って手でもみながら乾燥させていくという、昔ながらの手作業の工程を重ねて作られているそうです。

約4億年の時間が育んだ名水と、スキー・スノーボードの楽園、そして地元産の名物ワインに釜炒り茶など、豊かな自然が作り出す楽しみにあふれた五ヶ瀬町。
この冬、九州旅行を計画されることがあれば、旅のコースに五ヶ瀬町も加えてみてはいかがでしょうか。


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●沖縄中部の湧水巡りで春を先取り!  (TEPORE H23,01,22)

沖縄県中頭郡(なかがみぐん)北中城村(きたなかぐすくそん)は、沖縄本島の中部地区に位置し、沖縄自動車道を利用して那覇空港から車で約30分の距離にあります。
中城湾に面した村の大部分は丘陵台地で、この村には世界遺産「中城城跡(なかぐすくじょうあと)」や国指定重要文化財の「中村家住宅」などの歴史的遺構が多く残されています。
沖縄県で唯一、環境省の「平成の名水百選」に選ばれた「荻道大城湧水群(おぎどうおおぐすくゆうすいぐん)」は、その北中城村に湧く名水です。

「荻道大城湧水群」とは、県道146号近くに点在する湧水の総称です。
この地には荻道集落と大城集落の2つの集落があって、豊かな湧き水はそれらの集落の生活を支えてきました。
かつては集落の人々の飲料水としても利用されていたのだそうです。
それぞれの湧水には、「アガリヌカー」「ヒージャーガー」など沖縄らしい名前がついています。
「カー」とは沖縄の方言で湧き水や井戸のことです。その「荻道大城湧水群」の中から、いくつかご紹介しましょう。

●アガリヌカー
「アガリヌカー」は、「中村家住宅」から一番近くにある湧水で、手前には池が作られるなど整備も行き届いています。
戦前は、旧元旦の早朝に子どもたちがこの水をワカミジ(若水)としてくみ、その水をヒヌカン(火の神)や仏壇などに供えて、新しい年の家運隆盛と家族の健康を祈ったのだそうです。
戦後も上水道が敷設されるまで、大城集落に住む大半の人たちが飲料水として利用してきました。

●チブガー
「チブガー」は、木々の生い茂る三層の階段状石積みに囲まれた湧水です。
大城集落で最も古い共同井泉と言い伝えられているそうですが、築造年代は不明です。
大城集落におけるウブガー(産井泉)で、新生児のウブミジ(産水)として利用されてきたのだとか。

●ヒージャーガー
「ヒージャーガー」は、県道146号から一段下がった場所にあって、荻道集落の生活用水となっていた湧水です。
「荻道大城湧水群」の中でも極めて透明度が高く、1965(昭和40)年まで荻道集落ではこの湧水を飲料水として利用していたそうです。
さらに、ウブミジ(産水)としても使われ、旧元旦には子どもたちがくんで、ヒヌカンや仏壇などに供える水でもあり
ました。

これらの名水が湧く大城集落は約700年前に集落が形成されたと考えられ、荻道集落は、17世紀半ばの文献にはすでにその存在が記されているのだそうです。
古くから人々が暮らしを営んでいた北中城村一帯には、それだけ歴史的遺構も多く見られます。

「荻道大城湧水群」に近い「中村家住宅」は、19世紀初めごろに建てられたといわれる豪農の住宅です。
鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えるものであると同時に、沖縄の住居建築の特色をすべて備えもっている屋敷でもあります。
家屋と琉球石灰岩の石垣との間には、防風林の役目をもつフクギが植えられています。
こうした沖縄古来の住居構造は、夏場の台風襲来に備えたものだそうです。

「中城城跡」は、2000(平成12)年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されました。
中城城は、北中城村から中城村にわたる標高約167mの高台に、東北から南西にほぼ一直線に連なる6つの城郭によって形成されていたようです。
現在では城そのものは残っていませんが、自然の地形を巧みに利用した美しい曲線の城壁が往時をしのばせます。
その築城技術は、幕末の日本に来航したアメリカのペリー提督も驚いたほど、世界的に見ても優れたものなのだそうです。

そんな一足早く春が感じられそうな沖縄県北中城村へ、名水巡りに出かけてみてはいかがでしょうか。


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●食料の自給率について考えよう!  (TEPORE H22,05,18)
皆さんは「食料自給率」についてご存じですか?食料自給率というのは、その国で消費される食料のうち、どのくらい国内で生産されているかを示す割合のこと。
日本の食料自給率(カロリーベース)は1960年代初めは80%近くありましたが、年々減少し続け、2008(平成20)年度には41%まで落ち込みました。
そこで今回は、消費者、企業、団体、行政などが一体となって食料自給率の向上を推進する「FOOD ACTION NIPPON」の推進本部事務局・沖倉保広(おきくらやすひろ)さんに食料自給率についてお話を伺ってみました。

★食料自給率の向上が必要
食料自給率が下がっている原因の一つは、私たちの食生活の変化にあるそうです。
以前は米や野菜などを中心とした食生活でしたが、洋食化が進み、肉・乳製品などの畜産物や油脂類をより多く食べるようになりました。
家畜のえさや油脂の原料は日本で大量に作ることができないため、輸入に頼っているのが現状です。
また、原料を輸入している加工品や冷凍食品などを食べる機会も増えています。
こうしたことが、食料自給率の低下につながったといわれています。

食料を輸入に頼っていると、輸入先の国が異常気象など何らかの理由で日本への輸出をストップした場合、私たちの食生活に影響が出ることになるでしょう。
また、今後、世界の人口増加が予想され、世界の食料事情はひっ迫する可能性もあります。
そうなると食料などを現在のペースで輸入できなくなるかもしれません。
そのため、国内でできるだけ食料を自給することが大切になってくるのだそうです。

★食料自給率を向上させるには
●国産の食材を積極的に使う
日本で産出された食材を積極的に選び、消費することで、国産食材の需要が高まります。
すると日本の農家は生産を増やすことになり、このことが国産食料の生産量を上げることにつながるため、食料自給率の向上が見込めるようになるのだとか。

●米を見直そう
私たちが米を食べる量は年々減っています。
1965(昭和40)年度には1人当たり平均1日5杯の米を食べていましたが、めんやパンの消費量が増え、2008(平成20)年度は1日3杯に減少。めんやパンの原料である小麦粉は、その大部分を輸入に頼っており、食料自給率低下を招く要因の一つにもなっているようです。

そこで「FOOD ACITION NIPPON」では、米の消費量を増やそうと、米を粉末にした米粉を使うことを推進しているのだとか。国産米粉で作られたパン(米粉量約80g)を1人が1か月に3個食べると、食料自給率が1%アップすると試算されているそうです。
米粉はパンやめんに使うともっちりとした独特の食感が出ますし、揚げ物の衣に使うとサクサクに揚がります。いろいろな料理に、米粉を取り入れてみてはいかがでしょうか。

沖倉さんは、最後に「食料自給率を上げるためには、一人ひとりの意識が大切」と話してくれました。
これを機会に国産の農作物や食品への関心を高めていきたいですね。


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 「進化するコンビニPB商品に注目!」  (TEPORE H25,07,30)

コンビニエンスストア(以下、コンビニ)の良さは、「近くて便利」なこと。
最近はさらに「安くて商品の種類が豊富」という利点が加わっています。
その理由は「プライベート・ブランド商品(以下、PB商品)」。
今回のTEPOREトクトクコラムでは、コンビニが展開する「PB商品」について詳しくご紹介します。

●ちょっと前から耳にする「PB商品」とは?
「PB商品」とは、スーパーやコンビニといった小売店の独自ブランドを指し、その店舗でのみ販売する商品のこと。
小売店側と食品などのメーカーとが共同で商品開発を行っています。
対して、メーカーが販売している商品は、「ナショナルブランド商品(NB商品)」といわれています。
「PB商品」と「ナショナルブランド商品」の違いの一つに「価格」が挙げられます。
「PB商品」が「ナショナルブランド商品」より安値傾向にあるのは、「ナショナルブランド商品」ほど宣伝費や販促費がかからないという点が大きいといわれています。
商品を販売する実店舗を持っていないメーカー側は、自身の「ナショナルブランド商品」を売るにあたって、販売店を確保するための人件費や、販売店で目立つような場所に自社製品を配置してもらったり、広告などで宣伝をしたりして消費者にアピールするための広告宣伝費がかかります。
コンビニやスーパーは、自身の「PB商品」をその店舗で売れば良く、その点でメーカー側より優位といえるでしょう。 また価格だけではなく、消費者に近い立場にある小売店が商品企画や開発に関わる「PB商品」は、消費者の声を反映した商品がつくりやすいというだけあって、消費者心理をくすぐる魅力的な商品が多いとのこと。
特にコンビニの中には「消費者へのモニター調査で一定以上の評価を得た商品のみを発売する」「デパ地下の品質をリーズナブルな価格で提供する」など高い意識で「PB商品」の開発に取り組んでおり、その充実ぶりはスーパーのPB商品をはるかにしのぐほどになっているのです。

●手頃な価格で充実のラインアップが人気の「総菜」
「PB商品」のなかでも特に多様な品ぞろえを誇るのは「総菜」。
100円台で楽しめるものから、ぜいたくな味わいのものまで価格もさまざまですが、どのジャンルでも人気が高いのが、総菜を個食サイズで密閉した「パウチ総菜」です。
最近のコンビニのチルド棚には、ハンバーグやしょうが焼きなどの定番おかずはもちろん、野菜の煮物やロールキャベツ、豚の角煮といった時間も手間もかかるメニューがズラリ。
1食ずつパックになって売られているので、一人暮らしの若者だけでなく、働く主婦や買い物が困難な高齢者などからも重宝がられています。
なかには骨を取ったさばの煮付けなど、配慮が行き届いた商品も。 また、生鮮食品より日持ちがするので、「遅くなってご飯の支度が間に合わない」「もう一品何か欲しい」など、いざというときのためにストックしておけるのも魅力です。
TEPORE編集部の中には、持参の弁当に「PB商品」の総菜を利用しているというスタッフもいます。

●コンビニで「野菜」を買うことが定番に!?
もう一つ、注目の「PB商品」といえば「野菜」。
特にあらかじめ洗って切られた「カット野菜」は、開封すればサラダとしてすぐ食べることができたり、調理に使うことができたりと手間がかからない点が人気です。
あるコンビニチェーンでは、2012年度の「カット野菜」の販売数が前年度から約4倍に伸びているとのこと。
また、農業法人を立ち上げて野菜づくりから始めたり、品質の良い野菜づくりに定評のある農家(生産会社)と提携して商品を調達したり、地元で採れた野菜を地元のコンビニで発売する地産地消にこだわったりと「新鮮」「安全」面もアピール。
「鮮度が悪そう」「おいしくなさそう」などといったこれまでのコンビニ野菜へのネガティブなイメージを一新しつつあります。
さらに、豊作時に収穫した野菜を低温保管したり、外国の野菜を使ったりして、安定した価格で提供するといった工夫がなされ、「割高」イメージを払拭(ふっしょく)する努力がされています。

●専門店の味も嗜好(しこう)品も。広がりを見せるPB商品
「PB商品」の人気・認知度の高まりとともに、人気ラーメン店の味が「PB商品」で再現されたり、国内メーカーが初めてPBのビールづくりに携わったりと、商品開発のタッグを組むメーカーも広がりを見せています。
また、常温管理が基本の和菓子をアレンジして本格的なチルド和菓子を完成させるなど、製造技術も日進月歩。
開発された商品は、店頭に並べば終わりというわけではありません。
嗜好や季節の変化によって定期的にリニューアルしたり、地域ごとに調味料を変えてその土地に根づいた味を追求したりするなど、発売後も品質向上のための工夫や改善が続けられています。
ですから、一度口にした商品でも、次に買ったときに「あれ? 前よりおいしい」と思うことも。
そんなこまやかさも、消費者の心をとらえて離さないのでしょう。
なお、PB商品とは少し違うものの、TEPORE編集部のスタッフに人気なのがコンビニ独自の「カフェ・サービス」。
各社とも力を入れている様子で、100円ほどで本格的なコーヒーが飲めるとあり、新たな客層を呼び込む鍵ともなっています。
また、おいしいコーヒーがあれば、いっしょに売られているパンやスイーツなどにもつい手が伸びてしまうもの。
コンビニの特性をいかした「うまい」戦略ですね。
最近はイートインスペースを併設し、買ったものをその場で食べられる店舗も増えています。
「近くて便利」だけでなく、「おいしい」「リラックス」などの要素も加わったコンビニ。
つい足を運んでしまう機会も増えそうです。


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●歌舞伎座の今昔をたどる
日本が誇る伝統芸能「歌舞伎」。
その歌舞伎を上演する劇場として知られる歌舞伎座(東京都中央区)が、H22/04月の興行を終えたあと建て替えのために休館となります。
長い間、銀座を訪れる人に、そして歌舞伎ファンに愛された歌舞伎座との別れを惜しむ気持ちも込めて、歌舞伎座の今昔をたどってみます。

歌舞伎座は、1889(明治22)年11月に建てられました。
外見は洋風、内部は日本風の造りで、床にじかに座る土間席、その土間席より一段高い桟敷(さじき)席、立ち見席があったそうです。
その後、施設の老朽化などから1911(明治44)年に改築されますが、1921(大正10)年に火災で焼失し、さらに再建中の1923(大正12)年には関東大震災で被災します。
翌年再建されたときに鉄骨鉄筋コンクリート構造となり、初めて椅子席が設けられました。

歌舞伎座が現在の姿になったのは、1950(昭和25)年のことです(開場は翌年)。
1945(昭和20)年の東京大空襲で大部分が焼失してしまい、戦後の復興工事によって今の歌舞伎座が完成しました。
正面玄関上の唐破風(からはふ)屋根など、戦前からの様式を残したままの趣ある劇場で、2002(平成14)年には国の登録有形文化財に指定されています。

歌舞伎座に入ると、まずロビーがあり、その奥に客席と舞台が広がります。
ロビーには、お土産品などを販売している売店、食堂、喫茶室などがあり、開演前や幕間には歌舞伎ファンたちでにぎわいます。
客席は1〜3階までの約2,000席で、舞台を取り囲むように三方に配されています。
舞台には、奈落(ならく:舞台や花道<はなみち>の地下のこと)からせり上がってくる仕掛け「セリ」が3か所あります。
そのほかに舞台と同じ高さで客席の間を通っている花道にもセリが1か所あり、これは「スッポン」と呼ばれています。

開演前の舞台には緞帳(どんちょう)がかかっていてそのすぐ後ろ(客席から見て)に定式(じょうしき)幕と呼ばれる横引きの幕があります。
この定式幕が、歌舞伎座の正式の幕になります。
歌舞伎座で使われている定式幕のデザインは、左から黒・柿・萌黄(もえぎ:緑)色の縦じまです。
江戸時代から劇場ごとに色の並びを変えるならわしがあったそうで、国立劇場の定式幕は左から黒・萌黄・柿色の並びになっていて、歌舞伎座とは異なっています。
また、歌舞伎座のいたるところで見られるのが、歌舞伎座の紋である「鳳凰(ほうおう)丸」です。
正面玄関にかけられた紫の幕や屋根瓦、内外に飾られる赤いちょうちんなどに鳳凰が描かれています。

一方、歌舞伎座には、観客は見ることができない場所もあります。
出演者や関係者の控え室、小道具や大道具などの保管スペース、スタッフの作業スペースなどです。
舞台裏では上演中もさまざまな作業が行われていて、静かな場面になると音が響かないように細心の注意を払うこともあるのだとか。

新しい歌舞伎座は、現在のデザイン要素を随所に取り入れながらバリアフリー化なども進め、観客やそこで働く人々にとってより居心地のよい劇場として生まれ変わる予定だそうです。
完成予定は2013(平成25)年の春。
新歌舞伎座のお目見えを楽しみにしつつ、歌舞伎座の見納めに出かけられてはいかがでしょうか。


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 『 裁判員制度 』 のこと、あなたはどれくらいご存じですか? (H20.07.18)

「映画で見た、アメリカの陪審員のようなもの?」
「法律の専門家でもないのに、有罪か無罪かを判断できるの?」
「裁判員に選ばれると、仕事や家事はどうなるの?」
などなど、疑問や不安は尽きないと思います。

『裁判員制度』は、2004(平成16)年に成立した 「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」 によって、2009(平成21)年5月21日から実施されることが定められています。
スタートまで、あと10か月と迫っているわけです。
これまでの刑事裁判では、検察側と弁護側双方の主張について、原則として3人の裁判官が評議し、被告人が有罪か無罪か、有罪であれば量刑はどの程度が相当かを決定し、判決が宣告されていました。

それが 『裁判員制度』 導入後は、原則として3人の裁判官に加え、一般から選ばれた6人の裁判員も公判に立ち会い、裁判官たちと一緒に評議を行って評決に参加することになります。
公判開始から判決が宣告されるまで、裁判官たちと同じように、6人の裁判員もその裁判に責任を持つことになるわけです。

1つの裁判で選任される裁判員の人数は原則6人ですが、公判途中で裁判員の人数に不足が生じるような事態を考慮して、さらに最大6人までの補充裁判員が加えられる場合もあります。

とはいえ、すべての刑事裁判が 『裁判員制度』 の対象となるわけではありません。
『裁判員制度』 の対象となるのは、殺人や強盗致死傷、傷害致死、身代金目的の誘拐など、凶悪事件の裁判です。
また、泥酔した状態で車を運転し、人をひいて死亡させてしまった場合などに問われる危険運転致死罪や、虐待や育児放棄によって子どもを死亡させてしまった場合などに問われる保護責任者遺棄致死罪などの裁判も『裁判員制度』の対象となっています。

つまり、裁判員に選ばれた人は、場合によっては死刑や無期懲役などを含む非常に重い判断が求められる刑事裁判に参加しなければいけないということです。

では、どのような人が裁判員に選ばれるのでしょうか?

まず、全国253か所に設置されている地方裁判所ごとに、管轄区内の裁判員候補者の名簿が毎年作成されます。
この名簿に載るのは、市町村の選挙管理委員会がくじで選んだ人たち。
ですから、選挙権を持つ人なら、誰もが裁判員候補者になる可能性があるわけです。

名簿に載った人には、地方裁判所から調査票が送られます。
その調査票で、対象者が自衛官や警察職員だったり、重い疾病や傷害を負っていたりして、明らかに裁判員になることができないと認められる場合には名簿から除外されます。

次に、名簿の中から、1つの裁判につき50〜100人程度の裁判員候補者がくじで選ばれます。
選ばれた裁判員候補者には、今度は質問票を同封した選任手続期日のお知らせ(呼出状)が、裁判開始の6〜8週間くらい前に地方裁判所から送付されます。

この質問票で、例えば、1日でも介護・養育がないと日常生活を営むのに支障がある同居家族がいるなどの事情が明らかになれば、裁判員候補者を辞退することが認められる場合もあります。
しかし、仕事を理由に辞退することが認められるケースは、かなり限定されるようです。

裁判員候補者になった人は、基本的には、呼出状で指定された日の午前中に管轄の地方裁判所に出向いて、裁判長による選任手続きを受けることになります。

この選任手続きを経て、最後はくじによって6人が裁判員に選ばれ、その日の午後から公判に参加することになるのです。

裁判員に選ばれた人は、判決が宣告されるまで、すべての公判に出席しなければなりません。
もし裁判員が1人でも欠席すると、その日の公判は開かれなくなりますし、正当な理由のない欠席には10万円以下の罰金が科せられることもあります。
しかし、「判決が宣告されるまでは裁判所から出ることも許されず、何日も裁判所に泊まり込むことになる」というのは誤解で、裁判員はその日の公判が終われば、普通に自宅に帰ることができます。

なお、裁判員候補者に選ばれたり、裁判員に決まったりして裁判所に行く場合は、法律で定められた交通費と日当が支給されます。
また、自宅が遠くて宿泊が必要となるような場合には、宿泊費も支給されることになっています。

重い責任があり、仕事や日常生活にも制約を受ける 『裁判員制度』 ですが、これにより、国民にわかりやすい裁判が行われ、審理にかかる期間も大幅に短縮するよう努めることになります。
そして、国民全体に、法律を順守することへの意義や理解が高まることが期待されているのです。

来年5月のスタートまで、そしてその後も、試行錯誤が続くであろう 『裁判員制度』。
この制度の導入で我々にとって、もっと司法が身近に感じられるようになることを期待したいですね。




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 「戦後日本の 景気拡大期間 の比較」 (H17.09.01)
☆日本経済の拡張・拡大期間の比較 (平成17年08月末時点)

   現在の日本経済は、2002年1月 を 「谷」 とする景気拡大期が 2005年8月 で 43ヶ月 続き、戦後4位の 「岩戸景気」(42ヶ月)を抜き、
   1993年10月 から 1997年5月 まで続いた戦後3位の長期記録をも抜く可能性が大になった。


  @ 1965年10月 〜 1970年07月:57ヶ月  = 「いざなぎ景気」

  A 1986年11月 〜 1991年02月:51ヶ月  = 「バブル 景 気」

  B 1993年10月 〜 1997年05月:48ヶ月  = (呼称名なし)

 ○C 2002年01月 〜 2005年08月:43ヶ月+ = 『現在の景気拡大期』(継続中)

  D 1958年06月 〜 1961年12月:42ヶ月  = 「岩 戸 景 気」

  E 1954年11月 〜 1957年06月:31ヶ月  = 「神 武 景 気」

   注記:
    * 戦後の平均値は : 約33ヶ月。
    * 期間は景気の 「谷」 から 「山」 までの長さを指す。






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 『 日本の書籍から学ぶ日本人!』 


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● 『 家族という病 』 下重暁子 (作家、NHK元女性トップアナウンサー)\780 (H27,06,20)

『 殺人事件で 最も多いのは "家族間" である。』

 [要 旨]


  ・ なぜ私は家族を避けてきたのか

  ・ 家族を盲信する日本人

  ・ なぜ事件は家族の間で起きるのか

  ・ 結婚できない男女が増えるワケ

  ・ 子離れが出来ない親は見苦しい

  ・ 仲の悪い家族の中でも子はまっとうに育つ

  ・ 大人にとってのいい子はろくな人間にならない

  ・ 家族の期待は最悪のプレッシャー

  ・ 遺産を残してもいいことは一つもない

  ・ お金が絡むと家族関係はむき出しになる

  ・ 夫婦でも理解し合えることはない

  ・ 家族のことしか話題がない人はつまらない

  ・ 家族の話はしょせん自慢か愚痴

  ・ 他人の家族との比較が諸悪の根源

  ・ 夫のことを「主人」と呼ぶ、おかしな文化

  ・ 「子供のために離婚しない」は正義か

  ・ 「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」

  ・ 女は子供を産むべきか

  ・ 子供が欲しくても出来ない女性に「子供を産め」は過酷

  ・ 家族に捨てられて安寧を得ることもある

  ・ 孤独死は不幸ではない

  ・ 家族の墓に入らない人が増えている

  ・ 介護で親子は互いを理解する

  ・ 親は要介護になってはじめて弱い姿を我が子に見せられる

  ・ 家族はなぜ排他的になるのか

  ・ 家族という名の暴力

  ・ 知的な家族ほど消滅する

  ・ 家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り

  ・ 家族に血の尾つながりは関係ない

  ・ 家族を知ることは自分を知ること

  ・ ほか


   なぜ「家族の悲惨な現実」を これまで誰も語らなかったのか




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● 『 致 知 :(人間学を探求して三十七年) 』  (中日新聞 H27,09,08)



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● 『 親鸞聖人を学ぶ 』 伊藤健太郎・仙波芳一 共著  \1,500 (H27,04,08)

『 71の謎を解く  親鸞伝の決定版 !! 』

  親鸞聖人は、何に悩み、どう解決したのか。

  八百年後の私たちに何を訴えているのか。

  本書では、親鸞聖人の教えに基づいて、

  七十一の謎を解きながら

  「人間親鸞」の実像に迫ります。

 [要 旨]


第一章 29歳までの、決死の求道

  ・ 親鸞聖人は、どんな時代に
     生まれたのか。
      源平の合戦と、相次ぐ
      天才がもたらしたもの

  ・ わずか九歳で、出家を
     決意されたのは、なぜか。

  ・ 天台宗の僧侶となり、
     「女人禁制」の比叡山で、
     どんな修行をされたのか

  ・ 求道に行き詰まった時、
     聖徳太子が夢に現れて
     告げた「謎の言葉」とは
 
  ・ 「なぜ、山の上の仏教は、
     女を見捨てるのでしょうか」
      美しい女性の指摘に、
         絶句された親鸞聖人

  ・ 「この親鸞こそ、偽善者だ」
     誰よりも戒律を守りながら
    激しく嘆かれたのは、なぜか
 
  ・ 「このままでは地獄だ」と、
    二〇年間の修行を捨てて、
     下山されたのは、なぜか
 
  ・ 六角堂での百日の祈願
    救世性観音から授かった
     「女犯の夢告」とは
 

第二章 法然上人の弟子として

  ・ なぜ、激しい非難を
     覚悟してまで
     公然と結婚されたのか

  ・ どんな人を 「仏」 というのか?
     「仏」 と 「菩薩」 の関係は?
     「阿弥陀仏」 と 「釈迦」 は
      同じ仏なのか?

     ・ なぜ、親鸞聖人は、
    三回も大論争をっされたのか

   @弥陀の救い (往生) は
    「生きている時」 か、
     「死んだ後」 か

   A他力の信心は、どんな人も皆、
     同じ信心になるのか、
     学問や経験によって
      一人一人ことなるのか
 
   B阿弥陀仏の本願には、
     「念仏」 で救われるのか、
     「信心一つ」 で救われるのか


第三章 権力者、仏教諸宗から総攻撃

  ・ なぜ、親鸞聖人は、
     京都から追放され
      越後へ流罪になったのか

  ・ 「親鸞は坊主ではない」 の
     宣言は、何を意味するのか
     「阿弥陀仏」 と 「釈迦」 は
      同じ仏なのか?


第四章 関東布教の20年

  ・ なぜ、親鸞聖人は、大雪の夜、
     日野左衛門の家の前で、
     石を枕にして休まれたのか

  ・ なぜ、親鸞聖人は、
     「田植え歌」 を作り、村人と
      一緒に泥田へ入られたのか

  ・ なぜ、自分を殺しに来た男・弁円に
     「我らは喜ばしき友、兄弟じゃ」 と
      笑顔で応じられたとか

  ・ 「病気治し、商売繁盛、豊作の祈願が仏教ではない」 と、
     親鸞聖人が明言されたのは、なぜか?
 
第五章 関東から京都へ

  ・ 親鸞聖人は、なぜ、還暦過ぎに、
     京都へ帰られたのか

  ・ 親鸞聖人の長子・善鸞は 、
    なぜ、教えを曲げて、
    「秘密の法文」 を作ったのか


第六章 晩年、京都での苦労

  ・ 「念仏が、極楽行きの因か、
    地獄におつる業か、今更、この
     親鸞に言わせるおつもりか」
     親鸞聖人が激怒されたのは、
        なぜか

  ・ 「親鸞は弟子など
、     一人も持っていない」
    裏切って去って行く男を、
     温かく見送られた真意は?

  ・ なぜ、長子を義絶されたのか
    「情けなさ、言うに及ばないけれども]
、     今からはおまえの親ではない。
     子とも思わない。
     悲しい限りである」

  ・ 親鸞聖人を
    「優れた詩人」とも評する人が
     多いのはなぜか

  ・ 「親鸞が死んだら、川へ捨てて、魚に与えよ。」
     と常に言われていたのは、なぜか

第七章 親鸞聖人は何を教えてのか

  ・ 生老病死などの苦しみの根源を抜き
    無上の楽しみを与えるのが仏教の目的、
     とはどういうことか
 
  ・ 「浄土宗」 と 「浄土真宗」 はどこが違うのか

  ・ [正信偈]には何が書かれているのか

  ・ 「親鸞が死んだら、川へ捨てて、
    魚に与えよ。」 と常に言われていたのは、なぜか

  ・ 子離れが出来ない親は見苦しい

  ・ 仲の悪い家族の中でも子はまっとうに育つ

  ・ 大人にとってのいい子はろくな人間にならない

  ・ 家族の期待は最悪のプレッシャー

  ・ 遺産を残してもいいことは一つもない

  ・ お金が絡むと家族関係はむき出しになる

  ・ 夫婦でも理解し合えることはない

  ・ 家族のことしか話題がない人はつまらない

  ・ 家族の話はしょせん自慢か愚痴

  ・ 他人の家族との比較が諸悪の根源

  ・ 夫のことを「主人」と呼ぶ、おかしな文化

  ・ 「子供のために離婚しない」は正義か

  ・ 「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」

  ・ 女は子供を産むべきか

  ・ 子供が欲しくても出来ない女性に「子供を産め」は過酷

  ・ 家族に捨てられて安寧を得ることもある

  ・ 孤独死は不幸ではない

  ・ 家族の墓に入らない人が増えている

  ・ 介護で親子は互いを理解する

  ・ 親は要介護になってはじめて弱い姿を我が子に見せられる

  ・ 家族はなぜ排他的になるのか

  ・ 家族という名の暴力

  ・ 知的な家族ほど消滅する

  ・ 家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り

  ・ 家族に血の尾つながりは関係ない

  ・ 家族を知ることは自分を知ること

  ・ その他


   なぜ「家族の悲惨な現実」を これまで 誰も語らなかったのか







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教 育



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 次の 文章を 読まれて 皆さんは どのように感じ取られますか。

『 私は 私たちの祖先が 遠大な理想のもとに 道義国家の実現を目指して 日本の国をはじめられたものと信じています。

そして、日本国民が 国を愛する心と 親に孝行する気持の両方の道 を完うし、みんなが心を合わせて努力した結果、今日のような 立派な国家に創りあげることができたのであり、 もとよりこれはすぐれた日本の国柄に依る物ではありますが、教育の根本もまた、 この道義立国の達成に依るものと 私は かたく信じています。

国民の皆さんは、

 子供は 親に孝養を尽くし、
 兄弟、姉妹は 互いに力を合わせて 助け合い、
 夫婦は 仲睦まじく 解け合い、
 友人は 胸襟を開いて 信じあい、
 そして自分の言動 を つつしみ、
 すべての人々に 愛の手をさしのべ、
 学問を 怠らず、
 職業に 専念し、
 知識を 養い、
 人格を みがき、 さらに進んで
 社会公共のために 貢献し、 また
 法律や 秩序を 守ることは勿論のこと、
 非常事態発生の場合には 真心をささげて 国の平和 と安全に 奉仕しなければなりません。

これらの伝統的美風を守ることは、善良な日本国民として 当然の務めであるばかりでなく、 今日まで私達の祖先が身をもって 示し残されたこれらのことを 更にいっそう明りょうにすることが 重要であります。

このような 国民の歩むべき道しるべは 祖先の残された教訓として私達子孫が守らなければならない基本であると共に、この教えは 今も昔も変わらない正しい道であり、また 日本ばかりでなく 外国に行っても 間違いのない正しい道ですから私もまた 国民の皆さんとともに、
祖先が残されたこれらの教えを しっかり胸に抱いて、 立派な日本人となるように 心から願うものであります。 』


これは明治天皇が制定された  「教育勅語」  の 口語文訳です。

現在 の荒廃した社会を正して、明るい日本を再構築するためにも、
個人、家庭はもとより、社会、国をあげて教育の原点に 立ち返ることが 必要不可欠であり、 そのためには
今こそ 「教育勅語」 の 崇高な これらの理念をもう一度 素直な気持で見直してみる必要があるのではないでしょうか。


「教育勅語 原文」






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  現 「教育基本法」 (1947,04制定) の考察
                [ノートルダム女子大学長 梶田叡一郎氏] (H13,11,28)

「教育基本法」 はその制定理念として、敗戦直後の教育改革に向けて次の四つのポイントに焦点が当てられている。 即ち、

  @, 「 軍国主義 から 平和主義へ 」
  A, 「 全体主義 から 個人主義へ 」
  B, 「 日本主義 から 国際主義へ 」
  C, 「 国家神道体制 から 社会の非宗教化へ 」

これらは今でも評価できる大切な理念ではあるが、戦後50年たった現在では思わぬ問題を引き起こしている。

  @, 先ず「軍国主義から平和主義へ」の改革は
     「独善的一国平和主義」を引き起こし、「国防的意識の欠如」と云う問題が生まれた。

  A, 二つめの「全体主義から個人主義へ」は
     「連帯の中での自己責任の意識の欠如」を引き起こし、しいては「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という輩を創出した。

  B, 三つめの「日本主義から国際主義へ」は
     「日本の伝統、先人の業績の忘却」という問題を引き起こしている。

  C, 四つめの「国家神道体制から社会の非宗教化へ」は
     「宗教蔑視と人間の宗教的本性の無理解」を引き起こし、「急速な世俗化の進行、畏敬の感覚の喪失」などを生み出してしまった。



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 『 子は 親の 鑑 』       ドロシー・ロー・ノルト 博士  (1954)    (H17.3.29)

けなされて育つと、 子どもは 人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、 子どもは 乱暴になる

不安な気持ちで育てると、 子どもも 不安になる

「可愛そうな子だ」と言って育てると、 子どもは みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、 引込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも 人を羨むようになる

叱り続けてばかりいると、 子どもは 「自分は悪い子なんだ」 と思ってしまう

励ましてあげれば、 子どもは 自信を持つようになる

広い心で接すれば、 キレる子にはならない


褒めてあげれば、 子どもは 明るい子に育つ

愛してあげれば、 子どもは 人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、 子どもは 自分が好きになる

見つめてあげれば、 子どもは 頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、 子どもは 思いやりを学ぶ

親が正直であれば、 子どもは 正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、 子どもは 正義感のある子に育つ

やさしく 思いやりを持って育てれば、 子どもは やさしい子に育つ

守ってあげれば、 子どもは 強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、
     子どもは この世の中はいいところだと思えるようになる


       【子どもが育つ魔法の言葉】より引用



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 《我が子の落ち度はなにか》 正論 永世棋聖 米長邦雄 (H11.9.17)

      将棋の世界を、そのまま学校へ持ち込むとすれば次の点をチェックしさえすれば良い。

(1). 母親は、父親つまり夫より常に一歩退いて控える。


(2). 学校に入った以上は、全てを学校に一任する。信頼である。


(3). 怪我をしたり、先生に叱られたり、時にはゲンコツを食らったりした時 “我が子の落ち度はなにか” をイの一番に考えてから行動する。


(4). 我が子に余り期待しない。 所詮自分の子供だと自覚する。

 以上四点が主たるもの。
 この四つが当たり前と感じているお母さんは、日本中に三人くらいしか居るまい。
 この四つの中で、最も重要なのは、人生に関しては(1)で、教育に関しては(3)である。



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 養うて教えざるは 親の過ち、 教えて厳しからざるは 師の怠り   「三字経」



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 「 負けの中に 次につながる 勝ちの芽がある。 」 

               全日本女子バレーボール監督  柳本 昌一氏のことば  (H16.7.25 NHKテレビ)



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  「何事も、うまくいくわけが、ないのだから、

    勝負というのは、全勝で乗り切るなんて、ものではなくて、

    十五戦して、八勝七敗か、九勝六敗で、いいのではないか」  (阿佐田 哲也)


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 「叔母の言う」

お前は、器量が悪いから、愛嬌だけでもよくなさい。

お前は、身体が弱いから、心だけでもよくなさい。

お前は、嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。    (太宰 治)小説「晩年」から



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 「 親子 3 代 」

初代は 財を築き 、 

    2代目は その上にあぐらをかく。  

        そして 3代目はあぐらをかいている親父を見て家を潰す。


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 「 大工職人を育てるには 」


  田中文男さん   (有)「真木」社長 (H11.3.9 朝日新聞)
「 返事は六つしかないな。

  わかるか、  わからないか。
  できるか、  できないか。
  好きか、    嫌いか。  」


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 「 一人前の戦闘機パイロットの養成の経費 」 (Biglobe 記事から)
統計的なデータによると、

戦闘機パイロットの養成費用は約6億円と云われている。
そしてその期間は約6年も要する。

忘れてならない事は、これらは戦闘機パイロットの卵を養成するため操縦学校などで要する費用と期間であって実戦に役立つ「ベテラン戦闘機パイロット」まで養成するためには更に多くの費用と期間を要する。
JASDFでは現在、この費用と期間を費やして、年間にやっと十数人のファイターパイロットが誕生しているのである。

彼等はその後、実戦部隊に配属され、各種の飛行訓練を重ねていき、TRパイロット( 訓練生=Training Readiness )としての約半年の期間を経て、ORパイロット( 任務可能な=Operation Readiness ) になり、スクランブルなどもを経験し、射撃資格を取得することでCRパイロット( 戦闘要員=Combat Readiness )になり、やっと一人前の戦闘機パイロットとして認められ役に立つのである。
そして、部隊内でのチームワークを得るまでの歳月はどの位かかるか分からないが、少なくとも一人前の戦闘機パイロットという存在は、体重と同じ重さの ”金 ”にも代え難い存在である。

航空事故などの場合には万全の捜索・救難能力を維持・発動することによってパイロットの喪失を局限し、実戦戦力の維持を図らなければならない。
また、F-15J×1機の値段は約110億円で、製造には実に1年以上を要する。

國の防衛は一朝一夕に築く事は不可能であり、国民の総意に基盤を置き、国民の生命をかけ、日夜たゆまぬ努力の積み重ねで初めて為し遂げられるのである。



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 「 気付いたら叱って下さい、 家の子も 」   出羽錦忠雄親方(H10.1.10 NHK TVで)


 「 人事を尽くして、 天命を待つ 」 ではなく 「 天命に任せて、 人事を尽くす 」   中村仁一氏の「穏やかな死」より


 「 愚者は己の経験に学び、 賢者は他人の経験に学ぶ 」   ビスマルク


 「 かごに乗る人、 担ぐ人、 そのまたわらじを作る人 」


 「 綸言 汗のごとし 」 ( 漢書 )
     絶大な地位にある君主の言は、汗が再び体内に戻らないように、取りかえしがつかないのである。
      君主ほどではなくても政治家の言葉 だって重い。  ( 中日春秋 H15.7.15 )


 「 士は以って  弘毅ならざるべからず 」
     指導者は広い視野、強い意志が必須である。


 「 速やかなるを欲するなかれ、 小利を見るなかれ 速やかならんと欲すれば 則ち達せず
     小利を見れば 則ち大事ならず 」


 「 君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず 」
     君子は、他人と心を合わせよく事に当たるが、
       自分を見失って他人に引きずられたり、へつらったりしないものだ。

    一方小人は、人に引きずられたり、へつらったりはするが、
       自分の立場を守って他と調和していくことをしない。


 「 君子は泰(タイ)にして 驕(オゴ)らず、 小人は驕りて 泰ならず 」
     君子はゆったりとかまえてこせこせしないが、小人は周りの人を見下ろすようなことをして、反発を買い自分の進歩を止めてしまう。


 「 君子は 言に訥にして 行いに 敏ならんことを欲す 」
     発言は 慎重に 行動は機敏に


 「 子曰く 人の己を知らざるを患えず 人を知らざるを患えよ 」


 「 朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり 」



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 『 五 常 』 伊勢貞丈(さだたけ・江戸中期の学者)の家訓

五常 とは、仁義礼智信の五つなり。
この五つは天然自然人に生まれつきたる根性なり。
この五つの根性を常に用いざれば、かなわざる事なる故、五常というなり。


一、 仁というは、人を初めとして、生ある物をあわれみめぐみ、思いやりふかく、いたわる根性を仁というなり。
    仁は慈悲の事と心得べし。
    父母に孝行するを始めとして、万事この仁をはなれてはならぬ事なり。


一、 義というは、義理あいの事なり。
    めいわくにおもうとも、すべき筋の事をば、かならずする、すまじき筋の事をば、決してせぬを義というなり。


一、 礼というは、我より目上なる人をばあがめうやまい、目下なる人をもいやしめずあなどらず、  我が身をへりくだりて人にほこらず、おごる事なきを礼というなり。


一、 智というは、道理と無理、善と悪、是と非を分別するを初めとして、  耳にきかず目に見ぬ事迄も、かんがえ知りわきまうるを智というなり。


一、 信というは、真実にしていつわりなく、わだかまりなく、かげひなたなく、一すじにまことなるをいう。
    信は正直の事と心得べし。仁も義も礼も智も信というものがなければ、皆いつわり事となるなり。
    右の五つの根性を、とりうしなわぬ様に心がくべし。
    我がままなる心をもつ時は、右の根性きえうせて、悪事をし出すなり。



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 「青年よ、大志を抱くな!」       ひろさちや のほどほど人生論より(2006/9/19 中日新聞)

 「青年よ、大志を抱くな!」と、クラーク博士は言いました。

クラーク博士(1826〜86)といえば、アメリカのマサチューセッツ農科大学の学長でしたが、明治政府の招請を受けて札幌農学校(現在の北海道大学)の教頭に就任した科学者です。
その教育は、内村鑑三や新渡戸稲造などに大きな影響を与えたことはよく知られています。


さて、そのクラーク博士の言葉ですが、きっと読者はわたしの引用がまちがっていると思っておられるでしょう。 
なるほど、クラーク博士の言葉は

 『 Boys Be Ambisious 』

であって、訳せば

 『 青年よ 大志を抱け! 』

になります。  したがって、わたしの引用はまちがいです。


けれども、クラーク博士が本当に言いたかったことは何でしょうか?
この言葉には続きがあります。  それを読んでみて下さい。

 『「青年よ 大志を抱け!」 その大志は金銭や利己的な出世のためであってはならず、
   また世人が名声と呼ぶがごときむなしきもののためであってはならない。
   ・・・人間として当然備えていなければならぬものを達成するために、大志を抱け 』


読者のみなさんはどう思われますか?
クラーク博士は、金儲けのために大志を抱け、とは言っていません。
大勢の株主を騙し、与党に政治献金をやってしか企業が発展できないのであれば、そんな企業を興すことは大志ではありません。
そんな企業の中で出世をすることが大志ではないのです。


クラーク博士は政治家になれとも言っていないでしょう。
人格・識見に富んだ政治家は別です。
でも、人格者の政治家は、現在の日本には顕微鏡的少数です。
大多数の政治家は、選挙に勝つことと利権あさりばかりを考えています。
そんな政治家であるならむしろクラーク博士は、「青年よ、政治家になるな・・・」と言いたいでしょう。


だからわたしは、クラーク博士は、「青年よ、大志を抱くな!」と言ったのだと思います。
博士が言いたかったことは、人格・識見にすぐれた人間になれ! であったはずです。


いま日本は、大きな曲がり角にあります。
利権あさりの政治のために、国家の赤字は国民一人当たり六百万円以上になっています。
誕生したばかりの赤ん坊が、六百万円以上の借金を背負わされるのです。
こんな国に生まれたいとは思わない赤ん坊が多いでしょう。
だから、子供が生まれない日本になっています。


それなのに与党の政治家は、国民に愛国心を植えつけようとやっきになっています。
政治家の仕事は、誰からも愛される国を造ることではないでしょうか。
愛することのできない国を造っておいて、「国を愛せ」とほざくことが政治家の仕事ではありません。


経済的利害だけに大志を燃やす人間は、わたしは人間としてクズだと思います。
わたしたちはもっと高貴な人間にならねばならぬと思うのですが、まちがっているでしょうか?  (宗教評論家)


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 「 人は必ず過ちを犯す 」    (中日新聞社説 (H10.2.8))

・ 指導者像を論ずる際に 「 ノブレス・オブ リージ 」 という言葉がよく使われます。
  「 高い身分に伴う徳義上の義務 」 などと訳されます。


・ 「 李下に冠を正さず 」 「 君子危うきに近寄らず 」---。
  人生訓の多くは、そうした人間を戒める内容になっています。


・ 最近よく紹介されるように、米国連邦公務員は
  「 一回二〇ドル未満、 同一人物から 年間五〇ドル未満 」 の接待、贈り物しか受けられないと規定しています。
  違反には厳しい処分があります。


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 「 伊達政宗の孫が愛した福島の名水 」   (Tepore H21.11.19)

最近、歴史好きの女性が増えているそうです。
歴史といっても日本史、それも戦国時代に集中するようで、戦国武将に心酔する歴史好きの女性たちのことを「歴女」と呼ぶのだとか。
群雄割拠していた戦国武将たちの中でも歴史好きの女性たちにひときわ人気が高いといわれているのは、奥州筆頭・伊達政宗。
その伊達政宗と血縁の深い伊達右近が終生の地とした福島県相馬郡新地町。
今回ご紹介する名水「右近清水」の地です。

伊達右近の父は伊達宗実で、宗実は伊達政宗の九男。
つまり、右近は政宗の孫に当たります。
その伊達右近が、訳あって28歳のときに移り住んだと伝えられているのが、現在の福島県相馬郡新地町です。
福島県の北部、日本海側に位置する福島県相馬郡新地町。
町の北側は宮城県との県境です。
この地に移り住んだ伊達右近は、湧き出る清水を賞味しながら暮らし、新田開発や植林に終生、力を尽くしたそうです。
その右近が愛飲していた清水には、後に彼の功績をたたえ、「右近清水」という名がつけられました。

国道6号線の新地町役場前の交差点を西側(山側)に曲がって少し行くと、道路脇に「右近清水」の看板があります。
看板に従って進むと、桜並木が続く道の先にため池が広がり、その先に「右近清水」の東屋(あずまや)が見えてきます。
遊歩道を整備して、ため池の周りに桜、ツツジ、サツキなどを植樹し、水くみ場に東屋を設置して水質保全と環境整備に努めているのは、地元の有志でつくる「右近清水と桜を守る会」の方たちです。
特に桜の植樹は1988(昭和63)年から続いていて、これまでに1,500本以上の桜の木がため池周辺に植えられています。
今では、「右近清水」への道は地元で人気の桜の名所になっているそうですよ。

環境省の『平成の名水百選』にも選ばれている「右近清水」は、カルシウム豊富で鉄分が少なく、おいしいと評判を呼んでいます。
町内はもとより、県外からも大勢の方が水くみに訪れるそうです。

新地町は名水の里で、「右近清水」のほかにも「いっぱい清水」や「真弓清水」などがあります。
中でも、「いっぱい清水」は、あまりのおいしさに「もう一杯」と飲まれたことがその名の由来で、お年寄りがこの水を飲むと、若者のように元気を取り戻して長生きできると伝えられているそうです。

ところで、新地町にはもう1つ、伊達家にまつわる自然の美があります。
新地町駒ヶ嶺の農地に立ち、福島県の天然記念物に指定されている「白幡(しらはた)のいちょう」がそれです。
推定樹齢230年とも240年ともいわれているこのいちょうの木には、別名「逆さいちょう」という名がつけられています。
それは、根元から上に向かうにつれて幹の太さが増しているからですが、それとは別に、伊達政宗が駒ヶ嶺に進攻した際、持参したいちょうの鞭が突き刺さり、根づいてこのいちょうになったとする伝説にも由来しているそうです。

冬の早い福島県北部では、今年はもう「白幡のいちょう」の黄葉は終わっているかもしれませんが、新地町から南に下った福島県いわき市の夏井川渓谷辺りは、ちょうど紅葉が真っ盛りのころ。
イロハカエデやアカヤシオなどが、渓流沿いを赤く染めていることでしょう。
晩秋の奥州を巡る旅に出かけて、伊達右近の愛した名水を味わってみませんか?


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 「 滋賀県の ”堂来清水” は神事と縁のある名水 」    tepore (H22,02,18)

滋賀県の東北部に位置する長浜(ながはま)市。
福井県と岐阜県に接し、さらに日本一大きい湖、琵琶湖にも面していて自然も豊かです。
その長浜市の北側にある高山町に、環境省の「平成の名水百選」に選ばれた名水が湧いています。
それが、今回ご紹介する「堂来清水(どうらいしょうず)」です。

「堂来清水」の水源は、約7km離れたところにある「奥の池」(別名、夜叉ヶ池)と考えられているそうです。
そして、「堂来清水」の起源には次のような言い伝えが残されています。
今から1,100年以上も昔のこと、ひどい干ばつで農民が餓死寸前に追い込まれていたのを救おうと、月の坊という寺の住職が農民とともに「奥の池」に住むという竜神様に雨ごいをしたのだそうです。
すると、村のふもとの堂来地蔵の近くに清水が湧くようになったというのです。
以来、その水は薬用水として多くの人に飲用され、地蔵尊とともにあつい信仰を集めてきたといいます。

現在も「堂来清水」は、白龍神社の奥、高山キャンプ場へ向かう道の脇に絶えることなく湧き続けています。
自然のままの風情を残した場所で、冷たく澄んだ味わいの名水は、その水量も豊かです。
地元では米を研ぐ水にも利用され、冬場は「寒の水」といわれているのだとか。

「堂来清水」は神事との結び付きも深い名水です。
長浜市など琵琶湖の東北〜北部一帯を湖北地方と呼びますが、1〜3月の雪の深い時期に湖北地方の各地域では、五穀豊穣と安全を祈願する「オコナイ」という伝統行事(神事)が行われます。
「オコナイ」の開催日や内容については、地域によっても違いがあるらしいのですが、神様の食事としてもちを供えるのは、ほぼ共通のならわしのようです。
そのもちをつく際に高山町近郊では、もち米を洗う水として「堂来清水」が使われているといいます。
竜神にまつわるその起源や、現代においても神事に欠かせない水であることなど、「堂来清水」は昔も今も地元の方たちにとって守り伝えるべき水なのです。

「堂来清水」の湧く長浜市。実は「長浜」という地名は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が名付けたものです。
浅井氏の滅亡によりその領土を与えられた秀吉は、それまで「今浜(いまはま)」と呼ばれていたところを「長浜」と改名し城下町を作りました。
この「長浜」が現在の長浜市の基礎となっています。

そのため、長浜市内には秀吉とゆかりの深い史跡が多く残っています。
「舎那(しゃな)院、神照(じんしょう)寺、総持(そうじ)寺、知善(ちぜん)院、長浜八幡宮、豊国(ほうこく)神社」の6つの寺社も秀吉ゆかりの場所。
6か所を巡ってひょうたん6つを集めると無病息災のご利益があるといわれています。
長浜市内にはほかに、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した「姉川(あねがわ)の合戦」の古戦場跡も残っていて、戦死した兵士たちの慰霊碑が建てられています。

間もなく湖北地方は梅の見ごろを迎えます。明治天皇の行幸に際して建てられた「慶雲館(けいうんかん)」では、1952(昭和27)年から続いている「長浜盆梅展」が1月20日〜3月10日まで開催されています。
盆梅とは鉢植えの梅のことで、つまり梅の盆栽です。
同展では、純和風の座敷に見ごろを迎えた約90鉢が展示されているそうです。
また、同じころに梅の古木約70鉢がほのかな香りを漂わせる「浅井盆梅展」も開催されています。
開催場所は、地域の特産品などを販売している「浅井ふれあいの里・プラザふくらの森」です。

おいしい水のあるところには、おいしい食べ物もあります。冬の湖北地方で伝統の郷土料理といえば鴨料理。
厳冬期の琵琶湖で越冬する真鴨はたっぷりと滋養を含んでいて、その肉は臭みもなく歯応えが絶妙なのだとか。
そんな鴨肉をすき焼きでいただくのが湖北地方ならではの食べ方。
鴨のシーズンも3月ごろまでなので、この時期に長浜市を訪れるのならぜひ味わっておきたいところです。

深い信仰とともに守られてきた名水「堂来清水」を味わって、冬の湖北地方で戦国時代に思いをはせながら鴨すきに舌鼓を打ち、梅の香りに近づいてくる早春の足音を感じる旅。
湖面を渡る風はまだまだ冷たいので、どうぞ温かくしてお出かけください!


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 『 祝 婚 歌 』   (しゅくこんか  吉野 弘)   (中日新聞  H19,11,29)

     [ 結婚式の祝辞に披露して下さい ]

二人が睦まじくいるためには

    愚かでいるほうがいい

    立派過ぎないほうがいい

立派過ぎることは

    長持ちしないことだと

    気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい

   完璧なんて不自然なことだと

   うそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかが

   ふざけているほうがいい

   ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても

   非難できる資格が自分にあったかどうか

   あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは

   少しひかえめにするほうがいい

   相手を傷つけやすいものだと

   気づいているほうがいい

立派でありたいとか

   正しくありたいとかいう

   無理な緊張には色目を使わず

   ゆったりゆたかに

   光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら

   生きていることのなつかしさに

   ふと胸が熱くなる

   そんな日があってもいい

そしてなぜ 胸が熱くなるのか

   黙っていてもふたりには

   わかるものであってほしい


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 「 人 は 皆 」 ( 徳川宗春(通春) )

「 分別工夫ある人にても、 如何なる善人にても、

   若く盛んなる時は 一旦二旦あやまる事あるなり。

     万の事を珍しく覚え、遊覧好色もちろんの事にて、漢和古今同じ事なり 」


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 「 目に見せて、  言って聞かせて、  させてみて、  ほめてやらねば、  人は動かず 」
   これは上杉鷹山(当時全国一 貧しい藩であった米沢の上杉藩を見事に立て直した名君)が
   ミドルクラスの管理者たちに教示した言葉であり、彼は ケネディ大統領が最も尊敬した政治家、為政者である。


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 「 稽古とは 一より習い 十を知り 十よりかへる もとのその一 」  ( 千利休:小泉総理の平成14年年頭の言葉から )



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 「 三学戒 」 小泉内閣メールマガジン (13,12,27)から

    佐藤一斎(1772年〜1859年)の 「言志四録」(げんししろく) の一説。  佐藤一斎は江戸後期の儒学者。
    美濃岩村藩(現在の岐阜県恵那郡岩村町)の出身で、江戸幕府の「昌平坂学問所」の儒官を努めた人物。
    門下生に渡辺崋山、佐久間象山、大塩平八郎などがいます。 幕末回天の事業に大きな影響を与えました。

「 少(わか)くして学べば 壮にして為すあり。」
   若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。

「 壮にして学べば 老いて衰えず。」
   壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも活きいきしていられる。

「 老にして学べば 死して朽ちず。」
   年をとっても学び続けている人は、死んでもくさらない。



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 「 緒葛孔明 」 の  ( 七禁 ) 、( 水清 )、( 将 )、( 仲達 )

*  「 軍 に 七禁 あり   軽 、慢 、盗 、欺 、背、乱 、誤 なり 。  これ治軍の七禁なり 。 」


*  「 水 、 至りて 清ければ 魚なく 、 人 至りて察なければ すなわち 徒(ナカマ)なし 。」


*  「 相手 の悪い ところをめざとく 見つけ、そこから起こる禍 を察知する能力があって部下が服従する者は、[十夫の将]、

    早朝 から 深夜まで 働き、指示が適切である者は、[百夫の将]、

     勇敢 で戦うのが 巧みな者は [千夫の将]、

      気性がはげしく 兵の仕事 や 生活のつらさを知っている者は [万夫の将]、

       賢人 や 才幹 のある者 を 抜擢し、至誠 があり寛大 で 政治をよく知っている者は [十万の将] 、

        人々への愛情 が 十分で、信義 があり、隣国も服し、世界のあらゆることを知っており、
         世界を我が家 のように見なすことのできる者は [天下を率いる将] である 。」


*  「 死せる緒葛、生ける仲達を 走らす。」



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 「 一年の計は 穀を植うる にあり、

     十年の計は 樹を植うる にあり、

       百年の計は 人を育てる にあり 」  ( 中国の諺から )




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 「自主性」

自主性 とは、自分勝手なわがままのことではない。

秩序や規律の裏打ちを必要としている。

厳しいしつけやきまりの強要があって初めて機能する。

自主性は放っておいて生まれるものではなく、 きちんとした指導で育てられるものである。

              (H11.3.4の産経抄)


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 「日常の五心」

 1、「 すみません 」  という反省の心

 2、「 はい 」  という素直な心

 3、「 おかげさまで 」  という謙譲の心

 4、「 私がします 」  という奉仕の心

 5、「 有難う 」  という感謝の心



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 「名君3人の遺言」

*貞山政宗公遺言


   仁に過ぐれば 弱くなる

   義に過ぐれば 固くなる

   礼に過ぐれば へつらいとなる

   智に過ぐれば うそをつく

   信に過ぐれば 損をする


    気長く心穏やかにして万に倹約を用いて金を備うべし。

    倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世の客に来たと思えば何の苦もなし。

    朝夕の食事うまからずとも誉めて食うべし、元来客の身なれば好き嫌いは申されまし。

    今日の行きおくり子孫兄弟によく挨拶して娑婆の御いとま申すがよし。


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*徳川家康公遺言 (慶長8年正月15日)


   人の一生は重荷を負い遠き道を行くが如し急ぐべからず。

   不自由を常と思えば不足無し、心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。

   堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

   勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る。

   己をせめて人を責めるな。

   及ばざるは過ぎたるにまされり。


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*水戸光圀公遺言


   苦は楽のたね、楽は苦のたねと知るべし。

   主人と親とは無理なるものと思い、恩を忘るることなかれ。

   下人はたらわぬものと知るべし。

   子程に親を思い、子なきものは身にくらべて近きを手本とすべし。

   掟に怖じよ、分別なきものに怖じよ。

   朝寝すべからず、長座すべからず。

   小事もあなどらず、大事も驚くべからず。

   慾と色と酒はかたきと知るべし。

   正直は一生の宝、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷と知る辺し。



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 「 駿ちゃん ごめんな 」
平成15年7月1日 長崎市で4歳の種元駿ちゃんが立体駐車場8階の屋上から裸にされて突き落とされ、殺害されると云うショッキングな事件が発生しました。
そして、9日後に容疑者として中学1年男子生徒(12歳)が補導され、家裁に送致されました。
事件現場には連日駿ちゃんのご冥福を祈って供花が続いており、16日「中学教師」と名乗る匿名の人から次ようなメッセージが供花の傍に置かれていました。
何よりも重要な青少年の育生について現在の大人社会に欠けている大事な何かをこの文が提示しているように思いましたので転載します。  ( 爺さん付記)


『 駿ちゃん 痛かったやろう 怖かったやろう ごめんね。

 僕ら大人がこんだけまわりにいて、助けてあげられなくて、本当にごめんね。

 前の長崎は こんな感じじゃなかった。 狭い街で、みんなの顔が、お互いに見えとった。

 いつの間にか こがんなってしまとったとやね。 ごめんね。

 私は中学校の教師をしています。 中学校の教師として 本当に申し訳ない。

 今まで 僕らは何を生徒に教えとったつもりやったとやろう。

 駿くんのことを 生徒と一緒に語り合いました。

 そして、このような「命」を「命」と思わない心、自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心と対決していく誓いを交わしました。

 私が教師である限り、人間である限り、長崎市民であるかぎり、それを続けます。

 たとえ何年たっても、近くに来たときには、君に会いに来ます。 お祈りにきます。

 だから駿ちゃん ごめんな。 本当に ごめんな。 』
  (中日新聞7/17付朝刊記事)


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 「親子で歌いつごう 日本の歌 百選」  (H19.01.14)

河合隼雄文化庁長官の提案で 「歌を通じて家族のきずなを確かめるきっかけに」 と全国から公募し、応募のあった 895曲 (約6,700通応募) の中から
歌手の由紀さおりさんらが最終的に次の [百一曲] を選びました。
入選作には「お正月」、「赤とんぼ」、「めだかの学校」など懐かしい童謡や民謡が目立つ一方で
「いい日旅立ち」、「上を向いて歩こう」など昭和のヒット曲も選ばれました。
文化庁ではこれらを音楽の副教材として学校の教育現場でも活用してもらいたいとしている。


 *仰げば尊し   *赤い靴   *赤とんぼ   *朝はどこから   *あの町この町   *雨降りお月さん

 *あめふり   *あめふりくまのこ   *いい日旅立ち   *いつまでも夢を   *犬のおまわりさん

 *上を向いて歩こう   *海   *うれしいひなまつり   *江戸子守歌   *おうま   *大きな栗の木の下で

 *大きな古時計   *おかあさん   *お正月   *おはなしゆびさん   *朧月夜   *思い出のアルバム

 *おもちゃのチャチャチャ   *かあさんの歌   *風(草川信)   *肩たたき   *かもめの水兵さん

 *からたちの花   *川の流れのように   *汽車   *汽車ポッポ   *今日の日はさようなら

 *靴が鳴る   *こいのぼり   *高校三年生   *荒城の月   *秋桜   *この道   *こんにちは赤ちゃん

 *さくら貝の歌   *さくらさくら   *サッちゃん   *里の秋   *幸せなら手をたたこう

 *叱られて   *四季の歌   *時代   *しゃぼん玉   *ずいずいずっころばし   *スキー

 *背くらべ   *世界に一つだけの花   *ぞうさん   *早春賦   *たきび   *ちいさい秋みつけた

 *茶摘み   *チュウリップ   *月の砂漠   *翼をください   *手のひらを太陽に

 *通りゃんせ   *どこかで春が   *ドレミの歌   *どんぐりころころ   *とんぼのめがめ

 *ないしょ話   *涙そうそう   *夏の思い出   *夏は来ぬ   *七つの子   *花(嘉納昌吉)

 *花(瀧廉太郎)   *花の街   *埴生の宿   *浜千鳥   *浜辺の歌   *春が来た   *春の小川

 *ふじの山   *冬景色   *冬の星座   *故郷   *蛍の光   *牧場の朝   *見上げてごらん夜の星を

 *みかんの花咲く丘   *虫のこえ   *むすんでひらいて   *村祭   *めだかの学校   *もみじ

 *椰子の実   *夕日   *夕やけこやけ   *雪   *揺籃のうた  *旅愁   *リンゴの歌   *われは海の子


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